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1839 |
ウイリアム・オショネシーが 『インディアン・ヘンプのガンジャの調合薬について』 と題する40ページの論文を発表して、近代西洋医学にカナビスをもたらした。
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1894 |
カナビスの長期的使用に関する初めての近代的な研究である「インディアン・ヘンプ調査委員会報告書」が発表された。結論では、たとえ長期使用者であっても健康の害になるような副作用はごく僅かと報告。
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1800s 〜 1937 |
カナビスは、チンキ剤などの調合医薬品の成分として広く使われていたが、しばしば、他の配合成分との関係で、効果が不安定で結果が予期できないこともあった。
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1914 |
薬物に対する処方規制を目的としたハリソン法が成立。
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1937 |
マリファナ税法が成立。この法律によって、カナビスの所持に税金が課せられるようになった。また、この法律については、1969年の最高裁で、自己負罪(自分を有罪にしようとすること)に逆らう権利を認めた合衆国憲法に違反すると裁定されている。 [1]
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1941 |
カナビス医薬品が、アメリカ薬局方と医薬品総覧から削除される。
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1942 〜 1966 |
このころは、カナビスの利用は散発的で一部の特定グループに限定されていた。カナビスの公式な研究も行われることはなかった。
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1964 |
イスラエルのマッカラム博士に率いられた研究チームが、THC分子をはじめて単離。
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1967 |
食品医薬品局(FDA)が、ハーバード大学医学部のアンドリュー・ワイル博士に、「人間のカナビス使用の安全性に関する基礎研究」を許可。
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1968 |
保健・教育・福祉省の翼下にあるFDAは、今後、ドラッグの非医学的使用については起訴を担当しないことになり、司法省下にBNDD(麻薬・危険薬物取締局、現DEA)を設けて権限を移した。
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1970 |
薬物規制法が成立。以前のドラッグ規制法の全てを撤廃して統合し、単一の法に改めた。
5段階の分類表を使って、ドラッグの依存性と乱用可能性を分類
カナビスは最も厳しい第1分類(医療使用は不可)
カナビスの研究をするには、BNDD(DEA)の認可が必要
エドワード・ケネディなどの幾人がの上院議員が反対
カナビスの適正な分類を決定するために委員会が設置された
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1970 |
キース・ストロープが、NORNL(マリファナ法改革をめざす全国組織)を設立。
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1972 |
リチヤード・ニクソン大統領に任命された「マリファナとドラッグの乱用に関する連邦委員会」(通称、シャファー委員会)が、『マリファナ、誤解のシグナル』と題する報告書を発表し、カナビスの非犯罪化を提言。 [2]
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1972 |
ガンの化学療法に伴う吐き気の治療に、カナビスが有効であるという事例報告。
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1972 |
NORMLが、規制薬物法でのカナビスの分類を変更するように行政訴訟を起こした。だが、BNDDは、国際条約義務違反になるとして聴聞会の開催を拒否。
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1973 |
BNDDが、権限を強化したDEA(麻薬取締局)に格上げされる。
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1974 |
保健・教育・福祉省、「マリファナ、ヘルス・レポート 1974」を出版。
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1974 |
進行した緑内障を患うロバート・ランダールが、治療にカナビスが有効であることを発見。
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1974 |
ワシントンDC控訴審、BNDDが、国際条約義務違反になるという理由でカナビスの再分類の検討を拒否したことを不当と判決。
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1975 |
ハーバード大学医学部のサレーン、ジンベルグ、フライ博士が、FDAから、ガン患者にカナビスの活性成分であるTHCを使った研究の許可を得る。THCはある程度治療の役に立ったが、数人の患者はカナビスを吸ったほうが効果があるとして研究から脱退。 [3]
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1975 |
ロバート・ランダールとアリス・オレアリーが、ワシントンDCのアパートでカナビスを栽培して逮捕される。
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1976 |
ロバート・ランダールのカナビス栽培に対する刑事責任を問う裁判で、ワシントンDC最高裁のジェームス・A・ワシントン裁判官は、「医療の必要性」を認めて検察の主張を却下した。判決により、ランダールはアメリカで唯一合法カナビス・ユーザーとなった。
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1977 |
連邦控訴審は、1974年のNORMLのカナビスの分類変更の申し入れに対して、DEAに聴聞会を開くように命令。
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1978 |
FDAのコンパショネートINDプログラム(温情にもとずく治験新薬プログラム)で、ロバート・ランダールが最初の合法カナビスの受給者になった。彼の受け取っていた政府の合法カナビスは、ミシシッピー大学で栽培され、ノースカロライナの連邦ドラッグ乱用研究所(NIDA、ナイダ)で紙巻シガレット状に巻かれてパックされたもの。(現在の合法カナビスも同様にして作られている)
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1979 |
国立ガン研究所が資金を提供し、吐き気に苦しむ15人のガン患者を対象としたTHC二重盲検実験がFDAから認可を受けた。この研究では、THCまたはプラセボで軽減のみられない患者に対しては、救済措置としてカナビスを喫煙させてもよいということになっていたが、一部の患者ではTHCよりもカナビスのほうが効果のあることが示された。
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1978 〜 1983 |
34の州で、カナビスの医療研究と医療使用を認めた州法が通過。州法の内容にはいくつかのパターンがあったが、ニューメキシコ、ジョージア、ミシガン、ニューヨーク、カリフォルニア、テネシーの各州では、カナビスを使った治療プログラムも含まれていた。
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1979 〜 1983 |
これらの州の研究チームは、FDAの認可を受けて、ガンの化学療法に伴う吐き気の治療にカナビス喫煙を使った臨床実験を実施したが、一部の患者では、経口THCピルよりもカナビス喫煙のほうがより効果のあることが示された。
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1982 |
NIDAのウイリアム・ポーリン局長が、アメリカのすべての図書館に書簡を送り、カナビスに関するこれまでのNIDAの文書を蔵書から破棄するように要請。
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1982 |
アメリカ学術研究会議の薬物乱用と行動習慣に関する委員会が『マリファナ政策の分析』と題する報告書を発表。「カナビスの成分が各種の疾病の治療に役立つという予備試験データは揃っている。」 [4]
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1985 |
FDA、経口投与型のTHCピルの医療使用を許可。
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1986 |
THCピルの製造と販売がFDAから私企業のユニメッド製薬に引き継がれれ、THCピルは、規制薬物法の第2分類(医師の処方と書面による厳格な管理)に加えられた。商品名はマリノール。
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1986 |
DEA、カナビスの医療利用についての聴聞会を開くことに合意。
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1988 |
DEAの行政法の判事であるフランシス・ヤング裁判官が、カナビスの医療可能性に関する聴聞会の結果をまとめた 『マリファナの再分類について』 と題する報告書を発表し、分類の変更を支持。 [5]
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1989 |
DEAのジャック・ラーワン局長が、ヤング裁判官の勧告を拒否し、医療カナビスを 「邪悪なイカサマ」 だと非難。
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1989 |
国立精神衛生研究所の研究チームが、人間の脳内にエンドカナビノイド・レセプター・システムがあることを発見。
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1990 |
ステーブ・Lが、ロバート・ランダールの支援でエイズ患者としては初めてNIDAから合法カナビスの支給を受けるようになった。しかし、1ヵ月後に死去。
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1990 |
ロバート・ランダールに対して、FDAは、コンパショネートINDプログラムをN-of-1プログラムにすることを打診。この方法は、いろいろな治療法を適用してどの治療法が一番有効かを判定するもので、しばらく続ければ、カナビスを処方医薬品とするのに十分なデータを集めることができるという理由だった。しかし、ランダールは、このFDAの提案が自分で医療カナビスを用意しろという意味だと考えて、断った。
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1991 |
アメリカの1000人以上のガン専門医を対象に実施したハーバード大学の調査で、70%の医師が、自分の患者で制吐剤としてカナビスを使っている人が少なくとも一人はいると回答。また、患者のカナビスの使用について経過を観察したり、話合いをしたことがあると答えた。
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1991 |
第3回巡回控訴審が、FDAに対して、長年にわたって続づけられてきたカナビスの医療使用禁止措置を再考するように命じた。
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1991 |
ロバート・ランダールがMARS(マリファナ・エイズ・リサーチ・サービス)を設立して、エイズ患者のコンパショネートINDプログラム申請に必要な書類作成を無駄なく確実にできるように支援。
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1991 |
FDAの医薬品審議官を務めるカーチス・ウエイト博士が、INDプログラムを受けている患者がまだいるにもかかわらず、差し止めでFDAの研究が停滞していると指摘。 [6]
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1992 |
エイズ患者の殺到を恐れて、コンパショネートINDプログラムが打ち切られた。この措置で、申請中の28人が却下、すでに適応を受けていた13人だけに以降も合法カナビスの提供が続けられることになった。10年後の生存者は7人。
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1994 |
FDAが、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のドナルド・アダムス博士に、エイズの消耗症候群の治療にカナビスを使う実験を認可。だが、DEAは、流用の恐れがあるとして、研究にカナビスを使うためのライセンス申請を拒否。 [7]
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1995 |
アダムス博士が研究に使うカナビスをNIDAに申請したが、DEAと同じ理由で拒否された。これによって、国立衛生研究所の承認システムを通じて、正式にプロトコル評価を受けて資金提供された研究として実施する以外に方法がなくなったが、国立衛生研究所もアダムス博士の申請を却下した。
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1995 |
ジョン・ガットマンが、カナビノイド・レセプター・システムの発見でカナビスの医療利用に道が開かれたとして、DEAに対して、カナビスの規制薬物法分類を変更するように新たに申立てた。
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1996 |
カリフォルニア州とアリゾナ州で、カナビスの医療利用を合法化する住民条例が有権者の圧倒的多数の賛成で通過。カリフォルニアでは、215住民条例の通過にともなって、カリフォルニア大学サンディエゴ校に医療カナビス研究センターが設立された。また、患者が合法的にカナビスを購入できるカナビス・バイヤーズ・クラブの開設が拡がった。
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1997 |
ホワイトハウス麻薬撲滅対策室のバリー・マカフェリー長官が、カナビスの医薬品としての利用価値を調査するために、全米医学研究所(IOM)に100万ドルを提供し、18ヵ月間ですべての科学テータを検証するように要請。
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1997 |
国立衛生研究所が、IOMの検証と同様の目的で、カナビスの医療価値を評価する作業部会を編成。部会のなかに設けられた特別専門グループが、カナビス治療の可能性が見込まれるとして、NIDAはFDAの承認した研究にカナビスを提供すべきだと結論を出した。 [8]
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1997 |
アダムス博士が申請していた、エイズ患者のカナビスとタンパク質分解酵素のプロテアーゼ抑制相互作用に関する薬力学評価研究に対して、国立衛生研究所から、認可と97万8000ドルの資金、さらにNIDAからも、カナビス供給保証を獲得した。
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1997 |
モンタナ大学のエサン・ルッソ博士が、偏頭痛の治療にカナビスを医療的に使う研究プロトコルを作成しFDAに提出したが、FDAは、国立衛生研究所の特別委員会の勧告とは正反対に、まず先にNIDAからカナビスの供給を受けることが必要だとする新しい制約を設けて強要した。
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1997〜 1998 |
FDAのオーファンドラッグ開発局は、エイズの消耗症候群の治療用オーファンドラッグとしてカナビス喫煙を使うことを目指した3つの異なる研究計画の申請をすべて却下した。オーファンドラッグ(みなしご薬)とは、患者数が少なく利益の見込めない薬のことで、どこの製薬会社も開発しようとしない研究に対して、国が補助して開発を促すようになっている。
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1998 |
ルッソ博士が、2つの異なる研究プロトコルを国立衛生研究所とFDAに認可申請したが、両方とも却下される。
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1998 |
連邦議会が、カナビスの医療使用を認めるかどうかの適正な決定は、FDAの規則にもとづいた科学的プロセスによるべきだと決議。
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1999 |
FDAが、1997年の国立衛生研究所の特別専門グループなどから出ていた幾多の勧告を無視して、科学者が医学研究用にNIDAからカナビスの供給を受ける際に必要な新ガイドラインを発表。 [9]
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1999 |
全米医学研究所(IOM)が、『医薬品としてのマリファナ、科学ベースによる評価』 を発表。「カナビノイドの治療価値は、化学療法の制吐剤やエイズの食欲増進剤にとどまらず極めて広い可能性を持っている」 と結論。 [10]
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2000 |
作家でエイズ患者としても知られるピーター・マクウイリアムズが、逮捕後に、カナビスを吸うためには裁判を受けることが必要だと強要され、嘔吐で喉を詰まらせて死亡。
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2000 |
第1回カナビス治療に関する全国臨床カンファレンスがアイオワ大学で開催される。
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2001 |
ロバート・ランダルがエイズで死去。生涯を通じて視力を失うことはなかった。
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2001 |
連邦最高裁は、規制薬物法に「医療の必要性」の条項が含まれていないことを理由に、国の家宅捜査を受けたカリフォルニアの医療カナビス・ディスペンサリーがそれを盾にして弁護を行うことはできないと裁定。
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2001 |
カナビス治療学ジャーナルがハワース・プレスから発行開始。編集はルッソ博士が担当。
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2002 |
マリノール、規制薬物法の第2分類から規制の緩い第3分類(医師の処方で専門薬局で購入)へと格下げ。
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2002 |
オハイオ・ペイシェント・グループが、全国66件の世論調査を分析した 『人々の意見、医療カナビス世論調査 1996〜2002』 を発表。全体では68%がカナビスの医療使用を支持していることが明らかにされた。暮に行われた雑誌タイムによる世論調査でも、回答者の80%以上が医療カナビスを支持していることが報道された。
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2002 |
ルッソ博士とメリー・リン・マーザ看護マスターは、コンパショネートINDプログラムを受けている4人の現存患者を調査して、カナビス治療学ジャーナルで、カナビスの長期使用による副作用がほとんど見られないと発表。
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2002 |
DEAが、カリフォルニア州法のもとで合法的に運営している医療カナビス・ディスペンサリーを強制捜査。その中には、終末期患者のホスピスにもなっているWAMM(Wo/Men’s Alliance for Medical Marijuana)も含まれていた。連邦法により、数人の役員が裁判で投獄された。
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2002 |
カリフォルニア最高裁が医療カナビス215条例を支持し、カリフォルニアで処方されている他の医薬品と同様に、カナビスを扱うことを求めた。
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2002 |
ジョン・ガットマン博士を代表とするCRC(カナビスの分類変更を求める連合)が、カナビスには医療価値がないとするDEAの決定は権限の乱用であり害毒になっているとして、カナビスを規制薬物法の第1分類から外すように申し立てを行った。
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2003-3 |
ホワイトハウス麻薬撲滅対策室のジョン・ウォルターズ長官が、「カナビスの喫煙が安全で医療効果があるなど言っている研究は今までない」 とプレスリリースで主張。 [11]
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2003-4 |
DEAは、アメリカでカナビスの医療使用が受け入れられているという事実を認めるべきだと主張したCRCの申し立てを受理した。 [12]
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2003-9 |
オランダで医療カナビス処方開始。同時期にカナダでも保健省が医療カナビスの提供を開始。
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-- マリファナ税法の審議でアメリカ医学界の代表として発言。1937年