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Taku博士の薬物政策論稿 > アメリカ国内のドラッグウオーとその社会的影響
第3節(1) フォード・カーター政権 ─寛容政策への転換

ニクソン政権が1974年に終わると、同じ共和党のフォードが大統領に就任した。しかし彼はニクソンとは麻薬政策に対する考え方が異なっており、ドラッグの使用は既に広く社会に普及しており、これを完全に消滅させることは現実的に不可能であるとの認識を持っていた。

1975年9月に、1969年からのニクソンによるドラッグ政策のレビューとしてDomestic Council Drug Abuse Task Forceによる麻薬中毒白書(White Paper on Drug Abuse)が出版された。そこでは、「麻薬中毒の完全な排除はあり得ないが、しかし政府の行動はこの問題を抑制し、負の影響を抑えることはできる」との政府の基本的立場が示されている[16]。

また「すべてのドラッグは一様に危険なものではなく、すべてのドラッグの使用は一様に有害ではない」との見解を同じ白書の中で示し、種々のドラッグの持つ危険性を再度ランク付けし、「供給と需要の削減の両者において優先させなければならないドラッグは、より大きな固有の危険性を保持している以下のドラッグ、すなわちヘロイン、アンフェタミン--特に静脈注射で使用される場合--と混合バルビツレートである」との方針を打ちだした。

また翌1976年のFederal Drug Strategyでは、ヘロイン中毒に言及して、ジョンソン時代の根本原因論が再び取り上げられ「貧困、失業、疎外、あるいは機会の不足」がヘロイン中毒発生の根本的要因であるとの見解が示された[17]。

このフォード政権時に発表された白書で注目すべき点は、ここにマリファナとコカインに関する言及がみあたらないことである。

これはつい5年前に議会でマリファナ及びドラッグ中毒に関する委員会が設けられ、マリファナに最も高い取締りの優先順位をつけていたことを考えれば大きな変化といえる。この変化の背景にはこの二つのドラッグに対する社会的表象の変化が多分に影響していると考えられる。

マリファナが危険なドラッグであるという認識は、ニクソン時代の厳しい禁止政策に関わらず70年代を通じて衰退している。
1975年にはまだ43%の高校生がマリファナを危険と考えていたが、1978年には35%へと落ち込みその数は減少の一途を辿った。
同時にマリファナの使用者も増え、1978年のピーク時には24%の高校生が過去30日間にマリファナを使用したと回答している[18]。

州単位では法改正も行われ、70年にワシントンの弁護士キース・ストロープによって創設されたマリファナ解放を目指す非営利団体NORML (National Organization for the Reform of Marijuana Laws)のロビー活動によって、既にニクソン政権末期の1973年には全米で最初にオレゴン州でマリファナ所持の非犯罪化が行われ、その後アラスカ、カリフォルニア、コロラド、メーンなど11の州が70年代に同様の政策を採用し、マリファナ所持の非犯罪化もしくは逮捕に代わる民事制裁金による刑罰へと移行している。

74年には雑誌High Timesも創刊され、吸引器具の販売も含めマリファナに関連した経済活動も活発化した。

このように、少なくとも70年代中頃までには、マリファナの喫煙はもはや極端な社会的逸脱行為とはみなされず、むしろ一つのサブカルチャーとしての地位をアメリカでは確立していたといえる。

一方のコカインも、70年代中頃までにはこのドラッグを20世紀初頭の頃のように危険視する意見は稀となっていた。

後にカーター政権下でドラッグ問題の責任者となる当時の著名なドラッグの専門家であったピーター・ボーン医師は、1974年にコカインについて次のように語っている。

「コカイン、最近その使用が広がっているこのドラッグは、おそらく非合法ドラッグの中でもっとも良性のものである。極端な場合、マリファナと同様にコカインは合法化することも可能であろう。約15分という短い効果と、身体的中毒性の欠如、そして激しい楽しさ。コカインは、昨年すべての社会経済的レベルで増大する支持を獲得している」[19]。

この現在からみれば行過ぎともとれる当時のコカインの肯定的評価の背景には、コカインが経験した1920年代から60年代にかけての長い薬物としての歴史的断絶を考慮する必要がある。

前章でふれたように1910年代後半からの厳しい取締りによって、コカインの非医療目的での使用がアメリカでは激減し、一方医療界でもノボカインなどの新たな代替化学物質の発明によりコカインが医療目的で使用されることはほとんど無くなっていた。

1930年代にはコカインは西洋社会ではほとんどみかけなくなり、この時代にコカインを積極的に製造していたのは日本統治下の台湾ぐらいであった[20]。

その結果、この薬物をあえて研究しようという者がいなくなり、コカインに対する薬学的調査や研究文献はこの時代全く現れていない。

歴史学者のポール・グーテンバーグが指摘するように、70年代のコカインに対する肯定的認識と使用の拡大の背景には、コカインの持つ潜在的な危険性に対する当時の絶対的な知識不足があり、これがこのドラッグの娯楽的使用と政府の寛容政策を助長させたと考えられる[21]。

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[16]Domestic Council Drug Abuse Task Force, White Paper, pp.97-98. cited in Musto, David F (1987) op. cit. p. 264.
[17]Baum, Dan (1996) op. cit. pp. 86-87.
[18]Musto, David F (1987) op. cit. p. 264.
[19]Ibid., p. 265.
[20]日本の製薬会社の台湾でのコカイン製造に関しては、星新一『人民は弱し官吏は強し』、角川書店、1978年、に詳しい。
[21]Gootenberg, Paul (ed.) (1999) Cocaine: Global Histories, London and New York, Routledge, pp. 3-4.

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