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はじめに
世界はカナビスの禁止という縺れた難問にもがき続けてきた。現在ほどこの問題に簡単にアクセスできる情報が求められているときは他にない。いま読者が手にしているこの本は賞賛と軽蔑の渦巻くダッチ・コーヒーショップの当事者たちの歴史を扱っており、まさに絶好なタイミングで出てきた。世界中の政策決定者たちはいつも荒唐無稽なドラッグ法の改正に努めてきたが、この本はそれとは少し違った方法で静かに進む小さな緑の革命に深い洞察力を与えてくれる。
現時点でのオランダの立場は世界からあからさまな軽蔑で見られている。この問題に対する国際機関は無く、カナビス政策の改革についてオランダの議員たちには膨大な圧力が加えられている。また毎日ように、独善的でときにはヒステリックなカナビスに反対する言論が有力な機関から流されてくる。しかし奇妙なことに、偏見を持たずにカナビスとその使用を科学的に学べばオランダの得た結論以外にたどり着くことは難しい。
実際のところ、前に進もうとする人たちもいる。世界中の多くの著名な法律家はこれまでのような無様で危険な結論には達していない。もはや観念的な議論ではなくなっており、すべては単にコスト効率の問題であることに気付き始めているのだ。もし誰でもが勝者というwin-winの解決があるとすれば、それは世界が役に立たなくなった遺物に挑んで撤去し、カナビスを合法化できた時なのだ。ここで疑問になるのが反合法化ロビーを突き動かしている奇妙な動機は何なのか・・・ということだ。
逆に言えば、何故オランダが従来からの「常識」を置き換える実験に成功したのかを説明する必要があるだろう。おそらくそれ理由はこの小さな国には他の国とは違った二つの重要な特質が備わっていたからだ。第一に、オランダは通商貿易に関し常に大きな成功を収めてきたことが知られているが、そうした取引が得意だという資質をもともと備えていたということである。オランダの黄金時代といわれる17世紀にはダッチ・パワーは瞬く間に頂点を極め、当時の世界で指導的な国の一つになっている。
オランダが他の国とは違うもう一つの特徴は、歴史的に外国人移民をすすんで受け入れてきたことだ。これは何もオランダ人たちがよその文化が好きだったからではなくもっと利己的な理由からだった。当時、発展する経済に備えて、ベルギーやスエーデン、イギリス、ドイツといった見知らぬ所からのたくさんの熟練した労働者が必要だった。17世紀初頭には多くの外国人がこの低地国に定住することが奨励された。こうした新参者たちによって、見知らぬ人間ばかりではなく彼らが持ち込んできた見知らぬ物に対しても比較的に寛容な気風がこの国に生まれた。
同時期、アムステル川の西の洲にダムを築き、いわゆるウエスト・アイランドに新しい倉庫群が建設された。住み着いた人たちはさらに保管場所を拡げて町を形成し、歴史的に名高いダム広場を中心にアムステルダムの町を発展させた。倉庫にはワインや小麦や珍しいスパイスばかりが保管されていただけではなく、ヘンプもまたアムルテルダムに輸入された重要な商品の一つだった。今日でも、運河沿いにある家々には誇らしげにこの商品を扱っていたことを示す紋章が見られる。
黄金時代以前にこのヘンプ草が楽しみのために吸われていたという証拠もいくつかあるが、その頃はまだこの草の精神作用については余り知られていなかった。当時、世界に進出するには帆船で航海に出るしかなく、ヘンプの繊維はロープや帆を作るのに必須の材料だった。このために同じウエスト・アイランド地区にはヘンプの小さな加工場があちこちに建てられた。
しかし帆船の時代は過ぎ、こうした栄光の日々の記憶は20世紀の50〜60年代初頭までは蘇ることはなかった。やっと第二次大戦のドイツの占領から解放されたが、最後の植民地だったインドネシアが独立してオランダの国際的な威信は幻想の彼方に消えていた。多くの人が認めるように、かつて栄光につつまれたこの国は極端に窮屈で古い価値観ばかりに頼って了見の狭い自己満足ばかり目立つ国になってしまっていた。しかしこのような自己賛美社会の表層下では、何かがうごめき誕生するのを待っていた。このこと自体は、社会を良くしようして反体制運動が起こった他の多くの西側諸国と似ていた。
そしてこの本の出番である。
本書は、コーヒーショップのパイオニア、ワーナード・ブリューニングの協力を得て、カナビスの愛好家で活動家でもあるノル・ファン・シャイクによって書かれた。何世紀にも渡ってこの国の繁栄を支えてくれたカナビス草の不遇な扱いと状況を解放するために起こった60年代のプラボ運動を起点として、それからカナビスに関与してきた人々の歴史が描かれている。
この本は科学者でない読者でも気軽に読み通せることを保証する。目を開かしてくれるし、しばしば大笑いさせられる。
世界の国々でカナビスの法律に改正が議論されているこの時勢に、この本はインスピレーションをもたらし、カナビスに対してもっとリベラルな容認した対応のほうが社会を和らげ悪くもしないということを教えてくれる。
もちろん、オランダのリベラリズムにも陰の部分もある。最後に指摘しておきたいのがオランダのカナビス文化においても農薬が広く使われていることだ。私が理想とするのは、カナビスが上質のワインやチーズのように作られる世界だ。利益ばかり追い求めるアグリ・ビジネスではなく、それを愛で育て熟成させる専門職人たちによる世界だ。しかしながらカナビス容認がさらに進んで成熟してくると、いつのまにか、ダッチ・グラスの品質は温室で工業栽培された味のない重さばかりのオランダの水トマトみたいになってしまう危惧もある。
この点でもこの本の筆者の取組はわれわれの「緑の革命」に多大な貢献をしてくれている。大いに感謝したい。
ジャン・セネマ
オランダ「ソフト・シクーレット」マガジン主幹
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