マラガ・マリファナ宣言

スペイン政府はつねづねカナビスの使用に対して寛容ではあるが、スペンインのユーザーや栽培者は、多くのヨーロッパ諸国のようなグレーなやり方ではなく、明確にコントロールされた政策を望んでいる。

しかしながら、カナビス消費者としてカナビスを自由に吸う権利を求めて立ち上がらない限りはどのような権利も手に入らない。マラガのカナビス合法化運動団体のARSECAは、2003年4月12日、意見を聴いてもらい、実際を見てもらい、試してもらうために集会を主催した。

カナビス合法化の宣言は「禁止と戦う5日間」という催しの最後に行われた。催しでは、ARSECAの調査委員のルル・ソリアノが集めた調査活動報告を展示し、会のスポークスパーソン、フェルナンダが4月10日に行われた現在のドラッグ政策と代替案という地方議会の討論会に加わった。

その後、幾人かの政治家たちがARSECA本部を訪れたが、以外なことに、フェルナンドが勧めたバッズを彼らは喜んで受け取って太いジョイントに巻き、みんなで和気あいあい吸いまわした。

宣言の日、マルスカと私は早々に出向き、イベントが開催されるマラガ・マリーナ・プラザに車で出発する前の最後の準備に加わった。

イベントのARSECAのスタンドで使う道具。デモ用の葉っぱは前夜メンバーが作成。

葉っぱやパンフレットの他にも、車には飲物や食べ物、さらに大きな氷の塊を積んで宣言会場に向かった。

フェルナンダは私たちを見付けるとすぐにバッグから古いシガレット・ケースを出した。中はスティキーなバッズが満載で、こともあろうに私のすぐ後ろに警官がいたにもかかわらず、いくつかを渡された。受け取らないわけにはいかなかったが。

素晴らしいセッティングの中でフェルナンダが開会の辞を述べた。マリファナ禁止に対する心暖まる抗議だった。

ARSECAのメンバーたちは最も良い場所にテーブルを出していた。氷の塊は、持ってきた飲物を冷やすためだった。

御覧のようにたくさんの人出。あらゆる階層の人たちがいた。私がジョイントを回した中には、弁護士、ジャーナリスト、エンジニア、ヒッピー、建設業者、カナビス栽培業者などもいた。おそらくハシシ・ディラーもいたに違いない。

音楽もたくさん演っていた。このステージはダム・ダムで太鼓のリズムでみんなを盛り上げていた。合わせてハシシとマリファナの香りが美しい広場に漂ったが、警察官たちが咎めるような様子は見られなかった。

最近では、ジョイントを巻くときにはいつもテーブルやしっかりした場所でやっていたが、見ているうちに、もっとワイルドに巻いていた時代を思い出して再びやってみた。

グロー・シュア(Grow South)のペペ・モリナとスタッフたちは横断幕を掲げていたが、そのうち下ろしてジョイントを巻き始めてしまった。

マラガ・テーブルトムから来たこのグループはとても有名。シンガーのロックベルトはフリークスだが、本当にすばらしい詩を書くすごい人。

ステージの合い間にジョイントを巻くフェルナンダ。

ジョイントに火をつけるマリスカ。ジョイントを巻いては小さなグループに差入れながらいつまでもあたりをさまよい回っていた。

声明を読み上げるフェルナンダ。その様子を娘さんがビデオに撮影していた。

この日の最後のグループはタンタトラムパ・バタクーダだった。ARSECAのメンバーたちと親しい友だちで構成された大人数のパーカッション・グループで、聴衆たちは残ったバッズに群がり、体全体を揺らして踊った。地面まで揺れていた。

メッセージを添えた葉っぱの看板は広場のすべての花壇に植えられていた。警察はフェルナンダに4時で止めるように要請したが、それはカナビスを吸っていることではなく騒音が理由だったらしい。ジョイントを吸い、太陽を楽しんだ集会は4時半まで続いたが、それ以降は小さなグループに別れて二次会に向かった。

どれもとてもすばらしい経験だった。スペインでは友だちさえたくさんいればなに不自由なくカナビスを吸うことができる・・・

一緒だった一人は、帰宅途中に市の自警団に車を止められ買ったばかりのハシシの塊(20グラム)を横取りされた。このことはグレーではなくきちんとした政策が必要なことを示している。

見た! 嗅いだ! 好きになった! このような集会はいつでも大歓迎。
ノル・ファン・シャイク。


http://www.hempcity.net/travelreports/malagamarihuanamanifestation/index.html