第10章 ダッチ・エクスペリエンスをベルギーへ輸出

●ベルギー、カナビス所持を非犯罪化へ

オランダのドラッグ対策は主にアメリカやフランス、スエーデンなど世界中の政府から批判されてきたが、それはオランダの現状を確かめようともしない当然の帰結だ。

オランダではコーヒーショップで自由にカナビスを販売しているが、統計ではカナビスの使用や乱用が爆発的に増えたという事実はない。加えて、エクスタシー製品の取引の悪評などもあるが、ヘロイン・ジャンキーへの注射針の交換システム、メタドン・プログラム、深刻なハードドラッグ・ユーザーに対する無料ヘロインの提供実験などによりオランダの状況は全く悪化していない。

他の多くの国々も、ドラッグの禁止が事態をさらに悪化させ問題の解決にはつながらず、禁止がかえって多くの人をドラッグの使用や取引に巻き込んでジャンキーや犯罪者にしてしまっているという事実に気付き始めている。

しかし、今だ一部の国では、どのドラッグに対しても少量の使用や所持まで犯罪として扱っているために、司法システムそのもの中に、普通の人も犯罪者に仕立ててしまうという予期せぬ遺伝子を組込む結果を招いている。

ヨーロッパの多くの国ではこのことに気付き始めており、社会の亀裂を深めないようにドラッグ使用や所持の罰則の法律を変ようとする議論が始まっている。ベルギーは次のような変更を発表している。
ベルギーはカナビスの個人的所持や栽培を非犯罪化へ
ベルギーはオランダやスペイン、ポルトガル、イタリアのようにカナビスの個人的所持を公式に非犯罪化する、とゲイ・フェルホフスタット首相は先週の金曜日の記者会見で表明した。

フェルホフスタット氏は、カナビスの単なる所持や個人的な栽培に対して検察は追訴しないように指示する国王令を公布すると述べた。ただし、「問題のある使用」や「過度の迷惑」ついては現状のまま禁止、少量の販売についても、オランダのようにではなく、違法のまま残す、という。

マグダ・アエルヴォ社会健康相は、カナビスの個人的使用が犯罪司法システムの対象にならないようにすることが目的だと述べている。 「個人でカナビスを使用していてしかも社会を害しない人々の生活には犯罪審査官は介入することはなくなります。」「自由の領域を拡げたいのです。しかしそれはコントロール可能な方法によってです。」  議会は今年はじめにも首相の意向に沿った法案を通過させたいとしている。

リンデスミス・センター    2001年1月22日

●司法相 「スモーカーはオランダのコーヒーショップでカナビスを入手できる」

オランダのTVは、発表されたカナビス法案の意味合いについてマーク・ベルウィッテン司法相にインタビューした。リポーターは、ベルギーのカナビス・スモカーはどのようにしてカナビスを手に入れるとかという質問に対して、大臣は「それはそんなに難しくはありません。オランダへ行ってコーヒーショップで買えばいいんです。」


アエルヴォ社会健康相とベルウィッテン司法相

●ベルギーにコーヒーショップを

ベルウィッテンが声明を出す数日前、私は偶然ニコ・デ・ワイルドがやっているベルギーのカナビス・ウェッブサイトのスポンサーになろうとしていた。彼は 「ワールド・ウィード・ウェッブ・ベルギー」というカナビスのポータル・サイトを始めていた。 ニコにメールして良い知らせのお祝いの後、大臣の声明をどう思うか聞いてみた。返事には 「コーヒーショップはダメ」 というのが全く気に入らないと書いてあった。ベルギーのスモーカーたちはすでに何十年もオランダに通っているのだからバカげていると指摘していた。

翌朝はベルギーの大臣の言ったことが気になって早起きしてしまった。一番にしたいことは分かっていた。私は自分の提案をニコにメールした。 ベルギーで最初のコーヒーショップをつくるパートナーにならないか、もし計画に賛成してくれるなら公表するつもりだ、と書いた。ニコの返事は熱狂的なイエスだった。私は、ニコと自分がベルギーのブルッセルでコーヒーショップを開きたいと思っているというプレス用のメッセージを作り、ニコに送った。そしてわれわれはそれぞれの国のメディアに配布した。

うまくいき、翌日のベルギーとオランダのすべての新聞のフロントページに載った。そこには警察や政府の反応も書かれていた。話題性があればプレスはとても便利なツールになるものだ。 新聞に出ていたベルギー当局の反応は予想通りポジティブなものではなく際めて明快だった。「コーヒーショップはダメ」。

このことは数日前にベルウィッテンが言っていたからニコと私は思い直したりしなかった。ニコは知り合いのいないブルッセルよりも回りに馴染みのカナビス・スモーカーがたくさんいる地元のボルンにコーヒーショップを開きたいと言った。私は了解し、ベルギー人である彼がその場所を公表した。

大騒ぎが起こった。ボルンの村と当局は、オランダのちっほけな町の状況を想像してコーヒーショップを望まなかった。警察はブルッセルでもボルンでもコーヒーショップを作ろうとすれば逮捕すると脅してきた。ニコは仕事や自由を失うことを恐れてこれ以上続けられないと言ってきて、コーヒーショップ計画は断念した。

●コーヒーショップがだめならハシシ・オンライン

法律か変わろうとしている今、ベルギーへカナビスを持ち込むにはどうすればいいのか考えていたらその日の夜はきちんと眠れなかった。次の日の朝、インターネットを始めたらニコのウェッブサイトと連携することをひらめいた。彼に電話して計画を話した。

彼のウェブサイトに私のサイトの広告を出し、商品をそこに表示するオンライン・カナビス販売をやったらどうかと提案した。ニコはこのアイディアを気に入り一緒にやることになった。彼はサイトを目立つように改良し続けて反応が上がるように工夫した。「国境のないカナビス」という特別ウェッブページを作って、3種類のハシシと3品種のグラスをオランダ人とベルギー人のみに提供した。起訴されないようにオランダの政策に従って1回5グラムの制限は維持した。

2001年1月31日にオンライン・コーヒーショップをオープンした。ベルギーのカナビス・スモカーには好評だった。その日のうちに注文が舞い込んできた。最初は支払いをどうするか問題もあったが銀行に口座を開設することで簡単に解決した。秘密のようなものは何もなかった。オランダの日刊紙パルールはこの新しい展開をヘッドラインで伝え、カナビス・ヘッズたちを釘付けにした。

ベルギー側では余り取り上げられることもなく離陸に成功したと思った。しかし2週間後、ニコはベルギー当局から私のバナーを削除するように命令された。応じなければ逮捕すると威嚇してきた。彼は刑務所に行くつもりはなかったのでしぶしぶ脅しを受け容れた。私には彼の気持ちが理解できた。それでもベルギーのスモーカーたちはサイトをブックマークしていたので注文は入り続けた。われわれも注文のカナビスを包装し送り出し続けた。

●またも失敗

ベルギー当局がサイトに言及してから3週間後、私はハーレム警察のレジャー科の窓口になっているゲリット・シルバスから警察署に来るように要請された。ハーグの高等検察官が調査の上で私のベルギーへの違法輸出について処分する、と言っていることを教えてくれた。 彼はまたこうした違法な活動はやめるように命令してきた。止めなければ法律で店を閉鎖すると言った。

「調査の上で」という部分は腑に落ちなかった。ウェッブサイトにはウィリー・ウォーテル・ワークショップの名前も住所もEメールやファックス番号も載せて、顧客にも当局にも、商品が登録済みの規制を受けたコーヒーショップから提供されていることを告知していたからだ。 そのことを言っても状況は変わらなかった。私は問題のページと宣伝していたカナビスの写真を削除した。しかしそれ以外の数百枚のハシシやグラスの写真については何も言われずそのままにした。

●グローバル・ヘンプ・ミュジアムで再々挑戦

再度の失敗だったが、今度こそ何としてでもベルギーにカナビスを持ち込もうと決めた。みんなで検討している途中で、法はカナビスの喫煙を容認しているので、反発を招いているのはコーヒーショップの黙認が未知の恐怖になっているからだと気付いた。 結論は簡単だった。ベルギーの人々を教育することから始めればいいのだ。われわれはカナビスの使用や効果一般について説明するためにグローバル・ヘンプ・ミュジアムの支部をベルギーに開設することで意見が一致した。

2001年3月、アントワープ中央駅近くに店を借りた。4階建てのビルで汚かったがすぐに改修した。もちろんプレスにも知らせてこの計画が真剣なものであることを示すために招待もした。アントワープ当局からもいくらかの反応が返ってきたが、法を犯さない限りミュージアムには害にはならないと見ていた。

しかし、次の日、事態は急変した。フラマン党の指導者フィリップ・デウインターは、カナビスの消費をあおり販売の宣伝を目的とするヘンプ・ミュージアムのようなものはアントワープには必要ない、と述べた。フラマン党はアントワープの前回の議会選挙で30%を得票した主要政党で、外国人労働者に対して非常に攻撃的なスタンスをもった極右翼だった。 その次の日、ベルギーとオランダのプレスがこぞってやって来て刺激的なヘッドラインを掲げた。

「ディーラー、アントワープでマリファナ・ミュージアム開始」
「アントワープのみなさん、マリファナの吸い方を教えてあげる」

●市と警察、静観の構え

アントワープ・ガゼットは次のように始まっていた 「ハーレム・ヘンプ・ミュージアム、アントワープで支部をオープン。」  本文に付随するかたちでハーレム警察のディック・ファン・エグモントの小さなインタビュー記事が出ていた。彼は、私かアントワープでヘンプ・ミュージアムを開こうとしていることに対して別に驚いていない、と述べている。
「われわれはファン・シャイクのことをよく知っています。彼は常にコントロール・システムの限界をチェックしています。そのためにこれまでも何回かカナビスの問題で衝突しています。アントワープでも同じ戦略でやってほしいと思っています。」  ファン・エグモントはまたこうした経験がアントワープ計画に役に立つだろう、と述べ次のように結んでいる。「私の知る限りにおいて、ハーレム・ミュージアムは何の問題も起こしていません。最初に、何が展示できて何ができないかについて若干の見解の相違があった程度です。」

「しばらく様子を見てみます」 とアントワープ警察の広報官バスティアンセンは言っている 「公式には、われわれはこのミュージアムについては何も知りません。まず、設立者にその意図について話しを聞こうと考えています。こちらからは何が許されていて何がダメなのか伝えるつもりです。ぶたれる前に泣くようなことはしません。単なるミュージアムであれば問題はありません。最後の決定は市議会次第です。違いますか?」
アントワープ市議会も反応を示した。レオナ・デティーゲ市長は心配しておらず 「ミュージアムがコーヒーショップの宣伝でない限り問題だとは思わない。どういう展開になるのか見守っている。」 と述べた。

●ゲリット・シルバスの好意

私は、コーヒーショップとグローバル・ヘンプ・ミュジアムの市側監督責任者のゲリット・シルバスに彼の観点からハーレムのミュージアムの評価報告書を作成して欲しいと頼んだ。もしアントワープ警察に見せてもよいなら、私の動機を説明した自分の手紙と一緒に届けると申し出た。シルバスは仕事が終わって帰宅途中、警察署からはそれほど遠くないミュージアムまで彼の手紙を持ってきてくれた。

次の朝、彼に電話して援助のお礼をして、すでにメール済みかどうかを聞いた。シルバスはその日の遅くにするつもりだと答え、私の手紙も読んでおきたいから持ってきて見せて欲しいと言ってきた。私は警察署に自分の手紙を届け、彼の反応の電話を待った。その日の終わりに彼に電話して自分の手紙を出したいと告げた。シルバスは私の手紙に賛成してくれて、彼の評価報告書に同封して送ってくれると言った。私は少々驚いたが声を高めて彼に感謝した。

だが、それがパイプ役としてのシルバスとわれわれとの最後の会話となった。上層部の承認なしに手紙を出すことはできないとして警察の幹部は彼を他の部署に更迭したのだった。私は今後シルバスとは話さないように告げられたが、彼の上司には大きなお世話だと言い返した。シルバスには本当に済まなく思った。自ら責任ある決断をしただけで何も悪いことはしていない。だが警察のお歴々はこのようなやり方を好まないようだった。

●フラマン党のデモ

われわれは平日はそのビルで働き続け、週末はハーレムに戻った。


ヘンプ・ミュージアムのコレクションを整理するマルスカ

日曜日、前の週にひっこりと見学に来たベルギー人からフラマン党がアントワープのヘンプ・ミュージアム前でデモをしていたという電話をもらった。月曜まで待たないで何故われわれが不在な時を狙ったのかとても不可思議だった。 私が読んだベルギーの新聞の中でフィリップ・デウインターは、カンビスがヘロインの使用に引きずり込むのでミュージアムはアントワープの若者の健康に脅威だと述べていた。写真には好戦的な抗議者と支持者に囲まれた勇ましい姿が写っていた。

翌朝アントワープに着くと前日の名残は何もなかった。新聞の写真に載っていた骸骨とその下にDRUGと書かれたポスターはすでに撤去されていた。われわれはただ仕事を続けた。6週間でオープンしたかった。


フィリップ・デウインター(左)と右翼政党支持者

●ジャスのグローショップと共闘

フラマン党はまたオープン間近のアントワープ最初のグローショップに対しても抗議を開始していた。 オランダ人女性ジャス・ファーミュレンは 「フロー」 という名前のグローショップを開店し、そこを立ち上げるのを息子に手伝わせて軌道に乗ったらそのまままかせるつもりだった。息子のマーチンはオランダでカナビスの栽培者だったが、ベルギーへ引っ越してきていた。 フィリップ・デウインターと仲間の右翼たちは4月1日のグローショップのオープン日に押しかけ、招待客の受付をしていた店の前で叫びながら骸骨の旗を振り回した。

警察は見張っていてフィリップの威嚇行動に素早く反応した。全員を店から排除して店を封鎖しジャスと息子のマーチンを警察に連行した。ふたりは数時間後に解放されたが、店は裁判所が判断を下すまで警察によって封鎖されると言われた。ジャスはドラッグを売るための道具とドラッグを使うための器具を売った罪で告発された。彼女は裁判で、警察が乗り込んで来た時にはまだビジネスを開始しておらず何も売っていないと自己弁護したが、裁判官は取り合わなかった。連絡があるまで店は閉鎖されることになった。

フィリップ・デウインターはお世辞を並べ立てながらジャスと私のことを「オランダから来た毒夫婦」と呼んでいた。彼は翌日の新聞で、オランダの脅威に対抗することに成功したと勝利宣言をしていた。ミューッジアムとグローショップに対する姿勢がはっきりした以上、われわれは共同して戦うことにした。ジャスとマーチンに連絡を取り、ベルギー・カナビス・クラブも加えて状況を話合う会議を開いた。


「コーヒーだけ売ってればいいだって、ちょっと違うぜ、デウインターよ」
「オレたちのことはオレたちが決める。オランダ野郎は出ていけ、ファン・シャイク!」

●行き違い

ミュージアムのオープンは2001年5月12日に予定していたので対抗措置を取るには少し時間の余裕があった。会議では、ヘンプ・ミュージアムの開館に先立って 「プロ・カナビス・マーチ」 を行うことで合意した。行進を行う許可の申請はカナビス・クラブの方でやってくれることになった。 だが不幸なことに、クラブの人は許可申請を私の名前で提出したために私がアントワープ警察に行ってサインしなければならなくなってしまった。これには気が進まなかった。数日前にベルギーのTVに出演したのだが、これがデウインターの逆鱗に触れ、番組は彼一流のやりかたで次のようにこき下ろされた。

「BRT(ベルギーのTV)は、ドラッグ販売を目的にヘンプ・ミュージアムをやろうとしている有罪ドラッグ密輸業者の宣伝媒体になり下がった。この男は200キロのハシシを密輸しようとして有罪宣告を受けている。逮捕してフランスに引き渡すべきだ。」

このことで自分が申請書のサインしに行くべきかどうか迷った。結局、マーセルに代行してもらうように私のパスポートと委任状を預けた。マーセルによれば、許可証は全然簡単に発行された。受け取りに来たと言ってサインしたら渡してくれただけだった。

●厳戒態勢のオープニング日

ミュージアムの準備はすべて整い、バナーやメガホンなど行進やオープニングの手配もすべて終わった。警察が私を狙っている可能性があったので自分が出席できない場合のことを考えて、来場者を歓迎し同席できないことを詫びるビデオも制作した。また必要な場合に備えてマルスカと私は簡単な変装用具も準備した。

私の店のスタッフはほとんどがオープニングに出席することを望んだので、土曜の早朝、何台かの車に分乗してハーレムを出発した。ベルギーに入るとすぐ、私の携帯に検察官のジャガー(ハンター)から電話がかかってきた。行進の許可証にサインしにアントワープ警察に来るように言ってきた。

すでにアントワープ警察のスタンプのある許可証を持っていたのでその要求に納得がいかなかった。彼はアントワープに着いたら警察署に来るように念を押し、さもなければ行進は許可しないと言った。考えておく、と返事して電話を切った。車を停め、携帯電話をマルスカに渡して私は車を降りた。これは何かおかしい。

私はマルスカに事態の進展を知らせてもらえるように待っている場所を伝えアントワープの街に歩いて入って行った。マルスカやマーセルらは途中でベルギーの抗議集団と遭遇しながらもミュージアムに進んだ。私は偽メガネをかけて帽子をかぶって、店の準備のために泊まっていた駅近くのホテルに行きマルスカを待った。

30分ほどして彼女が入ってきた。ベルギーから離れたほうがいいと言った。私が車を降りた直後、再び検察官から電話がかかり彼女に詰問した。なぜ彼女が電話に出たのか、どの車に乗っているのか・・・   マルスカはなぜそんなことを知りたいのか、警察は私を逮捕したいのかと聞き返した。検察官は私と話がしたいだけだと答えた。マルスカは、信用できないので私がすでにオランダに引き返した、とやりかえした。 車がミュージアムに近づくと警察は彼女を取り囲んだ。ジャガーは私がどこにいるのか聞いた。マルスカは電話でも言ったようにオランダへ帰ったと説明した。私は彼女の報告を聞いても余り心配にもならなかった。


警戒するデ・ジャガー検察官

●プロ・カナビス・マーチ

私はミュージアムから離れたところで見ていることにした。訪問者や警察官の動きはビデオに撮影されていた。警察は何かをたくらみ、私を拘束しようとしている疑いがあった。マルスカは戻ってデモに加わった。グローショップのジャスが許可証のサインをして行進の責任を取ってくれた。 行進はミュージアムのある通りの先の広場から出発し、ミュージアムを通り過ぎ、街の他の地区にあるグローショップへと進んで行った。80人の抗議者のまわりを警戒態勢の120人の警察官が囲んでいた。私は安全な距離を保ち写真を撮りながら続いた。写真に写っていたのは警察官とパトカーばかりだった。

グローショップまでの中間にさしかかったとき、行進はフラマン党の予告無しのデモで乱された。警察は右翼たちを狭い通りに追い込んでカナビス行進を続けさせた。マルスカは先頭に立ちメガホンで叫んだ 「目を覚ませ、合法化せよ」。彼女は神経質な警官に立ち止まるなと命令された。 ミュージアムのオープニングは予定通りに進んだ。警察は大きな画面に映し出された私の不在を謝るビデオに明らかにイラついていた。

検察官はマルスカに今日は開いてもいいが、月曜にはTHCやカナビスがあってもなくても警察がここを封鎖しに来ると告げた。閉鎖する理由は何か見つけると、彼女に言った。オランダへの帰路、国境を越えて緊張がほぐれるとマルスカは私に事の始終を話してくれた。

少し考えて月曜は警察が閉鎖できないようにミュジアムをオープンしないことに決めた。 警察がアントワープのグローショップを封鎖しビニールのテープで封印した後、店は5回も泥棒にあい大半の商品が盗まれたが、警察は責任を否定していた。 ミュージアムの展示品にはかけがえのないものもあったが持ち出すチャンスはなく、しばらくして騒ぎが収まるまで待ってからにすることにした。

●撤退

しかし、私はもう戻ることは出来ないと分かり、計画に対する自分や皆の動機が萎えていくのを感じた。しかしベルギー政府がカナビスに対する法律をはっきりさせることを期待しながら家賃だけは払い続けた。

グローショップの件は何回か裁判が行われた。警察の封鎖と一連の泥棒で破壊されてはいたが、結局は半年後に開店が許可された。警察はまだ見張っているが店は園芸店として続いている。グローショップという言葉はベルーギーでは使うことは許されていない。

アントワープの場所は2002年7月に引き払った。ベルギーでは市長たちの選挙があり、第一回目の投票でフィリップ・デウインターがアントワープ市長になる公算が大きくなった。それが場所を撤去し展示品を持ち帰った理由だった。アントワープはしばらくすれば白人専用地区になってしまうのかもしれない。


グローショップのフロー。警察に封鎖され、泥棒に盗まれる

●相変わらずのベルギー

最近のベルギーの政治の展開は相変わらずポイント稼ぎに終始し、私の感じでは、国が2つに分裂して罵りあいに政治のエネルギーと時間と金の90%を費やしている。

ジョイントマシン・メーカーであるアーサー・バンデンベルグのフィルター付きプリロールコーンは、タバコやウイード、あるいはそれらのミックスしたジョイントを作るのに広く使われている。オランダのコーヒーショップではバンデンゲルグの機械と組合わせて店専用のジョイントを用意しているし、スモーカーたちもコーンに手で詰め込んでジョイントを作ったりしている。コーンはヨーロッパ中で広く売られているが、ベルギーでは問題になっている。


ウイードとタバコをプリロールしたジョイント
問題になっているコーンにはコーヒーショップのロゴが印刷されている

オランダ語圏にあるメクリン市のバート・サマーズ市長は2002年10月23日、コーンを町の新聞店やタバコ店から押収した。コーンはリズラやキングサイズのスモーキング・パイパーの隣りのカウンターに置かれていた。サマーズは 「こうした空のコーンは明らかに若者をソフトドラッグの誘惑に駆り立てています。問題のタバコ店は聖ランボルト学園のそばにあります。私たちは未成年によるドラッグの使用を止めさせたいのです。ベルウイルゲン司法大臣にはこうした道具をどうにかするように要請するつもりです。」

バンデンベルグは押収と、ベルギーのコーン輸入業者が裁判所の出頭通知をもらったという事実に仰天し 「なんてこった。ベルギーのドラッグ政策はもっと寛大になると思っていたのに」 と嘆いた。彼は今、この問題に対処する方法を計画している。

リズラ・ペイパーは不問にされそのままなので若い学生たちは依然としてジョイントを作ることができるし、ますますそうするだけだろう。店で売られているタバコは合法的に利用出来るものとしては世界中で様々な害の原因になっているにもかかわらず、学校のそばでも売ることも出来る。いったい保健大臣はそうした問題に対してはどのように対処するつもりなのだろうか?

リズラはオランダとルクセンブルグ、ベルギーのブルッセルに大きな事務所を構えているが、カナビス利用者やコーヒーショップがコーンを手に入れられなくなるのだから、コーン禁止を歓迎しているかもしれない。 ベルギーのカナビス・スモーカーたちはハシシやウイードを買うことができるオランダのコーヒーショップに感謝を言ってくれるが、ベルギー人もユーロで払ってくれるので国境のコーヒーショップは何も気にしていない。