チューリップ・マニア

オランダと言えばチューリップだが、ただその球根の生産量が多いというだけではなく、そこからはオランダの歴史や人々がどのような特徴を持っているかを知ることができる。フランス・ハルス美術館を訪れたとき、たまたま17世紀のハーレムの発展を紹介する特別展が開かれていた。



17世紀はオランダの黄金時代。海洋国として世界に乗り出し大発展した。ハーレムも繁栄し、金持ちたちは自分たちの肖像や庶民の暮らしを画家に描かせて多数の絵を残したが、そこには当時の様子がそのまま残っている。特別展ではチューリップにまつわるエピソードを扱ったコーナーがあり、チューリップ・マニアという猿の風刺画が大きく拡大されて細かい説明が付けられていた。



丹念に見ていくとチューリップの投機が破綻していく物語だった。株式会社は資本主義の最大の発明と言われるが、世界で最初の株式会社(VOC)が誕生したのは17世紀が始まったばかりのオランダだった。商品取引所が設立され先物取引が始まったのもオランダだ。加えて、経済の過熱から世界で初めて経済バブルを経験したのもオランダだった。いわゆるチューリップ・バブルでその震源がハーレムだったのだ。

チューリップはトルコが原産で、ライデン大学の植物園を作ったカルロス・クリシウスが球根をオランダに持ち込み栽培が始まった。ライデンからハーレムにかけては砂地の湿地帯で球根栽培にとても適していた。特にハーレムでは園芸が発達して、外国から集めた球根を交配してさまざまな新種の花をつくってフランスなどの王侯貴族たちに売って儲けていた。チューリップはやがてバラに代わって流行し始めブームとなった。





ハーレムではそれまでなかった斑模様の入ったチューリップが次々と開発され、園芸業者はかりではなく一般の園芸家も混じって最先端のファッションを競うような状態になった。センパー・アウグストゥスと名付けられた斑模様の入った高価なチューリップを宣伝するために、鏡を使ってたくさんあるように見せかけたりする業者もいたほどだった。

チューリップは地位と豊かさの象徴となっていった。人々は投資の対象として球根に莫大な金をつぎ込むようになり、供給が追いつかず畑の土の中にある球根まで先物売買された。先物販売用のカタログに使うチューリップ・ブックやパンフレットも次々に発行された。



ところが、先物は転売に転売が繰り返され途方もない値段になっていった。もはや楽しむためのチューリップどころではなくなり、先に売り抜いた者の勝ちとなるただのマネーゲームだった。終いには球根1個と家1軒を交換するものまで現れた。しかし1637年2月についに取引は限界に達した。買い手がつかなくなりバブルがはじけた。価格は数日で100分の1まで下落し破産者があふれた。

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A チューリップの儲け話に花を咲かせる猿たちの宴会。
B 高価なチューリップのリストで商品の説明をする業者猿。脇差しは地位のシンボル。
C 初買い付けの猿に自慢話をするチューリップ成金猿。
D 請求書を書く猿。背中のフクロウは愚かさの象徴。
E 大儲けにバンザイする猿。
F 金勘定に夢中の猿。
G 球根の重さを量る猿。重さで値段が決められた。
H 当てが外れてバイヤー猿に拳をふるう猿。
I 無価値になったチューリップに頭に来て小便をかける猿。
J 借金を負った猿を裁判所に連行する警察猿。
K 借金の裁判で悲嘆にくれる猿。
L 馬にまたがり成り行きを見守る貴族猿。
M 強盗に襲われ殺される成金猿。
N 埋葬される愚かな猿。

後に明らかになったのだが、チューリップの斑模様はウイルスに犯されていたことが原因だった。目に見えぬ病原菌と人間の欲望、愚かさががすべてを狂わせたのだった。この教訓を400年経った今でも語り次ぐハーレムの人たち。カナビスに対して同じ過ちばかりを繰り返している国々の愚かさを思うとき、彼らの先進性には必然性すら感じる。カナビスもオランダ原産ではないが、その園芸技術の高さも加わって、今までとは全く違った新しい秩序と経済を切り開きつつある。

(2003年10月)