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Taku博士の薬物政策論稿 > アメリカ国内のドラッグウオーとその社会的影響
第2節(2) ニクソン政権 ─ドラッグウオーの始まり

政権獲得後、ニクソンがターゲットにしたドラッグはマリファナとヘロインであり、その戦略はこれ以後のアメリカ型ドラッグウオーの基本的アプローチとなる供給のカットと需要の縮小の二本柱によって構成されている[6]。

まず供給に関して問題となったのは、トルコからのヘロインとメキシコからのマリファナであった。
当時政府は国内の8割のヘロインがトルコで生産されたアヘンから精製されていると見積もっており、ニクソンは二国間の関係を悪化させることなくこの問題に対処するため、まずトルコ政府に対して経済援助の停止をちらつかせケシ栽培をやめるよう説得する一方で、その代価としてのさらなる経済援助を約束した。

トルコ政府はこれに従ったため、トルコでのアヘン栽培は大幅に減少し、フレンチコネクションの名で有名だった50年代の主なヘロイン密輸ルートであったマルセイユ経由の密輸ルートは解体することになる。

これによって、72年から73年にかけてアメリカでのヘロインの使用は一時的に減少した[7]。
しかしトルコからの減少分はメキシコ、アフガニスタン、パキスタン、またゴールデントライアングル産のアヘンによってすぐに補填され、トルコ国内でも75年にはケシの国内での非合法な栽培が始まりヘロイン問題がこれによって根本的に決着することはなかった。

またヘロインの供給量が一時的に減少した際には、アンフェタミンやバルビツレートなどの他のドラッグの代替的使用が国内で増加するという現象が起きている[8]。

一方マリファナの主な供給国であったメキシコ政府は、マリファナの問題はアメリカ国内の需要に最たる要因があると考え、当初アメリカに対して協力的な姿勢を示さなかった。これに対しニクソン政権は1969年9月にOperation Interceptを発表し、2,500マイルにわたるメキシコ-アメリカ間の国境を封鎖し、3週間で418,161人と105,563台の車両を捜索するという大掛かりな手段に打って出た[9]。

すぐに国境が混乱した為、メキシコ政府は仕方なくアメリカとの協力を約束し封鎖は20日間で解かれ、メキシコ産のマリファナのアメリカへの流入量は減少した。

しかしアメリカ国内のメキシコ産マリファナの流通の減少は、国内で70年代初頭からマリファナ愛好家による手軽なシンセミーリャ(Sinsemilla:種をつけない品種)の栽培をさかんにし、国内でのマリファナ栽培の定着に一役を買った[10]。

またメキシコ産のマリファナの減少はコロンビアでのマリファナ栽培をさかんにし、マリファナで儲けたコロンビアの密輸業者は新たにコロンビア産のコカインもアメリカ国内に運び込むようになった。またマリファナの供給量が一時的に減少した結果、多くのマリファナ喫煙者が代替ドラッグとして、LSDやヘロインなどより危険な麻薬の使用を開始している[11]。

さらに取り締りの強化によってマリファナの個人レベルでの密輸が難しくなったため、プロの犯罪組織がこれに積極的に関わり、密輸手段も空輸などのより大掛かりなものへと移行していった。

結局のところOperation Interceptは、ドラッグを供給するある特定の国への対応だけでは、国内に需要が存在する限り、他の供給源と他のドラッグにビジネスチャンスとマーケットを移動させることを証明する結果となった。

また、これと類似した現象は、当時ベトナムに駐留していたアメリカ軍兵士の間でも起きている。ベトナムでは軍が国内と同様、21歳未満の兵士にはアルコールの販売を禁止していたため、多くのアメリカ兵(平均年齢19歳)はアルコールを手に入れることができなかった。

戦場というストレスの多い場所で飲酒を行えない多くの新兵は代わりにマリファナの使用を開始した。しかしマリファナの供給も1968年に軍が厳しく取り締まったため、多くの兵士がアジアで手に入り易かったゴールデントライアングル産の高品質のヘロインへと使用を切り替えた。
その結果、全体の25%の兵士がアルコールやマリファナよりも危険性の高いヘロインを使用するという状況を生み出している[12] 。

----------

[6]彼が大統領に就任した1969年にアメリカで最も普及していたドラッグは、アルコールとニコチンを別にすればアンフェタミンであった。アンフェタミンは当時合法的に医師によって処方されており、1958年の段階ですでに年間35億錠製造されており、70年には100億錠にまで生産量は増大し、come alive, feel goodといった広告キャッチコピーによって広く全米で販売されていた。その使用者は、ダイエット薬として使用していた白人の婦人達、長時間不眠で働く工場労働者、病院の夜勤スタッフ、テスト前の学生などその使用者層も用途も多岐に渡っていた。50年代からすでにアンフェタミンの危険性は医学ジャーナルの中で指摘されていたが、ニクソンはアンフェタミン、メセドリンといった覚醒剤の使用を政治的問題として積極的に取り上げることはなかった。その後、アメリカで最初の本格的なドラッグの危険性のランク付けを行った1970年のControlled Substance Actでは、マリファナとヘロインが最も厳しい罰則規定をもつスケジュール1にカテゴリー化されていたのに対し、アンフェタミンはスケジュール3に留まっている。アンフェタミンは1971年に生産量に制限が加えられるまで実質的に野放しとなっていた。Joseph, Miriam (2000) Agenda Speed, London; Carlton Books, p. 29. Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 339.
[7]Musto, David F (1987) op. cit. p. 257.
[8]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 342.
[9]Ibid., p. 339.
[10]King, Jason (2001) The Cannabible, Berkeley and Tronto; Ten Speed Press, p.3.
[11]Baum, Dan (1996) op. cit. p. 24.
[12]Musto, David F (1987) op. cit. p. 258.

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