カナビスの医療利用の歴史


レスター・グリンスプーン M.D.

Source: Multidisciplinary Association for Psychedelic Studies (MAPS)
Pub date: August 16, 2005
Subj: History of Cannabis as a Medicine
Author: Lester Grinspoon, M.D.
Web: http://www.maps.org/mmj/grinspoon_history_cannabis_medicine.pdf


レスター・グリンスプーン博士(1928年生)は、ハーバード大学医学部精神医学部の名誉教授で、1967年以来カナビスの研究を続けている。カナビスの2大記念碑といわれる著作、『マリファナ再考』(1971)と『マリファナ、禁断の薬』(1993、共著)の著者としても知られている。また、現在では、ユーザーの体験談を収集した、『医療マリファナ』 と 『マリファナ・ユーズ』 という2つのウエブサイトを運営している。

グリンスプーン博士は、世界で最も尊敬をあつめているカナビス擁護者で、現在でも、カナビス改革運動に活発に加わり、深い思いやりとともに真実に鋭く迫った記事も多数発表して、多大な貢献を続けている。

この文書は、『マリファナ、禁断の薬』 (Marihuana, the Forbidden Medicine, By Lester Grinspoon and James B. Bakalar. Copyright c 1993 Yale University) の第1章をベースにして作成されたもので、詳細な部分では削除されているところもあるが、最近の医療カナビスをめぐる情勢の変化などについては書き加えられている。参考文献一覧は 『マリファナ、禁断の薬』 から転載。



カナビスは5000年前から医薬品として使われてきた

カナビスは有史以前の中央アジアに生まれた。人類がカナビスの栽培を始めたのは1万年以上も前からで、中国では紀元前4000年、トリキスタンでも紀元前3000年ころには栽培が始まったと考えられている。医薬品としての利用も古く、インド、中国、中東、南東アジア、南アフリカ、南アメリカでは長い歴史を持っている。

カナビスが医薬品として使われたことを示す最初の記録は、5000年前の中国を統治していた神農帝が出版したとされる草本録(神農本草経)にみられ、マラリア、便秘、リウマチ痛、放心、婦人病の薬としてあげている。その他にも、中国の薬草医は、手術の際の沈痛薬として、カナビスと松ヤニと酒を調合した薬について触れている。

また、インドでは、気分の改善、解熱、催眠、赤痢、食欲増進、消化改善、頭痛、性病などに使われてきた。アフリカでは、赤痢、マラリア、熱病などに使われていたが、今日でも、蛇に噛まれた傷の治療や出産を容易にするために喫煙する部族もある。また、カナビスは、ガレンなどの古代やヘレニズム時代の医者たちからも治療薬として注目されていた。

中世ヨーロッパでも高い評価を受けていた。例えば、イギリスのロバート・バートン牧師は、1621年に、うつ病の治療にカナビスが使えることを示唆した 「アナトミー・オブ・メランコリー」 という有名な本を出版している。また、1764年のイギリス新薬局方には、皮膚の炎症にカナビスの根を使うことが書かれているが、当時は、すでに東ヨーロッパではポピラーな治療法になっていた。

1794年のエジンバラ新薬局方には、カナビスの医療効果について多くの記述が見られ、カナビス・オイルが、風邪、性病、尿失禁の治療に有用であると指摘している。その数年後には、ニコラス・カルペパー医師が、カナビスの医療可能性の見込まれるすべての病状や症状を概説した本を発表している。


1839年、WB・オショネシー

だが、西洋で、カナビスが本格的な医薬品として受け入れられるのは19世紀まで待たなければならなかった。

最盛期は1840年から1900年の間で、カナビスをさまざまな疾病や不快症状に使うことを取り上げた西洋医学論文は100通を越えている [02] 。実際、当時の医師たちは、今日の医師たちよりもカナビスについてよく知っており、その治療可能性に関する探求心はずっと旺盛だった。

治療薬としてカナビスに興味を持った最初の西洋人医師は、カナビスがインドで医薬品として使われているのを見たWB・オショネシーで、若くしてインドのカルカッタ医学大学の教授になったばかりの頃だった。彼は、カナビスを動物に与えてその安全性に確信を持ち、狂犬病、リウマチ、てんかん、破傷風に苦しむ患者たちの治療に使い始めた。

1839年に彼が発表した報告書には、カナビスをアルコールの融かしたカナビス・チンキを作り、経口投与すると鎮痛薬として良く効くと書いている。また、筋肉の弛緩特性にも注目し、坑けいれん薬としても多大が価値があると指摘している [03] 。

オショネシーは1842年にイギリスに戻り、薬局にカナビスを扱うように促した。ヨーロッパやアメリカの医師たちは、すぐにカナビスをさまざまな疾患に処方するようになった。エリザベス女王さえも主治医からカナビスの処方を受けている。

アメリカの薬局方に初めて掲載されたのは1854年で、多量に服用し過ぎると強力な麻酔効果が出て危険という注意書きが添えられている。カナビス調合薬も薬局で販売されるようになり、1876年にフィラデルフィアで開催された独立100年記念博覧会では、期間中に5Kg以上のハシシを売り上げた薬局もあった [04] 。


1860年、RR・ミーンズ

その間にもカナビスに間する医学文献は蓄積されていった。1860年には、RR・ミーンズ医師が、オハイオ州医師会が設置したカナビス・インディーカ委員会の調査結果をまとめて報告している [05] 。

彼は、オショネシーの成果を土台にして、破傷風、神経痛、痛みを伴う月経困難症、てんかん、リウマチや出産の痛み、ぜんそく、分娩後精神症、淋病、慢性気管支炎、などの疾患や症状にカナビス・インディーカが有効であることを検証している。

また、彼は、カナビスの睡眠薬としての効能をオピアムと比較して次のように書いている。「効果の強さは劣るが、尿や汗などの分泌を妨げることはずっと少ない。消化機能が乱されることもなく、むしろ食欲を増進させる・・・カナビス全体の影響とすれば、暴力的になることは少なく、内臓の働きを阻害すること無しにより自然な眠りをもたらす。カナビスは、オピアムほど効力は強くもなく確実性も劣るが、多くのケースでは確実に優れている。」

オショネシーと同様に、ミーンズもカナビスの目覚ましい食欲増進作用について力説している。


1887年、HA・ヘーア

カナビスに対する関心は次の世代にも引き継がれた。1887年、HA・ヘーアは、カナビスには末期的患者の精神的な情緒不安や気持ちの落ち込みなどを抑える効果のあることを絶賛している。彼は、「そうした状態に置かれた患者は精神的な恐怖感にさいなまれて痛々しいが、カナビスで幸福感を感じたり、ときには陽気になったりもする」 と書いている。 [06]

続いて、カナビスには、オピウムと同様に鎮痛効果があると確信を持って書いている。「このすばらしい薬が痛みを抑えている間は、しばしば非常に興味深い精神状態が表れる。痛みが彼方に引いていくかのようにフェードアウトしていき、まるでドラムの音がどんどん遠くへと離れていってついには耳から聞こえなくなってしまうかのようだ。」 [07] 

また、19世紀の歯科医のあいだではよく知られていたことだが、ヘーアは、カナビスには特に口や舌の粘膜にすぐれた局所麻酔効果があることも指摘している。


1890年、JR・レイノルド

1890年には、イギリスの医師であるJR・レイノルドが30年にわたるカナビス・インディーカの治療経験を集大成して、「老年の不眠症」患者に効果があり、「この類の症例では、カナビスの有用性に匹敵するものは他にない」 と書いている。また、カナビスの服用量については、増量の必要はなく、何ヶ月、あるいは何年も同じように効果を発揮すると指摘している。

彼はまた、痛みを伴うチック症状などを始め、さまざまな形態の神経痛の治療にも有効であることを見出しているほか、偏頭痛の発作を防ぐのにも役立つとして、「この疾病に苦しむ非常に多くの患者が、発作の前兆が表れた段階でカナビスを使用して何年も発作を逃れている」 と書いている。

さらに、特定の種類のてんかん、うつ病、時には、ぜんそく、月経困難症にも有効なことも見出している。 [08] 


1891年、JB・マチソン

JB・マチソン医師は、1891年に、「カナビスは、一部の恐ろしい病気に対して特別な効果を持っている。この薬に備わっているメリットと安全性は、いったん治療に使ってみれば特筆に値することがわかる」 と書いている。 [09] 

マチソンは、カナビスの鎮痛・睡眠効果について、特に、月経困難症、慢性リウマチ、ぜんそく、胃潰瘍、について取り上げている。また、モルヒネ中毒症の治療についても触れている。

しかし、彼が最も注目していたのは、「全く治療法がないと言われて忌み嫌われている」 偏頭痛にカナビスが使えるということだった。彼は、自身とこれまでの他の医者の経験を踏まえて、カナビスには偏頭痛の痛みをブロックするだけではなく、発作そのものを抑制する作用があると結論づけている。

後年、ウイリアム・オスラーも、カナビスが偏頭痛に対する 「最も満足できる治療薬」 と言えるだろうとマチソンに同調している。 [13] 


カナビス医療に翳り

しかし、マチソンの論文は、この時期に台頭してきた新たな趨勢を憂えた言葉で結ばれている。「若い医師たちは、滅多にカナビスを処方しません」 というサックリング医師からの手紙の一節を取り上げて、次のように指摘してカナビスを使うことをあらためて奨励している。

確かに、即効性を求めるのならば、最近開発されたモルヒネの皮下注射を使うほうがずっと簡単かもしれません。しかし、若い医師たちはオピエートのもたらす長期的な影響について配慮が足りなさ過ぎます。長年にわたって先輩の医者たちが築き上げてきた英知がありながら、それを忘れて薄っぺらな経験だけに頼れば、麻酔薬の持つ落とし穴に陥って多くの患者に災難を引き起こす結果になるでしょう。

ここでは、いたずらにカナビスを称賛しているわけではありません。他の薬と同じように、うまく効かないことも少なくありません。しかし、カナビスは多くの症例で効果が知られており、古くから広い信頼を獲得していることも事実なのです。 [14] 


カナビス医療衰退の原因

マチソンも指摘しているように、すでに1890年頃にはカナビスの医療利用は下降線をたどり始めていた。

その第1の理由は、カナビス調合薬の効果にばらつきが大きく、経口投与に対する反応が個人によってまちまちで予想しにくかったことが上げられる。もう一つの理由は、1850年代に皮下注射器が発明されてオピエートの使用が大幅に増加し、カナビスの鎮静効果に対する研究が廃れてしまったからだった。

皮下注射器を使えば、モルヒネのような水溶性の薬物の投与が簡単にできるので痛みを迅速に緩和することができたが、これに対して、カナビス調剤は水に溶けないために注射で簡単に投与することはできないという欠点を抱えていた。

19世紀が終わるころには、カナビス・インディーカに比較して、化学的に安定し信頼性の高い、アスピリン、抱水クロラール、バルビツール酸塩などような皮下注射可能な薬剤の開発も進み、医薬品としてのカナビスはますます使われなくなっていった。


1937年、マリファナ税法の制定

しかし、新しく開発された薬には多大な欠点もあった。アメリカでは、毎年、アスピリンによる出血で死亡する人が1000人を上回るようになり、バルビツール酸塩ではその危険性がさらに高いことが知られるようになった。

こうした状況の中で、カナビスの鎮静・催眠効果を見直そうとする機運が再び出てきた。特にカナビスの活性成分の研究が進んだ1940年以降に、特定の効果を持つより安定したTHCの同族体の開発が可能になり、その期待が高まった。

しかし、1937年に成立したマリファナ税法によって、そうした研究はやがて抑圧されてしまった。

この法律は、連邦麻薬局のハリー・アンスリンガーによって先導され、マリファナ中毒が暴力犯罪や精神異常や痴呆を引き起こすと大衆に信じ込ませることを意図した反カナビス・キャンペーンの総仕上げとして出てきたものだった。

アンスリンガーのキャンペーンの一つとして製作された 『リーファー・マッドネッス』 という映画は、現在では悪辣なジョークとして受け止められているが、こうしたキャンペーンを通じていったん深刻な社会問題として受け止められると、その流れや考え方が社会の中に刻み込まれて、いつまでも文化の中に影響を及ぼし続けることをよく示している。


1941年、薬局方からの削除

マリファナ税法では、直接カナビスを禁止するのではなく、使用目的に応じて税金を徴収するという形態をしていた。

産業用あるいは医療目的と分類されたカナビスには1オンスあたり1ドルの税金なのに対して、指定以外の未認定の取引の場合は1オンスあたり100ドルの税金を徴収するように決められていた。

税金を納めなければ、脱税の罪で多額の罰金または懲役刑が科せられた。法律は、直接的にはカナビスの医療使用の禁止を意図していたわけではないが、嗜好用途のカナビス喫煙を抑え込むことを狙っていた。税法の形態をとったのは、商用取引を統括する権限は連邦ではなく州にあるとした最高裁の決定に抵触しないようにするためだった。

こうして、連邦政府は、カナビスの一部の取引を認めながら、その他の取引には重い税金をかけることによって、実質的に、医療目的以外のカナビスを合法的に入手できない仕組みを作り上げた。

しかし当然のことながら、この仕組みは、カナビスを医療に使おうとする医者に繁雑な書類作成の負担を強いることになった。さらに、連邦麻薬局はカナビスの「非転用」条項を追加することによって、医師たちの転売によって収入を得ようとする動機を摘み取った。そして最終的には、1941年に、アメリカ薬局方と医薬品総覧からカナビスの名前は削除されてしまった。


下院歳入委員会でのアメリカ医師会の反対

1937年のマリファナ税法の審議が行われた下院歳入委員会の公聴会の記録を読むと、この法案の成立にあたっては、実際にはカナビスに害があるという主張を裏付けるデータはほとんどなく、この問題を取りまくヒステリー状態が如何に大きなものであったかを知ることができる。

唯一反対意見を述べたのは、アメリカ医師会の法律顧問で医師と弁護士の資格を持つW.C.ウッドワード氏だった。彼は、議会の目的には賛成していたが、研究者たちが将来カナビスの医療利用方法を見出す可能性があると主張して、より制限の緩やかな法律にするように説得しようと試みている。議事記録では、「カナビス中毒」 について次のように指摘している。

新聞ではカナビス中毒についてあれこれ派手に書き立てていましたので、何らかの根拠があるに違いないと思ったわけです。しかし驚くべきことに、この委員会には、記事の根拠になる確かな一次証拠が提出されていなかったのです。そこで、わたしたちは新聞社にカナビス中毒の広がりがどのようなものなのか問い合わせたのですが、カナビスの使用が犯罪を引き起こしていると説明されました。

ですが、刑務所当局にカナビスに中毒している囚人の人数を照会したところ誰も知らないのです。非公式の調査でありますが、この件については刑務所当局は何の証拠も持っていないことがわかりました。

また、学校でたくさんの青少年たちがカナビスを吸っているという話もあったので青少年部局に問い合わせてみましたが、青少年の間でカナビスがひろまっているといい事実を把握している人は誰もいませんでした。彼らは何も調査したことがなく、特にカナビスの関する情報は何も持っていないのです。

郡の教育事務所にも尋ねてみました。学校の青少年の間で何かが流行しているならば、彼らは知っているに違いないと思ったのです。しかし、そのような調査をしたこともなく、何も知らないという答えでした。 
[15] 


やり玉に上げられたウッドワード医師

これに対して、議員たちは、ウッドワード氏の学歴やアメリカ医師会との関係、過去15年に彼が医療関係の法律に関して語ったニュース記事などついて批判的に事細かく問いただしている。カナビスに対する証拠のソースや確かさに疑問をはさんだ彼の異議申し立ては通じず、かえって議員たちの機嫌を損ねる結果になった。彼を問い詰めるジョン・ディンゲル議員の質問はそのことを如実に示している。

ディンゲル議員 カナビスの習慣が特に若者の間で広まっていることはよく知られていることで、そのことは新聞にもよく書かれているのです。あなたは、ミシガン州のようにカナビスを規制する法律を持っているところもあると言いますが、それはそうでも、すべての州が持っているというわけでもない。前にも言ったように、どこでもカナビスの習慣が広がってきていて、毎年のように犠牲者の数が増えているのです。

ウッドワード氏 そのようなことを示す証拠はありませんが。

ディンゲル議員 私には、あなたの発言が私の州の医療専門家の上部の人たちの感想を反映しているなどとはとても思えない。ミシガン州では、特にウェイン郡、あるいは私の選挙区の医療専門家たちは、カナビス医薬品に1ドルの税金がかかるにもかかわらず、カナビスによる犠牲者を減らす法律ならば、どんなものでも喜んで受け入れようとしていることは間違いないのです。

ウッドワード氏 法律が問題を完全に抑え込むことができるのならば、多分それも正しいと思いますが、法律が単に幾ばくかの費用を課すという条項を含んでいるからと言って、必ずしも結果を伴うわけでもなく……

ディンゲル議員 (話をさえぎって)それは、単にあなたの意見に過ぎない。ハリソン麻酔薬法についてあなたが言っていたことと同じことだ。

ウッドワード氏 もし、法律の草稿時に、われわれのところに協力を要請してくれていれば……

ディンゲル議員 (話をさえぎって)今あなたはこの法律にぜんぜん協力的ではないではないか。

ウッドワード氏 実際問題として、この法律はオピアムやコカインの使用を抑制するのに役立ちません。

ディンゲル議員 自らを医療関係者と任ずるのならば、国の大切な活力を食い荒らそうとしているこの災いを抑えることに最大限の協力をするのが道理というものではないのか。

ウッドワード氏 そうしていますが。

ディンゲル議員 あなたは、単に、この法律の草稿の作成に協力を求められなかったことを嫉んでいるだけなのではないのか? [16] 

最後は議長がウッドワード氏を遮り、注意している。「あなたはこの件について協力的ではありません。もし法律についてアドバイスしたいのなら、連邦政府がやろうとしていることを批判したり妨害しようとするのではなく、何らかの建設的な提案を持ってくるべきです。」 [17] 

結局、ウッドワード氏の証言は何も実らず、法案は1937年10月1日に法律となって施行された。それに追随して、懲罰的なだけの州法がたいして吟味もされずに次々と成立していった。


ラガーディア報告

少数ではあったが、1930年代にもカナビス問題に理性的に対応しようとする政治家や役人もいた。その一人がニューヨーク市長のフィオレロ・ラガーディアだった。彼は1938年に、ニューヨーク市におけるカナビス使用の医療・社会・精神学的な側面を調査するために科学者委員会を立ち上げた。委員会は、内科医2人、精神科医3人、薬理学者2人、公衆衛生専門家1人、矯正施設や保険機関や病院の理事たち、病院局の精神部門の責任者で構成されていた。

委員会は1940年から調査を開始し、1944年に 『ニューヨーク市におけるカナビス問題』 というタイトルの詳細な報告書を発表した。この報告書では、先のマリファナ税法の審議の際に声高に叫ばれた多くの神話を払拭するものだったが、当時の時代状況を反映して当初は外部からはほとんど無視されてしまった。

しかし、この報告書では、カナビスと重大犯罪の間に関連があることを示す証拠や、攻撃的で反社会的な行動を取るような証拠はなく、性的衝動を過度に刺激したり、人格を変容させてしまうようなこともなく、使用量に耐性が形成されて増えることを示す証拠もなかったと結論付けている。

また、アメリカ精神医学ジャーナルの1942年9月号には、委員会にも加わっていたサミュエル・アレンタックとカール・M・ボウマン両氏による 『カナビス陶酔の精神医学的側面』 という研究が掲載されているが、その中で、カナビスの習慣がタバコやアルコールの習慣ほど強くないと報告している。

3ヶ月後に出た12月号では、同誌の編集主幹が、アレンタックとボウマン両氏の論文について、「注意深く行われた研究」であり、カナビスには鬱や食欲不振、ヘロイン中毒の治療に利用できる可能性があると指摘している。


アメリカ医師会の変節

しかし、アメリカ精神医学ジャーナルは政府の圧力を受けて、その後の数年間で態度を変えさせられてしまった。1943年1月号にはラガーディア報告を非難する麻薬局のハリー・アンスリンガー局長の書簡を掲載している。続いて、1944年4月号では、国際連盟の麻薬委員会で活動していた専門家のR・J・ブーケイ氏の書簡を載せ、最終的には、1945年4月号の論説で、アメリカ医師会も連邦麻薬局の見解に合意することを発表している。

長年にわたり、医学研究者たちはカナビスが危険なドラッグであると考えてきた。それにもかかわらず、ニューヨーク市長の委員会が出したカナビス問題の報告書では、17人の医師が77人の囚人の調査データを分析しているが、このように狭く全く非科学的根拠に基づいて、カナビスの害を最小限に見せかけた滅茶苦茶で不適切な結論を引き出している。すでに、この報告書によってあちこちに被害が出ており……

報告書では、節操もなく、麻酔性のこのドラッグが身体的、精神的、あるいは道徳的な悪影響を引き起こすことはなく、77人の囚人には連続使用による永続的な害は見られなかったと公然と述べている。こうした見解は、すでに法執行の大義に多大なダメージを与えており、社会に仕える公務員たちは、こうした非科学的で無批判な研究に惑わされることなく、このドラッグが使われている場所はどこでも脅威として見なし続けることが望まれる。

また、R・S・デロップ氏はこの文章の中で、アメリカ精神医学ジャーナルの編集者は 「普段の自制心を失い、叱りつけるような口調で反論を展開しており、それがあまりに激しいために、編集者は、市長の委員会の学識のあるメンバーと……カナビスを提供する店主たちと結託して、カナビスの事実を故意にねじ曲げて市民の健康を台無しにしようと意図しているのではないかと疑いたくなる程だ」 と書いている。 [18] 

アメリカ医師会は、1945年の変節以来何十年も経過した現在でも連邦麻薬局とその後継部局に密接した立場を保持し続けている。精神衛生協議会が出している声明も、カナビスへの誤解を執拗に広め、カナビス問題を取りまく神話を振りまいて恐怖を煽り続けている。

その後何年にもわたってカナビスの研究は実質的に行われることはなかったが、政府は全く興味を失ってしまったわけでもなかった。私が1971年にカナビスに関する本を出版した少しあとで、この本の読んだ化学者が、自分の勤めているアーサー・D・リトル・カンパニーでは政府と契約を交わして、カナビスの軍事利用の可能性について探るために数百万ドルの資金提供を受けていると教えてくれた。

彼は、現段階では何も見つかっていないが、いくつかの重要な医療可能性示す証拠を得ていると話していた。彼は、われわれと、商用のカナビノイドの同族体を開発することが経済的に見合うかどうか意見を交わしたいとして会社に招待してくれた。しかし、機密扱いという理由で医療可能性を示す証拠については何も教えてくれなかった。


1960〜70年代

1960年代になると、非常に多くの人たちが嗜好目的でカナビスを使い始めるようになった。また、医学文献などではなく、プレーボーイのような人気娯楽雑誌への投稿という形を通じて、カナビスの医療利用の恩恵が語られるようになった。

一方では、嗜好利用の増加を懸念する議会は、1970年に、精神活性薬物を5分類して管理する包括的ドラッグ乱用防止管理法(規制薬物法)を成立させた。この法律では、カナビスは最も厳しく制限的な分類である第1表に加えられた。

第1表に属するドラッグは、法律の定義によれば、医療価値がなく、乱用に陥る可能性が高く、たとえ医師の監督下においても安全に使用できないとされている。

しかし、この頃になると、医薬品としてのカナビスへの関心も次第に復活し始めていた。


1972年、NORMLのカナビス分類変更の申し立て

規制薬物法の成立から2年経った1972年に、NORML(マリファナ法の改革を目指す全国組織、National Organization for the Reform of Marijuana Laws)が、麻薬・危険薬物取締局(旧麻薬取締局)に対して、カナビスを第2表に移して医師が合法的に処方できるように改めるべきだと行政訴訟を起こした。

公聴会の前に行われる麻薬・危険薬物取締局の意見聴取の様子は極めて示唆に富む興味深いものだった。私は、カナビスの医療利用について証言するために順番を待っているが、偶然にも、合成オピオイド鎮痛薬のペンダゾシンについてのやりとりを目撃することになった。この製品はウインスロップ製薬が開発したもので、危険薬物として分類表に加えることが検討されていた。

証言では、何百件もの中毒事例や、過剰摂取による死亡事故の数、乱用を示す明らかな証拠が取り上げられた。これに対して会社に雇われた6人の弁護士たちは、ペンダゾシンが規制薬物の分類に加えられるのを阻止するか、最低でも最も制限の弱い分類にすることを目指して弁護に努め、結局は、医師の処方で利用できる最も制限の緩い分類にとどめることに成功した。

次に審査の行われたカナビスに対する証言では、患者と医師の双方の多くが、過剰摂取による死亡事故や中毒の証拠のないと語っていることが示され、医療的な有用性についての証言も行われた。しかし、それでもなお政府は第2表の分類に移すことを拒んだ。

果して、カナビスとペンダゾシンに対する政府のこうした対応の違いは、巨額の財政基盤を備えた巨大製薬会社がカナビスで儲かる状況にあるとしたら、出てきたのだろうか?


1974年〜86年、公聴会の開催を拒み続けた政府

NORMLの申し立てを拒絶した麻薬・危険薬物取締局は、法律で開催が要求されている公聴会を招集しようとはしなかった。その理由は、再分類すれば、国連の麻薬単一条約に加入しているアメリカの条約義務違反になるというものだった。

これに対して、NORMLは1974年に、麻薬・危険薬物取締局を相手どって行政訴訟を起こした。第2回連邦巡回控訴審は、当局側の主張を覆し、当局と司法省の双方の対応を批判して、再考するように差戻す決定を下した。

1973年9月、麻薬・危険薬物取締局の再編で新しく設立された連邦麻薬取締局(DEA)は、実際には、カナビスを再分類しても単一条約義務違反にはならないことを認めたものの、公聴会の開催については拒絶し続けた。

NORMLは再度訴訟を起こした。裁判では前回よりさらに法的に有利な戦いを展開し、控訴審は、1980年10月、DEAに対して、NORMLの公聴会開催要請を受け入れるように差し戻す3度目の判決を下した。

政府は、1985年に、化学合成して人工的に製造されたTHCであるドロナビノールを規制薬物の第2表の分類に加えたが、化学的には全く同一のTHCを生成する天然のカナビスは第1分類のまま動かさなかった。

最終的には、1986年5月にDEA長官が、7年前の裁判所の命令を受け入れて公聴会を開くことを発表した。公聴会は1986年の夏に開始され、2年間続けられた。


1988年、ヤング裁判官の裁決

長期にわたった公聴会では、患者や医者の双方の多くの証言をはじめ、数千ページにも及ぶ文書が提出された。これらの公聴会の記録は、カナビスについての医療効果を示す広範囲な最新研究の結果を最も多く含んだ資料の一つと言っても過言ではない。

行政法の判事であるフランシス・L・ヤング裁判官は、これらの証拠を検証して、1988年9月6日に判決を出した。その中で、彼はまず、規制薬物法の第2分類で規定されている 「現在のアメリカで、医療的使用が受け入れられている」 基準をクリアするためには、「少数でも精通した医師」 が医療価値を認めていればそれで十分である、という判断を示した。

その上で、「天然のカナビスは、治療効果を持っていることの知られた薬物とすれば最も安全なものの一つであり・・・カナビスは、医師の監督下で安全に使えると結論することは十分に理にかなっている。もし、そうでないと結論するならは、その判断は理性を欠いた恣意的で独善的なものと言わざるを得ない」 と裁定を下した。

さらに続けて、「DEA長官は、現在のアメリカで医療的使用が受け入れられているものと同様に、天然のカナビス全般を医療治療に使うことを受け入れ・・・医師の監督下で安全に使えることには何ら疑問もなく、法的に見ても、第1分類から第2分類に移すことには何ら問題はない」 と勧告した。 
[19] 


MDMAの分類をめぐる過去の曲折

「現在、医療的使用が受け入れられている」 という言葉の意味の法的位置付けに関しては、ヤング裁判官は原告側の見解を認めて、DEA側の主張を退ける立場を採った。

DEA側が示していた判断基準は、以前にMDMA(エクスタシー)の分類をめぐって異議申し立てが起こされたことが契機になって作成されたものだった。

1984年にDEAは、それまで規制薬物の対象にはなっていなかったMDMAを第1分類に組み入れる決定を行ったが、MDMAには医療的な可能性があると考える医師グループがその分類の位置付けに異議を唱えて訴えを起こした。

細部にわたる徹底的な聴聞会が繰り返されたが、最終的に行政法判事は、MDMAが現在のアメリカにおいては医療的な使用は受け入れられていないというDEAの主張を退け、第1分類ではなく第3分類にすべきだという原告側の主張を支持した。

だが、DEA側はこの判断の受入れを許否した。そのために原告側は第1回巡回控訴審に訴訟を起こした。判決は再び原告側を支持するもので、「アメリカで医療的使用が受け入れられている」 ということに対する判断基準を、「食品医薬品局が市場流通を公式に認証している」 としたDEAの見解は、規制薬物法の趣旨からは受け入れられないという判断を示した。 [20] 


認められなかったDEAの新基準

それ以後、DEA当局側は、「医療的使用が受け入れられている」 という基準を次のように変えた。
  1. 科学的な評価が定まり、その化学的な性質に対する知識が受け入れられている
  2. 動物に対する毒性および薬理効果が科学的に解明されている
  3. 科学的に設計された臨床実験で人間に対する効果が確認されている
  4. 広く入手可能で、使用のための情報が整っている
  5. 臨床応用について、薬局方、医学文献、医学雑誌、教科書で広く認められている
  6. 特定の疾患の治療に対して明確な適応性がある
  7. 医師の機関や医師会から使用が認められている
  8. かなりの人数のアメリカの医療関係者から使用が認められている
しかし、カナビスに関するヤング裁判官の裁定では、「医療的使用が受け入れられている」 基準をクリアするためには、「少数でも精通した医師」 が医療価値を認めていればそれで十分であるとして、これらの判断基準は受入れなかった。


DEAの 「邪悪なイカサマ」 反論

これに対してDEAは、行政法判事の意見には無視を決め込み、カナビスの分類変更を拒否し続けた。

当局側の弁護士は、「判事の判断は、彼の言うところの少数の医師に意見に頼り過ぎている。いったい少数とは何%のことを言っているのか? 1%の半分なのか、それともさらにその半分なのか?」 と不快感をあらわにし、DEAのジョン・ラーン局長に至っては、カナビスに医療価値があるなどという主張は 「邪悪なイカサマだ」 と毒突いた。 [21] 

しかし、原告側は1991年3月に再度コロンビア特別区控訴審に訴えを起こした。それに対して裁判所は、翌月の4月には満場一致でDEAに基準を見直しをするように命じた。

その理由として、DEAの基準は非論理的であり、カナビスがその基準を満たすことが決してできないように画策されたもので、そもそも違法ドラッグが多数の医者に使われることはあり得ず、医学の教科書に治療薬として書かれることもないと指摘した。

裁判所は、「DEAの基準に従うならば、医療的使用が受け入れられている状態については、一般的に使われていて、かつ広く入手できることを示す必要があるが、第1分類に属するドラッグについては、どのようにすればそれを示すことができるというのか理解に苦しむ」 と述べ [22]、この問題についてさらなる説明をDEAに求めたが、カナビスには医療価値がないというDEAの独善の本質に直接迫るまでには至らなかった。

最終的にDEAは、1992年3月、分類見直しを求めたすべての申し立てを拒絶することを発表した。


1978年〜94年、州による医療用カナビス提供の試み

このように連邦政府はカナビスの医療使用を一貫して妨害してきたが、一方では、治療目的の合法カナビスが全く入手できないというわけでもなかった。1970年代の終わり頃になると、一部の州が、患者や医師からの圧力を受けて、極めて限定的ながらそれに答えようとする動きが見られるようになった。

1978年にニューメキシコ州でカナビスの医療目的使用を可能にすることを意図した法律が初めて成立したのを皮切りに、1980年代の初頭までには33州がそれに続いた [23] 。しばらく間をおいて、1992年には、マサチューセッツが同様の法律を成立させて34番目の州になり、1994年にはミズリー州が35番目で続いた。

しかし、州に法律はあっても、実際に執行するのは容易ではなかった。なぜなら、連邦法では、カナビスを栽培できるのはミシシッピーの政府の栽培所のみに限定されて供給が独占されている上に、カナビスは医薬品ではないとされており、州がカナビスを入手して分配する方法は、治験新薬プログラム (IND)として食品医薬品局から正式に研究の許可を受けるしかなかったからだった。


困難を強いる治験新薬プログラム (IND)

だが、連邦法の悪夢のような繁雑な規定に従ってプログラムを押し進めようとすれば困難が続出し、すぐに放棄してしまう州も少なくなかった。

それでも、1978年から1984年の間に17の州が、緑内障と化学療法にともなう吐き気の治療にカナビスを使うプログラムで許可を得た。しかし、そのプログラムも大半は、多くの問題に巻き込まれて中止に追い込まれてしまった。

例えば、ルイジアナ州の1978年に成立した州法では、医師によって作成されたカナビスによる患者の治療計画を、州のカナビス処方委員会が検討して許可を与えるようになっていた。委員会側では、医学的決定は実際に治療を行う医師に委ねて処理を単純化することを考えていたが、連邦当局側はINDプログラム以外にはカナビスを提供しようとしなかった。

実際、INDプログラムでは膨大な書類の提出が要求され、プログラムの実施を著しく困難なものにしていた。委員会は、やむなく、国立ガン研究所が運営していた認可済の研究に相乗りすることに決めた。しかし、そのプログラムに適用されるのは、ガン患者に対する合成THCの治療だけに限定されていた。

こうした制約のためにルイジアナ州では、結局、カナビスそのものを合法的に入手できた患者は一人もおらず、プログラムが何の役にも立たないことが明らかとなった。患者たちは違法なカナビスを使うことを余儀なくされ、少なくとも患者の一人が逮捕されている。 [24] 


1978年、ニューメキシコ州の挑戦

最終的には、カナビスを医療に使うプログラムを実施できたのは10州にとどまった。その中でも最も成功したのは、最初に法律を制定したニューメキシコ州で、若いガン患者であるリン・ピアソンの努力に負うところが大きかった。

ニューメキシコ州では、1978年制定された州法で、ガンの化学療法のともなう吐き気や嘔吐に苦しむ患者に医師がカナビスを処方できるようになったが、その後、この法律は、研究プログラムとして連邦の治験新薬(IND)規定に適合するように修正された。

しかし、1978年8月、州のプログラムの制定に英雄的な役割を果たしたリン・ピアソンが合法カナビスを1本も受け取ることなくガンで亡くなった。ピアソンの死をめぐって食品医薬品局に非難が集中すると、食品医薬品局側は一旦はニューメキシコの治験新薬プログラムを承認したが、数週間後に騒ぎが収まると一転して認可を撤回してしまった。

これに対して、ニューメキシコ当局は、連邦側の 「道義に反する背徳行為」 を非難するプレス・カンファレンスを開催することまで考えていたが、最終的には、1978年11月にプログラムは認可された。しかし、1ヵ月以内にカナビスを提供するという約束は果たされず、2ヵ月間は何も届かなかった。


州と食品医薬品局の対立

プログラムが実施されても、直後から食品医薬品局と患者たちの間に多大な軋轢が表面化してきた。

ニューメキシコ側のプログラムでは、医者が病気に苦しむ患者の治療に使えるようにすることが目的で、患者の緊急な必要性を反映したものだったが、食品医薬品局側では、研究目的であることを理由に、対照実験としてプラセボを使ってゆっくりと作業を進めることを要求してきた。

やがて、患者には、カナビスまたは合成THCカプセルのどちらかを無作為に割り当てることで妥協が成立した。しかし、政府側からのカナビスの提供は遅延するばかりで、ニューメキシコ当局には食品医薬品局が誠意をもって協力していないという不満が生まれ、緊張が拡大していった。

一時は、州の当局者が、ハイウエイ・パトロール局の押収したカナビスを使うことまで考えて、局長に供給可能かどうかの問い合わせたほどだった。

無作為投与プログラムもすぐに破綻した。患者同士が協議して、2つの療法の中から自分にメリットのある方を決めて交換し合うようになったからだった。このことは、また、患者が自身の治療を自分でコントロールしようとする意識を生むことにもなった。


効力の弱い政府のカナビスと合成THC

しかも、カナビスの唯一の供給元である国立ドラッグ乱用研究所(NIDA)が否定しているにもかかわらず、患者たちが受け取ったカナビス・シガレットは適正な効力がなく弱かった。しかし、州は独自に効力を測定しようとは決してしなかった。

一部の患者たちはあきらめて、ストリートのカナビスを買うためにプログラムから離れていった。彼らは、政府のカナビスや合成THCよりも密売されているカナビスのほうが治療効果が高いと感じていた。

ニューメキシコでは、1978年から1986年の間に約250人のガン患者が、従来の医薬品では吐き気や嘔吐を抑えることができなかったために、カナビスまたは合成THCを処方されている。カナビスも合成THCもどちらも効果があったが、カナビスのほうがより優れていて評判がよかった。

全体では、90%以上の患者が、吐き気や嘔吐を著しくまたは完全に抑えることができたと語っている。副作用があったという報告はプログラム全体で僅か3件だけで、不安を感じたというものだったが、寄り添って励ますだけで簡単に対処できる程度のものだった。 [25] 

その他の州の成功したプログラムも、ニューメキシコ州と同じような内容だった。いずれにしても、「研究」 と言うのは単に名目上のことで、本当の狙いは患者の苦痛の軽減にあった。

確かに、方法論的には対照を使った臨床研究という基準には合致していなかったが、結果的には、カナビスの効果がはっきりと認められ、また、合成THCを経口投与するよりもカナビスを喫煙したほうが効果が高いことも明らかになった。さらに、合成THCやカナビス・シガレットの乱用や流用といった問題を起こしたプログラムは一つもなかった。


ニューヨーク州の不満

ニューヨーク州のプログラムでは、保健局が予想していたよりも参加者が少なかった。これについて、患者や医師がなぜ治療でカナビスを使いたがらないのか、その理由を次のように分析している。 [26] 
  1. 医師たちの知識や経験が少なく、カナビスの医療効果に懐疑的だった。

  2. 官僚たちによる多大な妨害。報告書では、「病院の薬剤師や管理者は繁雑な書類作成や手続きに不満を訴え、医師たちも、過重な報告書の作成や適応疾病範囲の制限が多いことに不満を抱いている。少なくとも、カナビスを使えるかどうかを問い合わせてきた医師のうち16人が、膨大な量の役所の手続きが必要なことがわかると参加を取りやめてしまった」 と書かれている。

  3. 多くの医師や患者が、上質な違法カナビスをストリートから調達したほうが簡単だと判断したこと。


FDA、DEA、NIDA、3者相手のコンパショネートIND申請

州のプログラムが次々と策定されるのにともない、食品医薬品局に対しては、INDプログラムを拡張して、カナビスを必要とする患者を抱える医師が直接要請できるようにすべきだという要求が高まった。このようにして設けられた個人向けの治験新薬プログラムは、通称コンパショネートINDとも呼ばれ、温情にもとづく医療措置として位置づけられた。

しかし、もともとのINDプログラムは製薬会社は新薬の安全性を確かめることが目的なので、目的の全く違うコンパショネートINDプログラムの手続きは簡単というわけにはいかなかった。

まず最初に、カナビスを必要な患者が医師を説得して、食品医薬品局(FDA)へのコンパショネートINDの申請と、麻薬局(DEA)へ第1分類の薬物を使う許可を得るための特別な書類を作成してもらう。両局から首尾良く許可を取付ることができれば、次に医師は、カナビス取得のために、国立ドラッグ乱用研究所(NIDA、ナイダ)へ特別の注文書類を作成して送る、という手続きが必要だった。

NIDAは、アメリカで唯一合法的にカナビスを栽培することができる機関で、ミシシッピー大学の中に農場を持っている。カナビスは、その農場から、シガレット状に巻くためにノースカロライナの施設へと送られ、ストリートのカナビスと同等とされる効力(当時は2%、現在は3.5%)を持つカナビス・シガレットが作られる。

最後に、NIDAは、セキュリティのためにDEAの厳格な規制を受けた指定薬局へとカナビス・シガレットと送り出す。


繁雑な手続き と 遅延が当たり前の処理

コンパショネートINDプログラムの手順が一巡するには4〜8ヵ月もかかった。FDAやDEAからは始終難癖がつけられ、法律で定められた期限内に処理されることは滅多になかった。

当時、多数の患者や医師の手続き支援活動していたカナビス治療アライアンスによると、政府の当局者たちが申請書類を紛失することは日常茶飯事で、医師たちは1度ならずとも何度も同じ書類を再提出させられたと言う。

当然のことながら、特にカナビスを処方するを不名誉だと信じている医者ならずとも、大半の医師たちは書類作成に忙殺されるのを嫌がった。

実際、1976年に、緑内障患者のロバート・ランダールが初めてコンパショネートINDプログラムの適応を受けたが、政府はなかなか認可しようせず、その後の13年間で、嫌々ながら7名前後の患者に許可を与えただけだった。

しかし、1989年を過ぎると、エイズを患った人たちからのプログラム申請がFDAに殺到するようになった。


1990年、ケニス&バーバラ事件と申請者の急増

そのきっかけは、政府の医療カナビスの禁止措置が、いかに不条理で酷いものであるか際立たせる事件がフロリダ州で起こったからだった。

20代の若いカップルのジェンクス夫妻は、輸血が原因で夫のケニスが血友病になり、次に彼を通じて妻のバーバラがエイズに感染してしまった。ふたりは、エイズとその治療薬AZTの副作用で、吐き気、嘔吐、食欲不振に苦しみ、彼らの主治医は、彼女が病気で死ぬよりも前に餓死してしまうのではないかと危惧したほどだった。

1989年の初頭に、ふたりは、エイズのサポート・グループの人たちを通じてカナビスのことを知った。カナビスを吸うようになってから1年ほどすると、彼らはかなり普通の生活を送れるまでに回復し、気持ちの悪さも消えて体重も増え、病院から退院できるまでになった。特に、ケニスはフルタイムの仕事を続けられるほどにまでなった。

ふたりは、退院してからトレラーハウスで暮らしていたが、1990年3月29日、10人の武装麻薬取締警官がドアを蹴破って侵入してきた。誰かが密告したのだった。警官がバーバラの頭に銃を突きつけ、犯罪の証拠として栽培中の小さなカナビスの植物2本を押収した。お金のない彼らは、ストリートでカナビスを買うこともできずに育てていたものだった。

フロリダ州ではカナビスの栽培は重罪で、ふたりは最高5年の禁固刑を科せられる可能性もあった。7月に行われた裁判では、それまで滅多に成功したことのない医療の必要性の弁護を盾に戦ったが、やはり裁判官はこの弁護を受入れを許否し、執行猶予はつけたものの彼らに有罪を宣告した。

さすがに控訴審では、この判決は覆されて医療の必要性は認められたが、この事件が全国的に報道されると、ジェンクス夫妻は、コンパショネートINDの適応を受けることができるようになった。これによって、FDAにはエイズ患者からの申請が殺到するようになった。コンパショネートINDの適用者はこの1年で、5人から一気に34人に増えた。


1992年、治験新薬プログラムの中止

その後、違法ドラッグの使用に反対し、この状況を苦々しく思っていたブッシュ政権の意を受けて公衆衛生局のジェームス・O・メイソン局長は、プログラムを中断する予定だと発表した。

メイソン局長は、「公衆衛生局が、人々にカナビスを提供していると思われるようになったら、この薬物がそれほど悪いはずはないという認識が広まり、悪いシグナルを送ることになってしまいます。私個人とすれば、病気の人が助かるのであれば、それもやむを得ないとは思いますが・・・しかし、実際には、カナビスの喫煙がエイズの人の治療に役立つという証拠は微塵もないのです」 と述べた。

公衆衛生局は、9ヵ月の「検討中」という冷却期間を置いてから、1992年3月にプログラムを中止した。プログラム承認済でカナビスの提供を待っていた28人の患者に対しては供給が見送られ、すでに提供を受けていた13人の患者には継続して供給されることになった。

その人数も1年後には7人にまで減っている。この20年間に、何百人という人々が、州議会、連邦裁判所、行政当局に、治療にカナビスを利用できるように働きかけてきたが、カナビスという禁断の薬が禁じられていないのはたったこの7人しかいない。


以下は、カナビスの医療利用の歴史としては 『マリファナ、禁断の薬』 では取り上げられていないが、補足的な背景説明や、1993年の出版以後の状況変化、さらに今後の展開の見通しなどが述べられている。

1996年、カリフォリニア州医療カナビス215条例の成立

コンパショネートINDプログラムの廃止によって、連邦政府に対する医療カナビス患者の一縷の温情の望みも断たれた。しかし、実際に、カナビスを合法的に入手するあらゆる道が完全に閉ざされてみると、あらためて何千ものアメリカ人が、カナビスこそ、患者たちの抱える特殊な医療問題に対処できる最善の方法であるといっそう確信するようになった。

再び、この真空状態を何とかしようとする州がいくつか現れた。その最初の州がカリフォルニアで、1996年に215住民条例が成立した。これ条例は住民投票で有権者の賛成多数で通過したもので、カナビスが疾患や症状に有効と思われる患者が医師の推薦状をもらえば、一種の処方箋のようにカナビスを入手することができるようになっている。

これらの「処方箋」のカナビスの供給を担う一つが、医療カナビス患者専用の非営利「コンパッション・クラブ」で、議会や住民の発議を通じて設立が認められるようになっている。現在は10以上の州で医療カナビス法が成立し、各州のあちこちにクラブが誕生している。

しかし、こうした動きに対して連邦政府側は、コンパッション・クラブの閉鎖を目的とした強硬なキャンペーンで応じた。その結果、多くの患者がカナビスを入手するには、再び違法な供給源に頼るか自分で栽培することを余儀なくされ、処罰される患者も出ている。


なぜ法的危険を冒してまでカナビスを治療に使うのか

もし、アメリカ政府が主張するように天然のカナビスに何の医療効果もないとすれば、なぜ何千人もの患者が法のリスクを冒してまでカナビスを入手して使おうとするのか? その理由は大別して次の3つに分けられるだろう。
  1. 天然のカナビスは、たとえ禁止法で割高だとしても、従来の医薬品やマリノールの比較すればなお費用が安い。
  2. カナビスは、毒性が非常に低く、従来の医薬品に比べて副作用がほとんどない。
  3. カナビスは、適応範囲が極めて広く、さまざまな疾病や症状の治療に使える。
現在では、カナビスは、特定の病気に限定して使われているわけではなく、次のような疾病や症状全般で共通して使われている。

化学療法に伴う深刻な吐き気や嘔吐、緑内障、てんかん、多発性硬化症、パラフレジアや四肢麻痺に伴うけいれんや痛み、エイズ、慢性疼痛、偏頭痛、リウマチに伴う変形性関節炎や脊椎炎、月経前症候群、生理痛、陣痛、潰瘍性大腸炎 、クローン病、幻肢痛、うつ病、妊娠悪阻など。


証言データ と 二重盲検対照データ

カナビスを薬局方に再登録すべきだという認識が、何故すぐにでも出てこないかについてはいくつか理由がある。

一つには、カナビスが天然の植物で特許の対象にならないために、製薬会社が医薬品として開発しようとは思わないことが上げられる。実際、現在の多くの製品が、カナビスと競争してもその多芸多才ぶりにはとても敵わないので、わざわざカナビスに匹敵する製品を開発しようという動機が起こらない。

だが最も重要な理由は、医学界では、経験的な証言データしかないものは低くみなされるためだ。その点で、天然のカナビスに医療効果があるとする主張は、ほとんどすべてが経験的な証言データに依っている。

現代医学は、1960年代の始めに導入された二重盲検対照研究によって得られたデータを基礎に構築されており、確かに、経験的な証言データは信頼性が劣っている。

しかしながら、二重盲検対照実験によって作られる現代の医薬品でも、その効果の判定は最終的に、被験者の証言データによって行われていることを忘れてはならない。また、二重盲検対照実験に取りかかる以前に、カナビスのような証言データによって新しい治療価値の可能性が見い出されるものも少なくないことも忘れてはならない。


見方が変わってきた証言データ

現在では、カナビスの関するデータの大半を占める経験的な証言データの質についての見方も少しずつ変化してきている。神経科学動向ジャーナルの2005年5月号に掲載された論文で、著者たちは次のように指摘している。

カナビスの医療利用に関しては、数千年にも遡る歴史の中で、さまざまな症状についてきちんと書かれた文書が残されているが、近年のエンドカナビノイド・システムのレセプターとリガンドの働きを検証した多くの実験データと突き合わせてみると、現在は違法となっているカナビスに医療的な恩恵があるという人々の主張を支持している。

さらに、これに最近の臨床実験のデータを加えて考えると、カナビスには、多発性硬化症を始めとする数々の疾病の治療に使える医薬品としての可能性が備わっていることが分かる。


喫煙摂取の優位性

19世紀に薬局で販売されていたカナビスは、一般にカナビス・インディーカ抽出液(カナビス・チンキ)と呼ばれるアルコール・ベースの抽出液で経口投与で摂取するようになっていた。当時はバイオ的な検定法などなかったので、服用量は当て推量で行われていた。

それでも、医師たちは過剰投与の危険性については余り気にしていなかった。たとえ多量に摂取しても、患者の不快な症状は薬の効果がなくなれば収まれるだけで、取り替えしのつかないような害になることは何もなかったからだった。

この時代の医師たちが気にしていたのは、摂取してから薬の効果が発現するまで時間がかかることで、チルデン溶液という商品の場合は、標準2ミニム(約100分の1cc)を摂取してから効いてくるまでに1時間から1時間半もかかった。

19世紀の医師たちは、カナビスの際立った特徴の一つである、煙にして吸えば数分以内で医療効果が現れるという喫煙による発現の早さについては気づいていなかった。このことが発見されたのは、20世紀の初頭になってからで、余暇利用でカナビスを吸っていた見舞い客が、カナビス抽出液を使っていた患者にジョイントを回したことが発端だった。

カナビス喫煙の発現の早さというこの特徴は医療にとっては極めて重要な要素で、薬の最適量を決めるのに最も適任な患者自身が、カナビスを吸いながら、痛みや吐き気など自分の症状に合わせて必要な量を自分で調整することが可能になる。


バポライザーによる燃焼毒の回避

今までに、カナビスの喫煙が肺ガンや肺気腫の原因になったという症例の報告はないが、今日のように禁煙が広く叫ばれるような社会であれば、煙の呼吸器への影響に関心が向くのは当然のこととも言える。

しかし、カナビスには、喫煙しないでも蒸気にして吸引するという方法が用意されている。

カナビスには、喫煙による発現の迅速性という特徴の他にも、燃焼に至る温度以下で活性成分のカナビノイドが気化するという特徴が備わっている。現在では、この特性のメリットを引き出すバポライザーと呼ばれる装置を利用することができるようになっている。

カナビスを200℃前後の温度に保つと、煙は発生せずに、治療効果のあるカナビノイドが気化して出てくる。患者がその蒸気だけを吸引すれば、燃焼にともなって生成すると言われる発ガン性物質を全く吸うことなく避けることができる。効果や発現の早さも喫煙に劣らない。


医療カナビス問題の二面性

医療カナビスをめぐる問題には、表裏一体となった二面性がある。一つは患者の目から見た問題で、もう一つは政府の視線から見た問題だ。

耐えがたい苦痛に苦しんだあげくカナビスの効果を知り、やがて合法的に利用可能な医薬品よりも良く効き、副作用も少なく、しかも費用が安いことに気がつく患者が出てくるが、その数が増えれば増えるほど、医療カナビスが否定されているという事実に落胆させられる人も増えてくる。

患者が直面せざるを得ない問題は、当然のことながら、年間75万人もの人がこの違法な薬物のために逮捕されているという状況に巻き込まれずに、如何にしてカナビスを入手して使うかということと、会社や学校でセキュリティのためと称して実施されるドラッグ尿テストの脅威をどのようにしたら避けることができるかという点にある。

医療カナビス問題のもう一方の側面は、これを裏返したもので、過剰に自己防衛的で一貫的な理由も示さずにただ 「カナビスは医薬品ではない」 という主張を繰り返す政府の冷酷さにある。巨大な権力を全開にして誤った情報を植え付けようとする傲慢さは、現在、カルフォルニア州などで行われている仕打ちにもよく表れている。


カナビスの製剤化を望む政府

1985年に、食品医薬品局(FDA)は、ガンの化学療法にともなう吐き気や嘔吐の治療薬としてマリノールを医薬品として認可した。

マリノールという商品は、人工的に化学合成したTHCであるドロナビノールをゴマ油に溶かしてカプセル化したもので、ゴマ油を使うことで喫煙されることを防止するように意図されていた。

マリノールの原料に使われるドロナビノールは、THCそのもので何ら天然のTHCと変わりはないが、規制薬物法では当初は第2類に分類されていた。カナビスの第1類(医療効能なし)とは異なり、医学的価値があるとされている。

マリノールは、アメリカ政府の多大な財政支援を受けてユニメッド製薬が開発した製品で、政府がカナビスの「製剤化」を望んでいることが顕在化した最初の表れだった。また、このことは、政府が、実際にはカナビスに医療効果があると考えていたことも示している。

政府が、ドロナビノールという方便を使いながら狙っていたのは、カナビスの医療効果を広く医薬品として利用できるようにする一方で、天然のカナビスのいかなる使用も禁止しておくことだった。


思惑の外れたマリノール

だが、マリノールがカナビスに代わる「治療の選択」になることはなかった。ガンの化学療法にともなう吐き気や嘔吐の苦しむ患者の大半が、マリノールよりもカナビスそのものを使ったほうが効果の高いことに気づいたからだった。

1992年には、マリノールの効能としてエイズの消耗症候群の治療も追加されたが、やはり、患者たちは、天然のカナビスを喫煙するよりも効果が劣っていることを報告している。

2000年には、マリノールの売り上げを伸ばすために、ドロノビノールの規制薬物分類の制限を緩めて、医師の管理下で記録を残して使うことが要求される第2分類から、医師の処方箋だけで特定の薬局から購入できる第3分類へと変更が行われた。これには、各州で医療カナビス法が成立していくのを阻もうとする意図もあった。

こうした画策にもかかわらず、マリノールがカナビスの医療使用問題の解決策になることはなかった。結局は、マリノールが役に立つ患者はごく一部しかいなかったからだった。

大半の患者がカナビスを喫煙したほうが良いと考えたのは、マリノールのような経口摂取では、摂取量をコントロールできない上に治療効果だ発現してくるのに長く待たされるのに対して、カナビスの喫煙では発現が早く、摂取量の調整も可能だからだった。また、ストリートでカナビスを高く売りつけられてもまだマリノールよりも安いという理由もあった。

このようにして、政府のカナビスの製薬化という思惑は解決策にはならないことが明らかになった。

実際、カナビスを治療に使っている患者の多くにとっては、医者が処方してくれるマリノールは、もっぱらドラッグ尿テストの脅威を避けるための手段にしかなっていない。マリノールが処方されている証明があれば、たとえ本当はカナビスの使用で陽性反応が出ても区別がつかず危険を回避できるからだ。


1999年、全米医学研究所(IOM)の指摘

1999年に発表された全米医学研究所(IOM)の報告書でも、カナビスの製剤化による問題解決を提案している。報告書では、医薬品としてのカナビスの有用性を認めた上で、分離した個別のカナビノイドや、合成カナビノイド、カナビノイド類似品の可能性について触れている。

「・・・カナビスに医薬品としての将来があるとすれば、それは、成分を分離したカナビノイド又はその化学合成派生物の中にある・・・従って、カナビス喫煙による臨床実験を行うにしても、その最終目的は、カナビスを認可医薬品とすることにあるのではなく、効果が迅速に発現する喫煙によらないカナビノイド搬送システムを開発にある」 と報告書は指摘している。


合成カナビノイドの可能性

確かに、ある限られた状況下では、カナビノイドやその派生物には、カナビスを喫煙したり食べたりするよりもアドバンテージがある場合もある。

例えば、カナビジオール(CBD)製剤は、時には不安を助長してしまうTHCを含んだ天然カナビスよりも、坑不安・坑けいれん治療薬としてより効果が高い可能性がある。

また、一部のカナビノイドやその派生物には静脈注射できるという特徴があり、天然のカナビスが使えないという状況下では役に立つ。

例えば、血栓症や塞栓性発作に見回れた直後の患者の15〜20%が意識を失い、また、頭を強打して脳症候群を起こして意識を失ってしまう人もいるが、新しく開発されたデクサナビノール(HU-211)には、卒中直後に投与すれば脳細胞を障害から守る働きのあることが動物実験で確かめられており、意識を失った人間に静脈注射すれば有効な可能性がある。

その他のアドバンテージとすれば、精神効果を引き起こすCB1レセプターには作用せず、CB2レセプターだけに選択的に作用して精神効果を起こさないカナビノイド派生商品が開発されることも考えられる。このような医薬品は、「乱用の恐れ」のあるという規制薬物法の定義に制限されないので、普通の薬のように扱うことができる。

さらに、鼻孔スプレー、舌下スプレー、バポライザー、噴霧器、スキンパッチ、坐薬などでも、カナビス喫煙にともなう微細物質を肺に晒すことを避けることができる。


製薬開発の限界

問題は、製剤化によるこうした新製品の開発で、カナビスそのものの医療使用が廃れてしまうのかどうかという点にある。

確かに、新製品の多くは商用医薬品としては十分に役に立ち、安全性も備えたものになるだろうが、しかしながら、製薬会社は巨額な開発費を注ぎ込むほど価値があると考えるかどうかについては別問題だ。

例えば、カナビノイドのアンタゴニストを使って食欲を抑える製品などは実際に製品化されつつあるが、食欲を増進させるカナビスの逆作用を狙ったそうした製品ならまだしも、カナビスで治療効果のある大半の症状については、いかなるカナビノイド派生品であっても、天然のカナビスそのものの効果を凌駕することはほとんどありそうもない。

さらに、開発された製品が、カナビスのような際立って広範囲な治療に使えるということも余り考えられない。なぜなら、天然のカナビスにはさまざまな成分が含まれており、それらが相乗効果を発揮するからだ。

例えば、天然のカナビスに含まれるTHCとCBDは、それぞれでいろいろな症状に効果を持っているが、相乗効果で合成デキサナビノールと同様に、卒中や外傷から脳細胞を守る働きのあることも動物実験で知られている。

また、製品の安全性を示す「治療可能比」という問題もある。当然のことながら、製品では、症状に見合った大きさの治療可能比が要求される。

カナビスの人間に対する治療可能比は、過剰摂取で死んだ人がいないために知られていないが、動物実験からの推定では2万から4万とも言われている。しかし、製剤化された製品の治療可能比がこれほど大きくなるとはまず考えられない。なぜなら、そうした製品は、天然のカナビスに比較して物理的に多量摂取が容易で安全性に劣る可能性が高いからだ。


アメリカ政府の問題点

いずれにしても、最後は、医療カナビスに関するアメリカ政府の問題は何なのか? というところに行き着く。

政府の目から見た問題は、カナビスを医薬品として利用している親戚や友人を持つ人がますます増えることで、政府が長年にわたってカナビスに対して言ってきたことが説得力を失いつつあるとうい危機感から出てきている。

カナビスが実際には目覚ましい医薬品であることを目のあたりにした人たちはそれに感謝し、やがて、従来のほとんどの医薬品よりも副作用がないことに気づき、アスピリンのように著しい多芸多彩な効果を持っていることに驚き、値段も安いことから今まで使っていた薬をやめてカナビスに切り替えてしまう。

そして、たとえ余暇的な使用であっても、カナビスに、年間75万人もの人々を逮捕しなけれなならないような正当な理由が本当にあるのだろうかと疑い始めるようになる。

そこで、政府は、医療カナビスの禁止を撤廃して受け入れてしまえば大破局のゲートウエイになると言う。結局、政府の言い分に従えば、現在のように医療用途以外のカナビス使用を禁止する政策を強力に遂行する一方で、医療用途だけ認めるという法律を作ることなど想像し難く、いかなる理由であれカナビスを使うことは受入れられないと言うことになる。

だが、医療用途と嗜好用途をうまく折り合わせることが可能だと考える人も多い。実際、現在のカナダやオランダ政府はそのような方向性を追求しているし、アメリカの医療カナビス法を持つ多くの州にも同じことが言える。

しかしながら、アメリカ政府が、何千もの患者が医療カナビスを使っている現実を見ず、医薬品として認めるには大規模な二重盲検試験が必要だと言い張りながら、実際にはそうした研究を認めない画策を続けている限り、簡単なことではない。


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[06] H. A. Hare, Clinical and Physiological Notes on the Action of Cannabis indica, Therapeutic Gazette 11 (1887): 225-226.

[07] Ibid., 226.

[08] J. R. Reynolds, Therapeutic Uses and Toxic Effects of Cannabis indica, Lancet 1 (1890): 637.

[09] J. B. Mattison, Cannabis indica as an Anodyne and Hypnotic, St. Louis Medical Surgical Journal 61 (1891): 266.

[10] Ibid., 268.

[11] E. A. Birch, The Use of Indian Hemp in the Treatment of Chronic Chloral and Chronic Opium Poisoning, Lancet 1 (1889): 625.

[12] Mattison, Cannabis indica as an Anodyne and Hypnotic, 266-267.

[13] W Osler, The Principles and Practice of Medicine, 8th ed. (New York: Appleton, 1913), 1089.

[14] Mattison, Cannabis indica as an Anodyne and Hypnotic, 271.

[15] U.S. Congress, House Ways and Means Committee, Hearings on H.R. 6385: Taxation of Marihuana, 75th Cong., lst sess., Apr. 27, 1937, 91, 94.

[16] Ibid., 116.

[17] Ibid., 117.

[18] S. Allentuck and K. M. Bowman, The Psychiatric Aspects of Marihuana Intoxication, American Journal of Psychiatry 99 (1942): 248-251; Editorial: Recent Investigation of Marihuana, Journal of the American Medical Association (hereafter JAMA) 120 (1942): 1128-1129; Letter: Anslinger, The Psychiatric Aspects of Marihuana Intoxication, JAMA 121 (1943): 212-213; Letter: Bouquet, Marihuana Intoxication, JAMA 124 (1944): 1010-1011; Editorial: Marihuana Problems, JAMA 127 (1945): 1129; R. S. deRopp, Drugs and the Mind (New York: St. Martin's, 1957), 108-109.

[19] Drug Enforcement Agency (hereafter DEA), In the Matter of Marijuana Rescheduling Petition, Docket 86-22, Opinion, Recommended Ruling, Findings of Fact, Conclusions of Law, and Decision of Administrative Law Judge, Sept. 6, 1988

[20] Grinspoon v. DEA, 828 F.2d 881 (1st Cir. 1987).

[21] Marijuana Scheduling Petition, Denial of Petition, Federal Register 54, no. 249 (Dec. 29, 1988), 53784.

[22] U.S. Court of Appeals, District of Columbia Circuit, Docket 90-1019, Petition for Review of Orders of the DEA, Apr. 26,1991, 9.

[23] Alabama, Alaska, Arizona, Arkansas, California, Colorado, Connecticut, Florida, Georgia, Illinois, Iowa, Louisiana, Maine, Michigan, Minnesota, Montana, Nevada, New Hampshire, New Jersey, New York, North Carolina, Ohio, Oklahoma, Oregon, Rhode Island, South Carolina, Tennessee, Texas, Vermont, Virginia, Washington, West Virginia, and Wisconsin

[24] DEA, Marijuana Rescheduling Petition, Docket 86-22, Affidavit of Philip Jobe, Ph.D.

[25] Ibid., Affidavit of Daniel Danzak, M.D.

[26] Annual Report to the Governor and Legislature on the Antonio G. Olivieri Controlled Substances Therapeutic Research Program, New York State Department of Health, Sept. 1, 1982.