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医療カナビスとは?
カナビスの医療利用には大別すると、天然のカナビスを使ったものと、化学合成によって人工的に作成したマリノールのような合成カナビノイドがあるが、後者を医療カナビスと呼ぶことはない。
だが、天然のカナビスを使ったものにも2種類ある。一つは植物をそのまま乾燥した「ハーバル・カナビス」で、もう一つは製薬会社がアルコールなどで成分を抽出して製剤化したもので、サティベックスなどの製品が知られている。「カナビス製剤」は、国から認証を受けて医薬品として販売することを前提にしている。
しばしばこの2つは混同されているが、例えば、カナダやアメリカの州の医療カナビス法では、ハーバル・カナビスが対象で、製薬会社が製剤化したカナビス製剤は含まれてはいない。従って、「医療カナビス」は、普通、ハーバル・カナビスを指している使われる。
多様な医療カナビス
医療カナビスの際立った特徴は、その品種の多様性で数百種類以上ある。それぞれの品種によって、THC,CBD,CBC,CBGなどカナビノイドやフラボノイドなどの含有割合が異なっており、それぞれの効果がシナジー的に重なり合って、多様な治療効果を生み出している。特に、THCとCBDの割り合いが重要で、症状によってはCBDが決定的な効果を持っている。患者にとっては、いろいろ試して自分の症状に適合した品種を選べることが大きな特徴にもなっている。
成分構成の違いの例としては、オランダ政府の医療カナビス がよく知られている。薬局で標準で販売している種類には、ベドローカン(THC18%)、ベドノビノール(THC11%)のほかに、多発性硬化症向けにCBDの多く含まれるベディオール(THC6%、CBD7.5%)がある。その他にも、特定患者向けに160種類以上の品種を栽培している。
また、カリフォルニア州やカナダの民間カナビス・ディスペンサリーでは、普通のバッズやハシシのほかにも、食用のクッキーや チョコレート、チンキ、鎮痛・消炎パッチやクリームなど多様な製品を提供している。(カナダ・バンクーバー医療カナビス・ディスペンサリー・メニュー 参照)
嗜好カナビスとの違い
医療カナビスと嗜好カナビスは同じ天然のハーブで植物的には違いはないが、使用目的が異なるために栽培や取扱いの方法などが違う。
特に大きな違いは、品質の安定性と、身体の弱った患者には生命に影響する可能性もあるカビや細菌などの対する衛生管理で、オランダ政府やカナダ政府が供給している医療カナビスでは絶対的な条件になっている。この点で対極にあるのは嗜好用のカナビスで、すべてにルーズで基本的には何も保証されていない。
これらの中間的な存在が民間の医療カナビス・ディスペンサリーで、患者向けに多様な品種や製品を取り揃えて人気も高い。だが、栽培が違法であることから管理は政府の医療カナビスほどは徹底していない。
コーヒーショップのカナビスは細菌に汚染されている
オランダ政府の医療カナビスとコーヒーショップのカナビスを比較した研究によると、THC濃度については差はないものの、細菌のコロニー数では圧倒的な違いが報告されている。
コーヒーショップ製品のカビ・コロニー数は医療許容限度以内のものはなく、医療的にみればすべて汚染されている。これは、政府の医療カナビスにはガンマ線照射が義務づけられているという事情もあるが、コーヒーショップのカナビスは主に品種で値段が決まってしまうので収穫後の後工程に対する評価があまり重視されていないという事情も反映している。
カビには皮膚障害や肺炎など肺の感染症を引き起こすものもある。アスペルギルスがよく知られているが、燃やしても胞子は生き残こるので、特に体の弱い医療患者では命にかかわることもある。
必ずしも、高品質の医療カナビスが受け入れられるとは限らない
しかしながら、実際には、医療カナビスと嗜好カナビスの違いはそれほど大きなものではなく、患者側からすれば、必ずしも高品質の医療カナビスを求めているわけでもない。
2003年9月にオランダで政府の医療カナビスの販売が始まったが、政府や医療関係者の多くは、政府が正式に医療カナビスの提供を始めれば、患者の大半がコーヒーショップやストリートでカナビスを買わなくなるはずだとして、当初は1万から1万5000人の患者が政府の医療カナビスを利用するようになると見込んでいた。しかし、このプログラムに参加した人は 1000〜1500人 に過ぎなかった。
このことは、単に品質が安定していてバクテリアやカビなどの危険のない医療カナビスを提供しただけでは、患者は決して満足しないことを物語っている。
実際には、患者の多くが慢性的な疾患を抱えて日常生活を営んでいる人たちで、品質は劣っていても種類が豊富に用意されているコーヒーショップや民間のディスペンサリーなどのコミュニティの中でいろいろな人と交わりながら実践的な情報と知識を得るほうが生きていることを実感できるからだ。
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