カナビス無害論の罠
誰が無害論を唱えているのか?
Pub date: Sep 3, 2006
Author: Dau, Cannabis Study House
●「マリファナは無害ではない」
アメリカ・ホワイトハウス麻薬撲滅対策室(ONDCP)が発行している 「マリファナ、神話と真実」 という若者向けの教育パンフレットは次のような序文で始まっている。
「マリファナを使用すれば、健康を害し、安全を損ない,成績が低下し、反社会的・反経済的な行動をとるようになる。しかし、驚くことに、多くの人がマリファナを 「無害な」 ドラッグだと思っている。マリファナが害のない天然ハーブだという意見に撹乱されて、社会に伝えなければならない最も大切なメッセージまでかき消されてしまうほど深刻な影響が出ている。マリファナを使ってもOKなどということは、誰にも成り立たない。このことは、特に若者について当てはまる。」
こう述べた後で、10の神話を取り上げているが、まっさきに 「マリファナは無害」 という神話でカナビス有害論を展開している。また、カナダ国家警察でも 「違法ドラッグ10大神話」 のなかで最初に 「神話1-マリファナはアルコールやタバコよりも無害」 という項目を掲げて「事実」を述べている。
その他でも、カナビスの悪害を言い立てるために、「カナビスは無害ではない」 という枕言葉で始まる新聞記事や解説などは定番化して至るところで見かける。
では、いったい誰がカナビス無害論を唱えているのだろうか?
●「マリファナは人を殺人鬼や精神異常にする」
現在のカナビスに反対派の人たちは、害の基準を 「無害」 においてカナビスの有害性を糾弾しているが、カナビスの禁止法が浸透していった1930〜50年代の基準は全く違う。
当時は、カナビスが強力な麻薬で手のつけられないような倒錯した行動を引き起こすとされ、「リーファー・マッドネッス(気違い草)」 によって、暴力犯罪や中毒者があふれ、社会が脅威にさらされ、世の中が破滅する、と叫ばれた。
世界保険機構(WHO)の1955年の報告書によると、「カナビスの影響下では衝動的な殺人が起こる危険が非常に高く、冷血で、明確な理由や動機もなく、事前に争いもなく、たとえ全く見知らぬ他人でも快楽だけで殺してしまう。」 この報告の6年後、最初の国連ドラッグ会議が開催され、カナビスは国際的に禁止されることになった。(UK Select Committee on Science and Technology Summary 16)
禁止は、カナビスを使っていると殺人鬼や精神異常になるというのが理由だった。ここで主張されている根拠は、他人に対しても 「圧倒的な害がある」 という基準で、単に自分の健康を害するという程度のレベルではなかった。
●無害論は、政府の有害論が生み出した
1960年代に入りヒッピーの時代になると、カナビスを実際に体験した若者の中から政府の言っていることが全くでたらめであると語られるようになった。殺人鬼や精神異常になったりしないではないか。中毒も耐性もないではないか。逆に、カナビスを吸うと心が豊かになっていいことがたくさんある。「カナビスを吸おう」 というメッセージがエッセイやロック音楽にのって世界中に伝えられた。
しかし、当然のことながら、こうした主張は、政府側が喧伝してきた極端に誇張されたカナビスの悪害に対してのアンチテーゼとして政治的な意味も帯びていた。「無害論」は、政府の「有害論」のコントラストとして出てきたもので、いわば、無害論は、政府の有害論が必然的に生み出したものだった。
精神病についても、「カナビスで精神病になることはない」 という主張は、精神異常の殺人鬼などには到底ならないというコントラストから出てきたものだ。当然のことながら、お茶と同じ程度に全く精神的影響がないと言っていたわけではなく、セットやセッティングが悪ければ、ネガティブな影響もあることは誰でも知っていた。
●圧倒的有害基準の無害基準への置き換え
現在では、カナビス反対派すら、以前のような誇張は大げさだったと認めざるを得なくなった。WHOさえ40年前の見解を180度変えて、1995年のカナビス報告書で 「カナビスは、アルコールに見られるような暴力による被害を引き起こすことはほどんどない」 と認めている。(UK Select Committee on Science and Technology Summary 16)
そこで反対派が出してきたのが害の基準の変更だった。圧倒的な有害基準を臆面もなく完全無害基準に置き換えて、それをテコにカナビスが有害だと主張するのが常套になった。
例えば、現在でも、カナビスを使うと統合失調症になると盛んに叫ばれているが、これは、いつのまにか、かつての圧倒的有害基準を無害基準に変更し、ごく僅かなリスクを過大に誇張することで成り立っている。実際、統合失調症との関連を主張する論文で問題にしているのは、体質的に精神脆弱性を抱えたティーンエイジャーで、しかもカナビスをヘビーに使っている場合であって、全体からすればごく一部に過ぎない。研究者自身ですら、公衆衛生という観点からすれば大きな問題にはならないと認めているほどなのだ。
しかし、カナビス反対派は、カナビスを使う人全員が統合失調症になるリスクがあるかのように叫び、無害ではないと言い立てている。もちろん、一部だからといって統合失調症という深刻な病気を軽く見てよいというわけではないが、しかし、基準の変更に伴って、カナビス反対派は統合失調症患者への思いやりではなく、カナビスに反対するための道具として精神病問題を再び利用し、統合失調症に対する偏見をますます助長していることも見逃すことはできない。
また、カナビスにはそれほど害がないことから、反対派は、他の害のあるドラッグと無理矢理結びつける「踏石論」を発明して、カナビスには害が少なくても踏石になるとして害を言い立てるようになった。実際、カナビスが暴力を引き起こすとされた禁止法制定当時には、踏石論の主張など全くなく、やがてカナビスでは暴力的にならないことが知られるようになってきてから出てきたことからも明らかなように、意図的に踏石論を発明して基準を暗黙のうちに変更したことが分かる。
さらに奇妙なのは、最近、「今のカナビスは60年代のものより何十倍も強力なっているので危険が増している」 と盛んに叫ばれていることだ。殺人鬼や精神異常になるとされた前時代のカナビスより効力が増えたのに、殺人鬼や精神異常が多発しているとはとても言えない現状に対して、どうして以前より危険になったといえるのだろうか? それとも、以前の主張は全く誤りで、本当は現在よりも昔は無害だったと認めた前提で言っているのだろうか? もうここに至っては基準がどこにあるのかすらよく分からない。
●無害論を主張しているコーヒーショップはない
現在のカナビス反対派は自分達の主張を繰り広げるために、「無害」を唱えている人がいることを当たり前の前提としている。しかし、カナビスのことを良く理解した上で肯定的に捉えているグループの間には、カナビスが「全く無害」だと主張しているようなところはない。
オランダのコーヒーショップの組合では、カナビスを無節操に使うと害になるので、どのようにして使ったら害を削減できるか書いたパンフレットを配付している。ディーラー・ブースでも、初心者へのアドバイスや、いろいろな情報を教えてくれる。カナビスの害を受けやすい若者の入店にも非常に神経質で、18才以上であることを証明する身分証の提示ばかりではなく、指紋認証まで求める店さえある。
また、合法化や非犯罪化を訴えているグループでも、お茶やコーヒーのような自由化を求めているところはない。どこも、若者がカナビス使用すると害になることを認め、18才ないしは21才未満の使用は禁止すべきだと主張している。また、カナビスの使用中でもあまり運転の危険にはならないとする研究もあるが、使用中の運転を肯定しているところはどこもない。
●アルコールが比較基準
カナビスに肯定的なグループがカナビスの害について語る場合、「無害」ではなく、たいていはアルコールを基準にしている。以前は、カナビスは「比較的無害」 というわかりにくいフレーズが使われることが多かったが、最近では、アルコールとの比較で、カナビスの害のほうが少ないこと明確に訴えるようになってきている。
その例としては、アメリカ・コロラド州デンバー市で市条例の変更を訴えてカナビスの合法化に成功したSAFERがよく知られている。現在、SAFERは、合法化をさらにコロラド州全域に広げるために活動を続けている。
2006年秋の中間選挙では、住民投票条例案は否決されたものの41%の賛成票を獲得している。選挙期間中にとくに印象的だったのは、カナビスとアルコールを対比して論理を展開するSAFERに、反対派はまともに反論できず、故意にアルコールを切り離してカナビスの悪害を言いたてることしかできなかったことだった。
SAFERのアルコールとカナビスを対比させる戦略は、予想以上に反対派の論拠の弱さを浮き彫りにした。SAFERは、いずれ再度住民投票に挑戦することにしている。
●反対派は無害論を必要としている
素朴なカナビス無害論を言う人がいるとすれば、おそらくその多くは、自分の経験を通して反対派が主張しているような害がないことを知った若者なのではないか? 反対派の主張と自らの経験とのあまりの落差に憤りを感じ、振り子が反対に振れるように「無害」だと反発する。
うがった見方をすれば、反対派は若者に無害論を言わせるために害をことさら強調しているのではないか? 彼らにとって「無害論」は格好の標的になる。「無害論」を必要とする彼らは、結果的に、あえてそれを言わせるように若者たちを誘導しているのではないか?
カナビス反対派は、無節操に害の基準を「無害」に変えるが、アルコールを基準にすることは絶対にしない。その場で何となく言いくるめることができると思えば全くつじつまがあわない話しでも厭わない。「無害論」という、どこのグループも唱えていない話をベースに恐怖を煽ることは、無いことを有ることにして主張を展開する典型的な詭弁法の見本と言える。
考えてみれは、反対派の人たちは、対立があるが故に自分の職業や地位や存在が担保されているという一面がある。対立がなくなってしまえば、無用になってしまう政治家や行政当局者や研究者や評論家がたくさんいる。実際は、彼らにとってカナビスは生活の支えになってしまっている。
しかし、そのために、犯罪人とはとてもいえない普通の市民の生活を破壊したり、医療カナビスを必要としている人たちからカナビスを取り上げることが許されていいはずがない。
●有害・無害二元論や二分法では何も生み出さない
禁止法には害削減という考え方はない。反対派はカナビスを1本でも吸えば害があるとして、医療カナビス・ユーザーも、つきあいでたまに吸うようなオケージョナル・ユーザーも、毎日何本も吸うヘビーユーザーも、全然区別せずにすべてのユーザーを乱用者 (Abuser) と呼ぶ。ひとかけらのカナビスでも所持していれば、犯罪人の烙印を押す。
このような乱暴な二分法では、結局、害を減らすことはできない。逆に、禁止法は、カナビスそのものでは起こり得ないような苦しみを人にもたらし、社会に多大な被害を与えている。さらに、犯罪組織の膨大な利益の源泉にもなるという本末転倒な機能も果たしている。
有害・無害二元論や二分法は何も生み出さない。何事についても、鋭く対立する意見はどちらも正しくない。古典力学では、光の波動性と粒子性という対立する性質を矛盾なく説明することはできなかった。だが、古典力学を越えた全く新しい量子力学では当然の現象として説明される。
カナビスの場合も、有害・無害二元論を越えた新しい取り組みが必要とされている。合法化と組み合わせた害削減というコンセプトは有害・無害二元論を越えたところにある。十分とは言えないかもしれないが、オランダのコーヒーショップはそれを体現した例のひとつと言える。
確かに、カナビスには害がある。しかし、それがどのようなものなのかを知り、カナビスをリスペクトして害削減や教育に努めれば、害は最小限に抑えることができる。
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・"Top Ten Myths" About Illicit Drugs and Enforcement (RCMP DRUG AWARENESS PROGRAM)
・Gateway To Hell (Peterborough Now, 26th July 2006)