バルセロナ・スパナビス・フェアー

2004年2月18日(水)われわれは、スペインでは初めての本格的な商業カナビス・イベントであるバルセロナのスパナビス・ファアーに向けて長いドライブの旅に出発した。

私は、グロー・シュア・ショップのオーナー、ジョセ・モレナとスタッフのペグとセルジオと一緒だった。車にはフェアーで使うために借りたジョセ特別仕様のハシシ抽出装置を積んでいた。午後4時、われわれが本拠地にしているマラガから1100キロ離れたバルセロナに向けて出発した。夜通しでドライブして早朝には到着する予定だった。ジョセはカナビス・トレード・フェアーに出展するのは初めてで大変興奮していた。彼は準備万端で出発に備えていた。

その日の夜の10時半にはバレンシアに到着した。コンデモアが待っていてくれてカナビスも吸える友達のカフェテリアに連れていってくれた。飲み物と本当にうまいハンバーガー、ア・ラ・カサを食べ、各自のベッドに行く前にジョイントを何本か吸った。ジョセとセルジオはコンデモアの家に泊まり、ペグと私はマニュエルとコンデモアと一緒にガーデン・チェをやっているジャビアーのところに世話になった。

ジョイントが効いていて午前3時ころまで眠れなかった。バルセロナでは装置を組み立てるために早朝の7時前には出発することになっていた。ガーデン・チェもスカナビス・フェアーに参加して有機栽培肥料オルガニハムを出展することになっていた。

2月19日(木)

早朝、ガーデン・チェの倉庫を出発したが、その前にコンデモアは彼のジャック・ヘラー・バッズを彼独特の流儀で披露してくれた。

これがジャック・ヘラーのクローズ・アップ。写真は暗いが、密で樹脂に富んでいることが分かる。

正午過ぎに会場のパラウ・サン・ジョルディに到着した。1992年のバルセロナ・オリンピックの複合施設の一つでバスケット会場になったところだった。マノロとジャビアーとコンデモアはブースの準備を始めた。ジョセは装置の準備にかかり切りになっていた。

スペインで最大のカナビス・イベントの準備が進むなかで、何人かのアーティストたちがカナモ・マガジンのブースの側壁面にスプレーで絵を描いていたのでその様子を追うことにした。


この男の顔には馴染みがあるが、パイプは似合わないのでは・・・

カナビス・トレード・フェアーにオピアム・スモーカー。カナビス文化の雑誌を装うカナモの典型的な流儀だ。私個人としてはこのカナモのやり方には賛同しかねるが、彼らはカナビスだけに固執せず世界中のハードドラッグの記事もよく掲載していて、どこで線引きしているのか明確でない。2004年2月の74号ではカナモという名前に「カナビス文化をレビュー」というメッセージに続いて、「政府の専門家対カナビス」「コカの栽培」「麻薬文化かタバコ文化か」「ボリビア、コカ暴動」というヘッドラインを掲げ、表紙全面にコカの葉の写真をのせていた。

私には、雑誌の若い読者がカナビスだけに目を向けるように何故ハードドラッグの雑誌と分離しなかったのか理解できない。さもなければ最低でも雑誌の名前を例えば 「ドープ、手に入れられるすべてのドラッグのための雑誌」 というようにしなかったのか。

スペインのもう一つのカナビス雑誌「イエーバ」はすべてカナビスでカナビスだけだ。 どちらの雑誌もフルカラー132ページだが、最新号のカナビス関連のページを数えてみると、カナモは47ページだけがカナビスのニュースや情報なのに対し、イエーバは80ページがカナビスの記事だった。しかもカナモより20ユーロセント安く、3.5ユーロだ。もっとウイードとハシシを手に入れるためにイエーバを買おう!


スプレーから出てきたミックもいた。

パラダイス・シードバンクのクルー、ジェニファーとパトリック。ガラス・パイプで雰囲気を味わっていた。

スパナビスPRマネージャーのトニー(左)がヘシ・グループに何をどうやればいいのか説明していた。

バイオ・グリーンはどこよりもハイになっていった・・・

スパナビスで最初に吸ったインデーカ・バッズ。名前を憶えておこうと思ったのだが・・・

カルロが宝石用のルーペで点検中。バッズの中にはグラム当たり金より高価ものもあるから、そんなにおかしな光景でもない。

その夜はバルセロナーからはだいぶ離れたホステルに泊まった。大変豪華だが小さく、メインの電気は故障していた。気持ちを高めるためにいろいろなバッズやハシシを吸ったり、リトアニアのウォカを飲んだりした。

ホルテルのある同じ敷地内を探索していると一人が深い洞窟に続く扉を発見した。ジョセが下りてくるように手招きしたので私は最後に入っていった。

地下は結構深く、ロウソクだけを頼りに吸うはめになった。

洞窟ではペグがスパニッシュ・スタイルのハシシ・ジョイントに火をつけた。大抵のスペインのスモーカーたちはタバコのフィルターをそのまま流用して使う。確かに、ジョイントを巻くには下準備がいらないのでどんな所でもとてもハンディだ。

右から、セルジオ、コンデモア、私、ジョセ、ジャビヤー。前で膝をついているのがペグ。マヌエルはカメラ係。

ベッドに行く前のテーブルの有様。奧からパワープラント、アフガン・ハシシ、ネパール・テンプルボール。バルセルナへは遅刻しないように早々に戻らなければならないので、この夜も短く切り上げた。

2月20日(金)  プロフェショナル・トレード・フェアー

カナモのスプレー・アーティストたちはご覧のように素晴らしい仕事をしていた。私はフェアーではカナモのブースが一番見栄えが良かったと思うが、主催者の評価基準に合わず何の賞も獲得できなかった。


華やかで夢の世界

ジョセは彼のブースの最後の仕上げにかかっていた。一目を引く装置が並べられ、まるで化学実験室のようだ。

親しげに微笑むフート・レディーたち。ジョイントを見栄え良く巻けない人向けのハンディな道具、フート・ローラー・エイドを実演していた。

最新の刈り入れ道具、アードバーク。吸入器を備えた剪定バサミで、刈り取った部分は自動的に吸い込まれていく。ハシシ・メカーにとってはとても衛生的。

吸い口は狭く、バッズを傷めないようになっている。

オランダのポータブルな栽培室も展示されていた。

マコキ・ブースのフェリッペ。フェリッペはまたバロセロナを拠点とした ARSEC を支える一人で、関連団体とともにスペインにおけるカナビスのより良く自由な政策を求めて努力している。

ソーマはたまたまジョセのブースの隣だった。当然良質のバッズを持ってきていた。ハシシ・オイルを塗ったニューヨーク・シティ・ディーゼルを見せてくれた。これとアイソレータで作ったゼリーの入りの彼の2つのパイプを吸わせてもらったが、1時間ほどはまるでおしりにロケットをつけたみたいに飛びまくてしまった。



イエーバのブースにはスナックやワインやビールが用意されていて良かった。また伝統的な保存用ハムをとても薄くスライスしてデリカテッセンにしていた。イエーバのアートディレクター、ゴンザロは微笑みながら周りを楽しんでいた。

モロッコ・キャラス。ちっと吸ってみたが、味がよくインパクトがあって行ってしまった。いい土産でホテルに持ち帰って吸った。

マリファナ植物ではなくて多量のサボテン。ソーマはバッズみたいに隠しておくのが聞かれていた。でもサボテンは押収されたりはしない。

大きいのやら小さいのやら・・・

スパナビスのブース。来年のスパナビス・フェアーの開催とスパナビス・マガジンの発行を案内していた。

ジョセの実験装置。これでハシシやマリファナからアルコールを使ってオイルを抽出する。

ジョセのガス・オ・レイター装置。製品には3つのサイズがあり、これを使えばほんの数本の植物からバッズをトリムして出た葉からでもすぐに少量のオイルを作ることができる。

上からも会場を撮影してみた。

ホールの屋根は高く空間は広い。、通路の部分もたっぷりしていてブースへのアクセスが簡単。

参加した関係者は100人以上。来年はその倍になる予定だ。スパナビスはカナビスのようにどんどん成長する!

カナモのブースではこぢんまりながらも気持ちいいライブをやっていた。

バーダンパーのエバートは新型のバポライザーを披露していた。誰もが自由に試していた。

パラダイス・シーズのルークはいつも書類ばかりか顔も見せようとしない。

フランスからもパリのスモーカー・ミュージアムが出展していた。

ジョセがハシシ・オイルの抽出デモを始めた。

材料が装置に充填された。

緑色の液体が循環し始めた。

ポリネーターとアイソレーターの発明者ミラもスペイン・デビュー。スペインをとても気に入っていた。

晩は遅くなったが、それぞれのベッドに引き上げる前に、ロコモトラ・レストランでゆっくりとしたディナーを取った。

2月21日(土)

土曜日は大変盛況だった。広い通路が詰まってしまうことすらあった。

グローショップのフランチャイズ、ホワイト・シャーク。

バイオグリーンは製品の卸売り先を見つけて大成功だった。

オルガニハムのクルーも大成功で喜んでいた。

センシ・シード、カナビス・インドアのハイテク・ブース。最新のデジタル製品であるカナビス・インドアDVDのプロモーションに来ていた。私も制作に協力していたのでDVDセット2組をプレゼントしてくれた。スペインの最初の家で収穫の模様のインタビューを受けた。

セルジオはこのピースメーカーを使って自分のモロッコ・ハシシにロゴをプレスしていた。

カルロとコンデモアはカルロの作った4房のガラス・パイプを持ち歩いていた。

夜に行ったレストランのウエイター。われわれが最後の客だった。ハシシ・ジョイントを吸っていたのでそれに気づいた彼は鼻をくんくんしていた。でも気にせず吸っていた。彼はフレンドリーで写真も撮ってくれた。お返しに彼をパチリ。

これがウエイターが撮ってくれた写真。彼は、マネージャーに見つかるとまずいから、食事が終わったらジョイントを別にしておいてと言ってくれた。なかなかいいヤツだった。

友達のマークとマーチンと一緒になった。オランダ東部のデデムズワートにあるコーヒーショップ、ファー・アウトのオーナーとマネージャー。好奇心旺盛ではしゃいでいた。

2月22日(日)

バルセロナのインテリア・グローショップでカルロの相棒であるカルロスがハシシのコレクションを見せに来てくれた。どれもアイソレータ抽出したもの。

キャンディの皿のように見えるが、まさにカナビストにとってはキャンディ。中にはスーパー・シルバー・ヘイズ、スイート・ツース#3、ホワイト・ウイドウなどもあった。

カルロスは最高級のモロッコを分けてくれた。バターのように柔らかくカレーのようにスパイシーだった。

マコキ・ブースの後ろの絵にはウイードの知恵の言葉がたくさん書かれていた。

ジャンボル・バッズ。以前、エリオットのゲリラ・ガーデンでこの種類の巨大な植物の写真を撮ったことがある。見栄えも味もよかった。甘いかおりがして、ゆったりとハイになり気持ちがいい。栽培した本人がこのバッズをくれた。どのみち大変ナイスな代物。

右が栽培者のアントニオ。例によってコンデモアがまたバッズをかじっておどけてみせた。

マイクはスペインのマリファナがすぐに気に入った。私のパワープラントは吸おうともしなかったくせに。オランダでいつも吸えるから、今はスペインのハイがいいなどと弁解していた。了解し、彼がいつもヘイズを分けてくれるように私も自分のスパニシュ・バッズを分けた。

クロニック・インドアのようだ。

このカリミストはバレンシアのトニーが育てたもの。

マークはジプシー・ミルバーナの新しい雑誌インターナショナル・カナグラフィックに見入っていた。

ジプシーはこの雑誌を大変誇りにしていた。モロッコ・ツアーのDVDもハイっている。

マークは新しいカナビール、アベ・マリアを試していた。彼はチーチ・アンド・チョンというスモカーにもフレンドリーなバーを経営していていつも新しいヘンプ・ビールを探している。ラベルを見るとキロ当たりTHC0.05mgらしい。

マークはこのビールが気に入っていた。いつかこのラベルを彼の店で見ることになるのだろうか・・・

ジョセはとれたてのハシシ・オイルを隣のエドにも分けていた。エドはお客さんたちにボルケーノを実演していた。

コンデモアとカルロはまた例のパイプで吸っていた。

オランダのラップ・グループ、ラフスターがホールにリズムを響かせていた。

ジョセがブタンガスを使ってハシシ・オイル抽出する方法を見せてくれた。カナビスのイベントでこれを見るのは私は初めてだった。たぶん世界でも最初だろう。スペインではハシシ・オイルはカナビスとは違う種類と見なされているので禁止されていない。

スペインではハシシ・オイルは非常にポピュラーで彼のまわりには人が群がっていた。ジョセの装置は安くて少量の抽出にむいている。

チューブに葉っぱやバッズ、ハシシの粉などの材料を入れて専用な蓋をしめるだけ。

特殊なバルブからブタンガスを吹き込むとガスとオイルが二重になったメッシュを通して反対側の受け皿に出てくる。ガスは蒸発して、皿の底にはスティッキーな蜜のようなオイルが残る。

エド・ローゼンタールも非常に興味をもったらしく、ジョセや装置、それと抽出されたオイルを何枚も写真に撮っていた。

ジョセのブースはフェアーで終日たくさんの注目を集めていた。ブースのある角はいつも人で混んでいた。

ジョセの蜜はまだ少し泡を出していた。

これが仕上がったチラムを持ったサドゥーの絵。本当に気に入った!

これらはすべてプレゼントされて家に持ち帰った雑誌やDVDセット、グッドハウスやカナバイオジェン、パラダイス・シーズからもらった種子。このほかにもスペインでは新しいカナビスの知り合いがたくさんできた。いつか訪問してみるつもりだ。

総括するとスパナビスは成功だったと思う。よく組織され、お客さんも多く、雰囲気も良かった。最初のスパナビスの参加者の大半はオランダ人だったが、思っていた通り、みんなは結果が上々でに大変満足いくビジネスを展開していた。私は気持ちいい仲間とたくさんカナビスを吸った。警察も来ていたらしいが制服は着ておらず吸うのに気になることはなかった。来年も来るぞ・・・

好印象のノル・ファン・シャイク


http://www.hempcity.net/travelreports/spain2004/spannabisfebruari2004/index.html