最高裁に対するIさんの異義申立が棄却されました。
Iさんには、営利目的の事実も証拠もないのに、「大麻を使用する友人、知人らに売却する意思を有していたものと推定できる」(一審判決文)として、実刑4年半という狂気の沙汰となり、それが結局そのまま確定してしまったということです。こんなことがあっていいのでしょうか。
「糞まみれのチャラスで売り物にならないから営利目的ではない」という、程度の低い弁護しかできなかった一審の弁護士にも大きな責任があるのではないでしょうか。
Iさん、全く納得できない結果であり、心中お察しします。労う言葉もありません。
異義申立棄却決定文
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9月5日付で上告棄却されたIさんが、最高裁に異義申立を行いました。
最高裁には大麻裁判でも死んだふりをせず、頑張って頂きたいものです。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <在外選挙権訴訟>公選法の選挙権制限は違憲 最高裁判決 社会ニュース - 9月14日(水)16時28分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050914-00000073-mai-soci
海外に住む日本人の選挙権行使を制限する公職選挙法の規定は憲法に反するとして、5カ国の在外邦人13人が違憲確認と国家賠償を求めた訴訟で、最高裁大法廷(裁判長・町田顕(あきら)最高裁長官)は14日、衆参両院の選挙区での投票を認めていない現行法の規定を違憲と判断した。
町田さん、やればできるじゃありませんか。
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ナタラジャの控訴趣意書と判決文を掲載しました。控訴趣意書は裁判所に提出したものの写しが欲しい旨、本人が国選弁護士に依頼しましたが、草稿段階のものしか頂けませんでしたので、日付が入っていません。
控訴趣意書・控訴審判決文
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最高裁への異義申立書
異議申立書
平成17年(あ)第1175号 大麻取締法違反、関税法違反
被告人 ■■■■
最高裁判所 第3小法廷 御中
平成17年9月7日
弁護人 真木 幸夫
頭書被告事件につき平成17年9月5日上告棄却の決定があり、同月6日決定謄本の送達を受けたが、下記理由により異議を申し立てる。
異議の理由
1.はじめに
御庁がなされた9月5日付け上告棄却決定は、理由が簡略に過ぎ、根拠も示さず理解し難いものであって裁判を受ける被告人、国民の側からすれば、憲法に保障された裁判を受ける権利(憲法31条、32条)というものはこの程度の意味しかないものかと誤解を招く虞すらある。
2.
同決定は、弁護人の上告趣意に対して、「大麻取締法違反及び関税法の各規定違憲をいう点は、大麻が有害なものではないとか有害性が非常に少ないものとはいえず、また、これらの法律が定める所論は刑が違反行為の罪質に対して著しく均衡を欠くものとはいえないから、所論は前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、実質において単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意のうち、大麻取締法の規定違憲をいう点は、前同様前提を欠き、同法の適用違憲をいう点は実質において単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。」としている。
3.最近の大麻取締りについての立法的事実精査、検討の重要性
少量の大麻製品の非常習的な自己使用目的の行為は訴追を免除すべきであると結論付け、大麻法自体を基本法違反と断じた少数意見も付されているドイツ連邦憲法裁判所の1994年3月9日決定等の海外の裁判所の動向も参考にされるべきであり、又20世紀末から21世紀に入って加速している大麻についての欧米先進諸国の最近の非刑罰化、医療合法化等の顕著な合法化傾向に鑑みても、約60年前の大麻取締法制定当時や20年前の最高裁の合憲決定が出された時点とでは、大きく法規制を支える立法事実が変化している。
さらに、規制緩和が要請されているわが国全体の昨今の社会情勢からも、大麻取締法自体が見直しを求められていることは、明らかである。
法規制の見直しをしないのは、明らかに国会の怠慢である。
最近の医学的、科学的根拠にも裏打ちされた上記欧米を中心とする先進国で大麻規制が非犯罪化され、非刑罰化されている状況は、現時点での法律の合憲性、違憲性を支える重要な立法事実として十分に考慮に入れられなければならないのである。
4.司法裁判所としての責務
立法、行政の過誤、怠慢を糾すことこそ、司法裁判所の責務である。
理に基づいた個人の自由、権利の主張が窒息させられようとしているのであるから、これ以上意味の無い「立法裁量」の隠れ蓑で違憲の瑕疵を覆い隠し続けてはならない。特に人の健康や人心の自由に拘わることについて、法律の改廃、修正は一刻の猶予もならないはずである。大麻(THC)の薬効を欧米の大手製薬会社が研究して抗うつ剤やエイズ、末期癌の患者に対する薬として製品化もされ始めている世界的現実を直視しなければならない。
以上により、本件上告趣意に鑑みるならば、9月5日付け上告棄却決定は、理由が付されておらず、内容に明らかに重大な誤りがあると愚考せざるを得ないものであり、人権擁護の最後の砦である司法裁判所の責務を放棄したとの誹りすら免れ得ないものであると考える。
よって立法事実の検証、すなわち、記録の精査と再度の考案を求め、敢えて異議申し立てに及んだ次第である。
5.むすびにかえて
最後に司法裁判所の責務ないし「実質的法治国家の実現」という点に関して、次の法律書の一節を特に掲記したい。
「第2次世界大戦後、まず最も強く指摘されたのは、『法律による行政の原理』とは、『法律によってさえいればよい』あるいは『法律によりさえすれば何でもできる』ということと同義ではない、ということであった。これは、…しばしば『形式的法治国に止まらず実質的法治国の実現を』という表現によって主張されたところである。
この『実質的法治国』ないし『法の支配』の標語の下に問題とされてきたことは、伝統的な『法律による行政の原理』との関係では、おおよそ2つの事柄であった、ということができよう。第一は、『法律による行政の原理』とは、行政はともかく法律に従ってさえいればよい、ということなのではなく、その場合、法律自体が一定の内容の保障のあるものでなければならない、ということであり、第二は、伝統的な『法律による行政の原理』のみでは、これを如何に全行政活動にわたり貫徹したとしても、国民の権利救済という観点からは不充分なものが残る、ということである。
ところで、右の第一については、実は、日本国憲法が立法権に対する関係でも基本的人権を保障し、更に、裁判所に違憲審査権を与えているということにより、法制度は一応の決着がなされている、と言うことができる。」(藤田宙靖『第3版 行政法Ⅰ(総論)〔改訂版〕、1995、122頁以下』)
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Iさん上告棄却
平成17年(あ)第1175号
決定
上記のものに対する大麻取締法違反、関税法違反被告事件について、平成17年4月28日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人真木幸夫の上告趣意のうち、大麻取締法及び関税法の各規定違憲をいう点は、大麻が有害なものではないとか有害性が非常に少ないものとはいえず、また、これらの法律が定める所論の刑が違反行為の罪質に対して著しく均衡を欠くものとはいえないから、所論は前提を欠き、その余は、違憲をいう点を含め、実質において単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人本人の上告趣意のうち、大麻取締法の規定違憲をいう点は、前同様前提を欠き、同法の適用違憲をいう点は実質において単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
よって、同法414条、386条1項3号、181条1項ただし書により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
平成17年9月5日
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 藤田 宙靖
裁判官 濱田 邦夫
裁判官 上田 豊三
裁判官 堀籠 幸男
裁判所書記官 吉川 哲明
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タイから持ち込んだチャラス(大麻樹脂)を、売った事実も証拠もないのに、単なる推測で営利目的と断定され、初犯でありながら懲役4年半の長期の実刑判決を受けたIさんの上告が棄却されました。
Iさんは控訴審から大麻取締法の違憲性についても主張しましたが、相変わらず最高裁は内容的な審理を一切せず、その思考停止ぶりを改めて曝け出しました。
数々の上告で大麻取締法の問題点を科学的・論理的に指摘しているにも拘らず、全く内容の審理をしようとしない憲法の番人。これで最高裁が機能していると言えるでしょうか。これは個々の判事の資質の問題でしょうか。この国の司法システムの重大な欠点が露呈しているのだと思われてなりません。
Iさん上告棄却決定文
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上申書
平成17年(あ)第1175号 大麻取締法違反、関税法違反被告事件
最高裁判所第三小法廷 御中
上申書
平成17年7月19日
大麻取締法被害者センター
主宰 白坂和彦
頭書事案について、判事様諸賢にご検討頂きたい点、下記の通り申し上げます。
1. 大麻の事実についての評価
昨今、大麻取締法違反の事案において、最高裁への上告を含む多数例が、大麻取締法の違憲性を主張しています。その主張は、下級審においては、昭和60年の最高裁判例が引かれ、大麻の有害性を「公知の事実」であるとして退けられてきました。
しかし、本件被告人の控訴審において、弁護人が提出した趣意書の通り、現在では英国の製薬会社であるGW製薬社が大麻抽出物を原料とした医薬品サティベックスを生産し、カナダではこれが認可されております。オランダやベルギー、米国の複数の州においても医療用大麻は制度的に利用が可能です。
また、個人のレクリエーショナルユースにおいても、欧州諸国では非刑罰化が進み、個人使用目的の少量の大麻所持は訴追しない施策が講じられています。ドイツにおいても憲法裁判所の判断により、同様の措置が取られていることは累次の大麻裁判で指摘されている通りです。
大麻取締法被害者センターは、この法律によって逮捕された本人やご家族近親者からの相談を受け付け、大麻や裁判についての情報を提供しておりますが、最近は外国籍の方からの相談も増えています。例えばデンマークから来邦された方が同法で逮捕された案件がありましたが、デンマークでは個人使用目的の100g以下の大麻については、罰金300デンマーククローネ(約5,400円)の軽犯罪であり、自転車に乗りながらの携帯電話使用の罰金500デンマーククローネ(約9000円)よりも軽い扱いとなっています。人権を重視する先進各国においては、個人使用目的の少量の大麻所持は、逮捕勾留する必要のないものとして認知されているのが現実です。
一方、我が国では、大麻取締法によって大麻の研究すら禁止されているため、厚生労働省も大麻の科学的データを一切保有しておりません。これは先般上告が棄却された桂川直文氏を被告とする事案〔平成17年(あ)第840号〕において、大阪高等裁判所における控訴審〔平成16年(う)第835号〕で、弁護側による資料の一部としても明らかにされた通りであり、本件控訴審においても弁護人が趣意書において指摘しています。
桂川氏の控訴審判決は、それまで同種裁判の判決に見られたような、大麻の有害性を「公知の事実」として断ずるものとはなっておりません。同控訴審では、検察が現状の大麻規制の正当性について書証を提出しましたが、弁護側が科学的な資料を提示し、論理的に反証が加えられました。厚生労働省の外郭団体である財団法人覚せい剤麻薬乱用防止センターのウェブサイトにある大麻の有害性に関する記述も検察側書証として提出されましたが、その出典を弁護側が求めたのに対し、検察は同財団に問い合わせたものの、その出典を得られなかったので提出できないと、その無根拠を露呈しています。
また、桂川氏の控訴審で提出された弁護側資料を引用して行なわれた高松高裁のM氏を被告とする裁判〔平成16年(う)第400号〕においても、検察は新たに現状の大麻規制を正当化する論文を提出しましたが、これについても当該論文の非論理性とデータの不備を指摘し、控訴自体は棄却されたものの、判決は大麻の有害性を「公知の事実」とせず、これを否定する見解が存することを認めています。
下級審において示される大麻取締法違憲論否定の判例は、昭和60年の最高裁決定ですが、以来、世界的には大麻の有害性どころか、有効性・有用性を立証する科学的研究の成果が次々と発表されています。2003年にポルトガルで開催されたサッカーの世界大会においては、当局はフーリガンの暴動を封ずるためにアルコールを規制する一方で、大麻の使用を黙認すると発表しました。アルコールと違い、大麻の使用で暴力的になることはないからであります。
本件控訴審において弁護人が提出した資料の通り、大麻は幻覚や幻聴を引き起こすものではなく、大麻が原因で二次犯罪が発生した事実もありません。
最高裁判事様諸賢におかれましては、大麻の事実をご精査頂き、本人の健康問題でしかない案件において、国民を逮捕勾留し、その生活を破壊する規制実態を、基本的人権の保障という観点からご賢察頂きたく、お願い申し上げます。
2. 大麻取締法昭和38年改正の誤謬
大麻取締法は昭和23年に制定された当初、罰金刑の規定がありました。それが、昭和38年の法改正によって罰金刑が廃止されました。しかし、この法改正当時、大麻が何らかの社会的問題を引き起こしていた事実はありませんでした。このことは、趣意書にも記載の通り、既に昭和61年9月10日に伊那地裁において丸井英弘弁護士が当時の厚生省麻薬課長を証人尋問し、明らかにしています。その法改正は、当時流行して社会問題となっていたヘロインの規制を強化するために、関連法として一律に重罰化されたものであり、大麻によって何らかの社会的問題が発生していた事実はないと麻薬課長は証言しています。
大麻に関しては、何ら社会的問題はなかったにも拘らず、罰金刑を廃止し、一律に懲役刑を以って規制することとした昭和38年改正は、適正な手続きを経たものとは言えず、立法の根拠がありません。根拠のない法改正により、爾来多数の国民がこの法によって逮捕勾留され、職を失い、学籍を失い、家庭が崩壊し、人生の基盤を破壊されています。これは基本的人権を保障する憲法の趣旨から逸脱した、違憲の改正であると指摘せざるを得ません。
大麻に関する科学的事実、社会的事実からも、昭和38年の大麻取締法改正は無効であり、同法が違憲ではないとしても、罰金刑が復活されるべきであると愚考いたします。
3. 最高裁の判断について
大麻取締法違反事件において、同法の違憲性を主張する上告がこれまで多数なされていますが、いずれの場合も最高裁判所は上告に「理由がない」と断じ、これを棄却しています。
しかし、「理由がない」と断ずる理由については一切説明がなく、とても国民が納得できるものではありません。これでは最高裁が説明責任を果たしているとは言えません。司法の公正を信じ、真摯な思いで上告した被告人本人はもとより、この問題に関心を寄せる多くの国民が、棄却の理由すら示さずに「理由がない」と断ずる最高裁に疑問を感じています。4. 本件における事実認定の誤謬について
本件被告人であるI氏は、まだ千葉の拘置所に収監中、当センターに相談の手紙を送付してきました。そのなかで、I氏は、押収された住所録に記載のある、大麻とは無関係の友人や知人に捜索が及んで迷惑をかけることを恐れ、それを暗に示唆する検察官の問いに、営利目的の密輸であったことを事実ではないのに認めてしまったと述懐しています。公判記録によっても、I氏が営利目的で譲渡した事実すらなく、従ってその証拠すらなく、数年前の海外渡航の際から使用しているノートにあった走り書きのメモのみによって営利性を断定されています。このような不十分な証拠によって、初犯である被告人を懲役4年6月という長期の実刑に処すことは、被害者の身体や精神に傷害を負わせる昨今の事件に見られる執行猶予付判決と比べても、著しく公平を欠くものです。
何卒、この判決を見直し、温情のあるご裁断を伏してお願い申し上げます。
5. 最後に
大麻取締法で逮捕された者は、勤務先を解雇されたり、学籍を失ったりと、人生の基盤を破壊されることも少なくありません。誰にも、どこにも、危害どころか迷惑すらかけていない事案で長期の実刑を科すことは、先進諸外国や、大麻が文化として定着している多数の国の現実と比べても、あまりにも人権を軽視した処遇です。科学的なデータや海外における大麻の非刑罰化の潮流を指摘しての違憲論についても、これまで最高裁はその棄却理由について全く説明しておりません。このようなあり方は、国民の遵法精神を阻害するものであり、多くの国民が司法に対し幻滅の感情を抱いているのが現実です。
最高裁判所ウェブサイトを拝見すると、町田顯長官の「裁判官としての心構え」に、次のような記載があります。
「近時,透明なルールによる判断を求め,国民の司法に対する要望,要請が大きくなってきていますので,これに対し正面から全力を挙げてこたえていきたいと考えます。」
判事様諸賢におかれましては、「理由がない」の一言で棄却せず、大麻の事実をご精査頂き、被害者なき犯罪によって長期刑を科す過剰な規制を見直して頂きたく、三権分立に一縷の望みを託しつつ、お願いを申し上げます。
以上、上申いたします。
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Iさん裁判の控訴趣意書と判決文を掲載しました。この趣意書を作成した弁護士は公判直前に解任し、後任の弁護士とともに大麻取締法に異議を唱える趣意書が提出されました。
作業が遅れているため、これ等の経緯については後ほど掲載いたします。
今回掲載した趣意書には、その作成された意図を述べた説明文が、弁護士から本人・近親者へ寄せられています。
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本人による上告趣意書
平成17年(あ)第1175号 大麻取締法違反、関税法違反被告事件
被告人 ■■■■
上告趣意書
最高裁判所 第三小法廷 御中
2005年(平成17年)7月26日
被告人 ■■■■
記
第1 はじめに
私は、昨年6月に逮捕されて以来、二度と法律違反をしない意志を当初からはっきり伝えてきた。違法であることを知りながら今回の行為に及び、それによって家族や知人に多大に迷惑をかけてしまったことに大変苦痛を感じており、反省の意思は一貫して変らない。
しかし個人使用目的の大麻の取扱いには、刑罰に相当する害悪などあり得ず、そもそも大麻の作用自体に、法律によって取締るべき有害性の無いことは、現在に至るまでの膨大な欧米の公的機関による研究と、近年の非犯罪化の動向によっても、既に結論が出ている。大麻自体に有害性が無いことが明らかである以上、他人にも社会にも被害を与えることはあり得ず、自分自身に対してさえ害はあり得ない。公共の福祉に反せず、他者の権利も侵害せず、どこにも被害者の存在しない行為に対し、原判決の実刑4年半(及び罰金100万円)は余りにも重過ぎ、不当だとしか思えない。
取調べの担当であった浅沼検事は、「あんた自分のやった事で世の中がどういうことになるのか解っているのか!」「日本が薬物で汚染されるんだよ!」と言ったが、そうはならない事だけは確かなのである。大麻はそういうものではない。このように虚偽の事実と単なる偏見に汚染された現状こそ、社会と国民にとって害悪であると私は信じる。
大麻の有害性には根拠がなく事実に反することと、大麻取締法の違憲性については、控訴審において信頼性のある資料の提出とともに詳しく述べた。しかし判決文では量刑の理由について、専ら「営利性」を言うのみで、それ以外の説明は一切無かった。どのような理由によって実刑4年半の重刑なのか、何故これほどの重刑を科す必要があるのかという本質的問題には一切触れず、審議するつもりも無いことだけは理解できたものの、理由も解らないままでは納得出来ない。
大麻取締法の違憲性を主張すること、大麻に関する正しい事実を正しく認識してほしいと願うこと、これ等を主張することは、既に述べた反省の意とは絶対に矛盾しないと確信してのことである。是非とも公正な審議を賜りたく、そのために上告するものである。
第2 大麻取締法の違憲性
1.大麻取締法は、その適用の立法事実を欠き、その定める罪科は不当に重すぎ、憲法13条(個人の自由と幸福追求権)、14条(法の下の平等)、18条(狭義の自己所有権)、19条(思想と良心の自由)、25条(広義の生存権)、31条(適正手続の保障)、36条(罪刑均衡の原則)に違反し、違憲無効である(法令違憲あるいは適用違憲)。
これを適用した原判決は不当であり、破棄されるべきである。
以下、詳しく述べる。
2.立法事実の不在
(1)大麻取締法には保護法益がない。目的も書かれていず、立法事実が不在である。その罰則規定は明らかに必要最小限のものではなく、手続の適正を欠くものであって憲法31条に反し、罪刑の均衡を失して過度に重く、同36条に反して違憲である。
昭和62年の長野地裁伊那支部では、当時の厚生省麻薬課長への証人尋問が行われ、大麻による社会的弊害は当時も過去にも無かったこと、また厚生省は専ら覚醒剤に予算を回しており、大麻に関するデータは一切保有していないことなどが明らかになった(長野地方裁判所伊那支部,昭和60年(わ)第6号大麻取締法違反被告事件,第10回公判調書証人尋問) [*1]。
更に昨年2004年には、市民団体(現在会員数3650人)によって厚生労働省に対する情報開示請求がなされた結果、厚労省は現在に至っても大麻に関するデータを一切保有していないことが明らかとなった(厚生労働省発薬食第040833号他)。大麻によって何らかの健康障害が起きたことは無く、大麻に起因する二次犯罪が発生した事実も無いのである [*2]。
アルコールやタバコが大麻の喫煙以上に保健衛生上害があり、健康上有害であることは医学的にも明らかであるが、なぜ大麻が、それらの物質よりもより強く規制されなければならないかという点は全く不明であり、不合理極まりない。未成年者に対する規制さえしておけば足りるのではないかということは、煙草、アルコールの規制と比較すれば容易に分かることである。大麻取締法は、1948年(昭和23年)制定されたが、GHQの要請で一方的に制定されたと考えられるのみで、その法律を支える立法事実はまったく不明確である。
仮に大麻の危険性・有害性を肯定していたところで、一体誰に対して有害だというのか、誰のための法律なのかが全く不明である。立法当時はもとより、現在においても、強い刑罰を伴う規制を成人に対してまで必要とする立法事実は希薄である。
一方、飲酒や喫煙は、害があろうとも個人の自由として認められているのであり、幸福追求権として保障されている。
(2)大麻はいわゆる麻薬ではない。厚労省(具体的には厚生労働省外郭団体である財団法人『麻薬・覚せい剤乱用防止センター』に代表される)は、ひとえに過剰な表現を用いて大麻の害悪を宣伝するが、厚労省は過去にも現在にも一切のデータを保有したことがなく、自ら宣伝する大麻の有害性には根拠の無いことを認めている(にも拘らず同センターのホームページは、その出典さえ示されていない大麻に関する記述を、現在も改めていない)。
有害性を問題にするなら、薬物に限らず、合法的な医薬品・化粧品・食品・嗜好品などを含むいかなる物質であっても、使い方や使用量を誤れば人体に有害に作用するものであり、有害性を完全に否定することは不可能である。同様に完全なる無害性というものも現実世界にはあり得ない。これまでの裁判所の見解では、「有害性を否定できない限り」というのが決まり文句のようであるが、これは初めから検討するつもりはないと言うに等しい。
◎大麻問題で英国上院委員会顧問を務め、王立カレッジの名誉会員その他多数の肩書きをもつレズリー・アイバーセン博士は、「カナビス(大麻)はアスピリンよりも安全な薬で、長期間使用しても深刻な副作用はない。」「いかなる薬といえども、百パーセント安全ではない。アスピリンやこれに類する鎮痛薬の副作用によって毎年、何千名という人びとが死亡している。大麻にも当然、副作用がある。しかし、そうだとしたらそれはどの程度深刻なものなのだろうか? そしてそれは、大麻の合法利用を禁じる方策を正当化するほどのものなのだろうか?」と述べている。(L・アイバーセン著『マリファナの科学』築地書館より)
◎医療マリファナの治験を行なっている英国GW製薬の文書によると、「カナビスの安全性については数百年にわたって、死亡した例は一件も報告されていないほど確かなものである。実際、カナビスの致死量指数は通常使用の4万倍と見積もられており、アスピリンの23倍、モルヒネの50倍に比較してはるかに高い」のである。(GW製薬 http://www.gwpharm.com)
◎国連世界保健機構(WHO)の「薬物乱用プログラム・レポート」1997年の報告は、次のように述べる。「カナビノイドを短期または長期にわたって使用しても、人間や動物の肝機能に影響を与える兆候はほとんどない。動物実験では、カナビノイドは腸運動を低下させ胃の内容物の排出を遅らせる働きがあることが示されているが、その結果として便秘を引き起こすというような明確な証拠はない。また、通常のカナビスの使用の範囲では、アルコールの体内吸収に影響を与えることもほとんどない。」(http://whqlibdoc.who.int/hq/1997/WHO_msa_PSA_97.4.pdf)
(3)大麻の個人使用は、それによって公共の福祉に反することがなく、他人の権利を侵害しない限り、自己決定・自己責任に基づく個人の自由な行為にすぎない。たとえば飲酒の引き起こす犯罪は、具体的な犯罪によってのみ裁かれる。飲酒そのものが不道徳と考える人も多数いるが、この考えを他人に押し付けることは許されない。呑みたい者にも呑みたくない者にも、その人が他人に害を与えない限り、いずれも強要することは許されるべきでない。
自分の自由を行使して、そのやり方が他人の目から見て「本人のためにならない」と思われても、止めるよう強制することは出来ない。
また、真に道徳的問題に関する事柄なら、権利侵害に至らないインフォーマルな社会的制裁が自ずと加えられるのであり、それによって個人の規律や社会の秩序はある程度は保たれる。道徳の実現は政府の任務ではなくて、社会を構成する人々の行動の結果である。自分にとってどのような生き方が望ましいかを決めるのは本人であって、公的な判断の対象ではない。
アルコールにしても大麻にしても、酔って体現されるのは、結局のところその個人の潜在的な性質に他ならない。
それでも尚、アルコールが暴力的な作用を呼び起こすケースが圧倒的に多いのに比して、大麻の作用が非常に平和的であることは、ポルトガルにおけるサッカーのユーロ2004大会においても証明されている。ポルトガル警察は、暴徒化するフーリガン問題の対策として、大会期間中は大麻の喫煙を黙認すると発表した。酒を飲んで暴徒化されるよりも、大麻を喫煙してのんびりしてもらう方が遥かに良いことからこの決断を下した。試合後の報告は、この戦略が成功したことを伝えている。(http://www.guardian.co.uk/uk_news/story/0,3604,1236239,00.html)
(4)諸外国の規制緩和の動向は、大麻に取締るべき理由も必要もないことを示すものといえる。
大麻の個人使用を非犯罪化している国々は、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、スペイン、カナダ、オーストラリアなど。
アメリカ合衆国では、現在12州が大麻の個人使用を非犯罪化。医療使用については9つの州で合法化(大麻がヘロイン同等の範疇に入れられているアメリカの薬物規制法においても、臨床試験を含む大麻の医療研究等は可能であり、実際に研究が続けられている)。非犯罪化対策は12州のほか、地方自治体の単位でも現在4か所で導入されている。シカゴ市は2004年9月より、大麻の非犯罪化を検討中。今年2005年に入り、ウィスコンシン州の州都マディソン市も、大麻をほぼ非犯罪化。バンクーバー市は、市長ラリー・キャンベルが、市内での大麻の販売を近日中に合法化したいと発言。
ポルトガルでは、2001年1月に法改正案が議会を通過。全ての麻薬の個人使用を罰則の対象としない代りに、麻薬使用者は依存症の程度に応じて治療を受ける義務を負う。
ニュージーランドでは、2003年8月、代議院衛生委員会が「高い優先順位」で大麻の法的分類を見直すよう国会に勧告。
ジャマイカでは、2004年5月、国家ガンジャ委員会が、「諸法律は個人のプライベートな大麻使用を罪に問わないようにするべき」という報告を決議した。
ロシアでは、2004年5月、規制薬物の少量の所持を非犯罪化。
デンマークでは、少量の大麻所持を警告のみで対応するよう検察長官が警察に勧告。100g以下の所持は警告のみ、または約5400円の罰金(自転車に乗りながら携帯電話を使うことの方が罰金は高い)。
スペインのカタルニア地方は、2005年2月、医療大麻の処方開始を健康局の担当者が発表した。
つい先頃5月には、スイスの連邦薬物委員会が、「もっと説得力のあるドラッグ政策を採用すべき」と発表。報告書によると、フランシス・フォン・デル・リンデ委員長は政府に対し、「われわれは、薬物を道徳的規律で判断することを止め、もっと現実に対応して振舞う必要がある。」 と語ったという。(http://www.thehempire.com/pm/more/A3645_0_1_0_M/)
更に7月には、米国のカソリック保守的地盤のロードアイランド州でも医療大麻が支持されていると報道された。(http://www.thehempire.com/pm/comments/P/3799_0_1_0/)
尚、英国政府との協議による英国GW製薬が開発した世界初の総合的な大麻製剤「サティベックス」は、2004年にカナダで認可され、今年になって配布が開始された。(GW製薬 http://www.gwpharm.com)
(5)これらの非犯罪化政策が悪い結果をもたらしたとの報告はこれまでに無い。あれば既に問題になっている筈だが、ますます有効な効果が期待されていればこそ、これに倣う都市や自治体が相次いでいるのである。
シカゴ市の大麻の非犯罪化は、シカゴ市警の巡査部長によって提案され、市長がその方針を支持しているが、これにより年間推定500万ドルの収益があげられるという。市長は、犯罪として追及し続けるのは、納税者のお金や警察の時間や財源を無駄にすると語っている。(NORML News Archives http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=6235)
米バージニア州では、大麻に関連した逮捕と裁判費用が年間4,340万ドル(約46億円)にものぼることがジョージ・メーソン大学の調査結果で明らかになっている。調査結果の著者は、「大麻の単純所持者を検挙することで、より重要視されている犯罪の捜査や摘発を妨げている」「州や地方自治体の予算をより有効に使い、かつ若者を不必要に刑務所に入れる必要がなくなる」という。過去に反対姿勢をとってきた米麻薬取締局長官のジョン・ウォルターズ氏も、最近ではこの非犯罪化政策を支持するかのような発言をしている。(http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=6235)
また、刑罰の重さは大麻使用率に影響しないことも、研究結果が報告されている(2004年5月 米・カリフォルニア,American Journal of Public Healthに掲載)。この研究が、米国で非犯罪化を達成した州とそうではない州とに差がないとするアメリカ政府による研究結果をも裏付けた。大麻を法的に取締る結果、年間約10億ドル(約1,140億円)と70万人の逮捕に繋がるが、度重なる研究で、取締りに効果がないという結論が出されている。(http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=6056)
更に2004年3月、国連の第47回麻薬委員会の開催にあわせてヨーロッパ財団ネットワーク(NEF)のComite des SagesおよびThe Senlis Councilの代表らが集まったシンポジウムで、国連の麻薬取締りが酷評された。公演者は、取締りの現状が麻薬関連犯罪を増加させ、国際安全を危機に陥れ、テロリズムの資金源にさせていると批判している。英国の元コロンビア大使キース・モリス氏によれば、「この(刑罰をもってする麻薬類の禁止)システムは機能していない」。元インターポール事務総長のレイモンド・ケンダル氏によると、国連は1998年に「2008年を目標に麻薬類のない世界を目指した」が、「目標の半分以上が経過しているが、麻薬は今まで以上にある。何かを成し遂げていることはない」。(http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=5992)
3.刑罰の不均衡
(1)大麻取締法には選択刑としての罰金刑がない。昭和38年の改正までは罰金刑があった。それが当時流行していたヘロインの蔓延を防止する目的で薬物関連法規が一斉に強化され、大麻による社会的弊害は一切なかったにも拘らず、大麻取締法の罰金刑もが廃止された。
つまり大麻取締法の罰則規定が過度に厳しいのは、大麻についての根拠のない誤った認識、ヘロイン等と同列に扱われたことに起因するもので、罰金刑を廃止した法改正には全く根拠がない。仮に大麻取締法の制定時にはその規制の必要性を認める立法事実があったとするにしても、昭和38年の罰金刑廃止による過度の罰則強化は、刑罰の不均衡を生じさせ、少なくともこの時点で、大麻取締法は必要最小限度の規制を逸脱し、手続の適正を欠いて憲法31条に違反している。
刑の内容は、一貫して筋の通ったものでなければならず、罪の大きさと刑の大きさとは均衡を保つものでなければならない。大麻の刑罰規制は、覚せい剤取締法等と比較すれば決して重くはないとの見解が多くの裁判例で示されるが、有害性の殆どない大麻に、ましてや選択刑としての罰金刑さえ無いことは、重過ぎることが誰の目にも明らかである。
(2)人間の自然な感覚によっても、合理的な考えによっても、理由なく無用な苦痛を与えたり、不必要に残酷な取り扱いをすることには意味がなく、不正であると言ってよい。憲法36条がこれを表したものと考えられる。
倫理学や政治哲学においても、自説を積極的に主張しようとするならば、それ以上正当化できない直観にどこかで訴えかけざるを得ない。まさに「理由のない苦痛は避けるべきだ」とか「自分の身体は(道徳的な意味でも)自分のものだ」という判断は、それ以上正当化できなくても、否定し難い直観であり、人間である以上、道徳的直観に訴えかけることは自然である。いわば「人道に反する」というのがそれであろう。
第3 原判決の問題点
(1)原判決は、大麻取締法が違憲であるとの主張に対し、20年前の最高裁決定をもって「合憲であることは明白」というのみで、理由の説明がない。この決定の根拠には大麻に関する認識の誤りがあり、その後は研究も進み、現在は当時と状況が大きく異なる。そのため、事実を踏まえ信頼のおける資料を示して主張したのだから、納得させる説明がなされるべきである。
(2)原判決は、本件を営利目的と断定する証拠はないにも拘らず、過去に大麻を売る意図を持ったことがあるのならば今回も必ずや営利目的であるという。この考え方は余りにも短絡的すぎる。また、量が多いから自己使用目的とは信じられないのだという。あたかも全ての行為は金目当てによるものという一元的な価値観と偏見に基づいて断定をしているにすぎない。
実際、社会が物質的に豊かになればなるほど、却って金で買えないものは増える一方であることに人々は気付かされるのが現実である。初めから大麻を換金用の品物としてしか見ておらず、大麻によって得られる価値は金に換えられないと思う者もいることを、検察官ばかりか裁判所までもが認めない。また仮に認めたところで、それをもって心身への依存性を示すと見做し、大麻の有害論へ短絡的に結び付けられるばかりである。本件に限らず、これまでの殆どの裁判例では、まるで何かに依存すること自体が悪徳であるかの如く形容されてきたが、これが差別的な見解であることは明らかである。
この見解によれば、充実感や心の平安を求めることや、芸術作品や人間関係などは、比較にならぬほど依存性が高く、即ち有害ということになる。しかしこれ等を希求することは法律によって禁止されてはいない。それどころか幸福追求の権利と精神の自由は憲法によって保障されている。
原判決は、憲法13条および14条の精神に著しく反している。
第4 最高裁判例の問題点
(1)昭和60年の最高裁決定当時は、海外においても公的機関による大麻の研究は現在ほど多くはなく、国内で手軽に参照できる情報は少なかったに違いない。しかし、現在は欧米諸国で急速に研究が進み、個人使用の非犯罪化と医療目的使用の合法化が加速的に実行されている状況である。
にも拘らず、最近の裁判例を見ても、十分な資料が弁護側から提出されていながら、裁判所の見解は殆ど当時と変らない。むしろ、既に判例があるからという理由で、より簡単に、一律に処理されているようである。
国内で研究がなされない以上、他国の状況を無視してはならない筈である。20年前と大きく異なる現状を考慮せず、問題を放置しておくために生じる弊害は、その取組みが遅れるに従って拡大するばかりである。
もはや情報の入手は誰にでも容易である。20年前と違い、翻訳出版された多数の書籍は、公的機関による科学的・学術的な研究結果を網羅したもの、更には、大麻の文化・歴史を網羅したもの、医学博士による大麻の医療効果のレポート、現場の医師と患者の体験談、大麻がバイオマスエネルギーとして環境改善に必須の存在であること、大麻産業の大きな可能性、種は栄養食品として大豆以上であること等々、あらゆる分野にわたり内容も詳しく充実している。国内で大麻について書かれた出版物も増えた。もはや大麻に関する情報に「根拠がない」とする根拠はどこにもない。
それが事実であるかないか、有害であろうと無かろうと関知しないというのが、残念ながら国を挙げての姿勢であると思わざるを得ない。裁判所はただ「根拠がない」「相当である」「合憲である」などとしか言わないのが通常である。なぜ合憲であるかの理由といえば、「既に判例が出ているから」に尽きるようである。裁判所にとっては立派な理由になり得るのだろうが、既に現状に合わない判例を見直してほしいと願う訴えに対する判断の理由にはなっていない。
(2)上記の最高裁判例の再検討は、当初から法学者によっても指摘されている。いずれも、今後「有害性」に関する事実がより明確となるなら、検討し直す余地があるものと捉えられている [*3]。
◎「ところで、昭和三八年の「麻薬取締法等の一部を改正する法律」(昭和三八年六月二一日法律第一〇八号)によって、麻薬取締法、大麻取締法、あへん法の罰則が整備強化されたのであるが、それまでは本法の実質犯については三年以上の懲役、選択刑・併科刑としての罰金刑が規定されていたところであるし、大麻の有害性が従来考えられていた程のものではないとすれば、立法政策として罰金刑を復活させる余地はある。」(吉田敏雄「第六章 大麻取締法」~『注釈特別刑法 第八巻』立花書房,1990年,362-365頁)
◎「しかし、「有害性」の内容、大麻取締法をめぐる憲法議論において、それがどのような意味をもつかについてはなお検討が必要であろう。」(吉岡一男「法学教室」64号110頁)
◎「大麻の有害性がかって考えられていた程のものでないとすれば、大麻取締規制はもとより本法でも昭和三八年の改正までは実質犯にも選択刑として罰金刑が設けられていたことをも考慮すると、立法論としては実質犯についても、選択刑として罰金刑を復活させることが考慮されてよいと思う。」(植村立郎「Ⅶ 大麻取締法」~『注解特別刑法5Ⅱ 第2版』平野竜一編,青林書院,1992年,82-87頁)
◎また1994年、ドイツの連邦憲法裁判所は、少量の大麻製品の自己使用目的の行為に関し訴追を免除すべきであると判示したが、法学者は次のように解説している。「わが国でも、大麻取締法の合憲性について、裁判でしばしば争われてきたところであるが、1985年に最高裁判所が大麻の有害性を肯定して以来、実務上はすでに決着がついたとみなされているようである。学説上もこの決定に対して正面から異を唱えるものは存在しない。連邦憲法裁判所の本決定は、この再検討を促すものであろう。」(工藤達郎「ハシシ(Cannabis)決定~薬物酩酊の権利?」~『ドイツの最新憲法判例』信山社/大学図書,1999年,40-45頁)
更に、昭和62年5月30日、長野地裁伊那支部における判決では、大麻取締法を合憲としながらも、「アルコールやタバコに比べ大麻の規制は著しく厳しい」、少量・私的使用の場合の懲役刑についても「立法論としては再検討の余地がある」との見解が示されている。
(3)但し、平成17年4月19日宣告の高松高裁判決(平成16年(う)第400号)では、大麻の有害性を完全に否定する内容ではなかったという。「…有害性の程度についての見解の相違などから、人体に対する有害性を否定し、又は有害性を肯定できるだけの決定的な証拠はないとする見解も存することが認められる。このように、大麻の有害性については、多様な見解が存するところ…」と書かれたことは、注目であった [*4]。
第5 大麻取締法による弊害
1.大麻取締法は国民の遵法精神を損なう
(1)悪法とその放置がもたらす弊害と損失は計り知れない。「必要の前に法律はない」という言葉の如く、国家の非常事態においてはそのような考え方も必要な場合はあるだろう。しかし個人においても、難病に苦しむ患者などは、最早そのような切迫した状況にあるのではないか。
現実には、重度の病人は医療大麻の合法化運動などをする体力も気力も無かろう。大麻の医療効果を知らない患者も多いだろうが、自己の生命が危険に晒されている時、もし善意で大麻の使用を勧められて所持すれば、現行法では逮捕される。
近時、大麻取締法の違憲性とともに医療大麻の必要性を主張した裁判例が既にあるが、「医療目的による使用については、大麻の有害性を前提としてそのような研究が外国で始まっているにすぎない」と処断されるなど(平成16年(う)第577号 大阪高裁判決) [*5]、裁判所は全く取り合わないのが現実である。これでは、「必要の前に法律の解釈は無限に自由である」と裁判所が認めているも同然で、法と政治に対する不信感を国民に植え付け、国民もそれに倣うなら、法律は有名無実と化すのみである。
実際、大麻の研究も禁じられ、大麻製剤の輸入さえ不可能な現状は、その気力と体力の許される限り、海外へ大麻の治療を受けに行く者を増やす一方であろう。
(2)個人的な大麻事犯で逮捕される人々の多くは、他の面では法を遵守しているのが一般的である。このことは予てより「公知の事実」といってよい。しかも有罪になった多くの人は、たとえ、さらなる刑事裁判に巻き込まれたり人間関係や住居が損なわれたりしても、大麻の使用を止めないケースが多いという。そうした意味で、刑事罰のシステムは目的を果たしていない。これは、そもそも実感として大麻の作用に何ら害悪が認められず、道徳的にも全く害悪の生じないことに起因するからに他ならない。しかし有罪判決を受ければ、雇用に重大な影響を与えるなど、犯罪の内容に比して損失は大きく、何のためのシステムなのか全く不明である。
2.大麻取締法は、医療問題の解決と発展を阻む
(1)大麻を海外で医療利用している人たちは、癌、エイズ、多発性硬化症、関節炎、てんかん、緑内障、慢性疼痛、喘息、うつ病、その他さまざまな疾患に対処するために、それぞれ自分に合った方法で使っている。多くの人にとって大麻は、従来の療法に失敗して最後にやっとたどり着いた「安住の地」になっている。
大麻の毒性がアルコールやタバコよりずっと低く、カフェインと同程度であり、有害どころか海外では医薬品として認可され、さらに様々な医学的可能性が大きく期待されている現代にあっては、医学的研究すら禁じている大麻取締法は明らかに日本の医学・薬学の足枷であり、国民の健康や経済発展の見地からも日本国の保護法益を著しく侵害している。
(2)平成15年4月30日の文部科学省・厚生労働省「全国治験活性化3カ年計画」は次のように述べている。
「我が国における治験の空洞化は、つぎのような問題を生じている。
ⅰ)患者にとって、国内での治験が遅れる又は行われないことにより、最先端の医薬品等へのアクセスが遅れること
ⅱ)医療機関や医師等にとっても、最先端の医薬品等へのアクセスが遅れることにより、技術水準のレベルアップが遅れること
ⅲ)製薬産業等にとっては、国内での研究開発力が低下し、さらに治験に係る新しい事業(治験施設支援機関(SMO)や開発業務受託機関(CRO)等)の振興やそれに伴う雇用の創出といった面でマイナスであること
以上、我が国の保健医療水準や産業の国際競争力に対してマイナスの影響が大きいものと考えられる。
したがって、画期的新薬の開発を促進し、患者に対し迅速に新薬を提供していくためには、我が国における治験環境の充実を図り、新薬の開発に資する魅力ある創薬環境を実現していく必要がある。」(「治験」ホームページ http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/chiken/kasseika.htmlより)
かかる点から見ても、医療目的の臨床試験すら禁止し、医薬品としての研究を阻害している大麻取締法は、国民の健康と幸福を保障した憲法13条および広義の生存権である同25条に違反している。政府が最小限の生活を保障することは、絶対的貧困の救済等と同じく、難病患者や重度の病人の救済も当然含まれると思われる。むしろ大麻使用は政府によって早急に奨励されるべき逸材のはずである。
国はこれまで大麻の有害性を立証していないのであるから、「有害性等をも考慮した」上での立法裁量にゆだねられているとして、大麻の使用に関する裁判所の判断を放棄するのは、司法権の独立性を放棄することであり、三権分立を基礎としたわが国の民主主義の否定に通じるものである。裁判所は、いわゆる先進諸国のなかで日本だけが臨床試験を法的に禁止しているという特殊な事情を踏まえ、大麻の使用を一切禁止している理由を(殊に医療に関しては早急に)明らかにさせるべきである。
(3)国が大麻への偏見を改め、正確な見解を示さない限り、世間一般の偏見もどうにもならない。大麻といえば覚醒剤と同じであると思い込んで恐れる人が未だに多い。大麻の存在は国からも世間からも、いわば二重の迫害を受けていると言える。この偏見が、医療の現場にも多大な影響を及ぼし、それはつまり患者たちに影響が及ぶのである。
日本尊厳死協会の理事で日本大学薬理学教授(当時)の田村豊幸氏は、モルヒネと併せて大麻が癌治療に有効活用できる可能性を既に指摘していた。しかしモルヒネ同様、大麻に対する偏見がその普及を阻むであろうと指摘し、「人間がクスリを使うのではなく、クスリに負ける人間を中心にしてモノを考えようという性悪説的発想が、麻薬をも誤解させているのである。」と述べている(『安楽死論集第9集』1985年刊,「癌に対する丸山ワクチンと大麻による安楽死」より)。
残念ながら現在も、このような国内の状況は変わっていない。日本の医療関係者の殆どは、インターネットや海外の医療ジャーナルなどで情報を得て、医療大麻に関する欧米の状況を知っているという。しかし「日本のマリファナ治療の可能性」を尋ねると、大多数は「大麻取締法が大前提になっている日本社会では考えられない」と答えるという(『医療マリファナの奇跡』矢部武著,亜紀書房,1998年刊より)。
3.大麻取締法は、環境改善と産業の発展をも阻む
大麻は医学界においてだけでなく、環境保護問題においても、産業界においても、まさに三拍子揃った奇跡的とさえ呼べるほどの逸材である。大麻は、布や紙から始まって、食用、化粧品、石鹸、(生分解性)プラスチック、建材、油脂、重油など様々な用途で利用されてきた。日用生活に必要なもの全てが大麻から生産できるとさえ言われる。この驚くべき植物は栽培も容易で環境に対する負荷も少なく、「地球を環境破壊から救う」と期待されている。木や石油の消費を減らすことのできる大麻製品は、セロファンからダイナマイトまで2万5千種以上ある。
FCDA(The Family Council on Drug Awareness)が発表した報告によると、「知りうる限りの植物の中で、カナビス(大麻)からは、植物自身に備わったユニークな性質のおかげで最も経済性に富んだバイオマス燃料を作りだすことができる」。しかし、「カナビスの禁止法は、全人類が消費しているエネルギー用ウランやガソリンやプラスチックなどの石油製品など高汚染高価格の燃料に対する、現状で唯一利用可能なエコロジカルな代替品であるこの植物の利用を阻んでいる」。
カナビスには綿と違って肥料が必要なく、干ばつにも寒さにも極めて強く、辺境の耕作に適していない土地でも繁茂する。土壌を痩せさせないばかりか、むしろ痩せた土地の改良に役立つ。カナビス・バイオマス燃料はすぐにでも世界中で生産し利用することが可能なのである。(http://www.ccguide.org.uk/cbee.phpほか)
このような生命力の強さゆえに、今でもしばしば山中で自生しているのが発見されるという。しかしこれほどに有用な植物が、法禁物ゆえに、見つけ次第、無益にも焼却処分に処せられてしまうのである。
自然環境保護や地球温暖化防止、環境負荷の少ない持続可能な循環型社会への取組みは、少なくとも平成12年以来、日本でも大きく扱われている筈である。既に大手自動車メーカーや電気・通信メーカーは積極的である。平成12年は「循環型社会元年」と位置づけられ、循環型社会形成推進基本法、環境物品等の調達推進法(グリーン購入法)などが公布されている。
環境問題にも産業の発展にも、大麻取締法は大きな軛となっている。
4.大麻取締法は、国家的・経済的な損失をもたらす
現在、国内で大麻により逮捕される者は年間2000人以上にものぼり、これが大変な税金の無駄遣いになっていることは、先に述べた米国の統計を待たずとも明らかである。更に最近、次のような記事も発表された。日本の場合にも参考になる筈である。
【カナビス禁止は金食い虫 ~経済、個人,社会への悪影響】AlterNet(2005年6月3日)
今月の始め、500人の先端経済学者の指導的立場にある保守派の重鎮ミルトン・フリードマンが、マリファナの禁止がコストに見合うものなのかどうかについて、国家的な議論をするように呼びかけた。
きっかけはハーバード大学の経済学者ジェフリー・ミロン博士の新しい論文で、禁止を通常の規制システムに置き換えた場合を見積もっている。それによると、現在国家が費している費用のうち年間100~150億ドルの歳費を削減できるという。「少なくともこうした議論で、現在のマリファナ禁止政策がはたして納税者や過去の税収や関連するさまざま活動のコストに十分見合ったものなのかどうか見直す契機になるはず。」 とフリードマンらは総括している。
論文では、マリファナの禁止が多大なコストを伴うばかりではなく、国民の人生を破壊し社会に害を与えていることがよく示されているが、金銭面から見ると次のようになる。
ミロン博士が連邦政府や州政府のさまざまな統計使用を使って見積もったところによると、禁止を規制に置き換えることで政府が年間に支出している法執行に伴う経費のうち77億ドルが節約でき、さらに規制したマリファナ販売で日常品並に課税すれば24億ドルの税収が得られる。もしアルコールやタバコ並に課税すれば税収は62億ドルになり、さらに税率を変えればもっと多くなることも考えられる(ミロン博士の場合の見積もりは控えめな方で、州刑務所の経費については、マリファナで収監されている受刑者数は、博士が仮定したよりも連邦麻薬局が最近発表したばかりの数の方が60%も多い)。
エベレット・ダークセン元上院議員によれば、それを使って学校を修復し、社会の安全を強化し、テロからアメリカを守ることができる。
例えば、セキュリティ専門家が懸念するように、ソビエト時代に作られ放置されている何千発の核兵器がテロリストに渡る恐れがあり、その処理には約300億ドルかかるが、この金額はマリファナの規制によって得られる節約と税収の3年分にも満たない。また、2002年の海運安全法に基づいて、沿岸警備隊が3150の港と9200隻の船舶を守るために必要とされる73億ドルが、たった1年の節約で全べてを賄うことができる。
一方、マリファナに禁止に何百億ドルもの費用をつぎこんで何が得られたのだろうか? マリファナが街からいっこうに無くなっていないことだけは確かだ。昨年の政府の調査関係者の話では、高校生上学年の85.8%がマリファナが簡単に手に入ると答えており、この数字は実際上ここ30年間変わっていない。
マリファナの禁止でこの市場を無くすことはできない。禁止は単に犯罪と暴力のギャングに特権を与えているに過ぎず、社会がその費用を毎日支払っていることになる。これは1920年代にアメリカが禁酒法で苛まれた時期に起こったことそのものである。/ブルース・マルケン マリファナ・ポリシー・プロジェクト広報主任(http://www.thehempire.com/pm/more/A3682_0_1_0_M/)
第6 自己所有権に基づく「自由の領域」について
各人は自分自身の所有者である。自己の身体と精神は、誰によっても不可侵な個人の領域である。個人の自由を尊重することは、「自己所有権」のテーゼと同視されるものである。
各人が個性ある個々別々の人格として認められるためには、身体所有権を出発点とせざるを得ない。自己所有権は、人間の身体という自然な境界に基づいて、各個人の道徳的領域の間に明確な境界を設定する。つまり「自由」は「自分の身体」に帰着する。自己の身体に権限を持つものは自身のみであり、個人の領域は誰によっても強制的な干渉を受けない。
憲法第18条の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」という規定は、狭義の自己所有権テーゼの極めて控えめな表現と言える。自己所有権は、犯罪に対する刑罰を除き、人身の自由に対する自らの同意のない強制を許さないから、苦役を伴わない拘束や監禁とも対立する。有害が確定していない被告人・被疑者の逮捕・抑留・拘禁などの制約は、実際上やむを得ない場合であっても、それには「極めて強い理由」が要求される。
本件のような「被害者なき犯罪」に、その理由があるとは到底認められない。
そもそも何故、犯罪者に対しては拘禁や労働の強制が許されるのかといえば、単純かつ自然な答えの一つは、犯罪者は他人の権利を侵害したのだから、自分の自己所有権が制約されてもやむを得ない、というものだろう。現実問題として、国家・社会を含む被害者の存在する犯罪に対しては、他者の権利を侵害したことへの制裁としても、犯罪予防効果としても、加害者への刑罰制度は最低限必要であろうし、そのような行為には刑罰による事前の禁止も必要である。しかし、社会や他人への直接的・間接的な被害も発生せず、誰の権利も侵害せず、公共の福祉に反したわけでもない、「被害者なき犯罪」に対しては、刑罰を科す必要も理由も無い。これ等の行為が詐欺や脅迫などを伴う時は、その不法行為によってのみ処罰されるべきである。
人身所有権は、基本的人権に含まれるさまざまの自由が決してばらばらの異質な概念の寄せ集めではなく、自分の人身への支配権という基本的な自由の具体化(派生物でもなく)だということを示している。自己所有権という基本的な権利の中には、無数の自由権が含まれていると言える。それらの自由権は、行動の性質や目的によってそれぞれの名前を与えられているが、それは例示にすぎず、この例示によって、一般的な自由の具体化のうち示されていないものが排除されるものではない。憲法13条でいう「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の中には、一般的な行動の自由を読み込むことができる。
一般的自由は他者の自由と衝突しない。一般的な行動の自由が基本的人権に含まれている、というよりむしろ、一般的な行動の自由が基本的人権の中核的部分であるといえる。もちろん、殺人や強盗などの、他人の自由を侵害する自由はそもそも「自由」ではなく、他者に対して積極的な行為を要求する「権利」、他人の自由を制約する「権利」は、自由権の中に含まれないことは言うまでもない。
一般的な行動の自由は、実際には「自分の身体」による行動を指すことになるから、人身所有権、自己所有権といえる。このように理解された各人の「自由の領域」は、身体と財産によって画されているから、自由権は決して衝突しない。
価値観は国や民族によって大きく異なるし、世代や状況によっても異なり、個人によってもまさに様々である。当事者に対して他人が自分の幸福観や人生観を押し付け、彼らがそれを通じてより良い生活の機会を得ようとする自由を禁止する権利はない。他人が当事者に代って、その意思に反してまで、彼らの行動を決定することは認められるべきでない。
その行為から生ずる様々の利害得失に関して、誰よりもよく知っているのは当事者自身である。本人の選択の利益を受け、コストを負うのも、本人自身である。他人の行為への嫌悪感は、自分がそれをしない理由になるし、それを止めさせるべく説得する理由にはなっても、強制的に禁止する理由にはならない。
これに対し、自己所有権テーゼを共有しない人に自己所有権テーゼを突きつけることは、彼らに我々の幸福観を押し付けているのではなく、彼らが彼らの幸福観を我々に押し付けてくるのを妨いでいるに過ぎない、のである。
第7 個人の自由と尊重について
最後に、繰り返して言っておきたい。大麻の個人使用は、個人の自由な領域の問題にすぎない。そうあるべきものと考える。喫煙や飲酒の如く、未成年者や車の運転に対してのみ規制すればよいことである。より最大多数の最大幸福は、個人の自由が尊重されてこそ実現されうる。幸福とは、「考える必要がない」便利さや「自分で自分の事を決めずにすむ」楽さ加減にあるのではなく、物質的か精神的かによらず、「自己の目的を追求することの自由」にあると考える。
本件の控訴趣意書において引用した、英国政府による「インド大麻薬物委員会」の報告書には、委員会によってJ・S・ミルの言葉が大きく引用されていた。ミルの自由論は、日本国憲法の基本精神と同じであり、それを表しているのが憲法13条であることは言うまでもない。
「インド大麻薬物委員会」は大麻の取締り法を「贅沢取締り法」として位置づけて考察したが、この「贅沢」こそ、即ち「幸福の追求」に他ならない。
本件において主張したい趣旨は、ミルの代表作『自由論』において語り尽され、結論付けられていることに同じである。より具体的には、一言でいうなら、「個人は、その行為が自分自身以外の何びとの利害とも無関係である限りは、社会に対して責任を負っていない。」ということに尽きる。
ミルの『自由論』は、「本書をおいて自由を語ることはできないといわれる不朽の古典」(岩波文庫より)であるが、ミル自身がこの著作について、「別に取立てて言うほどの独創性はない。」といっている通り、その内容は一見、今日では耳慣れたものにも聞こえる。しかし、書かれて150年近く経った現在、その内容は古くならないばかりか正に普遍的であることを実感させられるのである。いつの世においても完全な理想的社会などはあり得ず、政府も万能ではあり得ない。ゆえに、ミルの言葉は現在も恐らく今後も、我々に示唆を与え続けるであろう。
ここで述べておきたい「自由」に関する事柄は、すべてミルの言葉にあるので、その要約をもって主張に代えたい。
*
(この論文の目的は)――用いられる手段が法律上の刑罰というかたちの物理的な力であるか、あるいは世論の精神的強制であるか否かにかかわらず、およそ社会が強制や統制のかたちで個人と関係するしかたを絶対的に支配する資格のあるものとして、一つの極めて単純な原理を主張することにある。
その原理とは、人類がその成員のいずれか一人の行動の自由に、個人的にせよ集団的にせよ干渉することが、正当な根拠をもつとされる唯一の目的は「自己防衛」である、というにある。また、文明社会のどの構成員に対してにせよ、彼の意志に反して権力を行使しても正当とされるための唯一の目的は、他の成員に及ぶ害の防止にある、というにある。
ある行為をなすこと、または差し控えることが、彼のためになるとか、あるいは彼を幸福にするであろうとか、あるいはまた、それが他人の目から見て賢明であり正しいことでさえもあるとかいった理由で、このような行為をしたり差し控えたりするよう強制することは、決して正当ではありえない。これらの理由は、彼に諫言し、彼を説得し、または彼に懇願することのためには充分な理由であるが、彼に強制し、また彼がそうしなかった場合に何らかの害悪をもって彼に報いるためには充分な理由とはならないのである。このような干渉を是認するためには、彼の行為が、誰か他の人に害悪をもたらすと計測されるものでなければならない。
いかなる人の行為でも、その人が社会に対して責を負わねばならぬ唯一の部分は、「他人に関係する部分」である。単に彼自身だけに関する部分においては、彼の独立は当然絶対的である。各人は自分自身に対して、すなわち自分の肉体と精神とに対しては、その主権者なのである。自分自身の健康に対しても、肉体の健康や、精神や霊魂の健康いずれかを問わず、正当な守護者である。
自己配慮に属する行為(その人のみに拘わる行為)に関する限り、最後の断を下すべき者は彼自身である。彼が犯すおそれのある全ての過ちよりも、他人がその人の幸福と見なすものを彼に強制することを許す実害の方が、遥かに大きいのである。
彼がその行為によって、公衆のために彼の負担しなくてはならない何らかの明確な義務を果たしえなくなるならば、彼は、社会的な犯罪を犯すものである。しかし、何びとも、単に酩酊しているからといって、処罰されるべきではない(兵士や警官が公務中に酩酊しているならば、処罰されて然るべきである)。要するに、個人に対してか、あるいは公衆に対して、明確な損害または明確な損害の危険が存在する場合にのみ、問題は自由の領域から除かれて道徳や法律の領域に移されるのである。
もし彼が我々を不快にするならば、我々は嫌悪の情を示してもよいし、また、自己を不快にする物から遠ざかるのと同じように、彼から遠ざかることもできる。しかし、だからといって、彼の生活をも不快にするように要請されていると思ってはならない。
しばしば公衆は、彼らの非難するような行為を行なう人々の喜びや便宜に対して、完全な無関心をもってこれを看過し、彼ら自身の好むところだけを考慮する。世の中には、自分の嫌悪する行為を自分に対する権利の侵害であるかのように考え、また、自己の感情を傷つける暴行であるかのようにそれを憤る人が多い。
毒薬は、罪のない目的のために求められるのみならず、有益な目的のためにも求められるものであって、一方の場合(悪い目的のための購入や使用)に制限を加えることは、他方の場合(善い目的のための購入や使用)に対して影響を及ぼさずにはいないのである。
例えば酩酊は、普通の場合には、法律をもって干渉すべき妥当な事柄ではない。しかし、酩酊すれば興奮して他人に害を加える人においては、酩酊することは他人に対する犯罪である。
メイン法(米国の禁酒法)や、シナに対する阿片の輸入禁止や、毒薬販売の制限や、要するに、「干渉」の目的が特定の商品の獲得を不可能または困難にする全ての場合がそれである。これらの干渉は、生産者又は販売者の自由に対する侵害としてではなく、購買者の自由に対する侵害として、反対されるべきものである。
思想の自由とその発表の自由が絶対に必要であるのと同じ理由によって、人間は自己の意見を実行する自由をも持たねばならないのではないか。但し、自分自身の責任と危険とにおいてなされる限り、自己の意見を自己の生活に実現してゆくことの自由、という意味である。
正当の理由なしに他人に害を与える行為は制圧されねばならないが、他人に干渉することを慎み、単に自分自身に関する事柄について自分の性向と判断とに従って行為するに止まっているならば、彼が彼自身の責任においてその意見を何の干渉も受けずに実行に移すこともまた許されねばならない、ということは、意見が自由でなければならぬという、正にそれと同じ理由によって証明されるのである。
個人の独立に対する集団的な合法的干渉には、一つの限界がある。この限界を発見し、その侵犯に対して防禦することが、人間の状態がよい条件の下にあることにとって不可欠のものである。しかし、その限界をどこに置くべきであるかという実際問題は、ほとんど未解決のままである。
第一には法律によって、また法律の施行に適しない多数の問題については世論によって、若干の行為の規則が課せられなくてはならない。これらの規則がいかなるものであるべきかということは、人間生活における主要な問題である。
しかし、いかなる時代いかなる国の人民も、この問題の難問であることに疑問を持たず、あたかも人類の意見の常に一致してきた問題であるかのように考えている。彼ら自身の間に行なわれている規則は、彼らにとっては自明であるように見え、また自分自身を容認できるもののように見える。
このようなほとんど普遍的な錯覚は、習慣の魔術的勢力の一つの実例であって、蓋し習慣は、人類が互いに課している行為の規則について、いかなる疑念をも抱かせないようにする効力のあるものである。そもそも強制せらるべき行為の規則はいかなるものであるべきかという問題については、他の人々へも己れ自身へも、何らその理由を説明する必要のないものと一般に考えられているために、習慣の効力はいよいよ完全なものとなる。
そして、いかなる人も、自己の判断の標準は自己自身の好みであるということを自認しようとはしない。しかしながら、行為の問題に関するある意見が、確固たる理由の上に立っていない場合には、それは「一個人の好み」としての重要性しかないのである。また、理由が与えられている場合にも、もしもその理由が、単に他の人々の自己と同様の好みへの訴えであるに過ぎないならば、それは依然として、「多数人の好み」であるに過ぎない。
法または世論によって強制されてきた行動および忍耐の行為の規則を決定する今一つの大原理は、俗世界の君主たちや彼らの神々の好むところ、または厭うところと想像されるものに迎合しようとする、人類の奴隷根性であった。この奴隷根性は、本質的には利己的なものではあるが、偽善ではなくて、完全にまことの嫌悪の感情を発生させ、人々を駆って魔術者と異端者とを焚殺させた。
こうした数々の劣等な影響力の間で、社会全体の明白な利益ということもまたもちろん、道徳的情操を指導する上に或る役割を果たした。このようにして、社会またはその有力な一部分の嗜好と嫌悪とは、法律または世論による刑罰をもって一般人の遵守すべきものとして定められた、諸々の規則を事実上決定してきた主要なことなのである。
個人とは区別されたものとしての社会が、たとえ何らかの利害関係は持つとしても、単に間接的な利害関係しか持たない活動の領域が存在する。その中には、個人自身の身に影響を及ぼす個人生活と行動、或いは、たとえそれが他人に影響するとしても、その人々が欺かれることなく自由に、それに同意し参加しているような、個人の生活や行動の全部が含まれている。この「個人自身にのみ拘わりをもつ行動の領域」こそ、まさに人間の自由の固有の領域である。
第一に、それは「意識」という内面的領域を包含している。最も包括的な意味における「良心の自由」と「思想および感情の自由」を包括し、また、実際的あるいは思弁的な問題、科学的、道徳的、もしくは神学的な問題のすべてに関する、意見と感想との「絶対的な自由」を包括する。
そして、この原理は「思考および目的追求の自由」を必要とする。すなわち、我々自身の性格に適合するような生活の計画を打ち立てることの自由、また、その行為によってもたらされる結果を感受する限りは、我々の好むとおりに行為することの自由を必要とする。それは、我々のなすことが、我々の同胞たちを害しない限り、たとえ彼らが我々の行為を愚かであるとか、つむじ曲りであるとか、誤っていると考えようとも、彼らから邪魔されることのない自由である。
これらの諸自由が大体において尊重されている社会でない限りは、その政体が何であろうとも、自由な社会ではない。自由の名に値する唯一の自由は、我々が他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしない限り、我々が「自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由」である。
人類は、自分にとって幸福だと思われるような生活を互いに許す方が、他の人々が幸福と感ずるような生活を各人に強いるよりも、得るところが一層多いのである。
この理論は決して新奇なものではなく、また、ある人にとっては自明の理の感があるかもしれないが、現存の世論と実践の一般的傾向にこれ以上に背馳する理論はないのである。
歴史は迫害によって沈黙させられた真理の実例に充ちている。ソクラテスは「不敬」と「不道徳」とのゆえをもって有罪判決を受けた後、同国人によって死刑に処せられた。その学説は「青年を腐敗させる者」であるから不道徳とされた。後にはイエス・キリストも、とく神者・最大の不敬漢として死を与えられた。知性と正義においても時代の叡智と呼べるほど
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上告趣意書
平成17年(あ)第1219号
被告人 ■■■■
大麻取締法違反・関税法違反被告事件
最高裁判所 第三小法廷 御中
平成17年7月28日
弁護人 真木 幸夫
上告趣意書
第1、 憲法第13条、14条、31条違反
1、 憲法第13条は「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り立法その他の国政のうえで最大の尊重を必要とする」と規定している。
憲法第14条は「すべて国民は法の下に平等であって人種、身上、性別、社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係により差別されない」と規定している。憲法第31条は「何人も法律の定める手続によらなければその生命若しくは自由を奪はれ又はその他の刑罰を科せられない」と規定している。
2、 大麻それ自体は害悪性がなく、あったとしても非常に少なく他方薬用産業用との効用を有するものであるのに大麻取締法や関税法の刑罰規定のように厳しく罰することは憲法第13条の保障する幸福追求権を侵害するものであり、又憲法13条が内容とする実体的適法手続きとしての罪刑の均衡を著しく欠くものであって同条に違反し又タバコやアルコール等の合法的嗜好品に比較して直接的害悪性が少なく且つ犯罪を引き起こす副次的効果も著しく少ないのに大麻についてのみ厳罰をもって臨んでいるということはタバコやアルコール愛好者と合理的理由なく取り扱いを異にし厳罰に処していることになり大麻取締法(及び関税法)は憲法14条に違反すると言わなければならない。
3、 大麻に有害性は認められず、認められるとしても非常に少ないものであること、他方大麻の薬用や産業上有用であること、外国では大麻の規制が緩やかになってること我が国の大麻の厳罰による法的規制は違憲であることは原審弁護人が3通、145頁に亙る控訴趣意で述べているところであり刑罰による大麻規制の合憲性についての職権判断を求めたのに対し、原判決は「大麻取締法が憲法違反でないことは明白である(最高裁判所昭和60年9月10日決定参照)とわずか3行で弁護人の主張を退けていて(原判決書2頁11行乃至13行)真に不当極まりない。
4、 上記最高裁判所決定は「弁護人の上告趣意第1は、憲法13条、14条、31条、36条違反をいうが、大麻が所論の言うように有害性がないとか有害性が極めて低いものであるとは認められないとした原判断は相当であるから、所論は前提を欠き同第2は、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらないとするものである(判例時報1165号183頁、法曹界発行最高裁判所事務総局編麻薬・覚せい剤等刑事裁判例集続735頁)」とする中身の無い簡単なものである。
5、 しかも上記判決は20年以上も前の知見に基づく判断でありその後大麻規制が緩やかになっていることは世界的衰勢である。
従って大麻取締法(と関税法)の現行大麻取り締まり規制は憲法違反であるから原判決及び一審判決は破棄されなければならない。
第2、 憲法第37条2項違反、同31条違反
1、 憲法第37条2項は「刑事被告人は・・・・公費で自己のために強制手続きによる証人を求める権利を有する」と規定し、同31条は「何人も法律に定める手続きによらなければその生命若しくは自由を奪はれ又はその他の刑罰を科せられない」と規定している。
2、 憲法37条の規定は単に被告人の証人尋問請求権を規定しているだけでなく被告人に有利な鑑定、検証等の申立てや証拠物や書証等の証拠の提出権を保証したものである。従って重複証拠や関連性のない証拠等明らかに取り調べの必要がない証拠取り調請求を却下できるのは当然として、本条は争点に関する重要証拠の被告人の提出権と裁判所の取調べ義務を規定したものである。そして憲法31条の規定する法律の手続きとは憲法37条2項が規定する被告人の証拠調請求権が実効的に保証された手続きを含むことが必要である。
3、 原審において原審弁護人は詳細にして具体的な理由を付して控訴審弁護人請求カード3乃至12、15乃至93の書証を請求したが原審裁判所はこれらの証拠請求を全て却下した(原審記録183丁乃至214丁)。
4、 上記証拠は控訴趣意を直接理由付け、裏付ける重要証拠であり、見解の相違は別として真剣に検討されるべき真面目な書証である。これを取り調べたうえでそれらの証拠の見解には賛成出来ないというのであれば格別、取り調べもしないでその証拠価値を判断出来ないのにこれを却下したのは証拠に対する先入観に基づく証拠価値の先取りとして絶対に許されない。原審森川弁護人は3通の控訴趣意書(合計145頁)で大麻の有害性の検討、効用、刑罰による規制の問題点、海外の動向等あらゆる観点から真摯に述べているのであって正に本件の争点であり争点に関する証拠である。
5、 従って原審の上記証拠調請求却下は上記憲法の各規定に違反し違法であり上記証拠の取り調べを行なうために本件を原審に差し戻しされたい。
第3、 刑事訴訟法第411条3号による破棄を求める。
1、 原判決、原原判決とも被告人の否定にかかわらず営利目的を認定したのは判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認でありこれを破棄しなければ著しく正義に反する。
2、 密売を疑わせる手紙の下書きについて原審における被告人質問で弁護人の問に対して答えているとおり「海外でお金を無くしてしまい帰るためのお金が必要なので送金してほしいという内容です。私にとって大切な大麻を売ってもいいと思うくらいお金に困っているという意味で書いたまでで」(原審記録237丁)、密売を持ちかけたものでない。被告人は大麻を密売しなければならないほど経済的に窮していなかったしこれまで一度も大麻を密売したことがない。
従って営利目的の認定は上記手紙の下書きを誤って解釈したものでこれを認定した原判決と原原判決は上記刑事訴訟法により破棄されなければならない。
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ナタさん控訴審判決レポート 2005年8月30日
前回の控訴審初公判から引き続き判決に傍聴に行ってきました。
裁判長が、判決文を強めの語調でぱっぱと読み上げていきました。
判決は棄却。未決算入60日を懲役刑より差し引くとのこと。
ナタさんが主張していた、大麻取締法の違憲性に関して、そして大麻はアルコールやタバコより害が少ないといったことにも、昭和60年の判例を引用し、大麻は有害であるし違憲ではない。
そして今回2度目の逮捕であったことは、本人の大麻への親和性を示すものであり、違法行為を犯したことに関しては反省していること、また、まだ若い先のある青年だと言うことに対しても、情状にあたらないなどが棄却理由です。
判決文を読み上げている間、検事は腕を組みながら納得するようにうなずきつつ聞いてました。
弁護人は机に左腕のひじを付いて、顔の横に左手をつけていたまま動かなかったので表情は読み取れませんでした。
傍聴は4人でした。20代と思われる男女2人と年配の男性です。
控訴審のときはその人たちはいなかったのですが、年配の男性がメモを取りながら聞いていたので、どう思ったのか聞きたい気もしました。
判決文を裁判官が読み上げて、最後に上告する場合は2週間以内にということを事務的に告げて、終了。起立、礼!
起立で反射的に立ち上がりましたが、あまりのあっけなさにつったったまま少しの間放心してしまいました。
ナタさんが控訴審で懸命に主張していた、違憲性と有害説についての部分ですが、主張そのものに対しても十分検討したと言うような明確な答えが裁判官から述べられてはいません。出てきたのは古い過去の判例です。
それから年月もたっていて、大麻についての事実は諸外国政府の権威ある研究データで、アルコールやタバコより害が少ない、医療的効果も認められていることが明らかにされているのですが、そのことについての検討はなかったのでしょうか?
海外のデータについて検討がないのであれば、このような重い懲役刑を科す前に、日本でも公的な鑑定をした上で大麻の事実を確認することが先のことではないでしょうか?
なぜ法律で取り締まらなければならないのかと言う明確な根拠を国民に明かすことは、当然のことだと思うのですが、大麻取締法についてはそれがなされていないまま、たくさんの逮捕者そして重い懲役刑を受けている人たちがいます。
ナタさんは判決のときに、大麻祭と書かれたTシャツを着ていました。
それはナタさんの大麻取締法の不条理さに反発する強い意志の現われであり、身体を拘束することは出来ても精神性までは拘束することはできず、自由であるということを主張しているようにも感じ、裁判官が何を言おうと法廷で一番格好よかったのはナタさんです。
このように書くと、反社会的な人間でないのかという印象を受ける方もいるかもしれないですが、実際は非常に礼儀正しく遠慮深い好青年です。
法律の根拠もないまま、このような人物を法に触れたからと事務的に長期の懲役刑によって身柄を拘束することは、大きな間違いであると思わざるを得ません。
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ナタの控訴審判決公判を傍聴し、そのあと面会してくれた友人がレポートを寄せてくれましたので掲載します。
ナタからは、判決公判日前の8月28日に書かれた手紙が届いています。控訴棄却を見越して書かれており、「やれることはやっておきたい」ので上告するとのことです。
THCは引き続きナタの上告を支援し、状況をレポートします。
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小柴弁護士により作成された控訴趣意書のコピーを本人が所望したところ、本人・家族・友人の元へ、以下のような「報告書」が添えられて届きました。
経過報告書
1. 平成16年(う)第3101号大麻取締法違反、関税法違反被告事件について、本日、東京高等裁判所に同封「控訴趣意書」を提出し、受理されましたので、ここにご報告いたします。なお、第1回公判期日は、本日から約1ヶ月ぐらい経過した日以降で調整される予定とのことであります。この決定が出され次第、ご連絡を差し上げ、必要に応じた打合せを行いたいと考えます。
2. 小職は、本件控訴について、本人による自戒、自己批判、そして反省の態度を強調することが肝要だと考えます。ほんとうに反省した人に対しては一般に「もうこれ以上彼を責めたり懲らしめたりする必要はない」との感情が自然に生まれてくるものだからです。原判決に対する批判といった他人批判や社会批判は本人がこれを強調するときは、「百の説法、屁ひとつ」という諺の如く、せっかくの反省態度が他人や社会の批判によって崩れてしまいかねません。本件薬物事件においても例外ではありません。否、社会は薬物事案だからこそ薬物に対する考え方の根本的変遷が重要だと考えているのではないでしょうか。同封「控訴趣意書」はこのような観点に立って構成されたものです。この旨ご高配を賜り、ご査証くだされば幸甚です。
上記弁護人弁護士 小柴 文男
■■■■殿
ご両親 殿
■■■■殿
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