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平成17年(す)第494号
決 定
被告人 桂川 直文
上記の者に対する大麻取締法違反,覚せい剤取締法違反,麻薬及び向精神薬取締法違反被告事件(平成17年(あ)第820号)について,平成17年6月28日当裁判所がした上告棄却の決定に対し,被告人から異議の申立てがあったが,この申立ては理由がないので,当裁判所は,刑訴法414条,386条2項,385条2項,426条1項により,裁判官全員一致の意見で,次のとおり決定する。
主 文
本件申立てを棄却する。
平成17年7月11日
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 藤田 宙靖
裁判官 濱田 邦夫
裁判官 上田 豐三
裁判官 堀籠 幸男
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桂川 直文
今回の摘発と裁判を通して、私は被疑者及び被告人として多くの役人達と接した。大麻取締法を武器に刑罰という威嚇を背景にした司法官憲、法務・司法官僚の発言は、大麻愛好者ならもちろん、大麻を知らない者からしても的外れなものだったと言える。
役人達の一方的な言葉に対して、弱い立場の葉っぱ吸いには抗う術は無く、それがさらに役人達を増長させ、傲慢な彼らの言い分は一般常識から著しく乖離したものだった。恐怖による統制は、やる方もやられる方も馬鹿らしいことを強いられることを、私は民主国家といわれる日本に居ながら実地に体験した。そんな、どう考えてもおかしな、役人達の口から発せられた言葉をいくつか報告しよう。
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平成16年6月30日、Iさんはタイから大麻樹脂497gを持ち込もうとして成田空港の税関で発覚し、逮捕されました。本人からの手紙によると自分で使用するためのものでしたが、取り調べでは営利目的とされてしまい、初犯でありながら一審で懲役4年6月という長期の実刑判決が下されてしまいました。Iさんはこれを不服として控訴しましたが、一審から弁護を担当した弁護士とトラブルが発生し、この弁護人を解任して新たに私選弁護人を付け、大麻取締法の違憲性も織り込んで控訴審に臨みました。しかし、この控訴も棄却され、Iさんは現在上告中です。
Iさんの逮捕から懸命に熱心な支援を続けてきた友人にレポートをお願いしました。内容は暫時更新します。
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〔ナタラジャ裁判〕
那覇で身柄を拘束されているナタから電報が届きました。控訴審の一回目の公判は7月21日とのこと。時刻など弁護士に確認のうえ、改めてお伝えします。
弁護人が大麻取締法の違憲性を弁論する予定です。沖縄地域の方、実際の法廷がどんなものか傍聴してみませんか?
彼が4年半も刑務所に入らなければならない人物かどうか、ぜひあなた自身の目で確かめてみて下さい。
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平成17年(あ)第820号 大麻取締法違反ほか被告事件
被告人 桂川 直文
異議申立書
2005年(平成17年)7月1日
最高裁判所 第3小法廷 御中
裁判長裁判官 藤田宙靖殿
弁護人 金井塚 康弘
頭書被告事件につき、平成17年6月28日上告棄却の決定があり、同月30日決定謄本の送達を受けたが、下記理由により異議を申し立てる。
異議の理由
一 はじめに
御庁がなされた6月28日付の上告棄却決定は、理由が簡略に過ぎ、根拠も示されず、理解し難いものであって、裁判を受ける被告人、国民の側からすれば、憲法に保障された裁判を受ける権利(憲法31条、32条)というものはこの程度の意味しかないものかと誤解を招く虞すらある。
二 意見条文の摘示遺漏
同決定は、弁護人の上告趣意に対して、「大麻取締法の規定違憲をいう点」は、「前提を欠き、」「その余の弁護人金井塚康弘の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、量刑不当の主張であり、」等とまとめられ排斥されているが、弁護人の6月2日付上告趣意書は、漠然と「違憲をいう」に過ぎないものではない。
また、弁護人は、「法令違憲」、「適用違憲ないし運用違憲」は主張しているが、上記「規定違憲」などは主張していない(憲法学の用語としても上記のような表現は寡聞にして弁護人は知らない)。
弁護人は、市民的不服従としての非暴力の反法行為を処罰するのは、憲法12条に違反し、大麻について、合法化されているアルコールや煙草以上の有害性は医学的、薬学的に証明されておらず、むしろ医薬品、嗜好品、医療品、建材等としての有用性、有益性があるのに、刑罰をもって規制するのは、過度の規制であり、個人の幸福追求権、自己決定権(憲法13条)ならびに生存権(憲法25条)を侵害し、罰金刑の選択刑もない法定刑一律に過度に重いことから、刑事法の基本原則である法定手続の保障、罪刑均衡の原則(憲法13条、31条)にも違反すること、法令違反のほか、少なくとも本件のように医療目的での使用が含まれる場合は適用違憲ないし運用違憲となることを個別条文をあげて詳細に論じている。
しかるに、上告棄却の理由中に弁護人が何条の違憲の主張をしているのかの個別具体的な摘示もないということは、弁護人作成の上告趣意書をいささかも具体的には検討いただいていないのではないかと強く推認でき、非常に遺憾である。ちなみに、憲法何条に違反するのかを具体的に主張しない上告趣意書による上告申立は、適法でさえない(最決昭和43.3.22ほか)。具体的に何条の主張についてか摘記しないで記載された上告棄却理由も同じではなかろうか。
さらに上告趣意書の提出から棄却決定が出されるまでに25日程度しかなく、医学記録や国際文書の検討、精査という点から鑑みれば早きに失し、このことも上記推認を補強するものと思料する。
三 核心的問題点を素通りした同決定
そもそも、薬物に限らず、合法的な医薬品・化粧品・食品・嗜好品などを含むいかなる物質であっても使い方や使用量を誤れば人体に有害に作用するものであり、有害性を完全に否定することは不可能であり、その必要もない。「有害性を否定できない限り」およそ国会の立法裁量でどのような立法も原則合憲であるとするなら、特に法規制で基本的人権が侵害されている場合、救済の途が閉ざされる。
核心的問題点は、何らかの精神薬理作用や有害性があるとしても、それが、身体の自由を奪う強度の刑罰(懲役刑)を伴う程の規則が必要なほど有害な実質があるのかどうか、より有害性の明らかなアルコールや煙草が未成年の摂取を規制しているに過ぎないのに、不均等にも強度の刑罰を伴う規制をする理由や正当化根拠は何か、である。刑事法の基本原則である法定手続の保障、適正手続の保障、罪刑均衡の原則(憲法31条)から、まさに慎重に考量、判断されなければならない問題である。
同決定では、「大麻が所論のいうように有害性がないとか有害性が極めて低いものであるとは認められないとした原判断は相当であるから、[違憲の主張の]所論は前提を欠」くとして、弁護人の主張を排斥される。しかし、「有害性がないとか有害性が極めて低いものであるとは認められない」としても、現在のような身体の自由を奪う強度の刑罰を伴う程の規制が必要なほど強度の有害性の実質があるのかどうか、その立法事実を、最新の医学的、化学的知見等に照らして検証、審査するのが、個人の幸福追求権等の諸自由、諸権利を守るべき司法裁判所の責務である。「強度の有害性が認められる」とは裁判所も認定できない以上、違憲審査に踏み込むべきなのである。
ましてや、大麻取締法は、保護法益すら明らかでない法律であり、近似の非犯罪化、非刑罰化が進められている世界的情勢は、1審以来主張し、立証し続けてきたことである。
四 最近の大麻取締りについての立法的事実精査、検討の重要性
少量の大麻製品の非常習的な自己使用目的の行為は訴追を免除すべきであると結論付け、大麻法自体と基本法違反と断じた少数意見も付されているドイツ連封憲法裁判所の1994年3月9日決定(弁6)等の海外の裁判所の動向も参考にされるべきであり、また20世紀末から21世紀に入って加速している大麻についての欧米先進諸国の最近の非刑罰化、医療合法化等の顕著な合法化傾向(弁10、弁21、弁25、弁26ほか)に鑑みても、約60年前の大麻取締法制定当時や20年前の最高裁の合憲決定が出された時点とでは、大きく法規制を支える立法事実が変化している。
さらに、規制緩和が要請されているわが国全体の昨今の社会情勢からも(特に薬事法の数字の規制緩和のための改正も参照されたい)、大麻取締法自体が見直しを求められていることは、明かである。法規制の見直しをしないのは、明らかに国会の怠慢である。
最近の医学的、科学的根拠にも裏打ちされた上記欧米を中心とする先進国で大麻規制が非犯罪化され、非刑罰化されている状況は、現時点での法律の合憲性、違憲性を支える重要な立法事実として、十分に考慮に入れられなければならないのである。
それを「前提を欠く」などとして、事実審理をせず、違憲の強度のおそれのある法律の審査に踏み込まないのは、残念ながら、司法裁判所の職責放棄といわざるを得ない。
五 司法裁判所としての責務
立法、行政の過誤、怠慢を糺すことこそ、司法裁判所の責務である。
理に基づいた個人の自由、権利の主張が窒息させられようとしているのであるから、これ以上意味のない「立法裁量」の隠れ蓑で違憲の瑕疵(かし/引用者注)を覆い隠し続けてはならない。特に人の健康や人心の自由にかかわることについて、法律の改廃、修正は、一刻の猶予もならないはずである。大麻(THC)の薬効を欧米の大手製薬会社が研究して、抗うつ剤やエイズ、末期癌の患者に対する薬として製品化もされ始めている世界的現実を直視しなければならない。
以上により、本件上告趣意に鑑みるならば、6月28日付け上告棄却決定は、理由が付されておらず、内容に明らかに重大な誤りがあると愚考せざるを得ないものであり、人権擁護の最後の砦である司法裁判所の責務を放棄したとの誹りすら免れ得ないものであると考える。
よって立法事実の検証、すなわち、記録の精査と再度の考案を求め、敢えて異議申し立てに及んだ次第である。
六 むすびにかえて
最後に司法裁判所の責務ないし「実質的法治国家の実現」という点に関して、次の法律書の一節を特に掲記したい。
「第2次世界大戦後、まず最も強く指摘されたのは、『法律による行政の原理』とは、『法律によってさえいればよい』あるいは『法律によりさえすれば何でもできる』ということと同義ではない、ということであった。これは、…しばしば『形式的法治国に止まらず実質的法治国の実現を』という表現によって主張されたところである。
この『実質的法治国』ないし『法の支配』の標語の下に問題とされてきたことは、伝統的な『法律による行政の原理』との関係では、おおよそ2つの事柄であった、ということができよう。第一は、『法律による行政の原理』とは、行政はともかく法律に従ってさえいればよい、ということなのではなく、その場合、法律自体が一定の内容の保障のあるものでなければならない、ということであり、第2は、伝統的な『法律による行政の原理』のみでは、これを如何に全行政活動にわたり貫徹したとしても、国民の権利救済という観点からは不充分なものが残る、ということである。
ところで、右の第1については、実は、日本国憲法が立法権に対する関係でも基本的人権を保障し、更に、裁判所に違憲審査権を与えているということにより、法制度は一応の決着がなされている、と言うことができる。」(藤田宙靖『第3版 行政法Ⅰ(総論)[改訂版]』、1995、122頁以下)
以上
〔桂川さん裁判〕
金井塚弁護士から最高裁への異議申立書の写しが届きました。
「はじめに」として、金井塚弁護士は「憲法に保障された裁判を受ける権利というものはこの程度の意味しかないものか」と、支援者の率直な感想と重なる見解を述べられています。
上告趣意書で同弁護士は具体的に憲法の条項を挙げて大麻取締法の違憲性を主張しましたが、最高裁はその内容に一切触れず、上告から僅か25日という短時日で棄却の決定を出しました。
これについて弁護士は「憲法何条に違反するのかを具体的に主張しない上告趣意書による上告申立は適法でさえない。具体的に何条の主張ついてか摘記しないで記載された上告棄却理由も同じではないだろうか」と、最高裁の上告棄却こそが適法でない点を主張し、「弁護人の上告趣意書を具体的にはいささかも検討いただいていないのではないか」と疑問を呈しています。
「むすびにかえて」に引用されている一節も痛烈です。最高裁サイトによると、藤田宙靖裁判長の「裁判官としての心構え」は「絶えず,「何故そうなのか」を問いつつ,そうした結論になった理由をできるだけわかりやすく説明するよう心がけながら,裁判に臨みたいと思います」とあります。藤田宙靖裁判長には誠意ある言行一致の回答をお願いしたいものです。
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平成17年(あ)第820号
決 定
本籍 ×××××
住居 ×××××
桂川 直文
上記の者に対する大麻取締法違反,覚せい剤取締法違反,麻薬及び向精神薬取締法違反被告事件について,平成17年3月11日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し,被告人から上告の申立てがあったので,当裁判所は,次のとおり決定する。
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
弁護人金井塚康弘及び被告人本人の各上告趣意のうち,大麻取締法の規定違憲をいう点は,大麻が所論のいうような有害性がないとか有害性が極めて低いものであるとは認められないとした原判断は相当であるから,所論は前提を欠き,その余の弁護人金井塚康弘の上告趣意は,違憲をいう点を含め,実質は単なる法令違反,量刑不当の主張であり,その余の被告人本人の上告趣意のうち,憲法38条3項違反をいう点は,原判決の是認する第1審判決摘示の各犯罪事実が,被告人の自白のみによって認定されたものでないことは同判決の証拠の標目の記載上明らかであるから,所論は前提を欠き,その余は,違憲をいうが,実質は単なる法令違反の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
よって,同法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。
平成17年6月28日
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 藤田 宙靖
裁判官 濱田 邦夫
裁判官 上田 豐三
裁判官 堀籠 幸男
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先にお願いしたナタの減刑嘆願書、時間のないなか、おかげさまで66名分を弁護士に託すことができました。ご協力頂いた皆さん、ありがとうございました。ご協力を下さった皆さんにお礼を伝えてほしいとナタからも手紙が届きました。
控訴趣意書に関しては、国選弁護人が本人や支援者の希望を容れて下さり、大麻取締法違憲論を組み込んだものとして提出できました。6月29日付の手紙と共に届いた趣意書は草稿段階のもので、その後の接見で打ち合わせをし、最終的に仕上げて提出とのこと。提出期限は30日でしたので、既に正式なものが出されていると思います。これについては控えが届くことになっていますので、後日公開します。
手紙によると、ナタとしては、最終的な打ち合わせで、違憲論だけでなく、仮に違憲ではないとしても、大麻取締法の罰金刑を廃止した昭和38年の改正が根拠のないもので無効である点や、大麻の事実について鑑定請求したい点なども弁護士に伝えたいとのことです。
誰にも、どこにも、危害どころか迷惑すらかけていない行為を懲役刑で罰することの問題点を、検察及び司法は真摯に検証して頂きたいものです。
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桂川 直文
企業が倒産するとその理由として最も多く挙げられる言葉が組織の「官僚的体質」である。この言葉はずっと昔から使われてきたが今だに死語になっていない。それどころが日本国は官僚によって運営されているのだからいずれ日本が潰れるのは既定の事実といえる。だから私はここ何年かは国家の破産を前提に行動してきた。
官僚的体質と聞いて連想するのは「前例踏襲」「横並び」「責任回避」「権威主義」などだが、そうした悪弊を内部から批判できない「自由にものを言えない風通しの悪さ」が真の官僚的体質だと私は思う。日本のお役所では、黙して強い者に従って、決められた通りにやっている限り給料が貰えて生活ができる。そんな環境に居れば誰もが強いていらぬ波風を起こそうとはしないのだ。
大阪市の関淳一市長は市役所のあまりの腐敗に「このままでは大阪市は消滅する」と発言した。しかし現実的には大阪市が消えて無くなるわけでも他の都市に吸収されるわけでもない。将来も大阪の街は在るだろうし公務員も残っているだろう。従って大半の市職員は市長の言葉に高をくくっているようだ。
本当に生活が立ち行かなくなり、市民も役人も塗炭の苦しみを味わうようになって初めて自らの愚かしさを知るのである。そんな時になって役人の悪口を言ったところでどうにもならない。それこそ天に唾を吐くようなものである。私は精神のアリバイつくりと将来の免罪符のために役人を批判している。
実際、大阪ローカルニュースに接していると、市役所の腐敗ぶりは凄まじいものがある。この大阪市役所をはじめ、大阪府庁、大阪府警、JR西日本、そしてヤクザの町大阪、日本の腐敗のど真中、大阪市都島の大阪拘置所で今私は暮らしている。
私の居る雑居房の未決囚の半分はシャブでパクられた奴らだ。大阪では覚せい剤を所持していて検挙されても「西成で買った」と言えばそれ以上追求されない。大阪の西成地区では路上で堂々とシャブの密売が行われていて、サツはそこに買いに来る客を挙げていれば点数が稼げる仕組になっている。年に一度大がかりな摘発が行われるが、すぐまた違う密売人が湧いて出てくる。ここには密売予備軍はゴマンと居るのだ。
最近東京から若いヤクザが1人、シャブ密売でパクられて私の雑居房にやって来た。厚生労働省近畿厚生局麻薬取締部の捜査官、略して「キンマのマトリ」に踏み込まれて、メッタメッタにやられてボヤいていた。
「まんず、どっちがヤクザだか判かんねえべ」
彼は東北出身で訛りが抜けないので大阪弁でまくしたてるキンマのマトリにまったく歯が立たなかったようだ。(近畿麻薬は全国から捜査員が集まっているので全員大阪弁を話す訳ではない)彼が捕まった時には既にキンマによって図面が描かれていて、ろくに話もしないのに調書がつくられ、署名押印を強要されたことを怒っていた。
数々の薬害事件や汚職事件で判かるように、厚生労働省は厚生省時代から通して日本最低最悪の官庁であることは論を俟たないだろう。私はかつて、厚生省検疫課長だった宮本政於氏による内部告発の書「お役所の掟」を読んで、それまで漠然としか感じていなかったことが明瞭になった。そこには自分しか愛していない役人達のおぞましい狂態が書かれていたからだ。
厚生省のいくつかの汚職事件の中でも、私は元事務次官による特養老人ホーム丸投げ事件が最も印象に残っている。というのは、事件が発覚すると元次官はさっさと辞めて、まんまと退職金をせしめたことを、当時の部下達は「法律どおりだから問題ない」とコメントしていたテレビニュースを覚えているからだ。
俗に「クスリ九層倍」と言って、タダみたいなものが何倍にもなるのが薬品の製造販売事業である。厚生労働省が所管する薬務行政は巨大な利権なのだ。誰にでも栽培できて、様々な病気に効果がある大麻が1930年代にアメリカで禁止されたのは製薬会社による圧力が大きかったと言われているのも頷ける話である。
キンマのマトリ達の頭の中は本音と建前が完全に分離している。私が調書を取られた時も、マトリ達のやり方を非難する私に向かって担当官は「実に我々は建前で生きている」と胸を張っていた。そして私達の大麻使用を否定することなく「大麻を吸うならパクられない方法でやればいい、現物を所持しないようなやり方なら我々は捕まえようがない」と開き直っていた。また大麻自由化運動など青くさいガキの所業であると斬って捨てられ「何故そこまでして桂川さんは大麻自由化を成そうとするのか?」と訊かれたものだ。そんな麻薬取締官の中にもロックやレゲエを好む者がいる。ジョン・レノンやボブ・マーリーのファンでありながら、大麻規制は仕事であると割りきることが大人の分別であるとする麻薬取締官のメンタリティこそ私には理解し難いものがある。
あんなに私の前では威張っていたマトリ達だが、検事の前ではペコペコしていた。検察庁で私の家から押収した大麻を前にして、あーだこーだやっている姿は葉っぱごときでタヌキに化かされて、まるで「バカとアホウの絡み合い」である。何も知らない人からすれば、こんな役人達でも社会正義のために麻薬撲滅のために一生懸命働いている公務員ということになるだろうか。これが戦後愚民化教育の成果であり、精神の荒廃、堕落ではないだろうか。
それぞれの職能の手本となる人物は歴史上に登場している。それは我々のよく知っているヒーロー達である。遠山の金さんや大岡越前が今日の大麻裁判を傍聴したらどう思うだろうか?国定忠治が金融利権と結託して庶民を泣かせている現代ヤクザを見たら何と言うだろうか?公務員の手本ならば第二次世界大戦中に何千人ものユダヤ人を救った「命のビザ」で有名な元リトアニア公使代理の杉原千畝だろう。公僕の鑑と言われる人が規制を破った人というのは何とも皮肉な話だ。
私が大麻自由化を成そうとするのには大きな理由がある。それは運動の過程で信頼できる葉っぱ吸いのネットワークをつくることにあるのだ。葉っぱ吸いの中にもデタラメでいい加減な奴はいるが、それ以上でも以下でもない。刑罰による規制下で大麻を手にしている者は初めから自らの本質を晒している。大麻愛好者達はどんなに世の中が変わっても自己保存のために豹変するような者はまずいない。そん葉っぱ吸いの実業的職能集団によって経済が完結するのが私の理想である。
国家が破産するような事態になればインフレによって紙幣など限りなく紙キレに近いものになるだろう。ちょっとした買物でも札束を鞄に入れて持っていかなくてはならないかもしれない。そんな時に自分たちの仲間うちだけで通用する通貨があったらとても便利だと思う。(一時的には極上のハイブリット大麻がその役割を果たすだろう)しかしそんな仲間になるためには必ず人の役に立つ、農業でも大工でも何かのワザを持っていなければいけない。何も無いところで通せんぼをして金を巻き上げるようなことを仕事と称している役人達は絶対仲間になれないのだ。私は地域通貨の理念を大麻ネットワークで実現しようと思っている。
12年前、私が大麻自由化運動を始めた頃は、私の発言があまりにも過激で当局を刺激するとして、同じ葉っぱ吸い達に「ハタ迷惑だ」と袋ダタキにあったものだ。しかし今日ではカンナビストや医療大麻のサイトで当時の私より大胆な書き込みを散見することができる。大麻愛好者だけは確実に意識が進歩していることから私は間違っていなかったと自信を深めている。
大麻自由化は役人と民衆の力関係で決まる。人間は平等ではなく上下差別があり、何も生み出さない役人は一般国民より下である。だから私はこれからも威張った役人達の批判を続ける。
以上
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平成17年(あ)第820号 大麻取締法違反被告事件
被告人 桂川 直文
上告趣意書
2005年(平成17年)6月2日
最高裁判所 第3小法廷 御中
上記被告人に対する、頭書被告事件について、弁護人の上告の趣意は下記のとおりである。
弁護人 金井塚 康弘
記
第1 緒論
1 原判決は、上告人の控訴を棄却し、第1審の言い渡した「被告人を懲役5年に処する」等とした実刑判決を維持した。大麻取締法の刑罰をもってする規制は、憲法12条、13条、19条、21条、25条、31条に各違反するとの主張を認めず、特に、近時、先進諸外国が大麻規制を他の麻薬、薬物規制とは切り離して非刑罰化、非犯罪化している状況に鑑み、最高裁がなした20年以上前の大麻に関する医学的、薬学的知見に基づく合憲判決を見直すべきであるとの真摯な問いかけに裁判所は再び答えようとせず、第1審を取り消す理由はないとして控訴を棄却した。
2 しかし、立法事実が法制定時、最高裁の20年前の合憲判決時より大きく異なり、医学的・薬学的知見が変わってきているにもかかわらず、国会の立法裁量を審査することもなく、大麻取締法をなお合憲と断じ、被告人への実刑判決を維持した原判決には、以下に詳述するように、憲法12条の保障する市民的不服従の権利の侵害、また、同12条、13条、19条、21条、25条、31条の保障する大麻摂取等についての幸福追求権、自己決定権等を侵害する重大な違法がある。また、一部立法事実の誤認もあり、実刑の量刑も重きに失し、破棄して差し戻されなければ、著しく正義に悖る結果となる。
以下に順次詳述する。
第2 憲法違反(その1)
1 憲法12条の保障内容
憲法12条は、「この憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」と国民の憲法保持義務を規定する。「最高法規」である憲法が保障する自由及び権利は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり(同97条)現在の国民もこの遺産の上に安住することは許されず、国家権力による侵害のないように不断に監視し、自分の権利侵害に対して闘うのみならず、他人の権利のための闘争も支持する義務を課しているものである。
この規定は、立法主義憲法の一局面として、政府、国家機関が権力を濫用し、立法主義憲法を破棄した場合に、国民が自ら実力をもってこれに抵抗し、立法主義法秩序の回復をはかることのできる権利、すなわち、抵抗権の趣旨を明らかにしたものと解されている(例えば佐藤幸治『憲法[第3版]』51頁以下)。権力と自由の間には不断の緊張関係があり、立法主義法秩序を維持するためには何をしなければならないか。非実力的、非暴力的法違反行為としての「市民的不服従」や時としてこの「抵抗権」のように実力による闘争が必要であることを、国民に対し憲法内在的に自覚が促されていると解されている。
2 市民的不服従の権利
抵抗権は、実力を伴う闘争であるが、市民的不服従は、法違反行為でありながら非実力的・非暴力的なところに特色があり、抵抗権より、より現実的で具体的な意義を持つと言われている。
すなわち、憲法12条の保障する市民的不服従ないし市民的不服従の権利は、立憲主義憲法秩序を一般的に受容した上で、異議申立の表現手段として法違反行為を伴うが、それは、「悪法」を是正しようとする良心的な非暴力的行為によるものであるところに特徴があり、そのような真摯な行為の結果、「悪法」が国会において廃止されたり、裁判所によって違憲とされて決着をみることがあり得、そのことを通じて、法違反行為を伴いながらかえって立憲主義憲法秩序を堅固なものとする役割を果たし得る。正常な憲法秩序下にあって個別的な違憲の国家行為を是正し、抵抗権を行使しなければならない究極の状況に立ち至ることを阻止するものとして注目されている(佐藤前掲書53-54頁ほか)。
3 被告人による「悪法」改廃是正行為
被告人による本件行為、特に大麻草の栽培と譲渡は、長野県の栽培許可を取りながら行われていたことに端的に表れているように、可能な限り適法行為として行いながら、市民的不服従として、大麻の有効性、有用性を検証して行き、大麻取締法規制の緩和、廃止を訴えていくもので、非暴力的で真摯な「悪法」改廃是正運動であったとも評価できる。
だとすれば、被告人の行為を「悪法」の改廃是正の市民的不服従の行為である側面をことさらに切り離して形式的な法違反行為として評価することは失当である。被告人の正義心の発露であり、市民的不服従の権利の行使であることを無視して裁くことは、すなわち市民的不服従の権利の侵害であるといえる。
傍論としてではあるが抵抗権の行使が検討された事案において、「不法であることが客観的に明白」であり、「憲法法律等により定められた一切の法的救済手段がもはや有効に目的を達する見込みがなく、法秩序の再建のための最後の手段として抵抗のみが残されている」場合に抵抗権の行使としての実力行使が認められると判示されたことがあるが(札幌地判S37.1.18、下刑集4巻1,2号69頁)、抵抗権と異なり実力や暴力を伴わない市民的不服従が認められる要件は、より緩やかなものと解されている。
栽培免許を適法に取りながら栽培を続け、長野県が許可の更新をしなくなって以降、栽培の継続を知りながら放置していた経緯等も考慮に入れて被告人の行為の適法性が理解できるのである。
刑法的に言えば、法違反行為の違法性が阻却されなければ、市民的不服従の権利の侵害となる関係にあるのである。
4 小括
よって、大麻取締法違反の部分の無罪ないし違法性阻却をあくまで認めなかった原判決は、憲法12条の市民的不服従ないし市民的不服従の権利を侵害しているので破棄されねばならない。
第3 憲法違反(その2)
1 原判決とその問題点
(1)原判決は、「大麻の有害性は、かねてより所論が指摘する最高裁判所の決定を含む多くの裁判例において肯定されており、多くの裁判所においては公知の事実として扱われるに至っているものであるけれども、所論が大麻の作用に関する医学的研究の進展等を指摘するので、あらためて検討してみても、関係証拠によれば、近時の医学的文献において、大麻には、幻覚・幻聴・錯乱等の急性中毒症状や判断力・認識能力の低下等をもたらす精神薬理作用があり、初心者などに対して急性の精神症状をもたらすことがあるなどとされており、大麻が人の心身に有害であるとはいえても、有害性が極めて低いとはいえないことが認められる。」(原審判決書5頁)として、大麻の有害性は医学的文献に示されている「幻覚・幻聴・錯乱等の急性中毒症状」「判断力・認識能力の低下等をもたらす精神薬理作用」「初心者などに対して急性の精神症状をもたらすこと」という三点だとして、「大麻が精神薬理作用を有する薬物であって、その有害性も否定できないことから、これを国民の保健衛生上の危険防止という公共の利益の見地から規制することは十分に合理的であるから、どの範囲で規制を加え、どのような罰則を定めるかは、原則として国民の代表者によって構成される国会の立法裁量に委ねられていると解される」(同6頁)として、合憲の結論を導かれている。
(2)しかし、薬物に限らず、合法的な医薬品・化粧品・食品・嗜好品などを含むいかなる物質であっても使い方や使用量を誤れば人体に有害に作用するものであり、有害性を完全に否定することは不可能である。「有害性を否定できない限り」およそ国会の立法裁量でどのような立法も原則合憲であるとするなら、特に法規制で基本的人権が侵害されている場合、救済の途が閉ざされる。
また、有害性があるとしても、それが、刑罰を伴う程の規制が必要なほど有害な実質があるのかどうかは、法廷手続きの保障、適正手続きの保障、罪刑均衡の原則等から慎重に考量、判断されるべきである。
2 大麻取締法の規定と問題点、刑罰規制を必要とする立法事実の不存在
まず、刑罰を伴う規制にするのが適当か否かであるが、懲役刑の下限が覚せい剤取締法等と比較すると重くはないとする刑の下限論で言えば、選択刑としての罰金刑がないことは、欧州の立法例等と比較して、つとに指摘されているところである。
大麻取締法は、大麻の栽培,輸出入について懲役7年以下、所持,譲渡について5年以下という重罰が規定され、選択刑としての罰金刑が予定されていない(罰金は併科される)。
そもそも、この大麻取締法の保護法益は判然としない。毒物及び劇物取締法1条や麻薬取締法1条のような目的規定がないため法文上明確ではないからであるが、通常国民の保健衛生であると考えられる。しかし、国民の保健衛生といった抽象的な概念が保護法益とされていること自体問題である(弁7、3頁以下、弁10)。
また、アルコールやタバコが大麻の喫煙以上に保健衛生上害があり、健康上有害であることが医学的にも明らかな物質があるが、なぜ大麻が、それらの物質よりもより強く規制されなければならないかという点も全く不明確であり、不合理極まりない(弁10)。未成年者に対する規制さえしておけば足りるのではないかということは、煙草、アルコールの規制と比較すれば容易に分かることである。大麻取締法は、1948年(昭和23年)制定されたが、GHQの要請で一方的に制定されたと考えられるのみで、その法律を支える立法事実はまったく不明確である。
立法当時はもとより、また、現在においても、強い刑罰を伴う規制を成人に対してまで必要とする立法事実は希薄である。少なくとも十分に医学的・科学的な根拠のある議論、また、国民的な議論を経ているとは、とても言い難い状況である(同法受理人員数は、検察統計年報によれば、統計資料のある1951年(昭和26年)以降、1962年(昭和37年)まで、1952年(昭和27年)を除き年間わずか50件以下であり、その後100件台になり、1964年(昭和39年)から1969年(昭和44年)までは400件まで、1970年(昭和45年)以降、800件から70年代に1000件に達するも、1500件前後を推移し現在に至る(弁10、4頁ほか)。
裁判所による現時点での立法事実の慎重な検討が急務である。原判決は、弁護人が提出した検察官の杜撰な有害性立証の資料に反論を加えた、最新の世界的な大麻に関する医学的、科学的知見を表面的にしか拾い上げておらず、立法事実の認定としては、極めて杜撰で失当である。
3 大麻取締法の違憲性(法令違憲)
基本的人権は「公共の福祉に反しない限り」最大限尊重されなければならない。とりわけ自立的個人の幸福追求権、自己決定権(ライフスタイルを選べる権利、自らの望む生活、食物、医療等を受ける権利)は、各種人権の源ともいうべき包括的権利であり、最大限保障されるべきで、刑事罰、特に懲役刑による規制は人の身体,行動の自由に対する重大な制約を加えることになり許されず、人権保障の観点から必要最小限のものとされなければならない。
したがって、大麻取締法による刑罰規制が憲法13条や31条(適正手続の保障)に適合するためには、その保護法益が具体的で明確でありその立法目的、規制目的に比例適合したもの、すなわち法定刑も適正なものでなければならない。
ところが、大麻取締法の保護法益はきわめて抽象的であり、しかも大麻は他人にも自らの健康にもアルコールやタバコ以上には害を与える危険すらないのである。
また、大麻が医療利用され、大麻を使って自己治療している患者が医療効果を享受しているにもかかわらず、大麻取締法をもってこれを禁ずることは患者の自分の望むより良い医療を受ける幸福追求権や生存権をも侵害するものである。
よって、大麻取締法の罰則規定は、幸福追求権、自己決定権(憲法13条)ならびに生存権(憲法25条)を侵害し、その制約は必要最小限のものではなく、罪刑均衡の原則(憲法31条)に反し、かつまたその法定刑は一律に過度に重いことから、憲法13条、同25条及び同31条に反し、法律の文面上違憲であると思料する。
4 大麻取締法の違憲性(適用違憲ないし運用違憲)
また、本件の場合、栽培及び所持は主に医療利用目的、一部自己使用であるところ、少なくともかかる医療目的及び他者に迷惑をかけない自己使用のための栽培及び所持に懲役刑が主体の大麻取締法の罰則を適用することは、その限りで憲法13条、25条、31条に違反すると思料する。
5 最高裁判例の問題点
大麻取締法の合憲性は、最高裁判所が認めているとされているが(最決昭和60年9月10日、同9月27日等)、20年以上も前の知見等に基づく判断であり、その後、少量の大麻製品の非常習的な自己使用目的の行為は訴追を免除すべきであると結論付け、大麻法自体を基本法違反と断じた少数意見も付されているドイツ連邦憲法裁判所の1994年3月9日決定(弁6)等の海外の動向も参考にされるべきであり、また、21世紀に入って加速している大麻についての欧米先進諸国の最近の非刑罰化、非犯罪化、医療用合法化等の顕著な合法化傾向(弁10、弁21、弁25、弁26ほか)からも、規制緩和が要請されているわが国の昨今の社会情勢(特に薬事法の数次の規制緩和のための改正)からも、見直しが求められていることは明らかである。
欧米を中心とする先進国で大麻規制が、非犯罪化・非刑罰化されている最近の状況も立法事実として、公正かつ十分に考慮に入れられなければならない。
なお、上記の最高裁判例の再検討は、刑事学、犯罪学の学者、憲法学者等からも指摘されているところである(弁11、吉岡一男京都大学教授、法学教室67号110頁、弁6、44頁以下、工藤達朗中央大学教授ほか)。
第4 量刑不当
1 実刑5年
原判決は、被告人に対し、懲役5年の実刑を維持し、罰金150万円も賦課した。量刑の理由として縷々説明もしているが、5年の懲役刑の実刑は加重であり失当である。
2 市民的不服従に実刑は失当
なによりも、先に述べたように、被告人の本件行為は、栽培免許を適法に取りながら栽培を続けて、法違反行為を伴う「悪法」改廃是正を旨としていたものであり、長野県が許可の更新をせず栽培の「違法な」継続を知りながら放置していた経緯等からも市民的不服従の権利の行使である。刑法的に言えば、法違反行為の違法性が阻却されなければならないのであり、非暴力的な行為に対して実刑を維持するということは、すなわち、量刑不当と言わねばならない。
原判決は、被告人が敢えて試みた「悪法」への抵抗にほかならない本件の真摯で正当な「動機や経緯」の側面を、全く評価していない。
原判決は、被告人、弁護人の主張する被告人が置かれていた具体的な状況、や「悪法」改廃是正行為の側面を考慮しないで漫然と第1審の量刑が相当と判断しており、極めて不当である。
3 小括
よって、原判決は、理屈にならない理屈で第1審の量刑を維持しており、著しい量刑不当といわねばならず、弁護人としては、破棄されなければ正義に著しく反するものと思料する。
以上
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〔桂川さん裁判〕
過日、桂川さんの上告趣意書が弁護士事務所から届きましたので掲載します。
趣意書中、金井塚弁護士は市民的不服従の法律論を展開されています。桂川さんの思想的主張とも合致するその論理展開に、膝を叩く思いでした。既にこれまでの大麻有害論に異論があることも高松高裁で認められ、その規制のあり方が一層問われています。最高裁がこの趣意書にどう応じるのか、日本という国の司法の最高機関が試されているのだと思います。
趣意書には意見書も添付されていましたが、事情により割愛します。
また、桂川さんからは掲載用の原稿も届いていますので、近日中に掲載の予定です。
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MHさん控訴審判決文
MHさん裁判の控訴審判決文コピーを掲載しました。
これまで大麻の有害性を「公知の事実」であると断定してきた司法が、桂川さんの控訴審判決では「大麻の有害性は(中略)、多くの裁判例においては公知の事実として扱われるに至っているもの」という自信なさそうな表現をし、MHさん控訴審判決では、「有害性を肯定できるだけの決定的な証拠はないとする見解も存することが認められる」という、両論併記のかたちになっています。
これは、桂川さんの控訴審で検察が出した大麻有害論の証拠4点を弁護側が論破し、またMHさん裁判では検察が新たに出してきた山本論文を弁護側が論破したため、有害性を立証する資料が司法にも検察にも既にない現実を反映してのことだと思われます。
それにも関わらず、判決は、控訴には理由がないとして棄却されていますが、理由がないのは判決です。
大麻の有害性について公知の事実だと断定できず、「有害性を肯定できるだけの決定的な証拠はないとする見解も存することが認められる」のであれば、司法は現在の規制実態を再検証する必要があるということではないでしょうか。
自己使用目的の大麻栽培や所持が懲役刑を科すほどの犯罪と呼べることなのか。現在支援中の今後の裁判でもその点を指摘したいと考えています。
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××××
昭和53年1月13日生
上記の者に対する大麻取締法違反被告事件について,××地方裁判所が平成16年10月25日言い渡した判決に対し,被告人から控訴の申立てがあったので,当裁判所は,検察官佐野年英出席の上審理し,次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中120日を原判決に算入する。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人藤澤和裕作成の控訴趣意書に,これに対する答弁は,上記検察官作成の答弁書に各記載のとおりであるから,これらを引用する。
1 控訴趣意中,法令適用の誤りの主張について
論旨は,要するに,原判決は,原判示第1の大麻栽培について大麻取締法24条1項を,同第2の大麻所持について同法24条の2第1項をそれぞれ適用しているが,(1)大麻には,耐性がほとんどないほか,身体的依存性や毒性もなく,また,有害性が指摘されているといっても,タバコと同程度かそれ以下のものでしかない上,大麻を使用することによって,暴力的ないし攻撃的になるということもなく,長年医療に利用されてきたことに照らすと,大麻の栽培,所持を規制すべき立法事実は存しないから,これらを規制する大麻取締法は幸福追求権を保障した憲法13条に違反しており,また,(2)大麻よりも危険性,有害性が高くあるいは同程度に有害と認められるアルコールやタバコの所持摂取が原則として個人の自由にゆだねられているのに,大麻についてはその所持や使用を規制するのは,法の下の平等を定めた憲法14条にも違反し,さらに,(3)大麻取締法が定める罰則規定は過度に重いから憲法31条にも反していて,大麻取締法は違憲,無効であるから,被告人の原判示各所為に同法を適用した原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある,というのである。
そこで,検討すると,記録によれば,大麻の有害性については,大麻の成分であるテトラヒドラカンナビノール(THC)が脂肪に溶ける性質を有することから,1週間程度体内に残ることや,近時大麻に含まれるTHCの量が増加していることに照らすと,大麻を継続使用した場合には,THCが体内に蓄積され,人間の脳に永続的な異常を生じさせる可能性があること,禁断症状,精神的な依存性,耐性のほか,不安,パニック,急性精神病状態等の急性症状を引き起こすなどの精神病理面での影響を与えること,反応時間,視覚認識を低下させるなど運動能力等への影響があること,男性ホルモンの生成を抑制するだけでなく,生殖能力を低下させる可能性もあることなどが指摘されている。このような指摘に対しては,その根拠となる動物実験による結果から,人体に対する影響を推測することの当否や,有害性の程度についての見解の相違などから,人体に対する有害性を否定し,又は有害性を肯定できるだけの決定的な証拠はないとする見解も存することが認められる。
このように,大麻の有害性については,多様な見解が存するところ,国民の福祉を向上,増進すべき責務を負っている国としては,国民に対する明らかな害悪を除去すべき責務を負うことはもちろんであるところ,その害悪の存否について,前記のとおり,異なる議論の存する大麻の場合であっても,その有毒性を肯定する研究が存在し,人体に対し害悪をもたらす可能性が否定できない以上,国民の福祉を向上,増進するという公共の福祉の見地から,大麻の栽培や所持を規制することには合理性を認めることができる。そして,大麻取締法は,大麻栽培に対しては,1月以上7年以下の懲役,大麻所持に対しては,1月以上5年以下の懲役をそれぞれ罰則として定めているところ,同法によれば,これらの行為に対して罰金刑を選択する余地はないけれども,懲役刑の下限はいずれも1月であって,更に酌量減軽も可能であるし,執行猶予制度もあることからすると,この法定刑が過度に重いとはいえない。したがって,大麻取締法24条1項,24条の2第1項の各規定は,憲法13条,31条に違反するものではない。
また,大麻や,タバコ,アルコールが心身に及ぼす影響はそれぞれ異なるため,これらの有害性を単純に比較することはできないから,大麻の有害性が,タバコやアルコールの有害性と同等かそれ以下であるにすぎないと断定することはできないし,大麻に対する規制が,タバコやアルコールに対する規制と異なっているとしても,このような異なる取扱いは,すべての人に等しく適用されるのであるから,これが憲法14条に違反するものともいえない。
その他,所論(弁護人の弁論を含む。)にかんがみ検討しても,原判決には所論のような法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。
2 控訴趣意中,量刑不当の点について
論旨は,被告人を懲役1年6月に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であり,被告人に対しては,刑の執行を猶予すべきである,というのである。
そこで,記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに,本件は,大麻草8本を栽培し,大麻23.98グラムを所持した事案であり,原判決がその「量刑理由」の項で説示するところは,当裁判所においても,相当としてこれを是認することができる。
すなわち,各犯行の動機に酌量の余地がないこと,栽培した大麻の本数や,所持した大麻の量が少なくないこと,被告人は,平成12年2月に大麻取締法違反(譲受け,譲渡,所持)の罪により懲役1年8月,3年間刑執行猶予に処せられていながら,その猶予期間満了後,約7か月で原判示第1に係る大麻の栽培を始め,その後,収穫した大麻の一部を所持して原判示第2の犯行に及ぶとともに,その間,頻繁に大麻を使用していたというのであって,この種犯行の常習性や規範意識の希薄さが認められること,以上の諸点に照らすと,被告人の刑事責任を到底軽視することはできない。
そうすると,他方で,被告人が各事実を認めていること,今後,法律で禁止されている限りは,大麻の使用や所持等を2度と行わない旨述べていること,原審公判で,父親が今後の指導監督を誓っていること,被告人が,××として,父親の営む××で重要な役割を果たしているとうかがえることなど,被告人のためにくむべき諸事情を十分考慮するとともに,大麻の有害性について,これを否定し,あるいは小さいものであるとする見解があるといった所論指摘の点を検討してみても,本件が刑の執行を猶予すべき事実とは認められず,刑期の点でも,被告人を懲役1年6月に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,刑法21条を適用して当審における未決勾留日数中120日を原判決の刑に算入することとして,主文のとおり判決する。
平成17年4月19日
高松高等裁判所第1部
裁判長裁判官 古川 博
裁判官 河田 泰常
裁判官 幅田 勝行
これは謄本である
平成17年5月19日
高松高等裁判所
裁判所書記官 増田 耕一 〔印〕
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桂川 直文
役人達は地位と権益を守るためなら何でもする。
平気でしらばっくれるし、いくらでも嘘をつく。
嘘つきは泥棒の始まりと言うが、
そもそも役人なんて初めから税金泥棒だったのだ。
平成17年3月11日、大阪高裁にて私の事件の控訴審判決があり、控訴棄却が言い渡されました。公判において弁護側は夥しい書証を提出し、私は自らの大麻体験や海外での知見等を述べて検察側主張と検察提出資料を完璧に論破しました。しかし裁判所の判決は、控訴棄却とする結論が先にあり、そこに誘導するべく証拠を解釈され、且つ不都合な証拠は無視されて論旨が組み立てられました。
真実を述べて闘った公判の経緯から、大麻無害の判決を期待して傍聴席を埋めた大麻愛好者達は裁判長のあまりの言いように、見てはいけないものを見たような恐怖で慄然として声もなく固まったままでした。被告席に居て正面を向いていた私ですが、そんな空気は背後から伝わってきました。
裁判は公正に行われるものと本当に信じていた若者達にとっては、検事と判事がグルになったやり方には相当ショックだったことでしょう。裁判官といえども権益にしがみついて生きる横並びの公務員、我が身の安泰と自己存続のために精神性を棄てた恥を知らない人達だったのです。
日本は主権在民、三権分立の国といわれていますが実体はそうではありません。族議員、官僚、それに連なる利権企業が集団を形成し、そした複合体による独裁国家なのです。独立した機関と思われている裁判所も、検察、警察、刑務所、矯正協会、差し入れ業者まで含めた「法務共同体」とでもいう権益集団に含まれます。かつて犯罪が少なかった頃は各刑務所間で受刑者の奪い合いがあったといいます。とくに私のように法が間違っていると主張する者は法務権益を脅かす思想犯として厳しく断罪されます。もしかしたら法務共同体の人たちはラブ&ピースの大麻が自由化されれば犯罪が激減すると直感しているのかも知れません。確かにヨーロッパ先進国の事例を見れば、大麻の自由化は大麻以外の有害とされる薬物使用の非刑罰化につながり、そうした国々では麻薬取締官などという職業はありません。
自らの信念で大麻の有益性を社会に訴えれば当局の監視下に置かれ、裁判で真実を述べれば刑が重くなる。このような大麻取締法の運用はかつての治安維持法と同様のものであり、取締当局こそ権力の濫用による主権者に対する犯罪者であるといえます。
治安維持法は1925年に公布され1945年10月に廃止されるまで特高(特別高等警察)は同法を武器に国民の思想、言論、結社の自由を弾圧しました。治安維持法が無かったら日本は戦争に巻き込まれることはなかったと言われています。当時の司法は「法がある」とする理由で罪の無い被疑者に有罪判決を下し続け、戦争が終わって、治安維持法の適用こそ権力による犯罪行為と判っても、同法が撤廃されるまでそれを止めようとしなかったのです。前科者とはこの国の司法のことだったのです。
「悪法も法なり」とする幼稚な論理の恐ろしさを私達は充分知っていながら、またまた司法が同じことを繰り返すのを許してしまいました。それは私達が臆病だったことに尽きます。
現在我が国は毎年80兆円の予算を組みながら税収は40兆円強しかありません。積み上がった借金は、国債、地方債に年金や公益法人等の隠れ借金を加えれば、その額は一説によれば2000兆円とも言われています。既に国家財政は破綻しているのに国家の指導者達は国民を騙してさらに国債を買わせようとしています。意識を拡大する大麻の作用は為政者達のペテンを透かして見せてくれます。大麻取締法など無く、民衆が自由に大麻を吸えることができていたなら日本国が潰れるところまで来ることはなかったと思わざるをえません。
既に存在することを許されていない役人達の「大麻には害毒があり刑罰による規制が必要だ」とする、おためごかしの理由に国民は従う必要などないのです。私達は泥棒達と一緒に滅びる訳にはいきません。時代は変わるのです。
自由な意志で大麻を栽培し、マナーを守って大麻を吸いましょう。
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藤井弁護士に電話で聞いた情報です。沖縄地方裁判所石垣支部で開かれたNATAの判決、懲役2年の実刑だそうです。執行猶予中の2年6月と併せ、4年6月とのこと。刑期の3分2程度を経過した段階で、模範囚であれば短縮の可能性が出てくるそうです。
誰に危害を加えたわけでもないのに何故NATAはそんな長期間刑務所に入らなければならないのか、全く理解に苦しみます。
人権後進国、日本。 改めて現在の薬物行政と大麻取締法のあり方に怒りと悲しみが込み上げる思いです。
取り急ぎご報告まで。
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