異義申立棄却決定文
決定
上記の者に対する大麻取締法違反、関税法違反被告事件(平成17年(あ)第1175号)について、平成17年9月5日当裁判所がした上告棄却の決定に対し、被告人から異議の申立があったが、この申立は理由がないので、当裁判所は、刑訴法414条、386条2項、385条2項、426条1項により、裁判官全員一致の意見で、次のとおり決定する。
主文
本件申立てを棄却する。
平成17年9月20日
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 藤田 宙靖
裁判官 濱田 邦夫
裁判官 上田 豊三
裁判官 堀籠 幸男
裁判所書記官 吉川 哲明
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最高裁への異義申立書
異議申立書
平成17年(あ)第1175号 大麻取締法違反、関税法違反
被告人 ■■■■
最高裁判所 第3小法廷 御中
平成17年9月7日
弁護人 真木 幸夫
頭書被告事件につき平成17年9月5日上告棄却の決定があり、同月6日決定謄本の送達を受けたが、下記理由により異議を申し立てる。
異議の理由
1.はじめに
御庁がなされた9月5日付け上告棄却決定は、理由が簡略に過ぎ、根拠も示さず理解し難いものであって裁判を受ける被告人、国民の側からすれば、憲法に保障された裁判を受ける権利(憲法31条、32条)というものはこの程度の意味しかないものかと誤解を招く虞すらある。
2.
同決定は、弁護人の上告趣意に対して、「大麻取締法違反及び関税法の各規定違憲をいう点は、大麻が有害なものではないとか有害性が非常に少ないものとはいえず、また、これらの法律が定める所論は刑が違反行為の罪質に対して著しく均衡を欠くものとはいえないから、所論は前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、実質において単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意のうち、大麻取締法の規定違憲をいう点は、前同様前提を欠き、同法の適用違憲をいう点は実質において単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。」としている。
3.最近の大麻取締りについての立法的事実精査、検討の重要性
少量の大麻製品の非常習的な自己使用目的の行為は訴追を免除すべきであると結論付け、大麻法自体を基本法違反と断じた少数意見も付されているドイツ連邦憲法裁判所の1994年3月9日決定等の海外の裁判所の動向も参考にされるべきであり、又20世紀末から21世紀に入って加速している大麻についての欧米先進諸国の最近の非刑罰化、医療合法化等の顕著な合法化傾向に鑑みても、約60年前の大麻取締法制定当時や20年前の最高裁の合憲決定が出された時点とでは、大きく法規制を支える立法事実が変化している。
さらに、規制緩和が要請されているわが国全体の昨今の社会情勢からも、大麻取締法自体が見直しを求められていることは、明らかである。
法規制の見直しをしないのは、明らかに国会の怠慢である。
最近の医学的、科学的根拠にも裏打ちされた上記欧米を中心とする先進国で大麻規制が非犯罪化され、非刑罰化されている状況は、現時点での法律の合憲性、違憲性を支える重要な立法事実として十分に考慮に入れられなければならないのである。
4.司法裁判所としての責務
立法、行政の過誤、怠慢を糾すことこそ、司法裁判所の責務である。
理に基づいた個人の自由、権利の主張が窒息させられようとしているのであるから、これ以上意味の無い「立法裁量」の隠れ蓑で違憲の瑕疵を覆い隠し続けてはならない。特に人の健康や人心の自由に拘わることについて、法律の改廃、修正は一刻の猶予もならないはずである。大麻(THC)の薬効を欧米の大手製薬会社が研究して抗うつ剤やエイズ、末期癌の患者に対する薬として製品化もされ始めている世界的現実を直視しなければならない。
以上により、本件上告趣意に鑑みるならば、9月5日付け上告棄却決定は、理由が付されておらず、内容に明らかに重大な誤りがあると愚考せざるを得ないものであり、人権擁護の最後の砦である司法裁判所の責務を放棄したとの誹りすら免れ得ないものであると考える。
よって立法事実の検証、すなわち、記録の精査と再度の考案を求め、敢えて異議申し立てに及んだ次第である。
5.むすびにかえて
最後に司法裁判所の責務ないし「実質的法治国家の実現」という点に関して、次の法律書の一節を特に掲記したい。
「第2次世界大戦後、まず最も強く指摘されたのは、『法律による行政の原理』とは、『法律によってさえいればよい』あるいは『法律によりさえすれば何でもできる』ということと同義ではない、ということであった。これは、…しばしば『形式的法治国に止まらず実質的法治国の実現を』という表現によって主張されたところである。
この『実質的法治国』ないし『法の支配』の標語の下に問題とされてきたことは、伝統的な『法律による行政の原理』との関係では、おおよそ2つの事柄であった、ということができよう。第一は、『法律による行政の原理』とは、行政はともかく法律に従ってさえいればよい、ということなのではなく、その場合、法律自体が一定の内容の保障のあるものでなければならない、ということであり、第二は、伝統的な『法律による行政の原理』のみでは、これを如何に全行政活動にわたり貫徹したとしても、国民の権利救済という観点からは不充分なものが残る、ということである。
ところで、右の第一については、実は、日本国憲法が立法権に対する関係でも基本的人権を保障し、更に、裁判所に違憲審査権を与えているということにより、法制度は一応の決着がなされている、と言うことができる。」(藤田宙靖『第3版 行政法Ⅰ(総論)〔改訂版〕、1995、122頁以下』)
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Iさん上告棄却
平成17年(あ)第1175号
決定
上記のものに対する大麻取締法違反、関税法違反被告事件について、平成17年4月28日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人真木幸夫の上告趣意のうち、大麻取締法及び関税法の各規定違憲をいう点は、大麻が有害なものではないとか有害性が非常に少ないものとはいえず、また、これらの法律が定める所論の刑が違反行為の罪質に対して著しく均衡を欠くものとはいえないから、所論は前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、実質において単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意のうち、大麻取締法の規定違憲をいう点は、前同様前提を欠き、同法の適用違憲をいう点は実質において単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
よって、同法414条、386条1項3号、181条1項ただし書により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
平成17年9月5日
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 藤田 宙靖
裁判官 濱田 邦夫
裁判官 上田 豊三
裁判官 堀籠 幸男
裁判所書記官 吉川 哲明
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上申書
平成17年(あ)第1175号 大麻取締法違反、関税法違反被告事件
最高裁判所第三小法廷 御中
上申書
平成17年7月19日
大麻取締法被害者センター
主宰 白坂和彦
頭書事案について、判事様諸賢にご検討頂きたい点、下記の通り申し上げます。
1. 大麻の事実についての評価
昨今、大麻取締法違反の事案において、最高裁への上告を含む多数例が、大麻取締法の違憲性を主張しています。その主張は、下級審においては、昭和60年の最高裁判例が引かれ、大麻の有害性を「公知の事実」であるとして退けられてきました。
しかし、本件被告人の控訴審において、弁護人が提出した趣意書の通り、現在では英国の製薬会社であるGW製薬社が大麻抽出物を原料とした医薬品サティベックスを生産し、カナダではこれが認可されております。オランダやベルギー、米国の複数の州においても医療用大麻は制度的に利用が可能です。
また、個人のレクリエーショナルユースにおいても、欧州諸国では非刑罰化が進み、個人使用目的の少量の大麻所持は訴追しない施策が講じられています。ドイツにおいても憲法裁判所の判断により、同様の措置が取られていることは累次の大麻裁判で指摘されている通りです。
大麻取締法被害者センターは、この法律によって逮捕された本人やご家族近親者からの相談を受け付け、大麻や裁判についての情報を提供しておりますが、最近は外国籍の方からの相談も増えています。例えばデンマークから来邦された方が同法で逮捕された案件がありましたが、デンマークでは個人使用目的の100g以下の大麻については、罰金300デンマーククローネ(約5,400円)の軽犯罪であり、自転車に乗りながらの携帯電話使用の罰金500デンマーククローネ(約9000円)よりも軽い扱いとなっています。人権を重視する先進各国においては、個人使用目的の少量の大麻所持は、逮捕勾留する必要のないものとして認知されているのが現実です。
一方、我が国では、大麻取締法によって大麻の研究すら禁止されているため、厚生労働省も大麻の科学的データを一切保有しておりません。これは先般上告が棄却された桂川直文氏を被告とする事案〔平成17年(あ)第840号〕において、大阪高等裁判所における控訴審〔平成16年(う)第835号〕で、弁護側による資料の一部としても明らかにされた通りであり、本件控訴審においても弁護人が趣意書において指摘しています。
桂川氏の控訴審判決は、それまで同種裁判の判決に見られたような、大麻の有害性を「公知の事実」として断ずるものとはなっておりません。同控訴審では、検察が現状の大麻規制の正当性について書証を提出しましたが、弁護側が科学的な資料を提示し、論理的に反証が加えられました。厚生労働省の外郭団体である財団法人覚せい剤麻薬乱用防止センターのウェブサイトにある大麻の有害性に関する記述も検察側書証として提出されましたが、その出典を弁護側が求めたのに対し、検察は同財団に問い合わせたものの、その出典を得られなかったので提出できないと、その無根拠を露呈しています。
また、桂川氏の控訴審で提出された弁護側資料を引用して行なわれた高松高裁のM氏を被告とする裁判〔平成16年(う)第400号〕においても、検察は新たに現状の大麻規制を正当化する論文を提出しましたが、これについても当該論文の非論理性とデータの不備を指摘し、控訴自体は棄却されたものの、判決は大麻の有害性を「公知の事実」とせず、これを否定する見解が存することを認めています。
下級審において示される大麻取締法違憲論否定の判例は、昭和60年の最高裁決定ですが、以来、世界的には大麻の有害性どころか、有効性・有用性を立証する科学的研究の成果が次々と発表されています。2003年にポルトガルで開催されたサッカーの世界大会においては、当局はフーリガンの暴動を封ずるためにアルコールを規制する一方で、大麻の使用を黙認すると発表しました。アルコールと違い、大麻の使用で暴力的になることはないからであります。
本件控訴審において弁護人が提出した資料の通り、大麻は幻覚や幻聴を引き起こすものではなく、大麻が原因で二次犯罪が発生した事実もありません。
最高裁判事様諸賢におかれましては、大麻の事実をご精査頂き、本人の健康問題でしかない案件において、国民を逮捕勾留し、その生活を破壊する規制実態を、基本的人権の保障という観点からご賢察頂きたく、お願い申し上げます。
2. 大麻取締法昭和38年改正の誤謬
大麻取締法は昭和23年に制定された当初、罰金刑の規定がありました。それが、昭和38年の法改正によって罰金刑が廃止されました。しかし、この法改正当時、大麻が何らかの社会的問題を引き起こしていた事実はありませんでした。このことは、趣意書にも記載の通り、既に昭和61年9月10日に伊那地裁において丸井英弘弁護士が当時の厚生省麻薬課長を証人尋問し、明らかにしています。その法改正は、当時流行して社会問題となっていたヘロインの規制を強化するために、関連法として一律に重罰化されたものであり、大麻によって何らかの社会的問題が発生していた事実はないと麻薬課長は証言しています。
大麻に関しては、何ら社会的問題はなかったにも拘らず、罰金刑を廃止し、一律に懲役刑を以って規制することとした昭和38年改正は、適正な手続きを経たものとは言えず、立法の根拠がありません。根拠のない法改正により、爾来多数の国民がこの法によって逮捕勾留され、職を失い、学籍を失い、家庭が崩壊し、人生の基盤を破壊されています。これは基本的人権を保障する憲法の趣旨から逸脱した、違憲の改正であると指摘せざるを得ません。
大麻に関する科学的事実、社会的事実からも、昭和38年の大麻取締法改正は無効であり、同法が違憲ではないとしても、罰金刑が復活されるべきであると愚考いたします。
3. 最高裁の判断について
大麻取締法違反事件において、同法の違憲性を主張する上告がこれまで多数なされていますが、いずれの場合も最高裁判所は上告に「理由がない」と断じ、これを棄却しています。
しかし、「理由がない」と断ずる理由については一切説明がなく、とても国民が納得できるものではありません。これでは最高裁が説明責任を果たしているとは言えません。司法の公正を信じ、真摯な思いで上告した被告人本人はもとより、この問題に関心を寄せる多くの国民が、棄却の理由すら示さずに「理由がない」と断ずる最高裁に疑問を感じています。4. 本件における事実認定の誤謬について
本件被告人であるI氏は、まだ千葉の拘置所に収監中、当センターに相談の手紙を送付してきました。そのなかで、I氏は、押収された住所録に記載のある、大麻とは無関係の友人や知人に捜索が及んで迷惑をかけることを恐れ、それを暗に示唆する検察官の問いに、営利目的の密輸であったことを事実ではないのに認めてしまったと述懐しています。公判記録によっても、I氏が営利目的で譲渡した事実すらなく、従ってその証拠すらなく、数年前の海外渡航の際から使用しているノートにあった走り書きのメモのみによって営利性を断定されています。このような不十分な証拠によって、初犯である被告人を懲役4年6月という長期の実刑に処すことは、被害者の身体や精神に傷害を負わせる昨今の事件に見られる執行猶予付判決と比べても、著しく公平を欠くものです。
何卒、この判決を見直し、温情のあるご裁断を伏してお願い申し上げます。
5. 最後に
大麻取締法で逮捕された者は、勤務先を解雇されたり、学籍を失ったりと、人生の基盤を破壊されることも少なくありません。誰にも、どこにも、危害どころか迷惑すらかけていない事案で長期の実刑を科すことは、先進諸外国や、大麻が文化として定着している多数の国の現実と比べても、あまりにも人権を軽視した処遇です。科学的なデータや海外における大麻の非刑罰化の潮流を指摘しての違憲論についても、これまで最高裁はその棄却理由について全く説明しておりません。このようなあり方は、国民の遵法精神を阻害するものであり、多くの国民が司法に対し幻滅の感情を抱いているのが現実です。
最高裁判所ウェブサイトを拝見すると、町田顯長官の「裁判官としての心構え」に、次のような記載があります。
「近時,透明なルールによる判断を求め,国民の司法に対する要望,要請が大きくなってきていますので,これに対し正面から全力を挙げてこたえていきたいと考えます。」
判事様諸賢におかれましては、「理由がない」の一言で棄却せず、大麻の事実をご精査頂き、被害者なき犯罪によって長期刑を科す過剰な規制を見直して頂きたく、三権分立に一縷の望みを託しつつ、お願いを申し上げます。
以上、上申いたします。
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本人による上告趣意書
平成17年(あ)第1175号 大麻取締法違反、関税法違反被告事件
被告人 ■■■■
上告趣意書
最高裁判所 第三小法廷 御中
2005年(平成17年)7月26日
被告人 ■■■■
記
第1 はじめに
私は、昨年6月に逮捕されて以来、二度と法律違反をしない意志を当初からはっきり伝えてきた。違法であることを知りながら今回の行為に及び、それによって家族や知人に多大に迷惑をかけてしまったことに大変苦痛を感じており、反省の意思は一貫して変らない。
しかし個人使用目的の大麻の取扱いには、刑罰に相当する害悪などあり得ず、そもそも大麻の作用自体に、法律によって取締るべき有害性の無いことは、現在に至るまでの膨大な欧米の公的機関による研究と、近年の非犯罪化の動向によっても、既に結論が出ている。大麻自体に有害性が無いことが明らかである以上、他人にも社会にも被害を与えることはあり得ず、自分自身に対してさえ害はあり得ない。公共の福祉に反せず、他者の権利も侵害せず、どこにも被害者の存在しない行為に対し、原判決の実刑4年半(及び罰金100万円)は余りにも重過ぎ、不当だとしか思えない。
取調べの担当であった浅沼検事は、「あんた自分のやった事で世の中がどういうことになるのか解っているのか!」「日本が薬物で汚染されるんだよ!」と言ったが、そうはならない事だけは確かなのである。大麻はそういうものではない。このように虚偽の事実と単なる偏見に汚染された現状こそ、社会と国民にとって害悪であると私は信じる。
大麻の有害性には根拠がなく事実に反することと、大麻取締法の違憲性については、控訴審において信頼性のある資料の提出とともに詳しく述べた。しかし判決文では量刑の理由について、専ら「営利性」を言うのみで、それ以外の説明は一切無かった。どのような理由によって実刑4年半の重刑なのか、何故これほどの重刑を科す必要があるのかという本質的問題には一切触れず、審議するつもりも無いことだけは理解できたものの、理由も解らないままでは納得出来ない。
大麻取締法の違憲性を主張すること、大麻に関する正しい事実を正しく認識してほしいと願うこと、これ等を主張することは、既に述べた反省の意とは絶対に矛盾しないと確信してのことである。是非とも公正な審議を賜りたく、そのために上告するものである。
第2 大麻取締法の違憲性
1.大麻取締法は、その適用の立法事実を欠き、その定める罪科は不当に重すぎ、憲法13条(個人の自由と幸福追求権)、14条(法の下の平等)、18条(狭義の自己所有権)、19条(思想と良心の自由)、25条(広義の生存権)、31条(適正手続の保障)、36条(罪刑均衡の原則)に違反し、違憲無効である(法令違憲あるいは適用違憲)。
これを適用した原判決は不当であり、破棄されるべきである。
以下、詳しく述べる。
2.立法事実の不在
(1)大麻取締法には保護法益がない。目的も書かれていず、立法事実が不在である。その罰則規定は明らかに必要最小限のものではなく、手続の適正を欠くものであって憲法31条に反し、罪刑の均衡を失して過度に重く、同36条に反して違憲である。
昭和62年の長野地裁伊那支部では、当時の厚生省麻薬課長への証人尋問が行われ、大麻による社会的弊害は当時も過去にも無かったこと、また厚生省は専ら覚醒剤に予算を回しており、大麻に関するデータは一切保有していないことなどが明らかになった(長野地方裁判所伊那支部,昭和60年(わ)第6号大麻取締法違反被告事件,第10回公判調書証人尋問) [*1]。
更に昨年2004年には、市民団体(現在会員数3650人)によって厚生労働省に対する情報開示請求がなされた結果、厚労省は現在に至っても大麻に関するデータを一切保有していないことが明らかとなった(厚生労働省発薬食第040833号他)。大麻によって何らかの健康障害が起きたことは無く、大麻に起因する二次犯罪が発生した事実も無いのである [*2]。
アルコールやタバコが大麻の喫煙以上に保健衛生上害があり、健康上有害であることは医学的にも明らかであるが、なぜ大麻が、それらの物質よりもより強く規制されなければならないかという点は全く不明であり、不合理極まりない。未成年者に対する規制さえしておけば足りるのではないかということは、煙草、アルコールの規制と比較すれば容易に分かることである。大麻取締法は、1948年(昭和23年)制定されたが、GHQの要請で一方的に制定されたと考えられるのみで、その法律を支える立法事実はまったく不明確である。
仮に大麻の危険性・有害性を肯定していたところで、一体誰に対して有害だというのか、誰のための法律なのかが全く不明である。立法当時はもとより、現在においても、強い刑罰を伴う規制を成人に対してまで必要とする立法事実は希薄である。
一方、飲酒や喫煙は、害があろうとも個人の自由として認められているのであり、幸福追求権として保障されている。
(2)大麻はいわゆる麻薬ではない。厚労省(具体的には厚生労働省外郭団体である財団法人『麻薬・覚せい剤乱用防止センター』に代表される)は、ひとえに過剰な表現を用いて大麻の害悪を宣伝するが、厚労省は過去にも現在にも一切のデータを保有したことがなく、自ら宣伝する大麻の有害性には根拠の無いことを認めている(にも拘らず同センターのホームページは、その出典さえ示されていない大麻に関する記述を、現在も改めていない)。
有害性を問題にするなら、薬物に限らず、合法的な医薬品・化粧品・食品・嗜好品などを含むいかなる物質であっても、使い方や使用量を誤れば人体に有害に作用するものであり、有害性を完全に否定することは不可能である。同様に完全なる無害性というものも現実世界にはあり得ない。これまでの裁判所の見解では、「有害性を否定できない限り」というのが決まり文句のようであるが、これは初めから検討するつもりはないと言うに等しい。
◎大麻問題で英国上院委員会顧問を務め、王立カレッジの名誉会員その他多数の肩書きをもつレズリー・アイバーセン博士は、「カナビス(大麻)はアスピリンよりも安全な薬で、長期間使用しても深刻な副作用はない。」「いかなる薬といえども、百パーセント安全ではない。アスピリンやこれに類する鎮痛薬の副作用によって毎年、何千名という人びとが死亡している。大麻にも当然、副作用がある。しかし、そうだとしたらそれはどの程度深刻なものなのだろうか? そしてそれは、大麻の合法利用を禁じる方策を正当化するほどのものなのだろうか?」と述べている。(L・アイバーセン著『マリファナの科学』築地書館より)
◎医療マリファナの治験を行なっている英国GW製薬の文書によると、「カナビスの安全性については数百年にわたって、死亡した例は一件も報告されていないほど確かなものである。実際、カナビスの致死量指数は通常使用の4万倍と見積もられており、アスピリンの23倍、モルヒネの50倍に比較してはるかに高い」のである。(GW製薬 http://www.gwpharm.com)
◎国連世界保健機構(WHO)の「薬物乱用プログラム・レポート」1997年の報告は、次のように述べる。「カナビノイドを短期または長期にわたって使用しても、人間や動物の肝機能に影響を与える兆候はほとんどない。動物実験では、カナビノイドは腸運動を低下させ胃の内容物の排出を遅らせる働きがあることが示されているが、その結果として便秘を引き起こすというような明確な証拠はない。また、通常のカナビスの使用の範囲では、アルコールの体内吸収に影響を与えることもほとんどない。」(http://whqlibdoc.who.int/hq/1997/WHO_msa_PSA_97.4.pdf)
(3)大麻の個人使用は、それによって公共の福祉に反することがなく、他人の権利を侵害しない限り、自己決定・自己責任に基づく個人の自由な行為にすぎない。たとえば飲酒の引き起こす犯罪は、具体的な犯罪によってのみ裁かれる。飲酒そのものが不道徳と考える人も多数いるが、この考えを他人に押し付けることは許されない。呑みたい者にも呑みたくない者にも、その人が他人に害を与えない限り、いずれも強要することは許されるべきでない。
自分の自由を行使して、そのやり方が他人の目から見て「本人のためにならない」と思われても、止めるよう強制することは出来ない。
また、真に道徳的問題に関する事柄なら、権利侵害に至らないインフォーマルな社会的制裁が自ずと加えられるのであり、それによって個人の規律や社会の秩序はある程度は保たれる。道徳の実現は政府の任務ではなくて、社会を構成する人々の行動の結果である。自分にとってどのような生き方が望ましいかを決めるのは本人であって、公的な判断の対象ではない。
アルコールにしても大麻にしても、酔って体現されるのは、結局のところその個人の潜在的な性質に他ならない。
それでも尚、アルコールが暴力的な作用を呼び起こすケースが圧倒的に多いのに比して、大麻の作用が非常に平和的であることは、ポルトガルにおけるサッカーのユーロ2004大会においても証明されている。ポルトガル警察は、暴徒化するフーリガン問題の対策として、大会期間中は大麻の喫煙を黙認すると発表した。酒を飲んで暴徒化されるよりも、大麻を喫煙してのんびりしてもらう方が遥かに良いことからこの決断を下した。試合後の報告は、この戦略が成功したことを伝えている。(http://www.guardian.co.uk/uk_news/story/0,3604,1236239,00.html)
(4)諸外国の規制緩和の動向は、大麻に取締るべき理由も必要もないことを示すものといえる。
大麻の個人使用を非犯罪化している国々は、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、スペイン、カナダ、オーストラリアなど。
アメリカ合衆国では、現在12州が大麻の個人使用を非犯罪化。医療使用については9つの州で合法化(大麻がヘロイン同等の範疇に入れられているアメリカの薬物規制法においても、臨床試験を含む大麻の医療研究等は可能であり、実際に研究が続けられている)。非犯罪化対策は12州のほか、地方自治体の単位でも現在4か所で導入されている。シカゴ市は2004年9月より、大麻の非犯罪化を検討中。今年2005年に入り、ウィスコンシン州の州都マディソン市も、大麻をほぼ非犯罪化。バンクーバー市は、市長ラリー・キャンベルが、市内での大麻の販売を近日中に合法化したいと発言。
ポルトガルでは、2001年1月に法改正案が議会を通過。全ての麻薬の個人使用を罰則の対象としない代りに、麻薬使用者は依存症の程度に応じて治療を受ける義務を負う。
ニュージーランドでは、2003年8月、代議院衛生委員会が「高い優先順位」で大麻の法的分類を見直すよう国会に勧告。
ジャマイカでは、2004年5月、国家ガンジャ委員会が、「諸法律は個人のプライベートな大麻使用を罪に問わないようにするべき」という報告を決議した。
ロシアでは、2004年5月、規制薬物の少量の所持を非犯罪化。
デンマークでは、少量の大麻所持を警告のみで対応するよう検察長官が警察に勧告。100g以下の所持は警告のみ、または約5400円の罰金(自転車に乗りながら携帯電話を使うことの方が罰金は高い)。
スペインのカタルニア地方は、2005年2月、医療大麻の処方開始を健康局の担当者が発表した。
つい先頃5月には、スイスの連邦薬物委員会が、「もっと説得力のあるドラッグ政策を採用すべき」と発表。報告書によると、フランシス・フォン・デル・リンデ委員長は政府に対し、「われわれは、薬物を道徳的規律で判断することを止め、もっと現実に対応して振舞う必要がある。」 と語ったという。(http://www.thehempire.com/pm/more/A3645_0_1_0_M/)
更に7月には、米国のカソリック保守的地盤のロードアイランド州でも医療大麻が支持されていると報道された。(http://www.thehempire.com/pm/comments/P/3799_0_1_0/)
尚、英国政府との協議による英国GW製薬が開発した世界初の総合的な大麻製剤「サティベックス」は、2004年にカナダで認可され、今年になって配布が開始された。(GW製薬 http://www.gwpharm.com)
(5)これらの非犯罪化政策が悪い結果をもたらしたとの報告はこれまでに無い。あれば既に問題になっている筈だが、ますます有効な効果が期待されていればこそ、これに倣う都市や自治体が相次いでいるのである。
シカゴ市の大麻の非犯罪化は、シカゴ市警の巡査部長によって提案され、市長がその方針を支持しているが、これにより年間推定500万ドルの収益があげられるという。市長は、犯罪として追及し続けるのは、納税者のお金や警察の時間や財源を無駄にすると語っている。(NORML News Archives http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=6235)
米バージニア州では、大麻に関連した逮捕と裁判費用が年間4,340万ドル(約46億円)にものぼることがジョージ・メーソン大学の調査結果で明らかになっている。調査結果の著者は、「大麻の単純所持者を検挙することで、より重要視されている犯罪の捜査や摘発を妨げている」「州や地方自治体の予算をより有効に使い、かつ若者を不必要に刑務所に入れる必要がなくなる」という。過去に反対姿勢をとってきた米麻薬取締局長官のジョン・ウォルターズ氏も、最近ではこの非犯罪化政策を支持するかのような発言をしている。(http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=6235)
また、刑罰の重さは大麻使用率に影響しないことも、研究結果が報告されている(2004年5月 米・カリフォルニア,American Journal of Public Healthに掲載)。この研究が、米国で非犯罪化を達成した州とそうではない州とに差がないとするアメリカ政府による研究結果をも裏付けた。大麻を法的に取締る結果、年間約10億ドル(約1,140億円)と70万人の逮捕に繋がるが、度重なる研究で、取締りに効果がないという結論が出されている。(http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=6056)
更に2004年3月、国連の第47回麻薬委員会の開催にあわせてヨーロッパ財団ネットワーク(NEF)のComite des SagesおよびThe Senlis Councilの代表らが集まったシンポジウムで、国連の麻薬取締りが酷評された。公演者は、取締りの現状が麻薬関連犯罪を増加させ、国際安全を危機に陥れ、テロリズムの資金源にさせていると批判している。英国の元コロンビア大使キース・モリス氏によれば、「この(刑罰をもってする麻薬類の禁止)システムは機能していない」。元インターポール事務総長のレイモンド・ケンダル氏によると、国連は1998年に「2008年を目標に麻薬類のない世界を目指した」が、「目標の半分以上が経過しているが、麻薬は今まで以上にある。何かを成し遂げていることはない」。(http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=5992)
3.刑罰の不均衡
(1)大麻取締法には選択刑としての罰金刑がない。昭和38年の改正までは罰金刑があった。それが当時流行していたヘロインの蔓延を防止する目的で薬物関連法規が一斉に強化され、大麻による社会的弊害は一切なかったにも拘らず、大麻取締法の罰金刑もが廃止された。
つまり大麻取締法の罰則規定が過度に厳しいのは、大麻についての根拠のない誤った認識、ヘロイン等と同列に扱われたことに起因するもので、罰金刑を廃止した法改正には全く根拠がない。仮に大麻取締法の制定時にはその規制の必要性を認める立法事実があったとするにしても、昭和38年の罰金刑廃止による過度の罰則強化は、刑罰の不均衡を生じさせ、少なくともこの時点で、大麻取締法は必要最小限度の規制を逸脱し、手続の適正を欠いて憲法31条に違反している。
刑の内容は、一貫して筋の通ったものでなければならず、罪の大きさと刑の大きさとは均衡を保つものでなければならない。大麻の刑罰規制は、覚せい剤取締法等と比較すれば決して重くはないとの見解が多くの裁判例で示されるが、有害性の殆どない大麻に、ましてや選択刑としての罰金刑さえ無いことは、重過ぎることが誰の目にも明らかである。
(2)人間の自然な感覚によっても、合理的な考えによっても、理由なく無用な苦痛を与えたり、不必要に残酷な取り扱いをすることには意味がなく、不正であると言ってよい。憲法36条がこれを表したものと考えられる。
倫理学や政治哲学においても、自説を積極的に主張しようとするならば、それ以上正当化できない直観にどこかで訴えかけざるを得ない。まさに「理由のない苦痛は避けるべきだ」とか「自分の身体は(道徳的な意味でも)自分のものだ」という判断は、それ以上正当化できなくても、否定し難い直観であり、人間である以上、道徳的直観に訴えかけることは自然である。いわば「人道に反する」というのがそれであろう。
第3 原判決の問題点
(1)原判決は、大麻取締法が違憲であるとの主張に対し、20年前の最高裁決定をもって「合憲であることは明白」というのみで、理由の説明がない。この決定の根拠には大麻に関する認識の誤りがあり、その後は研究も進み、現在は当時と状況が大きく異なる。そのため、事実を踏まえ信頼のおける資料を示して主張したのだから、納得させる説明がなされるべきである。
(2)原判決は、本件を営利目的と断定する証拠はないにも拘らず、過去に大麻を売る意図を持ったことがあるのならば今回も必ずや営利目的であるという。この考え方は余りにも短絡的すぎる。また、量が多いから自己使用目的とは信じられないのだという。あたかも全ての行為は金目当てによるものという一元的な価値観と偏見に基づいて断定をしているにすぎない。
実際、社会が物質的に豊かになればなるほど、却って金で買えないものは増える一方であることに人々は気付かされるのが現実である。初めから大麻を換金用の品物としてしか見ておらず、大麻によって得られる価値は金に換えられないと思う者もいることを、検察官ばかりか裁判所までもが認めない。また仮に認めたところで、それをもって心身への依存性を示すと見做し、大麻の有害論へ短絡的に結び付けられるばかりである。本件に限らず、これまでの殆どの裁判例では、まるで何かに依存すること自体が悪徳であるかの如く形容されてきたが、これが差別的な見解であることは明らかである。
この見解によれば、充実感や心の平安を求めることや、芸術作品や人間関係などは、比較にならぬほど依存性が高く、即ち有害ということになる。しかしこれ等を希求することは法律によって禁止されてはいない。それどころか幸福追求の権利と精神の自由は憲法によって保障されている。
原判決は、憲法13条および14条の精神に著しく反している。
第4 最高裁判例の問題点
(1)昭和60年の最高裁決定当時は、海外においても公的機関による大麻の研究は現在ほど多くはなく、国内で手軽に参照できる情報は少なかったに違いない。しかし、現在は欧米諸国で急速に研究が進み、個人使用の非犯罪化と医療目的使用の合法化が加速的に実行されている状況である。
にも拘らず、最近の裁判例を見ても、十分な資料が弁護側から提出されていながら、裁判所の見解は殆ど当時と変らない。むしろ、既に判例があるからという理由で、より簡単に、一律に処理されているようである。
国内で研究がなされない以上、他国の状況を無視してはならない筈である。20年前と大きく異なる現状を考慮せず、問題を放置しておくために生じる弊害は、その取組みが遅れるに従って拡大するばかりである。
もはや情報の入手は誰にでも容易である。20年前と違い、翻訳出版された多数の書籍は、公的機関による科学的・学術的な研究結果を網羅したもの、更には、大麻の文化・歴史を網羅したもの、医学博士による大麻の医療効果のレポート、現場の医師と患者の体験談、大麻がバイオマスエネルギーとして環境改善に必須の存在であること、大麻産業の大きな可能性、種は栄養食品として大豆以上であること等々、あらゆる分野にわたり内容も詳しく充実している。国内で大麻について書かれた出版物も増えた。もはや大麻に関する情報に「根拠がない」とする根拠はどこにもない。
それが事実であるかないか、有害であろうと無かろうと関知しないというのが、残念ながら国を挙げての姿勢であると思わざるを得ない。裁判所はただ「根拠がない」「相当である」「合憲である」などとしか言わないのが通常である。なぜ合憲であるかの理由といえば、「既に判例が出ているから」に尽きるようである。裁判所にとっては立派な理由になり得るのだろうが、既に現状に合わない判例を見直してほしいと願う訴えに対する判断の理由にはなっていない。
(2)上記の最高裁判例の再検討は、当初から法学者によっても指摘されている。いずれも、今後「有害性」に関する事実がより明確となるなら、検討し直す余地があるものと捉えられている [*3]。
◎「ところで、昭和三八年の「麻薬取締法等の一部を改正する法律」(昭和三八年六月二一日法律第一〇八号)によって、麻薬取締法、大麻取締法、あへん法の罰則が整備強化されたのであるが、それまでは本法の実質犯については三年以上の懲役、選択刑・併科刑としての罰金刑が規定されていたところであるし、大麻の有害性が従来考えられていた程のものではないとすれば、立法政策として罰金刑を復活させる余地はある。」(吉田敏雄「第六章 大麻取締法」~『注釈特別刑法 第八巻』立花書房,1990年,362-365頁)
◎「しかし、「有害性」の内容、大麻取締法をめぐる憲法議論において、それがどのような意味をもつかについてはなお検討が必要であろう。」(吉岡一男「法学教室」64号110頁)
◎「大麻の有害性がかって考えられていた程のものでないとすれば、大麻取締規制はもとより本法でも昭和三八年の改正までは実質犯にも選択刑として罰金刑が設けられていたことをも考慮すると、立法論としては実質犯についても、選択刑として罰金刑を復活させることが考慮されてよいと思う。」(植村立郎「Ⅶ 大麻取締法」~『注解特別刑法5Ⅱ 第2版』平野竜一編,青林書院,1992年,82-87頁)
◎また1994年、ドイツの連邦憲法裁判所は、少量の大麻製品の自己使用目的の行為に関し訴追を免除すべきであると判示したが、法学者は次のように解説している。「わが国でも、大麻取締法の合憲性について、裁判でしばしば争われてきたところであるが、1985年に最高裁判所が大麻の有害性を肯定して以来、実務上はすでに決着がついたとみなされているようである。学説上もこの決定に対して正面から異を唱えるものは存在しない。連邦憲法裁判所の本決定は、この再検討を促すものであろう。」(工藤達郎「ハシシ(Cannabis)決定~薬物酩酊の権利?」~『ドイツの最新憲法判例』信山社/大学図書,1999年,40-45頁)
更に、昭和62年5月30日、長野地裁伊那支部における判決では、大麻取締法を合憲としながらも、「アルコールやタバコに比べ大麻の規制は著しく厳しい」、少量・私的使用の場合の懲役刑についても「立法論としては再検討の余地がある」との見解が示されている。
(3)但し、平成17年4月19日宣告の高松高裁判決(平成16年(う)第400号)では、大麻の有害性を完全に否定する内容ではなかったという。「…有害性の程度についての見解の相違などから、人体に対する有害性を否定し、又は有害性を肯定できるだけの決定的な証拠はないとする見解も存することが認められる。このように、大麻の有害性については、多様な見解が存するところ…」と書かれたことは、注目であった [*4]。
第5 大麻取締法による弊害
1.大麻取締法は国民の遵法精神を損なう
(1)悪法とその放置がもたらす弊害と損失は計り知れない。「必要の前に法律はない」という言葉の如く、国家の非常事態においてはそのような考え方も必要な場合はあるだろう。しかし個人においても、難病に苦しむ患者などは、最早そのような切迫した状況にあるのではないか。
現実には、重度の病人は医療大麻の合法化運動などをする体力も気力も無かろう。大麻の医療効果を知らない患者も多いだろうが、自己の生命が危険に晒されている時、もし善意で大麻の使用を勧められて所持すれば、現行法では逮捕される。
近時、大麻取締法の違憲性とともに医療大麻の必要性を主張した裁判例が既にあるが、「医療目的による使用については、大麻の有害性を前提としてそのような研究が外国で始まっているにすぎない」と処断されるなど(平成16年(う)第577号 大阪高裁判決) [*5]、裁判所は全く取り合わないのが現実である。これでは、「必要の前に法律の解釈は無限に自由である」と裁判所が認めているも同然で、法と政治に対する不信感を国民に植え付け、国民もそれに倣うなら、法律は有名無実と化すのみである。
実際、大麻の研究も禁じられ、大麻製剤の輸入さえ不可能な現状は、その気力と体力の許される限り、海外へ大麻の治療を受けに行く者を増やす一方であろう。
(2)個人的な大麻事犯で逮捕される人々の多くは、他の面では法を遵守しているのが一般的である。このことは予てより「公知の事実」といってよい。しかも有罪になった多くの人は、たとえ、さらなる刑事裁判に巻き込まれたり人間関係や住居が損なわれたりしても、大麻の使用を止めないケースが多いという。そうした意味で、刑事罰のシステムは目的を果たしていない。これは、そもそも実感として大麻の作用に何ら害悪が認められず、道徳的にも全く害悪の生じないことに起因するからに他ならない。しかし有罪判決を受ければ、雇用に重大な影響を与えるなど、犯罪の内容に比して損失は大きく、何のためのシステムなのか全く不明である。
2.大麻取締法は、医療問題の解決と発展を阻む
(1)大麻を海外で医療利用している人たちは、癌、エイズ、多発性硬化症、関節炎、てんかん、緑内障、慢性疼痛、喘息、うつ病、その他さまざまな疾患に対処するために、それぞれ自分に合った方法で使っている。多くの人にとって大麻は、従来の療法に失敗して最後にやっとたどり着いた「安住の地」になっている。
大麻の毒性がアルコールやタバコよりずっと低く、カフェインと同程度であり、有害どころか海外では医薬品として認可され、さらに様々な医学的可能性が大きく期待されている現代にあっては、医学的研究すら禁じている大麻取締法は明らかに日本の医学・薬学の足枷であり、国民の健康や経済発展の見地からも日本国の保護法益を著しく侵害している。
(2)平成15年4月30日の文部科学省・厚生労働省「全国治験活性化3カ年計画」は次のように述べている。
「我が国における治験の空洞化は、つぎのような問題を生じている。
ⅰ)患者にとって、国内での治験が遅れる又は行われないことにより、最先端の医薬品等へのアクセスが遅れること
ⅱ)医療機関や医師等にとっても、最先端の医薬品等へのアクセスが遅れることにより、技術水準のレベルアップが遅れること
ⅲ)製薬産業等にとっては、国内での研究開発力が低下し、さらに治験に係る新しい事業(治験施設支援機関(SMO)や開発業務受託機関(CRO)等)の振興やそれに伴う雇用の創出といった面でマイナスであること
以上、我が国の保健医療水準や産業の国際競争力に対してマイナスの影響が大きいものと考えられる。
したがって、画期的新薬の開発を促進し、患者に対し迅速に新薬を提供していくためには、我が国における治験環境の充実を図り、新薬の開発に資する魅力ある創薬環境を実現していく必要がある。」(「治験」ホームページ http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/chiken/kasseika.htmlより)
かかる点から見ても、医療目的の臨床試験すら禁止し、医薬品としての研究を阻害している大麻取締法は、国民の健康と幸福を保障した憲法13条および広義の生存権である同25条に違反している。政府が最小限の生活を保障することは、絶対的貧困の救済等と同じく、難病患者や重度の病人の救済も当然含まれると思われる。むしろ大麻使用は政府によって早急に奨励されるべき逸材のはずである。
国はこれまで大麻の有害性を立証していないのであるから、「有害性等をも考慮した」上での立法裁量にゆだねられているとして、大麻の使用に関する裁判所の判断を放棄するのは、司法権の独立性を放棄することであり、三権分立を基礎としたわが国の民主主義の否定に通じるものである。裁判所は、いわゆる先進諸国のなかで日本だけが臨床試験を法的に禁止しているという特殊な事情を踏まえ、大麻の使用を一切禁止している理由を(殊に医療に関しては早急に)明らかにさせるべきである。
(3)国が大麻への偏見を改め、正確な見解を示さない限り、世間一般の偏見もどうにもならない。大麻といえば覚醒剤と同じであると思い込んで恐れる人が未だに多い。大麻の存在は国からも世間からも、いわば二重の迫害を受けていると言える。この偏見が、医療の現場にも多大な影響を及ぼし、それはつまり患者たちに影響が及ぶのである。
日本尊厳死協会の理事で日本大学薬理学教授(当時)の田村豊幸氏は、モルヒネと併せて大麻が癌治療に有効活用できる可能性を既に指摘していた。しかしモルヒネ同様、大麻に対する偏見がその普及を阻むであろうと指摘し、「人間がクスリを使うのではなく、クスリに負ける人間を中心にしてモノを考えようという性悪説的発想が、麻薬をも誤解させているのである。」と述べている(『安楽死論集第9集』1985年刊,「癌に対する丸山ワクチンと大麻による安楽死」より)。
残念ながら現在も、このような国内の状況は変わっていない。日本の医療関係者の殆どは、インターネットや海外の医療ジャーナルなどで情報を得て、医療大麻に関する欧米の状況を知っているという。しかし「日本のマリファナ治療の可能性」を尋ねると、大多数は「大麻取締法が大前提になっている日本社会では考えられない」と答えるという(『医療マリファナの奇跡』矢部武著,亜紀書房,1998年刊より)。
3.大麻取締法は、環境改善と産業の発展をも阻む
大麻は医学界においてだけでなく、環境保護問題においても、産業界においても、まさに三拍子揃った奇跡的とさえ呼べるほどの逸材である。大麻は、布や紙から始まって、食用、化粧品、石鹸、(生分解性)プラスチック、建材、油脂、重油など様々な用途で利用されてきた。日用生活に必要なもの全てが大麻から生産できるとさえ言われる。この驚くべき植物は栽培も容易で環境に対する負荷も少なく、「地球を環境破壊から救う」と期待されている。木や石油の消費を減らすことのできる大麻製品は、セロファンからダイナマイトまで2万5千種以上ある。
FCDA(The Family Council on Drug Awareness)が発表した報告によると、「知りうる限りの植物の中で、カナビス(大麻)からは、植物自身に備わったユニークな性質のおかげで最も経済性に富んだバイオマス燃料を作りだすことができる」。しかし、「カナビスの禁止法は、全人類が消費しているエネルギー用ウランやガソリンやプラスチックなどの石油製品など高汚染高価格の燃料に対する、現状で唯一利用可能なエコロジカルな代替品であるこの植物の利用を阻んでいる」。
カナビスには綿と違って肥料が必要なく、干ばつにも寒さにも極めて強く、辺境の耕作に適していない土地でも繁茂する。土壌を痩せさせないばかりか、むしろ痩せた土地の改良に役立つ。カナビス・バイオマス燃料はすぐにでも世界中で生産し利用することが可能なのである。(http://www.ccguide.org.uk/cbee.phpほか)
このような生命力の強さゆえに、今でもしばしば山中で自生しているのが発見されるという。しかしこれほどに有用な植物が、法禁物ゆえに、見つけ次第、無益にも焼却処分に処せられてしまうのである。
自然環境保護や地球温暖化防止、環境負荷の少ない持続可能な循環型社会への取組みは、少なくとも平成12年以来、日本でも大きく扱われている筈である。既に大手自動車メーカーや電気・通信メーカーは積極的である。平成12年は「循環型社会元年」と位置づけられ、循環型社会形成推進基本法、環境物品等の調達推進法(グリーン購入法)などが公布されている。
環境問題にも産業の発展にも、大麻取締法は大きな軛となっている。
4.大麻取締法は、国家的・経済的な損失をもたらす
現在、国内で大麻により逮捕される者は年間2000人以上にものぼり、これが大変な税金の無駄遣いになっていることは、先に述べた米国の統計を待たずとも明らかである。更に最近、次のような記事も発表された。日本の場合にも参考になる筈である。
【カナビス禁止は金食い虫 ~経済、個人,社会への悪影響】AlterNet(2005年6月3日)
今月の始め、500人の先端経済学者の指導的立場にある保守派の重鎮ミルトン・フリードマンが、マリファナの禁止がコストに見合うものなのかどうかについて、国家的な議論をするように呼びかけた。
きっかけはハーバード大学の経済学者ジェフリー・ミロン博士の新しい論文で、禁止を通常の規制システムに置き換えた場合を見積もっている。それによると、現在国家が費している費用のうち年間100~150億ドルの歳費を削減できるという。「少なくともこうした議論で、現在のマリファナ禁止政策がはたして納税者や過去の税収や関連するさまざま活動のコストに十分見合ったものなのかどうか見直す契機になるはず。」 とフリードマンらは総括している。
論文では、マリファナの禁止が多大なコストを伴うばかりではなく、国民の人生を破壊し社会に害を与えていることがよく示されているが、金銭面から見ると次のようになる。
ミロン博士が連邦政府や州政府のさまざまな統計使用を使って見積もったところによると、禁止を規制に置き換えることで政府が年間に支出している法執行に伴う経費のうち77億ドルが節約でき、さらに規制したマリファナ販売で日常品並に課税すれば24億ドルの税収が得られる。もしアルコールやタバコ並に課税すれば税収は62億ドルになり、さらに税率を変えればもっと多くなることも考えられる(ミロン博士の場合の見積もりは控えめな方で、州刑務所の経費については、マリファナで収監されている受刑者数は、博士が仮定したよりも連邦麻薬局が最近発表したばかりの数の方が60%も多い)。
エベレット・ダークセン元上院議員によれば、それを使って学校を修復し、社会の安全を強化し、テロからアメリカを守ることができる。
例えば、セキュリティ専門家が懸念するように、ソビエト時代に作られ放置されている何千発の核兵器がテロリストに渡る恐れがあり、その処理には約300億ドルかかるが、この金額はマリファナの規制によって得られる節約と税収の3年分にも満たない。また、2002年の海運安全法に基づいて、沿岸警備隊が3150の港と9200隻の船舶を守るために必要とされる73億ドルが、たった1年の節約で全べてを賄うことができる。
一方、マリファナに禁止に何百億ドルもの費用をつぎこんで何が得られたのだろうか? マリファナが街からいっこうに無くなっていないことだけは確かだ。昨年の政府の調査関係者の話では、高校生上学年の85.8%がマリファナが簡単に手に入ると答えており、この数字は実際上ここ30年間変わっていない。
マリファナの禁止でこの市場を無くすことはできない。禁止は単に犯罪と暴力のギャングに特権を与えているに過ぎず、社会がその費用を毎日支払っていることになる。これは1920年代にアメリカが禁酒法で苛まれた時期に起こったことそのものである。/ブルース・マルケン マリファナ・ポリシー・プロジェクト広報主任(http://www.thehempire.com/pm/more/A3682_0_1_0_M/)
第6 自己所有権に基づく「自由の領域」について
各人は自分自身の所有者である。自己の身体と精神は、誰によっても不可侵な個人の領域である。個人の自由を尊重することは、「自己所有権」のテーゼと同視されるものである。
各人が個性ある個々別々の人格として認められるためには、身体所有権を出発点とせざるを得ない。自己所有権は、人間の身体という自然な境界に基づいて、各個人の道徳的領域の間に明確な境界を設定する。つまり「自由」は「自分の身体」に帰着する。自己の身体に権限を持つものは自身のみであり、個人の領域は誰によっても強制的な干渉を受けない。
憲法第18条の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」という規定は、狭義の自己所有権テーゼの極めて控えめな表現と言える。自己所有権は、犯罪に対する刑罰を除き、人身の自由に対する自らの同意のない強制を許さないから、苦役を伴わない拘束や監禁とも対立する。有害が確定していない被告人・被疑者の逮捕・抑留・拘禁などの制約は、実際上やむを得ない場合であっても、それには「極めて強い理由」が要求される。
本件のような「被害者なき犯罪」に、その理由があるとは到底認められない。
そもそも何故、犯罪者に対しては拘禁や労働の強制が許されるのかといえば、単純かつ自然な答えの一つは、犯罪者は他人の権利を侵害したのだから、自分の自己所有権が制約されてもやむを得ない、というものだろう。現実問題として、国家・社会を含む被害者の存在する犯罪に対しては、他者の権利を侵害したことへの制裁としても、犯罪予防効果としても、加害者への刑罰制度は最低限必要であろうし、そのような行為には刑罰による事前の禁止も必要である。しかし、社会や他人への直接的・間接的な被害も発生せず、誰の権利も侵害せず、公共の福祉に反したわけでもない、「被害者なき犯罪」に対しては、刑罰を科す必要も理由も無い。これ等の行為が詐欺や脅迫などを伴う時は、その不法行為によってのみ処罰されるべきである。
人身所有権は、基本的人権に含まれるさまざまの自由が決してばらばらの異質な概念の寄せ集めではなく、自分の人身への支配権という基本的な自由の具体化(派生物でもなく)だということを示している。自己所有権という基本的な権利の中には、無数の自由権が含まれていると言える。それらの自由権は、行動の性質や目的によってそれぞれの名前を与えられているが、それは例示にすぎず、この例示によって、一般的な自由の具体化のうち示されていないものが排除されるものではない。憲法13条でいう「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の中には、一般的な行動の自由を読み込むことができる。
一般的自由は他者の自由と衝突しない。一般的な行動の自由が基本的人権に含まれている、というよりむしろ、一般的な行動の自由が基本的人権の中核的部分であるといえる。もちろん、殺人や強盗などの、他人の自由を侵害する自由はそもそも「自由」ではなく、他者に対して積極的な行為を要求する「権利」、他人の自由を制約する「権利」は、自由権の中に含まれないことは言うまでもない。
一般的な行動の自由は、実際には「自分の身体」による行動を指すことになるから、人身所有権、自己所有権といえる。このように理解された各人の「自由の領域」は、身体と財産によって画されているから、自由権は決して衝突しない。
価値観は国や民族によって大きく異なるし、世代や状況によっても異なり、個人によってもまさに様々である。当事者に対して他人が自分の幸福観や人生観を押し付け、彼らがそれを通じてより良い生活の機会を得ようとする自由を禁止する権利はない。他人が当事者に代って、その意思に反してまで、彼らの行動を決定することは認められるべきでない。
その行為から生ずる様々の利害得失に関して、誰よりもよく知っているのは当事者自身である。本人の選択の利益を受け、コストを負うのも、本人自身である。他人の行為への嫌悪感は、自分がそれをしない理由になるし、それを止めさせるべく説得する理由にはなっても、強制的に禁止する理由にはならない。
これに対し、自己所有権テーゼを共有しない人に自己所有権テーゼを突きつけることは、彼らに我々の幸福観を押し付けているのではなく、彼らが彼らの幸福観を我々に押し付けてくるのを妨いでいるに過ぎない、のである。
第7 個人の自由と尊重について
最後に、繰り返して言っておきたい。大麻の個人使用は、個人の自由な領域の問題にすぎない。そうあるべきものと考える。喫煙や飲酒の如く、未成年者や車の運転に対してのみ規制すればよいことである。より最大多数の最大幸福は、個人の自由が尊重されてこそ実現されうる。幸福とは、「考える必要がない」便利さや「自分で自分の事を決めずにすむ」楽さ加減にあるのではなく、物質的か精神的かによらず、「自己の目的を追求することの自由」にあると考える。
本件の控訴趣意書において引用した、英国政府による「インド大麻薬物委員会」の報告書には、委員会によってJ・S・ミルの言葉が大きく引用されていた。ミルの自由論は、日本国憲法の基本精神と同じであり、それを表しているのが憲法13条であることは言うまでもない。
「インド大麻薬物委員会」は大麻の取締り法を「贅沢取締り法」として位置づけて考察したが、この「贅沢」こそ、即ち「幸福の追求」に他ならない。
本件において主張したい趣旨は、ミルの代表作『自由論』において語り尽され、結論付けられていることに同じである。より具体的には、一言でいうなら、「個人は、その行為が自分自身以外の何びとの利害とも無関係である限りは、社会に対して責任を負っていない。」ということに尽きる。
ミルの『自由論』は、「本書をおいて自由を語ることはできないといわれる不朽の古典」(岩波文庫より)であるが、ミル自身がこの著作について、「別に取立てて言うほどの独創性はない。」といっている通り、その内容は一見、今日では耳慣れたものにも聞こえる。しかし、書かれて150年近く経った現在、その内容は古くならないばかりか正に普遍的であることを実感させられるのである。いつの世においても完全な理想的社会などはあり得ず、政府も万能ではあり得ない。ゆえに、ミルの言葉は現在も恐らく今後も、我々に示唆を与え続けるであろう。
ここで述べておきたい「自由」に関する事柄は、すべてミルの言葉にあるので、その要約をもって主張に代えたい。
*
(この論文の目的は)――用いられる手段が法律上の刑罰というかたちの物理的な力であるか、あるいは世論の精神的強制であるか否かにかかわらず、およそ社会が強制や統制のかたちで個人と関係するしかたを絶対的に支配する資格のあるものとして、一つの極めて単純な原理を主張することにある。
その原理とは、人類がその成員のいずれか一人の行動の自由に、個人的にせよ集団的にせよ干渉することが、正当な根拠をもつとされる唯一の目的は「自己防衛」である、というにある。また、文明社会のどの構成員に対してにせよ、彼の意志に反して権力を行使しても正当とされるための唯一の目的は、他の成員に及ぶ害の防止にある、というにある。
ある行為をなすこと、または差し控えることが、彼のためになるとか、あるいは彼を幸福にするであろうとか、あるいはまた、それが他人の目から見て賢明であり正しいことでさえもあるとかいった理由で、このような行為をしたり差し控えたりするよう強制することは、決して正当ではありえない。これらの理由は、彼に諫言し、彼を説得し、または彼に懇願することのためには充分な理由であるが、彼に強制し、また彼がそうしなかった場合に何らかの害悪をもって彼に報いるためには充分な理由とはならないのである。このような干渉を是認するためには、彼の行為が、誰か他の人に害悪をもたらすと計測されるものでなければならない。
いかなる人の行為でも、その人が社会に対して責を負わねばならぬ唯一の部分は、「他人に関係する部分」である。単に彼自身だけに関する部分においては、彼の独立は当然絶対的である。各人は自分自身に対して、すなわち自分の肉体と精神とに対しては、その主権者なのである。自分自身の健康に対しても、肉体の健康や、精神や霊魂の健康いずれかを問わず、正当な守護者である。
自己配慮に属する行為(その人のみに拘わる行為)に関する限り、最後の断を下すべき者は彼自身である。彼が犯すおそれのある全ての過ちよりも、他人がその人の幸福と見なすものを彼に強制することを許す実害の方が、遥かに大きいのである。
彼がその行為によって、公衆のために彼の負担しなくてはならない何らかの明確な義務を果たしえなくなるならば、彼は、社会的な犯罪を犯すものである。しかし、何びとも、単に酩酊しているからといって、処罰されるべきではない(兵士や警官が公務中に酩酊しているならば、処罰されて然るべきである)。要するに、個人に対してか、あるいは公衆に対して、明確な損害または明確な損害の危険が存在する場合にのみ、問題は自由の領域から除かれて道徳や法律の領域に移されるのである。
もし彼が我々を不快にするならば、我々は嫌悪の情を示してもよいし、また、自己を不快にする物から遠ざかるのと同じように、彼から遠ざかることもできる。しかし、だからといって、彼の生活をも不快にするように要請されていると思ってはならない。
しばしば公衆は、彼らの非難するような行為を行なう人々の喜びや便宜に対して、完全な無関心をもってこれを看過し、彼ら自身の好むところだけを考慮する。世の中には、自分の嫌悪する行為を自分に対する権利の侵害であるかのように考え、また、自己の感情を傷つける暴行であるかのようにそれを憤る人が多い。
毒薬は、罪のない目的のために求められるのみならず、有益な目的のためにも求められるものであって、一方の場合(悪い目的のための購入や使用)に制限を加えることは、他方の場合(善い目的のための購入や使用)に対して影響を及ぼさずにはいないのである。
例えば酩酊は、普通の場合には、法律をもって干渉すべき妥当な事柄ではない。しかし、酩酊すれば興奮して他人に害を加える人においては、酩酊することは他人に対する犯罪である。
メイン法(米国の禁酒法)や、シナに対する阿片の輸入禁止や、毒薬販売の制限や、要するに、「干渉」の目的が特定の商品の獲得を不可能または困難にする全ての場合がそれである。これらの干渉は、生産者又は販売者の自由に対する侵害としてではなく、購買者の自由に対する侵害として、反対されるべきものである。
思想の自由とその発表の自由が絶対に必要であるのと同じ理由によって、人間は自己の意見を実行する自由をも持たねばならないのではないか。但し、自分自身の責任と危険とにおいてなされる限り、自己の意見を自己の生活に実現してゆくことの自由、という意味である。
正当の理由なしに他人に害を与える行為は制圧されねばならないが、他人に干渉することを慎み、単に自分自身に関する事柄について自分の性向と判断とに従って行為するに止まっているならば、彼が彼自身の責任においてその意見を何の干渉も受けずに実行に移すこともまた許されねばならない、ということは、意見が自由でなければならぬという、正にそれと同じ理由によって証明されるのである。
個人の独立に対する集団的な合法的干渉には、一つの限界がある。この限界を発見し、その侵犯に対して防禦することが、人間の状態がよい条件の下にあることにとって不可欠のものである。しかし、その限界をどこに置くべきであるかという実際問題は、ほとんど未解決のままである。
第一には法律によって、また法律の施行に適しない多数の問題については世論によって、若干の行為の規則が課せられなくてはならない。これらの規則がいかなるものであるべきかということは、人間生活における主要な問題である。
しかし、いかなる時代いかなる国の人民も、この問題の難問であることに疑問を持たず、あたかも人類の意見の常に一致してきた問題であるかのように考えている。彼ら自身の間に行なわれている規則は、彼らにとっては自明であるように見え、また自分自身を容認できるもののように見える。
このようなほとんど普遍的な錯覚は、習慣の魔術的勢力の一つの実例であって、蓋し習慣は、人類が互いに課している行為の規則について、いかなる疑念をも抱かせないようにする効力のあるものである。そもそも強制せらるべき行為の規則はいかなるものであるべきかという問題については、他の人々へも己れ自身へも、何らその理由を説明する必要のないものと一般に考えられているために、習慣の効力はいよいよ完全なものとなる。
そして、いかなる人も、自己の判断の標準は自己自身の好みであるということを自認しようとはしない。しかしながら、行為の問題に関するある意見が、確固たる理由の上に立っていない場合には、それは「一個人の好み」としての重要性しかないのである。また、理由が与えられている場合にも、もしもその理由が、単に他の人々の自己と同様の好みへの訴えであるに過ぎないならば、それは依然として、「多数人の好み」であるに過ぎない。
法または世論によって強制されてきた行動および忍耐の行為の規則を決定する今一つの大原理は、俗世界の君主たちや彼らの神々の好むところ、または厭うところと想像されるものに迎合しようとする、人類の奴隷根性であった。この奴隷根性は、本質的には利己的なものではあるが、偽善ではなくて、完全にまことの嫌悪の感情を発生させ、人々を駆って魔術者と異端者とを焚殺させた。
こうした数々の劣等な影響力の間で、社会全体の明白な利益ということもまたもちろん、道徳的情操を指導する上に或る役割を果たした。このようにして、社会またはその有力な一部分の嗜好と嫌悪とは、法律または世論による刑罰をもって一般人の遵守すべきものとして定められた、諸々の規則を事実上決定してきた主要なことなのである。
個人とは区別されたものとしての社会が、たとえ何らかの利害関係は持つとしても、単に間接的な利害関係しか持たない活動の領域が存在する。その中には、個人自身の身に影響を及ぼす個人生活と行動、或いは、たとえそれが他人に影響するとしても、その人々が欺かれることなく自由に、それに同意し参加しているような、個人の生活や行動の全部が含まれている。この「個人自身にのみ拘わりをもつ行動の領域」こそ、まさに人間の自由の固有の領域である。
第一に、それは「意識」という内面的領域を包含している。最も包括的な意味における「良心の自由」と「思想および感情の自由」を包括し、また、実際的あるいは思弁的な問題、科学的、道徳的、もしくは神学的な問題のすべてに関する、意見と感想との「絶対的な自由」を包括する。
そして、この原理は「思考および目的追求の自由」を必要とする。すなわち、我々自身の性格に適合するような生活の計画を打ち立てることの自由、また、その行為によってもたらされる結果を感受する限りは、我々の好むとおりに行為することの自由を必要とする。それは、我々のなすことが、我々の同胞たちを害しない限り、たとえ彼らが我々の行為を愚かであるとか、つむじ曲りであるとか、誤っていると考えようとも、彼らから邪魔されることのない自由である。
これらの諸自由が大体において尊重されている社会でない限りは、その政体が何であろうとも、自由な社会ではない。自由の名に値する唯一の自由は、我々が他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしない限り、我々が「自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由」である。
人類は、自分にとって幸福だと思われるような生活を互いに許す方が、他の人々が幸福と感ずるような生活を各人に強いるよりも、得るところが一層多いのである。
この理論は決して新奇なものではなく、また、ある人にとっては自明の理の感があるかもしれないが、現存の世論と実践の一般的傾向にこれ以上に背馳する理論はないのである。
歴史は迫害によって沈黙させられた真理の実例に充ちている。ソクラテスは「不敬」と「不道徳」とのゆえをもって有罪判決を受けた後、同国人によって死刑に処せられた。その学説は「青年を腐敗させる者」であるから不道徳とされた。後にはイエス・キリストも、とく神者・最大の不敬漢として死を与えられた。知性と正義においても時代の叡智と呼べるほど
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上告趣意書
平成17年(あ)第1219号
被告人 ■■■■
大麻取締法違反・関税法違反被告事件
最高裁判所 第三小法廷 御中
平成17年7月28日
弁護人 真木 幸夫
上告趣意書
第1、 憲法第13条、14条、31条違反
1、 憲法第13条は「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り立法その他の国政のうえで最大の尊重を必要とする」と規定している。
憲法第14条は「すべて国民は法の下に平等であって人種、身上、性別、社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係により差別されない」と規定している。憲法第31条は「何人も法律の定める手続によらなければその生命若しくは自由を奪はれ又はその他の刑罰を科せられない」と規定している。
2、 大麻それ自体は害悪性がなく、あったとしても非常に少なく他方薬用産業用との効用を有するものであるのに大麻取締法や関税法の刑罰規定のように厳しく罰することは憲法第13条の保障する幸福追求権を侵害するものであり、又憲法13条が内容とする実体的適法手続きとしての罪刑の均衡を著しく欠くものであって同条に違反し又タバコやアルコール等の合法的嗜好品に比較して直接的害悪性が少なく且つ犯罪を引き起こす副次的効果も著しく少ないのに大麻についてのみ厳罰をもって臨んでいるということはタバコやアルコール愛好者と合理的理由なく取り扱いを異にし厳罰に処していることになり大麻取締法(及び関税法)は憲法14条に違反すると言わなければならない。
3、 大麻に有害性は認められず、認められるとしても非常に少ないものであること、他方大麻の薬用や産業上有用であること、外国では大麻の規制が緩やかになってること我が国の大麻の厳罰による法的規制は違憲であることは原審弁護人が3通、145頁に亙る控訴趣意で述べているところであり刑罰による大麻規制の合憲性についての職権判断を求めたのに対し、原判決は「大麻取締法が憲法違反でないことは明白である(最高裁判所昭和60年9月10日決定参照)とわずか3行で弁護人の主張を退けていて(原判決書2頁11行乃至13行)真に不当極まりない。
4、 上記最高裁判所決定は「弁護人の上告趣意第1は、憲法13条、14条、31条、36条違反をいうが、大麻が所論の言うように有害性がないとか有害性が極めて低いものであるとは認められないとした原判断は相当であるから、所論は前提を欠き同第2は、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらないとするものである(判例時報1165号183頁、法曹界発行最高裁判所事務総局編麻薬・覚せい剤等刑事裁判例集続735頁)」とする中身の無い簡単なものである。
5、 しかも上記判決は20年以上も前の知見に基づく判断でありその後大麻規制が緩やかになっていることは世界的衰勢である。
従って大麻取締法(と関税法)の現行大麻取り締まり規制は憲法違反であるから原判決及び一審判決は破棄されなければならない。
第2、 憲法第37条2項違反、同31条違反
1、 憲法第37条2項は「刑事被告人は・・・・公費で自己のために強制手続きによる証人を求める権利を有する」と規定し、同31条は「何人も法律に定める手続きによらなければその生命若しくは自由を奪はれ又はその他の刑罰を科せられない」と規定している。
2、 憲法37条の規定は単に被告人の証人尋問請求権を規定しているだけでなく被告人に有利な鑑定、検証等の申立てや証拠物や書証等の証拠の提出権を保証したものである。従って重複証拠や関連性のない証拠等明らかに取り調べの必要がない証拠取り調請求を却下できるのは当然として、本条は争点に関する重要証拠の被告人の提出権と裁判所の取調べ義務を規定したものである。そして憲法31条の規定する法律の手続きとは憲法37条2項が規定する被告人の証拠調請求権が実効的に保証された手続きを含むことが必要である。
3、 原審において原審弁護人は詳細にして具体的な理由を付して控訴審弁護人請求カード3乃至12、15乃至93の書証を請求したが原審裁判所はこれらの証拠請求を全て却下した(原審記録183丁乃至214丁)。
4、 上記証拠は控訴趣意を直接理由付け、裏付ける重要証拠であり、見解の相違は別として真剣に検討されるべき真面目な書証である。これを取り調べたうえでそれらの証拠の見解には賛成出来ないというのであれば格別、取り調べもしないでその証拠価値を判断出来ないのにこれを却下したのは証拠に対する先入観に基づく証拠価値の先取りとして絶対に許されない。原審森川弁護人は3通の控訴趣意書(合計145頁)で大麻の有害性の検討、効用、刑罰による規制の問題点、海外の動向等あらゆる観点から真摯に述べているのであって正に本件の争点であり争点に関する証拠である。
5、 従って原審の上記証拠調請求却下は上記憲法の各規定に違反し違法であり上記証拠の取り調べを行なうために本件を原審に差し戻しされたい。
第3、 刑事訴訟法第411条3号による破棄を求める。
1、 原判決、原原判決とも被告人の否定にかかわらず営利目的を認定したのは判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認でありこれを破棄しなければ著しく正義に反する。
2、 密売を疑わせる手紙の下書きについて原審における被告人質問で弁護人の問に対して答えているとおり「海外でお金を無くしてしまい帰るためのお金が必要なので送金してほしいという内容です。私にとって大切な大麻を売ってもいいと思うくらいお金に困っているという意味で書いたまでで」(原審記録237丁)、密売を持ちかけたものでない。被告人は大麻を密売しなければならないほど経済的に窮していなかったしこれまで一度も大麻を密売したことがない。
従って営利目的の認定は上記手紙の下書きを誤って解釈したものでこれを認定した原判決と原原判決は上記刑事訴訟法により破棄されなければならない。
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小柴弁護士により作成された控訴趣意書のコピーを本人が所望したところ、本人・家族・友人の元へ、以下のような「報告書」が添えられて届きました。
経過報告書
1. 平成16年(う)第3101号大麻取締法違反、関税法違反被告事件について、本日、東京高等裁判所に同封「控訴趣意書」を提出し、受理されましたので、ここにご報告いたします。なお、第1回公判期日は、本日から約1ヶ月ぐらい経過した日以降で調整される予定とのことであります。この決定が出され次第、ご連絡を差し上げ、必要に応じた打合せを行いたいと考えます。
2. 小職は、本件控訴について、本人による自戒、自己批判、そして反省の態度を強調することが肝要だと考えます。ほんとうに反省した人に対しては一般に「もうこれ以上彼を責めたり懲らしめたりする必要はない」との感情が自然に生まれてくるものだからです。原判決に対する批判といった他人批判や社会批判は本人がこれを強調するときは、「百の説法、屁ひとつ」という諺の如く、せっかくの反省態度が他人や社会の批判によって崩れてしまいかねません。本件薬物事件においても例外ではありません。否、社会は薬物事案だからこそ薬物に対する考え方の根本的変遷が重要だと考えているのではないでしょうか。同封「控訴趣意書」はこのような観点に立って構成されたものです。この旨ご高配を賜り、ご査証くだされば幸甚です。
上記弁護人弁護士 小柴 文男
■■■■殿
ご両親 殿
■■■■殿
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控訴趣意書(前任弁護人作成)/H17.1.11
平成16年(う)第3101号 大麻取締法違反、関税法違反被告事件
被告人 ■■■■
控訴趣意書
上記の者に対する大麻取締法等違反被告事件についての控訴の趣意は、下記の通りである。
平成17年1月11日
上記弁護人弁護士 小柴 文男
東京高等裁判所 第6刑事部 御中
記
第1点 刑事訴訟法第380条(法令の適用の誤)に基づく主張
1. 原判決には、大麻取締法第24条2項、1項が定める営利目的輸入罪の客体である「大麻」の解釈を誤り、その結果、本来構成要件該当性がないと判断すべきところをこれがあるとした法令の適用を誤った違法があり、かつこの誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかであるので、大麻の営利目的輸入の点に関する原判決の破棄を求める。以下、理由を述べる。
2. 大麻取締法第1条によれば、「大麻」とは「大麻草(カンナビス・サティバエル)及びその製品をいう」とある。従って、被告人がわが国に輸入した本件大麻樹脂は、甲25ないし42の各鑑定書に照らすかぎり、大麻取締法所定の「大麻草の製品」に該当し、もって同法所定の「大麻」に該当するとすることは形式的な解釈としてみるかぎりこれを承認しうるものである。
3. しかしながら、大麻取締法第24条2項は、同法同条1項所定の単純な輸入罪に比較して法定刑の重い犯罪であって、両者の立法趣旨には自ずと違いがある。注釈特別刑法第5 II巻第2版(青林書院)91項によれば、本法の営利目的を加重に処罰する趣旨は、他の麻薬関係取締法規と共通するものと解されるものであるとしたうえで、「財産上の利得を目当てに、その手段として犯罪を行うこと自体、そのような動機がない場合に比して道義的により厳しい非難に値すること、利得を動機に犯罪に出る場合は、一般にその行為が反復、累行され、またその規模も大掛かりになる傾向を包蔵し、それだけ大麻の濫用を助長、増進させ、国民の保健衛生上の危害をより増大させる危険性が高く、したがってその行為の違法性もそれだけ大である」、「違法性、責任双方の観点から加重されたものと考えられる」、としている。このことから、営利目的輸入罪が成立するには、違法性、責任双方の観点から「財産上の利得」の存在がその解釈の前提として想定されていると言うべきものであると解される。そうとすれば、営利目的輸入罪の客体たる「大麻」とは、当然「財産上の利得」の客体となりうるものであることが必要である、との補充解釈(合憲的制限解釈)を行うのが論理的な帰結であると言わなければならない。
4. では、本件大麻樹脂は、このように解釈上導き出された「財産上の利得」の客体となりうる「大麻」であると判断しうるものであるか。結論的には、否、と言うべきものである。理由は以下の通りである。
被告人は、甲2の検査状況報告書から明らかな如く、本件大麻樹脂を嚥下隠匿して輸入したものである。かかる大麻の嚥下隠匿という方法は、甲3の排泄状況等報告書に如実に示されている通り、人間の生体構造から言って大麻を取り出すためには糞便と一緒に排泄するほかないものである。つまり、一旦嚥下隠匿された大麻は人間の口、食道、胃、腸を通過して肛門からこれを体外に取り出すほかこれを入手することができないものである。従って、嚥下隠匿された大麻は、人間の胃腸内に無数に存在すると言われる微生物や大腸菌等の細菌類に晒され、また、当該固体が伝染性の病気に罹患しているときにはその病原菌やウイルスなどに汚染されている危険性があるものなのである。もっとも、本件大麻樹脂は、上記排泄状況報告書(甲3)によれば、透明ラップ用のものに包まれていたことが認められるので、直接、体内の細菌類等に本件大麻樹脂が晒されていたということには直ちに言えない。ただし、単に透明ラップ用のもので包んだにすぎないので、目に見えない大きさの微生物や細菌等の混入付着はこれを防ぎえないとも言えよう。しかし、問題は、こういうことではなく、嚥下隠匿するという方法が人間の体内にその物を所定の時間、例えば本件のように大麻を嚥下隠匿して輸入する場合には少なくとも海外から本邦に到着するまでの渡航時間これをとどめ、その後にその物を肛門から排泄して取り出すという方法であるという点にある。このように、一度、いわば糞まみれの状態になった大麻は、透明ラップ用のものに包まれていたとしても、また、水や消毒薬などで綺麗に洗浄したとしても、われわれの意識のなかではそうした大麻を心理的に摂取する気にはなりえないのであって、これを他人に売却して利益を得るというような財産的価値は失っているものであると解すべきものである。換言すれば、一度嚥下隠匿された大麻は、営利目的輸入罪の客体たりうる前提としての「財産上の利得」の対象たりうる客体性を欠き、結局、営利目的輸入罪における「大麻」(正確に言えば、本件の場合は大麻樹脂なので「大麻草の製品」という構成要件要素)に係る構成要件該当性を欠くものである、と言うべきものである。
5. ところで、刑法第261条の器物損壊罪における「損壊」の解釈につき、判例は他人の飲食器に放尿する行為は「損壊」になるとしている(大判明42・4・16録15・452)。この判例の解釈は、一度放尿された飲食器はたとえきれいに洗浄して物理的又は衛生的に問題がなくなるとしても心理的にもはや飲食器の用をなさないから、放尿行為はその飲食器の損壊に等しい行為であるとしたものであると解される。このように、放尿によっていわば尿まみれの状態にするという行為が「損壊」になるのであれば、嚥下隠匿によっていわば糞まみれの状態にするという行為は放尿とは比較にならぬほどに「損壊」に当たる筈である。「損壊」された財物はその財産的価値が失われたことを意味する。従って、「損壊」された財物を売買等の取引の目的にして「財産上の利得」を得ることも当然またできないと言わなければならない。以上の観点から捉えてみても、被告人によって嚥下隠匿された本件大麻樹脂は、営利目的輸入罪における「大麻」に係る構成要件該当性を欠くものである、という事ができる。
6. よって、原判決には、大麻取締法第24条2項、1項が定める営利目的輸入罪の客体である「大麻」の解釈を誤り、畢竟、本来構成要件該当性がないと判断すべきところをこれがあるとした法令の適用を誤った違法があると言うべきものであり、かつこの誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかである以上、大麻の営利目的輸入の点に関する原判決は破棄を免れないものであると言うべきである。
第2点 刑事訴訟法第382条(事実の誤認)に基づく主張
1. 原判決には、上記第1点の主張のほか、被告人が大麻取締法第24条2項所定の主観的構成要件要素たる「営利の目的」を有していたものであると認定した点において、事実認定の誤りがあると言わなければならない。そして、この事実誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかであるので、原判決はこの事実誤認の点において破棄を免れないものである。以下、理由を述べる。
2. 原判決は、被告人の「営利の目的」につき、同判決書引用の各関係証拠に基づき、【1】本件大麻樹脂が約1000回前後の使用量に相当すること、【2】かつて平成14年2月ころにも大麻樹脂を輸入したこと及びその際ネパール滞在中に友人らに宛てた手紙の下書きなどを記載した本件ノートに何らかの売買取引をうかがわせる記載があること、【3】被告人の友人、知人の中には大麻を使用する者が複数存在すること、加えて【4】被告人の検察官調書(乙7及び同8)に本件大麻樹脂の一部を大麻を使用する友人などに売却する意思を有していた旨の供述記載があること、という以上4点の事実を認定したうえで、被告人は、本件大麻樹脂について自己使用のみならず、大麻を使用する友人、知人らに売却する意思を有していたものと推定できる、と判断している。しかしながら、かかる原判決の判断過程には「疑わしきは罰せず」又は合理性の精神に反した重大な瑕疵があり、到底、原判決の判断を承認することはできない。以下、項を分けて、原判決がその判断の根拠とした上記4点の各事実について個別的に検討する。
3. 上記【1】の事実について
本件大麻樹脂の量が約1000回前後の使用量に相当するとすること自体には問題はない。問題とすべきは、被告人が本件大麻樹脂を日々どのように消費使用する量であったかどうかという点である。換言すれば、この約1000回前後という使用量は自己使用量として過分なものであるかどうかという点が問題とされなければならない。
この点につき、被告人の平成16年7月14日付け司法警察員調書(乙2)2丁目には、「チャラスがあれば、1日に1~2回くらい、海外等で多い時に1日20回~30回くらい吸う時もあります」という供述記載がある。他方、被告人の同日付け司法警察員調書(乙3)5丁目には、本件大麻樹脂を男から購入するに至った動機について、「出来れば自分でたまには吸いきれないほど手に入れたいと思った」という供述記載がある。そうとすれば、被告人が本件大麻樹脂について吸いきれないほど日本で使用してみたいと思っていたという可能性を無視することは出来ない。そこで、被告人の日々の使用実績と海外等の使用実績に基づき1日当たりの平均使用回数を割り出してみると、少ないときは1日1回、多いときは1日約33回ということになるから、1日当たりの平均使用回数は約17回前後となる。そして、この約17回前後の平均使用回数に基づき、さらに約1000回前後の使用量の使用日数を割り出すと、約59日前後の使用日数に相当する量である、という結論に至る。
この約59日前後の使用日数は、約2ヶ月分の使用量に止まり、これは自己使用分として明らかに過分な量であるとは言えず、むしろ「吸いきれないほど手に入れたいと思った」被告人の胸中を察すれば、却って自己使用の目的で本件大麻樹脂を本邦内に持ち込んできたとみるのが自然かつ合理的な解釈であると言わなければならない。
また、被告人が、原審公判廷において、前回密輸入した200グラムの大麻は「三、四ヶ月ぐらい」で消費したこと、また、今回の500グラムは「1年ぐらい」を見込んで持ってきた旨を供述している(被告人供述調書(2)21頁)点に照らしてみても、自己消費の目的であったとの見方の方がより自然であると解されるのである。
よって、原判決の判断過程には、以上述べたような観点を無視乃至軽視した不合理性がある旨これを指摘せざるを得ない。
4. 上記【2】の事実について
原判決は、被告人がかつて平成14年2月ころにも大麻樹脂を輸入したこと及びその際の本件ノートに何らかの売買取引をうかがわせる記載があることを根拠に「営利の目的」を推論しているが、不当である。
しかし、なるほど、原判決が指摘する通り、平成14年2月ころネパール滞在中に友人らに宛てた手紙の下書きなどを記載した本件ノートには何らかの売買取引をうかがわせる記載があるが、被告人が原審公判廷において検察官の質問に答えて「こういう担保があるという、さっきの手紙を出した時点で断られたんです。そんなもん・・・物は持ってこなくていいから、早く帰ってこい、そういう趣向で送金を受けているんで、彼らには声をかけませんでした」と供述している通り(被告人供述調書(2)22頁10行目以下)、本件ノートに下書きした被告人の売買取引に関する被告人の意向はその手紙を出した時点で友人らからの諭しともとれる言動によってすでに打ち消されたものとみるのが自然である。そうとすれば、本件ノートの記載をかかる友人らの言動を無視してこれをそのまま推論の根拠にすることは、推論過程に飛躍があると言わざるをえず、偏頗な証拠評価だとの非難を免れないものである。
さらに加えて述べるに、証人□□□□の原審公判廷における証言内容(同証人尋問調書の4項~15項)によれば、いま問題にしている前回のネパール旅行中に同証人、「□□□□」及び「□□□□」3名から被告人に送金された金は全額全員に返還されている。そうとすれば、被告人においては前回の旅行でも大麻を売却譲渡して金を稼いだという事実そのものが存在していないと解される余地が十分にある。本件ノートに記載された被告人の意向が現実にも実行されたものであると解してはじめて筋がとおる本件ノートの記載に基づく原判決の推論は、この点においても、重大な過ちを犯しており、著しく不当な判断であると言うべきものである。
5. 上記【3】の事実について
原判決は、被告人の友人、知人の中には大麻を使用する者が複数存在することを営利目的の推論根拠にしている。これは、知っている者の中に大麻を使用する者がおれば、彼らに大麻を売却することは容易にできたであろうとも言うべき口吻である。しかし、過去の事実として大麻を吸う経験を有する者イコール大麻を購入する者という図式は、そもそも大麻を使用することが自由に行われている社会であれば需要と供給の論理でそのようなことが言えるかもしれないが、そうではなく大麻が禁止されているわが国における経済法則としては受容できない論理であると言わなければならない。原判決の推論はこじつけというほかない。
事実、被告人は、原審公判廷において検察官からの前回のネパール旅行の際にお金を送ってくれた人たちは大麻をやる人か否かという質問に対して、「旅行中やったり、以前やったりした人たちですけど、今現在やっていないみたいです、断られたくらいですから」と供述している(被告人供述調書(2)22頁)。このことから言っても、過去の大麻吸引の経験者をもって大麻を購入する者だとの前提を立てることはそれ自体に無理があると言うべきである。もちろん、お金を送ってくれた人たち以外の友人や知人らについても、同様に、過去の事実として大麻を吸う経験を有する者イコール大麻を購入する者という図式が成り立つべきものでないことは言うまでもない。
6. 上記【4】の事実について
最後に、原判決が、被告人の検察官調書(乙7及び同8)に本件大麻樹脂の一部を大麻を使用する友人などに売却する意思を有していた旨の供述記載があることを営利目的の推論根拠にしている点であるが、仮にこれら被告人の検察官調書が任意に供述されたものであるとしても、同調書の記載内容が真実を語ったものであるとすることは、到底、許されないと言うべきものであり、同調書の記載に基づき営利目的を根拠づける原判決の判断は誤りであると言わなければならない。
なるほど、被告人の上記検察官調書には営利目的を認める旨の記載がある一方で、他方、と同時に、例えば、乙7の検察官調書2頁目には「私は、その持ち帰ってきた200グラムの大麻のうち具体的な数字は覚えていませんが一部分を友人などに売って、借金を返したり、渡航費用や大麻の仕入れ代金くらいを得たりしました」とか、さらに同調書3頁目には「実際、2人くらいの友人が私が大麻を日本に密輸する前に金を払ってくれて、大麻を買ってくれました」とあり、また、乙8の検察官調書3頁には「今回は約500グラムもの量がありましたので、ネパールから大麻を持ち帰った際よりも、さらに大きな儲けを得ようと、今回思っていました」といった記載がある。つまり、これらの検察官調書の記載内容は、被告人が前回のネパール旅行の際も営利目的をもって大麻を密輸入しかつ現実にもその大麻を友人らに売却して利益を得たというものになっている。検察官は「論告要旨」3頁目に述べている通り「以前に大麻を密輸入し、国内でこれを売却譲渡して金を稼ぐことができたことに味をしめ、再び営利目的で本件犯行を行った」という構図が本件犯行であると見ているのである。
原判決がこれらの検察官調書の内容を信用できるものであると結論つけたことは、結局、原判決は検察官の構図を採用しているものであると言うことができるところ、被告人が前回営利目的で大麻を密輸入した事実及びその密輸入した大麻を売却したりして利益を得た事実を立証する客観的証拠は一切提出されていない本件においては、否、原審の全証拠関係からは、すでに述べた通り、前回のネパール旅行からもちかえった大麻を友人らに売却した事実を否定すべき本件においては、原判決の認定は合理性を著しく欠いている不当な認定であると言うべきものである。被告人の検察官調書(乙7及び同8)は、その供述内容の重要な部分において真実に反する部分、少なくとも真実であると合理的に判断すべきものではない部分が認められ、かかる部分は同検察官調書におけるいわば蟻の一穴とも言うべき重大な瑕疵である。そうとすれば、同調書全体の信用性がすでに崩壊していると言える。
よって、原判決の、被告人の検察官調書中の営利目的を認める記載を信用できるものとして営利目的を推論した原判決の判断過程は、その過程において重大な瑕疵があると言うべきものであり、不当である。
7. 以上述べた通り、原判決がその推論の根拠となりうるとして採用している上記【1】~【4】の各事実は、いずれも推論根拠としては「疑わしきは罰せず」又は合理性の精神に照らし理由がないものであると言うべき不当なものであるから、原判決がこれらの各事実に基づいて営利目的を認定したことは、畢竟、事実誤認が存すると言わなければならず、そして、この誤認が判決に影響を及ぼすこと明らかである以上、原判決は破棄されるべきものである。
第3点 刑事訴訟法第381条(量刑不当)に基づく主張
1. 原判決は、被告人に対して懲役4年6月及び罰金100万円に処する判決を下している。しかし、この刑の量定は、原審資料に現れた諸事情に限ってみるに、これが明らかに加重であり、不当である。以下、このように解する理由を述べる。
2. まず第一に、すでに縷々述べた通り、被告人が過去に営利目的で大麻を密輸入したとする事実は検察官によって合理的に疑いのない程度に立証されておらず、そのうえ、被告人には前科前歴がないのだから、仮に百歩譲って大麻の営利目的輸入罪が成立するにしても、原判決の刑の量定は初犯に対する処断として酷に過ぎるものであると言うべきものである。
第二に、同様に、仮に大麻の営利目的輸入罪が成立するにしても、原判決が認定している通り、被告人は約500グラムの本件大麻樹脂のすべてを売買取引しようと密輸入したものではなく、その一部を営利の目的に供しようとしたものにすぎないのだから、原判決の刑の量定は罪と罰の均衡から言ってやはり酷に過ぎるものである。
第三に、仮に同じく大麻の営利目的輸入罪が成立するにしても、被告人の本件所為がいわゆる暴力団がらみであったり相当額の利益を得ていた又は得ようとしていたならば格別、本件の被告人の所為は、まさに一回的なものであり、また不特定多数の者に対する売買取引とはおよそ無縁のものであると認められ、さらに金額的にも誠に誠に軽微な営利目的の範囲内におさまっているものであると言うべきものであるのだから、大麻の営利目的輸入罪が加重犯類型として立法された所期の趣旨に照らす限り、原判決の刑の量定は明らかに酷に過ぎるものと解されるのである。
3. なお、ここでの主張は、仮に営利目的が肯定されるときでも刑の量定は減刑されるべきものである旨をいうものであり、営利目的が否定されるときには当然に刑が減刑されるべきものである旨の前提に立っている。この立っている前提の点に関して、被告人の大麻に対する親和性乃至依存性が被告人の主観的悪性として問題にされる可能性があるかもしれない。しかし、被告人は、原審公判廷において供述している通り、過去の自分の過誤、さらには大麻の違法性を十分に認識したうえで深く反省し二度と大麻には手を出さない決意を表明している(第2回公判調書と一体となる被告人供述調書1~3頁)。従って、被告人の大麻への親和性乃至依存性は、すでに消滅しているものであって、被告人の主観的悪性はもう存しないものである、と信じる。
4. 以上の次第であるので、原判決の量刑につき、改めて然るべき情状酌量ある判決を求めるものである。
第4点 刑事訴訟法第393条2項に基づく量刑不当に係る主張
1. 被告人には、原審判決後の刑の量定に影響を及ぼすべき情状があるので、職権による被告人質問等の取調べを新たに実施したうえで、被告人に対する刑の量定につき、改めて然るべき情状酌量ある判決を賜りたく、ここにこの旨申し加えるものである。
2. すなわち、被告人は、原審公判廷において裁判官から「あなたの話を聞いていると、本件についてあまり深刻には考えていないように思える」との疑問を発せられた点(被告人供述調書(3)4頁)及び原判決を厳粛に受け止め、原審判決後、更に本件犯罪の重大性とその自らの過誤につきより深刻に捉え直し、より深い洞察に基づく自己批判という反省の域に至り、これが被告人の態度及び性格・性行において顕著な変化が起きたものである、と信じる。
3. なお、刑罰論に関して、検察官はその論告において被告人の本件所為に対して「一罰百戒の見地」(同書面4頁)から厳罰に処すべきであると主張している。しかしながら、犯罪抑止というものは、刑法学者平野龍一博士が述べているように、その罰の重さによる国民に対する威嚇ではなく、その犯罪が定められている規範的な意味にその重要性があり、その規範的な違法性の意味を国民が理解することで本来犯罪は抑止されるべきものであってこれが近代刑法の本旨でなければならない、と解される。従って、被告人が現時点において本件犯罪を犯すことになった根本的原因の分析を通じて将来の再犯の可能性について本質的かつ真摯な反省の態度を呈するに至っている以上は、威嚇論による犯罪抑止の必要性はもはや被告人についてはもう無くなったものである、と弁護人は考える次第である。
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一審判決文
平成16年11月5日宣告 裁判所書記官 菅野 美由紀 〔印〕
平成16年(わ)第1552号
判決
本籍 ××××
住居 ××××
無職 ××××
昭和43年2月26日生
上記の者に対する大麻取締法違反,関税法違反被告事件について,当裁判所は,検察官 浅沼雄介出席の上審理し,次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役4年6月及び罰金100万円に処する。
未決勾留日数中50日をその懲役刑に算入する。
その罰金を完納することができないときは,金1万円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
千葉地方検察庁で保管中の大麻樹脂172塊(平成16年千葉検領2623号符号1ないし18)をいずれも没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は,みだりに,営利の目的で,大麻を輸入しようと企て,平成16年6月30日(現地時間),タイ王国バンコク国際空港において,エア・インディア第302便に搭乗するに当たり,大麻である大麻樹脂495.84グラム(平成16年千葉検領2623号符号1ないし18は,その鑑定残量)をビニールラップに包んで172包に小分けしてえん下し,自己の体内に隠匿携帯して同航空機に搭乗し,同航空機により,同日午前9時35分ころ,千葉県成田市所在の成田国際空港に到着し,上記大麻を隠匿携帯したまま同航空機から降り立って本邦内に持ち込み,もって大麻を本邦に輸入するとともに,同日午前10時ころ,同空港内東京税関成田税関支署第2旅客ターミナルビル旅具検査場において,携帯品検査を受けるに際し,上記のとおり大麻を隠匿携帯しているにもかかわらず,同支署税関職員に対し,その事実を秘して申告しないまま同検査場を通過して輸入禁制品である大麻を輸入しようとしたが,同支署税関職員に発見されたため,その目的を遂げなかったものである。
(証拠の標目)
(括弧内の甲又は乙及びこれに続く数字は,証拠等関係カード記載の検察官請求証拠の番号を示す。)
・被告人の公判供述
・被告人の警察官調書(乙2ないし6)及び検察官調書(乙7,8)
・警察官作成の捜索差押調書(甲4)
・財務事務官作成の検査状況報告書(甲2),排泄状況等報告書(甲3)及び各調査報告書(甲43,44)
・成田国際空港警察署長作成の鑑定嘱託書(甲23)
・東京税関成田税関支署長作成の犯則物件鑑定依頼書謄本(甲24)
・東京税関業務部分析部門大麻研究者作成の各鑑定書(甲25ないし42)
・東京都健康局食品医薬品安全部長作成の捜査関係事項照会回答書(甲46)
・千葉地方検察庁で保管中の大麻樹脂172塊(平成16年千葉検領2623号符号1ないし18。甲5ないし22)
(事実認定の補足説明)
弁護人は,被告人には営利目的がなかった旨主張し,被告人もこれに沿う供述をしているので,以下,判示のとおり認定した理由を補足して説明する。
1. 関係各証拠によれば,(1)被告人がビニールラップに包んで172包に小分けしてえん下した判示大麻樹脂(以下「本件大麻樹脂」という。)は,約495グラムに上っているところ,被告人の大麻樹脂の1回の使用量が約0.5グラムというものであり,これによれば,本件大麻樹脂は約1000回前後の使用量に相当すること,(2)被告人は,平成14年2月ころにも,ネパールからタイを経由して帰国するに当たり,本件と同様,ビニールラップに包んで小分けした大麻樹脂をえん下して本邦内に持ち込んだことがあり,その際ネパール滞在中に友人らに宛てた手紙の下書きなどを記載したノート(乙7,8に添付のもの。以下「本件ノート」ということがある。)には,××などと何らかの売買取引をうかがわせる記載があるところ,被告人は,公判廷において,上記「荷物」ないし「土産」については,少なくとも大麻を含む趣旨であることを認めていること,(3)被告人の友人,知人の中には,大麻を使用する者が複数存在すること,以上の事実が認められる。
これらの犯行の態様,本邦内に持ち込んだ本件大麻樹脂の量,平成14年2月に大麻樹脂を輸入した経緯及び本件ノートの記載内容,被告人の交友関係などに照らすと,被告人は,本邦に持ち込んだ本件大麻樹脂について,自己使用のみならず,大麻を使用する友人,知人らに売却する意思を有していたものと推定できる。
2. 加えて,被告人の平成16年7月22日付け(乙7)及び同月23日付け(乙8)各検察官調書には,本件大麻樹脂の一部を大麻を使用する友人などに売却する意思を有していた旨の供述記載がある。
もっとも,弁護人は,上記各検察官調書の任意性を争い,被告人も,公判廷において,上記供述をした理由について,「検察官から営利性を否認したら,友人関係も全部取り調べ,友人の家の家宅捜索などすると言われた。自分の供述がもとで家宅捜索が行われ,友人に僕の話したことでそういうことになったと誤解されるのが怖かった。」からであるなどと供述している。
しかしながら,(1)被告人の公判供述によっても,検察官が被告人に対し営利目的を認めたときには,友人らに対する家宅捜索をしないことなどを約束したことはもとより,検察官の取調べにおいて供述の任意性を疑わせるほどの誘導や威迫等の場面が存したとまでは認めることができないこと。(2)検察官調書(乙7)には,被告人が日本で大麻を使用する仲間の氏名等を明らかにすることを拒否した供述記載や,平成15年3月から4月ころタイに旅行した目的について被告人に有利な供述記載があるほか,同調書の読み聞けを受けた後,今回タイに行った目的について,「友人に売ったり,自分で使ったりするためにタイに行った」とあるのを「友人に売るかどうかは,現地で仕入れることのできる大麻の量次第で決めようと思っていた」旨訂正を申し立てた上,それ以外は間違いない旨述べたという供述記載があること,(3)上記各検察官調書には,被告人が本件ノートの内容を具体的に説明した供述記載があるところ,その内容は,本件ノートの文面とほぼ整合し不自然不合理な点が見られず,とりわけ,検察官調書(乙8)において,××××××と説明している点は,被告人が具体的に供述しなければ検察官において記載できない事柄であること(なお,被告人は,公判廷において,本件ノートの記載内容について種々の弁解をするが,いずれも本件ノートの文言等に整合しない不自然不合理なものであって信用できない。),以上に照らすと,上記各検察官調書の供述が任意性を欠くとの合理的な疑いを入れる余地はない上,その信用性についても,弁護人の主張を踏まえて検討しても,上記各検察官調書の営利目的に関する部分は信用できる。
3. これに対し,被告人は,公判廷において,本件大麻樹脂を専ら自己使用する目的であった旨供述している。しかしながら,前記のとおり,本件大麻樹脂の量が約1000回前後の使用量に達するものであったことなどに照らすと,上記公判供述は不自然であって信用できない。
また,弁護人は,(1)被告人が予め大麻購入資金を準備していなかった,(2)今回のタイへの旅行が純粋な観光目的であった,(3)今回タイで大麻樹脂500グラムを購入したのはたまたま出会った人物からまとめて買えば安くなる旨言われ衝動的に購入した,(4)被告人に借金がありその返済のため営利目的に走ったという事情も存しない,(5)本件大麻樹脂を持ち込むために麻薬犬に発見されないような周到な準備又は工作をしていない,(6)他人から大麻売却の依頼が予めあったという事情は全く存しない,(7)その他被告人の性格や日常の生活態度からは営利,金儲けを企画するような素振りないしは事情は認められない,以上に照らすと,被告人に営利目的があったということはできない旨主張する。しかしながら,(1),(2)については,被告人は,自己の所持金の中から,約500グラム近くの多量の大麻樹脂を購入し,これを本邦内に持ち込んだ経緯自体に照らし理由のないことは明らかである。(3),(4),(6),(7)は,いずれも被告人に営利目的がなかったことを疑わせるものではない。(5)についても,被告人の本件大麻樹脂の隠匿態様からすれば,所論は前提を欠くものである。
4. 以上によれば,被告人が本件大麻樹脂を営利の目的で本邦内に持ち込んだことが認められる。
(法令の適用)
罰条
大麻の営利目的輸入の点につき,大麻取締法24条2項,1項
輸入禁制品の輸入未遂の点につき,関税法109条3項,1項,関税定率法21条1項1号
科刑上一罪の処理
刑法54条1項前段,10条(1罪として重い大麻の営利目的輸入罪の刑で処断。ただし,罰金刑については,輸入禁制品輸入未遂罪のそれによる。)
刑種の選択
懲役刑及び罰金刑
未決勾留日数の本刑算入
刑法21条(懲役刑に算入)
労役場留置
刑法18条
没収
大麻取締法24条の5第1項本文,関税法118条1項本文
(量刑理由)
本件は,被告人が,営利の目的で,大麻樹脂を空路本邦に輸入したが,関税法上の輸入禁制品の輸入については未遂に終わった,という事案である。
本件は,輸入にかかる大麻樹脂が約495グラム余りと多量であり,これが本邦内に流出すれば大きな害悪を及ぼしたことは容易に推測できる。被告人は,営利の目的で,本件を敢行したものであって,その利欲的な動機に酌量の余地はない。また,大麻樹脂の隠匿態様も,巧妙かつ悪質である。さらに,被告人は,公判廷において,営利目的について不自然な弁解をしていることに加え,近年,薬物事犯の撲滅が国際的にも緊急の課題であることなども併せ考えると,被告人の刑事責任は重い。
そうすると,本件輸入にかかる大麻樹脂がすべて押収され,結果的にその害悪が社会に拡散するには至らなかったこと,被告人が,大麻樹脂を輸入したこと自体については反省の弁を述べていること,これまで前科がないこと,実母らが今後の指導監督を約していること,実父が財団法人法律扶助協会に対し,50万円の贖罪寄付をしたことなど,被告人のため酌むべき諸事情を十分考慮しても,主文の刑を科すのはやむを得ない。
よって,主文のとおり判決する。
(求刑・懲役6年及び罰金100万円,大麻樹脂の没収)
平成16年11月5日
千葉地方裁判所刑事第1部
裁判官 土屋 靖之 〔印〕
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弁論要旨
平成16年(わ)第1552号 大麻取締法等違反被告事件
被告人 ××××
弁論要旨
平成16年10月15日
上記弁護人 弁護士 小柴 文男 〔印〕
千葉地方裁判所 刑事1部3係 御中
記
第1.罪体について
1.本件は、営利目的の存しない単なる大麻の密輸入の罪にとどまるべきものである。
2.被告人においては、(1)予め大麻購入資金を準備していなかったこと、(2)そもそも今回のタイへの旅行は純粋な観光目的であったこと、(3)今回タイで大麻樹脂500グラムを購入したのはたまたま出会った人物からまとめて買えば安くなる旨のことを言われ衝動的に購入してしまったものであること、(4)また「出来れば自分でたまには吸いきれないほど手に入れたいと思った」からであること、(5)これらの購入動機については被告人の司法警察員に対する平成16年7月14日付け供述調書に記載されている通りであること、(6)被告人には借金があってその返済原資のために営利目的に走ったというような事情も存しないこと、(7)本件の大麻樹脂を持ち込むために麻薬犬に発見されないような周到な準備又は工作はしていないこと、(8)他人から大麻売却の依頼が予めあったという事情は全く存しないこと、(9)その他被告人の性格や日常の生活態度からは営利、金儲けを企画するような素振り乃至は事情は認められないこと、などの諸事情を考慮するかぎり、被告人が営利目的で本件大麻を日本に持ち込んだと認定するのは誤りであると言わなければならない。
3.なお、前々回の旅行先のネパールから持ちかえった大麻樹脂が営利目的であったとの嫌疑がかけられているが、これは当公判廷において明らかにされた通り、被告人は確かに同旅行中に××さんに滞在期間が延びて足りなくなった帰国費用金8万円を送金してもらったことがあるが、この8万円は世間で親しい間柄の中で普通に行われている助け合いとしての単純な消費賃借であり、事実、被告人はその全額を助けてくれた友人らに現金をもって返済している。従って、前々回の旅行においても営利目的があったという事実は全くないものであり、今回が前々回のことに味をしめて同様の犯行、つまり営利に走ったという嫌疑の点は全く根拠のないものであると言うべきものである。よって、被告人が決して営利の目的で大麻樹脂を飲み込んできたものではないとする供述又は証言には十分信用性があるであると弁護人は確信する。
第2.情状について
1.被告人には前科前歴がないうえ、被告人は、まだ独身であり、今後家庭をもち仕事面では高齢である父の家業を継ぎ、将来を嘱望されている者である。
2.被告人には、幸いにも、生活基盤となる家族と、よき相談相手として結婚を前提に長年付き合っている交際相手がおり、将来、社会において更生の道を選択するに確固たる環境が整っている。
3.また、被告人は、近所の評判、仕事仲間、顧客などから好感をもたれ、人物的にも更生を約束できるものである。
4.被告人と大麻との親密性には確かに看過できない問題が指摘できるかもしれないが、今では被告人は従来自分が遵法精神に麻痺していたことを十分に自覚しており、薬物被害の重大性を改めて認識し、自らは無論のこと、他人の薬物依存の態度に対しても厳しい態度で接し、社会から薬物被害がなくなり、健全かつ平和な幸せな社会作りに向けて精一杯努める固い決意でいる。
5.特に、父親は贖罪寄付として金50万円を拠出して、自ら被告人の社会における更生を約束している。
6.以上の通り、被告人は十分に反省し今後は二度と大麻に依存しないことを誓っていますので今回に限り寛大なる執行猶予の判決を賜りたくお願いします。
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論告要旨
大麻取締法違反,関税法違反
被告人 ××××
第1 事実関係
本件公訴事実は,当公判廷で取調べ済みの関係各証拠により,その証明は十分である。
しかし,被告人は,公訴事実のうち営利目的であった点につき否認し,弁護人もこれに基づき,被告人には営利目的がなかった旨主張しているので,以下検察官の意見を述べる。
1. 関係各証拠によれば,本件大麻樹脂の総重量が495グラム余りと極めて多量であること,被告人の大麻樹脂の1回使用量が多くて0.5グラムであること(乙4号証,被告人公判供述)からすればこの総重量は約1000回以上もの使用量に相当すること,被告人は,本件大麻樹脂約500グラムを日本円で約5万円という低価格で仕入れていること,被告人は,本件大麻樹脂をえんかという密行性が高くかつ自己の身体に対して極めて大きな危険を有する方法で隠匿携帯していたこと,被告人は,本件以前にも大麻樹脂約200グラムを本邦に密輸入した経験があること(乙7号証,被告人公判供述),被告人の身近には大麻を吸引している友人が7,8人もいること(乙7号証,被告人公判供述),被告人は無職であり,安定した収入もないこと(乙1号証,証言)などが認められる。
これらの事実からすれば,被告人が本件大麻を全て自己使用目的で密輸入したという供述は到底信用できず,営利目的を有していたことは明らかである。
2. 捜査段階における被告人の供述は,任意性及び信用性を有する。
(1)被告人及び弁護人は,検察官面前調書(以下,「検面調書」という。)で被告人が営利目的を認めた供述部分の任意性及び信用性を争っている。
被告人は,任意性を否定する理由につき,「検察官から営利性を否認したら,反省していない,友人らも徹底的に調べて,家宅捜索等もしてやると言われ,その友人達から自分のせいで捜査が及んだなどと思われて,逆恨みされるのが嫌だったために,検察官の誘導によって営利性を認めさせられた。」旨述べている(被告人公判供述)。
しかし,検面調書によれば,被告人は大麻を一緒に吸引していた友人らの名前を一切明かしていないのであるから(乙7号証),捜査機関が被告人の友人のもとへ家宅捜索に行けるはずもなく,被告人が名前を明かしていない以上「自分のせいで捜査が及んだなどと思われて,逆恨みされる。」というのも理解できない。
この点被告人は,「アドレス帳も押収されていたことから,このアドレス帳をもとに友人らが特定されると思った。」とも述べるが(被告人公判供述),被告人は,検察官の取調べの際,ノートについては示されてその内容の説明を求められているのに,アドレス帳については示されたこともなく,また,特定の友人の名前を聞かれたこともないことを自認しているのであるから,自分が友人の名前を明かさない限り,捜査が友人らに及ばないことは当然予測できるはずである。アドレス帳の記載から友人の名前を特定されると思ったという弁解は,被告人が友人の名前についての供述を拒否していたことを追求されたことから,被告人が思いつきで述べたものにほかならない。
(2)また,被告人の検面調書(乙7号証)によれば,被告人がその内容を読んで聞かされた後,訂正を申立てこれに基づき訂正が加えられている。
そして,同調書には,「私には,日本に7,8人は大麻を一緒に吸ったりする仲間がいます。その人たちの名前については申し訳ありませんが,言いたくないので言いません。」とあり,被告人が言いたくないことについて供述を強要された形跡もない。
さらに,同調書では,被告人が2003年3月から4月ころにタイに行った時には大麻の密輸入をしていない旨の被告人の言い分が,そのまま記載されている。
そして,被告人については,平成16年7月22日に乙7号証,翌23日に乙8号証の検面調書がそれぞれ作成されているところ,仮に乙7号証の内容が自己の意に反するものであったならば,翌23日に訂正を申立て,あるいは乙8号証への署名を拒否することも可能であったはずであるのに,このようなことがなされた痕跡もなく,被告人自身もこのことは自認している(被告人公判供述)。
それだけでなく,乙8号証において,被告人は××の意味について説明しているところ,これは被告人が説明しなければ検察官が分かるものでもないことからすれば,被告人が任意に供述をしていたことは誰の目から見ても明らかである。
したがって,本件各検面調書の任意性に疑義を差し挟む余地はない。
そして,被告人は,上記各検面調書で,ノートの記載内容につき極めて具体的に説明しており,その説明内容も文面と整合し自然かつ合理的であること,当初営利性を否認していたのは営利目的であれば罪が重くなると思っていたためであり,認めたのは真に反省したためである旨述べ,供述の変遷理由にも合理性があることなどからすれば,上記各検面調書の内容の信用性は極めて高いものといえる。
3. 当公判廷における被告人の供述は信用性を有しない。 これに対して,被告人の当公判廷における供述は,全く信用できない。
(4)さらに,被告人は,一方で「前回密輸入した約200グラムの大麻樹脂は全て自分で吸いきっており,その際,3,4か月くらいで吸いきってしまったから,今度はもっとたくさんの大麻樹脂を密輸入しようと思った。1年かかるくらい密輸入しようと思った。」などと述べていながら,他方では「自分は大麻に依存していない。毎日日課で吸っていたわけでもなく,1日に20回くらい吸うときもあれば,ずっと吸わない時もある。」などと述べている(被告人公判供述)。
しかし,被告人の1回の使用量が多くて約0.5グラムであるならば(被告人公判供述),200グラムの大麻樹脂を使い切るには400回以上吸引する必要があるところ,1日2回の頻度で毎日吸い続けても半年以上かかるが,上記3か月間だけ,毎日3回の頻度で吸い続けたというのも不自然で,被告人の上記各供述は整合しない。
(5)また,被告人は定まった収入がなく,その身近には大麻を常用している友人もいたというのに,みすみす金もうけできるチャンスを逃し,友人に分けることもせずに多量の大麻を入手していながら自分だけで全て使い切ろうとしていたというのもまた不自然である。
被告人は,捜査段階でいったん営利性を認めながら,自分の罪が重くなることに恐怖を感じ,その刑責を少しでも軽減するため,当公判廷において虚偽の弁解をしているにほかならない。
4. 以上から,被告人の当公判廷における供述は全く信用できず,被告人が本件以前に大麻を密輸入し,国内でこれを売却譲渡して金を稼ぐことができたことに味をしめ,再び営利目的で本件犯行を行ったことは明らかである。
なお,被告人の交際相手である××は,平成13年に被告人のために送金した8万円のうち,自分が負担した約3万円については返済を受けた旨証言をしているが(同証言12頁),仮に同人が真実被告人から現金で返済を受けているとしても,その余の5万円分については不明であるから,直ちに被告人が友人らに大麻を売却していないことの証明にはならない。
よって,本件公訴事実はいずれも証明十分である。
第2 情状関係
1. 被告人は,平成7年ころから興味本位で大麻に手を出し,以後,1日に1~2回,多い時には1日に20回もの頻度で大麻を常用し続けていたというのであるから,被告人の大麻に対する親和性は顕著であり,その使用に対する依存性,常習性もまた明白である。
2. 被告人は,海外で安価に多量の大麻を仕入れ,これを国内で高額で売り,金を稼ごうとしていたもので,犯行動機に酌量の余地は全くない。
3. 本件大麻樹脂の総重量は,495グラム余りと極めて多量である。
幸いにして税関職員の尽力により,かかる大麻が通関の際に発見されたことによって,本邦内での密売による流通を未然に防止することができたが,かかる発見がなされていなければ,本邦内で本件大麻が密売されて,その害悪が拡散されていたことは必至であった。
しかも,被告人は,本件以前に,実際に複数の友人らに密輸入した大麻樹脂を売却譲渡してその害悪を拡散させ,その友人らに再び大麻を売却しようとしていたというのであるから,かかる被告人の刑事責任は重大である。
4. 被告人は,大麻購入用の資金を持って現地に赴き,自ら現地で密売人と交渉するなどして本件大麻を購入し,172包もの大麻樹脂を全て飲み込んで体内に隠匿した上で本邦に持ち込むなど,その犯行は計画的で,実に巧妙であり,態様も極めて悪質である。
5. 本件のような違法薬物の密輸入事案の禁圧は,本邦への違法薬物の供給源を根絶するものであり,違法薬物事犯の撲滅の上で特に重要である。かかる犯罪は密行的に行われるため,その摘発に難があることは,周知の事実であり,この摘発の難を克服し,その禁圧を図るという困難な課題を達成するためには,本件のように,行政当局の努力によってこれを検挙するに至った場合に,一罰百戒の見地から,これを厳重に処罰することが一般予防上要請される。
また,ことに大麻は近時,若年者の間で気軽に手を出す者が急増しており,大麻を手始めとして麻薬,覚せい剤と,より一層依存性や薬理作用が強力な薬物使用にステップアップしていくことが強く懸念される。よって,我が国の若年者等に大麻を密売して,その害悪を拡散させている密売組織を徹底的に撲滅し,本邦内での大麻事犯の増加を未然に防止するという一般予防の見地からも,被告人には厳罰をもって臨むべきであり,同種密売人に警鐘を鳴らす必要もある。
6. 被告人は,本件以前にも大麻樹脂の密輸入に成功していたというのであるから,被告人がこれに味をしめていたことは明らかで,その薬物規制に対する規範意識が相当低いことも認められる。
また,被告人は両親とも同居していながら本件犯行に及んでいたのであるから,被告人の両親の監督にも期待できない。
加えて,被告人は,自己の刑責を少しでも軽減しようと,不自然,不合理な弁解に終始し,到底,真に反省悔悟しているとは認められない。
定職にも就かず,交友関係にも甚だ問題があるこのような被告人に対して,寛刑をもって臨んだ場合に,被告人が再犯に及ぶは必至である。
7. 被告人の実父が50万円を贖罪寄付しているが,その原資を両親が負担している以上,かかる事情を被告人に有利な事情として過大に斟酌すべきでないことは言うまでもない。
以上から,被告人に自己の刑事責任の重大さを十分に自覚させ,再犯を防止するためには,被告人を相当長期間の実刑に処し,徹底した矯正教育を施すことが必要である。
また,それと同時に,この種事犯が主として経済的利得を目的として敢行されるのである以上,その経済的利得を徹底的に収奪して経済的にも十分な制裁を与えて,この種事犯が割りに合わないものであることを痛感させることが不可欠である。
第3 求刑
以上の諸情状を考慮し,相当法条適用の上,被告人を 懲役6年及び罰金100万円 に処し
千葉県地方検察庁に保管中の大麻樹脂172塊(平成16年千葉検領2623号符号1ないし18甲5~22)をいずれも没収 するを相当と思料する。
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(わ)第1552号
起訴状
平成16年7月26日>
千葉地方裁判所 殿
千葉地方検察庁 検察官検事 浅沼 雄介 〔印〕
以下被告事件につき公訴を提起する。
記
本籍 ××××
住居 ××××
職業 無職
勾留中 ××××
昭和43年2月26日生
公訴事実
被告人は,みだりに,営利の目的で,大麻を輸入しようと企て,平成16年6月30日(現地時間),タイ王国バンコク国際空港において,エア・インディア第302便に搭乗するに当たり,大麻である大麻樹脂495.84グラムをビニールラップに包んで172包に小分けしてえんかし,自己の体内に隠匿携帯して同航空機に搭乗し,同航空機により,同日午前9時35分ころ,千葉県成田市所在の成田国際空港に到着し,前記大麻を隠匿携帯したまま同航空機から降り立って本邦内に持ち込み,もって大麻を本邦に輸入するとともに,同日午前10時ころ,同空港内東京税関成田税関支署第2旅客ターミナルビル旅具検査場において,携帯品検査を受けるに際し,前記のとおり大麻を隠匿携帯しているにもかかわらず,同支署税関職員に対し,その事実を秘して申告しないまま同検査場を通過して輸入禁制品である大麻を輸入しようとしたが,同支署税関職員に発見されたため,その目的を遂げなかったものである。
罪名及び罰条
大麻取締法違反,関税法違反
大麻取締法 第24条第2項,第1項,関税法 第109条第3項,第1項,関税定率法 第21条第1項第1号
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平成16年6月30日、Iさんはタイから大麻樹脂497gを持ち込もうとして成田空港の税関で発覚し、逮捕されました。本人からの手紙によると自分で使用するためのものでしたが、取り調べでは営利目的とされてしまい、初犯でありながら一審で懲役4年6月という長期の実刑判決が下されてしまいました。Iさんはこれを不服として控訴しましたが、一審から弁護を担当した弁護士とトラブルが発生し、この弁護人を解任して新たに私選弁護人を付け、大麻取締法の違憲性も織り込んで控訴審に臨みました。しかし、この控訴も棄却され、Iさんは現在上告中です。
Iさんの逮捕から懸命に熱心な支援を続けてきた友人にレポートをお願いしました。内容は暫時更新します。
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(2005年1月27日着信)
前略、初めて手紙を書きます。僕は現在、タイから大麻樹脂497グラムを日本に持ち込もうとして逮捕され、大麻取締法、関税法に違反したとして、東京拘置所に収監されています。
タイから帰国して逮捕されたのが2004年6月30日、正確に書くと、樹脂を飲んで来たので腹中より出すのに、病院に入院して六日ほど過し、逮捕は7月6日です。そして、起訴されたのが7月26日、8月10日に成田空港署の留置所から、千葉刑務所内拘置区に移管され、9月24日に初公判。その時は罪状認否のみで、10月15日の二回目の公判で求刑、6年の罰金100万円。そして、11月5日に判決、実刑4年6ヶ月、罰金100万円、未決日数算入は50日というものでした。
僕の取調べに当たった空港署生活安全課の刑事も、税関の取調官もそれなりに好意的で、「被害者のいない犯罪」に対して、ある程度の理解ある調べをしてくれたように思います。大麻の効果などについても、僕が知っていることを話すと、不思議そうな顔をして「悪いところがないじゃあないか」などと言うので、「悪いのは逮捕されることだけですよ」などと答えたものです。そのヤリトリは調書に書かれることはなかったし、別にヒッカケなどではなかったと思うのです。「悪いところ(害)がない」というのは、科学的・医学的・社会的な問題であって、僕が逮捕されているのは法律の問題である。法律で禁止されているのは解っていてやった訳なので、その点は悪いと思っています。というようなヤリトリがあったことを覚えています。
しかし、理解があったのはそこまでで、検事調べで検事が、「あんた自分のやった事で世の中がどういうことになるのか解っているのか!」などと言ってくるので、純粋にどういうことになるのか知りたくなった僕は、「どうなるんですか」と言ったところ、「日本が薬物で汚染されるんだよ!」とこうくる訳です。そうはならないことだけは確かなので、聞くんじゃなかった。しかし、検事がどういうつもりなのかは解りました。
結局、僕は今まで(1995年から)四回、海外旅行をしたことがあって、二回目のタイ・ネパール旅行と四回目の今回、大麻樹脂を持ち込み、今回逮捕された訳ですが、僕の渡航歴からいって「運び」を生業とするには回数が足りないのです。もし「運び」で儲けていたのなら、もう少し頻繁に渡航している筈です。前回、200グラムほど持って来た時は、すぐなくなってしまったし、売りたくはないのです。理由は、金は働けば造ることが出来ますが、納得のいく樹脂(チャラスと書くべきでしょうか)は、なかなか手に入らないからです。「金が全て」という考え方が当り前になっているので、普通より多目のチャラスを持っていたら、すべて「営利」ということになるのでしょう。
日本で高い金を出して買うぐらいなら、自分の分は自分で、そう何度も海外には行けないし、それぐらいなら飲めるだけ飲んで、今回の497グラムです。前回のネパールがうまくいったのが悪かったのかもしれません。検事は今回の持ち込みが計画的なものだというのですが、本来、タイには大麻樹脂がないので計画など立てようがないのです。今回運良く(悪く)入手できたので、この体たらくです。
「量が多いから営利」というのも解せぬ話です。結局、黙っていると、僕の「友人関係を調べる」と言われ、法知識のない僕には検察にどこまでの権限があるのかわからなかったため、検事に言われるままに「営利」を認め、指印を押してしまいました。拘置所に移管され、僕と同じ罪状の人に聞くと、皆、検事に「友人関係を調べる」と威されて「営利」を認めています。旅先で会った人や、日常、つきあいのある人の連絡先を控えたアドレス帳を押収されており、そこに書かれているのは旅先で会っただけの人もいるし、大麻とはまったく関係のない普通の社会人もいます。大麻を嗜もうが、嗜むまいが家宅捜査などされたら迷惑だと思うのです。起訴される四日前の木曜の検事調べでのことでした。
明けて金曜日に又、呼び出されて「僕の吸い仲間の名前は言えない」というだけの調書を取り、土・日、と挟んで月曜日に起訴。始めは何故、それだけの調書を書いていたのか解らなかったけれど、初公判の検事質問で「営利」を否認し、「ではなんで指印を押したのか」の質問に、「友人関係を調べる」と威されたため、と答えたところ、「僕の吸い仲間の名前は言えない」と調書に出ているのに、なんで威しになるのだ、とのこと。なるほど、威されて「営利」を認めた、と「営利」を否定した時の用心に「僕の吸い仲間の名前は言えない」という調書を取ったのですね。それでは、僕のアドレス帳が押収され、証拠品としていまだに帰ってこないのと、営利を認めた次の日の日付で「僕の吸い仲間の名前は言えない」と書いてある事実はどうなるんだ、と思いますが、判事としては、「否認されると時間がかかるので許せん」といった感じで、めんどおくさそうに裁判を進め、初公判に続く二回目で求刑、調書を取った検事が出て来て求刑6年罰金100万円。取調べ検事と法廷検事が同じというのはよくあることなのでしょうか、僕には自分の書いた調書を否認された腹いせに、本人が自ら重く求刑してきたようにも思えます。
判決は、「営利」を否認したことが「反省してない」ととられたらしく、4年6ヶ月の罰金100万。ちなみに、千葉拘置所に移されて同じ房にいた青年(20)が強盗致傷で、内容は、彼女に援交目当ての男を呼び出させて、男六人女二人での犯行、求刑6年で実刑3年8ヶ月。自分が、いわゆる「援交狩り」よりも重罪人だとは、どうしても思えません。その為、今、東京拘置所で控訴中という訳です。
実は、友人が、「営利」はとれそうもないし、このままでは減刑の望みも薄いので、「有害性の否定(→違憲論)」も主張したらどうかと、色々と資料を入れてくれました。その資料で白坂さんのことや、桂川さんの事件のあらましを知ったのでした。桂川さんの減刑嘆願書も出そうと思っていたのですが、友人が年末に差入れてくれた用紙や資料類が、検閲などされて手元に届いたのが1月7日、その日のうちに出せば締め切りの1月10日に間に合うかどうかのところを、弁護士が面会に来て手紙を書きかけのまま、結局、出すことは出来ませんでした。
この弁護士が、違憲論どころか「有害性の否定」を主張するのさえ「ダメ。ゼッタイ」なのですね。理由は、「本人の利益にならない事は、できない(=しない、したくない)」とのことです。数年前にマリファナ関連のイベントの顧問を務めたことがあると聞き、大麻も覚醒剤も同じだと思っている両親に対して、僕を弁護してほしくて頼んだというのもあったのに、控訴の主張を「さらなる反省」と勝手に決め、両親に大麻有害論を吹き込んで僕に圧力をかける始末。なにせ、「薬物事案だからこそ、考え方の変遷が重要だと考えている」と言い、「違憲論だの、そういう考え方に陥ってしまう事自体が、大麻の弊害」と言うのだから、なにをか言わんやです。
そして今日、面会で「私(弁護人)の意見に従えないのなら、別の医者にかかればよい。私に従えないのは、私を信用できないからだ。依頼した以上、全てを信じて任せるべき。それは最初から分かっている事。私に依頼しなくても別の医者へ行けばよい、その選択は本人次第、自由な筈だ」というようなことを言ってくるので、「では解任します」と言ったところ、「解任するなら理由を言え」「自分の弁護活動に対する妨害だ」となり、もう、頼むから辞めてください状態でいたら、「名誉毀損で訴える」と言って帰って行きました。
面会から帰り、この手紙を書いているのですが、僕の事件・裁判をレポートしたいと思っています。先に書いたように、弁護人は僕の意思を無視して事を進め、裁判、僕の置かれた状況が刑務所行ベルトコンベアーに乗せられたもののように思えるので、そのことを人に伝えたいと考えたからです。
自分のことばかり長々書いてすいません。
もう手紙を出さなければならず、時間がありません。
お身体お大事に。
草々
2005年1月25日 記
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