これに対し政府はクラックに対する罰則を極端に重くするという対抗策をとった。
末端の密売人や初犯でさえ懲役は10年6ヶ月となっており、これは強姦事犯よりも約6割重い刑で、殺人よりわずか2割弱しか軽くない懲役の長さである。
1986年のレーガン時代に施行されたAnti-Drug Abuse Actによって、5グラムのクラックの所有に対する懲役は5年であり、これは同じコカインであるパウダーコカインの100倍の刑罰の重さである。
同じ懲役をコカインパウダーで課せられるためには、単純に500グラムのコカインを所持していなければならない計算となる。
またおよそ5年(51ヶ月以上63ヶ月未満)の懲役が課される量のクラックの末端価格が460ドルであるのに対し、同じ懲役刑が課されるパウダーコカインの量の末端価格は42,800ドルであった[44]。
同じ成分でありクラックの原料であるパウダーコカインとクラックとの間の大きな罰則の違いは、人種差別的な法の適用を生み出した。
92年から93年の間に行われた調査では、88.3%のクラックの密売による被告が黒人であるのに対し白人の被告はわずか4.3%であった。
その一方パウダーコカインの密売による被告は、黒人が27.4%であるのに対し白人は32%である[45]。
1986年以前の黒人のドラッグ事犯の被告数全体に占める割合は11%白人よりも高い程度であったが、Anti Drug Actの制定以後は49%と大幅に増加している[46]。
このようにレーガン、ブッシュ、ベネット体制の国内でのドラッグウオーは、結果として大量の人種的マイノリティを刑務所送りにする結果を招いた。
またクラックは注射を媒体とするドラッグを嫌う女性の間で特に流行したドラッグである。
強度のハイが日々の困窮した生活からの解離を促すため、多くの貧しい黒人女性がクラック中毒になっていった。
そして彼女達の中から、売春ではなくセックスとクラックとを直接交換するいわゆるcrack whoreが多数現れた。
彼女達はクラックユーザーが集まるクラックハウスで、クラックを譲り受けるため男性のクラックユーザーに性行為を提供するだけでなく、彼女達を目当てにクラックハウスに集まるクラックユーザーではない男性とも性行為を行った。
彼らノンクラックユーザーの男性達はクラックハウスでのセックスをcheap sexと呼び、オーラルセックスで3ドルから5ドル、膣性交で5ドルから10ドルといった極めて低い値段で買春を行っていた[47]。
またクラックはアメリカ社会にクラックベビーという新たな恐怖も生みだした。
これはクラックを使用した母親から生まれた赤ん坊が回復不可能な身体的ダメージを受けたまま生まれてくるという話で、全米でマスコミがセンセーショナルにとりあげた。
この問題を有名にしたのは、シカゴの医師、アイラ・チャスノフが1985年に出したレポートである。この中で、チャスノフは23人のクラックコカインを使用していた母親の新生児がそうでない母親の新生児と比べ、元気がなく不活発であるという結果を報告している[48]。
マスコミはこの調査結果にとびつき、テレビや新聞、雑誌がクラックベビーの話題を一斉に報道した。
しかしその後の調査の結果、妊娠中のコカインの使用が子宮内の赤ん坊に与える影響は実際にはごくわずかで、クラックベビーとして騒がれた赤ん坊の症状はクラックそれ自体によるものではなく、むしろ母親の栄養不足、飲酒、喫煙によるものであったことがチャスノフ自身やその他の医師らの研究によって明らかとなった[49]。
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[44]U.S. Sentencing Commission (February 1995) Special Report to Congress: Cocaine and Federal Sentencing Policy [http://www.ussc.gov/crack/exec.htm], p. 173.
[45]Ibid., p. 161.
[46] Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 356.
[47]Sterk, Claire E (1999) Fast Lives: Women Who Use Crack Cocaine, Philadelphia, Temple University Press, pp. 72-73.
[48]Chasnoff IJ, Bruns, WJ, Schnoll WJ, Burns KA. “Cocaine Use in Pregnancy”, New England Journal of Medicine 1985; 313, pp. 666-669.
[49]Chasnoff IJ, et al. “Cocaine/Polydrug Use in Pregnancy: Two-year follow-up”, Pediatrics, 89; 1992, pp. 284-289.
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大麻で逮捕されない日本社会が実現するまで、あとどれくらいの時間がかかるだろう。
それは、この問題に取り組む者たちの力量次第でもあると思う。
大麻を巡る問題は、個人利用、医療、産業など、切り口によって課題や論点に違いはあるが、問題が大麻取締法によって発生している点で共通している。
医療利用については、大塚製薬がアメリカでサティベックス開発販売に乗り出したことで、具体的なスケジュールさえ垣間見える状況になったのではないだろうか。
個人利用については、最高裁は大麻の有害性を根拠に厳罰による規制を正当化してきた。
だが、日本の公的大麻情報を発信している厚労省麻薬対策課情報係の係長や、「ダメ。ゼッタイ。」の責任者も、現在の公的大麻情報が古いことを認め、数値などの具体的記述の出典も不明であることを認め、根拠がないことまでを認めている。
「ダメ。ゼッタイ。」の責任者は、来月から始まる新年度、情報の全面的な見直しを予算化し、ホームページは10月にリニューアル版をオープンすると明言している。
公的大麻情報が真に適正化されれば、これまでの最高裁の判例根拠は崩れる。
医療的な利用についても、個人的な利用についても、産業的な利用についても、これまでの規制の根拠が根底から問われることになる。
当方の厚労省やダメセンターへの問いかけに対し、「文句があるなら国会に言え」という野次を耳にすることがある。
大麻取締法の改正は国会でなければできない。
大麻を擁護する国会議員を出そうというアイディアを聞くこともある。それも確かに面白い。
だが、国会で、大麻取締法の改正案を成立させるには、衆参両院で賛成多数を得なければならない。
そのためには、既成政党の理解を得ることが大切ではないだろうか。
最高裁が、現行の大麻取締法の不備を認めれば、この法を管掌する官庁である厚労省は、その不備を補正する改正法案を作り、政府(内閣・厚生労働大臣)を通じて国会に提出することになるだろう。
行政に文句を言い、司法に文句を言うことで、国会に文句を言える状況を作れる。
おそらく、厚労省の用意する大麻取締法改正案は、政権与党が自民党であれ、民主党であれ、衆参両院で賛成多数を得て成立するだろう。
そこで焦点になるのはその改正の内容だ。
個人利用の大麻を非犯罪化しようという主張は、本質的には薬物行政のあり方を問うことである。
現在のように、アルコールやタバコほどの害もない大麻を単に少量所持しているだけで実刑があり得てしまうような厳罰規制が、果たして社会的に有意義なことなのか。
そのために注ぎ込んでいる税金はどれほどになるのか。
現状の厳罰主義は、失業や家庭崩壊や、時に自殺者まで出している。
却って社会的損失のほうが大きくはないか。
また、現在のような厳罰のみの規制は、覚せい剤中毒の者が、逮捕を恐れ、適切な治療を受けられず、刃物を持っての凶行にまで至ってしまう可能性を拡大させている。
現実的な政策として、オランダのハームリダクションは日本としてもとても参考になると思う。
どのような薬物行政が社会(国民)にとって望ましく、損失が少ないか。
実現可能で、建設的で、未来志向の薬物政策を構想し、そのなかで大麻取締法のあり方を検討する必要があるのだと思う。
逆に言えば、新しい大麻取締法を構想することは、薬物行政を構想することである。
最高裁が大麻取締法の不備を指摘すれば、厚労省は対応せざるを得ない。
その時、運動側としても、未成年の薬物乱用問題に取り組む人たちを含む多くの国民や既成政党に、理解と納得を得られる改正法案を提示できることが望ましい。
運動側が総体として政治的に意味のある存在となっていれば、ロビー活動は決して無駄にならないだろう。
紆余曲折は付きものとして、医療と産業における大麻利用の制度化は、大麻の医学的事実や、資源としての可能性を基礎として構築されるだろう。
最高裁が、大麻取締法を違憲とまでは言わなくても、不備を認めて指摘すれば、担当官庁の厚労省は司法から指摘された不備を補正し、政府提案として改正法案を国会に出すことになる。
大麻取締法は近い将来に必ず改正される。
その内容をどれだけより良いものにできるか。
それによって、その先に開花するはずの大麻文化の当面の輪郭が決まるだろう。
こちら側の力量が試されているのでもあると思う。
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レーガン・ブッシュ政権下の80年代に、最もアメリカで社会的に問題となったドラッグはクラックである。
クラックは日本ではあまりなじみがないので、まずクラックの歴史とアメリカ社会でこのドラッグが広まった背景をみておく。
1980年代初頭にコロンビアからマイアミへのコカインの密輸ルートが確立すると、ペルーやボリビアでのコカ葉の作付け面積が増加し、コカインのアメリカへの密輸量が増加した。
上述したように、供給の増加により1981年には1オンスの純粋コカインの取引上の値段が120ドルであったのが、88年には50ドルと半分以下に値崩れしていた[39]。
こうした安価な原料コカインから開発されたのがクラックコカインであった。
クラックの起源は1974年のカリフォルニアといわれており、塩酸コカインを浸した水溶液にアンモニアとエーテルを溶かして作られる吸引可能な結晶型コカイン(freebase)がその原形である。
フリーベースは当初ハリウッドなどで一部のコカインマニアの間で流行したが、その工程が複雑で加工途中での引火事故が発生する危険性が高かったため、単に塩酸コカインを重曹と水に溶かして熱することでパイプでの吸引が可能な方法が普及した[40]。
これがクラックの始まりであり、吸引のため加熱する際にカタッ(clack)と音がすることからこの名がついたといわれている。
クラックはパウダーコカインに比べ単価が非常に安く、一回の値段が5ドルから10ドル程度である。
またフリーベース程ではないが効果が強烈で、その為精神的依存性が強い。
またパウダーコカインが使用量にもよるが30分から1時間は効果が持続するのに対し、クラックは一回の吸引で約15分程度しか効果が持続しないため、使用者が繰り返し吸引する傾向が強い。
値段の安さとそのインテンシブなハイにより、ヘロイン中毒者の多くもクラックの使用を開始し、クラックはロサンゼルスのサウスセントラル、マイアミのオーバータウン、ニューヨークのハーレムやワシントンハイツなどの都市部の貧困層の間で流行し、80年代中頃までには純粋なヘロイン中毒者の数は減少し、クラックがいわゆるゲットードラッグのメインストリームとなっていった[41]。
クラックはパウダーコカインと異なり、当時末端のディーラーはそのほとんどが黒人かヒスパニック系のマイノリティであった。
これはマイノリティを中心に構成された常用者のマーケットと、パウダーコカインから簡単に作ることができる商品であったことが影響しており、まともな仕事や教育を受けられない貧困層の若者にとって大きなビジネスチャンスを与えることになった。
ワシントンDCではクラックを密売することで一時間に30ドルを稼ぐことができたが、これは貧困層の大人の黒人が就くことのできる合法的な仕事で一時間に得られる当時の賃金の4倍以上であった[42]。
その結果、クラックの密売を始めるいくつものマイノリティのギャング集団が結成され、クラック密売の利益で彼らは武装し、マーケットを巡る抗争が80年代後半から頻繁に発生している。[43]
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[39]Courtwright, David T, “ The Rise and Fall and Rise of Cocaine in the United States”, in Goodman, Jordan, Lovejoy, Paul E and Sherratt, Andrew (eds.) (1995) Consuming Habits: Drugs in Hirstory and Anthropology, London and New York; Routledge, p.217.
[40]黒人の人気コメディアンでハリウッドスターであったリチャード・プライヤーが起こした引火事故は特に有名である。
[41]Ibid., p. 218.
[42]Ibid., p. 218.
[43]例えばマイアミを拠点とし、シカゴ、ニューヨークなど多くの都市で勢力を誇ったジャマイカ人組織、Shower Posseが有名である。文字通り、敵に対して銃弾をシャワーのように浴びせるのでこの名前がついた。
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大塚製薬がアメリカでのサティベックス開発販売に関するライセンス契約を締結したというニュースについて、医師のフロッガーさんによる解説です。
世界の医学会の現実と、「大麻取締法は時代遅れである」という現場の医師の指摘を、厚労省は真摯に受け止めてほしいものです。
大塚製薬のプレスリリース
http://www.otsuka.co.jp/company/release/2007/0214_01.html
大塚製薬株式会社とGWファーマシューティカルズplc.が、米国において開発中のカンナビノイド系がん疼痛治療剤「サティベックス(英語表記:Sativex)」の米国における開発・販売に関するライセンス契約を締結しました。
「サティベックス」は大麻からの抽出物であるテトラハイドロカンナビノールとカンナビダイオールを主成分とする溶液で、口腔内スプレーで薬剤を投与するものとのことです。
そして、米国で「オピオイド系薬剤による治療で効果の見られない末期がんの患者の疼痛治療」第Ⅱ/Ⅲ相試験が行われるとの事です。
このニュースについて簡単な解説をしておきたいと思います。
[がん疼痛治療]
記事によれば、大塚製薬はサティベックスをがん疼痛治療剤として考えているようです。がん疼痛治療の現状と問題点について解説します。
現在がん疼痛治療はWHOの推奨するやり方で行うのが通常で、その中心はオピオイド、すなわちモルヒネなどの麻薬を中心とした治療です。
オピオイドは大体の場合効果的であるのですが無効な場合があります。特に神経障害性疼痛はオピオイドが効きづらく厄介です。
神経障害性疼痛とは、末梢神経や中枢神経が障害を受けて発生する痛みで、例えば脊椎へ癌が転移して背髄を障害したり膵臓癌などが内臓神経へ直接入り込んだりして起こる痛みです。
現状では抗けいれん剤や抗うつ剤など神経の伝達を抑えるような薬で対応するのですが、あまり効果的とは言えません。
カンナビノイドは多発性硬化症の疼痛に効果があることが分かっており、神経障害性疼痛に効果があるのではないかと期待しています。
がん患者が人間らしく生活する為には痛みのコントロールは不可欠で、痛みのため抑うつ的になり身体の痛みが心の痛みにつながることもあります。
カンナビノイドはがん疼痛治療に役立つことが期待できる薬剤であり早期の臨床応用を望みます。
[臨床試験]
米国で第Ⅱ/Ⅲ相試験を行うということですが、臨床試験(いわゆる治験)のシステムについて解説しておこうと思います。
臨床試験は主に第Ⅰ~Ⅲ相の3つの相に分かれています。
第Ⅰ相は毒性や適正な投与量を調べる試験です。
第Ⅱ相は安全性と共に効果について調べます。
第Ⅲ相は現状の治療と比較して効果的なのかということを調べます。
第Ⅲ相で効果が確認できれば新たな標準治療として認められることになります。サティベックスは第Ⅱ/Ⅲ相試験ということなので、この試験によって米国でがん疼痛治療薬としての承認を受ける事を目的としているのでしょう。
[大麻取締法は時代遅れ]
大麻取締法の第四条では、「大麻から製造された医薬品を施用し、又は施用のため交付すること。大麻から製造された医薬品の施用を受けること。」を禁止しています。
当時大麻が医薬品として有用であることがわかっていなかった状況で制定された条文と思われます。
しかし、現在大麻の薬効が注目され、欧米を中心に医薬品としての応用が進んできており、この条文は時代遅れのものとなってきています。
この法律により日本での臨床試験を行うことは現状では出来ませんが、日本の企業である大塚製薬がライセンスを獲得したことから、我が国での臨床試験や発売が可能となる事を期待しています。
臨床試験のやりやすい米国でデータを出せば、日本で臨床試験を進める大きな根拠となるでしょう。
私は、大麻取締法は時代にそぐわないものであり、企業の政治力と患者に役立つという大義名分があればクリアーできると思います。
むしろ、この法律を理由に日本での使用が出来ないとなると、患者の権利の侵害であり倫理的に問題です。
多発性硬化症やがん以外の病気にもカンナビノイドが効果のある可能性があり、日本で研究を行いやすくなる事を心から望みます。
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下記の問い合わせメールをGoogle広報に送信しました。
* * *
「Googleウェブ検索についての質問」
Google広報ご担当様
失礼いたします。
標記の件につきお尋ねしたく、メール致します。
私は、「大麻取締法被害者センター」というタイトルのウェブを運営しています。
URL:http://asayake.jp/thc/
2月24日までは「大麻」をキーワードとしてウェブ検索すると、5位にリストされていました。
それ以前も、もっと下のほうではありましたが、検索結果としてトップページが拾われていました。
ところが、2月27日から、同じキーワード検索で、結果に反映されなくなっています。
検索エンジンのシステム上、一時的に検索を受けなくなったり、順位が大きく変動することがあることは承知しております。
「Google Dance Tool 日本語対応版」で見ても、大きく変動が始まっているようです。
http://google-dance.jp/
そこで下記についてご教示頂きたく、ご回答をお願いいたします。
1.今回の抹消は通常のアルゴリズムによるものでしょうか?
2.「大麻」で検索結果に反映されなくなったのは、当方のサイトに何か検索エンジンスパムと呼ばれる類の操作があるからでしょうか?
3.Googleのポリシーとして、「大麻」というキーワードの検索結果から当方のサイトを外したのでしょうか?
Googleのヘルプセンターに「検索結果を検閲していますか」という項目があり、「各国の法律、条例、政策の求めに応じ、これを行うことがあります。このような理由で、ある検索結果を削除する場合は、該当する検索結果のページに告知します。」とありますが、今回の当方のサイトの「大麻」からの抹消は、このポリシーと関係ありますか?
4.2月24日、当方のサイトに"「大麻」でググると出るオバケ"という記事を掲載し、そのなかで私は「Googleは、中国政府の圧力に屈し、中国政府批判を掲載しているウェブが検索されないように当局に協力している。」と書きましたが、ひょっとしてコレも当サイトが外された理由のひとつでしょうか?いくらなんでもそれは妄想でしょうか?
http://asayake.jp/thc/archives/2007/02/post_357.php
5.Yahoo!Japanでは、薬物関連のキーワード検索結果に、「ダメ。ゼッタイ。」ホームページが別枠で表示されるようになりましたが、Googleの検索結果にも、薬物関連のキーワードに対する操作が何かされているでしょうか?
6.Googleは、言論の自由を支持する企業ですか?
以上、ご回答を頂きたく、よろしくお願いいたします。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>!
大麻取締法被害者センター/THC
http://asayake.jp/thc
白坂和彦
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こうした厳しい取締りは次のジョージ・ブッシュ政権にそのまま引き継がれ、彼の就任翌年の1989年には新たに22億ドルの予算がドラッグウオーに追加され、うち7割の予算が国内外での取り締りに使われている[33]。
加えて同じ年に制定されたNational Defense Authorisation Actによって国防省がドラッグ問題を取り扱う中心省庁になり、冷戦終結後間も無いこの時期ドラッグ関係の予算の多くがDEAと国務省の他、国防省やCIAにも流れていった。
これらの予算の大半は、次回の部で詳述するように、ドラッグの生産国であるペルー、コロンビア、ボリビアを中心とした南米各国で、ドラッグ対策としての軍事指導、訓練、武器援助のため使われ、そこで人権、環境問題に関わる深刻な問題を引き起こすことになる。
ブッシュ政権下でのドラッグウオーで興味深いのは、ブッシュ政権の反麻薬キャンペーンとそれを積極的に報道したマスコミとの関係である。
1988年11月の選挙後まもない頃、ブッシュ政権の最優先課題として世論がトップにあげていたのは財政赤字問題(34%)であり、麻薬問題に対してはわずかな関心(3%)しか集まっていなかった。
しかしブッシュ政権の反麻薬キャンペーンがマスコミで連日取り上げられるようになると、1989年9月の調査では、世論の43%が麻薬問題が政権にとって最優先課題と考えるようになり、財政問題は全く改善されていないにも関わらずわずか6%にまで落ち込んだ。
同じ現象はニューヨークで特に顕著で、1987年6月の登録選挙民に対する調査では、税金問題が15%で政治課題のトップを占め麻薬問題は5%にすぎなかったが、1989年9月には税金問題は8%、麻薬問題は46%と完全に国民の関心は逆転していた。
チョムスキーはこの世論の急激な変化を取り上げ、「現実世界は全く変化していないが、イメージは権力の都合を反映して、イデオロギー機関を通じて伝染し変化した」と述べているが、当時の麻薬問題への大衆の関心と政府予算は、多分にこうした世論操作によって作り上げられ正当化された側面が指摘できる[34]。
こうして世論の支持を獲得したドラッグウオーの国内での中心的役割を担っていたのは、1988年に設立されたOffice of National Drug Control Policy (ONDCP) と教育省からここに赴任したウイリアム・ベネットであった。
ベネットは国内でのドラッグウオーを遂行するにあたって、「単純な事実としてドラッグの使用は間違っている。道徳的議論こそが結局のところ、もっとも説得力のある議論である」と主張し、ドラッグは健康にとって危険であるから禁止すべきであるという従来の説明から、ドラッグを道徳的問題として捉える方針をとった[35]。
ドラッグが健康問題であるうちは中毒者は病気ということになり中毒者に対する治療が期待されるだけでなく、非合法ドラッグとアルコール、ニコチンなど合法ドラッグとの間での健康上の影響の比較という政策上の難題が浮上する[36]。
また特に社会的に問題となるような中毒症状や健康障害を示さないマリファナやコカインのウイークエンドユーザーに対して厳しい禁止政策を訴える根拠が見当たらなくなる。
これに対しドラッグを道徳的問題として扱い非合法ドラッグの使用を道徳的悪と定義すればこれらの問題は一挙に解消される。
ベネットは非合法ドラッグの使用を「道徳の、価値の、人間性の、我々お互いの関係性の、そして神との関係を全滅させることである」と述べ、ベネット独自の道徳的判断によりアルコールやニコチンなどの合法麻薬を除いた非合法ドラッグの使用に限って、これは公式に道徳的悪として定義されることになった[37]。
以後、非道徳的行為を行うもの、すなわち非合法ドラッグを使用する者は、宗教的、道徳的、政治的権威を危機にさらす者達であるとみなし、使用者を徹底的に社会から駆逐する方針が打ち出された。
この結果、1980年から1994年までのレーガン・ブッシュ時代を通じて、アメリカの刑務所の収容人数はおよそ3倍に増加し、特にブッシュ政権時代の89年から93年までの間は人口比でアメリカは世界で最も高い刑務所の収監率を示すことになった[38]。
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[33]Ibid., p.359.
[34]本段落の数値は、Chomsky, Noam (1992) Deterring Democracy, London; Vintage Books, p.120.
[35]Baum, Dan (1996) op. cit. p. 264.
[36]1989年には喫煙を原因とした死亡者数が395,000人、飲酒による死亡者数が23,000人と見積もられており、またこれとは別に22,400人が飲酒運転で死亡している。一方、コカインによる死亡者数は3,618人、ヘロインなどのアヘン系物質が2,743人、マリファナの死亡者数はゼロであった。Ibid., pp. 264-265.
[37]Ibid., p. 266.
[38]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 357.
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1983年のコカインの押収量は6トン、マリファナは850トンだったが、1985年にはコカインが25トン、マリファナが750トンとコカインの押収量がこの時期劇的に増加し、同様にDEAによる推計では1981年にはアメリカ人はおよそ36トンから66トンのコカインを消費していたが、その推計量は84年には61トンから84トンへと増加している。
供給過多によりコカインの卸価格も80年代初頭のキロ60,000ドル程度から、1985年には値が40%下落し、1980年代の終わり頃にはキロ15,000ドルと約4分の1にまで下がっている。
また1977年には18歳から25歳までの若者で前の年にコカインを使用したものの割合は1割程度と推定されていたのが、1985年には約3分の1へと増加した[31]。
要約すれば、タスクフォース開始後からアメリカ市場に大量の安価なコカインが出回り使用者を増加させていたことになる。
この現象の背景には密輸の完全な取締りが不可能であるという事柄以外にいくつかの要因が指摘できる。
まず、上述したようなドラッグユーザーと学者の間での、コカインはさほど危険ではないという認識がその後の需要に与えた影響、また今後詳述するコロンビア、ペルーなど南米のコカイン生産国の当時の政治、経済状況の混乱がコカ栽培に与えた影響も無視できない。
しかしアメリカ国内の麻薬政策に限定していえば、これはマリファナをコカインと同様の危険なドラッグとして同じ厳しい罰則規定を科した法的要因が大きいと考えられる。
当時のフロリダ州の法律では、マリファナとコカインの密輸に対する罰則が同じであったため、密輸業者が同じリスクを負うのならば、運びやすく利益が大きいコカインを密輸しようと考えるのは当然の結果であるといえる。
しかし、レーガン政権はさらなる取締りの強化でこれに対抗し、1984年にはComprehensive Crime Control Actを制定し司法省財産没収基金(Justice Department's Assets Forfeiture Fund : AFF)を創設した。これはドラッグ関連の犯罪によって没収した財産を供託する基金であり、情報源への報償金、刑務所の設立資金、また取締りの資金として連邦政府が使用するだけでなく、地方の法執行機関、警察にもこの基金の一部が還元されるシステムであった。
そのため地方警察による取締りは活発化し基金は著しく増加し、1985年には2,700万ドルであった基金は、1991年には6億4,400万ドルにまで膨れ上がっていた。
しかし1991年の調査によれば、財産を没収された市民のうち80%は刑事告発されていないにもかかわらず、93年には司法省だけで6億ドルを越える価値の押収財産が蓄積され、国民の財産権の侵害との批判もあがっている[32]。
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[31]本段落の数値はすべてIbid., p.353.
[32] Ibid., pp. 358-359. このシステムは2000年にクリントン政権下で改革された。
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1978年から盛り上がりをみせた反ドラッグの世論は、1981年の大統領選挙で共和党のレーガンを押し上げ、彼の大統領就任により麻薬政策は非寛容政策へと大きく転回していく。
特にナンシー・レーガンは有名なJust Say Noのスローガンのもと、アンチドラッグキャンペーンの道徳的アントレプレニュールとして、ドラッグへの徹底的な非寛容を訴えた。
彼女は寛容政策が持っていた根本要因論を否定し、「我々一人一人は、どこであれ、いつであれ、誰に寄ってであれ、ドラッグの使用に対して非寛容である責任を負う。我々はこの国にドラッグの使用に対して非寛容な雰囲気をつくりあげなければならない」という主張を展開した[28]。
レーガン自身も、「我々はこの国に入ってくるドラッグの流れを止めるため、子供達、とりわけ就学年齢の若者に真実を教えるため、麻薬を取り巻く間違った魅力を取り除くため、そしてマリファナのようなドラッグを正確にあるがままに規定する、すなわちそれが危険であると規定するために、すべての力を動員せねばならない」と述べ、先の父兄運動の主張に沿ったマリファナを危険なドラッグとみなす方針をとった[29]。
そしてこの問題に関する政権内のもっとも重要なポストであるAlcohol, Drug Abuse and Mental Health Administrationの長官に、フロリダ州の小児医師であり父兄運動の熱心なメンバーであったイアン・マクドナルド医師を任命し、カーター政権とは対照的に徹底したアンチ・ドラッグキャンペーンを展開した。
レーガン政権の麻薬政策は、売人と使用者に対する法的処罰に対する予算の増加と、一方での治療や使用者を取り巻く社会調査に対する予算の削減によって特徴づけることができる。
レーガンはまず1982年2月に麻薬密輸の玄関となっていたマイアミに南フロリダタスクフォースを立ち上げ、副大統領のジョージ・ブッシュを指揮官として密輸入の海上での取り締まりを強化した。
その後これをモデルに、さらに12のOCDETF (Organized Crime Drug Enforcement Task Force) の配置を10月に発表する。
タスクフォースが立ち上がった最初の年には、ドラッグ関係の起訴が南フロリダでは64%増加し、約1,900万ドルの現金や財産が押収された[30]。
しかしこの作戦はアメリカに新たなドラッグトレンドを生みだすことになる。
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[28]Ibid., p. 273.
[29]Ronald Regan Presidential Library (June 24, 1982) Remarks on Signing Executive Order 12368, Concerning Federal Drug Abuse Policy Functions, [http://www.reagan.utexas.edu/].
[30]Davenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 352.
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ガンジャ ガンジャ♪
やろうよ やろよ♪
みんなで仲良く 輪になって♪
ガンジャ ガンジャ♪
やろうよ やろよ♪
みんなで仲良く 輪になって♪
朝日が昇り 今日が始まる
ちっぽけなことには こだわらないで
ガンジャ ガンジャ♪
やろうよ やろよ♪
みんなで仲良く やりたい人は 輪になって♪
ガンジャ ガンジャ♪
やろうよ やろよ♪
みんなで仲良く やりたい人だけ 輪になって♪
忘れちゃいけないことは 神さまのこと
悪いことをすれば 神さまに怒られるぞ
ガンジャ ガンジャ♪
やろうよ やろよ♪
みんなで仲良く やりたい人は 輪になって♪
ガンジャ ガンジャ♪
やろうよ やろよ♪
みんなで仲良く みんなで一緒に 輪になって♪
警察官も 刑事さんも 裁判官も 弁護士の先生も
議員さまも 大臣さまも
みんな一緒に 仲良くやろうよ
ガンジャ ガンジャ♪
やろうよ やろよ♪
みんなで仲良く やりたい人は 輪になって♪
お父さんも お母さんも お兄さんも お姉さんも
お婆ちゃんも お爺ちゃんも
やりたい人は 自由にやれる
そんな日がいつか いつか来るよ
やりたい人は 自由に 自由に
安心安心 どこでもやれるぜ
そんな日がいつか
やりたい人は 自由にやろうよ
そんな日がいつか そんな日がいつか やってくる
そんな日が来るよ そんな日が来るよ
いつか来るよ そんな日が来るよ
やりたい人は 自由にやれる
そんな日がいつか そんな日が来るよ いつか来るよ
やりたい人は 自由に 自由に
安心安心
いつか来るよ そんな日が いつか きっと来る!
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http://sound.jp/taima/index.html
上の歌詞はみんなで歌うのに良さそうな、「なぜか大分録音(Ver. S)」です。
「Ver. 2.1」と「Ver. 3.0」もまた違う趣きで良いですよ。
個人的には大分録音が「歌うバージョン」で、「Ver. 2.1」と「Ver. 3.0」は「聴くバージョン」です。
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1978年はアメリカの麻薬政策にとって大きな転換点を迎えた年である。
この年にボーンに対し、偽の名前で精神安定剤の処方を書いたこと、彼自身がコカインをパーティで使用していたというスキャンダルが起き、カーター政権は麻薬問題の最高顧問であったボーンを失うと同時に、ドラッグに対しこれまで通りの寛容路線を進むことが政治的に難しくなった[25]。
さらにこの年を境目として、マリファナの常用が危険であると考える高校の最上級生の数は上昇し、1978年に35%に過ぎなかった割合が、その後1985年までには70%に上昇し、実際の使用者数もこの年を境に80年代にかけて減少していく[26]。
この変化の背景にはスキャンダルだけではなく、マリファナ使用とその使用者に対する反対運動の盛り上がりがあった。
この世論の変化をリードしたのは地域の父兄グループであった。
彼らは子供のドラッグの使用が与える悪影響を家族の立場から問題化し、麻薬(narcotics)だけでなく、アルコールによっても社会と家族のメンバーが危険にさらされているという主張を展開した。
アトランタでは1977年にマーシャ・マナットという主婦が、子供達のパーティがドラッグパーティになっていることを憂い、地域の親を組織化し様々な麻薬専門家のところに相談に行った。
当時は寛容的意見が主流であり彼女の意見に同調しない専門家が多い中、彼女達の意見に耳を傾けたのが当時NIDAの責任者であった医師のロバート・デュポンであった。
NIDAの協力のもと、彼女らはParents, Peers and Potという小冊子を百万部以上を配りマリファナの使用を抑制する啓蒙運動を始めた。
デュポンは、当初マリファナの所持の非犯罪化を支持する意見の持ち主であったが、彼曰く、「両親の力がわたしのマリファナに対する考えを変え」、マリファナの非犯罪化に厳しく反対するようになった[27]。
マナットらは1978年に反ドラッグの父兄組織、PRIDE (Parent Resources Institute on Drug Education)を設立し、その2年後には反麻薬運動を行う父兄団体を総括する全米組織、NFP(National Federation of Parents for Drug-Free Youth)を組織化し運動を盛り上げた。
ここで我々が注目すべき点は、こうしたマリファナに対する否定的世論は、マリファナの危険性に関する新たな科学的発見ではなく、アルコールを含め麻薬が社会に許容されることの影響を問題化した道徳的アントレプレニュールらによる社会運動によって生みだされた点であり、その点でかつての禁酒法の成立と類似した現象といえるであろう。
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[25]Musto, David F (1987) op. cit. p. 268-269.
[26] Ibid., p. 270.
[27]Ibid., p. 271.
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(財)麻薬・覚せい剤乱用防止センターが「薬物乱用防止指導者読本」として翻訳して売っていたテキサスの教会支援団体の薬物標本の説明書原本には、大麻だけでなく多数の薬物が取り上げられており、アルコールとタバコについても書かれている。「読本」にもアルコールとタバコの項目はある。これも原本の説明書を訳しただけなのだろう。
「読本」に書かれていて、"「ダメ。ゼッタイ。」ホームページ"(以下「ダメホームページ」と略称)に書かれていない薬物のひとつ、アルコールのページには次のように書かれている。
■アルコールはその性格上、体にとって問題の多い化学物質となっています。
(中略)
表面的な作用として、アルコールは攻撃的で不合理な行動に出たり、肉体的にも精神的にも緩慢な反応(原注:不鮮明な発音も含めて)を見せたり、筋肉の相互調整機能の低下やアンバランスを来たしたりしますが、これらはいずれもアルコールが持っている作用の、ほんの氷山の一角でしかありません。こうした酩酊状態の陰に、体内で発生したアルコールに起因する数多くの化学反応によってもたらされた、遥かに奥の深い破壊的で永久的な悪影響が潜んでいるのです。
(中略)
摂取するアルコールの量が増えますと、抑制効果も増加します。心拍数も血圧も低下し、筋肉は弛緩し、呼吸も遅くなり、血清尿酸塩の濃度が上昇し、やがて、血液の(原注:血液がドロドロした状態になること)が進むにつれて、体の主要な臓器の破壊も進行します。(後略)
脳の項目にはこのようにも書かれている。
脳の萎縮:常習的飲酒により組織の病変が進行して起こります。常に酸欠状態おかれた毛細血管組織の脆弱化が進み、更に溢血が発生する結果、再生不可能な脳の組織を損傷させてしまうのです。精神病院においてアルコール中毒の治療を受けている患者の約50%の者は、こうした再生不良の脳の障害をすでに持っているため、残りの人生は絶望的と言わざるを得ない状態です。
なぜダメホームページにはこのようなアルコールについての危険性が全く書かれていないのだろう。
アルコールやタバコは麻薬でも覚せい剤でもないからだろうか。そうだとすれば、なぜ「読本」には載せて売っていたのだろう。著作権はどうなっているのだろう。
大麻が麻薬かどうか、それは麻薬という言葉をどう定義するかの問題だが、違法でない麻薬・薬物・ドラッグについては危険性を伝えないという判断であるなら、結局のところ、違法だからダメゼッタイと言っているに過ぎない。
私たちが主張している大麻の個人使用の問題は、本質的には薬物行政のあり方を問うものだ。
アルコールやタバコの有害性は、テキサスの教会支援団体の14年以上前の薬物マニュアル通り、「読本」には訳出を掲載しつつ、ネットには出さない。科学的ではなく、政治的な情報。このような意図的な、恣意的な、作為的な情報操作は、この国の薬物行政の無能ぶりを表象しているように私には思われる。
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それではここで問題です。これはなんでしょう?
検索エンジンGoogleで「大麻」をキーワードにすると、以前は大麻堂や麻枝さんのブログも上位にリストされていた。それが出なくなっている。
検索エンジンにリストされるには、その検索エンジンのデータベースに登録される必要があり、各検索エンジンはロボットと呼ばれるプログラムを使って世界中のウェブサイトを取り込んでいる。Yahoo!は以前は手作業で登録するディレクトリ登録だけだったが、現在はロボットを併用している。
ロボットが巡回してくるタイミングや、キーワードの使い方によって、絶えず順位は変動するし、一時的に登録から外れてしまうこともあったり、同じ検索エンジンでも多数のデータベース(サーバーコンピュータ)を使っているので、アクセスしているサーバーのデータベースによって、順位が違うこともある。
Googleは、中国政府の圧力に屈し、中国政府批判を掲載しているウェブが検索されないように当局に協力している。
日本の当局筋から、「マリファナ青春旅行のブログとは言わないが、前田のサイトは検索エンジンの結果に反映させないでほしい、代わりに、ダメゼッタイを特別扱いで一番上に出してほしい」という圧力があったのでは?というのがゲスの勘繰りでしかないことを祈る。もし、これが意図的な操作によるものであるなら、恐ろしい話だと思う。
ダメセンのサイトは、総務省が出しているウェブのガイドラインにも合格しない、公的情報を発信するサイトとしては、恥しいような文法の記述で書かれており、以前はYahoo!の検索エンジンには全くひっかからなかった。
政治的圧力でYahoo!の一番上に表示させているが、Googleで「大麻」を検索すると、一見したところ上位には見当たらない。当方の環境からは、ニュース検索を除いて、5位にTHCのこのサイトがリストされている。当サイトはちょっと前までもっとずっと低い順位にいたのだが、「大麻」というキーワードをページタイトルに追加するという単純な方法を試したところ、5位まで来た。
よく見ると、3位にリストされているサイト、タイトルも、紹介文も文字化けしており、なんじゃこりゃ状態である。それが初めに書いたクイズの図です。さらによ~く見ると、この文字化けサイトのURLには「dapc.or.jp」とあり、ダメセンである。「dapc」って、「ダメ、パソコン」の略だろうか。
www.dapc.or.jp/data/taima/1.htm
答え:(財)麻薬・覚せい剤乱用防止センターのダメホームページの紹介でした。
誰が更新してるんだっけな?糸井専務理事、誰でしたっけ?
公的情報のリテラシーの責任とかいう遥か以前の時代に彼らの意識は生息している。
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1977年に大統領に就任した民主党のジミー・カーターもドラッグに対してはフォード同様の寛容政策をとった。カーターがドラッグ問題の顧問としたのは先のボーン医師で、大統領の側近としてこの問題の全権を握った。
まずカーター政権は少量のマリファナの所持を非犯罪化し1オンスまでの所持を少量とみなす方針をとった。フォード政権と同様に罰金を中心とした罰則規定をとり、刑務所での留置などの服役刑が科されることはなかった。
しかし完全な合法化は1961年にアメリカも調印した国際麻薬統制条約である単一条約(Single Convention on Narcotic Drugs)違反になるので、マリファナ所持に関する処罰は各州の裁量に任せるという方針をとった。
1977年にカーターは議会で、「ドラッグの所持に対する刑罰は、ドラッグそれ自体の使用よりも個人により大きなダメージを与える」と述べ、マリファナの個人使用目的での所持に関して罰則をゆるめる意見を各州の行政機関に向けて発している[22]。
このカーター政権の麻薬政策の柱は、非合法麻薬すべての禁止ではなく危険性の高いドラッグに対してのみ国民に注意を喚起させることであった。ボーンが特に危険視したのは1977年に2,000人の死者を出していたバルビツレートで、これに厳しい規制をかけつつ、またトルコ産に代わってアメリカに流入していたメキシコ産のヘロインに対しても、経済援助と引き換えにメキシコ政府に除草剤の散布によるケシ畑の殲滅作戦に協力させこれに対処した[23]。
ここでボーンとカーターを思わぬところで悩ませたのは、メキシコ政府が1975年の後半からマリファナ用の除草剤として使用したパラコートであった。
パラコートは人間の食道、内臓に潰瘍を生じさせる毒性の高い物質で、これを散布されたマリファナの流入がNORMLによって大々的に喧伝され社会問題化された。
アメリカ政府はもともとメキシコから流入するヘロイン対策として、メキシコ国内のケシ畑に枯葉剤を散布させるためヘリコプターを供与していた。しかしアメリカ政府の意図に反しマリファナの撲滅にむしろ主眼をおいていたメキシコ政府は、ケシ畑に対して2-4-Dという除草剤を散布する一方、アメリカから供与された装備で大量のパラコートをマリファナ畑に散布していた。
NIDA (National Institute of Drug Abuse) はすぐにNORMLの指摘を受け、メキシコから流入するマリファナの危険性を報告し、保健教育福祉省も78年3月に、「強度に汚染されたマリファナタバコを一日3-5本づつ数ヶ月に渡って使用した場合、回復不可能な肺へのダメージを引き起こす」という報告を新聞紙上で発表しNORMLの要求に答えた[24]。
また1978年5月にはチャールズ・パーシー上院議員が、Foreign Assistance Actを見直し、パラコートの使用などの生産地でのドラッグ撲滅プログラムの抑制を検討する考えがあると発表した。
しかし政府のこうした協力的対応にもかかわらず、NORMLのリーダー、キース・ストロープは執拗にこの問題でカーター政権を批判しつづけ、あくまでもメキシコ政府にパラコートの散布を中止させるよう政府に求めた。
しかしこの問題はもとよりメキシコ政府が起こした問題であり、また本来非合法なマリファナの安全問題は政府がこれ以上取り扱うべき事柄ではなかった。
政府のPR活動によって多くのマリファナ使用者はこの問題に対する注意を充分に喚起され問題は実質的に終息していたにもかかわらず、ストロープは執拗にカーターとボーンを批判し続けた。
カーター政権時はこうした行過ぎたNORMLの運動とそれに対する政府の受け身の対応に象徴されるように、アメリカの歴史上ドラッグにもっとも寛容な時代のピークを迎えていたといえる。
一方で行き過ぎた解放運動と寛容政策は、未成年や子供への悪影響などこれまでの寛容政策の中で忘れられていた問題を世論の中に生みだすことになる。
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[22]Musto, David F (1987) op. cit. p. 267.
[23] ヘロインの使用は80年代に入ってから再び増加するが、この増加はカーター政権と無関係ではない。79年にカーター政権がアフガニスタンでソビエトに抵抗していたムジャヒディンゲリラに武器の援助を開始したことで、この地域でアヘン生産を行い軍事資金にしていたゲリラの活動を活発化させた。結果、アフガン産のアヘンがパキスタンなど隣国でヘロインへと大量に精製されるようになり、80年にはアメリカで消費されるヘロインのおよそ6割がアフガン産アヘンから作られたものとなっていたDavenport-Hines, Richard (2001) op. cit. p. 345.
[24] Baum, Dan (1996) op. cit. p. 107.
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「ダメ。ゼッタイ。」ホームページの直接の転載元である薬物標本の説明書を発行したDrug Prevention Resources社に問い合わせのメールを送信しました。
* * *
Phillip R.Watson様
私は、医療目的はもとより個人使用の大麻非犯罪化を求めて活動をしている大麻取締法被害者センターの白坂と申します。
貴社の薬物標本の説明書について問い合わせたく、メール致します。
日本では、厚生労働省の委託を受けた財団法人麻薬覚せい剤乱用防止センターという機関(http://www.dapc.or.jp/english/index.htm)が薬物情報を国民に周知しています。
今般、厚生労働省に対する私たちの情報公開請求によって、日本の公的大麻情報の根拠が明らかになりました。それは貴社が販売している薬物標本の説明書でした。
入手できた6枚をリンクしますので、これが貴社の薬物標本の説明書かどうかご確認頂けませんでしょうか。
1.http://taima.asayake.jp/11.php
2.http://taima.asayake.jp/2.php
3.http://taima.asayake.jp/3.php
4.http://taima.asayake.jp/4.php
5.http://taima.asayake.jp/5.php
6.http://taima.asayake.jp/6.php
また、これは14年以上前の貴社の薬物標本の説明書のようですが、現在貴社で販売されている薬物標本(http//www.dpri.com/educationkit.htm)の説明書は今も同じ内容でしょうか?
大麻の項目について、この14年の間に改訂されていないでしょうか?
ご多忙のところ恐縮ですが、ご回答を頂けましたら幸甚です。
--- 以下はネイティヴの人に訳してもらった英文 --
Subject:THC INFO REQUEST
Dear.Mr. Phillip R.Watson
My name is Mr.Kazuhiko Sirasaka. I am in Japan and represent a group called Taimatorisimarihou Higaisha Center ( Cannabis Control Law Victim Center ) or "THC Japan". Our goal is to promote medical use of cannabis as well as de-criminalization in general at minimum.
We would like to ask some questions concerning the manual which is included in your organizations "Drug Education Kit". The information posted at the Drug Abuse Prevention Center http://www.dapc.or.jp/english/index.htm is being used to provide information on drugs to the country of Japan .
The Ministry of Health, Labor and Welfare has informed us that the cannabis policies in Japan are largely based on information contained in the Drug Education Kit made available by your organization.
The Ministry of Health, Labor and Welfare provided us with the following pages from the manual. Could you please review the following six pages and verify if they are indeed excerpts from your organizations manual?
1.http://taima.asayake.jp/11.php
2.http://taima.asayake.jp/2.php
3.http://taima.asayake.jp/3.php
4.http://taima.asayake.jp/4.php
5.http://taima.asayake.jp/5.php
6.http://taima.asayake.jp/6.php
According to the Ministry of Health, Welfare and Labor the manual they are using is more than 14 years old. Is the information in the previously cited pages consistent with the current edition of the Drug Education Kit Manual referred at the following link?
http://www.dpri.com/educationkit.htm
Have there been any changes concerning cannabis?
Lastly, could you please provide the research sources used to compile the information provided?
I greatly appreciate your time and will be eagerly awaiting a reply.
Sincerely,
Mr. Kazuhiko Sirasaka
Cannabis Control Law Victim Center (THC Japan)
http://asayake.jp/thce/
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ニクソン政権が1974年に終わると、同じ共和党のフォードが大統領に就任した。しかし彼はニクソンとは麻薬政策に対する考え方が異なっており、ドラッグの使用は既に広く社会に普及しており、これを完全に消滅させることは現実的に不可能であるとの認識を持っていた。
1975年9月に、1969年からのニクソンによるドラッグ政策のレビューとしてDomestic Council Drug Abuse Task Forceによる麻薬中毒白書(White Paper on Drug Abuse)が出版された。そこでは、「麻薬中毒の完全な排除はあり得ないが、しかし政府の行動はこの問題を抑制し、負の影響を抑えることはできる」との政府の基本的立場が示されている[16]。
また「すべてのドラッグは一様に危険なものではなく、すべてのドラッグの使用は一様に有害ではない」との見解を同じ白書の中で示し、種々のドラッグの持つ危険性を再度ランク付けし、「供給と需要の削減の両者において優先させなければならないドラッグは、より大きな固有の危険性を保持している以下のドラッグ、すなわちヘロイン、アンフェタミン--特に静脈注射で使用される場合--と混合バルビツレートである」との方針を打ちだした。
また翌1976年のFederal Drug Strategyでは、ヘロイン中毒に言及して、ジョンソン時代の根本原因論が再び取り上げられ「貧困、失業、疎外、あるいは機会の不足」がヘロイン中毒発生の根本的要因であるとの見解が示された[17]。
このフォード政権時に発表された白書で注目すべき点は、ここにマリファナとコカインに関する言及がみあたらないことである。
これはつい5年前に議会でマリファナ及びドラッグ中毒に関する委員会が設けられ、マリファナに最も高い取締りの優先順位をつけていたことを考えれば大きな変化といえる。この変化の背景にはこの二つのドラッグに対する社会的表象の変化が多分に影響していると考えられる。
マリファナが危険なドラッグであるという認識は、ニクソン時代の厳しい禁止政策に関わらず70年代を通じて衰退している。
1975年にはまだ43%の高校生がマリファナを危険と考えていたが、1978年には35%へと落ち込みその数は減少の一途を辿った。
同時にマリファナの使用者も増え、1978年のピーク時には24%の高校生が過去30日間にマリファナを使用したと回答している[18]。
州単位では法改正も行われ、70年にワシントンの弁護士キース・ストロープによって創設されたマリファナ解放を目指す非営利団体NORML (National Organization for the Reform of Marijuana Laws)のロビー活動によって、既にニクソン政権末期の1973年には全米で最初にオレゴン州でマリファナ所持の非犯罪化が行われ、その後アラスカ、カリフォルニア、コロラド、メーンなど11の州が70年代に同様の政策を採用し、マリファナ所持の非犯罪化もしくは逮捕に代わる民事制裁金による刑罰へと移行している。
74年には雑誌High Timesも創刊され、吸引器具の販売も含めマリファナに関連した経済活動も活発化した。
このように、少なくとも70年代中頃までには、マリファナの喫煙はもはや極端な社会的逸脱行為とはみなされず、むしろ一つのサブカルチャーとしての地位をアメリカでは確立していたといえる。
一方のコカインも、70年代中頃までにはこのドラッグを20世紀初頭の頃のように危険視する意見は稀となっていた。
後にカーター政権下でドラッグ問題の責任者となる当時の著名なドラッグの専門家であったピーター・ボーン医師は、1974年にコカインについて次のように語っている。
「コカイン、最近その使用が広がっているこのドラッグは、おそらく非合法ドラッグの中でもっとも良性のものである。極端な場合、マリファナと同様にコカインは合法化することも可能であろう。約15分という短い効果と、身体的中毒性の欠如、そして激しい楽しさ。コカインは、昨年すべての社会経済的レベルで増大する支持を獲得している」[19]。
この現在からみれば行過ぎともとれる当時のコカインの肯定的評価の背景には、コカインが経験した1920年代から60年代にかけての長い薬物としての歴史的断絶を考慮する必要がある。
前章でふれたように1910年代後半からの厳しい取締りによって、コカインの非医療目的での使用がアメリカでは激減し、一方医療界でもノボカインなどの新たな代替化学物質の発明によりコカインが医療目的で使用されることはほとんど無くなっていた。
1930年代にはコカインは西洋社会ではほとんどみかけなくなり、この時代にコカインを積極的に製造していたのは日本統治下の台湾ぐらいであった[20]。
その結果、この薬物をあえて研究しようという者がいなくなり、コカインに対する薬学的調査や研究文献はこの時代全く現れていない。
歴史学者のポール・グーテンバーグが指摘するように、70年代のコカインに対する肯定的認識と使用の拡大の背景には、コカインの持つ潜在的な危険性に対する当時の絶対的な知識不足があり、これがこのドラッグの娯楽的使用と政府の寛容政策を助長させたと考えられる[21]。
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[16]Domestic Council Drug Abuse Task Force, White Paper, pp.97-98. cited in Musto, David F (1987) op. cit. p. 264.
[17]Baum, Dan (1996) op. cit. pp. 86-87.
[18]Musto, David F (1987) op. cit. p. 264.
[19]Ibid., p. 265.
[20]日本の製薬会社の台湾でのコカイン製造に関しては、星新一『人民は弱し官吏は強し』、角川書店、1978年、に詳しい。
[21]Gootenberg, Paul (ed.) (1999) Cocaine: Global Histories, London and New York, Routledge, pp. 3-4.
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