第11章 コリン・デビス 対 イギリス政府

ビクトリア時代調のカナビス弾圧


この章を始めるにあたって若干の説明をしておきます。この本の主人公コリン・デビスはイギリスで最初の 「カナビス・カフェ」 であるダッチ・エクスプリエンスを始めた人物ですが、この本が書かれた時点で彼はまだ服役中です。

従って読者は、この章で取り上げる彼の証言や成行きのメモなどは著者である私のサイドから書かかれたものであることを考慮していただきたい。将来コリンが解放されたとき、彼と私はイギリスで最初のコーヒーショップの立ち上げについて、ダッチ・エクスペリエンスに関わり合ったの反対者と賛同者のコメントをまじえてあらためて完全なレポートを書くつもりです。

コリン・デビスの活動とその先見性が強いインパクトを持っていたので、世界中のメディアがストックポートのコーヒーショップ周辺の出来事の成り行きを取材していました。多くの資料が残されていますが、それをわずか1章で細部まで記述するのは不可能です。しかし読者は少なくともそれがどのように始まり、進んでいって、どのような結果になったか知ることができます。私は日記のスタイルでコリンが店の場所を決めたときから追って見ることにしました。

不十分とはいえ、読者は驚きショックを受けるでしょう。カナビスに対してどのようなスタンスをとるにせよ、支持者も反対する人もコリンと政府の二者が繰広げる舞台にローラーコースターに乗った気分になるでしょう。


●イギリスのドラッグ政策

ドラッグ問題の扱いに対してオランダは寛大過ぎるとして世界の国の批判の中心になってきた。その第一のターゲットはコーヒーショップだ。コーヒーショップを閉鎖させようとする外国のあらゆる試みに耐えた後、オランダへの批判は鎮まってきたようにもみえる。現在のオランダは全体としてドラッグ使用の統計は最高、つまり人口当たり最も低い水準にある。

1996年フランス政府はオランダを「麻薬国家」と呼んでいたが、現在ではオランダのドラッグ政策を表す用語は変わり、外国のプレスや政治家たちは自国の政策と対比して「ダッチ・モデル」とか「ダッチ方式」「ダッチ・イグザンプル」などと言っている。ヨーロッパの一部の国では、今、ダッチ・エグザンプルに従い、ダッチ・モデルを全面的、あるいは部分的に使い、ダッチで行くことを考えている。

しかし、新世紀の2000年が明けてもイギリスのドラッグ政策にはほとんど進展の兆候はみられなかった。EUでも最も抑圧的なドラッグ法を維持し、法を犯せば長期間の実刑判決が科せられていた。厳格なカナビスの禁止に反対する何十ものキャンペーングループや個人がイギリスの至る所で運動を展開してきたが、いずれもばらばらで大半の努力はプレスには無視される一方、誰かれとなく逮捕しようと待ちかまえている警察の関心を引きつけるだけの結果になってしまった。

●コリン・デビス、モルヒネからカナビスへ

その中でも最も積極的なキャンペーンを張ったのはコリン・デビスだった。建築労働者だった彼は、1995年12月に誤って足場から30フィート下に転落し大怪我で脊髄5カ所に損傷を受けた。かろうじて生き残ったが、ひどい痛みも残った。脊髄も回復しないままで、激痛におそわれることなしに移動することさえできなくなった。どうにかやっていく唯一の方法は大量のモルヒネ注射だけだった。

コリンの身体は少しずつか改善してはきたが、使い続けたモルヒネの鎮痛効果は精神上は少しも良くなかった。彼は自分が傷ついた肉体の捕らわれ人でモルヒネの奴隷のように感じた。モルヒネなしには何もできなかった。 しかし彼の状態は、医者の一人に勧められたカナビスを始めてから良くなってきた。カナビスが深刻な副作用もなく痛みに対処できるようにしてくれた。本来の人間の感覚が戻り始めると、医学が科してきたモルヒネの習慣から逃れる余裕ができてきた。しかしモルヒネに頼らないでいるためには良質で多量のカナビスが必要だった。

彼は自身で自分のカナビスを栽培せざるを得なくなった。イギリスで入手できる伝統的なカナビスはソープバーと呼ばれ医学的に役に立たないばかりか害のある物質が混ぜられていたからだった。ソープバー・ハシシは穏やかな医薬品よりもさらに害が大きい。 自分と仲間の患者のカナビスをつくるために彼はフラットに小さな栽培室を始めた。

このことをプレスに話すと、栽培室の中のコリンの写真が新聞に載った。しかし、その結果、1997年11月18日ブリングトンのフラットは家宅捜査を受けた。警察は 「小さなカナビスの栽培室を発見」 し「ドラッグを生産するための道具」 とポットに植えられた収穫にはほど遠い幼少のカナビス植物を押収し、園芸家コリン・デビスを逮捕した。

しかし、彼は医学的な必要性から無罪を主張し、1998年6月5日、陪審は全員一致で無罪を決定した。 ガーディアン紙は裁判の成行きの結果を記事にしている。
背中の損傷からくる痛みを軽減するために一日4本のカナビス・ジョイントを吸っていた男性が、警察の家宅捜査でを受けドラッグ使用容疑で起訴されていたが、昨日陪審の無罪評決を受けてこれからもジョイントを巻き続けると宣言した。

「これからもカナビスを吸いつづけます」 とマンチェスター州ストックポートのコリン・デビスは語った。「傷害からくるひどい痛みに役に立つんです。陪審が私の主張に耳を傾けてくれたことで安心しました。」

マンチェスター刑事裁判所の8人の女性と4人の男性の陪審員は40分でデビス氏のカナビス栽培を無罪にした。これは1971年以来のドラッグ不正使用法を覆すものだった。評決後、栽培していた18本のカナビス植物について質問されたデビス氏からは微笑がこぼれた。(1998年6月6日)
この勝利のあと、彼に続く他の数人の医療利用患者たちがコリンに接触してカナビスの 「コーポレイティブ(共同グルーップ)」 が誕生した。コリンは栽培を再開しさらに多量の植物を育てるようになった。彼のもとにはカナビスが必要な人たちが増えて供給が追い付かなくなってしまったからだった。彼はフラットに新しい栽培室を立ち上げた。彼の逮捕と栽培活動の動機が知れ渡るにしたがって、たくさんの病気や絶望した人たちがコリンに連絡をよせて、カナビスを分けて欲しいと頼んで来た。


栽培室をチェックするコリン

●メディカル・マリファナ・コーポレイティブ

コリンはメディカル・マリファナ・コーポレイティブ(MMCO)を設立し、医療用マリファナユーザーを連帯し、良質のカナビスを提供することを始めた。1998年10月29日、イギリスの新聞はMMCOが傷害の痛みに苦しみからの解放を求める人々に高品質のマリファナの提供を開始したことを伝えた。供給はコリンが行った。彼の患者たちはみんな重い病人や障碍者で社会から隔離され良質のマリファナを入手する情報を持っていなかった。

1998年11月17日、警察は再びコリンの家のドアをノックし、コリンは逮捕された。今度はカナビスの不法な栽培とともに提供した罪にも問われた。その時点で彼は車椅子の2人に提供していただけだったが、現在栽培中のものが収穫できたらもっと多くの人たちを援助しようと思っていた。彼はまた無罪になった・・・。プレスはこの結果に驚いた。
ディーラー無罪でカナビス法はカオス状態に
昨日、病人にカナビスを提供してドラッグ事犯に問われていた男性が画期的な評決をうけた。コリン・デビス氏はカナビスの栽培を認められ、引き続き価値ある医療サービスとして行う準備をしていると語った。

陪審は彼の弁明を受け入れ、この種の事例としてはイギリス法廷史上はじめて無罪を認めた。この評決に対しては、医療目的でのカナビス利用を支援する医者や活動家からは、昨晩、重要な突破口だと歓迎された。

これはまた政府に対する法改正の圧力が増すことになると思われる。脊髄損傷の痛みの緩和のためにカナビスを利用しているデビス氏は陪審員の評決を「人間の尊厳の勝利」と述べた。   (ポール・ギャラガー、サンディ・エクスプレス 1999年7月23日)
MMCOは勢いを得てメンバーを100人以上に増やし、順番待ちの人も大勢出るほどになった。

●女王の花束にウイードを

彼は、別の人のマリファナの医療利用や栽培の裁判に証言するなどもしているが、他にもいろいろな機会をとらえてプレスの注意を引き続けた。 2000年の10月にはエリザベス女王にマリファナ草の花束を手渡して世界中のメディアの注目を集めた。
活動家、女王の花束にウイードをミックス
金曜日、警察はエリザベス女王にマリファナ草を入れた花束を献上したと主張する男性に事情聴取する予定だと発表した。合法化を求めるメディカル・マリファナ・コーポレイティブのコリン・デビス氏は、木曜日のイギリス北部巡行で訪問中の女王に花束を手渡したと語った。女王がアートセンターの外でデビスから花束を受け取っているところは写真に収められている。

「無事成功させなければならない日でしたから、われわれスタッフはもっと重要な事柄に注意を払っていました」 マンチェスター州特別警察のデビット・ブース長官は述べた。「しかし、デビス氏にはこのことについて聴取することになるでしょう。」  金曜日、バッキンガム宮殿は、女王は花束をロンドンには持ち帰っていないと発表した。 通常、王室行事で女王が受け取った花束は病院やお年寄りに家へ配られる。

デビス氏(43)はマリファナを育てていると言っている。 「カナビスに対するばかげた規制を女王陛下に知ってもらうために無害な方法をとったのです。」 「私たちはカナビスの治療効果で恩恵をうける病気の人々にカナビスを提供する協力グループをやっています。」   (2000年10月14日(土)、アソシエイト・プレス、イギリス、マンチェスター)
コリンは裁判での勝利と女王との接触を喜んでいたが、栽培器具を押収されてしまったために自身と100人を越す患者たちは供給源を失い、MMCOにカナビスを提供してくれる別のところを探さなければならなくなってしまった。


ちっほけなポットの花束を受け取る女王

●コリン と メディウイード・システム

CCマガジンのリンドンは、1999年に開催されたハーレム・ヘンプ・ハップニングでコリン・デビスのことを私に教えてくれた。CCマガジンでは毎月イギリスのカナビスの状況を掲載していた。彼は、コリンがこれまで取り組んできたことと、イギリスのシステムをまさにオランダのメディウイード・システムのようにしたがっていると書いていた。しかしコリンの計画にはオランダのメディウイード・コーヒーショップとは別の大きな壁があった。コリンは多量のカナビスのストックを持つことができなかった。もし持てばそれは長期間の刑務所行きになってしまう。

リンドンの話によると、コリンは一生懸命努力しているが、進めば進むほどマリファナの配給システムに問題を抱え込んでいた。供給力不足が最大の問題だった。私は、コリンがメディウイード・システムについて説明を聞きたいことがあったり、彼の仕事に私が何か手伝えることがあれば連絡して欲しい、とリンドンに伝言を頼んだ。 しばらくしてコリンから連絡があり、それぞれ別の理由から取り組むことになった同じ課題、メディウイードについて協力できなかと尋ねてきた。

2001年3月、彼がハーレムにやって来た。私たちは駅の近くのウイリー・ウォーテル・サティバ・コーヒーショップで会うことになっていた。彼は予定より早く現れたがすぐわかった。インターネットで写真を見ていたし、カナビスに対する彼の経歴をいろいろな新聞記事で知っていた。 われわれは座ってコーヒーを一杯飲んだ。自分の作っているカナビスを 「カスだ」 といいながら 「ハーレムで本当のジョイント」 に巡りあったといって一服している姿を見て私は彼に好感を持った。ジョイントを吸いながら彼は、不心得者のコミュニティで熱心に諭すカソリックの司祭のように長く的確な表現で話を始めた。

お互いがどのようにメディウイードに関わってきたか話をしたあとで、われわれはグローバル・ヘンプ・ミュージアムに車で行き、メディウイード情報の仕組みを紹介した。 コリンはミュージアムで見るもをすべてを気に入ってくれた。とりわけ私たちとゲール・デ・ズワンが関わるACM/PMMグループのメディウイード・ファイルと、患者たちと一緒に医療目的でカナビスをどのように使い摂取したらいいのかという情報を集めた本に強い関心を示した。

メディウイードのメンバーになるための登録書とパス、われわれが受け取った何年分もの医師や理学療法士が書いた処方箋のすべてを彼に見せた。彼が見たのは 「夢か現実か?」 彼の望むすべてが目の前に現れた時、彼は自身のやってきたことが正しかったと一層の確信を抱いて、ヘンプ・ミュージアムこそイギリス社会の市民だけではなく当局者や警察にもにカナビスの知識を広める最善の道だ、と言った。

同じ様な施設をマンチェスターのストックポートに作るとしたら協力してもらえないか、と彼は聞いた。 マルスカは私を差し置いて絶対にやると即座に答えた。彼女も最初の一服目からコリンを気に入っていた。

●イギリスの法律が緩和?

彼は翌日イギルスへ帰っていったが、前の晩はウイリー・ウォーテル・ワークショップで過ごした。コリンはおもちゃ屋へ行った子供みたいにあるもののすべてを楽しんでいた。ビリヤードの腕前は相当なものになった。彼は少量のダッチ・シンセミラをイギリスに持ち帰り患者の幾人かに分けた。

数日後、ヘンプ・ミュージアムとメディウイード・プロジェクトに使うのによい場所が見つかったと電話してきた。一人では賄いきれないのからどうにかならないかと言った。私は一部にグローバル・ヘンプ・ミュジアムのイギリス支部をいれてもらえれば家賃を折半すると答えた。そうすれば残りの場所は彼がMMCOのために使えることになる。 そう言い終わらないうちに彼は同意し、そうして欲しかったと言った。 ビルの外観の写真を撮ったから来週ハーレムに見せに行くと言った。コリンのやることは早い!

飛行機の前の晩に彼は電話してきた。カナビスの使用と所持に関するイギリスの法律が緩和されそうだと書かれた新聞を読んで興奮していた。持って行くから読んでくれと言った。私は、彼のアドレナリンがこちらまで押し寄せてくるように感じた。 一服して良く寝るように諭して、アムステルダム空港まで向かえに行くからと告げた。

彼がハーレムに到着したときたまたまピート・ブラディもハーレムに来ていた。ピートは国際的なマリファナ雑誌として一目置かれている 「カナビス・カルチャー」 でレポーターをしている。彼は、コリンと私に強い関心を示し、私たちはインタビューを受けることになった。ピートは本当によい鼻を持っている。

私はピートにコリンを紹介した。するとピートはすぐにインタビューを始めて写真を撮りたいとコリンに頼んだ。私は間に入って彼らを座らせ、最も大切な儀式から始めた。ジョイントを巻いて回して吸った。ウイリー・ウォーテル・インディーカ・コーヒーショップの前でスパールネ川と風車を望みながら熱いカプチーノを飲んだ。コリンは興奮さめやらぬ様子で新聞を見せた。

イギリスの主要日刊紙の表紙はすべてカナビス法に関する記事だった。コリンが言っていたことは全部本当だった。ヘッドラインには・・・
ヤードはカナビス事犯を緩和へ
スコットランドヤードはカナビス所持に対する強固な姿勢を緩和するという渦中の計画を公式に支持すると当紙に明らかにした。

サー・ジョン・ステーブンス長官ら上級幹部は、南ロンドン地区ではカナビスで捕まった人には、警告書の発行や逮捕で有罪にしたりするよりも、その場で注意するという方針について「賢明で前向き」だ、と評価している。すぐに開始することになっているロンドンのランベス行政区の計画については、当局の希望により首都全体に3-6ヶ月間公式にテスト運用してみてうまくいくかどうか調べることになった。

委員会は、カナビスを 「ソフト化」 することに対する批判との間にバランスを取っているが、当局者は、犯罪全体からするとカナビスの所持は優先度が低いので警察は前向きな姿勢を望んでいると話している。

「カナビス所持犯を起訴するために警察がペイパーワークに費やしている何時間もの労力に対して、裁判所は10-20ポンドの罰金しか科していないという点が問題なのです」 とスコットランドヤード筋は語っている 「われわれの調査によれば法廷にかかる納税者のコストは10000ポンドを越えています。」  ニック・ホーキンス ザ・ガーディアン 2001年6月15日(金)
ロンドン市は、進歩的な警察長官であるブレイン・パディックの指揮のガイドラインのもとで実験を開始した。
ロンドン警察、カナビスを緩和へ
ロンドン発ロイター。ロンドン警察は、カナビス所持に対して警察官がより緩やかな対応をするようなパイロット・スキームを実施すると発表した。スキームはランベスの南ロンドン地区で行われ、カナビス違反者には公式の警告や逮捕ではなく口頭による注意が与えられる。

「パイロット・スキームがランベスで開始されたことを確認しました。評価して価値があるとわかればさらに地域を拡げていきます」 とスコットランドヤードの報道官はロイターに語った。 「警察官はカナビスを没収し容疑者のサインをもらいます。そして封印し破棄します」 とこのスキームを立ち上げたブライン・パデック司令官は声明で述べている。  マイケル・ホールデン ロイター 2001年6月15日(金)

さまざまの高官の発言を見て、イギリスも、カナビス事犯の告発の優先度を下げ、警察がもっと危険なドラッグの取引や関連犯罪に時間を費やせるようにして、深刻な問題に真剣に取り組みようになってきたと思った。それが正論というものだ。

四半世紀前の1976年オランダ政府もカナビスを 「ソフトドラッグ」 と区分し阿片法から除外した。このことはイギリスの高官が述べているよりももっといろいろな理由があった。オランダにおける適用除外は、カナビスが 「ユーザーの健康や社会一般に対してリスクを受け入れられるドラッグ」 であることを考慮し、ヘロインやコカインなどのハードドラッグのディーラーとカナビス・ユーザーを切り離しておくことを意味していた。

オランダでこのような措置が取られたときにはすでにアムステルダムやその他の地域にコーヒーショップがオープンしていたが、イギリスにはソープバーがあるだけだった。いずれにせよこのこと全体はイギリスでもコーヒーショップのオープンが始まるということを暗示しているように見えた。

ピートの意見はイギリスの新政策はコーヒーショップを成功裏にオープンできるようには見えないというものだったが、ここでは彼は当事者ではなく見物人として紙とカメラを持った非常に好奇心の強いジャーナリストに過ぎなかった。

●コリンの決意

すべての新聞記事を点検したあとコリンは撮影した候補地の写真を取り出した。以前は小さなショッピング・エリアだったところで、ディケンズ・スタイルの複合施設に他のテナントとすればジムと美容院が入っているだけだった。 コリンの説明によると、マンチェスターから10マイル、人口12万人のストックポートの中心街で古い教会のある小さな公園の隣りにあり広い駐車場が付いている。私はビルの場所も周辺も気に入った。コリンの写真からは、町の中心にあっても繁華街からは完全に切り離された場所にあって文句のない選択だった。

コリンは、この場所に私が加わってくれることを大変幸せに思う、と語り始めた。そしてその準備の話になって・・・実はそのとき彼はそこにコーヒーショップをはじめることを考えていた!   彼は話を続け説明した。彼のアイディアはウイリー・ウォーテルのシステムを真似したもので、普通のユーザーには定価でカナビスを販売し、その利益でMMCOのカナビスとセンターの運営費用を賄うというものだった。

彼は説明が終わるやいなや質問してきた。私はとうとう来たかと感じたが、ピ-ト・ブラディは半信半疑だった。コリンの質問は明らかに当初の話を越えていた。 「ビルでコーヒーショップを始めるのにも加わってもらえないでしょうか?」

私は数秒間頭を整理して息を整えて答えた。 「OK。ただし姑息な手段はダメだ。関係当局と話さない限りはできない。」  コリンも同じ考えだと言った。われわれは立ち上がって握手を交わした。ピートはすかさずカメラを取り出しその瞬間をニコンに収めた。


コリンと私は座り直して、場所の契約のことや計画の費用など、さらに全く新しいことを始めるときに出てくるいろいろな夢を非合法なこともまじえて話し合った。ピート・ブラディは文字通りドアを飛び出して行ってインターネットにとびつき今われわれが交わしたばかりのことをスクープした。われわれはすぐにオランダとイギリスの通常のプレスにも発表するつもりだったので気にしなかった。

コリンはさらに数日間滞在し、計画の初めからどのようにして実際のレベルまで持って行くかを詰めた。彼は戻って場所のリースについて交渉を開始した。コリンは生活保護で暮らしていたので計画の資金面は私が担当した。 一週間後に電話があった。交渉していた金額でビルのリースができることになり、関係者全員が契約書に署名して彼はキーを受け取ることが出来た。彼は満腹した子供のように幸福そうだった。

ピート・ブラディとカナビス・カルチュア・マガジンはスクープを掲載した。
英に初のコーヒーショップ
カナビス・カルチャーはこのニュースを最初に伝えることができることを光栄に思います。イギリスのマリファナ活動家コリン・デビス氏とオランダ・コーヒーショップの指導者ノル・ファン・シャイク氏は9月にイギリスで最初のマリファナ・コーヒーショップを開店することになった。

デビスとファン・シャイクの両氏はすでにヨーロッパ医療マリファナ運動で協力関係にあるが、二人は、イギリスの主要政治家や当局者たちが今年のはじめからカナビスの非犯罪化について公に言及していることから、イギリスでもカナビスの小売りシステムの期が熟したとしてオランダのカナビス販売をモデルにした店を開くことを決めた。    ピート・ブラディ カナビス・カルチュアー 2001年8月26日(日)

コリン・デビスとノル・ファン・シャイクとカナビス。3つの仲間
コリン・デビスとノル・ファン・シャイクとカナビス。3つの仲間

●ダッチ・エクスペリエンスをイギリスに輸入

コリンと仲間たちの気持ちの高まりがその場所をコーヒーショップに仕立てていった。 コリンは、オランダにおける29年のカナビスの経験を土台にオランダのシステムをイギリスに輸入したいという理由から、そこを「ダッチ・エクスペリエンス」と名付けた。 内装を整え、コーヒーショップ用の椅子や机、飾りなどを備え、マーセルは大きなバンを借りて熟練したコーヒーショップのスタッフを送り込んだ。時を経るに従ってかつてのレストランはコーヒーショップへと変わっていった。本当に法律が緩和されればその通りだった。


だか、地元紙の扱いは、自分の街がオランダ・システムをモデルにした最初のコーヒーショップができることが分かってすこし風向きが変わってきた。
警察、アムステルダム・ソフト・ドラッグ・カフェ閉鎖を断言
ストックポート警察は、街の中心付近の秘密の場所に開店予定のアムステルダム・スタイルのカナビス・カフェを閉鎖すると発表した。 女王にマリファナ草の花束を献上したことで悪名の高いコリン・デビス氏は問題になっているカフェを9月15日にストックポートでオープンすると語っている。

多発性硬化症などの病気の人々を助けるためにカナビスの合法化のキャンペーンを展開しているブリングトン在住のこの男性は、違法ドラッグが症状を和らげることが分かっている患者向けにダッチ・エクスペリエンス・カフェをオープンする、と述べた。 アムステルダムでは、このタイプのカフェに行きカナビスを買って吸うことができる。 しかし彼は、医療用ユーザーへの供給のために 「通常の」 ユーザーにも店を解放し経費の足しにする、と言っている。     ストックポート・エキスプレス 2001年9月6日(木)

●警察の訪問

9月13日にマーセルはコリンのアパートから電話してきた。コリンは、警察がコリンのコーヒーショップ計画について聞きたいことがあるのでここへ来る途中だ、と言っているという。マンチェスター州警察の最高責任者マクルーリンが寄こしたに違いなかった。コリンは数日前マクルーリンに手紙を書き、コーヒーショップを開く動機を説明していた。私はマーセルにコリンの部屋のどこかにビデオを設置し、警察がいる時間は十分にもつ長さのテープを間違いなくセットするように頼んだ。マーセルはそれを終えるとコリンのアパートの寝室に身を隠した。

二人の警官がやってきた。ジャクソン巡査とパーキンス巡査だった。コリンと挨拶を交わし中へ入った。ジャクソンは腰掛け、大きい方の警官がコリンに話し始めた。コリンは彼らにウィードを見せ、「これが噂のブツです」 と言ってバポライザーにセットして装置のスイッチをいれた。バポライザーにカナビスの蒸気が一杯になると、どのように吸い込むのか数回繰り返して実演してみせた。二人の警官たちは非常に興味深げに眺めていた。

コリンがバポライザーを吸い終わると、警官たちと座って話をした。ビデオカメラはそのすべてを録画していた。ジャクソン巡査は、警察が知りたがっているのは次の土曜日にストックポートのショッピング・エリア跡で何が起きるのかだと言った。 コリンは、彼の患者と幾人かのゲストがダッチ・エクスペリエンスのグランド・オープンに参加して、特別なお祝いとしてカナビスで祝煙を上げる予定だと説明した。そしてコリンは警察が何を考えているのか彼らに質問した。ジャクソンは進行状況をモニターしに来るだけだと答えた。

さらに、オープニング・パーティで車椅子の患者や他の人を逮捕するつもりではないのかと聞いた。ジャクソン巡査は状況をモニターするだけで、「大げさにする」つもりはないと答えた。雑談のあと二人の警官が帰った。マーセルが教えていなかったのでコリンはカメラが回っていることさえ知らなかった。マーセルがカメラのところに行って話しは録画したとコリンに説明すると、コリンは驚きながらとてもおもしろがった。

●2001年9月15日、開店日、午前10時・・・

コリンと私はオランダ・コーヒーショップの創設者のワーナード・ブリュニングをオープニングの式典に招待していた。ワーナードは喜んで受けてくれた。イギリスで初の 「純粋な」 カナビス・コーヒーショップに立ち会うために彼はマルスカと私とともに飛行機でやって来ていた。

午前10時を回るとコリンは店のドアを開き、入り口で待っていた患者から中へ招き入れた。私はずっと椅子に座って患者たちと話しをしたり写真を撮ったりしていた。その時コリンが叫ぶのが聞こえた 「出ていってくれ。あなたは招待していない。出ろ。捜査令状がないなら入れない!!」

秘密捜査官が患者にまぎれてドアに入り込もうとしているのが分かった。彼らはマルスカに招待を受けていると言った。マルスカがどなたと聞くと、警察官だと答えた。マルスカは驚きの表情で 「警察?本当に?」 と言い、令状はもっているのかと尋ねた。だが彼らは招待されていると返事を繰り返すだけだった。 「本当?」 マルスカは再び尋ねた。振り返って後ろに身を乗り出してコリンに確かめようとしたとき、コリンは警察官たちを発見して叫び始めた。

その瞬間ドアが押し開けられ動くなと言いながら多くの警官がなだれ込んできた。コリンは再び押し返そうとした。 「招待された」 警察官は動かなかった。コリンは、入ろうとしていた車椅子の患者に駆け寄ってハンドルをつかみ彼女を引き入れようとした。「薬が必要な患者だ。入れさせろ。入る権利があるはずだ。」 私も駆け寄りホールのドアを後ろ側の広い場所から引き開けて、車椅子の女性を中に入れようとするコリンに手をかした。女性警官が患者を入れようとするコリンの邪魔をした。コリンは引き入れようとし、女性警官は押し出そうとして、車椅子の女性ジェーンはドアのところで前に後ろに揺すられた。悲しくなるほどおぞましい光景だった。

警察官はコリンを乱暴に扱った。「私は患者だ。私を傷つける気か。背中に怪我があるんだぞ」 思わずコリンは言った。 二人の警官はコリンを床に押しつけた。私も押し返されもう一人の警官から離れていろと命令された。最初、警官はコリンの両腕を後ろに縛ろうとした。コリンはやめてくれと言った。私は彼らにコリンには脊髄損傷があるから痛がっていると告げた。たぶんそれで、彼らは自分たちがしていることに気が付いた。コリンを椅子に座らせ、私はまた離れるように命令された。

コリンの片手は自由だった。近くのテーブルにのっている灰皿のジョイントを指さしながら 「私には薬が必要だ」 と叫んだ。灰皿からまだ吸われていないジョイントを取ろうとしたが届かなかった。私はそれを取ってライターと一緒に渡した。彼はジョイントを唇にくわえ火をつけて煙りを吸い込んだ。女性警官はかれの左腕を引っ張ってコリンからジョイントを取り上げようとした。

コリンはジョイントを私に回し、私は警官から遠ざけるように灰皿に戻した。女性警官は私を指さし、同僚に私がジョイントを持っているを言った。私は灰皿を指さした。男性警官の一人がそれを取り上げ鼻の下に持っていった。カナビスのようなにおいがすると皆に言った。

マルスカは 「誰かブラインドを上げて」 と大声で叫んだ。プレスから見えないようにブラインドが下げられていた。すでに私はそうしようとしていた。広い場所の両側の大きなブラインドを開けオープニングに集まってきていたプレスを手招きした。12台のカメラとカメラマンがそこに殺到してきた。

一方では、警察は、歴史的な瞬間をビデオに収めようとしていたマーセルからテープを取り上げた。彼はすべてをテープに撮っていた。これまでのところ警察はその返却を拒んでいる。われわれは受取証の発行を要求した。テープを押収した警官は出すと言いながら決して渡そうとはしなかった。テープの存在は後に証拠として警察の報告書に記載された。ばかげていて、悲しく、絶望的な警官たち。ドアの内側で彼らがどんな振舞いをしたか、自らは誇らしく公表もできないだろう。

数日前に訪れた警察官たちが否定していたのにもかかわらずコリンは最初の逮捕者となった。訪れたその一人の警察官が 「招待された」 法執行官ジャクソンだった。テープに残っているように、オープンの日には警察はだれも逮捕したりしないと言ってコリンの面前で嘘をついていたのだ。コリンは連行されながら叫んだ 「すべては病人のためなのだ!」。 コーヒーショップの外側に集まりはじめた人々の中を行く間も彼は抗議を続け、女性警官二人が警察のバンに押し込もうとしたとき 「カナビスはカナビスなだけだ!」 と叫んだ。


警察のバンに押し込まれるコリン。カナビスはカナビスなだけだ!

●逮捕

コリンが連れ去られた後、二人の女性警官が戻ってきて、車椅子の患者も含めてそこいいた全員を調べ始めた。テーブルにはいくつかのウイードのバッズがあった。ビルのなかで「犯罪」が行なわれていた容疑を立証する最初の直接証拠となった。すべての人を調べ終わると、患者たちを解放し始めた。患者は厳しく調べられず、一見すると警察は彼らに留意していた。患者たちが出ていった後、ジョイントの所持で逮捕されたケビン以外のイギリス市民全員を解放した。残りで逮捕されたのはわれわれ4人のオランダ市民だった。

頑固な女性警官は、われわれを違法物質の供給の嫌疑で逮捕したと言っていたが、どうしてそうなるのかわれわれ全員が眉をしかめた。調べられても何も出てこないのに、彼女の言うところのカナビスという違法物質をどうやって供給できるというのか? 私は居合わせた警察官に、どのような物質の嫌疑にせよ違法なものは何も持っていないのにおかしいではないかと尋ねた。 また、何も持っていないすべてのイギリス人が解放されているのに、オランダ人だけが逮捕されるのは奇妙ではないかと言い立てた。

警察はわれわれの論理的な抗議を無視した。マルスカが次に逮捕され、コリンに続いて警察署に連れていかれた。警察署はコーヒーショップの角を回ったところだったので車でもすぐのところにあった。マルスカが着くと集まって来た群衆が警察署の前で彼女を激励する歓声を上げた。 マーセルが続いた。例の不愉快な二人の女性警官は歯痛でしかめ面をした女番長のように全身で威嚇しながら群衆を追い散らした。

次はわたしの番だった。スモカーのサポーターたちはジョイントやボングを私に向かって振りながらに激励の声を上げてくれた。パトカーの後ろに押し込まれるまでにたくさんの写真が撮られた。 警察の運転手がわたしの前のドアをしめる直前、ハーレム日報の記者コーン・シュピンゲルカンプは何で逮捕されたのかと私に聞いた。わからないとだけ答えた。私は携帯電話を取り出し、オランダの人たちにわれわれ全員が逮捕されたと報告し、メディアに伝えた。

私は違法物質の供給の容疑者として登録された。手回り品や巻き紙は返してくれた。警察官は、手入れに来た無礼な警官たちに比べればとてもリラックスしていて礼儀正しかった。 収容された部屋には窓はなかったが、想像していたよりも悪くなくいい場所だった。紙が置いてあって留置場での私の権利について書いてあった。読んでみるととても興味深く・・・

コリンとマルスカは自分の部屋から私に叫んで来た。マーセルは私より先に連れて行かれたのにいなかった。15分ほどして到着し私の部屋に入れられた。これでダッチの関係者でストックポート警察のすべての留置場を占拠することになった。

私は警察の質問に答え動機を説明した。違法物質の所持と供給に嫌疑下にあると言われた。ライターと一緒に灰皿からジョイントをコリンに渡したという事実が違法物質の所持になり、吸わせるためにコリンに渡したことが供給になる、と言う。 暗い色の髪の女性警官がジョイントにはカナビスが含まれていると言った。明らかにジョイントには火がついていなかったので知らないと答えた。

わたしの弁明は、火がついていないからそれがカナビスだとは分からなかったが、コリンにはジョイントらしきものとライターを渡し、灰皿に戻したことは認めた。それがその日の犯罪と言うことになる。ジョイントとライターを人に渡す・・・いつも普通にやっていることだ。 16時間の拘留後、午前3時にわれわれは保釈された。コーヒーショップは閉鎖されており、しかたなくそれぞれのベッドに戻ることにした。

●ワーナードの不運と幸運

ワーナードは大半を見逃した。彼は正午にリボン・カットすることになっていたが、着いたのが10時15分過ぎでマーセルが警察のバンに押し込まれるところだった。目立たないようにしていたので逮捕は免れホテルにもどっていた。次の日われわれは朝食後まず金曜の夜から見かけていないワーナードを探しに行った。ワーナードを見つけると、昨日何を目撃し、コーヒーショップの捜査の後もどったホテルでなにが起こったのか説明してくれた。

われわれは彼が隣りの26号室にいるとばかり思っていた。チェックインはわれわれがやったからだった。彼のことは確かにちょっと見ただけだった。だが、彼は、コーヒーショップのオープニングに来たMMCOのメンバーで多発性硬化症患者のビンセント・バンチと部屋を交換していた。ビンセントは喫煙室に泊まりたかったがホテルには空きがなく、ワーナードは彼に部屋を譲たのだった。だがそのことは受付けには伝えていなかった。

明らかに警察はワーナードを逮捕したかったに違いない。部屋を交換したためにビンセントがワーナードの代わりに逮捕されてしまったのだ。あわれなビンセントはジョイントの所持で捕まってしまった。ビンセントは何の罪にも問われないで1時間で解放されたと教えると、ワーナードは微笑んでいた。

警察はまたオランダ人新聞記者二人の部屋も捜索していた。私と 「つながり」 がありオランダから来たからだった。このホテルにはコーヒーショップのオープニングに出席するためにイギリス人も泊まっていた。皆んなジョイントを吸っていたが捜索を受けたのはオランダ人だけだった。


テーブル・サッカー・ゲーム機にオイルをさすワーナード
ストックポートのダッチ・エクスペリエンスで

●裁判

イギリスで発行されたほとんどの新聞がこのことを記事にしていた。その一つは・・・
警察、英で最初のカナビス・カフェを封鎖
ロンドン・ロイター発。警察はイギリス最初のダッチスタイルのマリファナ・カフェを開店初日の数分で封鎖した。 警察官はストックポートの 「ダッチ・エクスペリエンス」 カフェを閉鎖し、44才の男性を規制されているカナビスを供給を目的に所持していた容疑で逮捕した、とマンチェスター州警察の報道官がロイターに語った。

カフェはコリン・デビス(44)が創設したもので、彼はイギりスではカナビス合法化の指導的な運動家で、エリザベス女王にマリファナ草の花束を献上したこともある。その他にイギリス男性1人、オランダ男性3人、オランダ女性1人の合計5人を規制されたドラッグの供給に関わっていた疑いで逮捕した、と警察の報道官は加えた。     2001年9月15日 ロイター
オープニングの家宅捜査以降マンチェスター州警察はやって来なかった。イギリス中のたくさんのスモーカーたちがストックポートに本当にコーヒーショップがあるのか確かめにやって来たので、コーヒーショップではコーヒーが振る舞われた。

警察はダッチ・エクスペリエンスの活動を停めようとして別の戦術を使ってきた。コリン・デビスに対してカナビス・クラブを立退き裁判をおこすように大家に強要し、拒めば、違法物資であるカナビスをその場所で使うことを容認した罪に科すと脅した。コリンはオープン日の5日後の9月20日にこれらのことで裁判所に出廷した。「法」 が動き始めた。 コリンはカナビスの輸入、所持、配布、さらにカナビス喫煙の違法活動のために場所を提供した罪で告発された。 マータンとマーセル、マルスカは無罪、私の件は次回持ち越しで保釈も延長された。

2001年10月24日、デイビット・ブランケットがカナビスのクラス変更案を発表してイギリス政府に変化の兆候が見え始め、われわれの計画にもチャンスがめぐってきた。火曜日に行われた下院の国内問題専門委員会でのブランケットの声明によると、カナビスをクラスBからクラスCに再分類して、所持を逮捕なしの軽犯罪にしたい、というものだ。彼はこれが非犯罪化とは全くことなる措置だと主張し説明している。 「カナビスは規制薬物として残り、使用も犯罪の対象のままです。」     マルコム・デーン ザ・ガーディアン

ダッチ・エクスペリエンスは2001年11月19日午後、2度目の家宅捜査をうけた。警察が入ってきたとき、コリンはBBCのカメラ・クルーのインタビューを受けている最中だった。その日遅くのBBCニュースではこの手入れの模様が放送され、カメラに写ったコリンは文字通り逮捕に疲れ切った表情を見せていた。その日、警察は他にも11人を逮捕し、多量のカナビスと 「多額の現金」 を発見し押収した。

ピリップ・レインフォードとステファン・カーベニーは 「カナビス喫煙に場所を提供し」 「規制物質を所持し供給した」 責任で罪に問われた。ロビン・ライトは後に警察に呼び出され、違法物質カナビスの喫煙に場所を提供した罪で告発された。 コリンは留置場に再拘留され、6つのカナビス事犯を問われて下級裁判所の判断待ちとなった。2度目の手入れで逮捕された他の9人全員は警告だけで解放された。

●市民の不服従が高揚

私とコリンがコーヒーショップの設立を合意して握手を交わしたとき、われわれは簡単にはあきらめないということも誓っていた。コリンが逮捕され店を閉鎖される事態はリスクとして織り込み済みで、それでも続けることになっていた。コーヒーショップは警察が引き払ったあと新しいグループの支援者が再オープンした。われわれは信頼できる人たちにキーのセットを預け、いつでも店に入れるようにしておいたのだ。

私は店のメッセージ・ボードでストックポートの支持者たちに次の土曜日一緒に逮捕されようと呼びかけた。私は何としても事情聴取してもらうつもりだと告げた。われわれは皆んなコリンの側にいることを彼らに数で示そうではないか。これはまたわれわれが彼らに法で立ち向かうことを示すことになる。「ストックポートの苦悶」 を彼らの目の前に突きつけてコーヒーショップへの捜査をやめさせよう。

われわれは体制を整えストックポート警察署に行進を決行した。コリンの弁護士はわれわれが警察署に到着するまでには30人の抗議者グループが結集すると発表した。オランダのTVノヴァはレポータとクルーを送り込み、そこで何が起こり、オランダの経験の輸出がどのように展開されているのか、密着取材していた。ストックポートにツーリスト情報センターの従業員は、ダッチ・エクスペリエンスの場所についての問合わせが最も多い一つになっている、と述べていた。

われわれは警察署の入り口まで行進し、その前に一列に並ぶ警察官たちと対峙した。何も叫ばず、話さず、ただ対峙し、横断幕をきちっと広げ、コーヒーショップで用意したジョイントに火をつけた。 コリンの弁護士クリス・ヒネットが警察署から出てきて、警察は私に事情聴取することは何もないと言っていると告げてきた。わたしは隣の人にジョイントを回してくれるように頼み、何としても逮捕されようとした。

およそ15人いた警官たちはおののいて信じられないといった様子でわれわれを見ていた。落ち着きを失い、隊列のお互いを見合いながら全員がどう対処すればいいのか迷っていた。車椅子のカナビス運動家で多発性硬化症のパットマンとクリス・ボールドウインと支持者たちは、事態にどう対処したらよいのか話し合っている警察の隊列の前でジョイントを回した。警察が行動を起こすことに決めたときには大半のジョイントは吸い終わっていた。これが30人の抗議者のうち10人しか逮捕されなかった原因だった。

車椅子のクリス・ボールドウインとパットマンはジョイントに火をつけ高く掲げた。彼らが最初の逮捕者となった。二人の車椅子ディフェンダーであるパットマンとクリスが最初に逮捕されたのは驚きだった。その様子はオランダのTVにははっきりと写っていた。


警官は私の回りの人たちを逮捕した。女性のクリスは私がジョイントを回した直後に逮捕された。わたしの左右にいる警官たちは私を無視した。ストックポート警察署は満杯になった。私がディフェンダーとして「洗礼」した抗議者の一部は近郊のチールド地区に留置された。
カナビス擁護の抗議者を告発
警察は、警察署の前でカナビスを吸ったとして逮捕した10人のカナビス運動家を告発した。土曜日、マンチェスター州のストックポート警察署にはイギリスで初のダッチスタイルのコーヒーショップの強制捜査に抗議する30人のデモが押しかけた。抗議は先の火曜日のストックポート、ダッチ・エクスペリエンス・カフェの捜査で逮捕されたカナビス運動家のベテラン、コリン・デビスを支持するために行われた。 土曜の15時少し前に逮捕された抗議中に人たちは警察署の面前でドラッグを吸った嫌疑がかけられている。   (BBC)

●Laugh @t the Law day! 笑顔の法の日!


ストックポートの中心を逮捕されるために行進するディフェンダーたち

われわれは2001年11月30日の次の土曜日にもプレッシャーをかけ続けるために別の行進を組織した。留置場をあふれさるために今回は戦術を変えた。 私は参加できなかったが、オランダ側を代表してマルスカとマーセル、マーテンが加わった。マルスカが指揮をとり行進を組織した。ディフェンダーたちはすでに横断幕やビラを用意していた。その日を「笑顔の法の日」と呼んでその役割を訴えた。

戦術は5人を逮捕させ、いったんコーヒーショップに戻り、1時間半後のさらに5人を警察署に送り込むというものだった。 天気は悪く寒く雨が降っていたので、最初の5人のディフェンダーはそもまま受付に入っていって、ジョイントを吸い、受付の巡査にカナビスを吸っていることを告げた。

受付の巡査は禁煙の標識を指さしながら叫んだ。 「禁煙の標識が見えないのか!外へ出て逮捕されるのを待っていろ」。 彼の同僚が全員を移動させた。 「コメディのフォルトリー・タワーズを見てるみたいだったわ」 とマルスカはこの出来事を回顧していた。この日は警察も余り熱心ではなく、3人のみがストックポート警察署の暖かい部屋でホット・チョコレートを出されただけだった。

●MEP逮捕

プレスはストックポートとダッチ・エクスペリエンスの衝突に余り関心を示さなくなってきていたが、ヨーロッパ議会議員(MEP)のクリス・デビスが立ち上がり加わってきたことで情勢は変わった。
2001年12月14日火曜日、MEPがカナビス行進で逮捕される
MEPがマンチェスター州のダッチスタイルのコーヒーショップのオーナーの支援のためにカナビス所持で逮捕された。

北西部の民主MEPクリス・デビスはスットクポート警察署への抗議行進を行った運動家たちに加わった。行進は、カナビスの擁護者で現在ドラッグの罪で再拘置されているコリン・デビスへの関心を引き起こすために行われた。(クリス・デビスとコリン・デビスの二人は親戚関係にはない)

デビス氏は警察署の外に集まった支持者に向かい郵便切手の上に載せた小さなカナビスのかたまりを振りかざして見せながら演説した。 MEPが逮捕され12人の警察官に所内に連行される際には支持者たちが激励の声を上げスローガンを唱えた。    (BBC)
クリス・デビスはブラッセルを本拠にしているが、オランダのコーヒーショップにも行ったことがあり、ネガティブなことは何もなかったのでオランダの女性政治家にコーヒーショップ初体験を勧めたこともある、と私に語っていた。警察は、ダッチモデルを手本にしたカナビスの規制に対する明確な支持には不快な様子だった。彼らはクリスが時間の浪費を押しつけているとさえ言っている。実際、警察署に入っていって一人の警官に逮捕を求めたMEPを12人がかりで逮捕している。

クリス・デビスは2001年12月19日に陪審による公判を選んだが、これはまた新たな展開の始まりだった。イタリア急進党のMEPマルコ・カパートが、イギリスの仲間クリス・デビスを支援するために自分も逮捕されてもいい、と私に電話してきた。 私は参加してくれるのは大歓迎だと答えた。彼はクリス・デビスの公判に飛行機で駆けつけ、貴重な時間を警察だけには浪費しなかった。 彼はイギリスやイタリア(RAI)からプレスを集め演説し、下級裁判所から角を曲がったところにあるストックポート警察署まで歩いて行った。
ドラッグ擁護ユーロMPの留置所に一夜
イタリア人ユーロMPがイギリス・スットックポートのカナビス法改正の運動に加わったあと鉄格子の中で一晩を過ごした。 マルコ・カパットは、イギリス・チェシャー州のユーロMPクリス・デビスの後に続いて少量のドラッグを振りかざしながら街の警察署まで出向いた。 ミラノから来たこのMEPは保釈書へのサインを拒んで一晩をそこで過ごした。後にストックポート裁判所に召喚され、本日カナビス所持で告発された。 北西部のMEPクリス・デビスも少し前の土曜日に逮捕され裁判所に召喚されたが無罪を主張している。     マンチェスター・イブニング・ニュース 2001年12月20日(木)


プレスに答えるMEPクリス・デビスとマルコ・カパート

私も彼への支持を示すためにそこにいて、いつものようにメッセージボード用の写真を撮った。夜はコーヒーショップでカパートと一緒に来てくれた二人のイタリア人と過ごした。ともにイタリア急進党に属していた。彼らが帰ったあとディフェンダーの何人かと飲みに寄って、深夜にホテルへ戻った。次の日は判決を受けるコリンとロビンを支援するために法廷へ行くことになっていた。

1時間後、わたしはホテルの部屋で逮捕された。警官がキーを持って入ってきた時、最高のジョイントを吸っていたところだった。警官の一人は9月15日コーヒーショップで私を逮捕した同じ婦警だった。満面の笑みを浮かべて私の部屋に侵入し再び私の自由を取り上げた。イタリアに政治家の部屋を捜索したあと私は警察署に連れて行かれた。違法物質の使用と所持で登録され、後に輸入も追加された。職業を聞かれて 「ソフトドラッグ・セールスマン」 と欄を埋めると受付の女性捜査官はしかめ面をしていた。

私はイギリスの糞ソープバー・ハシシなど吸わないから、逮捕されたときにバッグにはいっていたのはオランダの強力なシンセミラだと話した。「そうでしょ」 と女性警官は勝ち誇ったように言った 「これで違法物質の輸入も追加。」 6時間後に解放され、オールド・ラクトイ・ホテルから身の回りの荷物を取りに行った。ホテルの客として7回目だったが、マネージャが私を密告していたことが分かった。

警察はクリスマス休暇の間は何もしてこなかった。ディフェンダーたちはマンチェスターのストレンジウエイ刑務所に収監されているコリンのために特別のクリスマス・ツリーを作った。

●2002年、新年の手入れ

今回は本格的な手入れではなかったが、献身的なディフェンダー、アンドリュー(ルー)・スティブンスに対するものだった。彼は法廷からコーヒーショップへの出入りは禁じられ、ジャクソン警部を恐れていた。ジャクソンは自ら店へルーを逮捕しに来た。ルーは事情聴取されて解放された。警察はまたカナビスの所持でリズレイ・ギブソンを逮捕し収監した。しかしリズレイは以前、2001年9月のカーライル法廷で医療的必要性を根拠にカナビス事犯に無罪を得ていた。彼女は告訴されずに保釈された。

2002年1月28日、イタリアのMEPの新たな逮捕が報じられた。今度は急進党の長老でカナビスの合法化の主張で有名なマロコ・パネーラだった。彼は何度もカナビス事犯で逮捕されている。市民不服従の専門家がストックポートに来ていた。警察は彼を 「別のMEP」 として対処すると言っていた。
MEP3人目、ストックポートのカナビス逮捕
マンチェスター州警察は、イタリアのMEPが計画通りストックポート警察にカナビスを持って到着したら逮捕する予定だ、と言っている。 多国籍急進党のリーダー、マロコ・パネーラは抗議のためにカナビスを持ち込むと見られていた。 彼の党はカナビス禁止に反対する運動を支持している。 警察の報道官は、パネーラ氏がカナビスを所持していることがわかれば逮捕されるだろう、と言っている。    アナノーバ、2002年1月28日(月)

●パネーラは来て、警察署に入り、そして再び歩いて出てきた!

事の次第を要約すれば、警察は、逮捕しても公共の利益にならないので、彼のハシシとグラスを取り上げて追い出した。つまり、長老のMEPを逮捕すると言うこと自体が公共のためになる・・・
イタリアMEP、カナビス所持で逮捕されず
カナビス所持でストックポート警察に逮捕されることを希望していたイタリアのMEPは警告の受取を拒んだあと追い出された。 多国籍急進党のリーダー、マルコ・パネーラはカナビス禁止に抗議するために町を訪れていた。マンチェスター州警察の報道官は、少量の物質は押収し、パネーラ氏は追い払われた、とアナノーバに語った。    アナノーバ、2002年1月28日(月)

●Cデー!  ストックポート闘争クライマックスへ

次の日2002年1月29日はわれわれの 「Cデー」 だった。私も含めて24人のデフェンダーはストックポートの下級裁判所に出廷することになっていた。われわれは大々的な抗議を計画していた。マルスカと私はもう6人のオランダ人を連れていった。大半は店のスッタフで、新たな逮捕の波を起こすつもりだった。 法廷では無罪を主張し陪審裁判を選んで表に出た。リードから来ていた支持者たちがジョイントに火をつけ掲げた。彼らは逮捕された。イギリスの人々を逮捕することが再び公共の利益になるようになったらしい。

ベテランの運動家ウインソトンも逮捕されたが、警告書のあらゆる同意を拒否しながらも出てきた。しかし彼には逮捕してもらえるだけの口実があった。結局、その日の午後に再び逮捕された。 われわれはコーヒーショップに戻り、大量逮捕を引き起こす3回目の試みでジョイントがなくならないようにせっせとジョイントを巻き始めた。


ダッチ・エクスペリエンスを出発しようとしているCデー行進

今度は60人が警察署に行進した。全員が逮捕されることを決意して多量のジョイントやウイード・バギーを持っていた。いつものように正面玄関の前に停まった。今度は大きな声でシュプレヒコールをあげ何度も何度も繰り返した。

●「コリン・デビス解放!  カナビス合法!」

われわれはジョイントを吸い、バギーをお互いに回し始めた。警察署の3階の窓からは一人の警察官が見下ろしていたが何も起こらなかった。受付へのドアには鍵がかけられていた。われわれはジョイントを巻き続けた。ウインストンは階段の上で太いジョイントを作った。BBCはこの出来事を撮影していた。

警察は音無の構えだった。われわれはビルの裏側に回り、駐車場の前に立ちはだかりすべてのパトカーの通行を遮断した。これには警察も黙っていられず表に出てきてわれわれを歩道に押し返した。われわれは彼らの面前でジョイントを巻き、吸い、回した。私の姪のキムが警官の一人の前に進み出てウイードのバギーを差し出した 「さあお巡りさん、私を逮捕してくださいな。ウイード持ってるわよ。」


パイプを最後まで吸ってから逮捕されに向かうウインストン

驚いた警官は行動を起こした。キムはそこに立ち、微笑みながら彼女の自由を危険にさらす違法物質を掲げた。警官は小さなノートを取り出しバギーを取り上げてキムに名前を聞いた。彼女は答えた。今度は住所を聞いてきたので彼女は「グローニンゲン州ゼセンダーティグ・・・」 警官はパニックになり 「オランダから?じゃ今回だけはいいから繰り返すじゃないぞ!」 と言って離れた。ビデオを撮影していたマーセルは叫んだ 「もう逮捕はないぞ。バギーを持って行っただけだ。警官に自分のバギーを渡せ。」

ディフェンダー全員がそうし始めると、そこにいた6人の警官はみんな動揺し、2人がバギーを押収しレシートを書き始めたが、他の4人の警官はただ立っているだけでわれわれもウイードも完全に無視していた。

ハーレムに10年以上も住んでいるイギリス人のニール・ウェインライトも抗議のために一緒に来てくれていた。彼はバギーのレシートをもらい,BBCクルーがそのことでインタビューを始めた。 簡単な押収手続きについて説明しているときに、オランダから来たもう一人の抗議者フランクがカメラの前でニールに口に太いジョイントを押し込んだ。ニールからバギーを押収した警官はニールがそれを吸うのを見て再び近づいて来た。彼がニールにカナビスを吸っているんじゃないかとただすと、ジョイントを深く吸い込み、強くにおう煙りを吐き出しながら警察に答えた。 「さあ? マリファナかどうか知らんよ。ただ渡されただけだから」 そう言ってさらに一服した。 「そうか」 と警察は言った 「逮捕だ!」

警官がニールを警察署内に連れて行くとき、われわれは激励の声援を送った。ニールはそのままジョイントを吸い続けた。私はフランクを押し出し、警官に自分がジョイントを渡したと説明するように促した。フランクは警官の前に飛び出して 「おれがジョイントを渡した。あれはオレのジョイントだ」 と大声で叫んだ。警官は反応せずそっぽを向いていた。

コリンの患者の一人ローレンスは、自分も吸っているから逮捕するように警察に伝えてくれとマルスカに頼んだ。ローレンスはタンクローリーの運転手だったが事故で両足を失い、多発性硬化症になってカナビスの喫煙で人生を支えていた。彼はコリンのために逮捕されようと養護ホームから特別に加わっていた。マルスカはローレンスがカナビスを吸っていることを警察に告げ、彼にも逮捕される権利があると言った。

警官は頭を振った。マルスカはローレンスのジョイントを取って警官の所に行って吸い、ニールのように逮捕を要求した。皆が前に出てきた。マルスカはフランクにジョイントを渡した。何も起こらない。ジョイントはフランクからイギリス人のハルへ、さらにカール・ワグナーへと回った。警官のひとりが前へ出て取り上げようとしたとき、マルスカはカールからジョイントを取り上げて高く掲げて言った。「これでいいでしょう。私を逮捕しなさいよ。そう頼んでいるんだから。」 警官は彼女のジョイントを取り上げ手袋の指で火を消し胸のポケットに入れて、他の警官のところに後ずさりした。皆んなはさらに大胆になってさらにウイードのバギーを渡し始めた。警察はただ受け取るだけで何もしなかった。あとで吸うのだろうか?

さらに15分ほど吸って抗議をしたが、警察はニールの回りで吸っていた誰も逮捕しなかった。ニールも夜になって警告だけで解放された。ニールが逮捕されたのは彼を調べていた警官が彼の1993年のカナビスの前科を見つけたからだった。彼は裁判に召還されるようなことは全然なかった。 警察署を離れる前、私は警察とディフェンダーたちに向かって、皆がダッチ・エクスプリエンス・コーヒーショップに戻り、逮捕しに来るならいつでも警察を歓迎する、と大声で告げた。寒かった。皆んなが紅茶を必要としていた。


ダッチ・エクスペリエンスのメンバー・ルーム

コーヒーショップへ戻り1時間経ったころBBCのクルーの一人が外にいるのに気付いた。私は紅茶はと尋ねてカップを持っていった。私が警察を招待すると言ったことでもしかしてそれを待っているのかとレポーターに聞いた。彼は、決定的な場面になるから待っていたと答えた。私は今日はもう来ないと言った。コーヒーショップでは毎日吸っていることを知っているので、警察は好きなときにいつでも逮捕しに来れるからだ。彼は飲んだあと引き上げていった。警察も姿を見せなかった。われわれは戦いに勝った。唯一の犠牲はニールだった。

●イギリス、オランダを凌駕

人口
イギリス  6000万   オランダ  1600万

カナビス経験のあるテーンエイジャー
イギリス  40%   オランダ  20%

ヘロイン経験のあるテーンエイジャー
イギリス  2%   オランダ  0.01%以下

15才以上の最近1ヶ月のカナビス体験
イギリス  24%   オランダ  15%

ザ・オブザーバー 2002年2月24日(日)
これで禁止措置がうまく機能しているといえるのか?

●コリン・デビスと支援者、法廷へ

2002年3月8日、コリンは、拘留の通知を受けるまでに科せられた罪の、カフェでカナビスの喫煙を許した2件、カナビス所持の7件、ドラッグ輸入禁止回避の1件、のいずれに対しても無罪を申し立てた。コリンは 「私はすでに動かぬ体に囚われている」 と書いたTシャツを着て、デフェンダーたち4人とマンチェスター刑事裁判所の被告席に立っていた。他の4人も無罪を申し立てた。
デビスとストックポートのアンドリュー・ヤング(30才、カナビス所持5件、ドラッグ提供1件)は留置場に再拘留、他の人は保釈で解放された。公判は2002年6月24日に決まった。2002年3月15日、MEPクリス・デビスはイタリアの仲間のマルコ・カパートと伴に無罪を主張した。彼らの弁護士オルメ氏は裁判ではMEP自らが弁護すると語った。

カナビス十字軍のレズレイ・ギブソンは、違法なダッチ・スタイル・カフェで現行犯逮捕されたにもかかわらずドラッグの所持については起訴されなかった。多発性硬化症に苦しむ彼女は、先の1月ストックポートのダッチ・エクスペリエンスの家宅捜査で逮捕され4時間拘留された。     ザ・ニュース&スター、カーライル 2002年4月17日(水)
フィシュ裁判官は、コリンがすでに十分長く拘留されてきたので、コリンの弁護団に彼を解放するために別の保釈措置を取るように勧めた。これはうまく実行され、ストックポート・エキスプレスは変化を告げる良いニュースを掲載した。

●カナビス運動家コリン・デビスは保釈で刑務所から解放

違法状態のダッチ・エクスペリエンス・カフェに関与して数々のカナビス事犯の問われているこの運動家は、裁判を待つ間ストレンジウエイ刑務所に6ヶ月余り拘留されてきた。しかしミンシェル通りの刑事裁判所は、金曜日にデビスを保釈した。保釈条件にはストックポートに立ち入らないことと公衆の面前でこの事件を議論しないことが含まれている。

デビス氏は裁判所の階段で語った。 「外に出られて素晴らしい。自分が町から排斥されてきたなどとは信じられない。子供に会って、うまい卵とベーコンのサンドイッチなんかを食べたい」 デビス氏は保釈されるまで昨年の11月20日からストレンジウエイ刑務所に送られていた。     ストックポート・エクスプレス 2002年2月17日(金)
コリンは自分のアパートやダッチ・エクスペリエンスに行くことも許されなかった。プレスや事件の関係者と接触することも禁止された。これが果たして「解放」と呼べるのだろうか? マルスカと私はスペインのベニドームでコリンと再開した。マルスカと私は彼の到着を数日前から待っていた。われわれは一息いれることとができた。コリンは二人の息子ジーソンとダニエルと充実した時間を過ごすことを希望してた。

子供たちはこの6ヶ月余り父さんに会っていなかった。コリンは子供たちのことを 「ガキたち」 と呼んでいた。彼はガキたちと心地よい環境で過ごすことを望んでいたが、われわれは素晴らしい時間を過ごすことができた。コリンは大変な痛みを抱えていたが、それをものともせずガキたちに最高の休日をプレセントした。マルスカも私も息を抜き、ジェスとダンの相手も苦にならなかった。


ダニエル、コリン、ジャクソン。スペイン・ベニドームの幸せなひととき

●悪い知らせ

短く充実した休みを終えてわれわれはそれぞれの国に戻った。マルスカと私はコリンにトラブルを起こさないように、とりわけ刑務所ざたは御法度にするように念を押した。コリンは注意するから心配するなと言っていた。しかし私は2002年7月1日早朝バーロンの電話で起こされ、コリンとバート・ミーケルがコリンのアパートで逮捕されたことを知らされた。バートはコリンのオランダの友人でグローバル・ヘンプ・ミュージアムと私の店で何年も働いていた。私はその事実と逮捕された場所にショックを受けた。本当に悪いニュースだった。

バートは保釈されたが事情聴取で再び警察署に戻された。コリンも解放されたが、痛みの問題で結局アパートには戻れなかった。強い痛みに襲われ病院でモルヒネ注射を受けたのだった。判事はそれを考慮し彼を解放したが、7月1日のアパートの家宅捜査で多量のカナビス所持が発覚したため、警察は逃亡を防ぐためとして彼を裁判所内で再逮捕した。イギリスの「正義」はこれでいいのか?

コリンの父親も数日後逮捕され偽証罪に問われた。彼は息子をかばうために嘘の供述をしたとされている。これはストックポート警察と検事が権力の中毒になっていることを示すもう一つの病的な例だ。

バートは7月11日にストックポート警察の事情聴取に戻った。彼はカナビスの供給目的所持の罪で逮捕され刑務所に送られた。バートはここ何年もオランダのコーヒーショップで1日500グラムのカナビスを扱ってきたが、イギリスではコリンのアパートで400グラムを所持していただけで拘束された。判事がこうした措置を取ったのはバートがオランダ人だったことが理由であることは明らかだった。彼は3回の保釈の機会も拒否した。

コリン・デビスに対する裁判は9月13日に開始され、途中、病気の被告人ルー・ステバンスのために何度か延期された。 コリンには、クラスBのドラッグの供給目的所持、カナビスの輸入と供給、ドラッグ喫煙の場所提供など7件の罪が科せられた。 ストックポートのフィリップ・レインフォード、ステファン・カーベニー、アンドリュー・ヤングはドラッグの供給に関わったとして、ロビン・ライトはコリンが拘留中に店をカナビス喫煙うことを認めた罪で告発された。5人は全員すべての罪状を否認している。

裁判はさらに2週間以上続いた。コリンのアパートで撮影したマーセルのビデオも開示された。警察はアパートではカナビスを見なかったと証言したが、ビデオは彼らが嘘つきであることを証明していた。

●デビスに3年の懲役

裁判はコリンと彼の動機に対して正義を行使するのではなく、彼を破滅させることを目的としていた。彼が有罪であるか否かは陪審に委ねられた。コリンはなぜ自分が現在裁判になっていることを行ったのか簡潔に供述した。 「私は、患者に配ったカナビスで彼らの人生が少しでも良くなることを願っています。私はそのような人々の役に立ちたいためにそうしたのです。」

彼は、ストリート・ディーラーから粗悪なソープバーを買うことを止めさせ、患者が自らを危険に晒すことを防いだとも述べた。  「病気の人たちの手助けする危険を引き受けたのです。私は面倒見の良い人間です。そのような人々がいれば首を突っ込まなければ気が済まないのです。」 彼は法廷で、オランダ旅行で見た 「メディウイード」 システムを真似するともりだったと供述した。

皮肉なことに、プレスは次のような記事も同時に掲載していた。
カナビスの鎮痛効果に新証拠
医薬ベースのカナビスが多発性硬化症や神経障害などの患者に役立つという予見は、ドラッグが痛みを軽減するというあらたな証拠が公表されたことでさらに確実なものになった。     ザ・インデペンデント ジェレミー・ローレンス保健担当 2002年10月1日(火)
コリンは2002年10月2日、すべての罪状に有罪を宣告された。 ストックポート・エキスプレスはそれまでの記事ではコリンのことを常にカナビス運動家と呼んでいたが、判決後は詐欺師と称するようになった。これはとても病的で不正確な表現だ。コリンは誰も「詐欺」などかけていない。
ドラッグ・ディーラー、デビスに3年の懲役
本日、カナビス詐欺師コリン・デビスは3年の刑務所送りとなった。国際マリファナ流通組織の幹部コリン・デビスは、昨日の法廷で数件のドラッグ関連事犯で有罪を宣告されていた。     ストックポート・エクスプレス 2002年10月3日(木)
ストックポートのダッチ・エクスペリエンス・カナビスカフェに関連する8事犯に対してマンチェスター刑事裁判所から有罪を宣告されたコリンは落胆させられた。彼はすべての件について無罪を主張していたが、10月3日、その年に行われる予定の他の裁判の罪状については争わず有罪を認めた。彼は逮捕からすでに9ヶ月も服役していた。

彼はまだ自分のフラットでカナビスを所持していた罪を認め、同じフラットにいてすでに再拘留中のバートの罪も引き受けようとした。デビスの父コリンの偽証と裁判の侮辱については無罪になった。

●コリン・デビス・シニア、コリン・デビスを語る

「コリンは大儀の殉教者です。彼は立ち上がりましたが、起こったことは彼が望んだことではありませんでした。評決には大変失望して驚いています。コリンは、自分でウイードを栽培したいと望む人々の手助けをしたかっただけです。彼も大変失望していると思います。ですが私は彼がまた何かを成し遂げると信じています。」

フリップとルーの件は起訴されず二人とも自由になって帰れると思っっていたが、ルーは過去のカナビス事犯でスコットランド警察に再逮捕された。ステファンとロビンは有罪になり18ヶ月の執行猶予の判決を受け、とりあえず自由の身になっている。


ハーレムのコーヒーショップ・インディカのカウンター内のコリンとバート

バートの弁護人は再度保釈を請求したが、バートの持っていたウイードは自分のものだとコリンが認めているのにもかかわらず却下された。 裁判官は、オランダがカナビス事犯の市民は引き渡さないので、バートを解放してしまえばオランダから送還しともらうことが難しくなる、と述べている。この本が発行される時点では2002年11月6日の次のバートの公判まで最終結果は持ち越しになっている。

コリンが有罪を宣告された日、ダッチ・エクスペリエンスの家主は警察に頼んでディフェンダーたちをコーヒーショップから外の駐車場に追い払てもらった。ストップポート警察は喜んで協力した。 家主は「たまたま」通りかかったら店が開いていて放置されていたので、新しい鍵に付け替えるために錠前師を呼んで場所を取り戻した、ということが口実になっている。 これは違法行為だ。だがイギリスでは公共の利益よりも「法は法に合わせる」らしい。

●MEPデビスとカパート、法廷で糾弾され有罪に

二人のMEP、クリス・デビスとマルコ・カパートは2002年10月28日にマンチェスターの刑事裁判所に出廷した。フィッシュ裁判官は、カナビスの個人的及び医療的な使用を認めさせようとするコリン・デビスの試みを支持するために抗議に参加したMEPらを激しく非難した。 裁判官は、彼らが警察の貴重な時間を浪費させ、その行為は非常に無責任だと考えられる、と述べた。 二人のMEPは、カナビス所持の罪を認めた。デビスは切手の上のソープバー900ミリグラム、そのほかに屑ハシシも所持していた。 裁判官は次のように述べた。
両人とも罪の有罪を認め、それもドラッグ事犯としては最も軽い部類に属するものでありますが、罪を犯した状況を注意深く考えると軽々しくも扱えません。

私は、カナビスの法律を変えようとする運動に対するあなた方の見識や動機についてはいささかも問題だと思っているわけではありません。 しかし昨年12月に行ったキャンペーンのやり方については様々な理由から裁判所としては極めて無責任であるとと見なさざるを得ません。 この国やヨーロッパでは、両名ともこの分野においてはよく知られた運動家であり、メディアや影響力のある組織に容易に接触することができます。

あなた方はこの国や他のところで民主的な手続きを利用して見解を発表する機会を持っているにもかかわらず、法を変えるために法を破るという目に余る挑発的なやり方で自分たちの意見への関心を引こうとしたのです。 自分たちの代表としてあなた方を選んだ人々は、例えあなた方が同意しなくっても、ヨーロッパ中の何百万の人々がそうしようとしていても、あなたがたが法で世の中に仕組みを良くしたいとしたにしても、意見の相違があろうとも、あなたがたが法を尊重することを期待する権利があります。

この事件に費やされた時間は、この町の人々にとってもっと重要な関心事、例えば3つあげれば、町中の犯罪、暴力、子供に対する性的犯罪に費やすことができたはずです。
フィッシュ裁判官は全く本質を突いている。いずれにしても、彼は警察がすでに何十年にも渡りカナビス事犯の逮捕に時間を浪費してきたことを明らかにした。では、いつになったらイギリスの裁判官はカナビスにまつわる時代遅れの法律を維持することで警察が時間を浪費していることを認めるのだろうか?   MEPは、自分が選ばれた理由の代表として行動し、人々を深く傷つける法律に抗議することによって、自分たちが人々の世話をし権利のために立ち上がることを示そうと望んだのだ。

クリス・デビスとマルコ・カパートの二人にはそれぞれ100ポンドの罰金が科せられた。さらにこの事件に警察が時間を使った費用を払うように宣告された。デビスは総費用として3585ポンドの支払い要求され、カパートは彼を取り締まる費用として2335ポンドの請求書を受け取った。

●クリス・デビスの声明

クリス・デビスはプレスへの声明でとても明快に述べている。
本日、私はカナビス所持の罪を認め前科持ちになりました。でも後悔はしていません。私はカナビスの法律を変える運動をしてきました。オランダのように問題をソフトドラッグとハードドラッグに分離してカナビスに対処するようなやり方がよいと思っています。

裁判官はわれわれを極めて無責任であると述べましたが、もし私が同じ立場だったなら同じことを言ったでしょう。法廷の時間には膨大な要求があります。そのためにも私はカナビスの法律を改正すれば法廷の時間をもっと別のことに利用できると主張しているのです。

政治家には言行を一致させなければならない時があります。今日まで、私は、カナビスを使い、自らを告訴の危険を犯し、解雇の危険に晒されながら人生を歩むすべての人々の代表になろうとしてきました。 ある意味でこのようなレッテルを張られることはありがたいことです。前科になろうが何になろうが、私はMEPとしてやらなければならないことを止めるわけにはいきません。

将来行われる選挙で再び私に投票してくれるかどうかは選挙民に委ねます。私は後悔していません。カナビスのすべての問題に注意を引きつけることができたと感じています。
このことはクリス・デビスとマルコ・カパートが人々の政治家であることを示している。彼ら二人は、代表に選んでくれた人々の利益に反すると思われる法律に全身で立ち向かうことで法律を変えるという壁に挑んでいる。

私は、コリン・デビスとイギリス最初のコーヒーショップのため、またイギリスでカナビスを自由に吸い栽培することを求めて自ら逮捕された人たちに敬意を表したい。これらの多くの人々、病気に苦しみ、死と闘っている患者たちは、安全や心の平安を危険にさらし、雨に中でピケを張り、ともに街頭に立ち、政府の蛮行にも平和な市民であり続けた。

●イギリス政府のなかに生息するデイノザウルス

オランダ人として起業家として私が驚くのは、ダッチスタイルのコーヒーショップを自分の国や町や市でも開きたいとカナビス運動家やビジネスマンたちがあちこちに書いているが、ほとんどが実行しようとさえしていないということだ。

そのような人たちのなかで唯一始めたのがジミー・ワードで、実際、2002年4月1日にブルーネマウスでコーヒーショップを開店した。店は数週間後に家主の妨害で閉鎖された。イギリスの家主たちは、カナビス起業家に貸すさないように警察に強要されて自分たちの国に生まれたばかりのコーヒーショップを閉鎖してしまうようになってしまった。

このことは警察がいかに無力感を感じているかを示している。自分たちでは閉鎖することだできないので、カナビスを吸う場所を提供しようとする人に貸したら拘留すると脅して、不動産業者や家主など市民に圧力をかけている。 「新しい」 カナビス政策だとして全く混乱した声明や意見を多量に流布するイギリス政府は恥を知るべきだ。そうすれば良識がイギリス政治家の心にもあるという良い印象を与えることができる。しかし法律を改正すると言う声明を出すだけでは何の解決にもならない。カナビスユーザーや運動家からも、国内外の政治家や禁止論者のすべての人たちからもよく見られようとする了見は無駄なのだ。

イギリス当局者たちは自分たちが無知であるとは言えないし、分からないとも言えない。例外の人がいるとすれば盲目のブランケットだけかもしれない。当局者たちは国内の本当のドラッグ乱用問題については完全にネガティブだ。このままでは、イギリスは、現在の若い世代の大多数に対して、ソープバーやハードドラッグ、アルコールなどの薬物の使用をコントロールすることさえできなくなってしまうかもしれない。

供給に対しては罰則を強化するという現在表明されているカナビスの法改正は、カナビスを売り続ける犯罪組織とカナビスユーザーたちの取引を温存させる役割しか果たさない。 カナビスをクラスCの薬物に分類し直すことはカナビスをイギリスに密輸している組織には喜んで受け入れられるに違いない。イギリスの自宅栽培者たちにとっては違法物質を供給目的での生産すれば長期の刑務所送りになる危険があることには何ら変わりなく、需要が増えても供給を増やすことはできないからだ。結局、密輸組織のマーケット・シェアを大きくするだけになってしまう。

いつの日にかイギリスにもコーヒーショップが存在することになるだろう。しかしそれをオープンし営業を続ける闘いには終わりは見えない。イギリス政府のなかに生息するデイノザウルスをやっつけるのは容易ではない。

●ダッチ・ビジネス精神と共に!

正義の戦いは続く。カナビスの合法化、あるいは寛容政策ですらイギリスでは難しいのかもしれない。これから何年もイギリス当局者たちとの厳しい戦いが行われるだろう。この章で見たとおり、イギリスの当局者たちは、いわゆるイギリスのカナビス法の緩和について言っていることとやっていることは非常に矛盾している。

私は、2002年10月9日のマンチェスター刑事法廷へ召還されていたが、自分をイギリス当局に委ねることはしないと決心した。私には彼らの裁判システムを信用できない。クリス・ヒネットは、裁判に出席すれば検事が私の送還を求めているフランスに通報したがっていると知らせてくれた。ヒネットは召還日に前夜、2002年10月8日に再び電話をくれて、検事が私をフランスに送還するつもりだと言っていた。

私は今やイギリスでもお尋ね者になってしまった。裁判所が 「保釈条件に従わず戻って来ないことを理由に」 私に対する逮捕令状を発行したことを弁護事務所ヘンリーから告げられた。 私にとってはヨーロッパ連合は広くなってはいない。連合の国の一つにカナビスを拡げようとあらゆることを試みたが、「私のヨーロッパ」 はますます小さくなってしまった。

私はカナビスとそのための活動を故国であるオランダに限定することにした。自分の自由は私にとってとても大切だ。もう外国で冒険することはない。私は愛する家族のために誓った・・・

私の教え子でワーシングで医療患者クラブをやっているクリス・ボールドウイン、幸運を祈る。ボング・クッファ店に永遠を。

イギリスのカナビス使用者、栽培者、起業家の大いなる成功を願う。意欲とパワー、そして秘めたダッチ・ビジネス精神と共に!