|
第4章 カナビスに関する論争点
“カナビスは、人を攻撃的にし、ヘロインや危険なドラッグの使用へと導き、時には人を気違いにする”
“否、カナビスはアルコールやタバコよりも害がない”
ここ10年程、アメリカではこういった激しい論争が続けられている。
この章ではその論争点・問題点がどこにあるのか、そしてどちらの見方が正しいのかを考えていこう。
そのためにはまず、カナビスに対する従来の感情主義や神話を排し、
出来うる限り科学的・実証的に問題を見てゆかねばならない。
本章で取り上げる各節の話題は、John Kaplan “Marijuana - The New Prphibition”の抄訳である。
彼は、この本の各章の終わりに2〜3ページの要約を設け、章ごとの内容をまとめているが、
ここの抄訳はその要約を訳したものである。要約であるために、やや説明が足らないと思われるところもあるが、
本文は非常に詳しいデータと数多くの引用を挙げ、説明は細部までいきわたっている。従って、
説明の不足は文面のスペースの問題からきているのであって、決して単なる憶測から結論して説明不足になったのではない。
Kaplan がはじめてカナビスとかかわりをもつようになったのは、
1966年にカルフォルニア州の“刑法改正に関する委員会”のスタッフに加わるように求められた時であった。
当時、彼は“マリファナが人を気違いにし、犯罪者にする”と考えていたという。
しかし、調査を進めていくうちに自分の考えが間違っていたことに気づき、
しまいにはマリファナ使用者を罰すべきではないと言う内容の勧告草案を作成するまでになった。
その結果、彼をはじめとする全委員が議会の立法府に首を切られてしまったのである。
この本は、そのときの調査をもとに書かれたものである。
1 カナビスと攻撃性
歴史的にみると、カナビスを禁止する最も大きな理由の一つになったのは、
カナビスを吸うと暴力犯罪を犯すようになるという主張であった。
1926年、アメリカでカナビスがはじめて社会的関心を持たれるようになったとき、カナビスは攻撃性と結び付けられていた。
連邦麻薬局とその局長ハリー・J・アンスリンジャーは、このことを主要な論拠にして国や州のマリファナ法制定キャンペインを行い、
カナビスの禁止に成功したのである。
当時、麻薬局が反対の理由に挙げていたものは、特定の“カナビスの犯罪”のリスト、
つまりカナビスの使用が原因になっているとされた犯罪リストであった。
だが、その犯罪リストは、次に挙げるいくつかの理由でカナビスと攻撃性とを結びつける証拠としては不正確なものである。
(1)引用されているどの条件をとってみても、カナビスが本当に犯罪の原因になっているのかどうか
判定しようとする試みが行われていない。
(2)1936年当時(マリファナ税法の制定は1937年)のカナビス使用者の大多数は、最も罪過の多い少数であり、
まったくカナビスを使っていなかったとしても、もともと犯罪を犯しそうな人たちであった。
(3)“カナビス犯罪”者数と暴力犯罪を犯していないカナビス使用者数、及びカナビスを使用していないにもかかわらず
暴力犯罪を犯した人の数を比較検討しようとする試みが行われていない。
犯罪リストのほかにも、数種の統計的研究が、カナビスと攻撃性の因果関係を主張する人たちから引き合いに出されている。
しかし、それらの研究の大半は未開発国で行われたものであり、
その結論を裕福で安定したアメリカにそのまま当てはめるには問題が多い。
さらに重要なことに、それらすべての研究は方法論的に見て無価値になってしまうほど深刻な問題を抱えているのである。
行政当局の報告もまた、カナビス=攻撃性論を支持する重要な情報源になってきた。
それらの報告を総合的に分析した研究が一つだけ行われている(Glon W. Schofield 1968)。それによると、
(1)警察当局者達の感じについて多数の説明があるが、それにはカナビスと攻撃性との因果関係を裏付けるものはない。
(2)カナビスの影響を受けて暴力をふるったとみなされた人たちの攻撃的な行動の頻度が、
薬の効果とかかわりがあることを示す証拠はなく、実際上警察もきちんとしたものは持っていない。
この他、カナビス=攻撃性論の論拠として以前から assassin (暗殺者)という言葉の語源が引用されてきた。
この言葉は“hashashin”という言葉に由来したものであるが、
この“hashashin”は、あるイスラム教宗派のメンバー達が暴力や殺人などの凶暴行為を遂行する前にハシシを吸っていたことから、
この宗派につけられたアラブ名であると考えられていたのである。
だが、この小さな証拠でも明らかに不正確なものである。最近発表された2つの研究(J. Mandel 及び D. Casto)は、
暗殺行為とハシシとの関連があまりに薄弱でこの問題を論じるには適切でないことを指摘している。
今まで多数の研究が、カナビスの使用と攻撃性の間には関連がないという結論を出してきた。
それらの中でも最も印象的なのは、1893〜94年のインドカナビス委員会の研究である。
多くの理由から、カナビスと攻撃性の関連はアメリカよりもインドのほうが強いと予想されるが、この研究は関連性を否定している。
また、アメリカにおける大学生や少数グループを対象とした研究でも、
カナビスの暴力を促す傾向はアルコールに比べればはるかに少ないことが非常にはっきりと示されている。
もちろん、これらの研究にもいくつかの方法論的な問題があるが、カナビス=攻撃性の論拠として引用されている研究に比べれば、
問題はかなり少ないといえる。
カナビスと攻撃性、あるいはカナビスと消極性(反攻撃性)の因果関係について、
納得のいく説明が一つでも与えられない限り、どのような主張も受け入れるべきではない。
カナビス=攻撃性論を主張する人たちからは、まだ十分に納得のいく説明は与えられていないが、
これに対して、カナビス=消極性(反攻撃性)を主張する人たちからは、いくつかの納得のいく説明が出されている。
第一に、薬の効果は、使用者が何を期待して薬を使っているのかということに相当大きな関連をもっているが、
大多数のカナビス使用者達が期待しているのは“cool”で、パッシブな感覚であり、
それに対応してパッシブな効果が主たるカナビスの効果になっている。
第二に、反攻撃性とカナビスを結びつける決定的な証拠はまだないかもしれないが、
対照実験(カナビスの影響下にいる時とそうでない時とを対照する実験)の結果は、
カナビスが人を非攻撃的にする効果をもっているという見方に傾いている。
こうした説明も最終的な結論にはほど遠いかもしれないが、この問題に関する全般的な証拠は、
カナビスによって攻撃性が増すというより、むしろ攻撃性が抑制されるという見方のほうを支持している。
さらに、我々の社会では、アルコールやバルビツール酸誘導体のように、明らかに攻撃性を促すドラッグが広く使われているが、
この事実は、カナビスが攻撃性を促すという主張だけでは、カナビスの使用を犯罪だとする(カナビス使用の犯罪化)
の十分な理由にはならないことを示している。
2 カナビスの健康に対する影響
カナビスが使用者の健康に対してどのような影響をもつかという問題に十分な答えを出そうとするならば、
まず、カナビスの影響を直接・一時的なものと、長期・累積的なものとに分ける必要がある。
ここで直接・一時的影響というのは、カナビスの使用によってただちに“強制的に”引き起こされた影響のことを指している。
自動車の運転に関する問題を別にすれば、カナビスの主要な危険面が直接・一時的影響の中にある、とする主張には、
基本的にいって3つのタイプの論拠がある。つまり、
(1)ほとんどすべての使用者に対して、十分な量のカナビスを与えると、精神症的な反応を起こす
(2)カナビスは幻覚を伴った効果を生じることがある。
(3)カナビスの直接・一時的な効果は何が起こるか予想がつけにくい。
というものである。しかし、これらの論議は、カナビスを正確に論じようとするにはどれも多少不適格である。
例えば、カナビスが精神症的反応を引き起こすと主張している研究には、2つの大きな欠陥がある。
(1)そうした研究の結果は、大部分が実験室内での実験に負っており、普通の摂取量に比べて相当高い量の薬を使っている。
(2)仮に“精神症”があったとしても、それは一時的なものであり、一般的に言えば、薬が体内から排出された後はおさまる。
簡単に言えば、カナビスの“精神症”はアルコールのいい酔いに相当するものである。
慢性的な精神症も知られていないわけではないが、極めてまれである。アスピリンによるものに比べれば、
確実に少ない。
カナビスが幻覚を伴った効果を生じるという主張は、カナビスをLSDなどのドラッグの危険性と
結びつけようとしたものである。しかし、この主張は、次のような事実を無視している。
(1)カナビスは薬理学的に言ってもLSDとはまったく異なった薬である。
(2)カナビスとLSDでは、社会的な習慣・使用者が期待するものが全然異なっている。
(3)多くの物質(ドラッグ)が幻覚誘発効果をもっているが、だからといってそうした物質がLSDと同じような
厳しい危険性を持っていると言うことはできない。
(4)実際には、幻覚を生じるほど多量のカナビスを摂取することはほとんどない。
最後に、今まであげたような特定の危険性を別にしても、カナビスの影響下では何が起こるか予想をつけにくい
(効果の不安定性)という主張がある。だが、カナビスの効果が予想をつけにくくなっていることの大きな原因は、
カナビスが不法とされていることに起因しているのである。というのは、カナビスの効果が標準化されておらず、
モノによって効力がまちまちだからである。また、さらに重要なことは、予想をつけにくいということが、使用者個人、
あるいは周りの人に難儀・苦痛を与えることになっても、カナビスを禁止しなければならぬほど大きな理由とはならないのである。
今日では、直接・一時的な影響に関する議論は影が薄くなってきており、代わっていまだ未解決の大きな問題、つまり、
長期・累積的な影響についての問題が議論されるようになってきた。これらの議論は次の4つの点に中心が置かれている。
(1)カナビスの使用は薬物依存性を生ずる。
(2)精神障害を生ずる。
(3)脳に損傷を与える。
(4)何かをやろうとする動機・野心を失わせる(脱野心)。
法律上、カナビスは麻酔薬(narcotics)として分類されているが、だからといってカナビスが耽溺性(中毒性)の薬物であるはずだ、
と思うのは正しくない。カナビスはヘロインのようなアヘン系のドラッグとは異なっており、
耽溺性の薬物でないことは極めてはっきりとしている。
従って、薬理的な議論の大半は、今日では耽溺性を云々するのではなく、習慣性を問題とするようになってきた。
確かにカナビスを乱用しているような人の例は存在する。そのような乱用者は、カナビスを人生で最も根元的な位置においてしまい、
カナビスに対し強い精神的な必要性を感じるようになってしまう。
こうしたことが大変年少のときに起こると、正常な発育にとって非常に重大な障害になりうる。
しかしながら、こうした乱用の例は非常にまれであり、大多数のアメリカ人使用者にとってみれば、カナビスの習慣を絶つことは、
タバコやアルコールを中断するよりも、ずっと容易なことのようだ。
最後に、依存性に関する議論が適応できる範囲は狭いものであることを指摘しておこう。
何故ならば、依存性に付随して出てくる悪弊などはなく、依存性の害とは単に、テレビに対する依存性と同じ程度に、
ピューリタン的な意味の自制心・プラトン的な意味の自由意志の妨げとなる、というだけのことだからである。
長期的なカナビスの使用によって起こるとされている危険性について、上の問題の次に出てくる議論は、
精神障害とカナビスの使用を結びつけたものである。だが、この主張の大部分は外国(アメリカ以外)の研究に依っており、
その結果をそのままアメリカに適用できるかどうかは大きな疑問である。
というのは、精神障害の発因要素になる経済・社会的な状態が、お互いの国では非常に異なっているからである。
また、国内・国外の研究のいずれを問わず、カナビスの使用と精神障害を関連づけようとする際に起こってくるさらに深刻な問題は、
その因果関係を立証することが難しいということである。
ほとんどすべての精神障害は、その原因を決めることがもともと困難であるが、カナビスの場合はもっとややこしい問題がある。
つまり、カナビスの過度の使用が精神障害を導く原因になったのか、あるいはむしろ、精神障害をもともともっていたから、
カナビスを過度に使用するようになったのではないか、いずれかを決定する問題も、
まったく手におえないほどややっこしい問題なのである。
今日の議論の大半はカナビスの長期使用が精神障害を生じるというものではなく、
むしろ別のタイプの精神の悪変(知能の低下)つまり脳障害を生じるというものである。
この主張の論拠もやはり外国の研究に頼っているが、大きな方法論上の問題を抱えていて、十分な論拠にはならない。
実際上はどの研究も、“適度”の使用は害にならない、ということを示しているように思われる。
外国の研究として最も信頼のおけるインドカナビス委員会の研究では、最近のアメリカでの研究の結果と同様に、
カナビスの長期・適度の使用の影響は、ほとんどの場合、さして重大なものではないと結論している。
また、カナビスの長期・ヘビーな使用による影響はその大半がまだ明らかにされていない。
この最大の原因は、重大な障害を発見したという研究には、方法論上あまりにも深刻な問題があって、
簡単に認めることはできないからである。さらに、また、ある物質が精神障害の原因になったと断定すること自体が、
極めて難しい問題だからである。
カナビスと、いわゆる脱野心(ドロップ・アウト)との間の関連性についても、似たような問題点があり、
結論的なことを言うことはできない。実際には、カナビスの使用がドロップ・アウトした人たちの住む脱社会のシンボルの一つ
になっていると確言できるような証拠は何もないのである。
とはいっても、カナビスを危険な薬だとして告発している医学グループの主張も、完全に間違っているわけではない。
もちろん、カナビスはある程度危険なことは危険である。
カナビスの場合も、アルコールをはじめとする精神作用素を有するすべてのドラッグと同様に、
その直接・一時的影響は精神を乱すという多少の危険性を持っている。
いくつかのケースでは、習慣性のある“過度”のカナビス使用者が、カナビスによって率先力を失い、
実行力がなくなったということができる。
3 カナビスと危険なドラッグ
カナビスの使用を犯罪だとすること(カナビス使用の犯罪化)の必要性の論拠として、最もよく言われることの一つは、
カナビスの使用が何らかの理由でもっと危険なドラッグの使用を促すというものである。
ここでは、カナビスと危険なドラッグ(主としてアンフェタミン、バルビツール酸誘導体、LSD)
との間の関連に限定して話を進めよう(ヘロインとの関連については次節)。
因果関係を明らかにするためには、3つの問題に答えなければならない。
(1)カナビスの使用と危険なドラッグの使用との間に関連があるか?
(2)もし関連があるとすれば、そのときはカナビスが一番初めに使われたドラッグか?
(3)もし危険なドラッグと強い関連があり、その使用順序に法則性があったとしたら、
そのときはどのような説明が最もよく当てはまるか?
ということである。
統計が示しているところでは、或るドラッグを1つとると、
そのドラッグの使用と他のあらゆるドラッグの使用との間には実際上、はっきりした相関関係がある。
つまり、或る1つの薬を使っている人は、別の薬も使っている確率が高い、ということができる。
いくつかの研究によると、カナビスの使用はあらゆる薬(それが危険であるかないか、不法なものかそうでないかに関わらず)
の使用と非常によく相関していることが明確に示されている。
カナビスの使用と危険なドラッグの使用との間には、或る関連性があることが認められたが、
第2の問題は、カナビスの使用が最初であったかどうかという問題である。
その答えは、常にというわけではないが、普通の場合カナビスが“不法な”ドラッグとしては最初に使われているといえそうである。
しかしながら、典型的な最初のドラッグだというわけではない。
というのは、危険なドラッグを使っている人たちはカナビスを使う以前に、
ほとんどの人がアルコールやタバコを使っているからである。
さらに重要な問題は第3の問題、つまりどのような因果論がカナビスと危険なドラッグとの間の関連性を
最もよく説明しているかという問題である。表からもわかるように、実質的な関連性は、カナビスと危険なドラッグの間ばかりでなく、
カナビス以外のどのドラッグを二つとっても存在している。
この事実は、多くの人たちが単にドラッグの使用に陥りやすいパーソナリティをもっていたので、
いろいろな薬を使うようになったという非常に意外な説明ができることを示唆している。
この“素因仮説”はカナビスの使用と他の薬の使用との間の相関関係をよく説明しているように思われる。
薬物使用傾向(素因)をもっている人であれば、おそらく自分の性向を満たしてくれる薬が見つかるまで、
いろいろな薬を次々に試してみることだろう。薬を試す順序は利用力や危険度といった因子に基づいている。
つまり、最も簡単に利用でき、しかも最も危険性の少ない薬が最初に使われることになろう。
このことは、なぜカナビスが危険なドラッグに先立って使われるのか、その理由をよく説明している。
というのは、カナビスは最も危険が少ない薬であり、しかも普通最も利用しやすい不法薬だからである。
上では、危険なドラッグを使いはじめる原因を、直接カナビスの中には求めず、
現実的に可能性のありそうな素因メカニズムの中に求めたが、今度はカナビスの使用自体が直接危険なドラッグの使用を
導くものかどうか考えてみよう。
一つ可能性のある説明は、カナビスが比較的安全な薬なので、ドラッグを使うのをこわがっている人たちに対し、
カナビスが入門の役割をはたす、という説明である。つまり、カナビスの使用が悪影響を伴わないので、
より危険なドラッグに対する抑制心が弱められ、試してみたいという欲求が出てくるということである。
だが、このメカニズムを論拠にして“カナビス使用の犯罪化”が必要だとするのにはいくつかの疑問がある。
第1に、このメカニズムが本当に働いているかどうか分らないし、
第2に、このメカニズムが“多くの人は自分を満足させてくれるドラッグに出会うまで、種々のドラッグを試す”
という考え方に基づいているのなら、この考え方は、カナビスに限らずそっくりそのままアルコールにも当てはまるからである。
さらに、もし仮にカナビスの供給を減らし、このメカニズム自体に大きな影響を与えることができたなら
(実際にはできないが)そのときは、カナビスに満足していた人たちは、これまで満たしてきた欲求を満たせなくなり、
より危険なドラッグへとすっかり移行することになるが、実際はそうなりそうにない。
簡単に言うと、カナビスの使用は確かに危険なドラッグの使用を導くことがあるが、
だがこのメカニズムはカナビス使用の犯罪化を必要だとする理由にはならない。
実際には、反対にカナビス使用の犯罪化が、危険なドラッグの使用を導く傾向に一層拍車をかけているといえるようないくつかの
メカニズムが存在するのである。まず第一に、カナビス使用の犯罪化は、ドラッグ教育の努力を失墜させてしまうことになる。
さらに、カナビス使用の犯罪化は、ドラッグに関する刑罰の恐ろしさを弱めてしまう。
カナビス使用者はすでに重大な犯罪行為を犯しているわけだから、もし彼がこれからもずっとカナビスを使いつづけるつもりならば、
もはや法は彼にとって抑制力を持たなくなってしまう。何故ならば、危険なドラッグを使うことは少しも犯罪的だと思わなくなるか、
さもなければ、一般にその程度を弱めてしまうことになるからである。
カナビス使用の犯罪化が他のドラッグの使用を促していると思われる最も重要なメカニズムは、
犯罪化によってカナビスの使用者達がドラッグ文化との接触を余儀なくされていることであろう。
使用者は売人からカナビスを買って手に入れなければならないが、普通売人達はドラッグ文化の中に一層深くのめり込んでいるために、
カナビスばかりでなく危険なドラッグの供給源になる可能性が強いのである。
これまでみてきたように、カナビスが少なくともその一部の使用者達に、危険なドラッグの使用を促している
というのはある程度正しい。しかしながら、種々のドラッグ間の関連性は直接的に結びついたというよりも、
ドラッグの使用を促す素因・素質があるというほうがよりよく説明できる。
また、カナビスが他のドラッグの入門の役割をしているとしても、カナビス使用の犯罪化は、
おそらく他のドラッグとの結びつきを弱めるよりも、むしろ一層強める役割のほうが大きいだろう。
4 カナビスとヘロイン耽溺
今日、カナビス使用の犯罪化が必要だとして、最もよくあげられる理由は、おそらく、カナビスの使用がヘロイン使用の
踏み石(stepping-stone)になる、というものであろう。前節の場合と同様に、まずカナビスの使用とヘロイン使用との間の
結びつきから見てみよう。だが、前節に比べると今度の場合のほうが一層複雑である。
アメリカのヘロイン耽溺者(中毒者)の大多数がヘロインを使いはじめる前にカナビスを使っているというのは事実である。
だが、ヘロインとカナビスの結び付きが示されるにはかなりのパーセンテージのカナビス使用者がヘロインを使っていることが
証明される必要がある。実際は、カナビス使用者のほとんどはヘロインを使っていないのである。
カナビス、ヘロイン、各々に関する逮捕者数の増加率を比較すると、どちらかといえば強い因果の存在には否定的である。
例えば、カルフォルニア州では7年間に大人のカナビス逮捕率は740%に上昇したのに対し、ヘロインのほうは7%減少している。
他のデータも“踏み石”論には否定的である。ヘイト・アシュベリーで行われたある調査によると、
カナビスの使用は、事実上住人全体に拡がっていたが、カナビス使用者全体の約2%だけがヘロイン耽溺者になっているにすぎなかった。
また、ある大学における調査でも、カナビスの使用が拡がっているにもかかわらず、ヘロイン耽溺者が少数であることが示されている。
また、大学生に関する調査では、カナビスよりもアルコールやタバコのほうがヘロインとの結びつきは強いことが示されている。
おそらく、最も正しく調査データを概説している意見は、大多数の国民
(ただし、ヘロイン人口の主要な部分を占めている都市の貧しい黒人とスペイン系のアメリカ人は除く)に対しては、
カナビスとヘロインは結び付きがないように思われる、というものであろう。
仮に、ヘロインとカナビスの間に関連があることを認めたとしても、
次にはその因果を証明する証拠を示さなければならない。いろいろな因果論があるが、その大半は薬理学的な物であり、
例えば、カナビスを使っているともっと強烈な、ヘロインでしか満たすことのできないような Kick がほしくなる、
といったものである。
しかしながら、こうした因果論では、なぜこのメカニズムが下層階級の少数人種にしか働かないのか説明できないし、
またなぜカナビスだけがヘロインの踏み石になるのか説明できない。
実際には、カナビスの使用とヘロインの使用との間に因果的な結びつきはないと考えうる理由がある。
というのは、何らかの結び付きがあったとしても、それは前節に述べた素因メカニズムで十分に説明できる程度のことなのである。
このような説得力のある素因メカニズムの存在に加えて、1950年〜1965年の間に精神医学方面で出版された
ヘロイン耽溺の原因に関する研究報告には、一つもカナビスをその原因として取り上げているものがない、
という事実も見落とすわけにはいかない。
各種文献の中で踏み石論について言及しているのは、ヘロインに関して論じたものではなく、
カナビスについて論じたものだけなのである。Blumer の研究などは、ヘロイン耽溺が特にカナビスの使用と結びついて始まったのではなく、
本人のライフ・スタイルからヘロインとの接触がはじまったという考え方を支持しているように思える。
もし仮に踏み石論が正しく、一部の人たちがカナビスの使用から本当にヘロインを試すようになったとしても、
なお前節の場合と同様に、カナビス使用の犯罪化がその問題の解答になるどころか、
むしろ問題をさらに難しくしてしまうのではないかという疑問が残る。つまり、
(1)カナビスとヘロインはある程度同じ売買機構で扱われる。
(2)カナビスとヘロインの犯罪をほとんど同質のものとして扱えば、
ひとたびカナビスを使ってしまった人に法の抑制力がなくなってしまう。
(3)ドラッグ教育の信頼性が損なわれる。
といったマイナス面が出てくるのである。
また、もし仮に、踏み石論が正しく、カナビスの使用がヘロインの使用へと導き、
しかもカナビス使用の犯罪化が現状を悪化させないとしても、その時はまた、カナビス使用の犯罪化が踏み石論に対する適切な処置
であるかどうか疑問が残る。というのは、マリファナ法を施行してカナビスの供給源をどんなに圧迫したところで、
実際には将来ドラッグ・ユーザーになりそうな人たちにカナビスが渡らないようにすることはできないし、
従ってヘロイン問題に効果的に対処しうる唯一の道は、カナビスからヘロインに移行しそうな人たちに対し、
行動を思いとどまらせるしかない、と思われるからである。とはいっても、こうした若者たちは普通、罪過のある下層階級の黒人
やスペイン系のアメリカ人であり、おそらく国中で最も思いとどまりの悪い人間であろう。
だが、もしカナビス行政に当てられている財源を直接ヘロインの防止やヘロイン患者の治療などに当てれば、
その財源はより一層有効に利用されることになる。
要するに、踏み石論は“カナビス使用の犯罪化”を必要だとする理由にはならないばかりか、
おそらくヘロイン問題解決の妨げになっているといえよう。
5 カナビスとアルコール
カナビスとアルコールとを比較するのに際し、次の4つの分野に焦点を合わせて考えてみよう。
(1)犯罪を誘起させる影響
(2)身体的(肉体的)な害
(3)精神的(心理的)な傷害との間の因果性
(4)自動車運転時の影響
まず、この2つのドラッグの犯罪を起こさせる作用についてみてみると、上で述べたように、
カナビスは暴力犯罪を引き起こさないようだということができる。
存来、アメリカにはカナビスの使用と犯罪との関連性について述べた主張があったが、今ではそういう類の主張もなくなってきた。
これに対し、アルコールの場合には犯罪を引き起こす作用の存在を示す強い証拠がある。
確かに、これらの証拠には方法論上多数の問題があって、アルコールと犯罪の完全な因果関係を示すことはできないが、
しかし統計は単なる憶測以上のものを示している。アメリカにおける暴力犯罪、特に殺人の多くがアルコールに
関連していることは疑う余地がない。
アルコールには感情を解放したり、怒りに対する皮質のコントロール機構を弱めたりする働きが知られているが、
暴力犯罪との結び付きは、間違いなくこの作用から出てくるものであろう。
次に、身体的な影響について述べると、前にもみたように、通例のカナビス使用による身体的影響には比較的害がない。
同じことは、通例のアルコール作用についても言える。
しかしながら、アルコールの(長期にわたる)過度の使用は、カナビスの場合に比べると、極めて重大な影響をもっているようである。
アルコールのオーバードーズ(一時的な飲みすぎ)による急性の身体的影響には、酩酊してけがをすることを別にすれば、
ほとんどの場合それほど恐ろしい害はない(とはいっても、実質的にはカナビスの場合と同程度の影響があることは確かである)。
が、しかし、アルコールの使用による長期・累積的な影響は、それに比べるともっと厳しい重大な影響をもっている。
例えば、重大な栄養問題、末梢神経炎、胃炎、致命的な肝臓障害などが起こりうるし、実際にしばしば起こっている。
また、これら2つのドラッグによって引き起こされる精神的な障害を比べることは難しい。
というのは、上で指摘したように、カナビスの長期・過度の使用によって起こると考えられるような精神障害は、
今のところ知られていないし、また、実際は信頼のおける情報が示しているよりもはるかに大きな害があることもあり得るからである。
とはいっても、仮にカナビスに関する大きな問題がすべて解決され、その結果最大級の危険性・害が指摘されたとしても、
それがアルコールの過度の使用について現在知られている危険性に匹敵することはまず考えられない。
アメリカではアルコールを飲む人の約7%がアルコール中毒者であり、精神病院に初めて入院してくる男性の22%が
アルコール中毒者である。アルコールに中毒している人がアルコールを断つとけいれん性の震えがおこり、その後、
振戦せん妄症(d.t.)になる。また、長期にわたってアルコールを乱用すると脳細胞が壊され、しばしば知能が低下する。
この他にも、アルコールは他の型の精神障害に関連をもっているばかりか、ありふれた種々の精神症とも関連をもっている。
さらに、脳出血のような別個の病気の進行をも促すらしい。
アルコール・カナビス比較の最後の分野は、自動車の運転に関する問題である。
カナビス使用の犯罪化を主張する人たちも、自動車の運転の際は、どちらのドラッグも同程度危険であることを認めている。
が、しかし、ドライバーがカナビスの影響下にいるのかどうかテストする血液または尿の検査方法がまだ確立していないことを理由に、
アルコールとカナビスとでは法的取扱いがまったく異なって当然であると主張している。
しかしながら、運転の際の危険性の度合いからすると、カナビスよりもアルコールのほうが相当危険性は高いと思われる。
とはいっても、カナビス影響下の運転が安全だと結論するのは早計である。安全だという結論を支持する研究もあることはあるが、
方法論的に非常に多くの問題を抱えており、そのまま認めることはできない(複雑な仕事に対するカナビスの影響を考えると、
安全だとはあまり考えられない)。一方また、どれほど多くの交通事故が(単なる普通の酒酔いのためではなく)
アルコール中毒のために起こっているかを改めて考えてみれば、ハイウェイの安全性に対し、
カナビスよりアルコールのほうがはるかに大きな脅威になっているといえそうである。
さらに、このこととは別に、現在ではカナビスの酔いを検査する方法がもうすぐ確立されそうであり、
これが確立したときには上の主張の論拠も同時になくなってしまうことになる。
結局、個人及び社会に対して、カナビスがアルコール以上の害を持っていないのはほとんど確からしいし、
実際上はカナビスの害のほうが少ないようである。カナビス使用の犯罪化を主張する人たちの中の最も著名な人たちでさえ、
このことを認めている人がいる。
それにもかかわらず彼らの大多数はやはり、カナビスに対し、アルコールよりも厳しい法的措置をとるべきだと主張している。
それらの中で最も主流をなす主張は、カナビスのほうがアルコールよりも害がないことを認めたとしても、
一つの悪(アルコール)を容認することが、別の悪(マリファナ)を許してもいいという理由にはならないというものである。
この主張が強調していることは、禁酒法の場合、アルコールの使用をコントロールすることができなかったが、
カナビスの場合、現在カナビスの禁止のために費やしている労力を多少増せば間違いなくカナビスをコントロールすることができる
ということである。だが、実際上、現在のアメリカの状況には、このような考え方は当てはまりそうにない。
この他にも、我々の社会には2つの悪を受け入れる余裕はないという主張がある。
しかし、この主張はカナビスを好む人間とアルコールを好む人間とは多くの場合別々の人間であるという事実を無視している。
この事実から出てくる重大なことは、法が事実上有効に働くようにするためには、
モラルの上からも行政当局者たちがカナビスを好む人たちを受け入れる必要があるということである。
単に自分達とは関係のないドラッグ(カナビス)を犠牲にして、自分たちの好むドラッグ(アルコール)を擁護するような偽善的な
多数派の行為であってはならないのである。アルコールとカナビスとの法的取扱いに大きな違いがある限り、
それは若者たちを疎外し、ドラッグ教育を妨げることになり、その結果、マリファナ法に伴う損失は少なくならないのである。
また、カナビスを認めれば、アルコールとカナビスによって起こる害が全く相加的になるという主張があるが、
これは多分間違っている。というのは、カナビスの使用が増えると、それはある程度アルコール使用と置き換わるらしく、
少なくとも一部のアルコール中毒者はカナビスに切り替えることにより精神的にも身体的にも前より健康になっているからである。
アルコールとカナビスとの法的取扱いの違いを正当化しようとする主張で、
これまで取り上げなかったものは別の節で取り上げたものか、またはあまりに浅薄で論ずる必要のないもののどちらかである。
前者のカテゴリーに属する主張は、カナビスがアルコールとは違ってヘロインの使用を導くといったものである。
また、後者のカテゴリーに属する主張は、カナビスを使っていると使用者が必然的に犯罪人たちと接触することになり、
他の面にまで影響を受けるというものである。もちろん、この主張の問題点は、犯罪の世界に接触を余儀なくさせているということが、
カナビス使用の犯罪化から出てくる損失の一つであるという事実を見落とした点にある。
|
|