ワールド・ドラッグ・レポート2009
国連のドラッグ長官
合法化議論を激しく攻撃
Source: Drug War Chronicle
Pub date: 26, June 2009
UN Drug Czar Attacks Legalizers -- Legalizers Say "It's About Time"
http://stopthedrugwar.org/chronicle/591/ unodc_costa_world_drug_report_legalization
1909年に最初の国際反ドラッグ条約が上海で締結されてから1世紀、現在の国際反ドラッグ機関の官僚たちは、渦巻く批判にさらされ守勢に立たされている。そんな中で、6月末に国連薬物犯罪事務所(UNODC:United Nations Office on Drugs and Crime)は 『ワールド・ドラッグ・レポート2009』 を発表して反撃に転じる姿勢をみせた。UNODCの官僚たちはこれまでは自分たちに対する批判を無視してきたが、今回のこの反撃は、あまりの批判の高まりに遂には立ち向かわざるをえないと考えるようになったことを意味している。
さらに、ドラッグの生産と消費が頭打ちとなって横ばい状態が続くようになって、ドラッグの脅威と戦うというお題目を維持することが難しくなってきたという事情もあり、今年のレポートではUNODCのアントニオ・マリア・コスタ所長自らがペンを取って序文を執筆するという異例さで、また、政策としての言及はないものの、ポルトガルの8年におよぶ非犯罪化の実験にも肯定的な見方を示して以前とはトーンを変えている。
コスタ所長は序文でポルトガルの非犯罪化について次のように書いている。
最近、ドラッグ・ユーザーを刑務所送りにしないという決定をした国の例としてはポルトガルがある。国際麻薬統制委員会(International Narcotics Control Board)によれば、ポルトガルは2001年に国際条約の範囲内でドラッグの使用を「非犯罪化」している。ドラッグの所持は依然として禁止されているが、違反には刑事罰ではなく行政罰で対処するようになった。
自分個人の使用目的で少量のドラッグを所持していた者に対しては、逮捕するのではなく召喚状を発行するようになった。ドラッグは応酬され、容疑者は懲罰委員会に出頭することが求められる。そこでは、容疑者のドラッグ使用のパターンが審査され、罰金、治療施設送り、あるいは保護観察にするかが決められる。
だが、ドラッグの売買に関しては以前と同様に起訴される。ポルトガルの売買事犯の件数はヨーロッパ全体の平均とほぼ同じ程度であることが判明している。
こうした状況を作り出すことによって、ドラッグの全面禁止下でドラッグをやらないようにしていた人たちが非犯罪化で手を出したりしないようにする一方で、ドラッグのユーザーには投獄ではなく治療を促すことによって使用を抑制することができるようになった。
また、ツーリストは警察から召喚状をもらうことを避けようとするために、ポルトガルではドラッグ・ツーリズムが増えるようなことも起こっていない。
ポルトガルでは、このような政策の結果としてドラッグに関連する問題は減少している。
レポートではさらに続けて、「売買に対する対処には投獄を続ける一方で、ユーザーは例外的にしか投獄されてない」 と紹介した後で、コスタ所長は、「ドラッグを使う人たちは、刑事的な処罰ではなく医療的な手助けが必要」 だとしている。
このことは、UNODCが非犯罪化には反対しないことを示唆はしているが、レポートではそうとは明記せずに、代わりにドラッグ裁判とドラッグ治療の双方を擁護している。
序文がドラッグ合法化の話になると、コスタ所長は、反禁止論者たちから自分が批判されていることを意識して、次のような反論を試みている。(引用は長いがその価値はある)
限定的ではあるが、最近では政治家やプレスあるいは世論の中にも、ドラッグのコントロールが機能していないという主張がみられるようになってきた。報道されることも増え、メッセージも拡がりをみせてきている。だが、そうした議論の多くには、粗雑な一般化と単純な解決策という特徴がある。
議論の中心となるべき肝要な点は、まず現在のアプローチの効果を十分に検証しておかねばならないという点にある。確かに変化の必要はある。しかし実際のデータをベースにして考えれば、ドラッグから社会を守ることを放棄して別のゴールを求めるのではなく、これまでとは違った手段で社会を防護すべきだという結論が出てくる。
ドラッグ・コントロールの放棄を主張する議論では、 (i) 経済、(ii) 健康、 (iii) 安全保障、あるいはそれらをミックスしたものをベースにしている。
ドラッグの合法化を主張する人たちの経済議論では、ドラッグを合法化すれば税収が得られると言う。この議論は、昨今の経済危機の中で国が新しい財源を求めていることと相まって支持を獲得しつつある。だが、この合法化による税収議論は非倫理的であるばかりではなく、経済的にも成り立たない。
そこには、今の経済の回復を刺激するためならば、無関係な後の世代にまで税金を課すことも、薬物中毒者たちを疎外して無視することも厭わないという横暴さが横たわっている。この類の活動家たちは、人身売買のような邪悪な犯罪ですら合法化して課税したいと考えているようにも見える。
実際、 破綻した銀行を救済するために健全な血税が使われているが、そこでは現代の圧倒的多数の市民を奴隷化しているとも言える。また、経済議論では貧弱な国家財政というロジックを使って、収出を抑制するためにドラッグ・コントロールのためのコストを削減しろと言う。合法化でドラッグ消費が急上昇して公衆衛生の収出が増えたとしてもそれと帳消しになると言う。
だが、不健全な動機にもとづいた取引こそコントロールすることが難しい。こうした主張から得られる教訓があるとすれば、そのような考え方を基に法律を変えてはならないということだ。
また合法化議論では、国がドラッグ市場を規制管理するようになるので、ドラッグの蔓延による健康への脅威を避けることができると言う。だが、この主張も認識が甘く短絡的だ。
何であっても、規制を厳しくすればするほどそれに平行してより大きな犯罪市場がより早く出現するようになる。つまり、健康への脅威が少なくなるという考え方は成り立たない。
また、そのような複雑な規制管理が可能なのはごく一部の豊かな国だけだという点も忘れてはならない。そのようなことのできない大多数の国の人間はどうなるのか? ドラッグ治療という贅沢を享受できるようなドラッグ推進派のロビイストたちの自由主義論議のために、発展途上国はドラッグが蔓延してもかまわないと言うのか?
彼らは規制管理してコントロールされているからドラッグには害がないと言うが、その一方で害があるからコントロールするという循環論法を使う。だがドラッグは、金持ちで優雅な生活をしている人にも、疎外された貧乏人にも同じように害になる。
中でも最も深刻なのは組織犯罪の問題だ。先にも述べたように、すべての市場は平行して生まれた違法な活動によって牛耳られる。マクロ経済の次元で言えば、ドラッグの規制管理によるコントロールは必然的に犯罪市場を生み出し、需要と供給の間に暴力と不正が介在するようになる。
UNODCを批判する人たちは、ドラッグを合法化すれば、犯罪組織にとって最も利益になる活動をなくすことができると言う。だがその見方は単純過ぎる。UNODCは、国際的なドラッグ・マフィアの脅威がどのようなものかを誰よりもよくわかっている。
実際、2005年の違法ドラッグ市場の規模は特出したものになったが、その脅威を予想して、西側諸国や東アフリカ、カリブ・中央アメリカ・バルカンの諸国に警告を出したのもわれわれが最初だった。UNODCが組織犯罪による安全保障への脅威にスポットライトを当てたことで、現在では国連の安全保障会議もこの問題を定期的に取り上げるようになった。
ドラッグと組織犯罪についてより広く深くこの問題を考えるようになれば、ドラッグに関連した組織犯罪の議論は当を得たもので重要だと結論できる。この問題についてはしっかりと議論しなければならない。その点で私は各国政府に対して、ドラッグの規制管理によるコントロールは抑えて、犯罪に対するコントロールを増やす方向で政策を速やかに再吟味することを呼びかけている。
言い換えれば、合法化支持者たちが犯罪について議論するのは正解だが、結論が間違っている。 なぜか? それは、数えているのが豆の数だからだ。 UNODCは生命の数を数えている。
経済政策は豆(お金)を数える技術で、インフレと雇用、消費と貯蓄、国内と国際バランスなどのトレードオフについて扱う。だが生命は違う。生命をトレードオフの対象にしてしまえば、人々の人権を踏みにじることになる。公衆衛生や安全保障が危機に瀕しているからといっても、人権を取引に使うことはできない。現代の社会では、卑しい取引によってではなく、純然たる決意の下でそれらを護らなければならない。そしてそれは実際に可能だ。
UNODCは、たとえドラッグ中毒者であっても彼らの健康の権利を護り、援助して社会復帰することを後押ししているが、私は、世界中のヒロイックな人権擁護者たちにもわれわれを支援するように訴えている。
ドラッグ中毒は健康問題であって、合法化論者たちの言うように単純に刑務所に入れなければ済む問題ではない。ましては、国際マフィアによる安全保障の脅威を軽減するためにトレードオフすれば解決するわけでもない。これらの点についてのわれわれの提唱する解決策は次の通りだ。
まず第一に、警察は取り締まりの重点をドラッグ・ユーザーからドラッグの密売人に移す必要がある。ドラッグ中毒は健康問題で、中毒者は犯罪人としての制裁ではなく医療を必要としている。特にドラッグのヘビーユーザーに目を向けなければならない。大半のドラッグは彼らによって消費され、彼ら自身と社会に多大な害をもたらすばかりではなく、ドラッグ・マフィアの最大の収益源にもなっている。
より健康で安全な社会を築くためには 、投獄ではなく、ドラッグ法廷と医療支援に力を注ぐほうが好ましい。私は国連の加盟国の目標として、生命を救いドラッグの需要を減らすために、常時ドラッグ治療を受けられるようにすることを提唱している。そうすればおのずと供給は減り、犯罪対策の費用も削減できる。加盟各国は今度この目標に向けて前進し、次にドラッグ政策の検証が予定されている2015年の会合にあわせてよい結果を出すように求めている。
第二に、混乱して手に負えなくなった都市の悲劇を終わらせなければならない。他の多くの犯罪と同様に、ドラッグの取引も大きな都会を舞台にして犯罪グループのコントロール下で行われている。この問題は、メガシティの都市化の度合いを適正に保たなければ、将来の暗雲となって跳ね返ってくる。結局のところ、個人使用目的の人を逮捕してドラッグを押収してもそれは雑草を抜いているようなものでしかない。次の日にも同じことを繰り返す必要が出てくる。
この問題は、都市のスラム化と行政の怠慢の問題に取り組むことによってしか解決できない。インフラを再整備し、特に犯罪やドラッグの影響を受けやすい若者たちの教育・仕事・スポーツの支援に投資しなければならない。ゲットーはジャンキーや失業者が作り出すわけではない。その反対で、ゲットーがジャンキーや失業者を作り出しているのだ。そのことによってマフィアが繁茂する。
第三は最も重要な点でもあるが、各国政府は、自国内であるいは他の国と連携して、不正な社会に対峙する国際協定を利用するようにしなければならない。これは、国連組織犯罪防止条約(UN Conventions against Organized Crime)と国連腐敗防止条約(United Nations Convention against Corruption)、および人身・武器・移民の取引に対峙する関連協定を批准して、適応することを意味している。これによって、各国はマフィアが操る残忍な組織犯罪に強力に立ち向かうことができようになる。
結論としては、ドラッグを合法化しても、国境を越えた組織犯罪をなくすことは決してできないと言える。マフィアは、ドラッグだけではなく、武器・人身・臓器の売買、偽造品や密輸、ゆすりや高利貸し、誘拐や海賊行為、森林の違法伐採や有毒廃棄物の不法投棄などの環境に対する破壊行為でも収益を上げている。
これまで述べてきたように、ドラッグと犯罪のトレードオフ議論は、プロのドッラグ・ロビー何度も使いまわしてきた昔ながらの合法化の主張以外の何者でもない。また、彼らは、ドラッグにはイエスと言いながら、その議論を銃に拡大することはなく、銃はノーで取締りを強化すべきだと逆のことを言う。
かくてドラッグの合法化主張は、社会に大多数の人びとによって激しく非難され退けられてきた。確かに、アンチ・ドラッグ政策は改める必要がある。もはや 「ノー・ドラッグ」 と言っているだけでは通用しなくなってきている。これからは同時に、犯罪にノーと熱心に訴えるようにしなければならない。
安全と健康を改善するための代替はない。結局、ドラッグを規制管理してコントロールするというのは壮大なだけの誤りに過ぎない。同様に、組織犯罪が作り出している安全保障への脅威を軽視することは破滅的な誤りだ。
コスタ所長のこの序文は、ドラッグ禁止に反対する者に対する攻撃としてしか読むことはできないが、一方ではドラッグ使用に対する非犯罪化を基本とするように呼びかけたりして、反禁止論者に迎合しているようにも見えたりもする。彼にとっては都合のいいようになっている。
ドラッグ・ポリシー・アライアンス(DPA)のエサン・ネルドマン代表は、「国連のドラッグ長官には舌が二枚あります。一方で世界のドラッグ禁止政策が暴力を増やして生命を破壊して各国政府が不安定化していると言いながら、もう一方では、代替となるドラッグ政策に対する真剣な議論の必要性はないと言うのです。まことに都合のよい論理展開です。このレポートでは、禁止こそドラッグをコントロールする究極の形態だとみなしていますが、それは誤りで、実際にはコントロールを放棄しているだけです」 と指摘している。
かつてはドラッグの秘密捜査官で、現在はLEAP(禁止法に反対する行政執行官)の代表を務めているジャック・コール氏は、「アントニオ・マリア・コスタ所長は、一般の人びとに対して、合法化運動がドラッグのコントロールを撤廃しようとしていると思い込ませようとしています」 と語っている。
「実際はまるで逆です。われわれが提唱しているのは、失敗した禁止政策に代えて、ドラッグの純度・生産者・価格を保証し、購入できる年齢制限などを規制管理して、本当にドラッグをコントロールできるようにすることなのです。禁止法の下では効果的なコントロールは不可能なのです。それは、1920年から33年にかけてアメリカで実施された禁酒法の失敗を見れば明らかです。」
LEAPは、世界中の人びとと対話を続けるているが、UNODCの長官には皆がどのように考えているか知ってもらいたいと思っている。
「われわれは、 みなさんに http://www.DrugWarDebate.com を訪れるように呼びかけています。そこでは、自分の支持する政策がもたらす効果について長官にメッセージを送って教育できるようになっています。今こそ行動を起こすべき時です。禁止論者たちは、改革を望む人たちが急速に増えていることを気にしています。それは、昨年のレポートではまったく触れていなかったのに、今年のレポートでは最初のページでわれわれを攻撃していることからも明らかです。」
UNODCは、昨年まで何年間もドラッグの禁止に反対する人たちの批判を無視してきたが、今では世界の反ドラッグ官僚たちは動揺し始めている。そんな中でコスタ所長は、ドラッグ禁止論を最大限にスマートに擁護しており、彼の議論には真剣に耳を傾ける価値がある。
しかし、非暴力運動の指導者として尊敬を集めているマハトマ・ガンジーは、「最初、彼らはわれわれを無視し、次に嘲笑し、やがて戦いを仕掛けてくる。そしてわれわれが勝つ」 という有名な言葉を残した。われわれの苦闘もいよいよ第3幕に入ってきた。
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ポルトガルの教訓 ドラッグの全面非犯罪化が成功 (2009.3.14)
ポルトガル 全ドラッグ非犯罪化で害削減に成功 (2009.4.18)
今年の 「ドラッグ・ワールド・レポート2009」 に対するマスコミの見解は、例年になくさまざまで、それはコスタ所長の序文が部分的にみればいかようにも解釈できるからだ。もっとも、コスタ所長はそれを計算に入れて書いているような印象も受けるが。
マスコミの情報はさまざまなだけではなく、混乱して間違っているものさえある。例えば TIMEの記事 では、コスタ所長が、「1920年から33年にかけてアメリカで実施された禁酒法の失敗…」 と書いたとして引用しているが、これはLEAPのジャック・コールの発言で、コスタ所長の序文にはどこにも書かれていない。
こうした混乱した情報の中では、単に報道を読み比べるだけでは不十分で、原典を読まなければ本当のところを知ることはできない。
コスタ所長は、以前は経済アナリストとして国連の経済機関で活動し、前職はヨーロッパ復興開発銀行(EBRD)事務総長を務めていた。したがって経済問題には非常に詳しいが、逆にドラッグと健康の知識はあまりない。この序文でも、ドラッグと健康については一般論しか述べておらず、経済に対するさまざまな指摘に比較して非常にバランスを欠いている。
違法ドラッグでは、カナビスの使用が最も多いことは衆知のことだが、コスタ所長はすべての違法ドラッグを一括りにして議論を展開している。
この論法は毎度お馴染みのものではあるが、世界のドラッグ長官がカナビスの健康に対する影響と他のドラッグの影響とを区別できていないとすれば、なんともお粗末過ぎる。長官の述べていることはカナビスにはほとんど当てはまらない。
また、ドラッグを規制管理してもコントロールできないと言っているが、それならば現在のアルコールもコントロールできていないことになる。しかし、禁酒法時代よりも現在のほうがはるかにコントロールされていることは明らかだ。
さらにコスタ所長は、ドラッグの規制管理によるコントロールには費用かかかり過ぎて貧しい国では実施できないので禁止するしかないと主張しているが、実際には 禁止法を実施するために多額の資金と人材が必要 で、おそらく規制管理するよりも高くつく。
現在の禁止論に対する批判も、もとはと言えば多額の費用がかかり過ぎる割には効果が上がっていないことから出てきている。
このことは今回のレポートでも意識しているらしく、ドラッグの単純ユーザーについて非犯罪化することに前向きな姿勢を示した伏線になっているように思われる。非犯罪化すれば、取締りや裁判、刑務所などの費用を減らすことができるからだ。
またコスタ所長が、禁止法ならば貧しい国でも実施できると主張しているのには裏がある。もともと、貧しい国での禁止法実施は先進諸国の支援によって行われていることが多いからだ。
時には現政権が反政府活動を抑えるための資金を得るためにドラッグ禁止が口実になっていることもある。2000年に、コロンビアのドラッグとゲリラを一掃するためにアメリカが行った「コロンビア計画」(Plan Colombia)などはその例といえる。
また、モロッコでは数年前まではハシシの栽培に寛容だったが、最近になって国王の絶対的権力を民主化する要求が出てきたことで、国王が欧米や国連の誘いにのって取締りが強化されたのも似た構造を持っている。
モロッコTV カナビス合法化をめぐる公開討論 (2008.12.10)
モロッコでカナビス合法化を求める動き (2008.5.7)
モロッコ、ハシシ生産は衰えず、国連カナビス根絶作戦の最前線 (2006.7.15)
「合法化による税収議論は非倫理的であり…それは、数えているのが豆の数だからだ。 UNODCは生命の数を数えている」 とコスタ所長は語るが、例えば、財政が逼迫して破産状態にあるカリフォルニア州では、学校に対する補助金や弱者の対する福祉サービスなどを大幅にカットして凌ごうとしている。
そのような中で、カナビスに課税して規制管理することで教育や福祉サービスが低下させないことに 56%の州民が賛成 している。州民たちも、身近な医療カナビスなどを通じて、カナビスが合法なアルコールやタバコよりも害の少ないことを知っている。
合法化法案を提出したアミアーノ議員は、「州が歴史的な経済危機の最中にあって、カナビスの課税してコントロールしようとする動きはごく当たり前のこと」で、「カナビス合法化によって得られる財源があれば、公園を閉鎖したり弱者のための重要施設を廃止したりする理由がなくなる」 と述べている。
これがどうして非倫理的なのか? コスタ所長は、アルコールよりも害の少ないカナビスであっても、合法化することに比べれば教育や弱者を切り捨てるほうが倫理に叶っているとでも言うのだろうか?
カリフォルニア州議会にカナビス合法化法案 (2009.2.24)
シュワルツェネッガー知事 カナビス合法化議論に前向き (2009.5.5)
また、コスタ所長はこの序文で、人権を重視することを繰り返し強調しているが、ベックレー・ファンデーションは、昨年の国連麻薬会議に合わせて、人権を重視していない国際機関として国連麻薬統制委員会をあげて、その政策には国連憲章が加盟国に課している「人権の普遍的な尊重及び遵守」 が組み込まれていないとする 報告書 を出している。
また最近では、国連人権理事会の拷問に関する特別調査官マンフレッド・ノーワック氏も 国連麻薬統制委員会は人権に対する配慮を欠いている と非難している。
コスタ所長がまずやるべきことは、合法化論者が人権を軽視していると攻撃するよりも前に、自分の仲間に人権を尊重するように説得することでは…
今回のレポートでは全くと言ってよいほど触れていないが、現在では別の深刻なドラッグ問題が出現してきてることも忘れてはならない。合法な医薬品の乱用問題だ。
マイケル・ジャクソンの死でも取り沙汰されているように、アメリカでは最近、処方医薬品を含めた合法医薬品の乱用による死亡事故が急増し、違法ドラッグによる死亡事故の数倍にもなっている。
これには、製薬会社の宣伝や医師の安易な処方ばかりではなく、特にカナビスに対する取締りやドラッグテスト、解雇や制裁、根拠のない悪害教育などによって、医薬品の乱用を助長しているという面も影響している。
確かに、UNODCや国連麻薬統制委員会は違法ドラッグを扱う機関なので、通常の医薬品については対象外なのかもしれないが、健康への害という点では薬物の種類が問題なのであって、違法であるか合法であるかを区別してもあまり意味はない。
また乱用医薬品の市場は、悪質なヘルケア・プロバイダーによる横流し、病院を渡り歩いて何重にも医薬品を仕入れるドクターショッパー、ドラッグ流通にからむ窃盗、偽造などがからんでおり、組織的に行われている点では違法ドラッグの場合と何ら違いはない。
こうした点を考えれば、違法ドラッグしか扱わないUNODCや国連麻薬統制委員会はもはや時代遅れの機関になったとも言える。
マイケル・ジャクソン 医療カナビスは彼の命を救えたか? (2009.7.2)
年間の使用開始者数 処方鎮痛剤の乱用がカナビスを上回る (2009.5.28)
アメリカ 精神症薬の処方が10年で倍増 (2009.5.5)
カナビスのゲートウエイは過去のもの 今は家庭用常備医薬品がメイン・ゲート (2009.2.9)
アメリカ・インディアナ州 処方医薬品の過剰摂取死亡が激増 (2008.6.30)
処方医薬品乱用による死亡率、違法ドラッグ全体の3倍以上、フロリダ州 (2008.6.14)
リクレーショナル・ドラッグよりもはるかに多い処方医薬品の死亡事故 (2008.1)
Doctors Are The Third Leading Cause of Death, in the US, Causing 250,000 Deaths Every Year Barbara Starfield, JAMA Vol 284, July 26, 2000