第5章 アメリカの状況

この章では、アメリカにおけるマリファナ税法の歴史とカナビスを取り巻く現在の情勢について述べよう。 マリファナ税法(Marijuana Tax Act)は1937年に制定されたが、当時の歴史を調べてみると、 この法律が非常に不自然な状態で制定されたことがわかる。 その当時つくられたカナビスに対する誤解、偏見は時代とともに改められてきたが、いまだ完全には打ち砕かれていない。 一時はその偏見の強さから、カナビス逮捕者はいなくなってしまうほど取締りは強化された。 しかし、現在ではその偏見も次々に打ち破られ、使用者も次第に増加し、合法化を求める動きまで出てきたのである。

もちろん、アメリカの歴史がそのまま日本に当てはまるわけではないが、ひとつの流れとしてみたとき、 日本の状況ともよく呼応しているところがある。次章で日本の状況について述べるが、その際にも大いに参考になる。



1 マリファナ税法の制定

(この節は、Howard B.Becker 著 “Marihuana:A Sociological Overview (Marihuana Papers 94〜102p) の抄訳である)

カナビス喫煙の習慣は、アメリカには、メキシコから、スペイン語を使う人の多いアリゾナ、ニューメキシコ、 テキサスなどの南西部の州を通じて持ち込まれた、と普通言われている。人々は、1920年代にはカナビスの使用について 気づき始めていた。だが、新しい現象であり、明らかにメキシコ系の移民に限られたものだったので、 多くの人々はたいした関心を示さなかった。以前からカナビスを調合した医薬品が知られていたが、 アメリカの医者はあまり処方しなかった。1930年当時、カナビスの所持を禁止する州法をもっていたのは、わずか16州にすぎなかった。

しかしながら、1937年アメリカ連邦議会は、カナビスの使用を撲滅しようとしてマリファナ税法(Marijuana Tax Act) を制定した。この法律がいかにして制定されたか、その歴史を調べてみると、企業的な率先力と事業心で一般大衆の無関心を打ち破り、 しまいには連邦法の制定に至るまで大衆の関心を盛り上げていった事業家・麻薬局の物語を見ることができる。 カナビスの使用を禁止しようとする試みがどういう考え方からでてきたのか理解するためには、マリファナ税法自体を調べる前に、 まずアルコールやアヘンなどの似たようなモノがどのような法で扱われてきたか調べてみるべきだろう。

アメリカにおけるアルコールやアヘンの使用には長い歴史があったが、結局は法で禁じられてしまった。 酒類や麻酔薬(narcotics)の使用を禁止しようとする動きの中には、3つの価値観が土台にあった。 その1つは、いわゆる“プロテスタントの倫理観(Protest Ethic)”と呼ばれる道徳観であった。この道徳観に従えば、 人は自分の行うこと、自分の身に起こることのすべてに対し責任を負い、従って自制を失うようなことは決して行ってはならないのである。 アルコールやアヘン系のドラッグは、程度や形態の差はあっても、自分に対するコントロールが失なわれるので、 それらのドラッグを使うことは悪になる。例えば、アルコールに酔っ払った人は、しばしば自分の行動に対するコントロールを失うし、 また脳の判断中枢機能も影響を受けることになる。一方、アヘン系のドラッグを使う人達はマヒする傾向があるので、 余り無分別な行動はしないが、しかし禁断症状を避けるためにドラッグに依存するようになるので、 その意味から言えばやはり自分の行動に対するコントロールを失っていることになる。さらにドラッグを手に入れるのが難しい場合は、 ドラッグを追うことのために、ほかの興味は二の次にしなければならなくなってしまうのである。

アルコールやアヘンを禁止する土台になった第2の価値観は、エクスタシーを得るだけのために行われる行為に対する 非難の念である。アメリカ人達は、多分プラグマティズムや功利説に対して文化的協調度が強いためであろうが、 あらゆるエクスタシー体験に対して、普通、好悪を同時に感じ、割り切れなさを感じているのである。 しかし、エクスタシー体験が、苦行とか宗教的熱情とかいった正当と考えられている行為の副産物・報いとして得たものであったなら、 誰もそれを非難したりはしない。従って、この非難は自らのためにエクスタシーを追い求めて、その結果“快楽”の追求だとして 非難を受けるような場合にだけ現実的な意味を持ってくるのである。

禁止の土台になった第3の価値観は人道主義であった。宗教家達は、法があれば、 アルコールやアヘン系のドラッグの虜になった人達が自らの弱さに負けていられなくなり、 結局本人の得になるばかりか家族にも利するところがあるだろう、と考えていたのである。

このような3つの価値観が新たな法を作る土台となった。 憲法修正第18条・ヴォルステッド法はアルコール飲料の製造・国内への持込みを禁止し、またハリソン法は実質上、 医学目的を除いてアヘン系ドラッグの使用をすべて禁止したのである。 (ヴォルステッド法は、1919年に制定され1933年に廃止された。またハリソン法は、1914年に制定され、その後多少修正が加えられたが、 現在も続いている。なお、マリファナ税法の制定は、ヴォルステッド法が廃止されてから4年後の1937年である。)

これらの法がつくられる際には、社会にとって正当な利益と見なされたものとは接触しないように注意が払われた。 例えば、ハリソン法では、従来と同じように医学関係者が鎮痛などの医学目的のためにモルヒネ等のアヘン系ドラッグを使ってもよい ことになっている。さらにこの法律は、警察力の行使を認めないいくつかの州の憲法規定と矛盾しないように注意深くつくられ、 この制限に沿うように税法条令として発布されたのである。つまり、許可を受けた人(原則的には医者、歯医者、獣医、薬剤師)には 通常の税を認めているのに対し、許可なしでアヘン系のドラッグを扱っている者には途方もない率の税を課したのである。 だが、この法律は憲法上では税法条令として扱われていたものの、実質上は警察力を基盤にした条令で、 行政担当者達もそのように受けとっていた。1930年、財務省の中に連邦麻薬局(Fedral Bureau of Narcotics)が設立されたが、 それもこの法律が制定された一つの帰結であった。

アルコールやアヘン系のドラッグの使用を禁じたのと同じ価値観は、カナビスの場合にも当然向けられるものであり、 実際に、カナビスが禁止された際には、そのような価値観が土台にあったと考えたほうが筋は通っているだろう。 1920年代の後半から30年代の前半にかけて、カナビスの使用はいくつかの州で禁止されていたが、取り締まりは比較的緩かったらしい。 いずれにせよ、その頃は禁酒法の時代で、警察ももっと差し迫った事柄を抱えており、また、明らかに社会も行政当局も、 カナビスの使用は重大な問題ではない、と考えていたのである。 いやしくもカナビスの問題が起こってきたときは、行政的にはたいした事をするには当たらないとして、 さっさと片付けられてしまったらしい。法の執行がいかに弱いものであったかを示唆するものの一つに、カナビスの価格がある。 連邦法の制定以前の価格は非常に低かったと言われているが、これは、カナビスの売買にほとんど危険がなかったこと、 従って取締りが余り厳しくなかったことを示唆している。

財務省でさえ、1931年度の報告の中で、この問題を余り重要なものとは評価していなかった。

新聞などには、時々、マリファナの乱用による悪害について記事が書かれているが、 そのためにマリファナに対し大きな社会的関心が起こってきた。だが、マリファナの乱用について報告されたケースには、 いろいろなものがあるにもかかわらず、新聞等は、その中でも特殊なケースに多くの関心を集中させてしまっている。 このように偏った関心が広まれば、悪害の影響は誇張される傾向があり、 警告を出さなければならない程マリファナの誤用が広がっている、といった推断をもっともらしくみせてしまう。 実際には、そのような乱用の増えかたはそれ程大きくないように思われる。

だが、財務省麻薬局は、マリファナ税法をつくるために大きな労力を傾けるようになった。 もちろん、どのような動機から当局が方針を変えたのか知ることは難しいが、ここではさしあたり、 彼らが自分達の管轄に当然含まれるべき犯罪の範囲を考え、その中にカナビスも加えたという以上の詮索をする必要はない。 彼らがマリファナ法の制定を求めることに個人的な関心を払うのは、多くの役人に共通したものである。 つまり、彼らは自分達に与えられている仕事を首尾よく遂行し、また仕事を遂行するための最良の道具を手に入れようとしたのである。

麻薬局の仕事のやり方には2つの方法があった。その1つは、カナビスの使用を圧迫しようとする州法の制定に協力し、 それを全州に拡めること。もう1つは、新聞記事などに対してこの問題に関する資料を提供することであった。 この2つのやり方は、なんらかの法をつくろうとしているすべての企画主にとって有用で重要な方策である。 つまり、この問題に関心を持っている別の団体の支持を得、新聞などのコミュニケーション手段を通じて、 意図した法に対する都合のよい社会の反応を喚起することができるのである。 もし、こうした努力がうまく実を結べば、社会に明確な問題点を知らせることができ、また同じ意図を持った団体は、 求める法に向かって協力し合えるのである。

連邦麻薬局は「州法統一に関する国家委員会」と盛んに協力して麻酔薬に対する統一した法律を拡げようとして、 とりわけカナビス使用に対するコントロールの必要性を強調した。1932年になり、委員会は法の草案に賛成したのである。 麻薬局は次のようにコメントしている。
インドカナビスの州内の取引を取り締まるための措置は、現在の憲法では制約があって連邦政府にはやりにくく、 むしろ州政府によって行わなければならないようになっている。しかも、医学目的などを除いてすべての取引を禁止しようとすれば、 州当局はたいていの場合行政力を確保し、必要な法律の制定に対処する政策をせまられている。 従って、こうした目的を達成するためには、インドカナビスの取引を規制する適当な内容を持った全国統一の麻薬法を提案することが 望まれている。

麻薬局の1936年の報告では、協力者達に対し、この協同事業にいっそうの努力をするように要請し、 連邦政府の仲介の必要性を示唆している。
特別の連邦法がないために、麻薬局はインドカナビスの取引に対して何の戦いも遂行することができない……。 この薬は多くの州に拡まり、乱用も増加している。従って麻薬局はいろいろな州に対して、その地方のマリファナ法を今すぐに 積極的に施行することが必要である、と強調してきた。

カナビス問題に対する麻薬局の攻撃の第二の矛先は “薬物とその見分け方・悪影響について教える教育キャンペーン”を通じ、一般大衆にカナビスの危険性を知らせることに向けられた。 麻薬局は、社会の関心がいっそう大きな州や都市の努力を促すことを期待して次のように述べている。
この問題に対処するための連邦法がないので、当然、州や都市がこの人殺し草(lethal weed)の絶滅のために 積極的な方策を講ずるべきである。従って、社会協調精神を持ったすべての市民が財務省の提唱する運動に熱心に参加し、 マリファナ法の施行を強く嘆願することが望まれる。

麻薬局は自らの攻撃を省内の報告内の勧告だけには限定しなかった。目的とする法の制定を求めて、 麻薬局がどのような方法をとったかは、全国統一の麻薬法に関するキャンペーンについて書かれている。 この統一州法の問題を扱っている多数の出版機関、例えば新聞社や雑誌社などの求めに応じて、麻薬局内にはいろいろな資料が用意された。 こうして麻薬法の行政の一助となるような知的で理解のある社会の関心が喚起され、維持されてきたのである。

カナビスに対する連邦法制定を求めるキャンペーンが成功裏に進むに従って、この問題の緊急性の意味を 社会に伝えようとする麻薬局の努力は多くの実を結んでいった。 一般雑誌に書かれたカナビス関連記事の数は(Reader's Guideの索引に載った数)記録的な多さになった。 マリファナ税法制定前の2年間には、17の記事が書かれたが、この数はその前後の同期間に比べて非常に多い。

 


17の記事のうち10は、資料を麻薬局の助力で得たことを明らかに認めたり、あるいは以前の麻薬局の出版物や マリファナ税法に関する公聴会に提出された資料をもとにした事実を載げていた。 新聞や雑誌の記事の取材に麻薬局が影響を与えていたことは、 最初に麻薬局から報告されたある残虐行為の物語が繰り返し取り上げられていたことを見てもはっきりわかる。 例えば、American Magazine に載った記事の中で、局長自身が次のような事件について述べている。
フロリダで若いマリファナ中毒者が家族全員を殺す事件が起こった。当局者達がその大量殺人のあった家に着くと、 若者は家の周りをよろよろ歩いていた。彼は斧で自分の父、母、二人の兄、妹の計5人を殺したのである。 彼はぼーっとしているようだった……彼は自分が大量殺人を犯した記憶を持っていなかった。 当局者は普段の彼が気の確かな、むしろ物静かな若者なのを知っていたが、そのときの彼はあわれなほど狂っていた。 みんなは理由を考えた。その少年は、友達が“muggles”と呼んでいたものをずっと吸っていたと語っていた。 “muggles”とはマリファナを意味する子供の用語である。

17の記事のうち5つがこの話を繰り返し取り上げていたが、このことは麻薬局から影響を受けたことを示している。 これらの記事は、カナビスを使うことが自制心を失わせ、価値観に対する冒とくになるとして、 カナビスの危険性を社会に知らせ“快楽”追求の禁止を訴えようとしたものであった。 こうして、社会が見守る中で、反カナビスの大宣伝が認められていったのである。もちろん、同じような価値観は、 アルコールやアヘン系ドラッグの快楽目的の使用を禁ずる法律の制定が求められた際にも現れたものであった。

それからの連邦麻薬局は、この問題を社会に知らせ、他の行政機関の動きと調整を取ることに大半の労力を費やした。 財務省の代表は、この成果を携えてマリファナ税法の草案を議会に提出し、法案の通過を求めたのである。 これを審議するために1937年4〜5月の5日間、下院の歳入委員会で公聴会が開かれ、この法律の実施方法や他の利益との 調整方法について具体的な案が公表された。

財務省の補佐官は議員達に対して、この法案を次のように紹介した。 「アメリカの大きな新聞は、この問題の重大さを認め、その多くがマリファナの取引をコントロールしようとする 連邦法の制定を支持している」。次に彼はこの法案の憲法上の土台を説明し (ハリソン法と同様に、税制条令として組み立てられていた)、合法的な事業に対して不利益にならないことを説明した。
しかしながら、この法案の形態は、植物の産業・医学・科学上の利用に対して何ら妨げになるものではない。 麻の繊維やそれから作られる製品(麻糸や細い縄)は、成熟した植物の害のない茎から作られるので、 この法案の条文の中では“マリファナ”という用語を、成熟した茎及びその混合物・製品とは切り離して使うことにして、 これらの製品の全てを法の及ぶ範囲から完全に除外できるようになっている。 また、マリファナの種子も、栽培目的や、塗料業者が塗料やその溶剤の基になるオイルをとるために使われ、取引されているが、 種子は茎と違い、マリファナ成分を含んでいるので、残念ながら完全に除外することはできない。

さらに彼は、医学関係ではめったにこの薬は使われず、禁止しても医学関係者や製薬会社には何の影響も与えない と説明した。

委員会のメンバー達は、この案を受け入れるかまえを示し、実際に、局長に対してなぜこの時点でこの法案を提出したのか 問いただしている。これに対し、局長は次のように説明した。
『10年前は、南西部あたりでしかこの問題を耳にしませんでした。しかし、ここ2〜3年の間でマリファナが 国家的な脅威になってきたのです。……われわれはいくつかの州で州法を統一しようとしてきましたが、 最後の州でその法が採用されたのがつい先月なのです』

局長は、フロリダの大量殺人などの例をあげて、カナビスの影響下で多くの犯罪が犯されていることを報告し、 また、それまでは10セントという低価格で、誰でもカナビスを手に入れることができるために、危険性が倍加している、 と指摘している。

カナビスの種子からオイルを作る生産者から、法案の用語についてある反対意見が出たが、 それはすぐに彼らの特別の用語と合うように変えられた。しかし、もっと激しい反対が、小鳥のえさの生産者から出てきた。 当時は、1年間に400余万ポンドの種子が小鳥のえさとして使われていたのである。 生産者の代表は、会議の終わる間際になって現れたが、議員達に遅れた理由を次のように説明してわびた。 「わたしたちは、つい先ほどまで法案の対象となるカナビスが、自分達の製品の主成分になる植物と同じものだとは 気づかなかったのです」だが、政府側は、種子には少量の活性成分があり、従って、吸われる可能性があるので、 通常のカナビス・スモーカーが使っている頂芽と同様に種子も禁止しなければならない、と強調した。 これに対し小鳥のえさの業者達は、法案の条項に種子を加えれば自分達の仕事にダメージになると主張したのであった。 生産者側の代表は、免除要求の正当性を主張するために、ハトに対するカナビスの種子の有用性を指摘した。
『この種子は、ハトのえさには欠くことのできない成分なのです。何故かと申しますと、ハトのえさの重要な成分 であるオイルを含んでいるからです。しかも、今までに、これに代わるような別の種子は見つけ出されていません。 もし、カナビスの代わりに別のものを使ったなら、小バトの性格が変わってしまう傾向が出てきます』

これに対して、北カロライナ州選出の Robert L. Doughton 議員は 「種子は人間に対するのと同じ効果をハトにも起こすのでしょうか?」と質問した。代表はこれに答えて 「今まで、そのような影響については気が付いたことはありません。でも、鳥に自分達と同じ種類の仲間を思い出させ、 鳥を改良する傾向を持っています」。

政府側はこのような激しい反対に会い、種子を不妊化することで無害なものに変えられるだろうと書いて、 種子の条項に対する強い姿勢を改めた。「不妊化を研究することが、産業に負担になるのなら、 その研究責任は政府にあるように思われる」。

いったんこのような障害が取り除かれると、法案はスムーズに進んだ。カナビス・スモーカー達は、力も組織もなく、 公に反対するだけの確固たるよりどころも持たず、公聴会に1人の代表も送ることができなかった。 したがって、彼らの主張・見解は記録に残っていない。翌7月、法案は何の反対も受けず、上下両院を通過した。 麻薬局の試みは新しい規則を生み、その後の行政は、新しいアウトサイダーであるカナビス使用者の出現を促すことになったのである。


2 マリファナ税法制定の背景

このようにして、カナビスを禁止する法律は作られた。法律制定の土台になった理由は、カナビスが犯罪行為を促し、 時には精神症を導くというものであった。(後に述べるように、当時はカナビスの使用がヘロインの使用を導くという考え方はなかった) しかしながら、現在という有利な地点から過去をふり返ってみれば、こうした悪評の多くは、 麻薬局の憶断から作り上げられたものであって、十分な証拠があったわけではなかった。 少なくとも、科学的といえるような調査は何も行われていなかったのである。 公聴会の時、アメリカ医学会(AMA)のWilliam C. Woodward 博士は1人だけ異論を唱えている。 彼はAMAの公式代表として発言することはできなかったが、法の処置があまりに敵意に満ちており、脅威を過大視しているので、 もっと調査が必要であり、刑務局や少年問題局などの政府機関等の持っている“基本的なデータ”を集め分析することが必要だ と述べている。だが、彼のこうした発言も結局は無視されてしまったのである。

1937年当時、カナビスに関し、少なくとも2つの総合的な調査報告書がすでに出ていた。 その1つは、1890年代にイギリスがインドで行った「インドカナビス委員会報告」であり、もう1つは、1920年代の「パナマ軍事報告」である。 前者は、800余人にわたる使用者・医者・精神医・宗教家等にインタビュー調査して、 1894年に完成した3000ページに及ぶ膨大な報告書であり、後者は、1925年に「パナマ運河地区総督委員会」が行った調査報告である。 両者の結論は、カナビスによる害が比較的少ないことを指摘し、麻薬局の見解とはまったく正反対のものであった。 しかし、こうした調査の結果は見向きもされず、まったく無視されたまま、半ば強引に法律は作られてしまったのである。

この強引さの背景には、当然、前節で上げた3つの価値観が土台にあったことが考えられるが、 一部の人達が指摘しているように、その他にも禁酒法やハリソン法の場合とは多少異なった要素が働いていたようだ。 実際、禁酒法やハリソン法の制定過程とマリファナ税法の制定過程には、明らかに大きな質的な違いがある。つまり、
(1)マリファナ税法制定4年前に禁酒法が廃止されていること。
(2)禁酒法やハリソン法の場合、対象になった人は、有色人種ばかりではなく多数の白人が含まれていたが、 マリファナ税法の場合は主に有色人種であったこと。
(3)禁止を求める運動が社会の内部から出てきたものではなく、麻薬局が率先して世論操作をしていたこと。

などである。

実際、マリファナ税法ができた1937年という年は、禁酒法時代(1919〜1933)の終わった年の4年後であるが、 この時期的な関係は必ずしも単なる偶然だとは割り切れない。なぜなら、麻薬局と新しく復活したアルコール産業は、 30年代に入って増え出したカナビスの使用を押さえつけ、自分達の生活を守る必要があった、と考えられる節があるからである。 つまり、麻薬局の役人達は、アルコールの解禁により自分達の仕事が減ってしまったので、 (パーキンソンの法則に従って)新たな仕事の対象を探さなければならなかったし、また、アルコール業界にしてみれば、 カナビスの使用が増加すると、アルコール飲料の販売に対して大きな打撃になるので、 カナビスの禁止を政府に働きかけたというわけである(現在でも、アルコール業界は反カナビス派の代表的な存在である)。

さらに、一部の人達が主張しているように、麻薬局が中心に始めた世論操作は、白人の倫理観のうらにある 魔女狩り的な性向とぴったり波長が合っていたようである。そこに麻薬局の世論操作が成功した理由があろう。 魔女狩りを行う側は、その対象の本質・真実がいかなるものであれ、ともかく自分達の倫理観に合わないことは悪だとして 自分達の正義を押し通そうとし、またそれが社会の善だと思い込んでいる。 もし、そのような人達が多数を占めれば理不尽とも思われるような主張が当然のこととして通ってしまうのである。 こうした様相は、マリファナ法の場合ばかりでなく、質は多少異なるが、禁酒法の場合にも現れている。 実際、禁酒法は、田舎のプロテスタントが都会のカトリックの生活様式に反感を持ち、前者がプロテスタントの倫理観を基に 後者の飲酒習慣に魔女狩り的断罪を科せたものだと言われている。

これに対してマリファナ税法の場合は、白人が非白人、例えば黒人やメキシコ系移民のカナビス喫煙の習慣を、 単なるプロテスタントの倫理観からからばかりではなく、非白人に対する偏見・反感から、魔女狩り的に断罪したわけである。 つまり、白人達は、カナビスを非白人のドラッグとみなし、カナビスが白人社会を冒さないように警戒すると同時に、 非白人のカナビス喫煙の習慣そのものを断罪したのである。 このことは、人種偏見の特に強い南部の州には、カナビスの売買に対して最高終身刑あるいは死刑を科すところがあったという 事実をみても分かる。このような側面は、禁酒法の場合とはだいぶ異なった様相を示している。 当時、麻薬局が白人の魔女狩り的性向をストレートに喚起し、簡単に世論を操作できた理由の一つもここにあったのかもしれない。


3 ラガルディア報告

マリファナ税法の制定により、麻薬局が作り出した大きな流れは、さえぎるものもなく、より大きな流れとなっていった。 だが、その中でニューヨーク市だけは、少々違った反応を示した。当時、ニューヨーク市長だった Fiorello LaGuardia は、 カナビスに対する悪評を無判断に受け入れることを拒み、伝説よりも真実を知ろうとしたのである。 彼は「ニューヨーク市におけるマリファナ問題」通称、ラガルディア報告書の序文で次のように書いている。
ニューヨーク市長としての私の努めは、市民の健康・安全・福祉に対して、害になりうるようなことを予見し、 それを未然に防ぐようにすることである。最近、学童さえも含めて市民の多数がマリファナを吸っていると言ううわさが流れているので、 私は、医学的な重要問題が起こったときいつもするように、ニューヨーク医学会のアドバイスを求めた。 私は、学会の勧めに従ってマリファナに対する徹底した社会学的・科学的な研究を行う特別の委員会を選任し、 この研究の資金として3つの財団から基金を確保した。

私が初めてマリファナに関心を持ったのは、何年も昔、私が下院議員だった頃、 議員としてパナマに赴任する兵隊達の間でのマリファナ使用について聞いた時であった。その時私は、この薬が比較的無害であり、 パナマ地区における非行や犯罪に、せいぜいほんのわずかしか関与していない、という軍の調査委員会の報告に強い印象を受けた。……

マリファナ税法が制定されてから約1年後、国際的に名の知られたニューヨーク医学会は、 ラガルディア市長の要請を受けて、ニューヨーク市におけるカナビス問題の総合的な調査を行うために、 偏見のない科学者達で小委員会をつくった。 本格的な調査は委員会を拡大し、1940年の4月に始まり、最終的な報告は1944年にまとめられて出版された。 この研究は次の2つの部分から構成されている。
(1)社会学的研究――カナビス喫煙習慣の拡がり方とカナビスの入手方法;どの地区のどの人種・階層・人間のタイプに最も多いか; ある特定の社会状況がカナビスを使わせる要素になりうるか; カナビスの使用と犯罪行為・反社会的振舞いとの関連はどうか。
(2)臨床的研究――人間に対するカナビスの生理的・心理的効果;肉体的・精神的な異常を生じるか; 他の薬物耽溺に対する治療法上の可能性。

社会学的研究は、特別の訓練を受けた警察官の協力を得て、実際にカナビス・スモーカー達が生活しているところに 入り込んで調査された。臨床研究はゴールドウォーター・メモリアル病院の医師達によって行われた。 被験者(囚人)達には、普通のマリファナ・シガレットや活性抽出物質が与えられ、生理学的・心理学的なテストがくり返された。 212ページに及ぶ総合調査結果を要約して、委員会の委員長ジョージ・B・ワレス博士は次のように述べている。
カナビス・スモーカーの振舞いは、ほとんどの場合、友好的で社交的である。攻撃性や好戦性は普通見られない。……
カナビス・スモーカー達は、はっきりとした犯罪グループの出身ではなく、また、カナビスと暴力犯罪との間には直接的な関連は 見られない。……
“Tea-pads(カナビスが吸われるアパートなどの室のこと)”は、売春宿とは直接的な関連を持っておらず、 また、カナビス自体は性的欲求に対して特別な興奮効果を持っていない。……
ニューヨーク市の学童達の間では、組織的な取引きは行われておらず、このグループの喫煙は限定的で 孤立したものである。……
モルヒネの禁断現象に比べれば、カナビスはなんの精神的・身体的苦痛も伴わずに、その使用を中断することができる。……
カナビスは人間の基本的なパーソナリティーを変えることはない。カナビスは抑制力をゆるめるので、潜在的に持っている考え方や 感情を引き出すが、カナビスを使っていない時の性格とまったく異なった性格を引き出すようなことはない……。
カナビスに耐性があることを示す証拠はない。……
研究全体としては、カナビスがモルヒネのような耽溺性の薬ではなく、もし、耐性があったとしても 非常に限られたものである、という結論が得られた。さらに、何年間もカナビスを吸っている人達でも、 薬のためだと思われるような精神的・身体的な異常は何も示さない。……
カナビスによってもたらされる抑制力・抑圧のゆるみ、多幸状態、相応性、思考のより自由な拡がり、食欲の増加等は、 治療法上の可能性を示唆している。……

ラガルディア報告は、出版される前から、カナビスの脅威を主張する人達の間から激しく非難された。 一時は、この報告書が発禁にされるのではないかと言ううわさも流れたが、結局、1944年に予想よりかなり遅れて 出版されることになった。だが、出版された後でも、やはり激しい非難が浴びせられたことに変わりはなかった。 1945年4月28日号のJAMAの誌説は普通、学会誌などで見られぬような言葉と論調でこの報告書を激しく非難している アンスリンジャー麻薬局局長の手紙を載せている。
長年、医学者達は、カナビスを危険なドラッグであるとみなしてきた。 最近、「マリファナに関するニューヨーク市長委員会」によって作成され、77人の囚人に対して17人の医者達が行った精神分析の結果 をあつかった『ニューヨーク市におけるマリファナ問題』という本が出版されたが、このように狭く、 全く非科学的な基盤に基づいたものなので、この本は、マリファナの害を過小評価し、おおざっぱで不適切な結論を引き出している。 この本はすでに社会に悪い影響を与えている。ある研究者は、マリファナを吸っていた16歳の息子を持つ悲劇的な両親のことを 述べている。その少年には、時々、両親の素人目にも分かるような著しい精神の悪変が見られた。 両親は、彼がマリファナを吸っていることに気づき、彼を医者のところへ連れていったのである。 少年はラガルディア報告についての記事が載っていた雑誌を読み、それがきっかけになってマリファナを吸うようになったと言っていた。 この雑誌は Down Beat という音楽雑誌で“Light Up, Gates, Report Finds ‘Tea' a Good Kick” 「ティーを吸おう。ラガルディア報告書は、ティーがグッド・キックであることを認めた」というタイトルでこの報告書について 論じたものであった。

マリファナを売っていてつかまった被告の弁護をしている或る刑事弁護士は、被告の無罪を立証するものとして、 すでにこの報告書を使っている。

この本は不当にも、この麻薬が身体的・精神的・道徳的な頽廃をもたらさず、さらに77人の囚人からは連続使用による 永続的な悪影響が見られなかったと述べている。このような発表は、すでに法の施行目的に対して大きなダメージを与えている。 しかし、行政の担当者達は、この非科学的で無批判な研究を無視し、社会のどこにマリファナがあろうとも、 脅威として見なし続けることが望まれる。

だが、こうしたJAMAの主張こそ現実離れしているものであった。 実際、現在ではカナビス使用者が増加しているにもかかわらず、精神病院に入院する者の数は、普通の人に比べて 特に多くはなっていないのである。その後、数々の調査がラガルディア報告の正しさを確認し、現在では、 この報告書は過去アメリカで行われたうちでもっとも科学的なカナビスの研究であると見なされるようになったのである。 その後、この研究の抱えている方法論的な問題もいくつか指摘されているが、研究の結論の大筋を変えるほどのものではない。



4 カナビスに対する麻薬局の見解の変化

ラガルディア報告は、カナビス反対派の人達から繰り返し非難されたが、だんだんと認められるようになっていった。 だが、麻薬局は以前からの主張、つまり、カナビスが人殺し草であり、殺人や精神病をもたらす強力な麻薬である、 という主張をなかなか撤回しようとしなかった。

しかし、こうした嘘がいつまでも続くはずもなかった。50年代に入り、カナビスについての正しい知識が少しずつ 知られるようになってくるに従い、麻薬局の主張の化けの皮がはがされることになった。 そこで、麻薬局は、カナビスを押さえつけておくために、新たな理屈を用意しなければならなくなったのである。 1956年、麻薬局は、カナビスと犯罪との結びつきについて以前のような主張をしなくなる代わりに、 カナビスの真の危険性はそれを使用しているとヘロインを使うようになってくることだ、と主張するようになった。

マリファナ税法が制定されてから18年後、「1956年麻酔薬取締法」の公聴会で上院のプライス・ダニエル議員は、 アンスリンジャー局長に対して、次のような質問をした。
『マリファナについてあなたと話していたとき、マリファナ使用の真の危険性は、多くの人が徐々にヘロインなどの 本当の耽溺性薬物を使うようになってくることだと伺いましたが、本当でしょうか?』

アンスリンジャーはこの質問に次のように答えている。
『それが最大の問題です。マリファナの使用に関してわれわれが持っている最大の関心は、 長い間マリファナを使っていると、徐々にヘロインの使用に陥るということです』

だが、これに対して、18年前のマリファナ税法に関する公聴会の時、麻薬局はこうした見解とは全く逆の証言をしていたのである。 当時、ジョン・ディンガル議員は、アンスリンジャーに対して、次のような質問をしている。
『マリファナ中毒者がヘロインやコカインやアヘンの使用者へと進むかどうか怪しい気がしますが?』

これにこたえてアンスリンジャーは、 
『ええ、私もそのような例は聞いたことがありません。それらは全く別のものだと思います。 マリファナ中毒者はそういう方向には進みません』

それから数ヵ月後、再び彼は上院の小委員会で次のようにも述べている。
『マリファナを使っている人たちは、まったく新しい層の人たちです。アヘン使用者はだいたい35〜40歳であるのに対し、 彼らは20歳ぐらいでヘロインやモルヒネについては何も知りません』

このように、カナビスとヘロインとの関連は、当初否定されていたが、後に強い関連があると主張されるようになったのである。 これとは逆に、当初強調されていたカナビスと犯罪との関連は、後にアンスリンジャー自らが否定的な証言をして たち切えになってしまった。1956年の公聴会で、アンスリンジャーはヘロインとカナビスの関連を強調した後、ウェルカー議員の
『アメリカで起こった最もサディスティックで恐ろしい犯罪、例えばSEX殺人とかそういったたぐいの犯罪の多くが マリファナ使用者のせいにされてきましたが、それは本当のことなのですか?』

という質問に答えて、次のように答えている。
『今までそういう例がありました。われわれは、マリファナの使用者たちによる悲惨な事件をいくつか経験しました。 ですが当然、すべての犯罪をマリファナの影響だと考えることはできません。 今まで、多くの野蛮な犯罪がマリファナのせいにされてきましたが、私には、犯罪を行うに当たって、 マリファナが支配要素(controlling factor)になっていたとは思いません』

実際、マリファナ税法制定のときに、カナビスが原因だとして何度も主張されたフロリダの大量殺人は、 後に、犯行とカナビスの使用を結び付けるような明確な証拠はなかったことが明らかにされた。しかも、この事件の説明にあたっては、 次のような事実が見落とされていたのである。(「米国カナビス委員会1971〜72」の報告書86p)
(1)以前に、この少年の親類の何人かが精神病院に入れられたことがある。
(2)犯行の1年ほど前(たぶん、若者たちのカナビス使用が話題になる前)警察は彼が異常な振る舞いをするので 拘禁しようとしたことがある。
(3)犯行の直後、彼はパラノイド型の精神分裂症の症状を示し始めたのである。

このように麻薬局は自らの見解を180度転換し、カナビス攻撃の矛先をヘロインとの結びつきの中へ求めていったのである。


5 カナビス使用者数の推移

1956年、新しい「麻酔薬取締り法」が制定され、カナビスに関する罰則も強化された。 と同時に、麻酔局の人員と予算は大幅に増加し、取締まりはますます厳しくなり、カナビス逮捕者数はアメリカ史上最も少ない時期 を迎えることになった。1960年には、連邦法による逮捕者数は、わずか169人まで減り、ほとんど根絶状態になってしまったのである。


この時期の州法による逮捕者数については詳しい統計がないようだが、1954年度の全国主要都市での逮捕者数は、 麻薬局より3,205人と発表されている。実際は、都市部以外での逮捕者数も加えられなければならないが、 だいたい、連邦法と州法を合わせた全逮捕者数は4,000人前後とみてよいだろう。この数から類推すれば、1960年の最低時には、 全逮捕者数はおよそ1,000人前後になるだろう。

この時代のカナビス使用者は、主にハーレムの若い黒人やラテン系のアメリカ人、メキシコ系の移民であり、 社会的にも拒まれた、身分の低い人たちであった。だが1960年を境にして、カナビスに関する様相は徐々に変わり始め、 大学生を中心に白人の中産階級の若者たちがカナビスを使うようになっていった。 1965年以降は、数年前にはだれも予想しなかったほど、カナビス使用者は急激に増加し、社会の状況は一変することになる。

関税局によるカナビス逮捕者は1965〜70年の5年間に362%(3.62倍)増加し、主に売買関係を取締まっている麻薬、 危険薬品局(旧麻薬局)による逮捕者は、1965〜68年の間に80%増加した。 さらに、カナビス所持に関する取締まりの大半を扱っている州法による逮捕者は、1965〜70年の5年間になんと 1000%も増加したのである。


1960年と1970年の逮捕者数を比較してみると、10年間でおよそ200倍に増えたことになる。 このことひとつみても、カナビスに関する状況が一変したことがはっきり分かる。急増した原因の分析は次節で行うことにして、 ここでは近年の状況をもう少し詳しく述べておこう。 種々の調査結果の典型的な例を少し上げると、69%の大学生(1968年スタンフォード大)、 30%の高校生(1967年、カリフォルニアの高校)、大人の10%(1967〜69年、カリフォルニア市)がカナビス体験者である。 また「米国カナビス委員会1971〜72」の報告によると、アメリカ人全体では15%(2400万人)がカナビスを試みたことがあり、 そのうち800万人が常用者である。年齢別にみると、カナビスの使用者は圧倒的に若者に多く、 18〜21歳の若者では40%が、大学生では51%がカナビス体験者である。


しかしながら、これらの数字は完全に正しいとはいえない。というのは、ほとんどの調査がインタビューや 質問形式で行われたもので、全体を代表しているとは限らないからである。どちらかといえば、報告された数字は低くなりがちであろう。 現在では、国会議員やその子供、一部の警察官でさえ、カナビスを吸うようになってきた。 5年ほど、ある上院議員の側近としてワシントンにいた人は、次のように述べている。
『どこでもやっていますよ。司法省でも、ホワイト・ハウスでも、議会でも。吸っている人を全く知らない上院、下院議員 なんていません。私が個人的に知っている上院議員たちは、マリファナを吸う子供を持ち、また本人たちも家で吸ったことがありますよ』 (Rolling Stone 誌 1972.5.11号)  



6 カナビス使用者急増の原因

では、一体なぜカナビスを使う人がこのように増えてきたのであろうか? 特に、以前は全くカナビスなどに縁のなかった白人の中産階級の若者たちがなぜカナビスを吸うようになったのであろうか?

おそらく、その源は50年代に始まったビート・ジェネレーションにさかのぼることができよう。 ご承知のように、ビートニクは、過去の偏見や価値観にとらわれることなく、新しい人間の生活の意味を求め、 いわゆる社会からドロップ・アウトしていった人間であった。彼らの内的な探求心は、カナビスをまったく新しい目、 偏見のない目で見始めたのである。彼らは以前のカナビス使用者たちとは異なり、カナビスを“知的な媒介物”として考え、 詩や小説や音楽を通じて、カナビスを取り上げ、カナビスに知的な後ろ盾を与えたのである。

彼らの読者でありファンである大学生を中心とした若者たちは、自分たちが敬愛するビート芸術家たちの作品を通じて、 カナビスの真の姿を徐々に感じとっていったのである。こうして得た知識は積極的にカナビスを試してみようとする 気持ちにまではならなくとも、強い拒絶反応を引き起こす原因になっていた先入観・偏見を弱める役割は十分に果たしたはずである。 このようにして、カナビスを受け入れる素地は徐々に出来上がってきた。

また一方、ハーバード大学のティモシー・リアリーは、1960年8月にメキシコで初めてマジック・マッシュルームを食べ、 深い宗教的な体験をしていた。その体験は、彼を一連の“幻覚剤運動”へと駆り立てたのであった。 その年の末、彼は後輩のリチャード・アルパートとともに大学の内外でLSDやシロシビンの実験を始め、 学生らとともにセッションを行った。彼らの試みは、徐々に全米の大学に飛び火し、 カナビスの使用にも1層大きな影響を与えることになった。

カナビスを使う人が確実に増えていく一方では、カナビスの安全性を確認する研究がいくつも発表されるようになり、 若者たちは麻薬・危険薬品局のいうことなど信用しなくなってきたのである。 ボブ・ディランやビートルズはカナビスやLSDを賛美する歌を歌い、若者のヒーローになり、またサイケデリックアートが生まれ、 新聞や雑誌もマリファナを大きな問題として取り上げるようになった。 また“マリファナ”という言葉は、どの家庭でも使われるきわめてポピュラーな言葉になり、親たちは、 自分の子供がカナビスを吸っていないなどと断言できなくなってしまったのである。

1965年以降のカナビス使用者数の急増はまことに目覚ましいものであったが、 この時期とベトナム戦争の激化していった時期とが一致していたために、日本ではもっぱらカナビス使用者急増の原因は ベトナム戦争のせいだと考えられてきた。しかし奇妙なことに、アメリカの本や雑誌などでは、 そのような議論はあまり扱っていない(少なくともあまり見かけない)。確かに使用者の増加とベトナム戦争、社会の矛盾、 人口過剰、人種間の争い、核戦争の脅威などを切り離して考えることはできないかもしれない。 だが、このことを必要以上に強調するのは必ずしも正しいとは思えない。実際、ベトナム戦争や人種問題などの社会不安とは 直接関係のないヨーロッパの福祉国家でもカナビスの使用は急増してきているし、 またカナビスの使用がもっぱら若者たちの間に広まり、大人たちの間にはあまり広まっていないことを考えると、 その理由を単純にベトナム戦争や人種問題と結び付けることはできないのである。

このことは、また、ある人がカナビスを吸ってみようと思い始める動機を考えても分かる。 カナビスを始める動機はほとんどが好奇心なのであって、ベトナム戦争や人種問題などとはあまり関係があるとは思えない。 実際に、ベトナム戦争や人種問題に悩んだ末にカナビスを吸い始めたなどという人はいったいどれだけいるというのだろうか。 ベトナム戦争や人種問題などが、カナビスの使用者を増加させる要因になっているとしたら、 それは世代の断絶に伴うカナビスのシンボル化のせいであろう。カナビスを吸うことは、大人たちに対する不信の意思表示に なってしまったばかりではなく、そのまま大人たちの偽善さを暴く行為になってしまった。

つまり、若者たちはカナビス体験を通じ、本当はカナビスが安全なドラッグであり、カナビスを吸ったことのない大人たちの言うことが いかに誤解と偏見に満ちているかを体で感じることができたのである。 もともと、カナビスの持っている平和的雰囲気と反戦活動とが結びつく可能性は十分にあったわけだが、 その一方では、カナビスに対する偽善さを構成する大人たちの論理がそのままベトナム戦争の論理の偽善ぶりを認識させる結果に なってしまったのである。そこに、カナビスが若者たちの反戦、反抗、反体制的シンボルとして取り上げられたわけである。

さらに、また、世代の断絶の一因ともなっている、現代の物質至上主義に対する反発も見逃せない要素である。 居心地のよいはずの中産階級の若者たちがカナビスを使うのは““精神的な豊かさ”を求めているからだといわれている。 これは物質文明、精神の荒廃を反映したものかもしれない。 この意味からすれば、カナビスの使用は“精神の貧しさからの脱出”であり、“新たな豊かさへの欲求”なのである。 このことは、若者たちがなぜアルコールへと赴かずに、カナビスへ赴いていったかを説明してくれるだろう。 アルコールは意識を鈍らせるが、反対にカナビスは意識を拡大するので、新しい価値観を作る触媒になる可能性を持っている。 単なるフラストレーションの発散であるのなら、ことはアルコールで済んでいたはずだし、 カナビスの使用がこれほどまでに急増する必然性はなかっただろう。

だが、何よりもカナビス使用者増加の大きな要因になったのは、カナビスに対する陰湿な偏見、伝説が 人々の頭の中から消え、カナビスが比較的安全なドラッグであることをみんなが知るようになったためであろう。 なぜなら、もしカナビスが本当に人を気違いにしたり、ヘロインにまで引きずり込む性質を持つドラッグであったのなら、 ふつうの人は、カナビスが目の前にあっても、好奇心より抑制心の方が先に立って手を出したりしないからである。 人々はカナビスが安全なドラッグであることを知っているから、好奇心が容易に抑制心に勝ち、初めて試してみる気になるのである。

また、このことはカナビス使用者がなぜ若者に多いのか説明してくれるだろう。 若者たちは、大人たちとは異なり、30〜50年代の麻薬局のカナビスに対する猛烈な悪宣伝の波を直接かぶっていないばかりか、 彼らのヒーローのメッセージを、あるいは友達の話から、カナビスの本当の姿を知る機会をいくらでも持っているのである。 一方、大人たちがいまだにカナビスに対して陰湿なイメージを持ち、カナビスが安全なドラッグであることを知らないでいる。 実際、ギャラップの調査などによると、カナビスを危険だと考える人の数は、年齢とともに増えていることが示されているが、 このことは、30〜50年代の麻薬局の宣伝効果がいまだに大人たちの頭の中に根強く残っていることを示している。 この差がそのままカナビス使用者の年齢分布を決定している。




7 合法化へ向かって

1960年代後半の爆発的なカナビス使用の増加に伴い、70年代には、カナビスに対する新しい展開が始まった。 つまり、罰則の緩和、および合法化へ向けての要求である。カナビスに関する賛否両論の猛烈な議論の中で、 両者の意見が一致しているところがあるとするならば、それは、現在の法の罰則が不当に厳しいという意見である。 法律はもともとカナビスを麻酔薬であるとみなして作成されているので、罰則が厳しかったのも当然であったかもしれない (1970.1月現在でも34州がカナビスを麻酔薬として扱っている)。

しかし、カナビスはもともと麻酔薬ではなかったので、次第に不合理、不公平が目立ってきたのもまた当然であった。 実際、現在では、カナビスを取締る理由も以前とではまるっきり変わってきている。 以前はカナビスと暴力・ヘロインとの結びつきが取締りの最大の理由であったが、それに妥当性が認められなくなった現在では、 反対理由は次の点に移っている。
(1)バッド・トリップ---情緒不安定の人に危険である
(2)精神病---バッド・トリップの激しい形態であって発狂することもある
(3)危険なドラッグへの踏み石---LSD、アンフェタミン、バルビツール酸誘導体の使用を促す
(4)精神的依存性---特に未成年に対する影響
(5)野心の喪失---大望や率先力が失われる
(6)長期使用による害の可能性
(7)国際条約の無視---カナビスを合法化すれば、1961年に67カ国によって締結されたカナビスの輸出入・国内販売の禁止 を決めた条約を破ることになる。

だが、これらの主張は、以前の主張に比べればいずれもそれほど強いものではない。 確かに、これらの主張が完全に的はずれであるとはいえないかもしれないが、カナビスを禁止しておくに足る理由になるかどうかは 大きな疑問である。これらの理由でカナビスを禁止しておけるのなら、アルコールやタバコも含めて、ほとんどすべての薬品が 禁止されなければならなくなるだろう。最後の国際条約の問題は、条約がアンスリンジャーを中心として作成された過去の遺物である ことを考えると、アンスリンジャーの主張が認められなくなった現在、廃止されるのが道理である。 いずれにしても、以前のような決定的な反対理由はなくなってしまったのである。

したがって、罰則の緩和が求められたのも当然のことであった。今では政府も連邦法を変更し、 カナビス所持初犯者に対する罰則を、重罪から最高1年の軽犯罪にしている。いくつかの州でも、それに合わせて州法を改めている。 例えば、アメリカ国内で最も寛大な州法を採用したネブラスカ州では、半ポンド(250g)以下の所持で逮捕された初犯者に対しては、 他の囚人と離れたところで7日間の拘留とドラッグの危険性に関する講義が科せられる。 さらに罰則のいまだに重い州も含め、多くの裁判所は、初犯者に対しては執行猶予付きで釈放するようになっている。 これと同じ傾向は、連邦法による逮捕者の裁判処理傾向にもはっきりと表れている。


しかしながら、もっと重要な傾向は、少なくとも所持に関する限り、黙認あるいは法的に認めてしまおうとする動きである。 その最大の原因は、使用者が増えるにしたがって、その犠牲もまたは大きくなってきたことである。例えば、
(1)1969年、カリフォルニア州だけで60,000人がカナビス関係で逮捕され、その告訴費用は約1億ドル、 または裁判官や保護観察官(刑の宣言または執行猶予中のものを監督する人)はカナビスの法律を施行するのに2割の時間を 費やすほどになってしまった。
(2)その結果、他の犯罪に対する労力が損なわれることになった。
(3)若者たちを機械的に犯罪者にしてしまうことで若者たちは良心の呵責を感じなくなってしまい、 法全体を軽視する傾向が生まれてきた。
(4)親子間、世代間の不信感を助長し、カナビスが断絶のシンボルになってしまった。
(5)カナビス使用者たちを、危険な密売人に近づけ、危険なドラッグとの接触を余儀なくさせてしまった、等々。

これに対して、法の施行によって、暴力犯罪を抑制できるわけではないし、世代間の断絶が縮まるわけではないので、 マイナス面ばかりが大きくなってしまったのである。さらに、このことと並行して、カナビスに関するいろいろな研究が、 法以前の問題として、カナビスの安全率の高さを次々に明らかにしていったので、 取締り理由の根拠そのものがなくなってきてしまったのである。ここに、法のあり方そのものを疑問視する見方が出てきたのも 当然であろう。

その中でも最も目を引くのが、1972年3月に発表された「米国カナビス委員会 1971〜72」の報告である。 その勧告案はカナビスの使用を完全に合法化しようとする一歩手前のところまで行った。 その骨子は次のような3つの基準からできている。
(1)カナビスの個人的な所持と使用は合法。
(2)1オンス(27g)以上を公然と所持していた場合、およびカナビスを公然と使用した場合は没収または罰金。
(3)金銭を得ることを目的とした栽培、売買は従来通り重罪。

要するに、カナビスを禁止することなく、その使用を抑制しようとする考え方である。 もともとこの委員会は、委員13人のうち9人までがニクソン大統領の人選で選ばれているために、保守的な傾向が強く、 内容が多少不調和でもこの程度の勧告がせいいっぱいだったのかもしれない。 しかし、少なくとも政府の委員会が、カナビスを法で取締ることの不合理性を認めた点では新しい展開であった。

また、1972年の大統領選挙の1つのテーマに、カナビスの合法化問題が取り上げられた。 ニクソン元大統領に限ればすぐに合法化に応じる気配はないが、マクガバン候補は、委員会の勧告を支持し、 少なくとも所持で罰することはやめると主張していた。さらに、上院議員では、マッカーシーやチゾルム、スポックら をはじめとする有力者たちが、カナビスの完全な合法化を主張している。 いずれにしても、カナビスの合法化を主張する大統領候補や議員が出てきたことは、かつてなかった新しい注目すべき展開である。

また「麻薬・危険薬品局」自体の見方もだいぶ変わってきている。以前この局のNo.2であった ジョン・フィンレーター(60歳)は「われわれは、マリファナを吸ったからといって人々を投獄したりするのはやめるべきだ」 と述べている。また、彼が個人的に語ったところによると、局長自身は、合法化が避けられないことを認めており、 現在のカナビス逮捕者を勾留するのは妥当ではないと考えているという。

確かにマリファナ法の長い歴史を顧みると、現在の歴史が進んでいる方向は明らかである。 つまり、合法化への方向である。以前の憶測とは異なり、カナビスに関する研究は、詳細に行えば行うほど、 カナビスの悪害を見つけ出すのがますます難しくなってきたように思える。以前は、いい加減な調査結果でも、 それを取締りの理由にすることができたが、現在では、そのような調査結果はより詳しい研究で否認され、 取締りの理由を正当化することはできなくなってきた。

いずれにせよ、カナビスの合法化は時間の問題だろう。ある人は簡単に 「法学部の学生が知っているんだから、いずれは合法化される」と言っている。 しかし、合法化までにどれだけ時間がかかるかははっきりわからない。実際、最近のギャラップ調査によると、 81%の人が合法化に反対しているという。反対派の大多数が大人たちであるので、いずれこの数字は下がってくるだろうが、 その下がり方について確実なことは何も言えない。さらに、アメリカでは連邦法が合法化されても、州法で合法化されるまでは、 結局禁止されたままである。カリフォルニア州のように、州法の有無をかけて住民投票が行われたようなところもあるが、 多くの州は、国の合法化決定の後で、それに続くことになるだろう。だが全部の州が合法化されるまでにはさらに何十年もかかるだろう。

だが、物事の多くがそうであるように、意外と展開は早いかもしれない。“法律を変えるときか?”というテーマでカナビス問題 を取り上げた News Week 誌(1970.9.7)は、次のように述べている。
物事は時とともに変わるのである。それもほとんどの人が考えているよりも早く。かつてはマリファナと同様に全くタブーであった 堕胎を禁止する法律はすでに崩壊し始めている。結局、今日のポット・スモーカーたちは明日の法の作成者になるのだ。 マリファナの法律は、ここしばらく、まだ戻ってこない潮を待って座礁している船のように見える。