カナビスは第一選択薬

子供の精神障害

Source: O'Shaughnessy's
Pub date: Spring 2006
Subj: Cannabis is a First-Line Treatment for Childhood Mental Disorders
Author: Tod Mikuriya
http://ccrmg.org/journal/06spr/firstline.html


1996年、カリフォルニア州では、「カナビスで苦痛が緩和する・・・あらゆる疾患」の治療にカナビスを使うことが合法化された。州法によれば、特に医者が子供や未成年に対してカナビスを処方することを制限しているわけではないが、州医師会は未成年には効果に大きな疑問があるとして問題視してきた。

実際、16才以下の患者に対しては、カナビス・クリニック協会に加入している医者でさえ、従来の医薬品を全ての試して効果がなかった場合以外にはカナビスを使おうとしてこなかった。

しかし、ここで取り上げるアレックス少年のケースを見れば、第一選択薬として従来の認定医薬品を明確な理由もなく処方することが、子供に害を及ぼす可能性のあることを教えてくれる。


アレックス少年

15才6ヶ月になるアレックス少年が、母親に連れられて私のクリニックを訪れたのは2005年2月のことだった。その時点で、少年はカイザー保健システムの医師からいろいろな医薬品を処方されていたが、それには、コデイン薬フィオリセット(30mg、1日3錠)、クロノピン(1mg、1日2錠)、アチバン(1mg、1日2錠)などを始め、双極性うつ病や統合失調症傾向、偏頭痛や不眠症や攻撃的激情などさまざまな治療に必要だとしてダイローディッド(Dilaudid)も含まれていた。

それ以前にも、リタリン、プロザック、パキシル、マクサルト、イミトレックス、デパケン、フェネルガン、インデラル、クロルプロマジン、アミトリプチリン、ブスピロン、ヴァイコディン、クエチアピン、リスペリドン、オランザピン、クロザピン、ノルコ、オキシコドンなどが処方されていた。

アレックスからは自分の病歴について、さらに母親のバーバーラにはアレックスを外して聞き取り調査を行ったが、二人は隠さずにすべてを話してくれた。

母親によると、アレックスの体は健康だったが、「規則正しい睡眠は決して身につかなかった」。アレックスは彼女の2番目の子供だったが、夫には前妻とのあいだに3人の子供がいて、夫とは結婚してからもずっと 「ぎくしゃくした関係」 が続いていた。

アレックスは両親の喧嘩にはいつも仲裁に入ろうとするような子供だった。私の見たところでは、彼が学齢期になっても学校に行きたがらなかった原因は、家にいない間に両親に何かあったらと心配していたからのように思われた。

アレックスは、話言葉によるコミュニケーションには問題はなかったが、読み書きの能力が伴わず、先生からは中学校に行く前に特別の個別教育を受けて補習するように告げられた。

母親によると、先生たちは失読症とまでは言わないものの、物事を遂行する能力に欠けていると言っていた。アレックスは学校では行儀良い子供で、粗暴な振舞をしたわけではないが、物事を集中してできないので注意力欠陥障害(ADD)とみなされていた。そのために11才のときにリタリンを処方されるようになった。


施設での薬剤投与

中学に入ると、アレックス少年は13〜14才の上級生とつき合うようになったが(そのときにはじめて興奮剤とカナビスを教わった)、仲間で自動車を盗んで捕まり、カイザー保健と提携している病院のあるセントラル・バレー少年司法施設に4年間通わされた。

母親のバーバラによると、その4年間に 「彼らはありとあらゆる薬を彼に使い、アレックスは不眠症になり、私に向かって暴れて殴ってくるようになりました。やがて暴力は兄弟や父親にも向けられるようにエスカレートし、トラックにまで八つ当たりするようになりました。でも後になるとそのことを憶えていないのです。私には、完全に別の人間に見えました。私は、これは彼自身の問題ではなく、投与されている薬のせいだと思うようになりました。」

バーバラは、アレックスに薬を与えることを強制した裁判所の命令に従ったことに強い自責の念を感じていると語っていた。

アレックスは13才のときに家の外にある木で首つり自殺を試みたが,その時はたまたま帰ってきた兄弟に発見されて助けられた。しかし、アレックスは、他にも何度か薬を多量に飲んで自殺しようとしたこともあると言っていた。


カナビスに対する社会の偏見

アレックスは、11才のときに友達からカナビスを教わって以来、カナビスには気持ちを鎮めてくれる効果があることに気づいていた。少年施設で出会った多くの少年たちもカナビスの所持で送られてきていた。

母親は「アレックスは、カナビスがストレスを和らげて頭痛を抑えてくれることを知っていました。集中力が増して、よく眠れるようにしてくれるのです。彼に必要な全てがありました。でも、私はカナビスを吸ってほしくはありませんでした」 と語り、セントラル・バレーのコミュニティからの社会的圧力や、アレックスがカナビスを手に入れようとすることに対して夫からも反対を受けていた、と振り返っている。

「アレックスはカナビスの所持で3回リハビリ・センター送りになりました。裁判所の命令で2回は入院で1回は外来です。私は裁判官にアレックスが入院に耐えられないと訴えました。入院するとカナビス欲しさに外へ出たがるからというのではなくて、家にいたがるからです。知合いのいない施設に押し込められるのが耐えられないのです。無理に入れればアレックスはさらに気がおかしくなってしまいます。実際、彼は、1回は脱走して家に戻り、もう1回は施設の方から追い出されました。」

アレックスの精神状態はさらに悪化し、繰り返しカナビスを吸っいたいと訴えるようになった。バーバラは情報を求めてインターネットでいろいろ調べるうちに合法的に処方されているマリノール(ドロノビノール)がカナビスと同じようなものであること知り、さっそく彼女はカイザーの医師にマリノールを処方してくれるように頼んだが拒絶されてしまった。


カナビノイド治療

バーバラはさらにインターネットを調べ、カナビノイド治療の専門家である私のところにたどり着き、診察の予約を入れてきた。

クリニックを訪れた2005年2月に、私はマリノール(10mg)の処方箋を書いた。だが、アレックスは、発現が早く摂取量の調整しやすいカナビスの喫煙のほうが 「よく効くし、必要な量も調整できる」 から続けたいと言い張った。私は、吸うならバポライザーを使うようにアドバイスした。

その後、アレックスは、保護観察局のドラッグ・テストでカナビノイド陽性になり、高等裁判所の審問で裁判官から、マリノールがカナビスのドラッグ・テストの結果を狂わせるから止めるように宣告された。裁判官は、カナビノイド治療の専門家の正統性を明確に否定し、カイザーの処方する医薬品に限るように命じた。

「裁判官は、医者でもないのに医薬品の決定も含めて、自分には何でも決める権限があると思い込んでいるように見えました。彼は、アレックスが以前にカナビスで捕まっていることから、ドラッグ問題を抱えていると考えたのです」 とバーバラは語っていた。結局、次に開かれた審問で別の裁判官になって、その命令は撤回された。

アレックスは、2005年5月に保護観察期間が終了すると、もっぱらカナビスの喫煙だけで治療するようになった。


劇的な改善

アレックスとバーバラは経過報告のために2006年2月に再び私のクリニックを訪れた。アレックスは気分や機能性が劇的に改善したと語っていた。この1年間で偏頭痛に襲われたのは1回だけで、それも病院に行ってダイローディッドを注射してもらわなければならない程ではなかった。

今では小さな公立学校に通い、個別指導を受けて、成績もAとBが並んでいる。「学校ではみんなに好かれているよ」 と鼻高々だった。彼の先生も、医師のすすめで治療にカナビスを使っていることを知っている。

アレックスは週におよそ30グラムのカナビスを吸っている。安く入手できると、さらに50%以上使うこともあるという。ギターに興味を持つようになって、いくつものモデルを持っているのに、バポライザーは 「値段が高いから」 使っていないと弁解していた。いずれにせよ、「前はクロノピンや他の鎮痛剤なんかもたくさん使っていたけれども、カナビスを使うようになってからはやっていない」 ということだった。

母親のバーバラは、カナビスを使うことに難色を示していた夫も、アレックスの家での様子をみて理解してくれるようになったと語っていた。

「マリノールを3ヶ月やってみて彼の具合が良くなっているのがわかりました。たくさんのことが上手にできるようになりました。よく眠るし、他の薬は全然使わないようになりました。マリノールを始めるようになってから、偏頭痛で救急病院に連れて行くようなこともなくなりました。全体にとても良好です。犬をつれて散歩に行くし、部屋もよく片付けるようになりました。家事も手伝ってくれます。」

「良くなったとつくづく思います。以前は、次に何が起こるのか考えることもできませんでした。でも今では、仕事についているアレックスの姿を思い描くこともできるようになりました。」


カナビスは第一選択薬

アレックスのケースは医原性疾患の一例といえる。医薬品指向のスクール・カウンセラーと行政当局者が害の役割を果していた。以前の時代の精神分析医なら、家族の布置(family constellation)を検証することにもっと力を注いでいたはずだ。適切な努力をしていれば、アレックスの不眠症が学業成績の悪さの原因になっていることは予想できたはずだ。

適切な努力を怠り、11才の少年のしつこい不眠症に対して「遂行能力の欠如」などという安直な診断を行い、メチルフェニデートなどの興奮剤を与えるという逆の処方をしてしまっている。その結果、学校や行政当局ともトラブルを起こしてしまった。薬が誘発した強い不安と苦痛に対処するためにをさらに不適切な薬を処方するという悪循環に陥ってしまった。

1999年に発表された全米医学研究所(IOM)の報告書では、すべての認可医薬品を試して効果のない疾患の治療にはカナビスを使ってみる価値があると指摘しているが、連邦政府の禁止法のために、どのような症状の患者にどのようにカナビスを処方すべきか示した公式なガイドラインが用意できない結果になってしまっている。

アレックスのケースは、子供に軽々しく興奮性医薬品や抗うつ剤や抗精神剤などを与えると深刻な副作用をもたらす可能性があることを示している。また、それはヒポクラテスの原則を踏みにじることにもなりかねない。どのような疾患であれ、効果に違いがなければ、第一に選択すべき薬はより副作用の少ない方を選ぶことが原則だ。その点からすれば、カナビスの副作用は深刻なものとはいえない。

子供の精神疾患の治療に当たっては、しつこい不眠症をはじめ広い範囲でカナビスを第一選択治療薬として採用すべきなのだ。

医者も親たちも、治療薬として子供にカナビスを使わせることに後ろめたさやリスクをかかえている。しかし、そのリスクは医学的というよりも法や社会に起因している。アレックスのケースはそうした現実をよく映し出している。


トッド・ミクリヤ医師 (1933.9.20-2007.3.20) は、カナビス治療の専門家として世界的に知られており、患者からの信頼や尊敬も厚く、数々の賞 にも輝いている。日系アメリカ人。

また、ミクリヤ医師はカナビス医療運動でも極めて重要な役割を果たしている。

1996年、カリフォルニアの医療カナビス住民投票条例案(プロポジション215)を作成していた デニス・ペロン は、パートナーがエイズだったこともあってカナビス治療の対象をエイズ中心に考えていたが、メディポット・クラブ で診療に協力していたミクリヤ医師は 「カナビスで苦痛が緩和する・・・あらゆる疾患」 を対象とするように強くアドバイスした。

現在になってみれば、この文言の重要性は医療カナビス条例の要であると考えられている。この文言がなければ、医療カナビス条例は極めて限定されたものになる。プロポジション215はその後、広く手本とされて各州で成立していったが、条例が成立しやすいようにいずれも病名などの 適応範囲を限定 している。

アメリカでは、1840年代から1910年代ごろまでカナビスはさまざまな 医療品 として利用されてきたが、1930年代にカナビスが禁止されてから徹底的な排除が行われたためにカナビスの医療利用の知識も失われてしまった。

しかし、ミクリヤ医師はカナビスの医療価値に気づき、過去のカナビスの医療の実態について再検証を開始し、1972年に過去の医学論文を集大成した 「マリファナ・メディカル・ペイパー」 という本を発行して注目を集めた。

これまでに、ミクリヤ医師がカナビス治療で診察した患者の数は8000人以上に及び、カナビスがさまざまな症状に有効であることを実証してきた。なかでも、アルコール中毒の治療にカナビスが有効であることに気がついた最初の研究者としても知られている。

Dr.ミクリヤ、医療カナビス適応疾患リスト

トッド・ミクリヤ・MD
California Cannabis Research Medical Group
O’Shaugnessy’s
バポライザー情報