ドラッグ・テストの法的根拠の変遷


NORML Report
Historical Legal Basis for Drug Testing
Paul Armentano, NORML Publications Director
and Donna Shea, NORML Foundation Legal Director
http://www.norml.org/index.cfm?Group_ID=4935


1995年6月に連邦裁判所で行われたベロニア学区問題の判決(Vernonia School District 47J v. Acton)では、ドラッグ使用の疑いがなくてもスポーツ大会に参加するすべての中学・高校の競技者へのドラッグ・テスト義務化を6対3で合法と認めたが、賛成多数側のアントニン・スカリア判事は、この判決がなし崩し的に学校の生徒全員へのマス・ドラッグ・テストには適用されるものではないとも述べた。

一見したところ、合衆国憲法の規定や長年の先例、市民の自由の伝統、さらに小さな政府の美徳ともいえるアメリカの誇りをかろうじて擁護したかのようにみえるが、しかし、皮肉なことに、この10年間はまさに転げ落ちるように判事が懸念した方向へと向かっている。


●「ドラッグ戦争」 開始以前の尿検査の法廷闘争

多くの人が意外に思うかもしれないが、連邦の裁判記録をざっと調べただけでも、連邦下級裁判所や州の裁判所が、関係者全員のドラッグ・テストの実施で理由もなく捜査や逮捕することを断固認めないという歴史を貫いてきたことがわかる。法廷はこうした伝統を1980年代後半に入るまで維持していた。その例は数多く、広い地域に及んでいる。

例えば、1986年のテネシー州地方裁判所では、「嫌疑の理由もない」 個人も対象にした消防士の全員尿検査に対して、合衆国憲法修正第4条 (不法な捜索や押収、差し押さえの禁止) に違反すると裁定を下している (Lovvorn v. City of Chattanooga)。この決定は、消防士たちにはドラッグを使わないという強い信念があり、「彼らは普段から寝起きを共にし、トイレなどの設備も共用なのでプライバシーは一般市民よりも低いと考えられる」 という州側の主張にもかかわらず、却下されている。

同時期に、全員尿検査が憲法に反するという同様な判決が行われた下級裁判としては、消防士の抜き打ち検査に関する1986年のプレーンフィールド市事件(Capua v. City of Plainfield)、教師全員の検査に関するニューヨーク・パチョグー・メッドフォード教員組合事件(Patchogue-Medford Congress of Teachers v. Board of Ed.)、さらにスクールバス乗客に対するジョーンズ事件(Jones v. McKenzie)などがある。

また、生徒に対するドラッグ・テストの妥当性に関してもいくつかのケースで下級裁判が行われているが、やはり裁判所はどれも憲法違反として却下している。

1985年にニュージャージ州で行われたオーデンハイム対カールスタッド東ラザフォード学区 (Odenheim v. Carlstadt-East Rutherford Regional School District) 事件では、内容的には冒頭に触れた1995年のベロニア学区問題と酷似したものだった。しかしこの時の州最高裁は、学校側がドラッグ・テストのために尿サンプルを理由もなく無理矢理に提出させて検査をすることに対して、法的手続きが保証した生徒の権利 (プライバシーや自己防衛が正当であるという前提) を侵害するという判決を下し、従来の判断を維持している。

この例では、地域の教育委員会が州に義務付けている身体検査の必須の一環として尿検査を規定にしたことが発端となっている。この方針は、高等学校で生徒のドラッグ使用が増加するのを抑制するためとして条例化されたもので、教育委員会は、ドラッグ・テストが完全に 「医学的措置」 であり、「テストで陽性になった場合も、市民の権利を否定したり犯罪として制裁したりするようなことは意図していない」 と強く主張していた。

これに対して、被告人側は、教育委員会が生徒のドラッグ非使用に過剰にこだわるあまり、ドラッグ・テストを強制することが憲法に認められたプライバシー権よりも優先するほど有効な予防措置だと間違って思い込んでいる、と反論している。

最終的には、ニュージャージ州最高裁は教育委員会側には同意せず、「尿テストは、生徒の正当なプライバシー権を間違いなく侵害している」 と裁定し、「そもそも、ドラッグを使っている生徒の人数や全生徒に対する割合を見ても、マリファナの陽性反応は520人中28人に過ぎず、プライバシーに干渉したり尿検査をしたりすることを正当化できるほどの状況とはとても言えない」 という見解を示している。

同年には、生徒のドラッグ・テストを持つ別の条例でも下級裁判所で退けられている。アンブル対フォード(Amable v. Ford, W.D. Ark. July 16,1985)裁判では、学校でのドラッグの所持と使用に関する校則に生徒が違反しているかどうかを尿検査で実際には検証することはできないとして、裁判所は尿検査を憲法違反と結論を下している。つまり、たとえ陽性反応を示した生徒であっても、尿検査の情報からは、学校にいる時点でドラッグを所持・使用、あるいは酔っていたかどうかを確定することはできないとしている。

さらに、連邦最高裁のニュージャージ州政府対TLO判決(New Jersey v. T.L.O., 469 U.S.325, 1985、脚注参照)では、先生や教育関係者による尿検査が不適当なものだと裁定され、もはや選択の余地のないものとなった。また、同裁判では、尿検査自体に侵害的な特質があるとして生徒のドラッグ・テストが憲法違反であると裁定している。ニュージャジー州最高裁の決定とほぼ同じものがアーカンサス州裁判所でも下され、過度に押しつけがましい尿テストの特質がある限り、その必要性を正当化することはできないと結論づけている。

こうした流れをベースに下級裁および上訴審の裁定が続き、アメリカの裁判では、学校や職場でのドラッグ・テストが憲法違反であるという確固とした立場が確立されたかのように見えた。

しかしながら、1985年以降、アメリカ政府が新たに 「ドラッグ戦争」 を開始して雪だるま式にその機運が膨れあがった結果、長く続いてきた裁判でのこうした立場も突然揺らぎ始めた。


●1980年代後半、忍び寄る 「職務管理例外検査」 

ドラッグ戦争時代以前に、法廷に支持された嫌疑理由のないドラッグ・テストには、唯一、軍関係の事件がある。GIの権利対コールアウェイに関する委員会で軍のドラッグ・テスト政策に異議が申し立てられたが、裁判所は、合衆国憲法修正第4条(不法な捜索や差押えの禁止)に対する 「職務管理上の例外検査」 と位置づけて合憲と判断した。(GI Rights v. Callaway 518 F.2d 466, 1975)

裁判所はその理由として、軍人には個人のプライバシーを超えて日頃から突発事態に備えるという州の強い公益性が求められおり、もともと修正第4条の権利が多少制限されていることを上げている。つまり、管理例外検査は、州の公益と憲法上の個人の権利をバランスにかけて、州の公益が圧倒的に顕著である場合は、修正第4条の縛りを緩めても妥当だと判断した。

もちろん、国家防衛のために外国軍の侵入やテロリズムに対抗する場合は、州が公益のために合法ドラッグ・テストを強要するよりも必然性が乏しいなどと主張する人はまずいない。さらに、軍人の憲法上の自由は伝統的に一般社会人の享受している自由よりもずっと制限されてきたという経緯もあり、軍という特別なケースでは、裁判所が 「例外」 を議論の対象にしても不自然とは言えないだろう。

しかしながら、アメリカはレーガンとブッシュの時代に入り、職務管理 「例外」 検査が軍以外のケースにも忍び込み始めた。

1980年代後半になると、国の反ドラッグ宣伝が熱を帯び始め、職場の従業員に対するドラッグ・テストが広く浸透していった。大半のプログラムは、嫌疑の有無にかかわらず全員ドラッグ・テストの必要を標榜していた。こうした方針への反応は、アメリカの政治情勢ともあいまって、ドラッグ使用に対するいかなる違反も許さない 「ゼロ・トレランス」 政策の支持へと向かっていった。多くの巡回裁判でも過去の 「理由のない嫌疑基準」 を緩め、従来ではとても範囲の及ばないと思われたところにまで職務管理例外検査が広く適用されるようになった。

大きな上訴裁判において、一般の職場の管理例外を正当とみなして、初めて全員尿検査を認めたのがシューマーカー対ハンデル事件だった(Shoemaker v. Handel 795 F. 2d 1136 [3rd Cir. 986])。この判例は以後に続く裁判の先例ともなった。

この裁判では、5人の著名な騎手が、ニュージャージ競馬委員会の掲げた騎手・トレイナー・馬手全員を対象とする呼気によるアルコール検査と尿検査に異議を申し立て、このような検査には正当性がなく、個人の嫌疑という理由を欠いた憲法違反だと訴えた。

しかしながら、連邦第3回巡回上訴審は、職務管理例外検査を適用して、「賭けによる州財政収入という州の公益性、および、面倒に巻きこまれやすい事業という・・・高い見地から行う州の関係者への令状なし検査や押収は・・・事業の一部として理にかなっている」 として、憲法上の個人のプライバシー権に優先すると裁定を下した。


●劇的変化で様相一変

シューマーカー判決以後、下級裁判所もこの新しい考え方を採用し始めるようになった。例えば、連邦職員の職務例外検査を認めたものとしては、刑務所の監視官(McDonell v. Hunter, 809 F.2d 1302 [8th Cir. 987])、原子核施設の職員(Rushton v. Nebraska Pub. Power Dist.,844 F. 2d 562 [8th Cir. 1988])、税関職員(National Treasury Employees Union (NTEU) v. Von Raab, 108 S. Ct. 1072, 1988)、公立学校の教師(Jones v. Jenkins, No. 86-5198, June 27, 1989)などがある。

この中でも最も顕著な例としては、国庫職員組合対フォン・ラーブ事件を上げることができるだろう(NTEU v. Von Raab)。このケースでは、「高度慎重を要する官職」をめざすすべての職員に対して、ドラッグ使用に関して嫌疑や推定しうる相当な根拠がなくても尿検査への服従を要求している本部側のプログラムが問題となった。

一律の検査方針に対して組合側は、連邦職員12万人のプライバシーを侵す可能性があるのに加え、さらに、そもそも関税事務本部長フォン・ラーブ自らが自分たちの職場は 「限りなくドラッグ・フリー」 だと言明していることもあり、検査の押しつけ自体が不必要だと主張した。

しかしながら、最高裁は、一律検査方針に反対するすべての主張を無視して、職務検査が憲法修正第4条の例外に相当すると結論を下し、ドラッグ・フリーの職場における公益と 「真の機密情報」 を守ることが、職員個人の利益に優先するとして上訴を棄却した。また、「高度慎重を要する官職」 をめざす職員は、ドラッグ使用の検査が要求されていることを知っているはずなので、プライバシーがないことも予期できる、ことも理由として上げている。

この決定的なフォン・ラーブ判決がきっかけになって、アメリカの司法システムは雪崩を起こし始めた。突如として 「例外」 がルールに一変した。かつては憲法修正第1条と第4条で保証されていると思われた個人のプライバシー権が、「ドラッグ戦争」 に勝利するという公益とバランスにかけられた時には、もはや正当化できなくなってしまった。

さらに、裁判所は、ドラッグ・テストを実施するための嫌疑の必要性も要求しなくなった。実際、フォン・ラーブ判決によれば、たとえドラッグ使用の疑いが全くなかったとしても尿検査が認められることを示している。ある法学者は、裁判でのこうしたアプローチが可能ならば、犯罪をなくすという強い公益性を主張することで、家宅捜査の際には相当な根拠が必要という従来の基準が消滅したも同然になる、と指摘している。

このように、ほんの数年で、国のドラッグ戦争の遂行がそれまで憲法で保証されてきた権利の大破壊をもたらすことになった。不幸なことに、社会から違法ドラッグを消滅させることに向けられる国のこだわりが飛躍的に大きくなり始めるに従って、裁判所側も、ますます、不法な捜索や押収を禁止した憲法修正第4条の 「例外」 を認めるようになってしまった。

これは危険な兆候を示している。力の配分に関して客観性のある仲裁者としての役割を期待されている裁判所が、政治目標を達成するための政府の道具になれ果ててしまったのだ。


●現在の学校ドラッグ・テストと最高裁の対応

ベロニア学区問題でドラッグ危機が叫ばれたころになると、最高裁も 「大流行」 に感染してしまったように見える。1995年6月26日の判決では、嫌疑の有無にかかわらず、中学・高校のスポーツ大会に参加する生徒全員の強制尿検査方針を支持するにまでになった。

このケースがことさら混乱を引き起こしたのは、裁判官の多数派意見をまとめたスカリア判事の一件だった。彼は、ちょうど6年前のフォン・ラーブ裁判では反対意見を掲げて、嫌疑を問わない全員検査には異議をとなえていたからだった。スカリア判事のこの翻意は、アメリカ中に氾濫したドラッグ戦争のプロパガンダや政治圧力に影響されたことを疑わせるものだった。

極めて大きな混乱をもたらしたベロニア裁定は、多くのアメリカ市民が連邦政府のプロパガンダにおびえて思考停止に陥り、憲法で継承されてきた個人の権利を 「大儀」 を支持するために生け贄に捧げることに甘んじるようになってしまったことを示している。

ベロニアを苦しめていると叫ばれたドラッグの 「蔓延」 は、実際には、強制尿検査プログラムが策定されてから4年半でドラッグ・テストに陽性になったにはわずか12人に過ぎず、ベロニアの数字は、どのような基準からしても蔓延とまでは言い難い。

1985年のオーデンハイム事件でニュージャージ州最高裁が強制尿検査を却下したときの1年間の陽性合計は、ベロニア4年分の3倍以上もあった。もちろん10年前の判決で、当時は、国の政治指導者たちがあらゆる手段を通じて「ドラッグ戦争」に勝利しようとするようになる前という事情の違いからきている。

また、スカリア検事は、もともと生徒たちには自分で意志決定できるような基本的な権利が制限されているとして、ベロニア判決の正当性を主張している。その根拠に、学校のスポーツ選手が模範として他の生徒の間近で着替えやシャワーをしなければならないことを上げて、当初よりスポーツ選手は一般の生徒よりも期待されるプライバシーが低いと結論を出している。

しかし、どう見てもスカリア判事の根拠には議論の余地がある。第1に、程度の差はあっても、どの生徒でも他の生徒の模範としての役割を持っている。 優等スポーツ生徒だけが学校の代表する模範というわけではない。それとも、音楽バンドや演劇クラブなど公共の場に出る生徒たちは模範にならないとでも言うのだろうか?

第2に、スカリア判事の 「学校のスポーツが人見知りをするようなものではない」 という論理的根拠には根本的な欠陥があることは議論の余地すらない。もしそのようなことが成り立つのなら、体育の授業では、シャワーのようなプライベートなことにまで強制が及ぶことになってしまう。それとも、公立学校では人見知りしてはいけないとでも言うのだろうか?

最後に、スカリア判事は、学校の尿検査の合憲性をさらに弁護するための口実として、学校関係者が「親代わり」として振る舞えることを上げているが、この指摘は実質的には偽善ぎりぎりのところにまで踏み込んだもので、現在の裁判所が、従来は正当と認められていなかった行為を正当化してしまうという如実な例になっている。

これに対して、1985年のニュージャージ州政府対TLO事件では、連邦最高裁はきっぱりとこの理論を拒否している。

TLO判決で、裁判所は、「学校関係者が生徒の検査を実施するときには、何故、公的な職務としてではなく親の役割を演じなければならないのか理由がない」 と結論付け、学校関係者は親の代理人として振る舞うことは出来ず、州の代表として振る舞うべきであると判決を下した。スカリア判事の裁定は、ベロニア問題で連邦政府の反ドラッグ熱を促進させるために、TLOのこうした観点を無視したもので、とても容認できるものではない。

しかし、さらに陰鬱なことに、2002年の春に判決が出された教育委員会対アールス事件(Board of Education v. Earls, No. 01-332) でも、連邦裁判所はベロニア判決をいっそう拡張し、スポーツ選手だけではなく、コーラスやバンドなどあらゆる課外活動に参加しようとする生徒に対する全員ドラッグ検査を容認するまでに至ってしまっている。

ドラッグ戦争が始まったからと言って、ほんの前に連邦の裁判所が出した判例や憲法の文意が変わるわけではない。劇的に変わったのは、われわれが大切に守ってきた自由を犠牲にしてドラッグ戦争を継続してきた連邦政府の執拗なやり方なのだ。この不寛容が裁判システムに危険にまでに波及し、裁判所の本来のあり方にまで深刻な政治課題を投げかけていると言えるだろう。

かつて第2次大戦の際、裁判所は、国全体がアジア系アメリカ人に対して不寛容になったとき、彼らを差別することを合憲としたが、それと同様に、今日の連邦最高裁は、ドラッグ・ユーザーが問題となっている場所では憲法を無視してもかまわないとみなしている。50年前の恥ずべき行為が今もまだ残されたままになっている。

裁判システムとは、われわれの国家の憲法を守り、公平な裁判をするためにあるはずだ。しかし、不幸なことに、自らの国民と戦争することに熱中するあまり、国の最も高い位置にある裁判所がもはやシステムとして機能しなくなっているように見える。


ニュージァージ-州政府 対 T.L.O.事件
(杉田荘治、アメリカの教育判例を取り読む  http://www.aba.ne.jp/~sugita/178j.htm)

ニュージャージー州のある高校の便所で、2名の女子生徒が喫煙しているのを発見された。そのうちの一人がT.L.O.(未成年で匿名扱い) だった。喫煙は校則違反だったので先生が取り調べに当たったが、T.L.O.は全く喫っていないと言い張った。

先生は、財布の中を見せるように言って調べると少量のマリファナと売買を示唆する手紙が出てきた。その後、警察署で生徒は 「学校でマリファナを売っていた」 と自白し、年少者犯罪として告発されたが、学校の持ち物検査は法律にもとづかない違法なもので証拠として採用されるべきではないと主張した。しかし、年少者裁判所はそれを認めず、検査が 「正当な理由のある疑い」 に基づく正当なものだと裁定した。

これを不服として彼女はニュージャージ州最高裁に控訴した。その結果、裁判所は、「正式の令状なしの証拠は、憲法修正第4条により採用できない」 と判断し、憲法違反であることを認めた。