以上のような議論からすれば、現行の非合法麻薬に対する抑圧的禁止政策とハームリダクション政策は、一見相いれない考え方のようにみえるが、現実にはハームリダクションにはいくつもの存在形態があり、必ずしも禁止政策との間で親和性が存在しないわけではない。
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このような薬物使用に対する道徳的是非を括弧に入れ、具体的な問題の改善に向けた現実的アプローチを志向するハームリダクションの考えは、プラグマティズムの思想から大きな影響を受けていることが表明されている。
プラグマティズムは、ある行為が善であるか悪であるか、正しいか間違っているかの判断は、抽象的価値体系や思想、一般道徳にその判断規準を求めない。
初期のプラグマティズムの代表的存在であったウイリアム・ジェームズを引用すれば、プラグマティズムでは、「抽象的概念や不十分なものを退け、言葉の上だけの解釈、まちがった先天的推論、固定した原理、閉じられた体系、いかにももっともらしい絶対者や根源などには一顧をも与えない」、「諸君はこれら一つ一つの言葉の実際的な掛け値のない価値を明示して、それを諸君の経験の流れの中に入れて、実際に活用してみなければならない」、と主張する[8]。
このようにプラグマティズムとは、ある行為実践のもととなる道徳、価値観、理念、イデオロギーを絶対化せず、その行為の実践が、現実社会あるいは人間の経験的生活にもたらす実際の効果と帰結からその行為実践を評価、判断しようとする姿勢であり、これがハームリダクション政策の基本理念として援用されている。
このようなプラグマティズムの考えに基づき、ハームリダクション政策では、道徳的理想主義者が目指す「ドラッグフリー社会の実現」という理念とそこから帰結する実践から距離を置き、多数の非合法麻薬の使用者が事実存在し彼らの存在が今後も継続するという現実認識に立ち、彼らが非合法麻薬を使用することによって現在生じている使用者と社会への有害性の削減へ向けた具体的実践を提唱するのである。
ここで我々が誤解してはならないのは、ハームリダクションが非合法麻薬の使用を奨励しているわけではないという点である。
ハームリダクションの支持者にとっても非合法麻薬の使用は望ましい事ではない。しかしそれが現実に行われ当面無くなる可能性がない以上、非合法麻薬の使用によって個人と社会が被る有害性を最小限に留めることが選択されているだけである。
しかしハームリダクションの主張と実践はしばしば強硬な反対に遭う。例えば、彼らの実践の一つである注射針の無償交換プログラムは、既に科学的データによって反証されているにもかかわらず、これが麻薬の使用者を増加させる結果を招くとして反対されてきた。
反対者にとっては、このプログラムがHIVや肝炎の感染率を低下させ、中毒者の健康だけでなく社会全体の公衆衛生を向上させることを可能にするという事実よりも、非合法麻薬の使用がいかなる条件であれ継続されることに対する拒否の態度を貫くことと、このプログラムによって自分達が信ずる理念が傷つけられることへの拒否の感情が優先される。
こうした理念優先型の実践の帰結が、刑務所での麻薬事犯の収容率の増加とコストの増加、中毒者のHIV感染率の高止まり、生産国でのドラッグウオーによる様々な弊害を生みだしたとしても、これらは社会と麻薬中毒者が甘んじるべき正当な代償として価値的に容認される。
対照的にハームリダクション政策の支持者は、道徳や理念が本来人間にとって何のために存在しているのかという問題意識に基づき、問題改善に向けての現実的アプローチが禁止政策の理念には欠落しているとしてこれを批判するのである。
このような対立点は、近年日本で進められている犯罪への厳罰化による威嚇効果を巡っての議論とも類似している。
犯罪学者の浜井浩一氏は、「犯罪対策の効果に対する科学的エビデンス、コスト分析を含め、より安価で副作用の少ない代替案などの検討」を行う「エビデンス(科学的根拠)に基づく犯罪対策」と、「まず刑法の重罰化によって国民に規範の何たるかを示す」という刑法改正における法務大臣の発言に見られるような、「(刑罰)信仰に基づく犯罪対策」とを分類し、後者の政策によって日本が今後アメリカ同様の大量拘禁の時代を迎える可能性を憂慮している[9] 。
このように理念信仰型政策と現実的な問題改善型政策との対立は、麻薬問題に限らず他の様々な社会問題においても同様にみることができる[10]。
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[8] W. ジェイムズ著、桝田啓三郎訳『プラグマティズム』、岩波文庫、1957年、43頁、45頁。
[9] 浜井浩一著「『治安悪化』と刑事政策の転換」、『世界』2005年3月号、岩波書店、112頁。
[10] 例えば、この麻薬問題に対する理念優先型の禁止政策とプラグマティックなハームリダクションの基本的姿勢の違いは、未成年者の性交渉への社会的対応にもみられる。未成年者のセックスに関する世論と実践は、婚前交渉の完全否定から、行きずりのセックスの許容まで幅広い。不特定多数のパートナーとのセックスや仮に特定のパートナーとのセックスであっても、セックスに対する不充分な知識はHIVや性病への感染、望まれない妊娠などのリスクが伴う。このリスクを軽減させるための方法として、教育現場での性交渉の実践的教育やコンドームの配付などが考えられるが、いわゆる純潔教育を支持する立場の人々からは寝ている子を起こすことになりかねない不適切な対応として強く反対される。このように、道徳的理念や理想を追及する禁止的政策と、ハームリダクションの対立は他の様々な社会的場面でみることができる。
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では既に麻薬を常用している中毒者やリスクの高い行為を実践している者にはどのような対応が可能であろうか。
ハームリダクションの最初の目標はリスク行為をいきなり中止させることではなく、まずリスク行為を修正させる方向性を維持させ、問題をそれ以上悪化させないようにすることにある。
リスク行為をそれ以上悪化させず安定させることができて、初めて次の段階、すなわちリスク行為の削減へと向かう。
これは段階的改善から完全な中止まで幅広いプロセスがある。具体的には、自助グループのグループセラピーによって得られる経験的な成功、失敗事例の情報交換による中毒者の認知パターンと行動パターンの改善の促進、またヘロイン中毒者へのメタドン、アルコール中毒者へのナルトレキソンなどの薬物療法による状況の安定化も採用される。
ただここで重要な点は、いかなる改善プロセスも、常にサービスのプロバイダーとクライアントとの間での話しあいによる協同作業でしか進めない点である。
疾病モデルの治療行為では、クライアントとの協同や話しあい抜きで、用意された治療技術を強制的にクライアントに受けさせる場合が大半である。しかしこれではクライアントに治療への動機づけ、自己管理方法が根付かず、リスク行為を回避させる為の行為パターンや認知パターンそれ自体が改善されることがないため、身体的問題は解決してもプログラムの終了後再発することが多い。
ハームリダクションが非合法麻薬の使用も含め中毒者の現状を受け入れるクライアント中心主義(client-centered approach)でプログラムを進める理由は、自発的な段階的自助努力によってしか中毒者の認知パターン、行動パターンを根本的に改善することがないと考えるからである。[7]
しかし運転手がどれだけ慎重さとリスクを回避する意志があっても、車が整備不良であったり道路に問題があれば事故に遭遇する確率は高くなる。
同様にヘロインの中毒者が、清潔な注射針や安全に注射を行う場所を確保できなければ、本人の意志に関係なく高いリスクを負うことになる。
ゆえにハームリダクションを成功させるためには、リスク行為を取り巻く社会環境の整備が必要条件として要求される。
具体的には、オランダ、スイス、オーストラリアなどで実施されている注射針の交換や注射部屋(injecting room)の提供、メタドンや医療ヘロインの支給、無料コンドームの配付、中毒者のためのシェルター整備などがあげられる。
ただしこれらの実践には、何が合法的に可能で何が不可能かを決定する公共政策や法律との関係が常に考慮される必要がある。
注射部屋の設置には、ドラッグの単純所持と使用の非犯罪化が最低限必要であり、法的な裏付けがなければこれらの環境整備は不可能である。
またHIV予防のためのコンドームの学校などでの配付は、保守的な政治家や教育団体から反対されることが多く、ハームリダクションの環境整備の実現には法律だけでなく社会の一般道徳との整合性も問題となる。
ゆえにハームリダクションの実践には、国や地方公共団体の理解、また広く言えば世論の支持が不可欠であるが、それは他の社会問題と同じく、多くの場合問題が悪化してからしか得られないものである。
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[7] Ibid., p.62.
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またハームリダクションアプローチを行う団体は、そのほとんどが草の根レベルから発生したボトムアップのコミュニティベースの運動で、政府や行政機関によるトップダウン式組織でないという特徴がある。
その多くが元麻薬中毒者やその家族、麻薬中毒者を持つ地域に住む人々によって運営されており、地域住民にとっては中毒者へのサービスの提供が地域の公衆衛生、住環境の改善と直接結びつくため、ハームリダクションプログラムは、サービスの供給者とその受益者が一致した活動:provider-client modelとして定義されることもある。[4]
実践としてのハームリダクションプログラムは次の3つの基本的戦略によって成り立っている。
1)リスク行為を行っている個人、グループへの働きかけ、2)環境の改修、3)社会政策の転換の実践である。[5]
この3つの基本戦略は車の運転を例に説明すると分かりやすい。車の運転は毎年数多くの死者を出すリスクを伴う行為の一つであるが、そのリスクを軽減するために、1)運転手の教育と訓練、2)車と道路の安全対策(シートベルト、エアバック、良く舗装された道路など)、3)運転を規制する法律と政策(速度制限、飲酒運転の禁止、その他の交通法)が、社会的に実践されている。
麻薬の使用に対するハームリダクションでも、この車の運転に伴うリスク軽減と同様の観点から種々のサービスが中毒者に提供されることが目標とされる。
まず「個人とグループへの働きかけ」においては、何らかのリスクを伴う行為を行う人々に、そのリスクを軽減させるための方法が教育プログラムの中で教えられなければならない。
いわゆるJust Say Noポリシー(日本でいうダメ絶対ダメ政策)で行われている予防プログラムとは異なり、ハームリダクションではすでにリスク行為の実践にイエスの選択をしている人々に対しても効果を持つような予防プログラムが想定される。
この教育プログラムには様々な形態があるが、学生、若者を対象としたリスク行為に対するグループディスカッションが一般的である。ここでは、政府や大人の専門家などの権威集団からのレクチャー形式のトップダウン型知識ではなく、参加者、学生からの意見、経験を取り入れた参加者相互間で与えられる情報をベースとする。
ワシントン大の中毒行為研究センターのアラン・マルラットは、ある高校で彼が行った飲酒のハームリダクションの教育プログラムをディスカッション形式の一例として紹介している 。[6]
そこでは未成年者の飲酒という、非合法ではあるが一般的に行われている行為について、学生間で教師を立ちあわさせずに彼らの考えを自由に議論させている。すると議論を通じて、飲酒を行わないもの、既に経験しているものの双方から、飲酒の良い面、悪い面に関する一般的、経験的知識と共に、飲酒に関する数多くの疑問や質問が出てくる。
さらに参加者の関心が強い飲酒にまつわるトピック=参加者が抱える具体的問題(他人に飲めと言われた時にどのように対応すべきか、飲みすぎた友人をどうやって介抱すればよいか、男性と女性の飲酒効果の違い、飲酒のセックスへの影響など)を自由に議論させる。こうした関心の高いトピックに対する議論を通じ、飲酒の善悪両面と、どういう飲酒パターンが危険であるかを生徒に認知させ、飲酒のハームリダクションの実践的知識を生徒に持たせる方法が採用されている。
ここで重要な点は、車の運転と同様に飲酒という行為にコミットすることの結果に対する個人の選択と責任が強調されることである。
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[4] Ibid., pp.53-54.
[5] Ibid., p.58.
[6] Ibid., pp.59-60.
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このような考え方に基づき、ハームリダクション政策では、麻薬使用者に対する禁止政策とは異なる治療アプローチが模索される。
禁止政策の基本的方針であるゼロ・トレランス政策(zero-tolerance policy) では、いかなる非合法麻薬の使用も禁止し、完全な使用の停止を罰則と治療によって達成しようとするため、治療プログラムでも完全な使用の中止を治療における必須条件とし、基本的に麻薬の使用を継続している患者の受け入れは拒否される。
これに対しハームリダクション政策では、使用の中止を望ましいものとは考えるが、必ずしもそれを中毒治療に対するアプローチの必須条件とは考えず、麻薬中毒者にとってサービスを受けやすい敷居の低いプログラムを提供することが前提とされている。
中毒者に対しては、「どこに到達するべきか」ではなく、「現在どこにいるのか」という視点が重視され、段階的な改善が奨励される。[3]
具体的には、麻薬そのものを使用したメインテナンス治療や代替物質治療、また麻薬使用の継続を認めた上でのグループディスカッションなどの治療プログラムへの参加、使用形態のより安全な形(例:清潔な注射針の使用、安全な場所での使用など)への移行などが努力目標として設定される。
またこうした段階的アプローチは、一見薬物使用とは関係がないとみなされがちな中毒者の生活全般の改善努力においても同様に採用される。
多くの場合助けを求めてくる中毒者は、麻薬の使用以外にも、家族、他者関係の悩み、経済問題、副次的な健康問題など多様な問題群を抱えている。禁止政策が、こうした彼らの具体的問題にはあまり関心を示さず、彼らを犯罪者や病人と定義し処罰や治療によって使用の中止を促そうとするのに対し、ハームリダクション政策では、中毒者の多様なライフスタイルの構成要素を全体的に扱い、麻薬の使用法、性交渉の状況、健康、栄養、経済状況、中毒者の人間関係など、中毒者の生活全体への包括的なアプローチを重視し、改善の可能な部分から対処し彼らの生活改善と社会適応を図るプロセスが実践される。
つまりハームリダクション政策とは、麻薬の使用に伴う有害性の縮減という方向性さえ保たれていれば、仮に使用が継続されていても、その方向性に向かうあらゆる努力が採用される、問題に対するプラグマティックな政策といえる。
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[3]Marlatt, G. Alan (ed.) (1998) op.cit., p.55
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薬物政策研究者のtakuさんによる論稿を連載します。ハームリダクション政策とは何か、日本の薬物政策を考えるうえでもとても参考になると思います。
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第1節 はじめに ─ハームリダクション政策の基本的アプローチ
ハームリダクション(有害性縮減)とは、麻薬の使用と中毒問題に対する、道徳、疾病モデルに代わる、公衆衛生(public health)の視点からの代替的アプローチである。
これまでアメリカでは、長年麻薬の使用と中毒は、道徳モデルと疾病モデルが、時には両者が競合しながらも、この2つのモデルを基本に取り扱われてきた。
禁止政策がその理念の基礎に置く前者の道徳モデルにおいては、ある特定の麻薬の使用と頒布は非道徳的行為と定義され、刑罰に値する犯罪行為として法的に規定される。
この道徳モデルから80年代以降のアメリカのドラッグウオーは遂行されており、その究極の目的は、非道徳的存在である非合法麻薬とその使用者が完全に消滅した社会の実現にある。
その実践は、生産国での根絶作戦、DEAを中心とした密輸の取締り、警察による国内の売人及び使用者の逮捕など、主に刑事司法制度を通じて行われる。
一方の疾病モデルは、麻薬の使用と中毒を病気とみなし、これに治療とリハビリが必要と考えるアプローチである。
個人の薬物の使用に対する欲求を改善、矯正することに主眼を置く予防と治療プログラムが中毒者には適用され、これによって麻薬の需要削減が目指される。道徳モデルが中毒者を処罰に値する犯罪者とみなしているのに対して、疾病モデルは中毒者を病人とみなし治療によって完全な麻薬使用の停止(abstinence)を目指す点に両者の大きな違いがある。
この2つのアプローチは互いに敵対してきたが、しかし両者はともに、麻薬の使用削減(use reduction)によって最終的には麻薬の使用を社会から根絶させることを目標としている点では共通した麻薬問題に対するアプローチといえる。[1]
これに対しハームリダクション政策のアプローチでは、道徳モデルのようにある特定の麻薬の使用が道徳的に善か悪かという判断は行わず、また疾病モデルのように彼らをあえて病人と定義することもない。
ハームリダクション政策では、麻薬が完全に存在しない社会というビジョンは追及されず、それが仮に望ましい状況であったとしても、現実には実現困難なユートピア的目標とみなされる。
現実には社会の多くの人々が麻薬を使用しているという状況を受け入れた上で、麻薬の使用によって使用者と社会が被る有害性をいかにして削減するか、ここにハームリダクションの中心的関心がある。
薬物使用とHIV感染の研究を行っているデス・ジャルライスは、薬物使用に関するハームリダクションについて、公衆衛生学の立場からその基本的考えを次の5点にまとめている。
1.サイコアクティブな薬物へのアクセスを有する社会においては、非医療目的でのそれらの使用は不可避的である。麻薬政策は、非医療目的での薬物の使用を根絶するというユートピア的信念を基礎にすることはできない。
2.非医療目的での薬物の使用は、不可避的に、重要な社会的、個人的な害を生みだす。麻薬政策は、すべての薬物使用者が常に安全にそれらの薬物を使用しているというユートピア的信念を基礎とすることはできない。
3.麻薬政策はプラグマティックでなければならない。麻薬政策は、その実際の結果によって評価されねばならず、シンボリックなレベルで正しいか間違っているかということで評価されてはならない。
4.薬物の使用者達は、大きなコミュニティの不可欠な一部をなしている。それゆえコミュニティ全体の健康を守るためには、薬物使用者の健康を守ることが要求される。ゆえに薬物使用者をコミュニティから孤立させるのではなく、コミュニティの中に統合することが要求される。
5.薬物の使用は、多様なメカニズムを通じて社会と個人に害をもたらす。ゆえにこれらの害に対処するための幅広い措置が必要とされる。これらの措置は、中毒治療を含む薬物使用者へのヘルスケアの供給、なんらかの薬物を使用しがちな人々の数の削減、また特に、使用者をより安全な薬物の使用形態へと転換させることを含む。ハームリダクションを行うためには、必ずしも非医療目的での薬物の使用そのものを削減させる必要性はない。
(中略)ハームリダクションは、合法、非合法両方の薬物の使用者に対するステレオタイプによってではなく、リサーチに基づいた政策を取る必要が強調される。[2]
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[1]Marlatt, G. Alan, "Basic Principles and Strategies of Harm Reduction" in Marlatt, G. Alan (ed.) (1998) Harm Reduction: Pragmatic Strategies for Managing High-Risk Behaviors, New York, London; The Guilford Press, p.50.
[2]Des Jarlais, D.C. (1995) "Harm Reduction: A Frame Work for Incorporating Science into Drug Policy", American Journal of Public Health, 85(1), pp.10-11.
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本稿では、アメリカ国内でのニクソン政権以後のドラッグウオーの歴史と現状とその社会的効果をみてきた。
このおよそ30年間に渡り莫大な予算が費やされ、数多くの政府機関とその他の民間組織が関わり内外の無数の人々に影響を与えたこの国家プロジェクトのすべてを本稿で言及することはもとより不可能である。
しかし本稿で言及した範囲において、アメリカのドラッグウオーが非合法ドラッグの供給と需要の撲滅という目標においても、さらにその目標が拠って立つところの国民の生活、健康、人権の保護という点においても成功を収めているとは言いがたいことは確かであろう。
むしろドラッグウオーは莫大なコストをかけこの問題の解決へ向けての効果的な道筋を示すどころか、内外の多くの人々の人権、健康、平和を脅かしていることは本稿で指摘した通りである。
筆者はこうした結果がもたらされた要因を、ドラッグ問題を需要と供給の法規制によるコントロールによって対処できる事柄と考える問題の単純化にあると考える。
本稿では言及できなかったが、供給に関していえば、コロンビアが直面しているコーヒーの値段の暴落と政治的内戦状態、ゴールデントライアングルと呼ばれるビルマ・シャン州での近隣諸国の思惑によって長年続いている軍閥支配など、ほとんどの供給側アクターにはそれぞれドラッグマネーに頼らざるをえない政治・経済状況が存在する。
これらの問題を無視した供給対策は、非合法麻薬のブラックマーケットでの価格上昇、質の低下による健康被害、使用者の二次的犯罪の誘発を引き起こすだけである。
また、需要側においては、非合法麻薬の使用者を合理的判断力のない人間、犯罪者としてラベリングし社会的に排除するのではなく、彼らがいかなる要因、また論理で非合法麻薬を使用しているのかを分析し、彼らの健康と人権に配慮した科学的かつ合理的な政策的議論が行われることが望ましい。
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クラック問題と並び、80年代に麻薬問題と密接に結びついて社会問題となったのは、ヘロイン使用者の注射針の共有によるHIV感染の広がりである。
HIV感染はいわゆる4Hクラブと呼ばれる社会集団 (Homosexual, Heroin abusers, Haitian entrants, Hemophiliacs) に多くみられ、流行当初からヘロインユーザーの間に感染者は多かった。
アメリカでHIV感染のため治療を受けに来たヘロインユーザーの割合は、1981年に3%だったのが1984年には17%へと上昇している[56]。
ちなみに、同じ時期HIV感染の増加が問題化していたオランダでは、1984年には処方箋なしでの注射針の購入の許可と、政府財源による注射針の無料交換制度が実施されている。
こうした措置には、注射針の所持を禁止してもヘロインユーザーは結局注射針を使い回すことになり、禁止政策が事実上HIV感染を悪化させているという客観的な事実認識が背景にあった。
しかしアメリカでは注射針の交換に対して政府から激しい反対意見が相次ぎ、1988年に注射針の交換に政府として資金を出すことを禁止する法案が逆に通過した。
アメリカ政府が主張したのは、注射針の交換プログラムはヘロイン使用の増加につながるという論理で、注射針の交換が効果的でかつヘロインの使用を増加させないということを保険社会福祉省が宣言するまでこの方針を維持する態度をとった。
しかしその後、数多くの政府機関による公式の調査により、注射針交換がHIV感染予防に効果的でかつヘロインの使用増加にはつながらないことが証明されたにもかかわらず、クリントン政権、その後のジョージ・W・ブッシュ政権下においても政府としての資金援助は禁止されたままである[57]。
こうした政府の対応には麻薬使用者への嫌悪感が見え隠れする。
1987年に事実調査のためにHIV感染が特にひどかったニューヨークを訪れた健康相のサー・ノーマン・ファウラーは、「多くのホモセクシャルのコミュニティは、中流階級で教育もあり、間違いなく死にたいとは思っていなかった。一方、静脈注射を行うドラッグユーザー達は、彼ら自身の将来に対してより無関心であった」と述べ、ドラッグを使用するものは最初から生きることに関心がなく、死んでも仕方がない存在であるという見方を公言している[58]。
また麻薬の使用によるHIVの感染者数は、白人よりも黒人が圧倒的に多い。
これは麻薬の使用者数が黒人の方が多いということではなく、一般に警察によって職務質問される割合が黒人の方が圧倒的に高いことに関係している。
警察に職務質問される割合が高いことによって、手元に自分専用の注射針を所持するリスクが高まり、彼らは自分で注射針を所持することを避け、他のユーザーと注射針の共有を選択するからである[59]。
近年アメリカではHIV感染者の死亡数は医療の進歩により減少しているが、注射針を原因とするHIV感染数自体は一向に減少していない。
94年から2000年にかけてCDC (Centers for Disease Control and Prevention) が25州で行った調査によれば、注射針によってHIVに感染した麻薬使用者(DIU)は、HIV感染者数全体の25%を占めており、その内訳は黒人65%、白人23%、ヒスパニック10%と黒人が圧倒的に多く、また彼らとの性交渉を通じてHIVに感染する二次被害も深刻である[60]。
ちなみに他の西洋先進国、ヨーロッパ、オーストラリアなどではDIUがHIV感染者全体に占める割合は10%程度にとどまっている[61]。
しかしこうした政府の対応とは対照的に、草の根レベルでの注射針の交換はアメリカでも既に行われている。
また行政レベルでも1987年には全米で最初にオレゴン州で、1989年にはウイスコンシン州でそれぞれparaphernalia law(薬品使用に関連する道具を規制する法)が緩和され、処方箋なしに注射針を所持することが許可されている。
90年代に入ると、1992年にコネチカット州、1993年にはメイン州でそれぞれ処方法が緩和され、10本以下であれば処方箋なしに注射針を購入できるようになるなど、各州が独自の判断でこの問題に対処している。
コネチカット州ニューヘーブン市で1990年から始まった注射針交換プログラムでは、バンで市内を周り中毒者に注射針を配り、その際警官が集まったドラッグユーザーを逮捕しないことが約束された。
このプログラムでは、古い注射針との一対一の交換を原則とし注射器に番号を登録し、中毒者は匿名でサービスを受けることができる。
プログラム開始の数ヶ月後、配付した10本のうち2本の注射針が交換によって回収され、うち68%がHIVに感染していることが確認された。
2年後には10本のうち7本が回収されるようになり感染率は44%にまで低下し、さらに利用者の6人に1人が離脱プログラムを受けるようになっている。
一方、新しい注射針がもらえることでヘロイン中毒者の数が増えることもなかった[62]。
このニューヘーブンでの成功を受け、ニューヨークやワシントンでも同様のパイロットプログラムが開始された。
2000年の段階で注射針交換のプログラムは35州、106都市で行われておりその数は152に上っているが、うち州や地方政府の財源によるものは未だ半分以下の62にすぎない[63]。
ドラッグユーザーのHIV感染を減少させるには、注射針の所持の合法化、処方箋なしでの購入の許可、注射針交換のための資金の充実の三つが基本的要件であるが、これらの対応は未だ充分になされていないのが現状である。
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[56]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 377.
[57]公的機関による注射針の交換プログラムがドラッグの使用の増加につながらないことを実証した研究報告は、National Commission on AIDS (1991) “The Twin Epidemics of Substance Use and HIV”. General Accounting Office (1993) “Needle Exchange Programs: Research Suggests Promise as an AIDS Prevention Strategy”. Institute of Medicine of the National Academy of Science (2000) “No Time to Lose: Getting More from HIV Prevention” など多数ある。
[58]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. pp. 378-379.
[59] Bluthenthal, Ricky N, Lorvick, Jennifer, Kral, Alex H, Erringer, Elizabeth A and Kral, James G “Collateral Damage in the War on Drugs: HIV Risk Behaviors Among Injection Drug Users”, International Journal of Drug Policy, vol. 10, 1999, pp. 25-38.
[60] U.S. Department of Health and Human Services. Center for Disease Control and Prevention (CDC) (July11, 2003) HIV Diagnoses Among Injection-Drug Users in States With HIV Surveillance -- 25 States, 1994-2000, Morbidity and Mortality Weekly Report, [http://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/mm5227a2.htm].
[61]United Nations Programme on HIV/AIDS (UNAIDS) and World Health Organization (WHO), AIDS Epidemic Update December 2003, p.30.
[62]Baum, Dan (1996) op. cit. pp. 315-316.
[63]Day, Dawn, Health Emergency 2003: The Spread of Drug-Related AIDS and Hepatitis C Among African Americans and Latinos, Harm Reduction Coalition, p.7.
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1986年に設立されたSentencing Project (マイノリティへの刑罰に代わる代替的処分や人種差別問題を扱うNGO)は、黒人の多くが大学ではなく刑務所に入れられているとして、若者達を社会復帰させるための治療プログラムの充実と社会的サポートの必要性を訴え、一部のマスコミもドラッグウオーとマイノリティに対する抑圧との関係を報じ始めるようになった。
地方弁護士協会や全国カウンティ協会などの政治的影響力のある団体からも人種差別の疑いの濃いドラッグウオーを中止し、治療を中心とするプログラムへの移行が議会へ働きかけられるようになった。
また1991年にミネソタ州ラッセルでは、5人の黒人クラック事犯に対する裁判の中で、連邦法と同じくクラックにのみ厳しいミネソタ州の州法に対して、コカインパウダーとクラックとを区別することに何ら合理的根拠がないと述べ、クラック法の適用を却下するという判決が出ている。
法廷ではクラックで摘発されるのは黒人が圧倒的に多いことにも言及され、1988年にクラックの所持で摘発されたのは96.8%が黒人であるのに対し、パウダーコカインで摘発されたのは79.6%が白人であることが取り上げられ、クラック法は平等な保護の権利を受ける憲法の規定に違反しているとの指摘が州の裁判所から提出された[53]。
こうしたクラックと人種差別的取締りとの関係への批判は社会的にも注目されるようになったが、この問題はその後もほとんど変化していない。
1998年に行われた調査では、過去1年間にクラックもしくはコカインを使用した人口は白人が321万1,000人、黒人は78万7,000人と推計されており、マスコミや映画を通じたイメージに反し、絶対人口数から考えれば当たり前のことではあるが、白人の方が圧倒的にこのドラッグの使用者数は多い[54]。
これに対し1999年の司法省の統計によれば、白人と黒人の麻薬事犯による刑務所の推定収容人数の割合は、ノンヒスパニックの白人が20%であるのに対し、ノンヒスパニックの黒人が58%とほぼ3倍高くなっている[55]。
この数値は、ドラッグウオーによる取締りが大都市を中心に、また特に貧困層の多く住む地域に集中していることと関係している。
都市のスラムでは単純に人口比でマイノリティが多いだけでなく、貧困によってドラッグの使用者と売人が集中している。
またこうした地域では、ドラッグの密売がストリートで見知らぬ者同士で行われているため警察が取締りを容易に行える。
これに対し白人の場合、一般的に労働者階級であれ中流階級であれドラッグの売買は個人宅、バー、クラブなどの屋内で特定の仲間同士で行われる為、捜査にコストと時間がかかり成功率も低い。
こうして黒人がその使用者数の低い割合にもかかわらず、白人に比べ逮捕されるリスクが極端に高くなっているのである。
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[53]Baum, Dan (1996) op. cit. p. 323.
[54]U.S. Department of Health and Human Services. Substance Abuse and Mental Health Services Administration (SAMHSA) (August 1999) National Household Survey on Drug Use, Population Estimates 1998, [http://www.oas.samhsa.gov/nhsda/Pe1998/TOC.htm].
[55]U.S. Department of Justice, Bureau of Justice Statistics (August 2001) Prisoners 2001, NCJ 188207, [http://www.ojp.usdoj.gov/bjs/abstract/p00.htm].
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このクラックベビー現象が起きた社会的背景には、当時の貧困層への医療サービスの低下が原因として考えられる。
1981年にOmnibus Budget Reconciliation Actが制定されると、メディケード(Medicaid: 65歳未満の貧しい人々が受けられる医療補助)のサービスを受ける資格が厳しくなり、同時に国はこれに支出する予算をカットした。
これ以後、医療サービスを受けられなくなった母親が数多く現われた。またクラックユーザーの母親は、マスコミの報道によって社会的にスティグマ化されていたため、医療機関を訪れても充分な治療を提供されるどころか、医師と患者の守秘義務が無視され医師によって警察に通報されることが多かった。
チャスノフらの研究によれば、フロリダ州のパイネラス郡のクリニックや民間の産婦人科に訪れた妊婦のうち、白人、黒人ともに15%が妊娠中にドラッグを等しく使用していた。
しかし黒人の妊婦は白人に比べて10倍多く当局に通報されており、収入別では、所得が年間12,000ドル以下の最貧困層の方が、収入が25,000ドル以上の妊婦に比べて7倍多く警察に通報されていた[50]。
貧しい黒人であるというプロファイルにあてはまる場合、彼女達が受け取るのは社会的サポートではなく刑務所に送られ子供を取り上げられるという措置であった。
また妊婦は麻薬中毒の治療プログラムからも嫌われる存在であった。
1989年のニューヨークでは、施設の67%がメディケードを受けている妊婦の受け入れを拒否し、特にクラック中毒の妊婦の場合87%の施設が拒否していた[51]。
その一方で、1986年から1996年の間に女性のドラッグ事犯による刑務所の収容人数は2,370人から27,300人へとほぼ10倍に増加し、1990年に刑務所にいた女性のうち25%の女性が妊娠していたか、もしくは刑務所で出産している[52]。
マスコミによってもたらされた悪しき母親というイメージと、不十分な更生プログラム、厳しい罰則によって、彼女達は二重、三重に社会的に周辺化されていったのであった。
やがてこうしたドラッグウオーが招いた人種差別的な取締りに対して国内から批判がわきあがった。
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[50]Chasnoff, IJ, et al. “The Prevalence Of Illicit-Drug Or Alcohol Use During Pregnancy And Discrepancies In Mandatory Reporting In Pinellas County, Florida”. New England Journal of Medicine 1990; 322, pp. 1202-1206.
[51]Baum, Dan (1996) op. cit. p. 269.
[52]Amnesty International, Women in Prison A Fact Sheet.
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これに対し政府はクラックに対する罰則を極端に重くするという対抗策をとった。
末端の密売人や初犯でさえ懲役は10年6ヶ月となっており、これは強姦事犯よりも約6割重い刑で、殺人よりわずか2割弱しか軽くない懲役の長さである。
1986年のレーガン時代に施行されたAnti-Drug Abuse Actによって、5グラムのクラックの所有に対する懲役は5年であり、これは同じコカインであるパウダーコカインの100倍の刑罰の重さである。
同じ懲役をコカインパウダーで課せられるためには、単純に500グラムのコカインを所持していなければならない計算となる。
またおよそ5年(51ヶ月以上63ヶ月未満)の懲役が課される量のクラックの末端価格が460ドルであるのに対し、同じ懲役刑が課されるパウダーコカインの量の末端価格は42,800ドルであった[44]。
同じ成分でありクラックの原料であるパウダーコカインとクラックとの間の大きな罰則の違いは、人種差別的な法の適用を生み出した。
92年から93年の間に行われた調査では、88.3%のクラックの密売による被告が黒人であるのに対し白人の被告はわずか4.3%であった。
その一方パウダーコカインの密売による被告は、黒人が27.4%であるのに対し白人は32%である[45]。
1986年以前の黒人のドラッグ事犯の被告数全体に占める割合は11%白人よりも高い程度であったが、Anti Drug Actの制定以後は49%と大幅に増加している[46]。
このようにレーガン、ブッシュ、ベネット体制の国内でのドラッグウオーは、結果として大量の人種的マイノリティを刑務所送りにする結果を招いた。
またクラックは注射を媒体とするドラッグを嫌う女性の間で特に流行したドラッグである。
強度のハイが日々の困窮した生活からの解離を促すため、多くの貧しい黒人女性がクラック中毒になっていった。
そして彼女達の中から、売春ではなくセックスとクラックとを直接交換するいわゆるcrack whoreが多数現れた。
彼女達はクラックユーザーが集まるクラックハウスで、クラックを譲り受けるため男性のクラックユーザーに性行為を提供するだけでなく、彼女達を目当てにクラックハウスに集まるクラックユーザーではない男性とも性行為を行った。
彼らノンクラックユーザーの男性達はクラックハウスでのセックスをcheap sexと呼び、オーラルセックスで3ドルから5ドル、膣性交で5ドルから10ドルといった極めて低い値段で買春を行っていた[47]。
またクラックはアメリカ社会にクラックベビーという新たな恐怖も生みだした。
これはクラックを使用した母親から生まれた赤ん坊が回復不可能な身体的ダメージを受けたまま生まれてくるという話で、全米でマスコミがセンセーショナルにとりあげた。
この問題を有名にしたのは、シカゴの医師、アイラ・チャスノフが1985年に出したレポートである。この中で、チャスノフは23人のクラックコカインを使用していた母親の新生児がそうでない母親の新生児と比べ、元気がなく不活発であるという結果を報告している[48]。
マスコミはこの調査結果にとびつき、テレビや新聞、雑誌がクラックベビーの話題を一斉に報道した。
しかしその後の調査の結果、妊娠中のコカインの使用が子宮内の赤ん坊に与える影響は実際にはごくわずかで、クラックベビーとして騒がれた赤ん坊の症状はクラックそれ自体によるものではなく、むしろ母親の栄養不足、飲酒、喫煙によるものであったことがチャスノフ自身やその他の医師らの研究によって明らかとなった[49]。
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[44]U.S. Sentencing Commission (February 1995) Special Report to Congress: Cocaine and Federal Sentencing Policy [http://www.ussc.gov/crack/exec.htm], p. 173.
[45]Ibid., p. 161.
[46] Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 356.
[47]Sterk, Claire E (1999) Fast Lives: Women Who Use Crack Cocaine, Philadelphia, Temple University Press, pp. 72-73.
[48]Chasnoff IJ, Bruns, WJ, Schnoll WJ, Burns KA. “Cocaine Use in Pregnancy”, New England Journal of Medicine 1985; 313, pp. 666-669.
[49]Chasnoff IJ, et al. “Cocaine/Polydrug Use in Pregnancy: Two-year follow-up”, Pediatrics, 89; 1992, pp. 284-289.
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レーガン・ブッシュ政権下の80年代に、最もアメリカで社会的に問題となったドラッグはクラックである。
クラックは日本ではあまりなじみがないので、まずクラックの歴史とアメリカ社会でこのドラッグが広まった背景をみておく。
1980年代初頭にコロンビアからマイアミへのコカインの密輸ルートが確立すると、ペルーやボリビアでのコカ葉の作付け面積が増加し、コカインのアメリカへの密輸量が増加した。
上述したように、供給の増加により1981年には1オンスの純粋コカインの取引上の値段が120ドルであったのが、88年には50ドルと半分以下に値崩れしていた[39]。
こうした安価な原料コカインから開発されたのがクラックコカインであった。
クラックの起源は1974年のカリフォルニアといわれており、塩酸コカインを浸した水溶液にアンモニアとエーテルを溶かして作られる吸引可能な結晶型コカイン(freebase)がその原形である。
フリーベースは当初ハリウッドなどで一部のコカインマニアの間で流行したが、その工程が複雑で加工途中での引火事故が発生する危険性が高かったため、単に塩酸コカインを重曹と水に溶かして熱することでパイプでの吸引が可能な方法が普及した[40]。
これがクラックの始まりであり、吸引のため加熱する際にカタッ(clack)と音がすることからこの名がついたといわれている。
クラックはパウダーコカインに比べ単価が非常に安く、一回の値段が5ドルから10ドル程度である。
またフリーベース程ではないが効果が強烈で、その為精神的依存性が強い。
またパウダーコカインが使用量にもよるが30分から1時間は効果が持続するのに対し、クラックは一回の吸引で約15分程度しか効果が持続しないため、使用者が繰り返し吸引する傾向が強い。
値段の安さとそのインテンシブなハイにより、ヘロイン中毒者の多くもクラックの使用を開始し、クラックはロサンゼルスのサウスセントラル、マイアミのオーバータウン、ニューヨークのハーレムやワシントンハイツなどの都市部の貧困層の間で流行し、80年代中頃までには純粋なヘロイン中毒者の数は減少し、クラックがいわゆるゲットードラッグのメインストリームとなっていった[41]。
クラックはパウダーコカインと異なり、当時末端のディーラーはそのほとんどが黒人かヒスパニック系のマイノリティであった。
これはマイノリティを中心に構成された常用者のマーケットと、パウダーコカインから簡単に作ることができる商品であったことが影響しており、まともな仕事や教育を受けられない貧困層の若者にとって大きなビジネスチャンスを与えることになった。
ワシントンDCではクラックを密売することで一時間に30ドルを稼ぐことができたが、これは貧困層の大人の黒人が就くことのできる合法的な仕事で一時間に得られる当時の賃金の4倍以上であった[42]。
その結果、クラックの密売を始めるいくつものマイノリティのギャング集団が結成され、クラック密売の利益で彼らは武装し、マーケットを巡る抗争が80年代後半から頻繁に発生している。[43]
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[39]Courtwright, David T, “ The Rise and Fall and Rise of Cocaine in the United States”, in Goodman, Jordan, Lovejoy, Paul E and Sherratt, Andrew (eds.) (1995) Consuming Habits: Drugs in Hirstory and Anthropology, London and New York; Routledge, p.217.
[40]黒人の人気コメディアンでハリウッドスターであったリチャード・プライヤーが起こした引火事故は特に有名である。
[41]Ibid., p. 218.
[42]Ibid., p. 218.
[43]例えばマイアミを拠点とし、シカゴ、ニューヨークなど多くの都市で勢力を誇ったジャマイカ人組織、Shower Posseが有名である。文字通り、敵に対して銃弾をシャワーのように浴びせるのでこの名前がついた。
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こうした厳しい取締りは次のジョージ・ブッシュ政権にそのまま引き継がれ、彼の就任翌年の1989年には新たに22億ドルの予算がドラッグウオーに追加され、うち7割の予算が国内外での取り締りに使われている[33]。
加えて同じ年に制定されたNational Defense Authorisation Actによって国防省がドラッグ問題を取り扱う中心省庁になり、冷戦終結後間も無いこの時期ドラッグ関係の予算の多くがDEAと国務省の他、国防省やCIAにも流れていった。
これらの予算の大半は、次回の部で詳述するように、ドラッグの生産国であるペルー、コロンビア、ボリビアを中心とした南米各国で、ドラッグ対策としての軍事指導、訓練、武器援助のため使われ、そこで人権、環境問題に関わる深刻な問題を引き起こすことになる。
ブッシュ政権下でのドラッグウオーで興味深いのは、ブッシュ政権の反麻薬キャンペーンとそれを積極的に報道したマスコミとの関係である。
1988年11月の選挙後まもない頃、ブッシュ政権の最優先課題として世論がトップにあげていたのは財政赤字問題(34%)であり、麻薬問題に対してはわずかな関心(3%)しか集まっていなかった。
しかしブッシュ政権の反麻薬キャンペーンがマスコミで連日取り上げられるようになると、1989年9月の調査では、世論の43%が麻薬問題が政権にとって最優先課題と考えるようになり、財政問題は全く改善されていないにも関わらずわずか6%にまで落ち込んだ。
同じ現象はニューヨークで特に顕著で、1987年6月の登録選挙民に対する調査では、税金問題が15%で政治課題のトップを占め麻薬問題は5%にすぎなかったが、1989年9月には税金問題は8%、麻薬問題は46%と完全に国民の関心は逆転していた。
チョムスキーはこの世論の急激な変化を取り上げ、「現実世界は全く変化していないが、イメージは権力の都合を反映して、イデオロギー機関を通じて伝染し変化した」と述べているが、当時の麻薬問題への大衆の関心と政府予算は、多分にこうした世論操作によって作り上げられ正当化された側面が指摘できる[34]。
こうして世論の支持を獲得したドラッグウオーの国内での中心的役割を担っていたのは、1988年に設立されたOffice of National Drug Control Policy (ONDCP) と教育省からここに赴任したウイリアム・ベネットであった。
ベネットは国内でのドラッグウオーを遂行するにあたって、「単純な事実としてドラッグの使用は間違っている。道徳的議論こそが結局のところ、もっとも説得力のある議論である」と主張し、ドラッグは健康にとって危険であるから禁止すべきであるという従来の説明から、ドラッグを道徳的問題として捉える方針をとった[35]。
ドラッグが健康問題であるうちは中毒者は病気ということになり中毒者に対する治療が期待されるだけでなく、非合法ドラッグとアルコール、ニコチンなど合法ドラッグとの間での健康上の影響の比較という政策上の難題が浮上する[36]。
また特に社会的に問題となるような中毒症状や健康障害を示さないマリファナやコカインのウイークエンドユーザーに対して厳しい禁止政策を訴える根拠が見当たらなくなる。
これに対しドラッグを道徳的問題として扱い非合法ドラッグの使用を道徳的悪と定義すればこれらの問題は一挙に解消される。
ベネットは非合法ドラッグの使用を「道徳の、価値の、人間性の、我々お互いの関係性の、そして神との関係を全滅させることである」と述べ、ベネット独自の道徳的判断によりアルコールやニコチンなどの合法麻薬を除いた非合法ドラッグの使用に限って、これは公式に道徳的悪として定義されることになった[37]。
以後、非道徳的行為を行うもの、すなわち非合法ドラッグを使用する者は、宗教的、道徳的、政治的権威を危機にさらす者達であるとみなし、使用者を徹底的に社会から駆逐する方針が打ち出された。
この結果、1980年から1994年までのレーガン・ブッシュ時代を通じて、アメリカの刑務所の収容人数はおよそ3倍に増加し、特にブッシュ政権時代の89年から93年までの間は人口比でアメリカは世界で最も高い刑務所の収監率を示すことになった[38]。
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[33]Ibid., p.359.
[34]本段落の数値は、Chomsky, Noam (1992) Deterring Democracy, London; Vintage Books, p.120.
[35]Baum, Dan (1996) op. cit. p. 264.
[36]1989年には喫煙を原因とした死亡者数が395,000人、飲酒による死亡者数が23,000人と見積もられており、またこれとは別に22,400人が飲酒運転で死亡している。一方、コカインによる死亡者数は3,618人、ヘロインなどのアヘン系物質が2,743人、マリファナの死亡者数はゼロであった。Ibid., pp. 264-265.
[37]Ibid., p. 266.
[38]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 357.
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1983年のコカインの押収量は6トン、マリファナは850トンだったが、1985年にはコカインが25トン、マリファナが750トンとコカインの押収量がこの時期劇的に増加し、同様にDEAによる推計では1981年にはアメリカ人はおよそ36トンから66トンのコカインを消費していたが、その推計量は84年には61トンから84トンへと増加している。
供給過多によりコカインの卸価格も80年代初頭のキロ60,000ドル程度から、1985年には値が40%下落し、1980年代の終わり頃にはキロ15,000ドルと約4分の1にまで下がっている。
また1977年には18歳から25歳までの若者で前の年にコカインを使用したものの割合は1割程度と推定されていたのが、1985年には約3分の1へと増加した[31]。
要約すれば、タスクフォース開始後からアメリカ市場に大量の安価なコカインが出回り使用者を増加させていたことになる。
この現象の背景には密輸の完全な取締りが不可能であるという事柄以外にいくつかの要因が指摘できる。
まず、上述したようなドラッグユーザーと学者の間での、コカインはさほど危険ではないという認識がその後の需要に与えた影響、また今後詳述するコロンビア、ペルーなど南米のコカイン生産国の当時の政治、経済状況の混乱がコカ栽培に与えた影響も無視できない。
しかしアメリカ国内の麻薬政策に限定していえば、これはマリファナをコカインと同様の危険なドラッグとして同じ厳しい罰則規定を科した法的要因が大きいと考えられる。
当時のフロリダ州の法律では、マリファナとコカインの密輸に対する罰則が同じであったため、密輸業者が同じリスクを負うのならば、運びやすく利益が大きいコカインを密輸しようと考えるのは当然の結果であるといえる。
しかし、レーガン政権はさらなる取締りの強化でこれに対抗し、1984年にはComprehensive Crime Control Actを制定し司法省財産没収基金(Justice Department's Assets Forfeiture Fund : AFF)を創設した。これはドラッグ関連の犯罪によって没収した財産を供託する基金であり、情報源への報償金、刑務所の設立資金、また取締りの資金として連邦政府が使用するだけでなく、地方の法執行機関、警察にもこの基金の一部が還元されるシステムであった。
そのため地方警察による取締りは活発化し基金は著しく増加し、1985年には2,700万ドルであった基金は、1991年には6億4,400万ドルにまで膨れ上がっていた。
しかし1991年の調査によれば、財産を没収された市民のうち80%は刑事告発されていないにもかかわらず、93年には司法省だけで6億ドルを越える価値の押収財産が蓄積され、国民の財産権の侵害との批判もあがっている[32]。
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[31]本段落の数値はすべてIbid., p.353.
[32] Ibid., pp. 358-359. このシステムは2000年にクリントン政権下で改革された。
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1978年から盛り上がりをみせた反ドラッグの世論は、1981年の大統領選挙で共和党のレーガンを押し上げ、彼の大統領就任により麻薬政策は非寛容政策へと大きく転回していく。
特にナンシー・レーガンは有名なJust Say Noのスローガンのもと、アンチドラッグキャンペーンの道徳的アントレプレニュールとして、ドラッグへの徹底的な非寛容を訴えた。
彼女は寛容政策が持っていた根本要因論を否定し、「我々一人一人は、どこであれ、いつであれ、誰に寄ってであれ、ドラッグの使用に対して非寛容である責任を負う。我々はこの国にドラッグの使用に対して非寛容な雰囲気をつくりあげなければならない」という主張を展開した[28]。
レーガン自身も、「我々はこの国に入ってくるドラッグの流れを止めるため、子供達、とりわけ就学年齢の若者に真実を教えるため、麻薬を取り巻く間違った魅力を取り除くため、そしてマリファナのようなドラッグを正確にあるがままに規定する、すなわちそれが危険であると規定するために、すべての力を動員せねばならない」と述べ、先の父兄運動の主張に沿ったマリファナを危険なドラッグとみなす方針をとった[29]。
そしてこの問題に関する政権内のもっとも重要なポストであるAlcohol, Drug Abuse and Mental Health Administrationの長官に、フロリダ州の小児医師であり父兄運動の熱心なメンバーであったイアン・マクドナルド医師を任命し、カーター政権とは対照的に徹底したアンチ・ドラッグキャンペーンを展開した。
レーガン政権の麻薬政策は、売人と使用者に対する法的処罰に対する予算の増加と、一方での治療や使用者を取り巻く社会調査に対する予算の削減によって特徴づけることができる。
レーガンはまず1982年2月に麻薬密輸の玄関となっていたマイアミに南フロリダタスクフォースを立ち上げ、副大統領のジョージ・ブッシュを指揮官として密輸入の海上での取り締まりを強化した。
その後これをモデルに、さらに12のOCDETF (Organized Crime Drug Enforcement Task Force) の配置を10月に発表する。
タスクフォースが立ち上がった最初の年には、ドラッグ関係の起訴が南フロリダでは64%増加し、約1,900万ドルの現金や財産が押収された[30]。
しかしこの作戦はアメリカに新たなドラッグトレンドを生みだすことになる。
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[28]Ibid., p. 273.
[29]Ronald Regan Presidential Library (June 24, 1982) Remarks on Signing Executive Order 12368, Concerning Federal Drug Abuse Policy Functions, [http://www.reagan.utexas.edu/].
[30]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 352.
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