平成23年2月16日宣告 裁判所書記官 西村 農
平成22年(う)第1979号
判 決
本籍 **************
住居 不定
無職
KY
昭和29年1月17日生
上記の者に対する大麻取締法違反(変更後の訴因大麻取締法違反,関税法違反)被告事件について,平成22年9月24日に東京地方裁判所が言い渡した判決に対し,被告人から控訴の申立てがあったので,当裁判所は,検察官澤田正史出席の上審理し,次のとおり判決する。
主 文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中90日を原判決の刑に算入する。
理 由
本件控訴の趣意は,被告人及び弁護人土屋眞一作成の各控訴趣意書記載のとおりである(なお,弁護人は,被告人作成の控訴趣意書一の2の記載は,大麻取締法が違憲であることについての事情ないし理由を述べるもので,独立の控訴理由とするものではない旨釈明した。)から,これらを引用する。
被告人の論旨は,法令適用の誤りの主張であり,弁護人の論旨は,訴訟手続の法令違反,法令適用の誤りの主張である。
第1 訴訟手続の法令違反の主張について 論旨は,大麻が有害であることの根拠がないことを立証趣旨として原審弁護人がした厚生労働省医薬食品局監視指導・麻薬対策課課長国枝卓及び同省の外郭団体である財団法人麻薬・覚せい剤乱用防止センター専務理事冨澤正夫の各証人尋問請求を必要なしとして却下した原審の訴訟手続には,刑訴法298条,同規則190条1項,同法309条等に反する法令違反があり,その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。
そこで検討すると,上記各証人尋問請求を却下した原審の措置は相当であって,原審の訴訟手続に所論の法令違反は存しない。所論にかんがみ,以下に説明する。
すなわち,上記国枝及び冨田(原文ママ.正しくは「冨澤」.THC編集注)の各証人尋問請求は,大麻が有害であることの具体的根拠の不存在等を立証趣旨として行われ,その請求を却下した決定への異議申立は,「イギリスの下院科学技術委員会や全米科学医学アカデミーは,大麻にアルコールやたばこほどの有害性がない旨の報告をしている。」,「厚生労働省の担当者と上記財団法人の責任者を法廷に呼んでいただいて,一体大麻の有害性はどういうものか,本当に懲役刑に値するものか,それを是非検証していただきたい。」と述べる弁護人請求の原審証人白坂和彦の証言等も踏まえてなされたものであることが窺えるが,後記のとおり,大麻自体に有害性があることは公知の事実であって,このことは,弁護人請求に係る上記証人を始めとする各証拠によっても十分に窺われる上,上記国枝らが,それぞれ上記の各役職に就いているとはいえ,大麻の研究者等として,その有害性についての専門的知識を有していることも疎明されていないことに照らすと,大麻の有害性に関し,文献等の資料によるものではなく,自身の研究に基づいた確実な根拠のある証言をすることもさほど期待することができないものと認められるから,上記両名の各証人尋問請求を却下してこれを実施しなかった原審の措置は相当であって,これが刑訴法及び同規則の上記各条項に反する違法なものであるとはいえない。論旨は理由がない。
第2 法令適用の誤りの主張について
被告人の論旨は,(1)我が国で喧伝されてきた大麻の薬害や社会的な害は誹謗,中傷にすぎず,その使用やそれにつながる輸入等の行為を刑罰で規制する合理的根拠はなく,また,大麻の有害性は,酒やたばこのそれと比較して低いのに,酒やたばこに懲役刑がなく,大麻に懲役刑を科していることは罪刑の均衡を失しているから,大麻取締法は憲法13条,14条,31条に違反する,(2)被告人は,大麻の薬理効果が自身にとって無害であるだけでなく,有益であると知って使っており,大麻を使用することは自決の権利(憲法13条)であって,大麻取締法を大麻に親和している被告人(大麻を使っても精神的身体的に悪影響を受けない者)に適用することは,被告人の幸福追求権,自己決定権を侵害するものであるから,被告人の本件行為に大麻取締法を適用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというものであり,弁護人の論旨は,(1)①大麻の有害性は,合法化されているたばこやアルコールのそれと比較して極めて低く,その使用の自由は,憲法13条の幸福追求権の1つとして保障されるべきであり,公共の福祉によってこの基本的権利を制限する立法制定の合理性がないから,大麻の自己使用目的の輸入をも禁止する大麻取締法24条1項及び関税法109条3項,1項,69条の11第1項1号(関税法109条1項については,平成22年法律第13号附則2条による改正前のものを指す趣旨と解される。以下「大麻取締法等関係条項」という。)は,憲法13条に違反する,②大麻使用者が,自己使用のため,たばこやアルコールよりも有害性の低い大麻を輸入しても,大麻規制の目的である人の健康状態の維持・改善に利することがないのみならず,国民の福祉・衛生の向上にもほとんど関係がない上,大麻の自己使用は,自己決定権に係る事項であり,たばこやアルコールよりも少ない身体的影響があるとしても,使用者の健康に係る問題であり,自分自身が納得の上で使用するものであるから,国がパターナリズムから介入して制裁を科す場合には,一層謙抑的である必要があるのに,大麻取締法等関係条項が,大麻の自己使用につながる輸入行為を罪として,これに7年以下の懲役刑を定めていることは,罪刑の均衡を著しく害し,適正手続の保障を定める憲法31条に違反する,③たばこやアルコールを自己使用目的で輸入した者についての規制と比較して,これらより有害性が極めて低い大麻の輸入等につき懲役刑を科する大麻取締法等関係条項は,法の下の平等の原則を定める憲法14条1項に違反する,(2)仮に大麻取締法等関係条項が合憲であるとしても,①被告人にとって大麻は無害であるから,本人自身の健康の侵害はなく,また,被告人に1年2月の懲役刑に科すことと国民の保健衛生向上との間には合理的な関連性がないから,被告人に上記懲役刑を科すことによる利益は全くない反面,被告人は,本件科刑により,憲法13条に保障される自由を長期間奪われ,幸福追求権・自己決定権という基本的人権の重要部分を奪われるのであるから,被告人の原判示の所為(以下「本件行為」という。)に大麻取締法等関係条項を適用して前記懲役刑を科すことは憲法13条に違反する適用違憲である,②大麻の使用が無害である被告人が自己使用目的で大麻を輸入する行為は,大麻取締法等関係条項の罪に該当するが,実質的にはその罪の保護法益を侵害しないから,被告人に対し,懲役1年2月の実刑を科して長期間にわたり身体の自由を奪うことは,その重要な人権を侵害することになり,両者を比べると罪刑の均衡を著しく害しており,適正手続を保障する憲法31条に違反する適用違憲であるから,本件行為に大麻取締法等関係条項を適用した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
上記でみたとおり,被告人の論旨は,弁護人の論旨に包摂されていると認められるので,以下では,主に弁護人の論旨について検討することとするが,大麻取締法等関係条項が憲法13条,14条1項,31条に違反する無効なものではなく,また,本件行為に大麻取締法等関係条項を適用することが憲法13条,31条に違反するものではないと認められるから,原判決に所論の法令違反は存しない。所論にかんがみ,以下に説明する。
1 大麻取締法等関係条項が憲法13条に違反するとの主張について
(1) 大麻が,各種の精神薬理的作用を有し,その使用が人体に有害なものであることは公知の事実である。このことは,大麻の有害性を前提に,大麻取締法が憲法13条,14条,31条等に違反しないとした昭和60年9月10日最高裁判所決定後に公表等されている原審各弁号証によっても窺うことができる。すなわち,大麻の有害性は,信頼されている医学書の1つであると紹介されている原審弁3号証に,大麻は,その使用により多幸感をもたらし不安を低下させる作用があるものの,その大量使用や(使用を)やめられないという報告はまれで,社会的又は精神的な機能不全を示す証拠はなく,重大な生物学的影響があるとする主張の大部分は確認されていないとの記述がある一方で,大麻を吸うと意識が夢幻状態になり,観念がばらばらに,不安定になり,自由に流動するように思える,特に初めて使用した場合にパニック反応や妄想が起こることがあり,また,コミュニケーション能力と運動能力の低下,深部感覚や追跡の障害及びタイミング感覚の変容が生じ,これらがある種の状況(車の運転,重機の操作)では危険である,統合失調症患者では,精神病症状が悪化又は促進されることがあり,抗精神病薬治療を受けている患者でも同様のことが見られる,大量使用者では肺の症状(急性気管支炎,喘鳴,咳及び粘液分泌過多のエピソード)が発現し,更に肺機能が障害されることがある,大麻しか使用していない人々では肺ガンは報告されていないが,気管支組織の生検では時に前ガン性変化が見られた,少数の症例対照研究では,長期多量使用者の少数サンプルにおいて認知機能低下が認められた,また,長期的使用により心理的依存が生じうる旨の記載があること(原審記録154,175丁),前記麻薬・覚せい剤乱用防止センターのホームページにある薬物情報の見直しを求める要望書(前記白坂和彦作成名義)である同弁第17号証にも,急性の影響においては,認知障害,記憶障害があることは知られている,大麻の使用は,副鼻腔炎,咽頭炎,気管支炎の原因となり得るようである,狭心症患者において胸痛が起こりやすくなる,心筋梗塞のトリガーとなり得るという報告があり,虚血性心疾患などの既往があるものに関しては注意が必要である,妊娠中の大麻使用が問題ないとはいえない,大麻の大量,長期使用者においてやる気がなくなる可能性がある,初心者が大量に大麻を接種した後などに,急性・亜急性に幻覚・妄想などの異常体験,情動不安,記憶障害,失見当識,離人症,離人症を伴った錯乱状態を起こすことがあり,抑うつ状態となることもある旨の記載があることからも裏付けられるほか,さらに,大麻の使用が,身体的・精神的にどのような悪影響を及ぼすかについてなお調査・研究中であって,最終的な結論が出ていない状況にあることも認められる(原審記録225ないし245丁)。
(2) このように,大麻が人体に軽微とはいえない害をもたらす有害物質であることが認められる上,大麻には,現在判明している以外にも,人の健康に害を及ぼす可能性があることが指摘されていることに照らすと,大麻使用の自由が憲法13条で保障されている幸福追求権の1つとは直ちにいえないし,国が,国民の生命・身体に対する保健衛生上の危害を防止し,公共の福祉の増進を図ることを目的として,立法政策として,大麻の輸入等を法律で規制し,その違反に対して刑罰をもって臨むことは,相当であると認められるから,大麻取締法等関係条項が憲法13条に違反するものでないことは明らかである。
(3) 所論は,大麻が合法化されているたばこやアルコールよりも害が少ないことを前提に,大麻取締法等関係条項が憲法13条に違反するというのであるが,大麻の有害性には,上記のとおり看過しがたいものがあるから,その害が,仮にたばこやアルコールより少ないとしても,後記2,3で検討する大麻とたばこ・アルコールとの相違などを考えると,立法政策として,大麻の輸入行為を規制し,その違反に刑罰を科すことは,憲法13条に違反するものとは解せられないから,所論は理由がない。
大麻取締法等関係条項が憲法13条に違反する旨の所論は理由がない。
2 大麻取締法等関係条項が憲法31条に違反するとの主張について
上記のような大麻の有害性にかんがみると,大麻の使用につながるその輸入を放置することは,たとえそれが,大麻使用者が自己使用のためにするものであっても,国民の生命・身体に対する保健衛生上の危害を発生させ,公共の福祉を害する原因となることが明らかであるから,大麻の輸入を規制し,その違反について7年以下の懲役刑(及び選択的に3000万円以下の罰金刑の併科)をもって臨んでいる大麻取締法等関係条項が憲法31条に違反するものとは到底いえない。
所論は,大麻がたばこやアルコールよりも害が少ないことを前提に,大麻の輸入に対して上記のような懲役刑をもって臨んでいる大麻取締法等関係条項が憲法31条に違反するというものであるが,大麻の有害性については前述したとおりであるばかりか,大麻とたばこや酒とは人体に対する作用の面でかなり異なり,それらの有害性の程度を単純に比較することは適当とはいえない上,たばこや酒は古くから嗜好品として親しまれ,その使用が社会に承認され,それなりの効用も認められ,その有害性も広く知られ,それに対する対策もそれなりに講じられているのであり,その点において大麻とは相当に事情を異にするのであるから,所論は理由がない。
また,所論は,大麻の自己使用は自己決定権に係る事項であることを強調するのであるが,上記のような大麻の有害性にかんがみると,その輸入を規制し,その違反について懲役刑をもって臨んでいる大麻取締法等関係条項は,国民の生命・身体に対する保健衛生上の危害の防止を責務とする国の施策として合理的なものであって,公共の福祉に叶うものと認められるから,この所論も理由がない。
さらに,所論は,欧米諸国における大麻の自己使用目的所持の非犯罪化,非刑罰化傾向を指摘し,このような傾向等から窺われる大麻の有害性の低さにかんがみれば,大麻の輸入に対して懲役刑を科すことは憲法31条に違反する旨主張するのであるが,薬物規制の仕方が各国々の諸事情から異なることになっていても一概に不合理とはいえない上,自己使用目的による大麻所持を刑事罰から解放している国の1つとして挙げられているポルトガルでは,大麻だけではなく,人体に対する有害性が高いことが明らかなその他の規制薬物の自己使用及び自己使用目的の所持についても刑事罰を科さない取扱いをする一方,規制薬物の密売買については依然として起訴措置を取っている旨の報告がある(原審弁第14号証)ことからすると,同国らが自己使用目的の大麻所持を刑事罰から解放していることは,それが刑事罰を科すほどの害がないというだけの理由によるものではなく,何らかの政策的配慮があってのことであることが窺えるのであるから,所論は前提を欠くものというべきであるし,大麻の密輸は,違法性が高く,取締りの必要性が強い犯罪であるから,それに対して上記のような懲役刑を科すこととしている大麻取締法等関係条項には十分な合理性が認められ,これが憲法31条に違反するものとは到底いえない。この所論も理由がない。
大麻取締法等関係条項が憲法31条に違反する旨の所論も理由がない。
3 大麻取締法等関係条項が憲法14条1項に違反するとの主張について
大麻とたばこや酒との間には上記のような差異があるのであるから,たばこと酒の輸入を許容する反面,大麻の輸入を規制し,その違反に対して7年以下の懲役刑等をもって臨んでいる大麻取締法等関係条項は,合理的な理由によって両者の取扱いを異にしていると認められるのであって,これが憲法14条1項に違反するものともいえない。
大麻取締法等関係条項が憲法14条1項に違反する旨の所論も採用できない。
4 本件行為に大麻取締法等関係条項を適用したことが憲法13条違反になるとの主張について
大麻が人体に有害な物質であることは,さきに判示したとおりであるから,被告人にとって大麻が全く無害だとは考えられないのであって,被告人及び弁護人の各所論は,大麻の有害性が被告人に顕在化しているとはいえないという限度で受け入れる余地があるものにすぎない上,このような被告人による大麻の輸入を放置することは,大麻の乱用による保健衛生上の危害を発生させ,ひいては,公共の福祉を害する結果になることが明らかであるから,本件行為に大麻取締法等関係条項を適用して被告人に懲役刑を科した原判決は正当であって,これが憲法13条に違反する適用違憲となるものとはいえない。
本件行為に大麻取締法等関係条項を適用したことが憲法13条違反になるとの所論も採用の限りではない。
5 本件行為に大麻取締法等関係条項を適用したことが憲法31条違反になるとの主張について
上記のように,大麻が有害であることは明らかであり,本件行為が大麻取締法等関係条項に該当するばかりか,さきのとおり,実質的にもその保護法益を侵害していることが認められるから,本件行為について上記条項を適用した上,被告人を懲役1年2月に処した原判決は正当であり,これが憲法31条に違反する適用違憲であるとは到底いえない。
本件行為に大麻取締法等関係条項を適用したことが憲法31条違反になるとの所論も到底採用できない。
以上のとおりであって,原判決に法令適用の誤りがある旨の論旨も理由がない。
なお,被告人及び弁護人の各所論は,原判決が,争点に対する判断の項において,「大麻はその薬害等の詳細がいまだ十分解明されていない」と判示するだけで,その有害性については全く触れないまま,大麻の輸入の規制等が憲法13条等に違反しないなどとしている点を非難する。原判決の上記説示が,やや言葉足らずであることは否めないものの,原判決が,上記説示に続いて,大麻取締法が憲法13条,14条,31条に違反していないなどとしていることに照らせば,上記説示は,大麻の有害性が明らかなことを前提にした上,その薬理作用がいまだ十分に解明されていないということをいうものと解されるから,各所論は理由がない。
また,原判決は,「法令の適用」の項において,科刑上一罪の処理について,「刑法54条1項前段,10条(犯情の重い大麻取締法違反の罪の刑で処断する。)としているが,これは,「刑法54条1項前段,10条(犯情の重い大麻取締法違反の罪の刑で処断することとするが,罰金刑の任意的併科については関税法違反の罪について定めたそれによる。)とし,さらに,「刑種の選択」として,「懲役刑を選択する。」旨を明記するべきであるが,この誤りは判決に影響を及ぼさない。
よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,当審における未決勾留日数の算入について刑法21条を,当審における訴訟費用を被告人に負担させないことについて刑訴法181条1項ただし書をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
平成23年2月16日
東京高等裁判所第5刑事部
裁判長裁判官 安井久治
裁判官 鈴木秀行
裁判官 衣笠和彦
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