社会政策の取り組みはどうすべきか

合法化して、年齢制限を設け、教育指導をする

カナビスが、特に、統合失調症の原因になるかどうかについては、肯定する研究ばかりではなく否定的な研究もたくさんあって定説化しているとはとても言えないが、現在では、カナビスが精神病のトリガーになったり、精神病の病状を悪化させることがあるという点については十分なコンセンサスが形成されていると言ってもよい。(直接の因果関係はあるのか?

こうしたコンセンサスは、必ずしも最近の研究によってから語られ出したわけではなく、1960〜70年代のピッピーたちのカナビス・コミュニティでもよく知られていた。これは、当時、ドラッグを使うときにはセットとセッティングを整えることが大切だと盛んに言われていたことからもわかる。


●思考停止の2分法では対処できない

社会政策を検討する際にはリスクの可能性も最小限にするように考慮することが必要なのは言うまでもない。しかし、だからと言って、リスクをことさら大きく見ることはかえって社会の混乱を招きリスクを高めることにもなる。

リスクを最小化するための害削減という観点からみれば、カナビスが統合失調症の原因になるかどうかについて2分法で言い争っていても思考停止になるだけで意味はない。どちらにしても、ドラッグである以上はリスクがあるわけで、問題はリスクの有る無しではなく、何がどの程度のリスクなのかを科学的に問題にしなければならない。

ここで問題になっているのは、生まれつき精神脆弱性を持っているティーンがヘビーにカナビスを使っている場合で、カナビスを使う誰にでもリスクが等分にあるという話ではない。

精神的脆弱性があるかどうかを調べる方法がないから、社会政策的には、誰にでもリスクがあると考えるべきだという意見もあるが、リスク・グループはティーンのカナビス・ユーザーの中の数%に限られており範囲はほぼ限定されている。

それにもかかわらず、対象の限定されたリスク・グループの存在を理由に法律の厳罰化を求めるとしたら、同じ理由で、少量のアルコールを飲んだだけで肝臓障害になる脆弱な人が少数いるというだけで、彼らを守るためにアルコールを禁止しろという無茶苦茶なことになってしまう。


●ティーンエイジャーを子供扱いすることはリスクを高める

もちろん、言うまでのこともないが、数が少ないからといって未成年のカナビス使用を放任してよいことになるわけではない。誰からみても、15才でカナビスを頻繁に使っているということ自体に問題があると言える。

しかしだからと言って、『Just Say No!』 のような問答無用の誇張した恐怖話でやめさせようとするのは間違っている。ティーンエイジャーは子供ではあるが、すでに思考力と判断力を持っている。5年足らずで成人になることを考えれば、彼らを「すぐに大人になる子供」として扱わなければならない。

カナビスをやっていると精神病や中毒になってやめられなくなるといった誇張話は、かえってネガティブな結果をもたらす。いずれ、回りにはカナビスで精神病や中毒になった友達などほとんどいないことに気付く。大人が言っていたことが嘘だと知れば、カナビス以外のことでも大人たちは嘘を言って自分たちをダマしているにちがいないと考えるようになってしまう。

また、ティーンエイジャーのカナビスを抑止しようとしてドラッグ尿テストを採用する学校もあるが、そもそも生徒に対する疑いと恐怖感覚にもとずいた教育では子供の信頼を得ることはできず、かえってリスクを高めてしまう。カナビスの代謝物は体内残存期間が長いのでドラッグ尿テストでは発覚しやすく、実際、子供たちは、残存期間の短いアンフェタミンやコカイン、さらに合法の鎮痛剤やかぜ薬などカナビスよりもさらに危険な薬物に手を出すようになってしまう。


●精神病問題をカナビス攻撃の道具にしてはならない

カナビスに反対する人たちやマスコミは、自分たちの「正義感」から、カナビスに反対するための道具として精神病問題を利用し、カナビスの厳罰化を主張している。しかし、これは統合失調症患者への思いやりではなく、統合失調症に対する偏見をますます助長していることを見逃してはならない。

カナビスで精神病になった人を、勝手に違法なドラッグでそうなったのだから同情に値しないなどと言う人もいる。しかし、そうした発言自体が精神病を忌み嫌うべき悪いものだという感覚に根ざしており、なによりも精神病になってしまった本人を傷つけてしまう。

精神病の原因をあれこれ言っても精神病が癒されるわけではない。このことは、エイズ患者を同性愛やヘロインでそうなった人を別扱いで対処しようとした過去の過ちを考えてみればわかる。原因の差別による過ちは偏見を助長し社会全体のリスクを高めるだけだ。

精神病になった本人や家族など当事者にとっては原因はどうあれ、病気自体が深刻な問題なのであって、それに対処できるのは、刑事罰ではなく治療と事実にもとづいた教育だけしかない。そのことをよく示しているのがイギリス最大の精神病慈善事業団体の一つである 「リシンク」 (Rethink) の例だ。

リシンクは、カナビスと精神病の問題について積極的にキャンペーンを展開し、カナビス使用に厳しい警告を発しているが、人と資金は刑事訴追にかけるよりも健康教育に回すべきだとして、カナビスをC分類から罰則の厳しいB分類へ戻すことには 反対 している。


●必要なのは害削減への取り組み

社会政策的には、害削減というコンセプトで取り組む必要がある。理由はいろいろあるが、常識からしても、アルコールやタバコも含めどのようなドラッグであっても心身の発達途上の若者が頻繁に使うことは好ましくない。社会政策とすれば、子供がドラッグに手を出そうとする機会を可能な限り少なくすることを目標として害削減に取り組まなければならない。

カナビスと精神病の研究では最も指導的な立場にあるイギリスのロビン・マリーとメリー・キャノンの両博士も加わった レビュー では、過去の論文を検証した後で次のように書いている。
「若者の大多数は未成年期にカナビスを利用しても害を受けることはないが、害は精神脆弱性を抱えた少数の人に出現する。疫学エビデンスは、精神的に脆弱を抱える未成年に対して、特に早い時期のカナビス使用を思いとどませるように親や教師や保健指導者が強く働きかける必要があることを示している。」


●カナビス禁止法では問題は解決しない

その意味からすれば、カナビスを禁止しておいては何の問題解決にもならない。それどころか、禁止は状況をどんどん悪化させかねない。禁止法の下では、現在のようなカナビス使用の増加を全くコントロールできず、カナビスを供給している巨大なブラック・マーケットを規制することも不可能だ。犯罪組織は儲けを少しでも多くしようとするし、ディーラーは未成年かどうかに関係なく金を払う者なら誰にでもカナビスを売りつけようとする。

なかでも最も重要な問題は、明確な理由のない禁止法のもとでは未成年者にきちんとした教育もできないことだ。何がなんでも一生カナビスをやってはいけないというような教育では、子供たちの信頼を得ることはできない。

いずれ、子供たちは大きくなってから、カナビスを使っていてもほとんどの人が普通に生活し、りっぱな業績をあげている人もたくさんいることを知ることになる。医療カナビスで元気を回復した人やお年寄を身近に見ることにもなる。

アルコールやタバコにしても、大人では問題なくても未成年では危険だから禁止されている。その前提があるからこそ、説得力のある教育ができる。これは、運転や結婚、売買契約などでも同じだ。ところが、現在のカナビス禁止法のもとでは、未成年でカナビスを使うことが特に危険なので少なくとも成人するまでは我慢しろ、と教えることもできない。当然のことながら、違法であれば安全な使い方なども指導できない。


●合法化して、年齢制限を設け、教育指導をする

子供たちがカナビスのリスクを犯さないように年齢でコントロールするには、カナビスを合法化して、アルコールやタバコと同じように年齢制限を設けた上できちんと規制する必要がある。精神病が予見できるかどうかにかかわらず、そもそもカナビスの使用が完全に無害であるなどということは他のドラッグと同様にあり得ないのだから、規制してコントロールできるようにすることが重要なのだ。(未成年者と親のための害削減の方法、 16才、18才、21才

アルコールはある条件下では精神病を引き起こすことが知られているが、そのリスクに対してはガイドラインが用意されている。カナビスの場合も、これと同様に、ガイドラインを研究して設定すれば、無節操な使用にはどのようなリスクが伴うかを教育することができるようになる。

一見すると禁止法は究極的な解決法に見えるが、実際には何のコントロール機能も持っていない。禁止されている状況では、脅しによる教育しかできず、害削減のガイドラインも示すことはできない。流通しているカナビスの品質の管理もできない。無知のままで有害な混入物の入った偽カナビスを使う危険をなくすこともできない。害の削減どころかリスクを拡大してしまう。

このことは、非犯罪化政策にもあてはまる。非犯罪化を合法化の一ステップとみることもできるが、現在のイギリスのように供給が容認されていない中途半端な状態でノーマライズされてしまうと、教育問題にしても 異物混入問題にしてもコントロールは無いに等しく、禁止状態と実態は変らないばかりか、むしろ供給源になっているブラックマーケットの繁栄を助長してしまう。


●禁止法の下では信頼できる研究もできない

さらに、禁止法の下では十分な研究もできないという問題もある。実際に、これまでの疫学研究では、だた本人の記憶にある体験回数だけを頼りに分析している。カナビスの効力どころか1回の使用量や成分構成、危険な混入物の有無などは全く考慮されていない。

警戒心の強い人なら多少経験があっても、やったことはないと申告するだろうし、他の薬物の経験を隠すことも考えられる。こうしたバイアスは、カナビスの危険をより大きく見えるように作用する。

現在では、本人の自己証言を信頼できないために、学校や職場ではドラッグ・テストで検査するような時代になっているのに、疫学調査の場合だけについては証言を信用するというのであれば研究の説得力は失われてしまう。

より正確で、実際の害削減に役に立つ研究は、品質や逮捕の危険のない証言を保証しなければ実現しない。


●合法化は自由化ではない

合法化は自由化を意味するわけではない。栽培や販売を規制・課税してコントロールすることで、未成年者への販売を禁止し、製品の質を表示して保証することで正しい使い方のガイドラインを設けることができる。得られた税金は、未成年者のドラッグ教育に使うこともできる。

数年前、オランダのドラッグ政策機構は次のように書いている。「カナビスの健康リスクは非常に限定されたものだが、完全に無害というわけでもない。もし完全に無害ならば、お茶などと同じルールを適用することができるが、明らかに健康リスクを伴うので、カナビスには特別な法的規制システムを用意する必要がある。カナビスを自由に利用できるようにすべきではないが、規制を設けることでごく普通のものとして寛大に扱うことができる。」(カナビスと精神病の問題、法規制によるコントロールの必要性

カナビスの合法化運動に取り組んでいるグループで、未成年者のカナビス使用まで認めるように主張しているところなどない。害の削減にはコントロールが不可欠なのだ。