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大麻取締法違憲論裁判 > KYさん事件簿
上告趣意書(弁護人による)
KYさん事件簿 : 投稿者 : THC編集部 投稿日時: 2011-06-20

平成23年(あ)第394号
大麻取締法違反、関税法取締法違反被告事件

被告人 KY

上告趣意書

2011年(平成23年)6月20日

最高裁判所 第2小法廷 御中

上記の者に対する頭書被告事件につき、弁護人の上告の趣意は下記のとおりである。


主任弁護人 金井塚 康弘
弁護士 南 和行



第1 本件事案の概要
 1 本件は、大麻取締法違反ほか被告事件であるが、大麻取締法による規制が不合理であること、違憲であること、すなわち、自己使用のための大麻の輸入や所持に懲役刑を科すことは、そもそも法令違憲であり、また、自分を見つめなおし世界の見方を再構築するために大麻を使用している被告人の選んだ生き方に対して刑をもって臨むことは、被告人の自決の権利(自己決定権)を侵害し適用違憲であること等を主張している被告人が、公然と大麻を輸入して問題提起をして、現行のわが国の大麻規制を合理的なものへと法改正させるために行っている行為を、公訴事実としている事案である。

 2 すなわち、被告人が、自己使用目的で、平成22年2月15日(現地日時)にタイ王国内の郵便局から、大麻である乾燥植物片約2.01グラムを入れた郵便物1個を航空小包郵便として東京都台東区上野郵便局留めの自己宛てに発送し、同月17日、航空機に積み込ませ、同国内空港から千葉県成田市所在の成田国際空港内駐車場に到着させ、事情を知らない同空港作業員にこれを航空機機外に搬出させて日本国内に持ち込み、もって大麻取締法が禁止する大麻の日本国内への搬入を行うとともに、引き続き、同月18日、郵便事業会社東京国際支店EMS・小包郵便課検査場において、検査を受けた際、前記大麻が発見されたため、前記郵便物の配達を受けることができず、その輸入の目的を遂げなかったことに対して、大麻取締法違反及び関税法違反として、刑事事件としている事案である。

 3 第1審判決は、被告人に懲役1年2月、押収物の没収を言い渡した。被告人は、この判決が、およそ被告人の提起した問題点に対して答えず、まっとうな理解ができて納得のできる内容のない判決であったので控訴したが、原判決は、何ら証人等の取り調べをすることもなく、弁護人、被告人の各論旨には理由がないとして、被告人の本件控訴を棄却した。特に、大麻の「有害性」を主張している責任者の尋問もなく、被告人の主張を排斥する第1審および原審の不合理性、理不尽性は、まともな回答もないまま被告人に懲役刑を科すのであるから、被告人としては、実にやり切れない思いである。

 第2以下に詳述するように、原判決には、違憲の謗りをまぬがれない点が多々あり、破棄、差し戻しをして、審理が継続されなければ、正義に反するといわなければならない。

第2 原判決の憲法違反等について
 1 原判決には、次のような数々の憲法違反がある。
(1) そもそも大麻取締法は、立法目的が不明である。本来は農作物規制法であったものを進駐軍の要請で、戦後、薬物規制法に衣替えしてしまったが、わが国では、嗜好品として使用する伝統はないものの、万葉の古来から庶民生活に親しまれてきた大麻を、規制を根拠付ける立法事実も明らかにしないまま薬物規正法として運用して規制するのは、罪刑法定主義、適正手続の保障、罪刑均衡の原則等(憲法13条、31条)に違反し、文面上無効であるといわねばならない。

 大麻を他の麻薬や向精神薬等と同じように「規制薬物」などとひと括りにして同じような規制をしようとするのは、異なるものを一緒くたにするもので、国際的な規制のルールとも齟齬し杜撰である。

(2) また、特に、自分を見つめなおし世界の見方を再構築するために大麻を使用している被告人の選んでいる生き方(生活信条、ライフスタイル)に対して刑、とりわけ懲役刑をもって臨むことは、被告人の自決の権利(自己決定権)(憲法13条)を侵害し、違憲である。

(3) さらに被告人の請求する証拠調べをせずに、被告人提出証拠の片言隻句を抜き書きするなどして(たとえば、「△△の問題事例が報告されているが、□□の有用性等に鑑みれば、総合的には許容されるべきである」というような論旨において、有用性の指摘部分や結論部分は抜きにして、前半部分のみ取り出して、被告人提出書証にも有害性が認められている等と認定するような)、他人の褌で相撲を取るが如しといおうか、手抜きで子どもだましの理由付けで大麻取締法の合憲性を是認していまう判決文は、被告人の市民的不服従の権利(憲法12条)を侵害する重大な違憲性がある。

 2 これらに併せて、原判決には、著しい審理不尽の違法性がある。
 よって、原判決は破棄された上で差戻しを免れないと思料する。

第3 罪刑法定主義、適正手続の保障、罪刑均衡の原則等(憲法13条、31条)の違反について
 1 そもそも大麻取締法は、その法律自体に立法目的を明文化して掲げておらず、その適用における司法審査を不可能たらしめている。罪刑法定主義、適正手続の保障、罪刑均衡の原則等(憲法13条、31条)に違反しており文面上違憲として無効である。

 一般に多くの法令が、その第1条等において、当該法律の立法目的や取締の意義を明文化し掲げている。それは、司法が明文化された立法目的を中心に、国家権力による刑罰権限の発動を個別に審査し、もって取締権限の濫用を抑制するためである。

 しかしながら大麻取締法は、第1条はおろか、いずれの条文においても、立法目的および規制、取締の意義を明文化していない。

 その結果、大麻取締法は、国家権力による刑罰権限の発動の適否を、裁判所が立法目的に即して判断し、取締権限の濫用を適切に抑制することを不可能たらしめているものである。

 2 よって、大麻取締法は立法目的および取締の意義を明文化しておらず、法構造的に裁判所による司法審査を事実上不可能たらしめているので、刑罰法規適用における適正手続等と司法審査を保障した憲法13条、31条に違反し、文面上違憲である。

 そもそも、薬物に限らず、およそ合法的な医薬品・化粧品・食品・嗜好品などを含むいかなる物質であっても使い方や使用量を誤れば人体に有害に作用するものであり、何らかの作用のあるものの有害性を完全に否定することは不可能である。「有害性を否定できない限り」およそ国会の立法裁量でどのような立法も原則合憲であるとするなら、裁判所は不要であると言わねばならない。

 有害性があるとしても、それが、刑罰を伴う程の規制が必要なほど強度に有害な実質があるのかどうかは、法定手続の保障、適正手続の保障、罪刑均衡の原則等から慎重に考量、判断されるべきなのである。

 3 ここで、大麻の取締が、現状のような刑罰規制まで必要としている立法事実があるのか、検討の必要性について付言する。

 まず、刑罰を伴う規制にするのが適当か否かであるが、懲役刑の下限が覚せい剤取締法等と比較すると重くはないとされているが、刑の下限論で言えば、選択刑としての罰金刑がないことは、欧州の立法例等と比較して、重きに失するとつとに指摘されている。

 大麻取締法は、大麻の栽培、輸出入について懲役7年以下、所持、譲渡について懲役5年以下という重罰が規定され、選択刑としての罰金刑が予定されていない(罰金は併科される)。麻薬と同列に扱っているが、国際的にも、大麻は麻薬ではなく、規制のレベルは異なった取り扱いがなされている。

 そもそも、この大麻取締法の保護法益は判然としない。先にも述べたが、他の規制法令(毒物及び劇物取締法1条や麻薬取締法1条等)のような目的規定がないため法文上明確ではないからである。通常「国民の保健衛生」であると考えられているが、しかし、国民の保健衛生といった抽象的な概念が刑罰による規制の保護法益とされていること自体問題である。

 また、アルコールやタバコが、大麻の吸煙以上に保健衛生上害があり、健康上有害であることが医学的にも明らかな物質があるが、なぜ大麻が、それらの物質よりもより強く規制されなければならないかという点も全く不明確であり、不合理極まりない。未成年者に対する規制さえしておけば足りるのではないかということは、煙草、アルコールの規制と比較すれば容易に分かることであり、欧州などの国際的法規制とも整合する。

 大麻取締法は、1948年(昭和23年)制定されたが、当時わが国に自生していた大麻草を米軍兵士が使用することを危惧したGHQの要請で農作物規制法を一方的に衣替えして現行の取締法規が制定されたと考えられるのみで、その法律を支える立法事実はまったく不明確である。

 立法当時はもとより、また、現在においても、強い刑罰を伴う規制を、未成年者のみならず、成人に対してまで必要とする立法事実は希薄である。少なくとも十分に医学的・科学的な根拠のある議論、また、国民的な議論を経ているとは、とても言い難い状況である。    ちなみに、同法受理人員数は、検察統計年報によれば、統計資料のある1951年(昭和26年)以降、1962年(昭和37年)まで、1952年(昭和27年)を除き年間わずか50件以下であり、その後100件台になり、1964年(昭和39年)から1969年(昭和44年)までは400件まで、1970年(昭和45年)以降、800件から70年代に1000件に達するも、1500件前後を推移していた。2003年(平成15年)頃より、1500件より増加する傾向にあり、現在は、大学生の大麻汚染、大相撲大麻汚染等が報じられているように一般化するようになり、2009年(平成21年)には3000件を超える増加傾向になっている。欧州等で成人の自己使用が解禁されていることが大きく影響しているものと推察される。

 一定の増加傾向であるとするならば、なおのこと、現行の規制が本当に必要なのか、どのように規制すべきかなど、欧州のように非犯罪化も視野に入れて議論がなされなければならない。

 裁判所による現時点での立法事実の詳細かつ慎重な検討が急務である。
 原判決は、被告人、弁護人が提出した検察官の杜撰な有害性立証の資料に反論を加えた、最新の世界的な大麻に関する医学的、科学的地知見を表面的にしか拾い上げておらず、また、被告人側の証人申請を却下しており、立法事実の認定としては、極めて杜撰で失当である(さらに、上告審においても、最新の世界的な大麻に関する医学的、科学的地知見に関する証拠を追加する予定である)。

第4 自決の権利、自己決定権(憲法13条)の侵害について
 1 被告人の行為の意義
   前述のとおり、被告人は、タイ王国から本邦に、郵便小包により大麻を持ち込み搬入したことについて、大麻取締法24条1項が禁止する大麻輸入の犯罪行為等をしたとされ有罪の判決を受けた。
 しかし被告人は、営利の目的ではなく、純粋に自己使用の目的で大麻を輸入したものであり、それは約2グラムという輸入量をみても容易に首肯できる。被告人の如き純粋に自己使用目的での大麻の輸入をも一般的に一律に禁止する大麻取締法24条1項は、不必要な過度の規制をして被告人の自決の権利、自己決定権(憲法13条)を侵害するもので、許されない。

 2 憲法13条の趣旨
 憲法13条は、いわゆる幸福追求権を具体的に国民に対して保障する規定といわれているが、具体的にどのような権利・自由が、「幸福追求権」として保障されるのかについては,「人格的自立の生存として自己を主張し,そのような存在であり続ける上で必要不可欠な権利・自由を包摂する包括的な主観的権利である」(佐藤幸治「憲法〔第3版〕」445頁)と解するが通説である。

 その内容としては、(1)生命・身体の自由、(2)精神活動の自由、(3)経済活動の自由、(4)人格価値そのものにまつわる権利、(5)人格的自律権(自己決定権)、(6)適正な手続的処遇を受ける権利、(7)参政権的権利、(8)社会権的権利等に類型化できるとされている(佐藤前掲449頁)。

 最高裁判所の判例も同条の趣旨を繰り返し述べてきている。「国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定している」と述べ肖像権(みだりに容ぼう等を撮影されない自由)の保障に言及した(最高裁昭和44年12月24日大法廷判決:京都府学連事件)。また、「喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれる」と判示し(最高裁昭和45年9月16日大法廷判決)、さらに、酒類製造免許制の合憲性に言及した判例では、「これにより自己消費目的の酒類製造の自由が制約されるとしても、・・・、憲法31条、13条に違反するものでない」と判示し(最高裁平成1年12月14日判決:どぶろく裁判事件)、喫煙の自由や自己消費目的の酒類製造の自由が憲法13条の保障の下にあることを前提とした判示をしている。さらにまた、患者の宗教上の信念に関わるものであるが、「輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」として患者の意思決定権侵害に対する不法行為を認めている(最高裁平成12年2月29日判決:エホバの証人輸血拒否事件)。「人格権」が憲法上は13条を根拠にするものであることから、上記を「患者の自己決定権」について判示したものと評価する学説もある。

 すなわち、これら憲法13条についての判例及び通説の解釈からは,個々の行為が憲法13条で保障された幸福追求権に含まれるかどうかは、あくまでも行為者の人格価値、人格的自律権保障の趣旨から個々の行為がその者にとっての幸福追求という主観的な価値をいかに有するかにより判断されるべきであると解されるのである。

 そうすると、本件においても、大麻取締法24条1項が禁止する自己使用目的の大麻の輸入行為についても、輸入行為をしようとする者における当該行為に対する主観的な価値により、それが幸福追求権に含まれ憲法13条で保障されるかどうかを検討すべきである。

 3 被告人の大麻輸入行為が憲法13条で保障されること
 そもそも基本的人権は「公共の福祉に反しない限り」「最大の尊重を要する」のであり(憲法13条)、とりわけ自律的個人の幸福追求権、自己決定権(ライフスタイルを選べる権利、自らの望む生活、食物、医療等を受ける権利)は、各種人権の源ともいうべき包括的権利であり、最大限保障されるべきで、刑事罰、特に懲役刑による規制は人の身体,行動の自由に対する重大な制約を加えることになり許されず、人権保障の観点から必要最小限のものとされなければならない。

 純然たる嗜好品としての大麻の自己使用も憲法13条の幸福追求権、自己決定権(ライフスタイルを選べる権利、自らの望む生活、食物、医療等を受ける権利)の一として保障されるべきである。

 被告人の本件事件にかかる大麻の輸入が、純然たる自己使用の目的であったことは、原審までの証拠より明らかである。

 特に被告人は、被告人作成の上告理由書でも引用する原審での被告人質問において、「自分を見るため自分を知るために大麻を使っています自分の内面をよく理解し自分を客観的に眺めることは普遍的な条理を知ることにつながるからです。私は自分を見つめることでこの世界を理解したい。そして、できることなら、それを人に伝えたい。これは私の生き方です。大麻は私が自分の内面を知るために必要なものなのです」と述べている(被告人作成上告理由書11頁)。

 このように、大麻愛好家たる被告人にとって、大麻の使用は単純な嗜好行為に過ぎないものではなく、自身の内に潜む普遍的な価値観の発見であり、自己実現の行為、すなわち被告人が被告人として生きるための核心を形成する行為なのである。

 このような被告人にとって、大麻の自己使用は、人格的生存に必要不可欠な行為であり、その自由は、より一層、憲法13条が保障する幸福追求権に含まれる人権でなければならない。

 そうだとすると、被告人が純然たる自己使用目的で、大麻を本邦に輸入する行為も、自己決定、自己実現としての大麻自己使用の当然の前提行為であり、憲法13条により保障されるというべきである。

4 大麻取締法24条1項が憲法13条違反であること
 それにも関わらず、大麻取締法24条1項は,「みだりに」大麻を栽培,輸入もしくは輸出する行為に罰則を科し、真摯な大麻愛好家の、純然たる自己使用を目的とする輸入についても、これを一律に禁止している。

 たしかに、大麻にはある種の薬理作用があることは事実であり、被告人もそれを否定しないし、煙草やアルコールのように、社会秩序の安定が害されることを回避する目的で、公共の福祉の範囲内で、国家が一定の基準によりそれを管理・規制する必要性はあるといえなくもない。

 しかし、前述のとおり、多くの芸術家や被告人を含む大麻愛好家らにとって、特に、大麻の使用は単純な嗜好行為に過ぎないものではなく、自身の内に潜む普遍的な価値観の発見であり、自己決定、自己実現の行為であるのだから、それに対する制限は、合理的で、必要最小限度の規制に留められるべきである。

 いうなれば、憲法13条が保障する大麻の自己使用の自由は、被告人ら大麻愛好家にとっては、思想であり生き方そのものであるから、憲法19条が保障する思想および良心の自由や、憲法21条1項が保障する表現の自由と、比肩する価値をもって尊重されねばならない基本的人権なのである。

 そうであれば、営利目的の大麻の栽培や輸出入等、社会秩序を害し公共の福祉を害する行為のみを規制すれば足りるにもかかわらず、公共の福祉の問題の生じない純然たる自己使用目的の輸入すら幅広く一律に禁止する大麻取締法24条1項の規定は,合理的な必要最小限度の規制とは到底言えず、憲法13条の自己決定権、幸福追求権を侵害して違憲である。

第5 市民的不服従の権利(憲法12条)の侵害について
 1 被告人の行為の意義
 前述のとおり、被告人は、タイ王国から本邦に、自己使用目的で郵便小包により大麻を持ち込み搬入したことについて、大麻取締法24条1項が禁止する大麻輸入の犯罪行為等をしたとされ有罪の判決を受けているが、被告人は、この行為を、逃げも隠れもせず、ウエッブサイトを通じるなどして、公然と行っており、大麻規正法の不合理性を明らかにするための行為として行っている。

 これは、非暴力の市民的不服従の権利(憲法12条)として行っている行為であり、この意義を正解せずに十分な理由も明らかにしないで刑罰でのぞむことは、被告人の市民的不服従の権利を侵害するものである。

2 憲法12条の趣旨
 憲法12条は、「この憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と国民の不断の憲法保持義務を規定する。「最高法規」である憲法が保障する自由及び権利は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり(同97条)、現在の国民もこの遺産の上に安住することは許されず、国家権力による侵害のないように不断に監視し、自分の権利侵害に対して闘うのみならず、他人の権利のための闘争も支持する義務を課しているものである。

 この規定は、立憲主義憲法の一局面として、政府、国家機関が権力を濫用し、立憲主義憲法を破壊した場合に、国民が自ら実力をもってこれに抵抗し、立憲主義法秩序の回復をはかることのできる権利、すなわち、抵抗権の趣旨を明らかにしたものと解されている(例えば佐藤前掲書51頁以下)。権力と自由の間には不断の緊張関係があり、立憲主義法秩序を維持するためには何をしなければならないか。非実力的、非暴力的法違反行為としての「市民的不服従」や時としてこの「抵抗権」のように実力による闘争が必要であることを、国民に対し憲法内在的に自覚が促されていると解されている。

3 市民的不服従の権利の意義・内容
 抵抗権は、実力を伴う闘争であるが、市民的不服従は、法違反行為でありながら非実力的・非暴力的なところに特色があり、抵抗権より、より現実的で具体的な立憲主義的意義を持つと言われている。

 すなわち、憲法12条の保障する市民的不服従ないし市民的不服従の権利は、立憲主義憲法秩序を一般的に受容した上で、異議申立の表現手段として法違反行為を伴うが、それは、「悪法」を是正しようとする良心的な非暴力的行為によるものであるところに特徴があり、そのような真摯な行為の結果「悪法」が国会において廃止されたり、裁判所によって違憲とされて決着をみることがあり得、そのことを通じて、法違反行為を伴いながらかえって立憲主義憲法秩序を堅固なものとする役割を果たし得る。正常な憲法秩序下にあって個別的な違憲の国家行為を是正し、抵抗権を行使しなければならない究極の状況に立ち至ることを阻止ないし回避するものとして注目されている(佐藤前掲書53-54頁ほか)。

4 市民的不服従の権利の歴史的・思想的背景
 市民的不服従(civil disobedience)という言葉を最初に使用したのは、アメリカの作家のヘンリー・ディヴィッド・ソローといわれている。ソローは、度襟制度や対メキシコ戦争への反対の意思表示として納税を拒否し、この市民的不服従の考え方を提唱した。

 市民は、所属する社会の秩序を守って生活することが求められているが、しかし、国家の法律、命令によって、何かをなすことを求められたときに、それが、自己の良心と背反する場合、個人は、どのように行動すべきかという問題が生じる。その際に自らの行為の正当性を確信し、非合法行為であることを自覚しつつ法律、命令に背く行為が、市民的不服従であるとされている(ソロー『市民政府への抵抗』1849)。市民的不服従は、現行の「不正」に抗議し、それを告発、是正しようとする行為である点において、「正義」実現へのひとつの試みであり、一種の顕著な政治参加であるという。「もし、その不正が、否応なく諸君を他人に対する不正行為へと駆り立てるような性質のものであるならば、そのときこそ法律を犯すべきだと私は言いたい。・・・私が実行すべきは、自分が非難している不正には手を貸さない」ということであるという。

 マハトマ・ガンジーは、ソローの論文から着想を得て、独立運動のためさらに非暴力抵抗運動の主要戦術、主要思想としての市民的不服従を提唱するに至った。「市民的不服従は、市民が市民であろうとする市民の本来的権利である。これには規律、思想、責任、留意、犠牲(discipline、thought、care、attention and sacrifice)が必要である」と。

 社会思想家のジョン・ロールズは、「正義論」の中で、市民的不服従を「通常、法や政府の政策を変えさせることをねらってなされる行為であって、法に反する、公共的、非暴力的、良心的、かつ政治的な行為」と定義している。

 論者により異なる点はあるが、概ね、対象の特定性、目的の公共性、方法の非暴力性の3点に要約されている。

 市民的不服従を行う正当性の根拠は、(1)抵抗権の行使、および、(2)市民の政治参加の2点にあるとされており、正義にかなった政治構造は一般市民の正義感覚によって不断にチェックされなければならず、「訴えの最終審は、裁判所でも、行政府でも、また、立法府でもなく、選挙民全体なのである」(ロールズ)とされている。民主制の下では、法は多数者の意思によって決定される。多数決の暫定的性格に鑑みれば、法の妥当性は絶対的ではあり得ない。また、考えの異なる者(少数者)に対する寛容は、民主制が機能する前提であり、多数決の暫定的決定が一応の正当性を持つためには、多数決による政治が、個人の人格の核心となる良心までも侵害しないことが確保されなければならないのである。

5 市民的不服従の権利の行使の側面としての被告人の権利
 被告人による本件輸入行為は、可能な限り適法行為として行いながら、市民的不服従行為として、公然と法違反行為を行い、その裁判の過程で、大麻の有効性、有用性に関する立法事実を検証して行き、「悪法」である大麻取締法規制の緩和、廃止を訴えていくもので、非暴力的で良心的な、また、真摯な「悪法」の改廃是正運動であったと評価できる。    だとすれば、被告人の行為を「悪法」の改廃是正の市民的不服従の行為である側面をことさらに無視して実質的な内容を吟味せずに、形式的な法違反行為としてのみ評価し処断することは、失当の謗りを免れない。被告人の良心、正義心の発露であり、市民的不服従の権利の行使である行為を敢えて無視して裁くことは、市民的不服従の権利の侵害であるといえる。

 かつて、基地闘争の事案で、傍論としてではあるが、「抵抗権」の行使が検討された事案において、「不法であることが客観的に明白」であり、「憲法法律等により定められた一切の法的救済手段がもはや有効に目的を達する見込みがなく、法秩序の再建のための最後の手段として抵抗のみが残されている」場合に「抵抗権」の行使としての実力行使が認められると判示されたことがあるが(札幌地判S37.1.18、下刑集4巻1、2号69頁)、抵抗権と異なり実力や暴力を伴わない市民的不服従が認められる要件は、より緩やかなものと解されなければならない。

 被告人の輸入量からそれは明らかであるが、自己使用のみを目的とした輸入行為であることを考慮に入れて、被告人の行為の適法性、違法性が慎重に審査されなければならない。

第6 結 語  1 よって、以上により、原判決は、適正手続きの原則、罪刑均衡の原則(憲法13条、31条)に反し、被告人の自決の権利、自己決定権(憲法13条)を侵害し、および、被告人市民的不服従の実践ないし市民的不服従の権利(憲法12条)を蹂躙しているので、破棄されなければならず、先にも述べたとおり、大麻取締法の定める法規制の必要性、合理性を立法事実に即して詳細に裁判所において検討するため、差し戻しがなされなければ、正義に反する結果となると思料する。

 2 御庁のご英断を切望する次第である。
 なお、大麻取締法の合憲性は、最高裁判所が認めているとされているが(最決昭和60年9月10日、同9月27日等)、20年以上も前の知見等に基づく判断であり、その後、21世紀に入り、欧州では成人による大麻の自己使用は合法化されるという大きな社会情勢の変化があり、かつまた、少量の大麻製品の非常習的な自己使用目的の行為は訴追を免除すべきであると結論付け、大麻法自体と基本法違反と断じた少数意見も付されているドイツ連邦憲法裁判所の1994年3月9日決定等の海外の動向も参考にされるべきである。21世紀に入って加速している大麻についての欧米先進諸国の最近の非刑罰化、非犯罪化、医療用合法化(医療大麻の普及)等の顕著な合法化傾向からも、わが国での法規制も規制緩和が要請されている。現に、グローバル化社会の進行により、薬事法も数次の規制緩和のための法改正が行われており、大麻取締法も、見直しが求められていることは明かである。

 欧米を中心とする先進国で大麻規制が、非犯罪化・非刑罰化されている最近の状況も立法事実として、公正かつ十分に考慮に入れられなければならないので、おって、上告趣意および書証を補充する予定である。
 上記の最高裁判例の再検討の必要性は、刑事学、犯罪学の学者、憲法学者等からも指摘されているところである(吉岡一男京都大学教授、工藤達朗中央大学教授ほか)。

以上

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