第3章 カナビスの効果と薬理学
この章では、カナビスの薬理学について述べよう。つまり、カナビスの活性成分・効果・依存性・LSDとの相違点などを
調べることにより、カナビスがどういうドラッグであるか見ていこう。もっとも、その形態は様々なのでカナビスをひとくくりにして
要約することは適切ではない。いろいろなケース・要素について順に述べていくのが最もよい方法だと思われる。また、
他のドラッグと比較してみるとカナビスの性格がよくわかってくる。カナビスは意識拡大薬として
よくLSDと並び称されるが、実際には相違点も多く、カナビス自体で一つの類を構成すると考えたほうがよい。
1 THC
現在論争の的になっているのは植物としてのカナビスではない。問題は、ドラッグとしてのカナビス、つまり樹脂である。
何故なら、カナビスの樹脂の中には効力の強い精神作用素が含まれているからである。
この精神作用素の一群は生科学上、カナビノール類として知られており、少なくとも80種の物質が見出されている。
その中でも最も効力が強い作用素として考えられているのが THC(テトラヒドロカナビノール)である。
しかし、単に THC といっても、実際は多数の同質異性体があり、そのすべてが強い効力をもっているわけではない。
天然の THC として最も強い効力をもつと考えられているのは、△1型といわれる THC である。
図に種々のカナビノール類の化学式をあげておいたが、それからみられるように、
どの化合物も窒素(N)を含んでいない。つまり、カナビスの活性成分は、水素・酸素・炭素の化合物であり、アルカロイドではない、
と言うことができる。これに対して、麻酔薬(モルヒネ・ヘロインなど)や意識拡大薬(LSD・メスカリン等)の多く、
さらにコカイン、ニコチン、キニーネなどは、窒素を含む植物系アミン化合物で、アルカロイドである。
カナビスの活性成分を見つけ出そうとする科学者達の研究は1830年代の後半からはじまり、
最初の大きな成果は1896年、Wood、Spivey、Easterfield の研究によって与えられた。
彼らは、最も強い効力を持つカナビス樹脂・カラスを分析して、いくつかの重要な成分を見出している。
その中には“red oil”と呼ばれる毒性の半固形物があった。red oil は全体の33%を占め、水には不溶解性で、アルコールやエーテル、
ベンジンなどの有機溶媒には溶解性であった。また、red oilは monoacetyl・monobengoyl 誘導体を産出し、
それがカナビスの活性成分だと考えられたのである。
後に、この red oil の中から、お互いに密接な関係をもったカナビノール、カナビジオール、THCなどが見い出された。
しかし、カナビスの活性成分は、未だ十分に探求されつくしていない。カナビス樹脂に関する最近の研究(1960年代後半)については、
「U.S.Bulletin on Narcotic」の中に詳しく取りあげられているので、次にその序文を引用しよう。
カナビス樹脂の化学的性質に関する研究は、過去25年の間に数々の大きな成果をもたらしたが、
未だ大きな研究課題として残っている。最も大きな成果は、1940〜1942年に、アメリカとイギリスの研究者達によって与えられた。
彼らは“red oil”を形成し、しかもお互いに密接な関連をもつ諸分(カナビノール、カナビジオール、テトラヒドロカナビノール)
の化学構造を決定すると共に、テトラヒドロカナビノールTHC(複数)がカナビスの活性成分であることを見い出したのである。
THCは、カナビス樹脂から直接抽出して得られるばかりではなく、科学的に合成・半合成することによって得ることもできる。
しかし、未だに、カナビスから直接単一結晶状には得られていない。
これは、主に、THCが構造上たくさんの立体異性体をもち、しかもカナビスの活性が樹脂の中にある種々のTHCに関連している、
という事実からきている。今まで、数種のTHC異性体の性質が調べられているが、
各々の精神効果には相当のバリエーションがあることがわかっている。
その後の一連の研究によって、活性のある種々のTHC同族体が合成され、各々の効力と構造との間の関係が明らかにされてきた。
1955〜1960年にかけて、チェコスロバキアとドイツで行われた研究で、カナビスの活性成分だと考えられているTHCとは
異なった作用を持つ化合物が存在することが示された。
最近、単離されたカナビジオール酸は、催眠・抗生物質作用をもつことが明らかにされたのである。
カナビス・サティバの変種、つまり産地の違いによって、化学的な性質がどのように変わるか、
という問題も幾人かの研究者達によって研究されてきた。
彼らによると、各々の樹脂はその効力に違いがあるばかりではなく、同時に不活性のカナビノール類の存在とその量によっても特徴づけられる。
つまり、カナビスの効力が強くなるにしたがって、カナビノール類の生化学的状態が変化してくるのである。
この変化に対する遺伝学的・生態学的な影響がどのようなものであるか研究が行われているが、
こうした研究は、薬の強弱が形成されていく過程を説明していく上で特に興味深いものである。
また、カナビノール類の中に含まれている種々の化合物の相対的な量を基に、カナビスをいくつかのタイプに分類しようとする試みも
行われている。カナビス・サティバの中に含まれるカナビノール類の発生と形成を生物発生説的に考えようとする最近の考え方は、
こうした研究からでてきたものである。
このようにカナビスの活性成分に関する研究は現在でも続行中であるが、前にも述べたように、一応、
△1-THCがカナビスの主要な活性成分であることは明らかにされている。
Harris Isbell博士は、実際にどのくらいの量の△1-THCがカナビス様の効果を生ずるものか実験している。
彼によると、約70kgの大人に対しては、1.8mgで通例のカナビスの効果に似た効果(幸福感、快活さ、リラックス感、脱力感)が得られる。
この量では幻覚や精神症的な症状は起こらない。だが、投薬量を4倍にすると、一部の人に幻覚が起こりはじめ、
さらに最初の8倍にすると、被験者の大多数が錯乱や幻覚を体験するようになり、幾人かは精神症的な症状を示すようになる。
実際のカナビスがどれくらいのTHCを含有しているかと言うと、アメリカのマリファナでは1%以下(時には0.05%以下)、
ジャマイカや東南アジア産のものでは2〜4%、またインドのガンジャでは5%前後、カラスでは5〜12%である
(「米国カナビス委員会1971〜72」の報告)。従って、ジョイント1本(0.5g)中のTHCの量は5mg以下と考えてよい。
だが、これを吸ったとき、どのくらいのTHCが体内に吸収されるのかははっきりわかっていない。
また。△1-THCの酔いと本当のカナビスの酔いには違いがあることを指摘しておこう。
カナビス使用者達がしばしば報告しているように、出所の違うカナビスは、各々、その効力ばかりでなく、highの状態も、
さらに多幸効果と陰鬱な効果の混じり具合も変化する。
ところが、△1-THCの効果だけではこうした複雑な変化を説明することはできない。
おそらく性質の異なった種々のTHCが樹脂の中に同時に混じっているか、さもなければTHC以外の化合物が関係して、
このような複雑な効果が現れるのであろう。
2 カナビスに対する“依存性”
ドラッグを非医学的に使用する場合、使用者にとって最も重要な問題の一つは、そのドラッグが耽溺性(中毒性)
かどうかということであろう。つまり「身体的な依存性を生じ、使用を中断すれば禁断症状が現れ、
その症状を和らげるためには再び摂取しなければならない」ようなドラッグかどうか、ということである。
付録2 からわかるように、ヘロインやバルビツール酸誘導体、
アルコールなどのドラッグはこの類に入るが、カナビス(やLSD,アンフェタミン、コカインなど)は入らない。
従って、カナビスは身体的依存性を起こさず、耽溺性ではないと言うことができる。
つまり、再投与を必要とするような禁断症状は導かないのである。
だが、カナビスにもいわゆる精神的依存性は起こりうる。
つまり「普段の状態よりもドラッグによってつくられた状態のほうを好み、そのために強い精神的・心理的な必要感を感じ、
繰り返し摂取するようになる」ことがある。しかし、精神的依存性というのは、多かれ少なかれ、すべてのドラッグが持っている性質であって、
一般的に言えば、ふつう身体的依存性に比べてそれほど明確・深刻なものではない。
とはいっても、その程度はドラッグの種類、あるいはその人のパーソナリティーによって大きく変化し、
場合によってはかなり深刻なケースも起こりうる。例えば、アンフェタミンやコカインには身体的依存性がなく、
ヘロインのような禁断症状は起こらないとはいっても、それらの精神的依存性の度合いはかなり強く、
ときには身体的依存性と同程度の激しさになることもある。
これに対して、カナビスの精神的依存性は、アンフェタミンやコカインに比べるとはるかに程度が低く、
ふつうの場合はほとんど深刻な問題にはならない。この違いの大きな原因の一つは、カナビスには切望感(craving)が起こらない
という事実からでてくる。一般的な傾向とすれば、ドラッグに対する切望感は習慣性を導いてゆく。
例えばコカインの場合、効果が薄れていくと深い気力の低下が現れ、再び多幸感を回復するために繰り返して摂取する傾向があり、
結局、こうした切望感が習慣性を導くことになる。またもっと身近で単純な例としては、タバコがある。
もちろんタバコは耽溺性のドラッグではないが、切望感が伴うために習慣性が生じ、なかなかやめられなくなってしまう。
だが、これらに対しカナビスには切望感がほとんどないので、目立った習慣性は起こらない。
このことは、2章の表にもきわめてはっきりと示されている。
従って、カナビスには習慣性はほとんどなく、「依存性」という意味も非常に限られたものであるということができる。
カナビスの「依存性」というのは、せいぜい朝起きてまずタバコを一服吸ったり、コーヒーを飲みたくなるといった程度の「依存性」であり、
病的なケースを除けば、普通はたいして気にするほどのことでもない。ハーバード大学の精神科の主任 Graham Blaine 博士は
「マリファナが好きだということと精神的依存性とを結びつけるのはあまりにも法外なことだ。
マリファナを吸うことが精神的依存性の結果だというのなら、毎朝歯を磨くことに対してもまったく同じことが言える」と述べている。
また、ドラッグの中には連続使用していると、前と同じ効果を得るために摂取量を増量しなければならないものがたくさんある。
この増量の必要性を耐性といっているが、その典型的な例はヘロインであろう。毎日のようにヘロインを使っていると、
だんだん使用量を増加していかないと効かなくなってくる。従って使用度合が進めば進むほど多量のヘロインが必要となってくるのである。
ところがカナビスの場合は前と同じ効果を得るために摂取量を増量する必要はなく、耐性は生じない。
つまり、毎日のようにカナビスを吸っていても毎日同じ量で同じような効果が得られるのである。
もちろん、より深い体験を求めて使用量を増加させていく人もいるが、必ずしも耐性とは結びつかない。
何故なら、今までとは違った効果を求めて増量するということは「前と同じ効果を得る」という観点に立った耐性の定義には
当てはまらないからである。もっとも、カナビスを吸っていると誰でも「今までとは違った効果」を求めるようになり、
摂取量を増加させていく傾向があれば、やはり耐性があるといわなければならないだろう。
しかし、カナビスの場合、このような傾向は一般的なものだとはいえない。
というのは、実際にはカナビスに親しめば親しむほど、少量しか必要としなくなる(逆耐性)人も多く、
極端な場合には、セッティングさえ整えればカナビスを吸わなくても high になれる人がいるほどだからである。
カナビスの致死量については二、三の動物で明らかにされているが、人間の場合はあまりよくわかっていない。
一説によると(F.Ames‘Journal of Mental Science 104’ 1958)ハシシ約1.5ポンド(680g)が致死量だと言われている。
だがこの量はマリファナ3〜5 kgに相当し、普通に1人で吸っていたら1年以上はかかるほどの量である。
従ってカナビスのオーバードーズで死亡することなどまずあり得ないし、実際、今まで死亡例は1件も報告されていない。
以上述べてきたように、カナビスは深刻な「依存性」もほとんどなく、従って使用を中断しても目立った苦痛は起こらない。
また耐性もないために連続的に使用しても増量する必要はなく、さらに致死量もないに等しいので、ヘロインなどとは全く異なった
ドラッグであるということができる。しかしながら、一般的に、カナビスは「麻薬」だとしてヘロインと混同視される傾向が強く、
それがカナビスに対する誤解の大きな原因になっている。
こうした誤解を解くために、最後に、カナビス使用者とヘロイン使用者の間にある決定的な違いについて述べておこう。
前者の場合、普段の状態から多幸で快い状態、つまりhigh の状態を得るためにカナビスを吸うのに対して、
後者の場合は、まず禁断状態から普通の状態へ戻るためにヘロインを使うのである。
ヘロイン耽溺に陥れば、ヘロインはたんに快楽を得るための薬ではなく、自分の普通の状態を維持するために不可分な薬になってしまう。
これが耽溺・中毒といわれる所以であるが、このような様相は、カナビスの場合にはまったくを表れない。
3 カナビスの客観的効果
カナビスの平均的な効果(長期・累積的な影響については、(第4章-2参照)
を検討するためには2つのカテゴリー、つまり客観的効果(実験的に測定可能な効果)と
主観的な効果(現在の技術では測定できないが、使用者自身が感じられる効果)とに分けると便利であろう。
この節と次の節で客観的・主観的双方の効果について少々詳しく述べるが、
全体的に見たとき、まず目を引くのは主観的効果の方が客観的効果に比べて、はるかに広くバリエーションがあることである。
普通、カナビスを吸って high になっている人を見ても、本当にカナビスを吸っているのかどうかあまりよくわからないが、
この事実は客観的効果の少ないことを示唆している。このことは実験でも示されている。
カナビスを吸って客観的な症状を少しも示さない被験者でも、十分に主観的効果を感じていると報告しているのである。
カナビスの客観的効果は、身体的(肉体的)なものと精神的(心理的)なものとに分けることができる。
精神的なものについては後述するとして、まず身体的なものを述べよう。実際上、測定できる身体的な効果は非常に少ない。
まず第一に、カナビスの使用によって、心臓の鼓動が速まる。だが、被験者が意識するほど激しいものではない。
第二にかなりの被験者は、結膜、つまり白目の部分に充血をおこす。
また第三に、かなりの被験者が、口やのどが渇くといっている。しかし、この件については、唾液に関する十分な調査を行わなければ、
その効果が客観的なものであるのか、主観的なものであるのかはっきり言うことはできない。
つい最近まではさらにもうひとつの効果、散瞳、が身体的な効果としてほとんどのリストにも加えられていた。
この効果は実験的には決して確認されたことはなかったが、決まって正しいとされ、
アメリカの警察便覧や教育出版物などにはずっと記載されていた。
実際、1968年頃まではアメリカの上告裁判所も逮捕者がカナビスを吸っていたことを示す重要な証拠として、
瞳が大きかったという事実を使っていた。以前は、多くの人達がこの効果の存在を支持していたにもかかわらず、
今日の実験結果では、カナビスの使用自体は何ら瞳の大きさを変えないということが示されている。
カナビスの効果に散瞳という効果が加わった原因は、明らかに警察の報告にある。
つまり、警察は、カナビス使用者を逮捕した際、彼らの瞳は大きく広がり、光が目にしみるようだったと報告していたからである。
だが、この効果はカナビスの効果とは切り離して説明することができる。
第一に、使用者たちが逮捕されるのは普通薄暗い部屋の中でパーティーをしているときであり、
従って暗さのために瞳は大きくなっているはずである。
第二に、ハッセ効果、つまり逮捕されるという感情の圧迫によって、瞳が大きくなるのである。
カナビスの精神的効果にも身体的効果と同様に測定することができるものがあるが、たいして目立つものはない。
これらの効果は、知能テスト、注意力テスト、短時間に短いラインの長さを判断するテスト、簡単な刺激に対する反応テスト等々を通じ、
多くの人たちが研究しているが、被験者(とくにベテラン)は、心の平衡、知覚作用、あるいは比較的単純な知的作業に対して、
普段とあまり変わらないことが示されている。一部の人達はこのような結論を意外だと感じるかもしれない。
だが、実際はそれほど意外なことではないのである。例えば、あるきまった時間間隔を見積もるように注文すると、
被験者達(とくにベテラン)は、時間の感覚が歪んでいるにもかかわらず、かなり正確に値(間隔)を計ることができるのである。
カナビスの使用によって起こってくる客観的精神効果の中で最も興味深いものは、
複雑な仕事を遂行する能力が損なわれるという影響である。ある理論によると、この現象は、カナビスの使用によって、
瞬間的な記憶(immediate memory)が妨げられるために起こると説明されている。
使用者は、瞬間的な記憶が妨げられるだけなので、小さい時のことや数時間前のことは思い出すことができる。
しかし、ほんの数秒前に考えていたことややっていたことは、なかなか思いだせなくなってしまうのである。
この瞬間的な記憶が妨げられるという現象は、常に一定しているものではなく、波がある。
つまりある一定の期間記憶にはたいした影響がないのに、ある時を境に突然妨げられるようになる。
そして数秒後再び妨げられていない正常な状態に戻るのである。このメカニズムについてはまだ十分に明らかにされていない。
一説によると、一時的にある器官(たぶん肝臓)に薬が吸収され、それが容量をオーバーすると再び排出されるという
メカニズムが原因だとしている。しかし、この見方はまだ多くの支持を得ていない。
この瞬間的記憶が妨げられるという影響のために、ある一定の注意力を常に必要とするような複雑な仕事を行う能力が
損なわれる。とはいっても、カナビスの場合、アルコールほどに損なわれることは少ない。アルコールに酔っているかいないかは、
直線上を歩かせてみればすぐわかるが、カナビスの「実行力がなくなる」という現象は、アルコールほど簡単には検索できない。
この現象の影響で、社会生活上最も大きな問題となるのは、自動車の運転に関してであるが、この現象を逆にドライバーがカナビス
に酔っていたかいなかったかの検査に利用するのは難しい。
だいたいこういったところが、今日までに実験で明らかにされたカナビスの客観的効果である。
これまで世間では、カナビスを吸うと理性が失われ、アルコールに酔ったよりももっと著しい現象・行動が現れると思われてきたが、
実際は他人の目に分かるような現象・行動はほとんど起こさないのである。このようなギャップがあるために、カナビスを吸っている人
を初めて見た人たちは、普通、当惑してしまう。例えば、Zinberg と Weil は次のような報告をしている。
我々は研究の終わりにあたってデモンストレーション・セッションを行うことにした。
そこには、連邦麻薬局とマサチューセッツ・ドラッグ乱用防止局の代表と数人の裁判官を、オブザーバーとして招いた。
そして、被験者全体の中から2人に志願してもらって、再びテストを受けてもらった。
大半のオブザーバーは、かつて人がマリファナを吸っているところを見たことがなかった。
このセッションに対するオブザーバー達の全体的な反応は「極めて期待外れ」というものであった。
つまり、被験者達に何も起こらなかったが故の期待はずれであった。オブザーバー達が何を期待していたかは明らかではないが、
何かを期待していたことは事実である。
被験者達が正常に振る舞い続け、テストを難なくやってのけると、オブザーバー達はそんなはずはないといった怪訝な表情をしていた。
「本当に煙を吸い込んだのかな?」とか「マリファナの量が十分じゃないのではないか?」とか言っていた。
これに対して、被験者達は2人とも十分にストーンしていると答えた。
彼らは、今までマリファナを吸ったうちで最もストーンしたときを10点満点とすれば、今は何点ぐらいかと聞かれて、
それぞれ8点、9点という評価をしていた。
客観的効果が少ないのに、主観的効果は多岐にわたっているという事実について、今までのところ十分な説明が行われていないが、
カリフォルニア大学医学部の精神科医 Reese Jones 博士は次のような説明をしている。
アルコールの効果とカナビスの効果を実験的に比較すると、カナビスの客観的効果が比較的少ないが、
これは、カナビスの通例の使用量が少ないためである。「同等量」のカナビスとアルコールの間には相違点よりも類似点の方がはるかに多い。
一杯か二杯のアルコールならば、やはり客観的効果が少なく、主観的効果は多岐にわたっているのである。
だが、アルコールの場合、通例の使用量を超えて多量に飲んでしまう確率がカナビスの場合よりもずっと高いために、
客観的効果も目立つわけである。
カナビスもオーバードーズすると客観的効果が多くなっていく傾向があるが、オーバードーズする可能性が小さく、従ってあまり目立たない。
このオーバードーズする可能性が小さい理由は、第2章-4で述べたように
(1)摂取量、つまり high をはるかにコントロールしやすいこと、
(2)カナビスを多量に摂取すると、多幸感のほかにかなりの不快感が現れるために、使用者達は普通、快い効果が失われないように、
通例量以上の摂取を避けることのためである。
4 カナビスの主観的効果
Erich Goode 博士は、ニューヨークの正真正銘のカナビス・ヘビー・スモーカー200人を対象として、
カナビスの研究を行っているが、彼はその中でカナビスの主観的な効果に関するかなり詳細な表をまとめ上げている。
カナビスの種々の主観的効果の各々について、その頻度を正しく評価するのには、この表が大いに役立つものと思われる。
Goode はこの研究の際、使用者達にある特定の効果を例示するのではなくて、
ただ彼らにカナビスの影響下で体験した効果を思い出せるだけたくさん書くように求めている。
こうした調査方法は、チェックリスト法や一連の答えを例示した方法に比べると、答えの率が相当低くなりがちである。
しかし、いずれの場合でも相対的な頻度はお互いに非常に近いと考えてよい。
Goode のこの研究は、カリフォルニア大学の法科の学生 Lloyd Haines と Warren Green によって
131 人の比較的ヘビーな使用者を対象に行われた研究と非常によく符合している。
後者の研究では、直接カナビスの効果を尋ねるかわりに、何故カナビスを使うのかその目的を尋ねている。
彼らはその中で、カナビスを使用する最もポピュラー理由が、断然、リラックスするためであることを明らかにしている。
これは Goode の調査ともよく符合している。
カナビスの効果がどのようなメカニズムで起こるのかは、まだはっきりと理解されているわけではない。
最近提出されたある仮説によると、カナビスの基本的な作用は時間の感覚に対する作用にあるとされている。
つまり、カナビスが時間感覚ひずみをつくり、普段に比べて、過去や将来のことより現在の中に意識が集中するようになる。
その結果、使用者は将来に対する不安とか過去の悔いから一時的に解放され、リラックス感が現れ、穏やかな多幸感を味わえるようになる。
過去の気持ちの中にある倦怠感を忘れてしまうので、使用者の現在感覚はより新しく、よりシャープに、より強烈に感じられるようになる。
このメカニズムは、また色彩感覚や味覚や聴覚、さらに音楽やセックスの場合にも当てはまる。
さらに、現在に埋没するということは、いろいろな出来事や感覚に対する普段の反応をぼやけさせる傾向を導く。
その結果使用者は、いつもと違った新しいものの見方ができるようになる。
もっとも、この効果は LSD のような意識拡大薬の場合に比べれば、はるかに限定されたものだということができる。
5 カナビスの知覚上の有用性
前節で述べたように、カナビスを使う動機の中では、心をリラックスしたり、楽しみのために使ったりするものが
最も多いが、なかには知的活動にカナビスを利用している人もいる。カナビス自体が創造力を高めるかどうかについては、
否定的な意見の方が多いようだ。要するに、カナビスはファンタジーを生ずるらしいが、それらはつかみどころがなく
「瞬間的な内省(instant insights)」にすぎないという意見である。しかしながら、直接的な創造力にならないまでも
「瞬時的な内省」を潜在的な創造力の触媒にすることは訓練次第でできるようになると主張する人達もいる。
実際、カナビスを有用な触媒として利用している芸術家達はたくさんいる。
その中でも最も強くカナビスの有用性を説いている一人は、アレン・ギンズバーグであろう。
彼は『破壊を終わらせるための第一宣言』という論説の中で、カナビスを
形而上的薬草 (metaphysical herb) と呼び、次のように述べている。
マリファナが無害だということについて立派な証拠を出している大部分の科学者も、マリファナの驚くべき有用性については
何ら主張していないが、私はその有用性を主張する。マリファナは特殊な視覚的・聴覚的な美の知覚力にとって有効な触媒である。
私は、あるジャズ曲の構成やマリファナの影響を受けた新しい様式の古典音楽を理解したが、
それは長年にわたって正常な意識の中でも鮮やかに留まっている。……
彼はこれに続けてたくさんの体験例を挙げている。彼が報告しているように、カナビスの効果は一過性ではなくさめても持続する
のである。この事実は注目すべきことである。というのは、たとえ「瞬時的な内省」であっても、それを自分の私的経験として知覚の
上に残しておくことができるということであり、従って積極的にカナビスを利用して自分の知的体験の幅を拡げることができるという
ことを意味しているからである。しかしながら、それにはある種の訓練と意識的な努力が必要となろう。
種々のドラッグを試みたことのある現代作家のひとりウイリアム・バロウズは、ほとんどストーリーのない断片的な場面
が集めて『裸のランチ』という本を書いているが、彼は「作者が書くことのできるものはただ一つ、書く瞬間に自分の感覚の前に
あるものだけだ」と述べ、この本に出てくる全ての場面で〈現在感〉を強調している。この過去や未来と断絶した現在的感覚は、
カナビスで得られる感覚と呼応している。バロウズは15年にわたってアヘン系の薬物を使っていたが、カナビスとアヘン系薬物を
対比して次ぎのように書いている。
疑いなくこの薬(カナビス)は芸術家にとって非常に有用な薬である。何故なら、他の方法では得られないような一連の連想を促進
してくれるからである。私自身も『裸のランチ』を書くときにカナビスを使って、多くの場面に直接的な示唆を得た。
これに対して、アヘン系の薬物は周囲に対する意識や肉体的な活動力を失わせるので、芸術家にとっては妨げにしかならない。
カナビスは精神領域探索のガイド役をしてくれるばかりか、しばらく後には薬なしで反復してその世界の中に入っていけるようにして
くれるのである。私はここ数年間カナビスを使っていないが「薬」という化学的な手法を用いなくとも、同じような状態をつくり出せる
ことを発見した。つまり、フリッカー、ヘッドフォンを通じた音楽、自分の原稿の断片などを用意し、一方では、特に、言葉の代わりに
連想でものを考えるように自分を訓練することによって、カナビスを使わないでも使ったと同じ結果を得ることができるようになった
のである。他の意識拡大薬の場合と同様に、芸術家はいったんカナビスによって開かれた世界に親しめば、その使用をやめても
同じ世界に入っていくことができるのである。
私にはカナビスをはじめとする意識拡大薬が創造過程へのカギになり、さらに、これらの薬を総合的に研究すれば、
意識を拡大する非化学的な手法の発見へとつながっていくように思われる。
バロウズはまた別のところで「人々がハイを得るために使っているドラッグの中で価値のあるものはどれだと思いますか?」
と問われて次のように答えている。
カナビスが最も価値の高いドラッグだと思う。アンフェタミンには何もないし、バルビツール酸誘導体にも何にもない。
……またLSDでは2度ほどバッド・トリップしているので、以来やりたいとは思わない。
LSDに関する私の意見は非常に個人的なものだが、LSDは非常にいやみなブツ (horrible stuff) だと思っている。
ティモシイ・リアリイやオルダス・ハックスレイらは、LSDやメスカリンの知覚上の有用性を多いに説いているが、
これらのドラッグは、カナビスに比べてセットやセッティングに左右される度合いが大きく、また効果が激しく長過ぎて、
しばしば精神科医などの協力が必要となり、決して手軽というわけにはいかない。
これに対して、カナビスの場合は LSD ほどの激しさがないために、ものを「考える」という余裕が十分に残されており、
また自分で high を簡単にコントロールできるし、毎日でも使える(LSDの場合は最高のペースでも週に1回ぐらい)のでそれだけ扱いやすく、
感じたことも整理しやすいのである。従って、かえってバロウズのようにカナビスを支持する人も出てくる。
また、何年か前にLSDに熱狂していた芸術家や知識人達も、最近ではLSDをあまり使わなくなってきたようである。
6 カナビスとセックス
世間的な評判からすると、カナビスは性的衝動をたきつけ、乱交や性的堕落を導く、と言わるている。
だが、カナビスの客観的効果から見るかぎり、カナビスがそのような行動を導くという証拠はない。
また古くからカナビスは性の欲求を高めると言われてきたが、これはある条件では正しく、また別の条件では正しくないように思われる。
Haines と Green は、彼らの調査結果をまとめて次のように述べている。
マリファナを吸うと、それがただちに性的活動力に結びつくとは必ずしも言えない。
調査した被験者達の大半が連れ合いか愛人かのきまったセックス・パートナーを持っており、その2人は、マリファナを吸っているとき、
機会があればよくセックスをしている。だが、相手のいない被験者達を見ると、外へ出かけていってパートナーを「ひっかけ」ようと
試みると言っているのは1人しかいない。残りの人達は、マリファナを吸った後ではそこまでガンバル気力はなくなる、と言っている。
彼らは、起き上がって、服を着て、人に会いに行くなどという気持ちはほとんど持っていない。
また Erich Goode の調査によると、女性の50%と男性の39%は「触発的な連想や期待感、感覚の強まり」から性的欲求が
増したと報告している。だが、実際にセックスしてみて普段より楽しくなったかどうかという点になると男性の方がよくなる割合が
高いようだ。何故なら、カナビスの影響下で普段以上にセックスを楽しんだと報告している人は、男性では74%なのに対し、
女性の方は62%だからである。だが、なにが性感を高める原因になっているかは、はっきりわからない。おそらく、暗示と2人だけで
カナビスを吸っているという落ち着いたリラックスしたセッティングがそうさせるのであろう。また、感覚の強まりや時間のゆがみが
オーガズムを長く感じさせるためだとも考えられる。
カナビス自体が直接性能力を高めるとは思えないが、心理的な作用を通じて、ポテンツを高めることはある程度可能かもしれない。
つまり、男性のインポテンツとか女性の不感症とかを、カナビスで治せる可能性があるかもしれない。しかしそれには、十分な動機と
知識、献身的なパートナーが必要となろう。カナビスを用いた精神療法で、どの程度のことが可能なのかは明らかではないが、
LSDによる成功例がいくつか報告されているので、カナビスの場合にも十分可能性があるものと思われる。
7 カナビスのバッド・トリップ
もちろん、カナビスの効果がすべて快いものだとは限らない。一部の人達は、カナビスが引き起こす“極度”に不快な体験、
例えば思考コントロールの喪失などを、吸うたびに体験しており(当然こういう人達は常用者にならないが)、
また、大半のカナビス常用者達も、時々不安や怯え、つまり「バッド・トリップ」を体験している。カナビスの影響下では、
回りの雰囲気(セッティング)に特に感じやすくなるために、パトカーが近くを通ったり、議論が決裂してしまったりして、
雰囲気が悪くなると不安感を感じたり、気がふさいだりすることがよくある。だが本来、この程度の不安や恐怖感なら、
むしろ bad というよりは not good といった方が適当で、普通はすぐに消散しておさまってしまう。
こうした程度以上に bad な体験も現れることがあるが、全体としてみれば、そうしばしば起こるものではない。
これにはいくつか理由が考えられる。(1)bad なトリップは、単にセットやセッティングだけではなく、摂取量とも大きな関係があるが、
吸い方を注意すれば、簡単にhighをコントロールでき、オーバードーズすることは少ないし、
また、(2)しばしばbadなトリップをする人は、カナビスの常用者にはならないからである。
カナビスの使用者なった人達は、badな体験をあまりしないから常用するようになるのであり、
カナビスを好む気持ちは自然に薬の効果をより快いものにしようとするものである。
ある人達は、カナビスの使用に伴うパラノイアが薬の影響によるものではなく、むしろ薬が禁止されているという状況から
でてくると主張している。例えば、アレン・ギンズバーグは次のように述べている。
麻薬局は、マリファナによる“陶酔状態”の特徴として、恐ろしく bad な状態とか心の混乱状態とかいったものをあげているが、
私は、自分の経験や他の人の経験から見て、そうした状態のほとんどすべてが、マリファナ自体からではなく、
むしろ逆に法律と麻薬局自体の脅迫活動が人間の意識に与える影響から起こってきたものだと推断している。
私自身も、マリファナを吸った時、そのようなパラノイア症状を経験することがあるが、
そのためにアメリカにいるときは、マリファナが公認されている国にいるときに比べてマリファナを吸う頻度は少なくなる。
私の場合、国によって情緒が著しく違ってくることがわかった。不安感の直接的な原因になっているのは、逮捕され、
異常性格犯罪者として扱われ、また世間からごうごうたる非難を受けるのではないかといった恐れ、
さらに、広大な裁判所の建物の中で“裁かれる” というカフカ的身震い、暴力による脅迫に圧倒され、煉瓦と鉄の独房に入れられるといった無力感などであった。
この指摘は十分な正当性をもっているように思われる。何故ならば、仮にアルコールがマリファナと同じ立場にあったら、
やはり同じような精神状態が現われると想像できるからである。
仮にアルコールが禁止されていて、政府がアルコールの悪害だけを誇大に宣伝すれば、不法のアルコールを飲むものは、
派手に酔うこともできず、逮捕されるという不安感で悪酔いしやすくなるだろう。
しかしながら、合法のアルコールで悪酔いする人もいるように、実験的に合法のカナビスを吸ってパラノイアや
不安感を感じる人がいる。これは、カナビスによって意識が現在に集中し、過去や未来との関連感が失われるためらしい。
このような感覚のひずみが、何もやってないときに起これば極めて不快な状態になるに違いないが、
カナビスの影響下にいる人が何らかのきっかけで薬を使っていることを忘れてしまえば、やはり非常に不快な状態になるだろう。
また、セットが悪ければ bad な状態に陥る。例えば、何かに悩まされているときにカナビスを吸うと、
その悩みがさらに深刻になることがしばしばある。
カナビスの“バッド・トリップ”はふつう、LSDの“バッド・トリップ”と比べることができない。
前述したように、カナビスの“バッド・トリップ”は、not good の場合が多いが、LSDの場合は文字通り bad で、
パニックを意味する場合が多い。パニックは気分が悪いといったような状態とは比べものにならないほどの緊張感と精神的な圧迫感
を伴うもので、悪くすれば2〜3日精神症的状態が続いたり、強い自殺衝動に悩まされる人もいる。もちろんカナビスの場合でも、
こうしたパニックが現われることがあるが、実際上は極めてまれである。LSDでバッド・トリップを2〜3回すると、普通LSDを
やらなくなってしまうものだが、それはLSDのバッド・トリップの印象がいかに強烈なものであるかを物語っている。
また、バッド・トリップの質の違いは薬の効き方の違いからも起こってくる。
一般的に言うと、カナビスの場合は眠くなる傾向があるのに対し、LSDの場合は覚醒する傾向がある。
このために、LSDをオーバードーズすると感覚はますます過敏になり、bad な状態がますます bad に感じられて悪循環を起こす。
しかもLSDの方が効いている時間が長いので bad な状態がなかなかとれにくいのである。
これに対して、カナビスを多量に吸ったり、不注意につよいカナビスを吸ったりするとやはり不快な症状が現われるが、
普通はそれと同時に眠くなってきてしまうのである。リンデェスミス博士は次のように述べている。
アメリカのマリファナ・スモーカーがマリファナからメキシコや西インド産の効力の強いガンジャに切り替えて、
不注意に多く吸いすぎた場合でも、眠り込んでしまって、腹がへってきて目がさめるといった体験が最も多く、
普通それ以上危険な体験をすることは余りない。
普通カナビスのバッド・トリップはほおっておけば自然におさまってくるものだが、著しくひどい場合には
トランキライザーを処方するとよい。しかし、この場合、トランキライザーを飲みすぎるとトランキライザーのバッド・トリップが
加重してしまうことがあるので、できるだけ少量(平均的服用量ぐらい)にとどめるべきである。カナビスでバッド・トリップ
しないようにするためには、まず摂取量と high の状態の関係を知り、摂取量をコントロールできるように訓練することである。
さらに、セットやセッティングに十分に注意し、余りよいトリップができそうになかったら、次の機会に回すべきである。
これまでバッド・トリップは好ましくないという観点からいろいろ述べてきたが、それは必ずしも、バッド・トリップ
から得るものがないという意味ではない。バッド・トリップは自分から望んで体験できるものではないので、その体験は貴重な
ものであり、しっかりと分析すれば“グッド・トリップ”とはまた違った意味で得るところが多いものである。
8 カナビスとLSDの相違
薬理学上はカナビスもLSDも同様に“意識拡大薬”の仲間に入れられている。
もちろん、これは各々の効果に共通したところが多いから当然のことであろう。
しかし、似ていても決して同じものではない。ここでは前節とは違った点について、その基本的な相違をまとめておこう。
カナビスとLSDの違いは効力の強さの差ばかりではなく、その用法上の相違も考えなければならない。
もちろん、カナビスが他の意識拡大薬と違って、使用者のセットが余り重要性を持たないということではない。
ただ、特にカナビスの場合はコントロールが容易であり、普通望むような効果を意識的に得ることができるのである。
フランスの作家ミショーは種々の意識拡大薬を何度も試みて自分の反応を調べているが、彼はこう書いている。
「ハシシは他の意識拡大薬に比べると、さほど大きな差ではないが、効力が弱い。しかし、簡単に扱うことができ、危険性もなく、
便利で繰り返し用いることができる」
経験豊なカナビス使用者は、喫煙法で摂取すれば、正確に摂取量をコントロールすることができる。
つまり喫煙法でカナビスを摂取すると、効果はすぐに現われ、喫煙者は希望する high を得るために摂取量を注意深く
コントロールすることができるのである。実際、喫煙法を用いた場合、カナビスの快い効果を得ることはさほど難しいことではない。
これに対して、効力がより強く、作用時間が長いLSDのばあいは、high の状態がはるかにコントロールしにくく、
経験豊かな人でさえ苦悶の中へ陥ることがある。
LSDは普通飲んで摂取されるが、そのためにひとたび体中に入ってしまえばその量をコントロールすることはできない。
しかも発現は20〜30分後、ピークは2〜3時間後であり、始めにどういうトリップが現われるか予想することは、ベテランであっても難しい。
従って、意外性を求めてLSDを飲む人を別にすれば、これがLSDの最大の欠点になる。
普通ヘロイン中毒者達はLSDを好まないといわれているが、それもLSDの効果が不安定なためである。
カナビスとLSDとの間にある効果の上の違いは、前節でも述べた、カナビスの催眠傾向とLSDの覚醒傾向である。
この相違は、普通どうということはないが、オーバードーズした場合大きなウエイトを持ってくる。
もう一つ非常に大きな薬理学上の違いは、カナビスの場合、LSDに生じるような急激な耐性がないことである。
従って、カナビスの場合は、同じ摂取量で連続的に同じような効果が得られるが、LSDの場合は耐性が消失するまで数日を要し、
従って連続的に使うことができない。しかも、カナビスから得られる効果はマイルドなもので、毎日でも欲しくなるが、
LSDの場合はあまりに激しく、普通は、耐性の消失にかかる期間よりももっと長い間心理的な飽漫状態が続き、
そうしばしばやってみる気は起きないのである。
また、LSDの作用が激しいために1〜3回ぐらいでやめてしまう人が多いのもLSDの特徴である。
たとえLSDが好きになり、何回となく続けるようになっても、せいぜい50〜100回ぐらい続ければ、普通は嫌になってしまう。
だんだんとバッド・トリップの度数が増していき、最初の頃のような生き生きとした体験は得られなくなってくるからである。
カナビスの場合も何年かするとやめていくのが普通であるが、LSDに比べればその期間は相当長い。
カリフォルニア医大の精神科教授 Reese Jones 博士は
「通常見られるドラッグの使用パターンは、アルコールからマリファナ・LSDへと進み、
その後LSDをやめてマリファナとワイン、ビールの上へと落ち着く」と述べている。
9 カナビスは“逃避薬”になりうるか?
カナビスを使うことは逃避だという人がいる。もともと“逃避”という言葉には非難の念が込められているせいか、
こうしたことを言う人は、ほとんどがカナビスを非難する側の人達である。しかし、実際にカナビスを使っている人の側からすれば、
逃避するという感覚のもとでカナビスを使っている人はあまりいないようである。ここに非難する側とされる側との落差がある。
カナビスによる“逃避”ということについて具体的に考えるには、アルコールの使用のされ方と比べてみるとわかりやすい。
毎日、夕食前にビールを1本ほど飲んでくつろいでいる人に対して誰も逃避だなどとは言わない。
アルコールが逃避と結びつくのは、いわゆるアル中かアル中になりかかっている人達の場合だけである。
従って、たんなるくつろぎのために楽しみとしてアルコールを飲んでいるぶんには“逃避”という概念は当たっていない。
カナビスの場合も、単なるくつろぎやリラックスのためにカナビスを使っている人達が最も多いが、
当然このような人達に対しては“逃避”という言葉は当たっていない。
“逃避”という感じが当てはまりそうな例は、1日に数回以上、長期にわたってカナビスを使い続けている人達、
いわゆるヘビー・ユーザーであろう。しかしもともと、ヘビー・ユーザーそのものがそれほど多いとはいえない。
2章の表によると、ヘビー・ユーザーは全体の2〜4%である。
これに対して、アルコールの場合は、およそ8%である。ギャラップの調査(1965年)によると、
アメリカの成人のうち7,100万人がさまざまな程度で飲酒しており、そのうち中毒的飲酒者420万人、慢性的中毒者120万人である。
このことはカナビスのヘビーユースを単に“逃避”に結びつけることが適切ではないことを示唆している。
“逃避”という言葉の意味は、自分が直面している問題・精神的苦痛から逃げ出し忘れ去ろうとすることであろう。
このような視点からすると、カナビスはアルコールなどとは違って、逃避に逆作用を起こす可能性が強い。
つまり、カナビスを吸うと意識が鋭くなり、自分の抱えている問題がますます明瞭になってきてしまう可能性が大きいのである。
さらに、精神的な苦痛を抱えている状態、つまり悪いセットのもとでカナビスを吸うとバッド・トリップに陥る可能性が大きく、
とても吸い続けることは困難になってしまう。ヘビー・ユーザーは、普通、カナビスが好きで、
しかも吸う機会が多いからそうなるのであって、精神的な苦痛が出発点になって、ヘビーに使うようになるなどということは、
あまり考えられない。
さらにもうひとつ、カナビスが“逃避薬”として不適であることを示唆している事実がある。
インドの Chopra 兄弟によると、インド人のカナビスを使う期間の長さは、通常、11〜20年で、25年以上はめったにいないという。
この長さはアルコールの場合に比べるとかなり短いと言える。この違いは、意識に対する作用様式の違いから出てくるものと思われるが、
いずれにしろカナビスを長く続ける人が少ないという事実は、一面精神的な負担が多く、
逃避的にカナビスを使うことが困難であることを示唆している。
本当に“逃避薬”を求めている人であったなら、アルコールやヘロインを使っているであろう。
このような通称 body drug といわれるドラッグ類は、head drug に比べると、効果が安定しており、意識も下がり、
逃避する目的にはより適しているからである。
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