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海外情報 > EMCDDA > 大麻便覧.グローバルな課題と地域の経験(抄訳)
ヨーロッパにおける大麻規制(2)

序論
精神賦活性物質としての大麻の使用は常に論争の対象である。国際的な薬物協定は、加盟国に対し、国家の法律の下に、大麻に対して最も厳しい規制を指定することを推奨するが、いくつかの国々は、そのような推奨事項から離れるために付与された自由裁量権を用いた。事実、最適な規制制度の発見は、当初から、専門家、政治家、政府にとっての関心事であった。政府の探求の概観は、大麻が潜在的な危険性を有する物質であると考えられており、その危険性は他の規制物質と比較すると誇張されている可能性がある一方で、刑事罰の代わりに、民事制裁、違反金、強制的な健康評価などのような制裁の代替手段が推奨されていることを示している。ヨーロッパ諸国の法制及び起訴方針は、概してこれらの政府の探求と一致するようであるが、これらの態度は、’大麻に対する寛容な扱い方’が薬物に対する全般的な国際的努力を危険に晒すという理由で、特に国連レベルで表されるいくつかの懸念を招いた。したがって、幾つかの国々における最新の情勢は、制限的な措置を通した大麻に対する新しい配慮の方へバランスを取るようである。

大麻:継続的な規制のもとにある物質

規制の起源

大麻は、数千年もの間、様々な目的に用いられている。しかし、ヨーロッパでは消費の大部分は、少数のエリートによる実験あるいは特定の国々、特に北アフリカやインドと接点のある人々に限られたままであった(Booth, 2003)。大麻が常に論争の的、あるいは悩みの種となる物質であり、その精神賦活性の作用が発見されると間もなく、ある種の規制のもとに置かれていたことを示す有意な証拠が存在する。

紀元前2000年のインドでは、宗教的な権威者が大麻を宗教上の儀式に用い、聖職者だけがそれを利用することが出来たようである(Booth, 2003)。中世のイスラム世界では大麻の使用に対して相反する感情を抱く態度が存在した(Hamarneh, 1957)。ハシッシュには、更に、狂気の誘発剤として、スーフィズムと価値を不名誉な関連があった(Booth, 2003)。大麻の重要な批判者は、神学者Ibn Taymiyyah、裁判官Ibn Ganim、歴史家Al Magriiを含む。頻繁に引用される規制の例は、al-Zahir Baybars王によるダマスカスにおける1265年の大麻の禁止法(Hamarneh, 1957)、エジプトのオスマン帝国の首長Soudoun Sheikouniによる大麻植物の撲滅と大麻使用の禁止法(Rosenthal, 1971; Caballero and Bisiou, 2000; Arana and Márquez, 2006)を含む。ヨーロッパでは、1484年にPope Innocent VIII(ローマ教皇インノケンティウス8世)が教書Summis Desiderantesにおいて、ハシッシュの使用を魔術と結びつけた(Booth, 2003)。その様な例は、逸話的ではあるが大麻使用を巡る論争が新しい現象ではないことを示す。

大麻に関する規制のいくつかの前兆は、ヨーロッパの植民地支配時代に大陸自体の外側にではあるが、見出すことが出来る。1798年のナポレオンのエジプト侵略に続いて、1800年に彼は、兵士達にその植物の抽出物を吸引したり、飲んだりすることを禁止し、3ヶ月間の投獄の刑罰を課したことによって、大麻に対しておそらく最初の'刑法'を施行する。1870年代の南アフリカの法律は、1887年により厳しいものにされ、主として、インド人移民によるdagga(大麻)の使用は白人支配にとって危険であったという認識に応じて、彼らによるdagga(大麻)の使用と所持は禁止された(Booth, 2003)。インドでは、大麻の禁止法案は1838、1871、1877年に議題に上ったが、1894年のIndian Hemp Drugs Commissionによる3千ページに亘る広範囲な報告書のあとに最も名高く却下された。しかしながら、包括的な禁止の否認にも拘らず、様々なインドの市と州で大麻に対する税制や制限の割り当てが公布された(Booth, 2003)。

20世紀初期には、医薬品の分野において大麻製品に関する周知が普及したが(Lewin, 1924; Fankhauser, this monograph)、西ヨーロッパには第二次世界大戦の後まで有意な大麻の普及の証拠がほとんどない。大麻規制は、19世紀後半から20世紀の間の領域における国家的、国際的イニシアチヴの状況に最もよく見ることが出来る-特に、全般的に増大した医薬製品の管理と共にアヘン剤と関連づけられる。ヨーロッパでの規制は、大麻の医薬品としての使用を統制することに焦点を合わせたものであった。例えば、ドイツでは大麻に関する最初の合法的な法令は、1872年の薬局法令、インド大麻の販売が薬局に限られたときであった(この法令は1920年の時点でも有効であった) (see Fankhauser, this monograph)。

しかしながら、ギリシャとトルコやエジプトのような近郊の国々では、大麻の普及率が高く、強い法的な対応を招いた。ハシッシュの所持は1868年に死罪とされ、1874年には、大麻に対して税が課されたが、エジプト人以外は免除され、執行の問題から効果的ではなかった(Booth, 2003)。トルコでは、大麻を没収し、撲滅する全国的な運動が1877年にSultanによって始められ、1879年に輸入禁止令が課せられ、1884 年に大麻の栽培は刑事犯罪とされた。ギリシャでは、1890年に、貧困層の間でのハシッシュの使用に対する懸念に基づいて、大麻の栽培、輸入、使用が禁止された。それにも拘らず、ギリシャは1920年代まで、トルコとエジプトに対するハシッシュの主要な輸出国であった(Abel, 1980)。


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Source:Addiction neurobiology: ethical and social implications
EMCDDA, Lisbon, June 2009
A cannabis reader: global issues and local experiences
http://www.emcdda.europa.eu/attachements.cfm/att_53377_EN_emcdda-cannabis-mon-vol1-ch7-web.pdf

[ 翻訳:野中 ]

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