大麻取締法違憲論裁判 > ナタラジャ裁判
ナタラジャへの返信(もしくは「なぜカンナビストを批判するのか」について)-1-
ナタへ
手紙、読みました。プライベートなことは私信に書きますが、敢えて一部を公開して返信とします。
手紙を読んで、(分かってねぇな)と感じています。次の箇所です。
送って頂いた資料、一通り目を通させて頂きました。(中略)俺が初めてナタに会ったのは、2003年5月26日、松本地裁の法廷でした。それは「会った」というより、「見た」と表現したほうが正確でしょう。ナタの1回目の逮捕のときのことです。松本地裁の初公判に、私は桂川さんたちと傍聴に行きました。私はナタのことを全く知りませんでしたが、カンナビストのボランティアをしている若者が捕まって、カンナビストの運営たちも傍聴に来るとのことで、私は桂川さんにその話を聞き、同行したのです。麻生氏をはじめ、カンナビストの運営諸氏も傍聴に来ていました。
相変わらずカンナビストに対する強い批判が目に付くのは、塀の中から同じ志を持ち、このムーブメントを見ている自分としては、本当に寂しいものがあります。(中略)
同じ目標に進む者同志なのですから、もっとピースな関係が作れないものかととても残念に感じております。相手のやり方を批判するにしても、もっとソフトな、別なやり方があるのではないでしょうか。お互い良い大人なのですし、お互いの足りない部分を良い形で補いあい、1日も早い合法化を目指してもらいたいものだと、今回の資料を見て感じました。
ナタのご両親も見えていました。傍聴席に座って開廷を待っていると、廷内のドアが開き、手錠をされ、腰縄を巻かれて、ナタが入廷してきました。傍聴席の最前列に座っていたお母さんは、ナタのその姿を見て、こらえきれず、俯いて嗚咽を漏らしていました。
検事がとても嫌らしくネチネチと尋問するのを、反吐が出る思いで私は聞いていました。その検察の問いかけに、大麻がそれほど悪いものだとは思わない、大麻取締法は敗戦後にGHQから押し付けられたものだと本で学んだと、ナタは証言し、たいしたものだ、立派なものだと、感心したことを覚えています。
第二回の判決公判には、お母さんの姿はありませんでした。お父さんに聞くと、寝込んでしまって、とても傍聴に来られる状態ではないとのことでした。地元のテレビや新聞で、実名入りの報道が出てしまったことが、お母さんをとても苦しめたと聞きました。
求刑の懲役2年6月に対し、判決は懲役2年6月・執行猶予3年でした。
それからしばらくして、傍聴のお礼とのことで、ナタはうちを訪ねてきました。以来、ときどき、ナタはうちに遊びにくるようになりました。ナタと俺の付きあいは、そのようなものでした。ナタはカンナビストのボランティアとしてイベントの手伝いなどもしていることを話してくれたりもしました。
まだ執行猶予中の2005年2月、ナタが石垣島で逮捕されたという知らせが複数の知人からありました。ナタは、桂川さんの控訴審を傍聴し、そのまま沖縄に旅を続けていました。
ナタが沖縄で逮捕されたという事実と一緒に、カンナビストは支援しないらしいとも聞き、私はすぐにご両親に連絡をとり、自宅に伺いました。石垣島でナタが職質を受けたとき、その現場から麻生氏に救いを求める電話をしたことを、お父さんから聞きました。お父さんには、麻生氏から電話があり、カンナビストには多数の会員がいるので、特定の会員の支援はできないと告げられたとも聞きました。ナタがカンナビストのボランティアとして積極的に活動していることはご両親もご存知で、マリファナ・マーチには自分のワゴン車を出し、東京、札幌、大阪と、機材や人を運んだり、設営を手伝ったりと、熱心に関わっていたとお父さんは言っていました。私もそれを知っていました。お父さんは、「息子は、カンナビストにいいように使うだけ使われて、逮捕されて使えなくなったら、ボロ雑巾のように捨てられたんですよ。何が人権ですか。」と言っていました。お母さんは、その横で、ただ、タオルを握り締めて、泣いていました。
翌日、私は、当番弁護士の手配をし、接見してもらった弁護士から事情を聞きました。ナタが、私選の弁護士を付けて大麻取締法の違憲性を主張したいと言っていることも知りました。弁護士が警察に照会して調べたところ、逮捕のきっかけは、ナタが落とした財布でした。財布は、親切な人が警察に届けてくれて、無事にナタの手元に戻りました。しかし、その財布には、免許証とカンナビストのチラシが入っており、地元の警察は、免許証から前科を突き止め、ナタが薬物を所持していると見て、狙い撃ちで職質をかけたのでした。
ナタが、私選の弁護士を付けて、裁判で大麻取締法の問題点を主張したいと言っていることをご両親に伝えました。しかし、私選の弁護士を付けるとなると、費用もかかることであり、検討してみるということになりました。
石垣島には、当番弁護士として接見してくれた人しか弁護士がおらず、私選するとしてもその弁護士しかいないことを、当の弁護士から聞きました。
私は、大麻取締法の問題点を主張するための書籍や資料を弁護士に送り、私選できるかどうか決まらないうちから、何度も電話で弁護士に話をしました。弁護士は、私選してくれるなら主張してもいいが、と、明らかに乗り気ではありませんでした。
結局、私選の弁護士は付けず、国選でやることになりましたが、いずれにしても、弁護士はその一人しかいないので、引き続きその弁護士と連絡を取り、国選としてでも、大麻取締法の違憲性を主張してほしいと説得を続けました。当初、弁護士は言を濁していましたが、ナタ本人の思いも伝わったようで、ようやくその気になってくれました。桂川さんの裁判資料なども送り、違憲論を主張する準備を弁護士は進めてくれました。
しかし、公判間際になって、ナタの気持が変わったと、弁護士から聞きました。執行猶予中のことでもあり、大麻取締法の違憲性を主張する裁判をやると、裁判官に反省していないと看做され、判決に不利になりかねないというのが理由でした。弁護士は、私もいろいろと資料を読んで、違憲性の主張も面白いと思い始めていたので残念だと言っていました。
執行猶予中の再犯で、実刑が確実だったので、ナタの心変わりも理解でき、私は減刑嘆願書を出すことに絞り、署名を集めました。カンナビストにも署名に協力してくれるよう呼びかけましたが、黙殺されました。そこで、カンナビストと接点を持っているようだった野中さんに仲介を頼み、署名を集めてもらいました。
一審の判決は、懲役2年の実刑でした。猶予中の2年6月と合わせ、4年6月。
その後、ナタは控訴し、控訴審からは大麻取締法の違憲性を前面に出し、私はできる限りの助力を続けました。
ナタの2度目の逮捕と裁判にあたり、私はカンナビストと協力して支援をしたいと思い、そのように呼びかけました。しかし、それが現実になることはありませんでした。
沖縄で行われたナタの裁判をレポートできたのは、偶然なのか必然なのか、その頃に知り合った沖縄在住の人の好意によるものでした。
(つづく)
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