魔女裁判

2000年8月12日

ロッテルダムから電車で20分ほどでチーズで有名なゴーダに着く。さらにそこからバスに乗り換え15分くらいでアウテワーターという小さな町に到着する。ここは魔女の町として知られている。もちろん魔女が住んでいるわけではなく、ごく普通の美しい田舎町だ。町の広場の前に魔女の計量所があることから魔女の町とよばれている。



15世紀ころヨーロッパでは魔女裁判がひんぱんに行われ100万人もの人が犠牲になったという。カソリックの支配による堕落とそれに対抗するプロテスタントの台頭の軋轢が背景にあったとされる。支配側は都合の悪い人間を魔女にしたてみせしめのために火あぶりや水ぜめの刑で殺した。





「魔女だ」という告発は当局への密通がひとつあればよかった。いちおう裁判にかけるという形式はあったもののそのやり方は公正なものではなく裁判官や執行人の裁量でどうにでもなった。魔女はほうきに乗って飛べるくらいだから体重が軽いはずだという理由から魔女とおぼしき人は体重をはかられ軽ければ処刑されたのである。



計量人にワイロを渡せば簡単に軽くなってしまったのだ。50Kの人がたった5Kとされたりしたらしい。ダイエットに苦しむ現代の女性からすればありがたい話かもしれないが、あとに火あぶりの刑がまっているとしたら重くしてほしいと思うにちがいない。計量の前には重しなどを隠し持っていないか調べるために裸にされたという。



たまたま近くの町で魔女裁判をみていた神聖ローマ帝国のカルロス5世は不信に思い「魔女」をアウテワーターで計量しなおした。アウテワーターの計量人はワイロを拒否し正確な重さをはかった。魔女の疑いははれ女性は開放された。これを機にアウテワーターの計量所は公正な魔女の計量所として認められ証明書を発行するようになった。

ヨーロッパ各地から魔女と告発された人はここを訪れ「魔女ではない」という証明をもらって難をのがれた。ここの計量所で魔女と判定された人はひとりもいないという。現在でも当時の計量機が残っている。天秤になっていて片方に人をのせ、もう片方にはいろいろな大きさの分銅をのせてバランスをとるようになっている。今でも希望すれば体重をはかり証明書を発行してくれる。



時代はいつまでもいいかぜんな魔女裁判をのぞむわけでもなくやがては禁止された。異端審問として恐れられたカソリックの守護者スペインの衰退とともにプロテスタンティズムが定着したのである。同じキリスト教でありながらその近親憎悪的な対立の根は深い。20世紀に入ってからおこったアメリカの禁酒法もカソリックの飲酒を抑えようとしたプロテスタントの対立が背景にあったとされる。

オランダの各地を旅していると計量所をあちこちでみかける。いまではたいていカフェなどになっているが、その外観は威厳があり立派で重厚だ。商業を重視するオランダにとって物の重さを正確にはかるということは不可欠だった。重さがいいかげんならば公正な取引は成立しない。公的機関として重さをはかる機関が必要だったのである。



オランダは早くからプロテスタントを受け入れた国である。正確な計量という方法を通じて魔女裁判をなくす道をひらいたのである。現代は魔女の時代ではないが、例えばマリファナを「麻薬」として禁止しているのにも似たような構造がある。マリファナについて正確に知ろうともせず「魔女」というレッテルを貼り付けることで禁止し違反者を処罰している。

オランダは世界でもマリファナをやっても処罰されない国だ。それはマリファナについて正面から議論が行われ正確な知識を得るようになったからである。マリファナに関して信じられているさまざまな悪害はほとんどが嘘である。魔女の嘘を暴き新しい時代を導いたオランダはマリファナに関しても先端をいっている。 (マリファナ オランダの挑戦  を参照)