コーヒーショップ・チェックポイント裁判
オランダのドラッグ政策の試金石
Source: NRC Handelsblad
Pub date: 18, Mar 2009
Coffee Shop Trial a Test for Dutch Drug Policies
Author: Jan Meeus and Esther Rosenberg
http://www.encod.org/info/ COFFEE-SHOP-TRIAL-A-TEST-FOR-DUTCH.html
オランダで最大のコーヒショップであるツルネゼン市のチェックポイントのオーナーのメディ・ウィレムセンと数人の幹部たちが、現在、犯罪組織のメンバーとして裁判にかけられている。この裁判の結果によっては、オランダの従来のソフトドラッグ政策が非常に大きな影響を受ける。
ウィレムセンらが違法なカナビス栽培を奨励し、組織的なサプライ・チェーンを運営していたとして有罪になれば、さらに多くのコーヒーショップの経営者がギャングのリーダーとして起訴される可能性が出てくる。
バックドア問題
カナビスの使用を容認しているオランダの政策は、もともと大きなパラドックスを抱えている。コーヒーショップでは、一定の条件下では少量のカナビスを販売することができるが、一方では、その供給源になる大規模栽培や多量仕入れについては違法になっている。
こうした相容れない変則的なシステムのために、コーヒーショップの表側(フロントドア)では一人5グラム以内のバッズやハシシの販売が認められているが、裏側(バックドア)では販売用のカナビスを仕入れることが禁じられている。この奇妙な問題は、「バックドア問題」 と呼ばれている。
最近の政治状況の中で、この矛盾する政策は大きな火種になってきている。いずれの政党や政治家たちも矛盾を解消することを主張しているが、その方法については全く逆の方向性を目指していたりもする。
オランダの政権政党であるキリスト教民主連盟(CDA)の議員代表であるピーター・ヴァン・へール議員は、昨年の11月の党会議で、ソフトドラッグの容認政策を終結させてコーヒーショップを全面閉鎖すべきだと呼びかけた。この呼びかけは、ベルギー国境にある2つの街の市長が、ドラッグ・ツーリストによる迷惑を回避するために市内の8軒のコーヒーショップをすべて閉鎖すると決定したことを受けて出された。
これに対して、コーヒーショップを持つ他の多くの自治体の市長たちは、コーヒーショップへのカナビス供給を適正に規制管理するようにすべきだとして、コーヒーショップの閉鎖には反対している。その中には、閉鎖を決定した市に隣接するティルブルグやアイントホーヘンなども含まれている。
ドラッグ政策のテストケース
チェックポイント裁判で弁護を担当しているアンドレ・ベッカーズ弁護士は、今回の裁判がドラッグ政策のテストケースになっていると指摘している。
「裁判所が検察側の主張に同調するようなことになれば、現行のシステムに多大な影響をもたらす恐れがあります。すべてのコーヒーショップのオーナーたちはルールを厳守しなければならないことをよく分かっていますが、もし在庫が100グラムを越えたなら犯罪組織のリーダーとして起訴するという新しいルールがつくられれば、商売が成り立たなくなる可能性も出てくることになります。」
現在のコーヒーショップは500グラムまでの在庫が認められているが、ベルギー国境にあるチェックポイントでは、最盛期には3000人以上の外国人ドラッグツーリストが大勢押しかけて毎日10キロ以上のカナビスを販売していた。当然警察も在庫をオーバーしていることは判っていたはずで、2008年5月には強制捜査に入って店を閉鎖した。
検察側が提出した資料によると、チェックポイントのウィレムセンは90人の従業員を雇い、一週間の売上では60万ユーロ以上に達していた。もし、ウィレムセンが有罪になれば、2006年1月から2008年5月までに得た犯罪による資産は2800万ユーロと査定される可能性もある。
コーヒーショップは常に違法状態
アムステルダム大学の犯罪法のピーター・タック教授は、 裁判所が検察の主張を認める可能性は決して少なくはないと言う。教授によれば、コーヒーショップの経営は長い間オランダ政府によって容認されてきたとはいえ、法律の条文からすれば常に違法状態だった。
オランダの「あへん法」では大規模な売買や栽培を除けば、ドラッグの少量使用は認められており、売り買いや生産もできるようにはなっている。だが、コーヒーショップの経営で起訴されないようにするためには規制を遵守する必要がある。
コーヒーショップの遵守すべき規制は、基本的には公訴当局自身が設定したもので、可能在庫量や小売販売量の他にも,アルコールの提供禁止、ハードドラッグの販売禁止、広告の禁止、18才未満の若者の入店禁止などが設けられている。もし違反すれば、市長は店を閉鎖する権限を持ち、オーナーは起訴される。
タック教授は、「過去には、検察側が今回のようにコーヒーショップを犯罪組織として起訴したことはありませんが、私にはそのことのほうが驚きです」 と語っている。
ドラッグ・ツーリスト
これまで政府がコーヒーショップでのカナビス販売を受け入れてきた事実もあり、当然のことながら、販売のために栽培や輸送を行っていることを知らないはずはないので、裁判所がウィレムセン側の主張を認める判決を出す可能性もある。
たとえウィレムセン側に不利な判決が出た場合でも、国がドラッグ政策を変える決定をしない限りは、状況は変化しない。現在の連立政権の協定では、国境地帯のコーヒーショップの閉鎖には着手しないという合意が取り交わされている。だが、政治家たちの間では、国のドラッグ容認政策は地域のユーザーのためであって、ベルギーやフランス、ドイツなどのドラッグ・ツーリストのためではないという主張が共有されている。
これまでもドラッグ・ツーリストを締め出す試みもいろいろと行われてきたが、結果は入り混じったものになっている。マーストリヒト市では、販売をオランダ国籍の人に限定しようとしたが裁判で却下されている。また、ローゼンタール市とベルヘン・オプ・ゾーム市は迷惑ツーリストを締め出すために市内のコーヒーショップの全面閉鎖を計画しているが、目論見通りの結果が得られるという保証があるわけでもない。
コーヒーショップ向けのカナビス栽培や供給の禁止の撤廃を求める動きもある。実際、アイントホーヘン市は、コーヒーショップがチェックポイントのように大きくならないように、小さなショップをたくさんオープンすることを考えている。
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神話 オランダのカナビス政策、ヘロイン使用の蔓延が原因
1970年代にカナビスにどう対処するかを検討したバーン委員会でも、ソフトドラッグとハードドラッグの分離とともに、「ドラッグの地下経済への刑事対処方法をどうすべきか」 も問題になった。
ここで出てきたのがバックドア問題だった。当時のカナビスはレバノンやモロッコから密輸入されたもので、バックドアを認めることは国際的なドラッグの密輸入を認めることになってしまうために、時間をかけて様子を見る以外にやれることはなかった。
したがって、コーヒーショップは相変わらず地下組織から仕入れるしか方法はなく、結局、地下のディラーは何の打撃も受けずにかえって販売先が安定し、ハシシの取り締まりが緩くなった分だけ資金的に余裕ももたらした。
しかし、オランダにシンセミラ栽培がもたらされて広がった1980年代になると、バックドア問題の内容は以前とは全く違ったものに変化した。
オランダで本格的にシンセミラの栽培がはじまったのは、ワーナードがオランダで最初の公認コーヒーショップである「メローイエロー」を火災で失ってからアメリカにわたり、シンセミラの専門家の オールドエド をオランダに連れ帰った1980年以降のことになる。
ワーナードとオールド・エドがオランダでシンセミラを育てて売り始めてから市場はゆっくりだが確実に変化してきた。小さなビニールハウスから始まってやがてはオランダの家内産業といえるまでにビジネスは拡大し、コーヒーショップの仕入れの大半は国産のシンセミラに変わった。
このために密輸入に頼る七葉もなくなり、バックドア問題もさほど深刻な問題ではなくなった。ワーナードの「緑軍」シンセミラ・ゲリラはオランダに家内栽培という文化を生んだが、それはまたドラッグ流通にからんだ犯罪の75%を減少させることにもなった。 (ダッチ・エクスペリエンス 第4章 シンセミラ・ゲリラ と アメリカ・コネクション 1979-1997、 第5章 コーヒーショップ の バックドア)
オランダ政府と役人たちは、ハシシの卸ビジネスから派生する組織犯罪に対して仕事をしないで済むようになったのだから、ワーナードと国中のシンセミラ・ゲリラたちに感謝し、その機会を捉えてバックドア問題の解決に本格的に取り組むべきだった。
しかし、1990年代後半の労働党のコック政権は、栽培の合法化を求める声には理解を示しながらも、増えすぎたコーヒーショップの整理に重点を置いた政策を優先させた。だがさらに不運なことに、コック政権は、1995年にボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで起きたムスリム人虐殺事件の政治責任を取るかたちで2002年に総辞職した。
その後タナボタ式に政権を手にしたのが、キリスト教民主同盟(CDA)を中心としたバルケネンデ政権で、コーヒーショップに敵意をむき出しにする政策を取るようになった。だが、この6年間はコーヒーショップの閉鎖を叫ぶばかりで、実際にはコーヒーショップ問題には何の展望も解決策も持っていないことが明かになってきている。
コーヒーショップを直接管理する地方自治体の市長たちは、再三にわたって栽培を合法化してバックドア問題を解決するように要請したが、政府は国際条約を盾に退け、グローショップの閉鎖まで口にして、カナビスの違法栽培の摘発に力をそそぐようになった。
しかし、そのことで、長らく家内栽培で良質のカナビスを生産していた人たちのリスクも高くなり止める人がたくさん出てきた。そこを埋め合わせるように進出してきたのが犯罪組織だった。カナビスの違法栽培の摘発はますます地下組織を肥大化させ、オランダのカナビス生産は年間500トン25億ユーロで輸出が80%を占めるまでになってしまった。現在のバックドア問題の本質はここにある。
すでに6年以上も続くバルケネンデ政権は、この問題は過去にコーヒーショップを認めたことから派生したもので自分たちの責任ではないと開らき直っているが、かつての密輸入問題を現在の密輸出問題にしてしまったのはまぎれもなくこの政権の無策に責任がある。
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