アムステルダム・スプイ広場

2003年10月12日

アムステルダムの中心であるダム広場と繁華街として有名なライツェ広場の中間に位置するスプイ広場は観光ガイドブックでは余りお目にかからない。しかしこここそプラボ運動の発祥の地であり、現在のオランダ・カナビス文化の起点になったところなのだ。


隣りのカルファー通りが人でごった返えしていてもここでは静かに淡々と時間が流れてゆく。広場といってもそう広いわけでもないが、ありがたいことに座りやすいベンチが据え付けられていてゆっくりと当時を忍ぶことができる。 『ダッチ・エクスペリエンス』 によると、想像ができないようなパップニングがここで起こったのだ。

『1965年、グルートフェルトは、ピーター・スチューサント会社の資金で作られたアムステルダムのストリートキッズを象徴した子供の像「ハット・リーベゲンジェ」のあるスプイ地区でハプニンイングを始めた。もうもうたる煙が演出されたがそれにはタバコの煙だけではなく、チラムやジョイントが回され吸われたの煙も含まれていた・・・』

また、この像を建てた会社はピーター・スチューサントが17世紀に興したもので、彼はニューヨークがまだオランダの植民地ニュー・アムステルダムだったときの総督だった。商品取引場のあるマンハッタン島南端の防衛をかためるために城壁を築き北部に町を作った。これがウォール街とハーレムの起源になっている。ニューヨークのハーレムはオランダのハーレムから名付けられた。


しかしそれだけではない。広場からは直接見えないが、中央付近の狭い門をくぐるとベギン会修道院の教会と広い中庭がある。ここは、アメリカ建国の父といわれるピリグリム・ファーザーたちが弾圧の激しい本国イギリスを脱出して最初に住み着いた場所でもあるのだ。その後、彼らはライデンに移住し12年間を過ごしてからメイフラワーでアメリカに移住していった。一般にはイギリスのサザンプトンから直接出発と思われているが、本当の起点はスプイなのだ。スプイ広場の背後にはいくつもの大変な歴史が横たわっている。


また、100メートルほどダム広場寄りに歩くとアムステルダム歴史博物館がある。いろいろな物が展示されていてとても興味深い。とくに、堤防(ダム)で街が形成されていく過程を説明した模型やビデオは必見ものだ。


さらに、忘れてはならないのが、コーヒーショップの初期の歴史を展示したコーナーで、メローイエローでピーターとマリアンが使っていた ディーラー・バッグ やブルドックのバーと秘密の隠し場所を見ることができる。


ディーラー・バッグ。右は、1980年と1999年のコーヒーショップの分布状況


博物館の裏手の通りはストリート・ミュージアムになっていて17世紀の市の自警団の集団肖像画を見ることができる。もちろん路地だから無料だ。アムステルダムが市民によって作られた街であることがよくわかる。