序章 オランダとカナビス
●薬草を探し求めるダッチマン
オランダ住民は俗に「ダッチマン」などと呼ばれたりしているが、いつの時代にも商売上手として知られてきた。北海に面するこの小さな国は世界中の国を探検し、探し当てた資源を元手に勢力的に貿易を展開してきた。
ダッチマンは、何百年にもわたり香辛料や薬草を中心にシナモンやナツメグや胡椒などの取引に多額の金をつぎ込んできた。中国で阿片に出会うとそれも商売として取組み、初めてドラッグがビジネスの対象になった。この商品はイギリスとの度重なる軍事衝突の原因ともなったが、阿片にはそれだけのうまみがあった。
時代を経てそうした日々は遠い過去のことになったが、オランダ人は商売の先取気質を持ち続けて新たな薬草を探し求めてきた。そして、長年にわたり帆船の艤装に使ってきた帆とロープの原料の植物の中にあらためて薬草としての効能を見いだしたのだった。
オランダは西インド諸島への進出とともにカナビス草の繊維からロープや帆に利用できることを知り種子を本国に持帰えってきた。
当時の人々はそれをインド・ヘンプと呼んでいた。オランダの広大な畑に種を蒔いて収穫して特別な縄を作り、長く伸ばしてロープにしたりいろいろな厚さや長さの布を織り上げたりした。
オランダにヘンプが再びにやって来たときにはそれまでとは全く違う固形の塊をしていた。その塊はハシシと呼ばれ、ヘンプ草の雌花の樹脂を固めものでレバノンやインド、パキスタン、モロッコといった国で生産されたものだった。
本書の主役はこのハシシだ。ここでは、紙やロープの原料である植物がもう一方ではドラッグの原料にもなることを説明して、ハシシがその後どのようにオランダと世界の国々を変ていったのかについて述べている。
●ネザーランドとホーランド
オランダはまたチュリップ畑と風車とゴーダチーズで知られてきたが、多くの人々は今でもオランダ人が堤防で囲われた小さな国のなかで木靴を履いていると思っている。国の大部分が水で覆われていた頃は確かにそのイメージ通りだった。回転し続ける風車で揚水しながら地面を乾かし堤防を築いて水から土地を守っている風景は干拓地そのものだった。
湖や海に面するわずかな場所でも水を汲み出して陸に変えていった。
常時吹き付ける風を動力として木製のダッチ風車を回し、穀物などを挽きさらに陸に侵入してくる水を絶え間なく汲み出した。
干拓してできた土地はチューリップの栽培に使われ、牛乳やチーズ製品を生産するための牛の牧場にもなった。もともと漁場だったところの牧草地は湿地帯で、そこを歩く農民たちは実際に木靴を履いて足を暖かくドライに保っていた。
この国は二つの呼名がある。ひとつは「ネザーランド」で低い土地を意味し、もう一つは「ホーランド」つまりhollow-land(窪んだ土地)を短くした名前だ。いずれにしせよ、北海に面し北部から西海岸一帯は土地の大部分が北海の海抜よりも低いことを意味している。
ホーランド地方はネザーランド全体の一部で14ある州の2つに過ぎないが、昔も今も最も人口が多く産業も発達しいる。
ネザーランドの3大都市はいずれも北ホーランド州と南ホーランド州にあり、アムステルダムは首都、ハーグは政治の中心、ロッテルダムは世界最大の港湾都市だ。ネザーランドは今日でも強い経済力を有し、世界の銀行や産業に大きな影響力を持っている。現在でもホランド2州のアメリカへの投資額は3番目になっている。
こんなことから、ネザーランドに住むダッチ語を話すホランド人、あるいはホランド語をしゃべるダッチマンなどといわれたりする。ダッチという言葉は世界中で知られているが、それがどのような意味で使われているかは少し複雑だ。
日本でこの国のことが知られるようになったのはポルトガル人からで、彼らが呼んでいたホランドが「オランダ」を呼び変えられた。しかし現在オランダといえばホランド州だけではなくネザーランド全体を指している。(訳注)
●チューリップともう一つの花
今日でもオランダにはまだ風車も残っているが、多くは火事で消失し数は急減に減少している。牛やチーズの生産はいまでも盛んで農民たちはずぶずぶの湿地帯を歩くのに現在でも木靴を履いてる。だが今では仕事が終われば快適なスニカーに履き替える。
飼育管理された牛の数も風車と同様に減少しているが、これは主に政府の肥料制限の規制のためだ。
牛乳やチーズの副産物である肥料は環境問題の原因になってしだいに政府は規制を強めてきた。糞尿に高課税をかけて一部の農民を破産に追い込み、多くをカナダやオーストラリアに移住させた。
チューリップはどの季節でもみられ球根の栽培は輸出品としていまでも盛んに奨励されている。しかし全盛期は過ぎ、球根畑の色鮮やかな美しさは一部地方に限られたローカルな風景になってしまった。
オランダにはチューリップと同じくらい旅行者を引き付けている花がもう一つある。その花も国中で栽培されているが、室内で行われているために畑で見ることはほとんどない。旅行者が最初にこの花に出会うのはダッチ・コーヒーショップのカウンターだ。そこでは乾燥させた花の穂(バッズ)や植物の樹脂の塊をグラム単位で売っている。
多くの人たちはこの花を人類に授けられた究極の植物だと考えている一方で、反対に世界中の社会にとって脅威になっていると考える人たちもいる。この花の利用が禁止されている国では警察や検察などに拘束される危険があるものの、普通の人たちばかりではなく病気や障碍に苦しむ人たちも本来の自分を取り戻すために医学的効能を求めてこの花を使っている。
この花のもとになっているカナビスという植物は、ヘンプという名前で何千年にもわたり人類にロープや紙、布、油などを提供し、利用する人にも生産する人にも計り知れない恩恵をもたらしてきた。そればかりではなく、歴史が示しているように、乾燥させたこの植物の花は何世代にもわたって精神高揚のために部族の儀式に使われたり、医療目的で痛みを和らげる鎮痛剤などとして利用されてきた。過去の医療目的の使用で最もよく知られているのは、月経痛と偏頭痛を克服するためにカナビスを使ったイギリスのビクトリア女王(1819〜1901)の例だ。
この植物の名前は、学名カナビス・サティバ・Lと呼ばれている
●カナビスの活性成分THC
読者のなかには、精神拡大薬としてのカナビスの知識に乏しく、それがどこでどのように生産されどのように利用されているのか、あるいはカナビスがどうしてハシシなのか、といったことについてことを十分に知らない人もいるかもしれない。以下に述べる情報は、この本で取り上げるカナビスの文化やコミュニティで使われているさまざまな用語を理解するのに役立つはずだ。
カナビスにはたくさんの名前や形状が知られている。よく使われているものには、マリファナ、ウイード、グラス、ポット、ガンジャ、スンク、バッズ、シンセミラなどがある。それらはすべて植物の喫煙可能な花を指して呼ばれている。種子が混じっていることもあるが、種子そのものは味が最悪な上に効力もないので普通吸ったりしない。
カナビスの精神活性物質であるテトラヒドロカナビノール(THC)は、植物の花を覆う毛の部分に集中しており、小さなキノコのようなかたちをした結晶のように見える。THC効果は「ハイ」あるいは「ストーン」という状態を引き起こす。これらの言葉はユーザーをリラックスさせて気分を変えるという意味で使われる。
もしカナビスがTHCを作り出さなかったならば、この本はドラッグとしてのカナビスではなく、長い麻縄についての短い本になっていたはずだ。カナビスが世界中で論争のもとになっているのはひとえにTHCのせいなのだ。自然から授けられたこの驚くべき性質がなければ、どの国でもドラッグとしては扱われずただの植物でしかなかっただろう。
●マリファナとシンセミラ
マリファナはカナビスの植物の葉を乾燥してお茶のように粉状にしたものだ。最も単純でどのような種類のカナビス草からでも作ることができる。必ずしも先端の花の部分だけを使ったものばかりではなくすべての部分の葉が混ぜられている。また植物には雄株と雌株があり、効力は雌株の方が強いがマリファナには雄株の葉も使われるていることも多い。
最も活性成分の多いのが雌の花の部分で、雄の花粉が授粉しないように完全に分離して栽培し、種子のない穂のような植物に育てて乾燥したものがシンセミアと呼ばれている。この特別な栽培法が確立したのは1970年代からで、今では喫煙目的で栽培されているオランダのカナビスはほとんどがシンセミアになっている。栽培知識や専用の道具が必要なのでマリファナよりの作るのは難しいが、最近ではシンセミアをマリファナと呼ぶこともあり、それだけシンセミアが普通になってきた。
いずれにしても葉を乾燥させれば、粉にして手軽にそのまま吸うことができる。
●ハシシ
ハシシとして知られる樹脂はカナビス草から抽出したもので、モロッコやインド、パキスタン、アフガニスタン、ネパール、スイスなどで生産されている。ハシシはカナビスの花を被っている周囲の毛を集めて圧縮して作られる。まず毛の部分を集めるために植物をふるいにかけて細かい破片だけを取り出して他の部分と分離し、何度か繰り返して小さな茎などを完全に取り除き、最後に細かい粉だけを圧縮して固める。製法に手間がかかる分だけ無駄な部分もなく効力も強くなる。
圧縮の方法にはそれぞれの地方独特で、ネパール・テンプル・ボールのように手で丸められた黒いものから、金型で200グラムの板状に固められたモロッコの黄色ぽいものまでさまざまな形状がある。
ハシシの品質にもいろいろあり、イギリスで今もよく流通している化学薬品を添加した「ソープバー」と呼ばれる粗悪なものから、インドのマラナ・クリームのような最高なものまでその範囲は広い。現在のところオランダのハシシ生産は需要に比べるとまだほんのわずかにしか過ぎないが増えるのは時間の問題だろう。とりわけアイソレーターという器具を使って抽出した「ネダーハシ」と呼ばれるオランダ・ハシシの品質はその効力と純度の高さで知られている。
●ジョイント喫煙
カナビスはいろいろな方法や器具を使って喫煙されている。タバコを混ぜたりすることもあるがニコチン中毒になる恐れがあるので、何も混ぜないでそのまも吸うほうが好ましいだろう。
タバコなしジョイント
ハシシとシンセミラを混ぜる
カナビスの喫煙で最も一般的な方法はキングサイズのローリングペイパーをつかう方法だ。フィルターは使ったり使わなかったりする。
手巻きしたものはジョイントと呼ばれ、巻くのに少し訓練が必要だが世界中で行われている。ジャイントという呼び名はとても示唆に富んだ名前で、全く初対面であっても一緒に吸えばあいだをとりもって(ジョイント)くれるという意味合いがある。
ジョイントというニックネームはカナビスを吸う人たちには一番よく知られているので、時によっては暗号として「知っている人」にだけわかり、「知られたくない人」「何も知らない人」の注意を引かないように使われたりする。その他によく使われる隠語としてはスプリッフ、リファー、コーン、スティキーなどがある。これらは人混みのなかでカナビス・ジョイントの話をするときなどによく使われる。
オランダではジョイントのことを「ブロー」、カナビスを吸っていることを「ブローン」という言葉が使われることもある。ブローはアメリカではハードドラッグに関係したスラングだがそれとは全く意味が異なる。また、イギリスでもカナビスを「ブローする?」などとオランダと同じように使われたりするが、これはスプリッフ(イギリスのジョイント名)が吸い終わるときに最後の決めの一服がしたいかを聞くときに使われる。少し混乱しているが慣れた人にはその違いが分かる。
ヨーロッパではジョイントにはたいていフィルターが使われる。フィルターは厚く曲げやすい紙片を使って普通のタバコと同じぐらいの太さに丸めるめられる。フィルターを使う目的は、吸いやすいように口が開くようにすると同時にカナビスやタバコの粉が口や喉に入ってこないようにするためだ。しかし、アメリカではほとんどがフィルターなしのリーファーと呼ばれるスタイルで吸われている。吸いにくいので、分け前にむしゃぶりつこうと口先をとんがらせて不平をいっているようにも見える。
●ハシシ喫煙
純粋のハシシは燃えにくいのでローリングペイパーだけで吸うことはまず不可能だ。ハシシをジョイントにするときには大抵はタバコに混ぜる。このことがカナビス・スモーカーにニコチン中毒者の多い理由にもなっている。
ハシシを喫煙するための最良の方法はタバコなしで吸うことができるハイプやボングを使う方法だ。どんなパイプでも使えるが、世界中の「ヘッドショップ」と呼ばれるお店では膨大な種類のカナビス専用のパイプが販売されている。
ボングは水パイプともいわれ、水やフルーツジュースのような液体を入れることができる。その構造は煙が液体のなかを通過するようになっていて、冷やされた煙を深く長く吸い込めるようになっている。こうした道具はハシシ専用というわけではなくマリファナやシンセミアにも使える。
しかし、カナビスを吸う最良の方法は気化機能の付いたバポライザーといわれるもので、いったん気化装置内で熱を発生させカナビスを加熱して毛の部分から活性物質を蒸気にしてから吸う仕組みになっている。THCは摂氏180度で気化し、それ以下の温度では十分に取出すことはできない。逆に、温度が高すぎるとでは普通のパイプのようにカナビスを燃やしてしまい蒸気ではなく煙になってしまう。
バポライザーは効率もよく、吸引力のない医療患者にも向いている。市場にはさまざまなものが出回るようになってきたが、品質には差があり機能に相応して値段も高い。オランダの製品では 「バーダンパー」 、ドイツでは 「ボルケーノ」 が最もよく知られている。
●食用
カナビスはまた、お茶にして飲んだり、スープ、オムレツ、パンケーキ、バターなどに混ぜて食べることもできる。
チョコレートやクッキーやマフィンなどにしたものは「スペースバー」とか「スペースクッキー」「スペースマフィン」などとも言われている。手間はかかるが製法はそれほど難しくはない。
一般に、カナビスを食用にした場合は効力をコントロ-ルすることが難しくいきなり多量に食べろのは好ましくない。胃から吸収されるので効力の持続時間も長い。
しかし、カナビスの量を調整してレシピを確立すれば安定したものが作れる。不眠症の人たちには弱めでゆっくり吸収するように工夫して医療品として利用したりもしている。虚弱な人や深刻な病気のある人たちの場合は喫煙が状態を悪化させるだけなのでこのような方法を使っている。
●産業用カナビス
カナビスは麻でもあり、繊維を目的に長い麻の茎を多量に生産することもできる。茎の外皮は強靱でしなやかな繊維になり、ロープや紙、布、時には自動車のダッシュボードを作るのに使われたりする。
麻の種子からは油が抽出され、スキンケア製品やグリス、ペンキ、さらにはジーゼル燃料の代用として麻ジーゼルとして使われている。
麻用の植物はTHCを余り産出せず「ハイ」には向かないと考えられている。
●緑の革命
本書「ダッチ・エクスペリエンス」には1960年代に始まったオランダにおけるカナビスの 「緑の革命」 について焦点をあてている。以来30年間、カナビスが世界各地からどんな方法で秘密に持込まれたのか、最初はどんなふうに少数派に受けられていったのか、そしてアムステルダムからオランダ国中にどのようにして広まって根付いていったかが書かれている。
また、外国政府や国連やフランスの気違い博士、さらには口を開けばひとつの真実も語らないようなアメリカのドラッグ戦争の将軍たちが繰り広げる執拗な攻撃を、カナビスの擁護者たちがどのように反撃してきたか知ることができる。
この本はまた、カナビスの価値を認めて率先して栽培し、現実のビジネスの場にそれを持ち込んで初めて公然とカナビスの店を開いてから30年後の今日までそれを巨大なユーロ産業に育ててきた人々の物語でもある。
読者は筆者の見解に同意できないこともあるかもしれないが、それは大抵の場合、カナビスとそれを取り巻く社会の根強い偏見に影響されたところから来ている。オランダ社会にとってカナビスの再発見が何を意味していたのか、いま何を意味しているのかといったことを読んでもらえば、読者は偏見から自由になって自分の周囲の状況を比較して正しい結論を自分で引き出すことができるようになるだろう。
私がオランダのカナビスの歴史を書きたかったのと同じぐらいに興味をもって読んでもらえればと願っている。夜更かしになるかもしれないけれど。
ノル・ファン・シャイク
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